　あるいはそんな恋の始まり（1）　

ロロノア・ゾロは賞金稼ぎだった。いつの間にか、「海賊狩り」などという二つ名をつけられてはいたものの、モンキー・D・ルフィという男に出逢って、「助けてやるから仲間になれ！」と言われ、救われて、約束通り仲間になった。自分が海賊になった。その後、ナミという少女と、ウソップという少年と、そしてサンジという同い年の男を仲間に加えて、海賊船ゴーイングメリー号は、偉大なる航路―グランドライン―の大海原に漕ぎ出した。わずか5人の海賊団。吹けば飛ぶ様な、曲者ばかりの小さな集団。趣味も、嗜好も、性癖も、当然のようにまるで違う人間達が、狭い船で共に生活する。そう簡単なことではない。特に、ゾロにとって、最も厄介なのは同い年のコック、サンジの存在だった。　「同じ年で同じ男で、何を食ったらこんなに違いが出るんだ？」と、ウソップが笑って言ったことがある。確かに、コックと自分は、何もかもが違う。ゾロの、サンジの第一印象は、「訳の分からねェ野郎」だった。特に　「ヌわッミ！すわぁ～～～～～～ん！！　3時のデザート、カシスとホワイトチョコのムースだよぉ～～～～ん！」　「あ。ありがと。」　「今日の紅茶はアプリコットティーにしてみましたｖ」　「うん、美味しい♪」　「シアワセだ―――――っ！！」これがいちばんわからねェナミは仲間だ。女であることは分かっているが、そういう対象として見るべきではないとゾロは思っている。尤も、ゾロはナミのような女は、あまり相手にしたいタイプではなかった。負けん気が強くて、プライド高く、そして強欲。強欲なのはいい。海賊だ。その強さがなければ生きてはいけない。だが、ココヤシ村での一件と、彼女の過去を知れば、誰より心優しく信念の強い女だという事もわかっている。だからこそ、仲間としての尊厳を持たなければいけないと思っている。当然、下世話な部分での対象として、見るべきでもなかった。コックは、サンジはどうなのだろう？ナミに対して、そういう思いがあって、あんな扱いをするんだろうか？ …まぁ、どうでもいいことだが。よく変わる顔だ。ナミだけじゃねェ、ウソップに対しても、ルフィに対しても、あいつはそれぞれ違う顔を見せる。兄のような、弟のような、父のような、母のような、恋人のような。くるくる、くるくるよく変わる…。　「おーい！ゾロ――！」声に、ゾロは我に返った。後部甲板。ふと顔を上げると、サンジが目の前に立っていた。　「……まぁた、寝こけてやがったな？もうすぐ接岸だ！さっさと降りてこい！」　「…ああ…島か…。」と、サンジが声を潜めて　「……記録(ログ)が貯まるのは3日だってよ。」　「ふーん。」　「…〝お出かけ〟するんだろ？」　「あ？」意味ありげに笑い、紫煙を吐き出しながらサンジが尋ねた。　「とぼけんな。〝お出かけ〟だよ。…可愛いレディがたくさんいるお店に。」　「……悪いか？」前の島に立ち寄った時、ゾロは花街で、娼婦に声をかけられているところをサンジに目撃された。　「いやぁ、悪かねェ。」　「………。」　「…そういうレディがいるのも、船乗りがそういう場所で、溜まってんのを出すのも、当たり前のこった。」ゾロの何かが、カチンと音を立てた。　「行くか？」　「あァ？」　「…花買いに行くか？」サンジの顔を見もせずに、ゾロは言った。もしかしたら、そういう部分ではこいつも自分と同じかと思った。だが　「お断りだ。」即答だった。　「…おれは、仮初めの恋はしねェ。本気の恋の相手のレディとしか、シねェと決めてる。」　「…そりゃ…御大層なこった。」唯一、分かり合えるかと思った部分も無いとわかった。ふと　「…て、事は…あのレストランの近海に、そういう女がいたのか？」　「………だったら、どうする？」　「…そういう女を残して、ナミにあんだけコナかけられるのかと思ってよ。」サンジは少し怒った顔をして　「いねェよ。お前、ホントにムカつく野郎だな。」　「ほう、じゃ、てめェ童貞か？」　「………悪ィか？」皮肉たっぷりに言った。だが、意外にも否定しなかった。怒って、蹴りでも出してくるかと思ったが、本当に意外にも、ただ不機嫌になっただけだった。　「お前、あんま、女に夢見てるとしっぺ返し食らうぞ。」　「余計なお世話だ。」その時　「ちょっと！サンジくん！まだ！？ゾロ――！どこ行ったのよ！？」ナミの声がして　「はぁ～～～い！ナミさん！ただいまぁ～～～～～っ！！」サンジが、くるっと表情を変えて、ありえねェ速さで駆けて行った。刀を拾い上げ、腰に差しながら　「……童貞か。」女、知らねェんだな。そして　「………。」ふと、妙な想像が浮かんだ。サンジのいたレストラン。荒くれ者のコックばかりの、むさ苦しいレストランだった。サンジの様に、男の割には線が細く、腰が細く、色が白く、少女のような顔立ちをしていたら…。　(…童貞だが、処女じゃねェって事…は………。) 脳裏に浮かんだ妄想。ベッドの上で、太い男の腕に抱かれて悦楽に笑う、サンジの顔―――。　「―――――っ！！」何を考えてるんだ！？おれは！？しかも　「…何反応してんだ…てめ！」前の島からかなり経っていた。溜まってるせいだ。島に着き、ゾロはサンジの冷たい目に見送られているのを承知で、花街へ向かった。サンジはコックだった。東の海(イーストブルー)の、海上レストランバラティエの副料理長という、そこそこのポジションの、腕のいいコックだった。それが、ある日いきなり爆音と共にやってきた、自分より背の低い年下のガキに　「おれの仲間になれ！一緒に海賊やろう！」と誘われ、あれよあれよという間に同じ船に乗っていた。今でも、「早まったかな？」と思う事は時々ある。ホントに時々。ごくまれに。それは大概、同い年のカビ頭の剣士とやり合った時に思う事が多い。　「同じ年で同じ男で、何を食ったらこんなに違いが出るんだ？」と、ウソップが笑って言ったことがある。確かに、クソ剣士と自分は、何もかもが違う。サンジの、ゾロの第一印象は、「訳の分からねェ野郎」だった。サンジも、ゾロを「訳の分からねェ野郎」と思っていた。ルフィに聞いたゾロとの出会いを、ナミさんとウソップに聞いたゾロの戦いを、自分がこの目で見たゾロの信念を、知った後も、あいつは「わからねェ野郎」のままだった。初めて上陸した島で、ゾロが歓楽街の辻角で、女の子に声をかけられているのを見た。明らかに、身を売ることを生業としている雰囲気のある女性だった。明るい色の髪で、背が低くて、やたら腰が細かった。どうするのかと見ていたら、ゾロはいつもの仏頂面のまま女性に手を引かれ、売春宿らしい古びた建物の中に入っていった。　「………。」その時目が合った。少しは驚くとかバツが悪いとか、あるいは「ドヤァ」な、そんな顔をするかと思ったが、全くの無表情で。　「………。」船乗りだ。こんなことは当たり前だ。バラティエの中にも、買い出しに行った港で「悪ィ、サンジ。ちょっと先に戻ってくれ。」と、鼻の下長くして、そういう町に繰り出すコックも多かった。逆に「海賊狩り」も、フツーに男なんだなと思った。それができる。割り切れる。だが別に、羨ましいとは思わなかった。女の子は好きだ。どんな女性でも、労わり、大切にしなきゃいけない。可憐な姿を、艶やかな姿を、見られるだけで楽しい。触れられるなら触れたいけれど、強いて、それを望む気持ちはなかった。誰かに誘われても、ただそれだけの為に、本気で愛しているわけでもない女性を抱くなんて言語道断だと信じている。増して、ナミさんのような素晴らしい女性が同じ船の中にいるのに。　お前、あんま、女に夢見てるとしっぺ返し食らうぞ。ほっとけ島に立ち寄る。必ずではないが、ゾロは時折、そういう場所へ行っているらしいとウソップが言った。サンジは初めて知ったというように、「へェ」とだけ答えた。停泊中、ゴーイングメリー号ラウンジの午後1時。サンジはおやつの仕込み中。ウソップはウソップファクトリーで作業中。　「見た時はびっくりしたー。淡白なのかと思ってたけど、そういう部分はちゃっかりしてたんだよな、ゾロのヤツ。」　「…見たのか？」　「ああ、見ちった…。」ウソップは、嫌悪とも嫉妬とも、照れ臭さともいえない表情で　「『また来てねェ』って、絡まれてた。」　「…どんな子だった？」　「どんなって……まぁ、可愛い…んじゃね？」サンジと違い、ウソップは女の子を形容するボキャブラリーは多くない。　「ああ、金髪だったな。おまえよりちょっと、赤っぽかったけど。」　「…ふーん…。」ウソップは、にんまりと笑い　「何だよ？気になる？」　「別に…。あんなゴリラにも、一人前に好みとかあるのかと思ってよ。」　「あっはっは！そりゃあ、あるだろう！なァ！お前ェは？どんな子が好みだ？　やっぱ……ナ、ナミみてェなのがいいのか？」　「…だなァ…ナミさんは最高のレディだが…彼女は女神だからな。」　「うおおおおおお…魔女の間違いじゃねェのかよ？」ウソップに蹴りをひとつ入れ、サンジは新しい煙草に火をつけた。ムカつくえ？何に？と、　「おい、水くれ。」ゾロが、声と共にラウンジに入って来た。今しがたまで、ゾロの噂をしていた。ウソップは慌てて、用もない道具を取り上げいじくり回す。　「冷蔵庫に入ってる。勝手に飲め。」　「おう。」冷蔵庫を開けるゾロを横目に見て、サンジはふーっとタバコの煙を吐いた。不意に　「お前のそれ、本物か？」と、ゾロが言った。　「あァ？」明らかに、サンジを見て言った。サンジも不機嫌に顔を上げ　「何が？」と問い返す。ゾロは水をピッチャーからグラスに注ぎ、煽りながら　「髪だ。その髪、本物か？」　「…おれの？」　「他に誰がいる？」ウソップが小声で　「はーい、おれもいまーす。」と言ったが、ゾロの耳にも視界にも、ウソップは入っていないようだった。サンジはいぶかしげに　「染めてるように見えるか？」　「いや。そうか、本物か…すげェな。」ウソップが、不思議そうな顔をしてサンジを見た。サンジも、いつかのゾロの相手が金髪娘だと聞いていたので、ウソップをちらと見て息をつく。ゾロが言う。　「この前の女が金髪だったんだが、染めてるって言うんでな。」　「ふーん…。」　「この辺りで、本物の金髪は珍しいって言うからよ。　そうか、てめェの頭は珍しい色なんだな、と思った。」　「…てめェのその緑頭も相当珍しいぜ。へェえ、この前のレディは金髪か？　あれェ？確かその前の女も、金髪っぽかったよな？　…まさか、てめェ金髪のレディが好みか？てか、おれ、危ねェ？」からかうように、サンジが笑った。瞬間、ウソップはゾロがサンジに仕掛けると、目の前にあった溶接用のマスクを取って頭を覆い身構えた。が　「………。」なんとも不思議な表情のゾロ　「………。」　「………？」　「………。」沈黙　「………。」結局、それ以上は何も起こらず、ゾロはラウンジを出て行った。　「………なんだ？ありゃあ…？」　「…さー…。」船は進む。大いなる夢と野望を抱いて、前へと進む。偉大なる航路でありながら穏やかな波間を、ゴーイングメリー号は行く。前の島を出港してから10日。次の島には2日後到着だとナミが言った。　「…小麦粉8キロ…米が30キロ…そば粉が4キロ…大豆…あー1キロもねェな… 　あとは…オリーブオイル５００が3本…ラード10キロ…コーン油…。」食糧倉庫。コック、買い出しメモ作成中。　「………おい。」いきなり声をかけられ、サンジは驚くよりも固まった。見上げると、毎度の仏頂面なゾロの顔。　「……なんだよ？」　「気をつけろ。」　「あ？」よく見ると、サンジの傍らに積み上げられた木箱をゾロが支えていた。　「あ。」　「崩れかけてたぞ。気をつけろ。」　「あ、ああ…すまん。」ひょい。と、箱を軽々積み上げる。　「…あれ？その箱、空か？」サンジが尋ねた。　「入ってんじゃねェか？重量感あるぞ。」　「…だよなァ…油の箱だぞ。重くねェのか？」　「別に。」　「………。」　「無駄に鍛えちゃいねェよ。」　「左様で…。」サンジが立ち上がると　「移動するものがあるなら言え。ついでだ。」　「……じゃ、その米、上に上げてくれるか？」　「わかった。」コメの袋を軽々と担ぎ、普通の足取りで階段を上がって行くゾロの後を、小麦粉の袋を持ってサンジはついて行く。　「おい。」ゾロが呼んだ。　「あ？」　「お前、生まれは北の海(ノースブルー)か？」　「……そうだが？」ゾロは振り返らないまま階段を上がり　「北の海に、金髪が多いんだってな。この前知った。」　「…今度はどこのレディに聞いてきた？」　「女じゃねェ。酒場のバーテンが喋ってた。」　「へェ。おれはまた、金髪のレディにベッドの中で、教えてもらったのかと思ったよ。」　「………。」ゾロは、こういう話題での皮肉や嫌味には、決して言い返してこない。だが　「…お前、溜まったらどうしてんだ？」いきなり問われ、思わずサンジの頬が染まる。　「余計なお世話だ！ほっとけよ！人の事は！」　「女にさせて出す方が楽だぞ。」　「は！？」今、なんつった？　「…女に…させて…出すって…言ったか？お前…まさか本当に…花買いにいくのってそれだけの為か？」　「他に何がある？」　「！！」　「…そういう事を商売にしている女相手なら、それだけでも問題ねェだろ？　てめェみてェに、いちいち相手のご機嫌窺うような面倒、いらねェよ。」　「………。」　「黙って横になってりゃ、向こうが勝手にしてくれるんだ。楽だろ？」　「………。」　「どこに置いておくんだ？」ラウンジへのドアを開け、ゾロはサンジに尋ねたが、その瞬間―――。爆音に、ウソップが駆け込んできた。　「お前ェら！何やってんだ！？船を壊すなよ！！」互いに、頬に一発入れたと見える痣がある。それでも、米と小麦粉の袋はちゃんと、ケンカの影響のない場所に置いてあるのがおかしかった。正直『こんな話』を、こいつとするのは我慢がならない。　「最低な野郎だな。」サンジが言った。襟首を掴む手を払いのけ　「…てめェが夢見過ぎなんだって、言ってんだろ？」　「………。」ウソップが　「…ゾロォ…お前また、サンジに何言ったんだよ？」　「大したことは言ってねェ。」　「…あのな！」　「もう、いい。いいんだ、ウソップ。」頬の青痣を拳でこすり、サンジは口の中の血だまりをシンクにペッと吐き出した。何も言わず、ドアへ向かった瞬間　「！！」上体がよろけた。瞬間、ゾロの手がサンジの腕を掴む。　「……触んな。下衆。」　「………。」冷たく言い残し、サンジは甲板へ出て行った。次の瞬間　「おい、ゾロ！お前いい加減にしろよ！」ウソップが怒鳴った。　「あのな…サンジはお前と違って、ああ見えてもピュアなんだ！そういう部分に関しては！！」　「…そうかよ。」　「お前、経験があるからっていい気になって、ケンカ売ってるとしか見えねェぞ！　おれだってムカつく！！」　「……ケンカ？」　「そうだろうが！？」　「………。」　「最近…お前、あんまりそういうトコにも行ってねェみてェだけど…欲求不満なら他で当たれ！！　サンジにはサンジのポリシーがあるんだよ！あれじゃサンジも気の毒だ！！見てておれも不愉快だ！気に食わねェ！」珍しい、ウソップの逆ギレ。　「…わかった。悪かった。」　「謝る相手が違ェだろ？」　「そうだな。」言って、ゾロもラウンジを出て行った。ひとりになったラウンジに、ウソップの大きなため息が響いた。　「…しかし、なんだってあんなにサンジを構うんだ？ゾロのヤツ…。」デッキに立ち、キョロ、と頭を巡らせてサンジの黄色い頭を探す。珍しく、中央甲板にも誰もいない。ルフィは？この前ウソップに続きものの漫画をもらって、今朝も夢中になって読んでたな。　「あっひゃっひゃっひゃ！」船首甲板に寝転がっていた。腹を抱えて笑い転げている。ナミはいない。風が冷たいから女部屋に籠ったか？さて、コックは。いた。後部甲板から、タバコの香りが流れてきている。手すりにもたれかかり、吹く風に顔を向けていた。　「………。」金の髪が、踊るように舞っている。　「悪かった。」ゾロの声は、いつものぞんざいな調子で、ちっとも悪びれた様子がなかった。だが、その韻はどこか真剣で、おざなりに謝っている口調には聞こえなかった。　「………。」サンジは答えず、ただ、そこに立っていた。振り返りもせず、だまって過ぎていく白い波を見つめている。サンジの反応がない事をゾロは責めなかった。逆に、反応がないからこそ、サンジがその場は収めたと判断し、行こうとした。すると　「どんな女性も、ひとつの人生抱えているんだ。」立ち止まり、振り返る。　「…だから…たとえどんな女性でも…侮辱はするな。」　「………。」　「………。」　「…そうだな。」人生を、送りたくても送れなかった少女もいた。　「そうだな。」もう一度、ゾロは言った。しばらく沈黙があった。やがて、風に髪を取られながらサンジは振り返り　「それからひとつ言っておく。」　「あ？」　「おれは、ナミさんに恋をしている。」　「知ってる。」そっけない答えに、サンジは笑い　「…だが、愛することはしない。」　「………。」　「彼女は最高の女性だ。おれには女神にも等しい。」　「………。」　「女神に相応しいのは、てっぺんに立つ男。この世で最高の男だ。」サンジは、すっと右手の人差し指を天に向け　「女神が傍らに寄り添う男は―――王だけだ。」サンジの口元に笑みがある。ゾロも、唇を上げ笑った。　「もっともだ。」　「…初めて意見が合ったな。大剣豪。」訳の分からない野郎だと思っていた。だが、一番大事な根の部分が、全く同じであることは分かった。それがわかれば、うまくやっていける。多分　「あーっひゃっひゃっひゃ！」船首から、ルフィの馬鹿笑いが聞こえる。　　 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