「日本は島国で海に囲まれてる国だってのに…全然海に出ねェな…山ばっかりだ」 窓の外を眺めながらサンジが呟く。 「海に近い場所の道は大概メインストリートだ。そんな場所を走れるか」 「…ところでちゃんと西に向かってるんだろうな?」 「さっき『名古屋』って出てたから大丈夫だろ」 「って、言いながら、長野を走ってたのは誰だよ」 「うっせェ」 ナミの家を出てから数時間後、気がついたら長野県内を走っていた。 本人は「撹乱作戦だ!」と言ったが迷子なのはもうわかっている。 ナミの車はまだ「敵」に知られていない。 なのでサンジはナビをセットしたのだが、ゾロはいっこうに素直に従う姿勢を見せなかった。 一度ナビに向かって本気の怒号で「おれに命令すんな!」とやっていたときは、 こいつどこで捨てていこうかと考えた。 時々、ラジオをかける。 音楽が流れているならそれなりに楽しいのだが、人がしゃべっているのはどこが面白いのか よくわからないものばかりだ。 笑い声がするので面白いネタなのかとゾロを見れば、ゾロの口角はピクリともしないので、 大して面白い話ではないのだろう。 それでも流しているのは、ニュースや交通情報を聞くためだ。 『それでは交通情報です。日本交通情報センター、小杉さーん』 『はい。お伝えします。××町県道7号線は、△△交差点での事故の為 片側一車線の交互通行となっています。その為上下線共に5キロの渋滞…』 「ゾロ、この道県道7号線じゃなかったか?」 「…だな。迂回する」 「どっかで停めろよ。ナビ設定しなおすから」 「いらねェ」 「おれが要る!」 「どーせデカい道しか教えやしねェんだ。要らねェ」 「!」 そうか。 ゾロがナビを無視するのはそういう… って、そればかりじゃねェ。絶対。 その時 『…で、先日より第3王子が行方不明となっているジェルマ王国のレイジュ王女が やはり何者かに拉致され行方不明となっています』 「!?」 「レイジュが!?」 サンジが叫んだ。 続けて言葉を出そうとするサンジをゾロは止める。 『相次ぐジェルマ王国王族の失踪に対し、政府はジェルマ王国大使を官邸に呼び、 事態の対応についての話し合いを行うことになりました。 また今回の2つの事件を国連に報告、国連は我が国とジェルマ王国に対し説明を求める方針です』 次のニュースに切り替わると同時にゾロが 「おれのスマホにお前の姉貴の番号が入ってる。『くいな』だ。先生のスマホからかけろ」 「くいなって?」 「今気にすることか?かけろ」 「………」 タップし、発信したが、出るまで少し間があった。 レイジュの知らない番号だ。 だが、レイジュを拉致した人物にスマホを押さえられたとしたら…。 『…はい?』 「レイジュか!?」 『サンジ!?あなたなの!?』 「レイジュ!無事なのか!?どこにいるかわかるか!?」 『サンジ…落ち着いて』 狼狽えた声で姉を呼ぶサンジの肩をバシッと叩き 「…レイジュ。そこに誰がいる?」 『フランキー刑事が連れ出してくれたの。ウソップくんもいるわ』 「ウソップも?」 ゾロが言うと 『ゾロォォォォォォォォォォ!!?おまっ…!お前!無事か!?だいじょぶか!?怪我してねェか!?』 スマホをひったくったらしく、いきなりの雄たけびにサンジは思わず耳からスマホを遠ざける。 「ケガするようなことにはなってねェ。…何をやってんだ、ウソップ」 呆れたようにゾロが言った。だが、言葉尻に笑いを含んでいる。 『うっせェ!!成り行きだ!ナリユキー!!』 「成り行きで犯罪者まっしぐらかよ」 『それを言うなぁああああ!!』 「…てめェもだフランキー。なんでこんなことになってる?」 僅かな間があってから、フランキーの声がした。 『まァ、成り行きだ』 「ふざけんな」 『ふざけちゃいねェ。状況がスーパーにヤバい方へ転がってる。 このままじゃお前ェ、警察を敵に回すだけじゃおさまらなくなるぞ』 「おれは何もしてねェぞ」 『んなこたァ、みんな百も承知だ。承知の上で、お前ェに全部おっかぶせてまとめちまおうって腹なんだよ』 ゾロはチラとサンジを見た。 サンジはびくりと震え、ゾロから目を反らす。 「…じゃ、おれはどうすればこの濡れ衣を晴らせる?」 ゾロが言うとフランキーは 『今更どうにもなるめェよ。このまま突っ走るしか方法はねェ』 「だろうな」 笑いながらゾロが言う。 サンジは唇をかみしめ、顔を伏せた。 『ゾロ、おれ達もお前を追ってる。 ところでお前ェ、人権会議の主会場、各国首脳が集まるのが志摩のどこかわかってるか?』 「知らねェ」 『あ〜〜〜〜…そんなこったろうと思ったぜ。調べといた。 志摩の英虞湾に浮かぶ網島、そこにあるホテル、パールマリーナだ』 「網島…?サミットの時行ったが聞いたことねェな」 『そのホテルがあるだけの小さな島だ。広さは東京ドーム2個分』 大きさや広さや容量を、なんでも東京ドームに換算する日本人。 地方の人間に東京ドーム何個分といっても通じないのじゃないかと常々思う。 だが、島としてその東京ドーム2個分が小さいということはわかる。 しかも海に浮かぶ島。 車だけでは接近できない。 サミットが行われた賢島には鉄道が通っていた。 だが今度の場所は船かヘリコプターでなければ行けない場所。 「とにかく、行ってみるしかねェな」 と 『サンジ』 レイジュの声。 『…会場に近づくにつれて、あなたがニジたちに見つかる確率は高くなるわ』 「…だな…」 『ニジとヨンジ…それとイチジは…あなたをギリギリまで足掻かせて、あと一歩という所で…』 「………」 『サンジ』 「大丈夫だ。レイジュ」 明るい声で、サンジは言う。 「…最後の最後まで足掻いてやるさ…」 『………』 「その姿が、わずかでも誰かに伝わればそこにジェルマへの疑念が生まれる」 『サンジ…』 実の親と兄弟に、命を狙われている哀しい王子。 「レイジュ」 ゾロが呼ぶ。そして 「安心しろ。死なせねェ」 『…ゾロくん…』 「守る。約束する」 レイジュがうっと言葉を詰まらせる声がした。 ウソップが、今度は落ち着いた声で 『ゾロ、おれはお前に死んでほしくねェ』 「………」 『本音を言えば…全部放り投げて帰ってこいって言いてェ』 「………」 『だけど、お前ェはそれをやるようなヤツじゃねェ。おれはよく知ってる』 「……ありがとよ」 『お前が今、サンジを命がけで守って助けようとしてるのはナリユキやおせっかいや同情じゃなく、 サンジとレイジュの状況をお前ェ自身が腹立てて怒ってるからだってのも、おれはちゃんとわかってる』 最後は涙混じりの声。 ウソップの言葉を黙って聞くゾロの横顔を、サンジはじっと見つめた。 『お前ェは止まらねェ。だったらおれはお前ェが走りきるのを見届けるしかねェよ!』 「ありがとう、ウソップ」 ゾロが答える。 「サンジ」 ゾロが呼ぶ。 「レイジュ」 緩やかに車を進めながらゾロは 「これはおれの意志だ」 「………」 「もう、おれに遠慮をするな」 「…ゾロ…でも…」 サンジにはまだためらいがある。 「…目的地に着いたらおれからも逃げるつもりでいただろう」 「……!」 「そんな勝手は許さねェ。最後までおれから離れるな」 「!!」 サンジは左の手首を押さえた。 この奥にあるマイクロチップはサンジの居場所を兄弟に知らせる。 小さな島に入れば、たちどころに追い詰められるのは確実だ。 サンジはまだそのことをゾロに話していない。 話すことが怖かった。 それ以前に、発信機が有効になる範囲内に兄と弟が入ったなら、 ゾロから離れなければとずっと考え覚悟を決めていた。 だから 「…エラそうに…」 「あァ?」 か細いサンジの声にゾロは反応した。 「何が守るだ…何が離れるなだ…エラそうに」 「………」 「おれは志摩までおれを連れてってくれとは頼んだが、守ってくれとも助けてくれとも言ってねェ」 「………」 「おれがそんなに弱そうに見えてんのか!?ナメんじゃねェよ!クソマリモ!!」 ゾロが深いため息をつく。 電話の向こうで、レイジュがゾロより深いため息をつきながら顔を覆った。 「…悪いクセが出たわ…」 他者を思うあまり、自らを否定し、卑下し、わが身を軽んじる。 しかし 「改めて聞くぞサンジ」 ゾロが言った。 「お前はどうしたい?」 「―――!!」 ゾロは車を路肩に停めた。 「答えろ。お前はどうしたい?」 「………」 「…行きつく先で、お前は何がしたいんだ?」 ずい、と、顔を間近に寄せてゾロは言った。 鋭い眼光。 サンジの中に惧れが湧く。 惧れと同時に 「………」 ぽろ ぽろ ぽろ ぽろ 「親父や兄弟に対する意地だけでやってることなら今すぐ諦めろ」 「…ちが…」 「お前の覚悟は大したもんだと褒めてやる。 だが、お前のやろうとしていることの代価を、お前一人の命で贖おうと思うな」 「………」 顔を覆いサンジは首を振る。 「おれに図々しく助けを求めたくせに、いざ危険が迫ったら怖気づきやがって」 「怖じ気づいちゃいねェ!!」 「怖じ気づいてんだよてめェは。おれを巻き込み、ウソップらを巻き込んだことで、 お前は事が自分の命ひとつで済まなくなったことを悔やんでやがる」 「――――!!」 ゾロはサンジの襟首を掴み顔を寄せ 「ここまでおれを巻き込んだなら!おれの命も一緒に賭けるくらいの事をしてみやがれ!!」 真珠のようにこぼれていた涙が、滝のように溢れ出す。 ゾロはサンジの頬を両手で押さえ、真正面から視線を合わせさらに言う。 「いいか!?お前がおれを死なせたくねェなんて余計な心配を抱えてたら、 おれはお前ェを100パーセント信じて動くことができなくなる!!」 「……っ!!」 「仮にもし、お前がおれを陥れて裏切ったとしても、それはお前を100パー信じたおれのマヌケだ。 だが、お前が自分の国を何としても救いたいと思うなら、そこへたどり着く最善の方法だけを考えろ!! おれの無事なんざ気にしなくていい!!おれが死んでも、死体を踏み越えてそこに辿りつけ!!」 「死なせるか!!」 ゾロの両手を掴み、サンジは叫ぶ。 「…死なせたくないから…後悔してる…!!お前を巻き込んだことを…!!」 「………」 「お前を愛する人たちに…おれはなんといって詫びたらいい…どうしたら… この状況を無かったことにできる…?」 「5日前に戻れるか。ドラえもんじゃあるめェし」 「………」 「…お前を…死なせたくないんだ…」 「だからおれが死ぬって勝手に決めんな。なんで死ななきゃならねェ」 「…お前にとっては…ジェルマなんて遠い世界の話なんだ…」 「だが、今は遠い世界の話じゃねェ」 「………」 「今、ここにお前がいる」 「………」 サンジの頬を両手で包んだまま、ゾロは 「お前はここにいる」 穏やかな声で言った。 「それがすべてだ」 ぽろ ぽろ ぽろ 涙が、ゾロの指を濡らす。 「行くぞ」 サンジは、大きくうなずいた。 ゾロはサンジの頭を肩に抱え 「…今日まで、ひとりでよくがんばったな」 「………」 「そんな状況の中で、よく自分の良心を…姉を…守り抜いたな」 「………」 「もうひとりじゃねェぞ」 「………」 「おれがいる」 「………」 「おれから離れるな」 「……うん……」 ゾロは笑い、「よし」とサンジの頭をくしゃりと撫でた。 この地球の何百という国の中からこの国を選び、何億という人間の中からこの男を見つけた。 「おれは…なんて運がいいんだろうなァ…」 顔を上げ、涙に濡れた目のままでサンジは笑い、ゾロを見る。 「…これまでずっと…おれは自分の運命を呪ってきた…」 「………」 「だけど…お前に逢えた…」 「………」 「お前に逢うために…神から与えられた試練だったと思ったら…かわいいもんだと思えてきた…」 「神なんかいねェ」 サンジは目を見開いた。 「神は頼っても何もしちゃくれねェ。てめェの運はてめェで切り開いて掴むしかねェ」 その言葉に、サンジはゾロの手を強く握って 「一緒に…来てくれ…ゾロ!」 「あたりまえだ」 サンジの肩を叩き、ゾロはにやりと笑った。 拳で涙をぬぐい、サンジも笑う。 再び車は走りだし、今度は南へ向かい走り出す。 その時 『…おお〜〜〜〜〜い…ゾロく〜〜〜〜〜ん?電話…つながったまんまなんですけどぉ〜〜〜〜〜〜〜?』 ウソップの声が、ダッシュボードに放置されたスマホから届く。 今のやり取りを思い出し、サンジは途端に真っ赤になった。 「ああ、悪ィ」 『ああ!待て!まだ切るな!あのな!軽〜〜く事情を説明する! フランキーの元カノが仲間になってっから、警察の方の情報は掴める! 変化やサンジのアニキらの動きがあったら知らせるからな!!』 「フランキーの元カノ…管理官のロビンか?」 『そうだよ!!ところでいちいち元カノってつける必要あるか!?お前ェ!!』 「心強いな。ありがてェ。じゃ、もう切るぞ」 『おう!すぐに追いつくからな!!』 「頼りにしてるぜ」 サンジが叫ぶように言う。 「すまない…!姉を頼む!」 『アウ!スーパー任せろ!!』 『心配しないでサンジ。私は大丈夫よ…!ゾロくん!』 「おう」 『…あらためて…サンジをお願い…!』 「おう、あんたも気をつけろ」 『ありがとう』 ウソップが電話を切り、レイジュに返す。 それを受け取り、胸にそっと抱いてレイジュは 「…ふふっ…」 走る車の中でレイジュが思い出し笑いをこぼした。 「…どうした?」 「…さっきのゾロくんの言葉を思い出したらおかしくて…」 と、助手席のコゼットが、自分の頬を両手で覆い 「…ま、まるでプロポーズのようでした…」 「ぷ、ぷろぽぉずぅ〜〜〜??」 ウソップが素っ頓狂な声を挙げたが、確かに、冷静に思い返すとまさにプロポーズのような言葉の数々。 「言葉選べよなぁ…ゾロのヤツ…」 「でも…サンジがイチバン…誰かに言ってもらいたかった言葉を言ってくれたわ…」 車窓に映る水平線。 鼠色の海。 「母が死んで…ブルックがいなくなって…あの子はずっとひとりぼっちだった…」 コゼットが 「でも、レイジュ様がおられました…!」 レイジュは首を振り 「私はサンジの味方じゃなかった」 「………」 「今だって…私はあの子の優しさを利用している…」 「それでも」 ウソップが言う。 「あんたがいたから、頑張れたことには違いねェよ」 「………」 黙り込むレイジュにフランキーが問う。 「あんた。弟の事は好きか?」 「…弟…?」 「サンジだけじゃねェ。他の弟も含めてだ」 少し考え、だが質問の意図を測りかねながら 「……好きよ……」 「………」 「…みんな…大好き…」 レイジュはまた顔を覆う。 フランキーは小さく笑い。 「それでいいじゃねェか」 オレンジ色のジュークは夕暮れの道を南へ向かう。 「明日の朝には海が見えるぞ」 「…迷子にならなきゃな…」 軽口を笑い、前へ進む。 陽が落ち、闇が迫る。 群青色に染まるゾロの横顔。 不意に、頬が熱くなる。 思い出すとこっ恥ずかしい…。 でも 嬉しかった…。 「なァ…ゾロ…」 「あァ?」 「…さっきの…レイジュのフェイクの『くいな』って名前…」 「…先生の娘だ」 「あ」と、サンジは小さく言い、言ってから、バツが悪そうに顔を背けた。 そして 「…そか…先生の亡くなった娘さんか…」 「そうだ」 「いくつで亡くなったんだ?」 「…いくつだったか…確か小学5年か6年か…そんな頃だ」 「…早いよな…幼すぎる…」 「そうだな…」 「…悲しかったか…?」 サンジの問いにゾロは少し考え 「…悲しかったな…わんわん泣いたのを覚えてる」 「………」 「…両親の時は、自分が生死の境さまよってたからな。 葬式にも出てねェし、おれにとっての最初の死はくいなだった」 「…そうか…」 沈黙があった。 車のエンジン音と走行音だけが流れる。 「…おれの最初の死は飼っていたネズミだ…」 「………」 「内緒でエサをやってた。ある時親父に見つかって…」 「………」 「…おれが親父に不思議と不安と…恐怖を感じたのは…その時が初めてだった」 「母を亡くして間もない頃だ…泣くおれを…誰も助けてくれなかった…」 「………」 「今日まで何度も…親父や兄弟たちと同じ思想になれない自分がおかしいのかと思ったよ… いっそ、そうなれたら楽だったんだろうな…」 「ならなくてよかったな」 「………」 「よかった」 ゾロは前を向いたまま言った。 その横顔を見つめて、サンジは子供のような笑顔を浮かべる。 「サンジ、聞いてもいいか」 「…ん?」 「今回のたくらみが上手くいったら、その後お前はどうする?」 ゾロの問いに、サンジは白い歯を見せ 「…うまくいく前提かよ…」 「行かなきゃ困るのはお前だぞ」 「そりゃそうだ。…そうだな…」 少し考え 「国を立て直さなきゃならねェからな…そうなって、親父を引き摺り下ろして誰かが王になるか… 議会民主制の国になるかわからねェけど」 「…お前が王になりゃいいだろ…」 「おれはそんな器じゃねェよ。そうだ…レイジュに女王になってもらおう。いい王になる」 「…ほー…そしたらお前は?」 「…そうだな…そしたらおれは…」 「………」 「…みかん作って暮らしたいな…」 「――――!!」 突然。 ジュークが激しく蛇行した。 中央線を越えて反対車線に大きくはみ出す。 「あああああああああああああああ!!?」 「―――――――っ!!」 何とか体勢を立て直し、再び正しい車線を走り出す。 対向車がいなくてよかった。 「何やってんだよ!ゾロ!!」 「す、すまん…」 「いきなりどうした?」 「…い、いや…お前…」 「おれが?」 みかんを作って暮らしたい それは… 「…お前…ナミに惚れたのか?」 「はァ!?」 突然の展開に、サンジは目を丸くする。 「なんでそんな話になるんだよ!?そりゃ…ナミさんはかわいい人だったけど…!」 「みかん作って暮らしてェなんて言われたらそうかと思うじゃねェか!!」 「そういう暮らしもいいなと思っただけだ!!例えだろ!例え!!」 「紛らわしい例えをするんじゃねェ!!」 「なんっだ!?その逆切れ!!バカじゃねェのか!?」 「――――!!」 ふと気づけば交差点。信号は赤 タイヤを軋ませ、横断歩道のラインを踏んで止まる。 息をついて、サンジが言う。 「…このまま日本で暮らしたいって…そう思ったんだよ…」 「………」 「…そんなことを…ただ考えるくらい…夢見るくらい…いいじゃねェか…!」 はーっ ハンドルを握りしめゾロは息をつく。 信号が青になった。 「…青だ…」 「わかってる…」 静かに、ジュークは走り出す。 さっきまでとは打って変わった、静かな、どこか怯えるような走り方。 スピードは普通に出ているが、明らかに違う。 対向車のヘッドライトが、ふたりを照らして通り過ぎた。 「ずっと…この旅が続いたらいいって…思うくらい…いいじゃねェか…」 サンジの言葉に、ゾロの指がピクリと震えた。 「…このまま…ずっと…」 「いいぜ」 ゾロが言う。 サンジは目を丸くして、ゾロの横顔を見た。 決してふざけてはいない。真剣な顔。 「このまま…しがらみ全部捨てて、ふたりで逃げるか?」 「………」 「人権会議なんざ放り投げてよ」 「……はは……」 ゾロの手がサンジの頭を撫でる。 「できる性格じゃねェよな?てめェは」 「………」 「そんなお前だから、おれもその気になった」 「………」 「そんなお前が」 「………」 「好きだ」 「………!!」 ジュークは走る。 夜の帳に包まれた小さな町の道を。 「…運転中でよかったぜ」 ゾロが言った。 「…なんで?」 「…車を停めてたら、キスするところだった」 サンジは、目を細めて笑い 「…赤信号だ、ゾロ」 「………」 緩やかに 「……停まったぜ?」 「………」 信号が、青に変わる。 クラクションが鳴り響く。 後続の車にクラクションを鳴らされ、パッシングを喰らって、ようやくジュークは走り出した。 走り出した後も、後ろの車がからかうように短いクラクションを一度鳴らした。 「…見られたな…」 「影だけだ。ツラは見えてねェ」 「………」 「………」 「…なんか喋れ」 「………」 「黙るな!!気まずいだろ!?」 なぜかキレるゾロにサンジも 「…なんでファーストキスをこんなヤローにくれてやったんだおれはー!!」 「はああああああああああああああああああ!?」 サンジは身を縮めジャケットの襟を持ち上げて顔を隠す。 ゾロはハンドルを切り、適当な脇道へ入った。 暗いがかなり広い道だとわかる。 目の前にそびえ立つ塔のような建物の頂に赤い警告灯。煙突だ。 どうやら、地域のごみ焼却施設らしい。 施設の性質上民家はなく、街灯も少ない。 施設の管理棟に灯りは見えるが、人の気配はなかった。 路肩に車を停め、ゾロは慌てるように車を降りた。 「―――ゾロ!」 「ションベンだ!」 目を凝らすと、焼却場の向かい側に小さな公園がある。 公衆トイレと小さな林。調整池。 ゾロがトイレに入ると同時に、センサーで明かりが灯る。 その光に、サンジは小さく震えた。 「…バカだろ…おれ…」 思わず口を突いて出たのは母国の言葉。 信号の赤い光に映えるゾロの目がとてもきれいだった。 寄せられた顔をもっと見ていたかった。 ヘッドレストに手をかけ半身を寄せるゾロへ、サンジも身を寄せた。 寄せ合って、そして――― 思春期を迎え、男としての成長を経た頃、他の兄弟たちは周囲に与えられた慰めに手をつけ、それを知った。 だがサンジはそれをしなかった。 慰めに送られてきた女たちは皆26を迎えて未婚であり、法で子を産むことを強制された者たちだった。 しかも、王子たちの相手をすることが決まった時にはもう、その腹の中に子を宿している状態だった。 まちがっても王子たちの子を妊娠することはない。 こんな非道があるか 許されることか 全てに絶望したかのような疲れた顔の年上の女に、これ以上ひどいことをできない。 サンジは拒み、送られてきたどの女にも手をつけなかった。 手に触れる事さえしなかった。 ただ、共に一夜を過ごし、義務を果たしたと報告すればいいと彼女たちに告げて返した。 成人し、それぞれに嗜好ができた今は、兄も弟も「立場をわきまえた遊び」はしているようだが…。 女性は守るもの。いたわるもの。 決して泣かせてはいけないもの。 いつか ただひとりの女性に巡り合う時が来るかもしれない そう 夢見ていた のに 「…なんで…」 なぜ 今までどんな女性にも、こんなに心がざわつかなかったのに ゾロが、トイレから戻ってきた。 トイレの灯りが消え、オレンジ色の街灯がゾロを照らしている。 サンジも、車から降りた。 「そんなに汚くねェぞ」 「………」 濡れた手を振りながら車に戻るゾロとすれ違おうとした瞬間 「――――!?」 ゾロの首に手を回し、サンジから口づけた。 一瞬戸惑い、ゾロはわずかに目を泳がせたが 「………」 まだ、少し濡れている手。 その手を、サンジの背中に回す。 残る手で髪を探り、力を込めて引き寄せた。 「…んっ…」 変だよな こんなの でも たまらなく 胸が熱い 「………」 唇が離れる。 二本の強い腕がサンジを抱きしめる。 「…なんでてめェなんだ…」 「…うるせェ…そりゃおれのセリフだ…」 抱き締める手にさらに力をこめて 「…勝手にズカズカおれン中に入り込んできやがって…」 「…お互い様だ…」 大切な人 コーシローの言葉がよみがえる。 女を知らないわけではない。 興味が全くなかったわけでもない。 それなりに男の欲求はあった。 だが、誰か特定の相手を作る気持ちにはなれなかった。 よく、死んだ母親やくいなや、くいなの母親であったコーシローの妻に 理想の女を求めすぎているのではないかとからかわれたが、 彼女らに囚われるほどあの頃の自分は大人ではなかった。 むしろガキだった。 怖かったのかもしれない。 母と自分を目の前で傷つけられた父の無念を、おれは受け取ってしまったのかもしれない。 その遺産が、「大切な人」を作ることを許さなかった。 事件の時、まず傷つけられたのはおれだったという。 おれを盾に父と母を拘束し、身動きの取れない状況でおれを斬りつけ、血塗れで泣き叫び、 助けを求めるおれの次に、襲撃者は母を襲った。 母の体を切り刻みながら、襲撃者は母を犯した。 父と、おれの目の前で。 幸い、おれにその記憶はない。 幼かった。 本当に幼かった。 母が、まだ息のある内に、襲撃者は父を殺した。 後に死んだのは母の方だった。 母は、最期の力を振り絞り、救急車を呼んで息絶えた。 夫と息子が刺されました。 息子が泣いています。助けてください。助けてください… まだ、電話が繋がっている内に死んだのだという。 駆けつけた救急隊員が真っ先にしたことは、おれの救命措置と、母の亡骸に毛布をかけたこと。 現場保存に逆らい、母の尊厳を守ってくれた優しい隊員がいた。 襲撃者は逮捕され、死刑判決の翌日に拘置所で自殺した。 他人に自分の人生を決められてたまるかと、走り書きの遺書にあったらしい。 おれは、父と同じ警察官になった。 なぜ警察官になったのか 父と母とおれの事件の調書を読む為だった。 被害者家族というだけでは果たせない望みだったからだ。 なぜ父と母は死んだのか。 なぜおれはこんな傷を負ったのか。 なぜ おれはひとりにならなければいけなかったのか 知りたかった。 知るために、警察官になった。 だがそこに、あの襲撃者の動機はただ「逆恨み」としか記されていなかった。 それを知り終えた後は、おれはおれの生をただ行くしかなかった。 警察官になってしまったおれは、親父と同じようにたくさんの恨みを買った。 あんたは後悔したか? 母さんを愛したことを 自分が母さんを愛したことで、母さんに悲惨な死を与えてしまったことを だから、おれはひとりでいい 大切な人を失うような商売を選んだ。自業自得だ そう思っていたのに いきなり目の前に現れて、名を知って、素性を知って、たった5日しか経っていないというのに 2人の知らない事だが、そのごみ処理施設は焼却場を中心に広い公園になっている。 散歩コースと、野球やサッカーのできるグラウンドが併設されていた。 大きな建物は施設の煙突だけで、空が大きく開けている。 春の星々が、空で瞬いていた。 グラウンドに臨む芝生の斜面に仰向けに寝転がり、互いの手を重ねながら星空を見上げる。 熱が伝わってくる。 その指先に、少し力をこめてサンジが言う。 「…ごめん…ゾロ…」 「なぜ詫びだ…」 「…好きになってごめん…」 「………」 「おれは…誰かを好きになっちゃいけねェのに…」 「…お互い様だ…」 「………」 「おれはお前を不幸にするかもしれない」 サンジは笑い 「…今以上の不幸があると思うか…?」 「それはお前自身の不幸じゃない」 「………」 ギュッ と サンジの手がゾロの手を強く握った。 「…今…生まれて初めてシアワセだって思えたよ…」 「…おれもだ」 横になったまま体を寄せ合う。 サンジの頭を腕に抱え、額に口づける。 「…生きたい…」 サンジが囁くように言った。 「お前と生きたい…」 「生きよう」 叶う望みの薄い願い。 それでも望む。 「生きるぞ。一緒に」 「…ん…」 ゾロの腕の中で、金の髪が揺れる。 愛しい かすかに震える肩。 「寒くねェか?」 「寒くねェ…」 愛しい 愛しい 「…ゾロ…」 喘ぐようなサンジの呼びかけ。 ゾロは、強く抱きしめて 「全部終わったら」 「………」 「…堂々とお前を奪う」 「………」 「好きだぞ、サンジ」 「…おれも…おれも好きだ…」 「………」 額と額を合わせて、目を交わして 「愛してる…」 星空の下の、誓いの言葉。 ゾロの腕と中で、そのぬくもりに酔いまどろみかけた頃、サンジは 「…おれの頼みを聞いてくれないか…ゾロ…」 「…ん?…」 サンジは半身を起こし、自身の左腕を握りながら 「…ここに…マイクロチップが埋まってる…」 「マイクロチップ…?」 「…おれの居場所を知らせる為の…ジェルマの国民全員に埋め込まれた、管理、監視チップだ」 ゾロも体を起こし、サンジの手を取る。 「…わかるだろ…?異物があるのが…」 「………」 「受信機を持ったヤツがおれの半径10キロに迫れば、たちどころに居場所を特定できるって寸法だ…」 「じゃあ…てめェが人権会議の会場に近づいたら…」 サンジは哀しげに笑い 「…兄が…イチジが会場にいる状況となったら、島に入った途端連中にわかっちまう」 「………」 「…だから…」 「………」 「…取り出してくれねェか…?」 「!!」 サンジの手が震えている。 「切り落としてもかまわねェ!!こんな呪縛、もう要らねェ!!」 「要らねェなんて言うな。こんな綺麗な手を」 「…綺麗なんかじゃねェ…人殺しの一族の…血まみれの手だ…!」 「お前は違う」 「…っ…」 「どのみち…小さな島に入っちまったら嫌でも見つかる」 「それ以前に見つかったら、もっと厄介なことになる…頼む…!」 「断る」 サンジの手を握り 「こんなもんで、おれ達の行く手は遮られやしねェ」 「………」 「大丈夫だ。信じろ」 握った手を引き寄せ、抱き締める。 「信じると、約束しただろ」 「うん…」 「大丈夫だ」 「うん…」 ゾロの声は言葉は、魔法の呪文のようだと思う。 この言葉とこの手があれば、何もかもがうまくいきそうな気がする。 大丈夫 明日 国際人権会議開幕 明後日 志摩網島で本会議開催 (続) NEXT BEFOER (2017/10/5) 7Days 海へ TOP NOVELS-TOP TOP