BEFORE

女性客が悲鳴をあげた。 無理もねェ。 おれは、目の前のゾロに、花瓶の水をぶっかけた。 ゾロの肩に、ピンクのコスモスがひっかった。  「…この店は、相変わらず客に水をぶっかけての出迎えかよ。」 うわああああ!! なんて声だ!! これが、あのガキゾロか!!?  「ふざけんな!てめェ、何しに来やがった!!?」 ゾロは、髪から滴る水を手で拭いながら  「お前に逢いに来た。」  「ほぉおおお!?どの面下げて来やがった?」  「………。」 背、伸びたな。 スゲェ、肩、広くなった。 太い首 喉仏、スゲェな。 腕…何したらこんな、ムッキムキになるんだよ? あ、耳…。 ピアスなんかつけてやがる…。  「…謝りに来た。」  「何を?」  「5年前の事だ。」  「はい?5年前?何かございましたか?お客様?」  「………。」 サンジはゾロから目を反らしながら  「……5年前に何かあったか?覚えてねェなァ…まぁ、大した事じゃねェよ。」  「……悪かった。」  「…覚えてねェって言ってんだろ!!?」  「………。」  「…お客様、ランチの営業は終了いたしました。どうぞ、一昨日おいでくださいませ。」  「…また明日来る。」  「来んな!!」 ゾロは、黙って店を出て行った。 窓から、頭をボリボリ掻きながら歩いていくゾロが見えた。 怒りが収まらない。 いきなり、5年ぶりに現れやがって。 謝る?あの事を?今さら? ふざけんのも大概にしろ!!  「デカクなったな、あのガキ。」 ジジィが言った。  「…そりゃデカクもなるだろ!5年だぞ!5年!」  「きっちり、年数覚えてるじゃねェか。」  「!…うるせぇよ!!」 その時、窓際の席に居た、近くの別荘に来ている、 夫が外務省の次官だという年配の夫人がカウンターに移ってきて言った。  「…あの子…ゾロくんでしょう?ロロノアさんの所の…警察庁の次官の息子さん…。」 警察庁の次官? よくわからねェけど、やっぱエリートか。  「大変だったのよねェ…5年…て、サンジくん、今言ったわよね?」  「大変…?ええ、言いましたけど…。」  「5年前よ。あの子がアメリカに行ったの…大変な手術だったんでしょうねェ…。」   え?  「…手術…?」 夫人はうなずいて  「あちらのおばあさまと、私、昵懇にさせていただいているの…  ゾロくんは私の事は知らないでしょうけどね?…でも、話は伺っていたから…。」  「…何が…あったんでしょう…?」  「心臓よ。ゾロくん、心臓に障りがあって…アメリカで移植手術をしたんですって。」  「ええ!?」 ジジィも、珍しく驚いた顔をした。  「小学校の4年だか5年だかの時…学校で倒れてわかって…それ以外に助かる方法が無かったんですって  …御家族みんな大変だったようよ。」  「………。」  「…急だったんですって、手術が決まったのが…  ゾロくん、健康になりたがっていたのに、急に渡米する事になったらすごく嫌がって…。」  「………。」  「最後は無理やり車に乗せて、東京に戻って、そのままアメリカへ行って…しばらくあちらで暮らしていたそうよ。  でも、あんなに立派な体になって、すっかり元気になったのね。よかったわ。」 夫人の言葉の、細かい所はみんなどっかへ吹っ飛んで行った。 わかったのは、ゾロが本当はとんでもない病気を抱えていて、5年前、それを治すためにアメリカに行ったという事。 まさか…  「5年前…5年前って…。」 “最後は無理やり車に乗せて、東京に戻って” ……あの時だ……。 運命の、百夜通いの最後の日。 優しいキスを交わした、あの次の日…。 慌てて、外へ飛び出した。 もう、ゾロの姿はどこにもなかった。 謝りたい 今すぐ謝りてェのに、おれときたら、あいつの別荘がどこか知らねェ…。  明日来る。 その言葉の通り、ゾロは次の日の午後、やってきた。 …来てくれやがった…。 ランチも終わり、ティータイムの客もまばらだったから、 ゾロをカウンターではなく、中庭に面したコテージの方に案内した。 ジジィの淹れたコーヒーを運んで、そのままおれもゾロの前に座った。  「…ごめん…。」 コーヒーを一口飲んで、ゾロは目を丸くして問い返す。  「なんで、てめェが謝るんだ?謝りに来たのはおれだぞ。」 “てめェ”って…まぁ、いいか…。  「知らなかったんだ…100日目の事…。」  「……言わなかったからな…つーか…誰から聞いた?」  「…ある人…。」 ゾロは小さく溜め息をついた。  「じゃ、黙ってても仕方がねェな。」  「……ごめんな……。」  「だから、謝るのはおれの方だ。…何度も言うが、約束を破ったのはおれだぞ。」 さらりと言って、ゾロはまたコーヒーを口に運んだ。 美味そうに飲むな…。 5年前は、苦いのを必死に我慢してたのに…。  「美味ェ…こんなに美味いコーヒーだったんだ。」  「はは…。」 おれも、自分のカップを口に運んだ。 ホントに、悔しいくらいに美味い。  「…もう、大丈夫なのか?」  「何が?」  「体…。」  「ああ…もう、大丈夫だ…おれの心臓になるまで、3年かかっちまったけどよ。」  「え?…どういう事だ?」  「…拒絶反応ってやつだ…感染症と敗血症と…退院まで3年かかった。」  「………。」  「情けねェ事に、この歳でまだ高校生だぜ?笑ってくれよ。」  「……笑わねェよ……。」 なんだ じゃ、まだ学生服着てんのか? 思い出した。 あの頃のゾロ。 体は大きいのにどこか華奢で、色は青いくらいに白かった。 走った姿も見たことない。 生意気で、どことなく我が儘なのは、セレブに育ったせいだと思ってた。 思うようにならない体に苛立って、ゾロはとても過敏だったのかもしれない。  『そんな悠長な時間要らねェ!!』 要らないじゃない 無かったんだ…。  「…痛かったか…?」 サンジのか細い声の問いに、ゾロは  「何が?」  「……手術……。」  「手術は痛くねェよ。全身麻酔だかんな。」  「…あ、そか…。」 ゾロの目が、険しくなる。  「…サンジ…。」 あ。 やっと名前呼んだ…。  「お前…おれに同情してんのか?」  「同情…そんな…!」  「じゃ、哀れんでんのか?」  「……!!」  「てめェに、可哀想なんて思われたくねェ。」  「思ってねェよ!思うか!!」  「………。」  「ただ…知らなかったから…お前の…99日の理由がわからなかったから…  最後の日に来なかったてめェをずっと…薄情なガキって思ってた…5年…ずっと…。」  「………。」  「だから…自分が情けねェ…。」  「………。」  「ごめんな…。」  「だから謝んな。」 ゾロが言うと、サンジはようやく笑った。 けれど、信じられない…。 あんなに健康そうだったゾロが。  「今は、すっかりいいのか?」  「ああ。もう、平気だ。」  「どんな病気だったんだ?」  「知らねェ。」  「知らねェって…。」  「治ったんだ。もう、いいだろ。自慢にならねェ。」 心臓を移植するなんて大事だろうが。 そういえば、日本では15歳未満の移植はできないんだったな…。 あの後、あのマダムが言っていた。  『1日も早く手術をしないと、成人できないって言われたらしいわ。ご両親も必死だったのよ。  発作で、何度も倒れたりしていたそうよ。大きな発作が来たら、危ないとも言われていたんですって。』 いきなり転校したのも、手術がなかなか実現せず、もしかしたら明日、いきなりの発作で死んでしまうかもしれない息子の、 その必死の我がままを聞き入れてやったからなのもしれない。 ああ、もう…。 ホントに命賭けてたなんて聞いてねェ…。 マジで、99夜目に深草の少将になってたかもしれねェのに。 ちょっと待て? こいつ、“通小町”知ってたよな? て、ことは、少将の結末を知ってたって事に…。  「…ごめんな、ゾロ…。」  「…謝んな…。」  「…謝らせろよ…!」  「ああ、ごめん。……どっちが悪いのかわかんねェな。」 こいつの方が、おれなんかよりずっと大人じゃねェか…。 ゾロは、最後のひと口を飲みほして  「ごっそーさん…500円でいいのか?」  「ああ。値上げしてねェよ。」  「よかった。500円しか持ってきてねェ。」  「ああ、いらねェ。こいつはおれの奢りだ。」  「………。」 ゾロは、黙って店の中に入り、カウンターへ行き  「瓶は?」 瓶? え?瓶って? すると、ジジィは黙って、ドン!とゾロの前に空のジャムの瓶を置いた。 そして  「前のヤツも、ここにある。」  「出すなよ!ジジィ!!」  「49,500円。手ェつけてねェ。」  「しまえ!!見せるなー!!」 ぎっしりと、500円玉が詰まったパスタ用のポット。 ゾロが、ここに来なくなってから1年後、3個のジャム瓶から出してここにまとめた。  「じゃ、始めっか。」  「は!?」 ちゃりん 空の瓶の底に、500円玉が転がった。  「今日から改めて100日だ。」  「はァ!?」  「今度こそ、50,000円貯めてやる。」 ちょっと待て!!  「ゾロ…なァ…お前…まさかと思うけど、まだおれの事…!?」  「好きだ。」 さらっ  「!!」  「…5年間、てめェが他の誰かのモンになってたらどうしようって、ずっと思ってた。…まだ独りだよな?」  「ああ、独りだよ!!誰かさんのトラウマのせいで、いまだに独身でございますよ!!  彼女も、ついでに彼氏もいねェよ!!」  「よかったぜ。……トラウマになったのか?」  「う!!」  「悪ィな。」 ゾロは、憎らしげな顔で笑った。 あの 中坊の頃の、クソ生意気だけどあどけない、ちょっと可愛いあの顔はどこに行ったァ!!?  「今日から100日。リベンジさせてもらうぜ。」  「リベンジって…!いいよ、もう!!…わかったから…!も、十分わかったし…それに…!!」  「それに?」 それに おれの心臓もおかしくなってるかもしれねェ。 こんなバクバク知らねェよ…!  「半端は嫌なんだよ。きっちり、ケリつけさせてくれ。」  「………。」  「……悔しかった……出国ゲート潜るまで…ずっとみっともなく泣いてた……。」  「………。」  「……何回…この胸切り裂いて、こんな心臓捨てちまいたいと思ったかしれねェ。」  「ゾロ…。」  「…てめェに逢いたくて…リベンジしたくてがんばったんだ。」 小学校4年までは健康だった。 普通に遊ぶ事も出来たし、剣道も習っていた。運動会でリレーの選手もやった。 なのに、突然胸が苦しくなり、意識を失い、翌日から様々な制約をつけられた。 剣道も辞め、皆勤賞だったのに学校も休みがちになった。 運動会は見学するだけになった。 どんなに医者の言う事を聞いていても、どんなにたくさん薬を飲んでも、 どんなにたくさん検査で血を抜かれても、一度壊れた心臓は元にならなかった。 父も母も、いつも悲しい顔をする。 ただひとつの救いは、ゾロの家庭が裕福で、機会を得たらアメリカでの移植をする決断が容易かった事だ。 心臓が壊れてから初めての夏休み。 たまたま母と、初めて入ったカフェ。  『いらっしゃいませ。お飲み物は何になさいますか?』 子供扱いせず、礼儀正しく綺麗なしぐさで、青い瞳が笑いかけた。 コーヒーをください。と、思わず大人ぶって母の真似をしたら  『…ウチは、カフェオレも美味いぜ?牧場直送のミルクだからな。』 笑顔に 一目惚れだった。 だから…。  「ダメか?リベンジ。」 ゾロの言葉に、思わず首を振った。  「サンキュ。」 嬉しそうに笑った。 あの頃の笑顔と同じ…。  「明日、また来る。」 呆然と、ジャムの瓶を抱えたまま立ち尽くすサンジを残して、ゾロは店を出て行った。 8月 もうすぐ夏休みが終わろうという頃。 翌日 カフェレストラン『アクア』のオーナー、ゼフは、カウンターの隅に置かれた卓上カレンダーを何となくめくってみた。  「…わかりやすい野郎だな…。」 つぶやいて、笑う。 11月30日 この店の、今期営業終了の日に赤い丸印がしてある。 数えて、丁度100日目。 自分でも、こんなにほだされ易い奴なのかと思う。 5年前のゾロを、可哀想だと思う自分が確かにいる。 同情じゃないと言いながら、心の奥ではとんでもなくゾロを哀れんでいた。 そして、5年間ずっと、そんなゾロの長い苦しみを全く知らず、約束を破った薄情な奴と勝手に思い込んでいた。 冷たい、薄情な奴は、ゾロじゃなくおれじゃねェか。 でも、知らなかったんだ。 しょうがねぇよ。  “感染症とか敗血症とか”  “おれの心臓になるまで3年かかった“ ……おれ…その3年何してた……。  「…退院して2年…何してたんだ?」 サンジの問いに、ゾロはカウンターでコーヒーを飲みながら答える。 100夜(日)通い3日目  「1年リハビリ。…歩けなかったからな…手も足も、骨ばっかりになっちまったんだよ。」  「…て…今、こんなマッチョじゃねェか。」  「…とにかく食って、とにかく鍛えて、1年前からやっと剣道再開できたんだ。  …まだ弱いけどな…けど、ついこの前昇段したんだぜ。」  「………。」 ゾロは照れくさそうに笑って  「…ホントはすぐ、こっちに帰りたかったんだけどよ…ああ、クソ。  あの情けねェ姿。思い出すと腹が立つ。」  「はは…。」 ゾロと、いろんな話をするようになった。 ゾロは決して店に長居はせず、1杯のコーヒーを飲んで、瓶に500円を入れて帰っていく。 でも、時々  「メシ。」 と言いながら、現れる事もあった。 午前中に来て、午後また来る事も、夜に来る事もあった。 (でも、カウントは1日) 19歳だがまだ高校生のゾロは、新学期が始まると、その街から少し離れた高校に通い始めた。 夏休み前に、編入試験を受けたのだと聞いた。  「別荘にひとりか?」  「いや、火・水・木はお袋がいる。親父が今、大阪勤務でよ、そっちに行ったり東京戻ったりしてる。」  「…自分が我がまましてるなーって感覚あるか?」  「……十分ある……。」  「お母さん…おれの事知ってるのか?」  「知ってる。5年前のあの時言ったからな。」  「は!?」  「…サンジが好きだから側にいたいっつって、ここへ来るのを許してもらった。」  「…あー、そぉ…。…今は…?」  「わかってるだろ。この前、ここまでするなら絶対落とせって、エールくれたぜ。」  「………。」 この子にして母か?  「…あのさ…。」  「ん?」  「……100日…達成……するとして……。」  「………。」  「……あ……いいや……。」 別に 100日待たなくたって 今一瞬、そう思った…。 残暑が過ぎ、秋が来て。 紅葉シーズン、目の回る忙しさ。 100日通いは途切れない。 混んでいる時を上手に避けて、ゾロはカウンターの片隅でコーヒーを飲んでいく。 忙しい時は、テーブルを片づけたりオーダーを取ったりしてくれる。 若い女性客など、ワイルドなイケメンに、これまたワイルドな声で 「ご注文は?」なんて言われてポーっとなったりしている。 おれが このチョーイケてる、スマート華麗なサンジさまが、料理を運んでさえなお、目はゾロの方向。 すっげ、ムカつく。 ……どっちに……? 秋はどんどん深くなる。 山からの風が冷たくなってきた。 ゾロが、ALVIREXの皮ジャンを羽織ってきた。 本場で買った、日本には輸入されてないタイプだとかで、 隣に座ったハーレーライダーのおっさんが妙に興奮してた。 ゾロは、おっさんのハーレーに興奮してた。 真っ赤に染まっていた楓がすっかり落ちて、枝だけの寒々しい姿になる。 湖の周りは、地元の人間の姿しか見えなくなる。 ゾロの高校で文化祭だとかで、「来るか?」と誘われたので出かけてみた。 こういう雰囲気久しぶり。 BGMと、呼び込みの男子高校生の濁声と、女子高校生の甲高い声での不協和音。 外は寒いのに、中は異常なほどの熱気。 でも、面白かった。 ゾロのクラスの出し物は『メイド&執事カフェ』 しかも、男女逆転。 ゾロの、大傑作なメイド姿が見られるかと思ったが、 ゾロサイズのメイド服が無かったとかで、調理場の方を手伝っていた。 まぁ、そうでなきゃ、「来るか?」なんて言わねェよな。  「…着る気満々だったのか?」  「……んなわけねェだろ。」  「試着はしたんだ?」  「………。」 高校生の、文化祭の喫茶店のコーヒー。 インスタントだけど、結構美味かった。 まぁ、周りを取り囲む可愛い執事と、吐き気を催しそうなメイドの顔で、味がよくわからなかったせいも、多分ある。  「…今日来るのは無理か?」  「行く。」 店の、閉店ギリギリに駆けこんで来た。 学校指定のコートの下に、何故か執事のタキシード。 最後に、女子に無理やり着せられたと言って、苦笑いした。  「女どもが、てめェにメイド服着せたいっつってたぜ。」  「冗談。」  「……おれも見てェかも。」 無言で蹴り飛ばしましたが、何か? ゾロが通っているからと言って、11月に入ってから営業時間を短くする習慣を、 変えようなんて気はジジィにはさらさらなかった。 学校帰りにここにゾロが寄るには、結構時間的にキツクなってきた。 それでも、ゾロは息を切らしてやってくる。 閉店間際だけど、ゾロの為のたった1杯を、ジジィは手を抜かずに淹れてやる。 おれとジジィの住まいは、すぐ側とはいえ店と別の場所にある。 時々  「先に帰る。戸締りきっちりな。」 と言って、看板をひっこめて帰っていく。 冬が近くなったから、ランチのメニューに煮込み料理が多くなり、仕込みの為に残る日もある。 そういう日は、ゆっくり話せた。 会話が弾むとか、話が尽きないとかじゃないけれど、黙っている時間も多いけれど、満たされる時間だった。 ゾロが通い始めて80日が過ぎた頃には、すでにわかっていた。 ゾロの側は居心地がいい…。 9歳も年下で 自分勝手で横暴で生意気で アホでマリモで筋肉バカで え〜〜〜っと、それからそれから……。 …あ〜あ… おれ、この100日ずっと、お前の事ばっかり考えて過ごすんだろうな…。    NEXT BEFORE                     (2009/11/1) 君を待つ100の夜‐TOP NOVELS-TOP TOP