あれから間もなく、深夜ともいえる時間に2人は出て行ったらしい。 彼らはいつも夜明け頃に目を覚まし動き始めるので、大っぴらでなくとも2人が出ていくのを 見送れるかと思っていたが、いちばん早起きのゲンゾウが外を見た時には もうナミの車はなくなっていた。 ミニクーパーはキーがささったままになっていた。 ゲンゾウはエンジンをかけ、農耕機のある小屋へ移動させ、シャッターを降ろした。 ここを開けるのは家族以外にいない。 しばらくは発見されないだろう。 その作業を終えた時、新聞配達の原付バイクの音がした。 「やあ、ゲンさん!早いね!夕べは大変だったね〜!お手柄だよ!窃盗団を捕まえたんだから!」 「おかげで今朝は腰が痛いよ」 「はっはっは!名誉の負傷じゃないか!はいよ、朝刊!」 「ご苦労さん」 新聞を受け取り、バイクを見送って開く。 地元紙だ。なので 『疑惑の警部補管内で検問突破 浜松方面へ逃走か』 「………」 「あらあら、ずいぶんおっきな記事ねェ」 ガラガラという音に振り返る。 ベルメールが縁側の雨戸を開けながら言った。 ゲンゾウはしかめっ面で 「…若い女がいたと書いてあるぞ!ナミは大丈夫か?」 「大丈夫大丈夫…なんとかなるわよ」 「どうしてる?……あいつ、ちゃんと部屋にいるのか?」 「いるわよ。まだ寝てるわ」 縁側に座り、ベルメールは手を伸ばす。 新聞を受け取り 「…ジェルマなんて聞いたことない国だけど…」 「………」 「どこの国も…生きるって大変なのねェ…」 ベルメールの隣に腰を降ろし、ゲンゾウはタバコに火を点けた。 「ごめんね、ゲンさん」 「………」 「けど…信じてた上司と同僚に裏切られて、ひとりで背任の罪着せられて、 もう誰も信じられなくなっちゃったかなって思ってたから… あの子があのふたりを助けようって一生懸命なの見たら応援したくなっちゃったのよ」 「………」 「よかった。あの子がまだ人を信じることができて」 「……うむ……」 「それがわかっただけでも、あたしはよかったって」 「そうだな…」 「あたし達の娘はやっぱりたくましかったわ!」 明るい母の笑い声。 3カ月前までナミは東京都内の上場企業に勤めていた。 上司の覚えもめでたく、同僚にも恵まれ、やりがいのあるプロジェクトを任されがんばっていた。 ところが、ナミに目をかけてくれていた上司が、進めていた企画開発の情報を他社に金で横流しをしていた。 それを知ったナミは同僚と内部告発に出ようとしたが、土壇場でその同僚に裏切られ、 上司にその濡れ衣をかぶせられ、辞職せざるを得ない状況に追い込まれた。 自主的に辞職をしなければ告訴し損害賠償すると脅された。 会社側も、その上司が中心となって背任行為をしていたことを知ったうえで、 全てをもみ消す方向に事が流れたと言ってよい。 ナミは悔し涙を飲んで自ら退職願を提出した。 親を巻き込まなければ支払い切れない賠償金だった。 しかし、後日振り込まれたナミの退職金はどう考えても相場より多く、 どうやら口止め料と慰謝料なのだと悟った。 巻き込まれ、利用され、放り出された。 せめてものキモチというワケだ。 そしてその金が、オレンジ色の日産ジュークになった。 「明るく振舞ってるけど…相当こたえてたはずなのに…強い子よ、ナミは」 「そうだな…」 と、台所からノジコの声がした。 「ちょっとナミ!あんた夕べ炊いたご飯全部おにぎりにしちゃったの!?今朝の分全然ないじゃない!」 「あー!ごめ――ん!!」 「ナミさんのおにぎり美味いぞ。お前も食えよ、ゾロ」 「今はいい…」 「こっちの車の方が広いな。快適だ」 「…だな…」 「………」 ナミの家を出た時からゾロは不機嫌だ。 サンジが何を言ってもおざなりな返事しか返ってこない。 当然だ ついこの前までの平穏を自分が奪ったのだから…。 国道ではない道だが『名古屋まで●●キロ』という表示が増えてきた。 シートに背中を預け、サンジはわずかにうつむいた。 と 「眠いなら寝ていいぞ。遠慮しなくていい」 ゾロが言った。 「…眠いわけじゃねェよ…」 「………」 沈黙 だが一瞬 「ぶはっ!!」 急停車 後続の車がクラクションを鳴らして追い越して行った。 「――てめっ!何しやがる!?」 いきなり、サンジはゾロの口におにぎりを突っ込んだ。 「うっせェ!なんか知らねェがひとりの世界に浸ってんじゃねェよ!!」 「浸ってねェよ!!なんなんだいきなり!!」 「言いたいことがあるなら言えよ!!」 ゾロの目が見開かれる。 「わかってるよ!巻き込んだのはおれで、これがとんでもねぇ迷惑だってことは! だがおれは言ったぞ!東京へ引き返そうって!」 「……あ?」 「いや…今からだって間に合う…今ならまだ…!」 「お前ェ…何を言ってんだ?」 「…え?」 ふっ、と、ゾロの目が笑う。 口元が緩み、口の周りについたご飯粒を指で取りながら 「…ああ…そうか。いや、悪かった。お前ェに腹を立ててたワケじゃねェ。おれ自身に腹を立ててた」 「へ?」 サンジの丸くなった目がとても幼く、またゾロは笑う。 「お前は素直だな。素直で、とんでもなく優しい」 思いもかけぬゾロの言葉に、サンジは頬を赤くする。 「おれのどこが素直だよ…!おれは自分がそんなカワイイ性格じゃねェってわかってる…」 「おれはあの女を信じてなかった」 「……ナミさん?」 「ああ…お人好しな一家だぜ」 車を発進させ、ゾロは 「…どうにも…人を信じるのが苦手でな…」 「…そんなことねぇだろ…」 「なんでそう思う?」 「だってさ…そうでなきゃ、ウソップ…だっけ? あいつとか、あのデカい刑事とか…先生…お前の為に動いちゃくれないさ」 「…それを考えたら…ますます自分が情けねェな…」 「…そうだな情けねェな…」 「あ?」とゾロの口元が引きつる。 「お前を巻き込んで…周りの人を巻き込んで…おれは…是が非でもイチジに勝たなきゃならねェ… 弱音吐いちゃいられねェのに…」 「………」 「…怖ェんだ…」 自分の腕を抱き、サンジは息をつく。 「勝つぞ」 ゾロが言った。 「おう」 サンジの声は力強い。 オレンジのジュークは西へ向かって走っていく。 車は県境を越え、愛知県へ入った。 同じ頃 「…気が済みましたか?」 ため息交じりにコーシローは言った。 ゾロとサンジを見送って1日。 彼らはいきなりやってきて、『森の学び舎』を荒し尽くした。 子供たちが稽古に来ていた。 危害を加えられてはならないと、コーシローは子供たちと道場で嵐が過ぎ去るのをただひたすら待った。 彼らのリーダーらしき2人が再び道場に戻ってくると、年少の子供たちは震えながらコーシローにすがりつく。 10人ほどの子供たち。 今日は年少の子供たちの稽古日だ。 彼らはそれを知っていて、コーシローが逆らえない状況を狙って来たのかもしれない。 「…ったく、汚ェトコだな…臭ェしよ…!」 わからない言語だが綺麗な意味でないのはわかる。 言った瞬間、ゴーグルのようなサングラスの男が壁の刀架にある竹刀を蹴り上げたからだ。 彼らは稽古中にいきなり土足で道場に押し入り 「サンジを知ってるな?」 と通訳を介して尋ねてきた。 「知りません。どなたです?」 と答え、通訳がそれを伝えた途端、体躯の大きな男が側にいた7歳の男の子の胴着の襟首を掴み コーシローに向かって投げつけた。 「何をするんです!?」 子どもを必死に受け止め、子供たちの悲鳴と泣き声の中で叫んだ。 これが、ゾロの言っていた厄介事だと即座に察した。 「ニッポンの道路システムは優秀だ。ロロノアとサンジがこの辺りでNシステムの利く道から離れたのはわかっている。 となれば、ここに立ち寄ったことは間違いない」 「ロロノア…ゾロは確かに私の養い子です。ですが、もう2年以上ここには戻っていません」 子供を投げた、緑の髪の男が 「ニュースを見ているだろう?ロロノアはジェルマの王子を攫って逃げている」 「…ニュースは見ました…ですがここに立ち寄ってはいません…! 仮に立ち寄っていたとして…すでにここにいないのは明らかでしょう!?」 ゴーグルの、青い髪の方の男が言う。 「ハッハァ!そりゃァごもっともだ!」 ずかずかと靴のままコーシローに歩み寄り、顔を覗き込むように近づける。 コーシローの周りの子供たちが悲鳴を上げた。 「ロロノアから連絡があったら伝えろ」 「………」 「無事にシマへ着けると思うな」 「…シマ…?」 「諦めるなら早い方がいい…ってな」 この男たちは、コーシローたちに直接危害を加えるつもりはないのだ。 ただ、コーシローの存在を知っていて、いつでもそれをしようと思えばできるという事を伝えろという恫喝だ。 「行くぞ、ヨンジ」 青い髪の男が促すと、大柄な緑髪の男は腕の埃を払い、襟を正した。 恐怖と緊張から解放された子供たちが大声で泣きはじめる。 警察に連絡しても、事実関係を知ればなかった事件にされるだろう。 彼らは、おそらくそういう力がある。 どうか無事で… 子供たちの背を撫でながら、コーシローは自身の不安を振り払う。 「こんな寄り道が必要だったのか?ニジ?」 『森の学び舎』から幹線道路に出た頃、4WD車の後部シートで緑の髪の王子・ヨンジが兄ニジに尋ねる。 「だからお前は筋肉バカだっていうんだ」 ムッとした顔で、末の弟は兄を睨む。 「あのツラを見たろ?ありゃ、わかってるってツラだ。間違いなくロロノアとサンジはあそこに寄った」 「サンジは昨日の晩、もっと西で騒ぎを起こしたのだろう?」 「追いつくのなんざわけねェ。追いついた時に、奴らをどう絶望させるかって話だよ」 「…なるほど…」 ニジは、据え付け型の保冷庫からチョコレートの箱を取り出し、ひとつ口に放り込んで 「まだまだ先は長い場所でとっつかまえるより、目の前、あと一歩って所で絶望させる方のが面白ェんだよ」 また、チョコレートをつまみ 「…てめェひとりいい子のふりしてんじゃねーよってな」 と、ニジはドカッと運転席のシートを蹴り上げ 「チンタラ走ってんじゃねェ!!」 「は!はい!」 「言ってることとやってることがずいぶん違うな、ニジ」 ヨンジの言葉にまたキレる。 ジェルマ王国第2王子、ヴィンスモーク・ニジと第3王子、ヴィンスモーク・ヨンジ。 彼らの父寄りの思想を持ち、すでに戦場も経験している王子達。 「…ったく、出来損ないのサンジめ…どこまで面倒かけりゃ気が済むんだよ!」 「とにかく…サンジに消えてもらえば全てがうまくいく…」 「レイジュのヤツもだ…ったく、あいつもバカだぜ。父上の言うとおりの結婚をしてりゃ楽だってのに」 沈黙が流れる。 が、またニジがチョコレートを口に運び 「急げ。サンジのヤツ、ぶち殺してやる…!」 「…だからな?おれは所轄の刑事で、ゾロの一件は警視庁の公安と内閣調査室が握っちまってるから これって情報は何も入ってこねェんだよ」 ゾロの指名手配から丸一日を経過し、気が気でないウソップはフランキーを呼び出した。 昼食時のラーメン屋。 立て込んでいるのに、食い終えながらこの連中はなかなか席を立たない。 「なんで指名手配だよ!?なんでテロリストだよ!? 過激な学生運動やってた学生がなんで警官になれるんだ!?おかしいだろが!!」 「元々反骨精神の強ェ野郎だからな、上層部もさらに上からのお達しで逆らえなかったって所だろ」 ウソップはテーブルの上に備えてある水差しからコップに水を注ぎ、一気に飲み干す。 「さらに上って…結局政界だろうが!ジェルマ王国で何が起きててなんでゾロが巻き込まれるんだよ!?」 「おれが知るか」 フランキーも水差しから水を注ぎ飲み干す。 そして 「ただな」 「……!!」 「今度のことはおれも気に入らねェ。人のシマであんな騒ぎを起こされて人が1人死んでるってのに、 まともな捜査もしないまま公安に持ってかれたんだ」 「だろ…!?このまんま黙ってられんのかよ!」 フランキーは息をつき 「が、黙ってなきゃならねェのが組織ってもんなんだ」 「なんだよ!そりゃ!?」 「まァ、落ち着け。そう言うお前ェも組織の人間だろうが」 「……ま…そりゃ…」 ウソップは肩を落とし、顔を覆う。 「…お前ェ…どうしてそこまでロロノアに肩入れする? 深入りして自分の身がヤバくなる可能性もあるんだぜ?」 ウソップは憮然として 「ゾロはダチだ。それ以外に理由なんかあるか!」 「ほう?」 「…ゾロは…あんな性格だけどすんげェ義理堅くて、誰より優しくて…その優しさで損ばっかりしてんだ…」 「………」 「そこに自分が気づいてなくてさ」 ウソップはガリガリと頭をかき 「…おれ…学生時代、あいつを騙してひでェ目に合わせたことあんだ…」 「………」 「ぼったくりバーに引っかかって…あいつ呼び出して…あいつにふっかけて、騙して逃げた…」 「…そりゃあ…」 ウソップは呻いて 「なのによ…あいつ…次に会った時『あの後何もなかったか?ないならよかったな』ってよ… 顔腫らして言ったんだ…バカだぜ…!」 「………」 「だから今度も!絶対あのお人好しっぷりで巻き込まれたんだよ!!そうに決まってる!!」 「…だとしたら、バカだな。確かに」 「バカなんだ!!バカなんだよおおおぉ!!」 今度は大声で泣き出す。 「だから…おれは二度とゾロを裏切らねェって決めたんだ!! 次にゾロに何かあったら今度はおれが助けるって!!」 「わかった!わかった!わかったから泣くな!!」 フランキーはニヤリと笑い 「気に入ったぜ、鼻!!」 「鼻じゃねェ!!」 その時、ラーメン屋の店主が「悪ィが後がつかえてるんで」と不機嫌に言い、ふたりは慌てて席を立った。 店を出、歩きながらフランキーが 「本庁に知り合いがいてな。そいつから出来る限り情報を引き出す。 堅物だが悪いヤツじゃねェ。何かわかるかもしれねェ」 「ありがてェ!頼むよ!」 「お前ェはどうする?」 「有給取って、ゾロが検問突破したっていう静岡に行ってみる。その前に…王女様に連絡取れたらいいんだけどな…」 「王女はホテルに引き篭もったままだ。昨日ジェルマから皇太子が来たが、そいつは宿は別らしい。 本庁のヤツがチラと匂わせてたが…ジェルマってのはきな臭ェ国らしいな」 「そ、そうなのか…やっぱ…こう…何か国際的陰謀みたいな…で、デカい話なのかァ…?」 「怖じ気づいたか?」 「怖じ気づくかァ!!むむむ武者震いだァ!!」 と、フランキーがまた歯を見せてニヤリと笑い 「よ〜し…いっちょかましてみるか…」 「へっ?」 赤坂、ホテルオービット。 レイジュのいるスイートルームはロビーから特別なフロアに入り専用エレベーターで上がる。 都心のホテルとしては階層は高くない。 東宮御所や国会、首相官邸を抱える地域として、景観の問題もあり見上げる程のビルは少ないのだが、 それでも17階という高さは鳥にでもならない限り窓から逃げることは不可能だ。 あの日から、カーテンを閉めきった暗闇に近い部屋の中で、レイジュはただひたすらにそこに居続けている。 テレビを見ることはできるので、ゾロがいわれのない罪を着せられ、指名手配されてしまったことは知っていた。 しかも、ニジとヨンジがふたりを追っている。 イチジが手を回し、彼が人権会議に出ることになってしまった。 絶望 その言葉を何度も思い浮かべる。 スマホを握りしめ、何度もかけたい気持ちを起こしては自分を諌め耐える。 日本のテクノロジーは優秀だ。 迂闊に通信を繋げたら、サンジの居場所がわかってしまう。 「………」 ニジとヨンジが追っている段階で、そんなものは、もう……。 カーテンの外は西日が射し始めている。 レイジュの侍従、ボディガード兼目付役の男が、「富士山が見えますよ」と言ったが何も答えなかった。 コンコン 遠慮がちなノック。 この音はコゼットだ。 「失礼いたします、レイジュ様。お言いつけのもの、買って参りました」 言って、コゼットは小さな包みをテーブルの上に置いた。 「………」 お言いつけのもの? そんなものを頼んだ覚えはないが。 だがコゼットはニコニコ笑いながら 「レイジュ様!ロビーのフラワーショップのディスプレイが変わっていました。とてもきれいです!」 「……そう?」 「見に行きませんか?ホテルの中なら…かまいませんよね?」 コゼットは侍従に尋ねた。 侍従も鬼ではない。ふさぎ込むレイジュに同情もする。 彼にとってレイジュは敬愛し畏怖するヴィンスモーク家の王女なのだ。 「よろしいのでは?」 「よかった!参りましょう!レイジュ様!」 レイジュは静かに微笑み 「ありがとう。でも、いいわ」 だがコゼットは 「ホントに!ホントにキレイなんです!それに面白い花も!」 「………」 レイジュは微笑むばかりで立とうとしない。 さらに頬を染め、コゼットはがんばる。 「そういえば!日本語で『フルール』は『ハナ』というのですよね? さっき『ハナ』がキレイって言ったら、お店の人が『ハナってここ?』って『鼻』を指されました!」 「………」 侍従が苦笑する。 「レイジュ様!面白い『ハナ』もあるんですよ!見に行きましょう!」 この娘が、こんなに自分を動かそうとしているのは初めてのことだ。 『花』 『ハナ』 『面白いハナ』 『面白い鼻』 そういえば あの時 記者会見の時に ゾロくんの隣に 「…わかったわ、行きましょうコゼット」 コゼットの顔が太陽のように輝いた。 エレベーターで階下へ降り、コゼットの案内でロビーからフラワーショップへ向かう。 予めフロントへ連絡を入れたので、ホテルのガードマンがついてきた。 ロビーにいた数人の客がジェルマ王国の王女に気づき、ほぅ、と感嘆の溜息をもらす。 高級ホテルのフラワーショップである。 扱う花々はどれも豪華で鮮やかだ。 ジェルマの花はどれもはかなげで、大輪で咲く花はほとんどないのだ。 「まァ…本当にきれい…」 レイジュが目を細めるとショップの店員が 「お好きな花でアレンジいたしますよ。お部屋にお届けいたしますので…」 「ありがとう…あら、これは…」 手を伸ばし、溢れる花のひとつに触れようとした時、 「あっ!!」 体がよろけ、花の入ったバケツをひとつひっくり返してしまった。 「ああ!」 「まぁ!大丈夫ですか!?」 「…ごめんなさい…どうしましょう…わたしったら…」 「お気になさらず!ああ!どうぞそのままで!お洋服が濡れてしまって…申し訳ございません!」 侍従やガードマンが「大丈夫ですか」と声をかけたがレイジュは笑い 「私がよろけたせいよ。大丈夫。ごめんなさいね」 「いいえ!いいえ!」 「レイジュ様!そこにレストルームがございますので、ひとまずそこへ…」 そそくさと、レイジュの手を引きコゼットはフラワーショップ横のレストルームに駆け込んだ。 侍従が慌てて追ったが、女性用のトイレでは入り口で待つしかない。 トイレに駆け込んだコゼットは、いちばん奥の個室のドアを3度ノックした。 すると鍵が開き、中から明らかな男の手が伸びてきてレイジュの手を掴んで中へ引っ張り込む。 一瞬悲鳴を上げそうになったがレイジュはかろうじて堪えた。 そこにいるのがわかっていてもさすがに驚く。 ドアを閉め、鍵をかけ、ドアの前からコゼットが弾かれるようにトイレの入り口近くに身を寄せ、侍従たちの様子を探る。 ホテルのトイレ個室。 だがそこは高級ホテルのトイレ。大人が2人入っても息苦しくはない十分な広さ。 「鼻くん!!…ウソップくんね!?」 声を潜め、レイジュが言った。 中にいたのはウソップだ。 ウソップはずっとロビーで張り込みジェルマの関係者、それもレイジュに近い人間が現れるのを待った。 記者会見の事件の時、王女を助けて寄り添っていた侍女の顔をウソップは覚えていた。 たまたま階下へ降りてきたコゼットを捕まえ、これを企んだ。 「脅かしてゴメンな!」 「いいえ…!ありがとう!あの子たちにメッセージを伝えてくれた?」 「ああ!伝えた!けど…コトは厄介な方向に転がってる…!」 「…ええ…そうなの…そのせいで…あの子たちに直に連絡をする術もなくて…」 ウソップは 「王女さん…ここから逃げる気はあるか!?」 「――――!!」 「逃げる段取りは出来てる!あの侍女さんにも話した!」 レイジュは少し黙り込んだが 「…ありがとう。でも私は行かない」 「なんで!?」 「逃げてもすぐに捕まるわ…理由があるの」 「そんな…!!だってよ!このままじゃゾロが…!」 「…ゾロくんを犯罪者にしてしまった…本当に申し訳ないと思ってる…」 「だったら!あんたがそうじゃねェって証明してくれよ!!」 「私があなたと行ったら今度はあなたが犯罪者になるのよ!?」 「あ―――――――っ!!」 ウソップはまた頭をかきむしり 「そんなこたぁどうでもいいんだ!!あんたが!あんたがどうしたいのか聞いてんだ!!」 「!!」 ウソップの言葉に、レイジュは凍りついたように立ち尽くす。 ―――と 「レイジュ様!お急ぎください!」 コゼットの声がした。 ウソップが言う。 「決めろ!」 思わず、レイジュは差し出されたウソップの手を取っていた。 それから どこをどうやって、どんな風に切り抜けたのかレイジュもウソップも、またコゼットもよく覚えていない。 ただ走って、ひたすら走って、ホテルの搬出入口から飛び出しそこに横付けされたワンボックスカーに3人で飛び乗った。 ドアが閉まるより速く、運転席にいた大柄な男が 「スーパー飛ばすぜ!!舌噛まねェようにな!!」 と叫びながら車を急発進させた。 ようやく落ち着いたのは、ワンボックスカーが東名高速に入ってからだった。 「よ〜〜〜〜し!今のところ追っ手は無し!!スーパー大成功だぜ!!」 レイジュが運転席の男に 「…あなた…あの時の警察官…?」 「おーよ、フランキーのアニキって呼んでくれてもいいんだぜ」 助手席で、コゼットが手を祈るような形に合わせ、青ざめた顔で 「こっ…こっ…こわかった…」 「おー、がんばったがんばった!よくやった!」 フランキーは大きな手でコゼットの頭をワシャワシャとこね回した。 ウソップはレイジュを先に押し込み自分が後から飛び乗ったままの状態で、シートにうつぶせに潰れている。 「ウソップくん…大丈夫?」 ウソップはうつぶせのまま、ガタガタと震えだす。 「…大丈夫じゃねェ…落ち着いてきたら…おれ…とんでもねェことしちまった… ああああああああああああああ!!どーしよー!?」 キョトンと、レイジュはウソップを見つめる。 「ああああああああああああああああああ!どーしよ!!なァどーしよ!?どーしたらいい!? なァ!フランキー!!どーしたらいい!?」 「落ち着け!!じゅーぶん話し合って決めたことだろ!?今さらうろたえるんじゃねェ!! とにかく!!ゾロを追うんだろうが!!」 「ああああああああああああああ!!」 「…フランキー、黙らせてもいいかしら?」 レイジュの言葉にフランキーはニヤリと笑い 「おう、頼む!」 次の瞬間、レイジュは例のスタンガンを取り出し 沈黙 「…こんなに役に立っていいのかしら、コレ」 「物騒なモン持ってんなァ」 「…バッグに入れたままだったわ…」 エンジン音と走行音だけが響く。 そこへ 「悪ィ、おれの電話だ。出てくれねェか?三列シートに放り投げてある」 「知らない女が出ても大丈夫?」 いたずらにレイジュは言う。 フランキーも笑い 「そういう相手じゃねェ」 「もしもし?」とレイジュが言うと、かけてきた相手が 『あら?もしかしたらレイジュ王女様?上手くいったみたいね』 女の声だ。 フランキーが 「スピーカーにしてくれ。わかるか?」 「ええ」 レイジュが操作すると 『フランキー、今どこ?』 「よォ、ロビン!言えるかよ!」 『ズルい人。人にあれこれ調べさせて走り回らせておいて』 コゼットが、後ろのレイジュにコソッと 「…恋人さんでしょうか…?」 と言った途端 『残念だけど違うわ。そうだった時もあったと記憶しているけれど?』 「くぉら!!ロビン!!余計な情報はいらねェんだよ!!」 『そうね。じゃ、簡単に伝えるわ。 ヴィンスモーク・サンジ王子及びロロノア・ゾロ警部補、静岡県内の検問突破から依然行方不明。 公安は赤のミニクーパーを乗り捨てたと見て、公共交通機関の防犯カメラを解析中。 ヒッチハイクなどの手段を用いたと仮定しても、すでに愛知県内に入ったのではないかというのが見解』 レイジュが深くため息をついた。 『新たな情報。赤坂のホテルオービットから、ヴィンスモーク・レイジュ王女が シルバーメタリックのワンボックスカーで何者かに連れ去られた模様』 「知っとるわァ!!」 フランキーとウソップが同時に叫んだ。 「あら、起きたの?早いわね?…サンジにフルパワーで使ったから電圧が落ちたのね…」 「なんてマネしやがる!?死んだかと思ったわァ!!」 『ウフフ…賑やかね』 どうしてよいかわからずオロオロするコゼットを全く無視。 『ところで、そのヴィンスモーク家の他の王子様方のことなんだけど』 スマホの向こうのロビンという女性の声に、レイジュがグッと息を飲む。 『…自分の家臣…?というよりまるで警護の兵士なんだけど、 それらを引き連れてまっすぐ静岡に入って愛知に向かってるわ』 「…ゾロが愛知に入ったって話が公安から行ったんだろ?」 『いってないのよ。公安が愛知に入ったと判断するより前に、彼ら愛知に入ったの。 まるで、途中にゾロと王子様がいないのをわかっているみたいに』 レイジュの顔が青ざめる。 「…つーか…おいロビン…なんだって公安はその他の王子を好きにさせてんだ? 兵士みてェな家来?何をするつもりだ?日本で戦争でもする気かよ?」 しばらく、答えはなかった。 が 「…父が…大国を通じて日本に揺さぶりをかけたのよ…」 フランキーとウソップの目が見開かれる。 「…ジェルマが兵士を輸出している国々のいずれも…その影には大国がいるわ」 「海老名サービスエリアまで〇〇キロ」の看板をくぐる。 「…父は…どうしても反政府勢力を攻撃する理由がほしいのよ…」 「ちょっと待て…話が見えねェ」 ウソップが言う。 レイジュは、3日前の夜ゾロに語った話を繰り返した。 話を聞くウソップとフランキーの顔がどんどん青ざめる。 そして 「そんなバカな話があるかァ!!」 「待て待て…ってことは…なんだ…ジェルマが兵士を輸出し続けることで… 日本のいちばんの仲良し国がなんらかの得をするってことか?」 フランキーから問いに 「…内戦が続いている中東のS国の反政府勢力にジェルマは兵士を売っているわ… S国の政府は北の大国の後ろ盾…日本といちばんの仲良し国にとっては今のままがいい。 サンジに余計なことをしてほしくない。だから日本政府に圧力をかけ、 イチジを会議に参加させるゴリ押しをしたのよ」 スマホの中からロビンが言う。 『そう、そういうことなのね。理由がわかったわ』 「…政府も警察上層部も…はじめっからゾロ込みでサンジを片づける気満々じゃねェか!?」 『たまたま居合わせたゾロがスケープゴートになったわけね』 ウソップがレイジュに 「…王女さん…あんた…こうなるのわかってて…ゾロを巻き込んだのか…?」 「………」 「なァ!?わかってて!わかっててゾロにそれを頼んだのか!?」 うつむき、レイジュはしばらく黙っていた。 コゼットが「やめてください、やめてください」と泣きながら懇願したが、ウソップは止まらなかった。 「…わかっていたわ…」 「!!」 「…でも…サンジひとりが逃げても…あっという間に追い詰められる…知らない国で… すぐに追っ手に捕らえられて、殺されてしまうのは明らかだったわ…」 「………」 「…悩んだの…例え死ぬとしても…ジェルマの非道を明らかにするにはどうしたらいいか…考えて考えて…」 「………」 「最初にあの子を逃がした時…すぐに追っ手がかかって…その時あの子の目の前にいたのがゾロくんだった…」 「………」 「しかも警察官…運命だと思ったわ…わずかだけど希望が見えた…この人と行かせたら… 父達もそう易々とサンジに手を下せなくなる…回りくどいことをしなければならなくなる… そうしたらわずかでも勝機があるって…!」 言葉を詰まらせ、レイジュは顔を覆い、小さな声で 「ごめんなさい…」 長い沈黙。 やがてフランキーが 「ロビン」 『なぁに?』 「悪かったな。このことは忘れてくれ」 『…聞いてしまったらもうムリよ』 「上にバレたら懲罰どころじゃねェぞ?」 『警察が、なんの落ち度もない警察官を組織的に抹殺しようとしている。 見過ごすわけにはいかないわ。管理官としては』 スマホからの声にウソップがギョッとして 「か、管理官!?」 フランキーが畳みかけるように 「…切り抜けられりゃ大当たりだが、しくじれば警察を追われる。お前の望みは一生断たれるぞ」 『そうね…でも』 望み その言葉にレイジュが眉をひそめる。 『当たれば、一気にトップを狙えるわ。やってみる価値はあると思っているのよ。 ゾロには申し訳ないけれど』 「ゾロには申し訳ないってどーゆー意味だァ!?」 ウソップが叫ぶ。 が 「ロビン、おれァこのままこいつらとゾロを追う。多少状況を掻き回した方がお前ェはやりやすいだろ?」 『ええ、ありがたいわ。逆に警察がゾロを追いかけやすい方が、彼らを救う手段が増える。 そのかわり、終わった後ゾロとあなたとウソップくん…よね? が、世紀の大テロリストになってるか正義の味方になってるか…その覚悟はしておいてね』 ゴクン、ウソップは生唾を飲み 「…お、おう!もうこうなったら行くとこまで行ってやらぁ!!」 「よ〜し!いい返事だ!ロビン、また連絡する!」 『気をつけてね。今からあなたのスマホの通信は押さえられていると考えて』 「その辺はぬかりねェ!ロビン、昔のガラケーに連絡入れてくれ。 おれが情報屋との連絡に使ってる番号だ」 『わかったわ。…ウソップくん、気をつけて。王女様』 呼ばれて、レイジュが顔を上げる。 『日本にはこんな言葉があるの。「あきらめたら、そこで試合終了ですよ」』 「………」 ウソップが 「…ははっ…真に受けんなよ、漫画のセリフだ」 レイジュは笑う。 微笑んで 「ありがとう」 通話が終わる。途端にウソップがフランキーに 「…管理官が恋人なんだ…」 フランキーは前を向いたまま 「…“元”な。…あんまりそういう甘い間柄じゃなかったが、ハタから見りゃそういう付き合いだったかもしれねェ。 あいつが警察組織の中でステップアップすることを望んだ。おれはそれにつきあえなかった。そういう話だ」 「………」 「ここまでの話で、結局警察も長いものに巻かれる体質なのはわかったろ。 あいつはそれを壊したいと言った。あいつは上へ行きおれは現場の声をあいつに届ける。 理解したか?」 「……した」 ウソップが答えた。 そして 「とにかくだ。おれたちの思惑はバラバラだが、行動目的は同じだ。 ゾロ達に追いついて生かして公の場に立たせること。それでいいな?」 「おう!!」 ウソップが力強く声をあげ、レイジュもためらいがちにうなずいた。 「…ありがとう…」 うなずいたままうつむいていたレイジュは、きっと顔を上げ 「重大な告白をするわ」 レイジュの言葉にウソップはギクリと肩を震わせた。 「な、なんだよ!?まだ何かあんのか!?」 「ええ…ごめんなさい。覚悟して聞いて」 「ええええええ!?」 ウソップが頭を抱える。 フランキーもチラリとミラー越しにレイジュを見た。 「…他の弟達がサンジのいる場所から半径10キロ以内に到達したら、 所在はたちどころに知れてしまうわ」 「ええええ!?」 「…なんだと?」 レイジュは自分の左手首を握りながら 「…ここに…発信機が埋め込まれているの…」 「な……!?」 コゼットが目を見開き口元を覆う。 「…父の仕業よ…私達全員…いいえ…国民全員の手首に…父はマイクロチップを入れたの…」 「なんの為に!?」 レイジュは哀しげに笑い 「…戦場で…もし、万が一、戦死したら…死体の回収を速やかにする為だと…」 「…それが親のすることかああああああ!?」 ウソップが叫ぶと同時に、レイジュの瞳から涙がこぼれ落ちた。 「本来の目的は逃亡防止…全ての国民は父の管理下…それは私達も同じ…」 「……そんな……話が…あんのかよ……」 レイジュはウソップの顔を見てまた微笑んだ。 「…優しいのねウソップくん…あなたが泣くことはないのよ…?」 「ダメだ!ダメだ!ダメだ!ダメだ!そんなん絶対ェダメだ!」 「ああ…ダメだ!!そんな非道あっちゃならねェ!!」 レイジュの白い頬を涙が濡らす。 「…私…なんて運がよかったのかしら…」 「レイジュ様…」 「見ず知らずの国で、こんな優しい、バカみたいにお人好しな人達に会えるなんて… 私もサンジも…なんて幸せなのかしら…」 「バカみたいにお人好しはねェだろ?」 ウソップが言った。 レイジュは思う。 幼い日の、ほんのわずかな、ささやかな幸福の日々。 母がいて、サンジがいる、光溢れる明るく暖かな部屋。 私とサンジの拙いピアノを、手を叩いて褒めちぎってくれた音楽教師。 ガイコツみたいに痩せぎすで、サンジは「ホネ、ホネ」と呼んで慕っていた日本人。 あの人の国だから、信じようと思った。 あの人は、この騒ぎをどこかで見てくれているのだろうか 「さぁ!!ゾロとサンジを追うぞ!!」 フランキーは、力強くアクセルを踏んだ。 (続) NEXT BEFOER (2017/9/17) 7Days 海へ TOP NOVELS-TOP TOP