ごめんなさい  あなたしか頼める人がいないの  私が死んだら、あの子、ひとりぼっちになってしまう  だからお願い  こんなこと、あなたに頼むことじゃないって分かってる  でも、他にいないの  あなたしか  私が、心から信じることが出来るのはあなたしかいないから  ごめんなさい  あなたと、一緒に生きることが出来なくて、ごめんなさい  せめて  あの子が、ひとりで生きられるようになるまで、見守ってほしいの  お願い  お願い  ゾロ  弟を  サンジを、お願い あいつが逝って、何度目の春だろう? あいつ 一生、共に生きていこうと思った女だった。 一緒になろうと決めて、一緒に、あいつの両親の墓に行った帰りの電車の中で、あいつは倒れた。 抱え起こしたあいつの脇腹が、真っ赤な液体で濡れていた。 喧騒の中で、おれは叫ぶしかなかった。 電車を止めろ 救急車を呼んでくれ こいつの血を止めてくれ 目の前で、あいつを刺した誰かが、大勢の人間に取り押さえられているのを見た。 幸福だった時間が、あの瞬間に全て消えた。 おれの目の前で あいつの弟の目の前で あいつは刺され、搬送された病院で、3時間後に息を引き取った。 右手でおれの手、左手で弟の手を握って あの時 あいつの弟、サンジはまだ11歳だった。 電車の中で、霊安室の中で、ただ呆然と立ち尽くしていたあの顔を、今でもどうしても忘れられない。 あれから11年。 大学の卒業式を終え、今、サンジは満面の笑顔で、おれに向かって卒業証書を握った手を振りながら走ってくる。  「ゾロ!!」  「おう、おめでとさん。」  「サンキュ!…式にも出てた?」  「ああ、代表挨拶聞きたかったからな。」  「…仕事だったんじゃねぇの?」  「休んだ。腹の具合が悪いって言ってある。」  「なんだとぉ?オレがいつ、腹の具合が悪くなりそうなもん、食わした?」 ゾロを睨みつけて、サンジは笑う。 隣に並んで歩き始めるサンジを、ゾロはまじまじと見つめた。  「え?…お前…また背、伸びたか?」  「聞いて驚け、177センチ。」  「ぅおっと、おれより1センチ下だな。あぶねーあぶねー。まぁ、もういい加減、止まるだろ?」  「伸びる奴は30代まで伸びるらしいぜ?見てろ、絶対ぇお前を見下ろしてやる! ガキん頃からの第1目標なんだからよ。」  「おい、誰に向かって“お前”だよ?」  「お前ェだよ、ロロノア・ゾロ。」  「いい、度胸だ。」 葬式の時 サンジはずっとゾロの喪服の裾を握って離さなかった。 寂しい葬式だった。 参列したのは、あいつの友人と勤め先関係ばかりで、血縁のあるものはなかった。 あいつが、自分たちに身内はいないと言っていた言葉は、本当だったのだ。 11歳のサンジを、どうするかという問題が起きた時、おれに躊躇いはなかった。 周囲は色々と雑音を鳴らしたが、交わした約束を、違えるつもりはなかった。 おれもすでに親はなく、孤独の身だった。 だから、あいつの骨もおれが引き取り、納骨し、そしてサンジをおれの籍に入れた。 戸籍上、おれはこいつの父親なのだ。 こいつの姉が死んだ理由 おれのせい おれの仕事のとばっちり、逆恨み。 本来なら、おれが受けるはずだった刃。  「…平刑事の安月給で、よくぞ卒業させてくれました。お父上様。」  「まだ頭が高ェ。」  「調子にのんなよ、こら。」  「…なんか食いに行くか?卒業祝いだ。食いたいもん言ってみろ。」  「言ってもいい?」  「……やっぱウソップの屋台に行くか?」  「なんだよ、そりゃ!ラーメンじゃねぇか!ま、ウソップのラーメン、嫌いじゃねぇけど。」 と  「サンジー!!白木屋行こうぜ!!」 同じゼミの学生。 7,8人のグループが、サンジを手招きしている。 サンジの隣にいるゾロが、かなり迫力のある顔立ちなので、少々臆しているのがミエミエなのがおかしい。  「悪ィ!今日はパス!」  「なんだよ〜、付き合えよ〜。」  「行こうよ、サンジ君〜。」  「ごめん、また!」  「しゃーねーなぁ、じゃ、札幌に行く前に会おうぜ!」  「ああ!」 「行こう。」と、サンジがゾロを促して歩き出す。  「サンジくーん!!」  「オーベルジュ貸し切ったの!行かない!?」  「カラオケ行くぞ!!サンジ!!」 講堂から校門までの間、あちらこちらからサンジに声がかかる。 だが、サンジはそのどれにも  「サンキュ!また今度!!」 と、笑って断った。  「行っていいぞ?もう、会えなくなるヤツもいるんだろ?」 ゾロの言葉にサンジは  「かまわねぇよ。正月からなんだかんだと理屈つけちゃあ、飲みっぱなしだったんだから。   やっぱり今日は、親父殿に感謝してお付き合いすべきでしょ?」  「よく言う。」  「お?何?照れた?」  「照れるか!」 笑って、サンジは、コートのポケットに手を突っ込んだゾロの腕に自分の腕を回した。  「おい。」  「お、やっぱり照れる?」  「…好きにしろ、もう。」 幼い頃は、必ず手を握って歩いた。 そうしないと、サンジは人混みでいつもパニックを起こした。 混雑した電車の中で、目の前で姉を殺された後遺症だ。 今でも、サンジはあまり混雑した電車には乗りたがらない。 最近、ゾロの少し前を歩くようになった。 もう ひとりでも生きていけるだろう。 就職も決まっている。 上場企業だ。申し分ない。 おれの役目は、もう終わった…。 一抹の、寂寥感。 この数年、サンジと一緒に生きてきた。 死んだあいつの魂を間に置いて。 不自由が、なかったとは言わない。 サンジは反抗もした、荒れることもした。 ゾロとて、サンジだけを構って生きる訳にはいかなかった。 何でこいつと一緒にいるのかと、疑問を抱いたこともある。 しかし 心の奥底で、これだけはわかっていた。 こいつを手放したくない。 ずっと  「“卒業証書、ロロノア・サンジ殿。右の者、××大学※※学部○○科を卒業したことを証する。”    かぁ〜〜〜。おめでとう!よかったなぁ!…でも、就職先の赴任地、北海道だって?」 ラーメン屋台の主、ウソップは、サンジの卒業証書を汚さないように気を遣いながら、両手で広げ、文面を読み上げた。 繁華街から少し離れた川沿いの遊歩道近くに、ウソップは夕方5時になると屋台の店を開く。 グルメ雑誌に載ることなどない小さな屋台だが、味は評判で、固定客も多く繁盛している。 ゾロが刑事になって間もなく見つけたこの屋台に、あいつを連れてきたこともあった。 3人で、並んでラーメンをすすったこともある。 だから、ウソップにとっても、サンジの大学卒業は嬉しいことだった。 サンジを養子にすると決めた時、ウソップだけは反対しなかった。 むしろ、賛成してくれた。  「ああ、札幌。」  「寂しくなるな〜。なぁ?パパ?」  「なるか。清々すらぁ。」  「そのセリフ、そっくり返すぜ、パパ。」  「パパゆーな!」  「だって、パパじゃん?」  「パパだもんなぁ?」 ゾロがこめかみに青筋を立てた時、サンジの携帯が鳴った。  「ちょっとごめん。あ!替え玉頼む!…はい、もしもし?」 明るい顔で電話に出るサンジ。 どうやら、相手は女の子のようだ。 甘ったるい声で、間延びした口調で喋るからすぐ分かる。  「…ごくろうさん。ホレ、おれの奢り。」 言って、ウソップは一升瓶の口をゾロのコップに向けた。  「がんばったよなァ、お前。…赤の他人を、ここまで育てるってのは誰も真似できねぇよ。」  「他人じゃねぇよ。」  「まァ…お前ェにとっちゃそうだろうけどよ、ヨソから見ればやっぱり他人だ。   この約10年、他に恋人も作らねェでよ。…ま、美人でいい子だったモンな。…最近、サンジを見るとぎょっとする時あるよ。   姉さんそっくりになってきた。中身はお前そっくりだけどな。   …ホントに、お前がサンジを養子にする、籍に入れるって言った時はびっくりしたぜ。」  「…それ以外に、合法的にあいつを引き取る方法が無かったからな…。   おれもふた親亡くしてたから、おれ自身の籍に入れるしかなかった。」  「ホントの親子以上に親子だよ。お前らは。つーか、やっぱり兄弟か?」  「…まぁな…いくらなんでもマジで親子じゃ、あいつ、おれが12の時の子だぜ?」 ゾロは笑った。 ウソップも笑った。  「…じゃあ、こっちに帰ってきたら、また遊ぼう。…うん、キミも元気で。」 サンジの電話が終わった。  「お、誰だよ?彼女かァ?」  「うん、昨日までのモトカノ。」  「は?昨日まで?」  「うん、昨日別れた。」 ゾロもウソップも、目を丸くした。 ゾロが  「あの子だろ?いつだかウチにノート届けに来た…。」  「うん。おれ、遠距離恋愛に自信がなくてさ。」 ウソップが尋ねる。  「もしかして、今の、別れたくないって電話かよ?」  「う〜〜〜ん、まァ、そんなカンジ?でも、ちゃんと話したらわかってくれたよ?   あっちに行っても、君を好きでいられる自信がないんだ。って。」  「冷たい男だな〜〜〜。」  「何でだよ?正直に言っただけじゃねぇか。嘘をついて誤魔化す方がもっと嫌だね。あ〜あ、替え玉のびちまった。」 けろり、としたサンジの表情。 ウソップの言うとおり、サンジは男としてはかなり整った顔立ちをしている。 俗に言う『イケメン』というやつだ。 だから、キャンパスでの人気投票はいつもトップだったし、アプローチも多かった。 そして、コイツもかなり女の子に惚れっぽく、大学4年間で付き合った彼女の数は両手でも足りない。 街を歩けば芸能スカウトが群がり、ゾロの勤務先に顔を出せば、女性警官たちはきゃーきゃーと騒ぎ立てる。 雑誌の読者モデルまでやったこともあった。 きっと、札幌に行っても変わることはないだろう。  「で?いつ引越しだ?」 ウソップの問いに、サンジは小さく笑った。  「来週。研修がすぐに始まるからさ。」  「なんだよ、ずいぶん急だな。」 ゾロも、コップの酒をふくみながら、独り言のようにつぶやく。  「…住む所探す暇も無かったな。」  「いいよ、とりあえずウィークリーマンション借りて、ゆっくり探すさ。遠いから、ちょっと行って探すって訳にいかねぇだろ?   ゾロは事件抱えて忙しかったし。大丈夫、もうガキじゃねぇんだから。ちゃんと探すって。」  「おお、頼もしくなったねぇ。」 実際に、子供を手放す父親とはこんなものかもしれない。 寂しくはあったが、こんな感覚も悪くないとゾロは思い、小さく微笑んだ。 その晩は、結局ウソップの屋台で夜中まで騒いだ。 いい加減に帰れと追い出され、自宅のマンションに帰り着いたのは午前2時を回っていた。  「ただいまぁ〜〜〜〜…あ〜〜〜〜ゾロォ〜〜〜水ぅ〜〜〜〜。」  「ほら、ここまで歩いたんだから、もう少し歩け。お前のベッドまで、後4メートルだ。」 と、サンジの携帯が鳴った。 友達が皆、卒業を祝ってあちこちで宴会をしている。 ウソップの屋台にいる間も、誘いの電話がひっきりなしだった。 そしてまた、  「ふわい!こちら、さんじくんれす…たらいま、れんぱのとろからい場所におります。   あ〜、なんら、てめぇかぁ〜〜〜う〜〜〜、いまぁ?   もぉお、ラメ!ムリ!一歩も歩けませ〜〜〜〜ん。またらいしゅ〜〜〜〜〜〜。」 言うだけ言って、サンジは携帯を放り投げ、ずるずると這いずる様に移動した。 そして  「あ!おい!サンジ!?そっちはおれの部屋だ!寝るならテメェの部屋で寝ろ!!」  「あ〜〜〜〜〜?はいはい…。」  「そっちじゃねぇって!!やめろ!テメェ酔っ払って寝ると、涎たらして寝るんだからよ!!」  「だぁれが、ヨダレたらして寝るってェ!?ガキじゃぁあるめぇし!」 ろれつの回らない口で言ってるうちに、サンジはゾロのベッドの上に蛇のようにずり上がり、 上着も脱がずに潜り込み、枕に顔を伏せてしまった。  「サンジ!」  「ぐーっ。」  「ったく!!」 そんなに強くもないくせに、いっちょまえにおれに張り合って呑むからだ。  「ほら!上着くらい脱げ!」 ごろんと仰向けにし、緩んでいたネクタイを引き抜く。 脱力した体を抱えて腕を片方ずつ抜いて、上着を脱がせた。 強奪されてしまったベッドの縁に腰掛けて、ゾロも上着を脱いだ。  「しょうがねぇな…こいつのベッド、ヤニ臭くてかなわねぇんだよなァ…。」 仕方がない。 ソファで寝るか。と、立ち上がろうとした。 と 何かに引っ張られ、ゾロは立つことが出来ない。  「?」 ふと見ると、サンジの手がゾロのワイシャツの裾を握っていた。  「……ガキじゃねぇって?ガキじゃねぇか…。」 丸い頭をくしゃっと撫でる。 確かに サンジは似てきた。 死んだあいつに。 高校の終わりの頃、何故か急に髪を肩まで伸ばして、後ろから見るとあいつそっくりだったので驚いたこともある。 おれが驚いたのを、サンジは馬鹿にして笑った。 そういえば サンジはこの春に22歳になった。 おれがあいつと一緒になろうと決めた時の、あいつと同じ年齢になった。 確かに、もうガキじゃねぇな。 こんな髪だった。 こんな肌だった。 ウソップの言う通り、時折どきりとするほどあいつによく似て、驚くと同時に 戸惑う。 そっと指を外して、出て行こうとした。 その時  「行くな。」 さっきまで、酔いどれていたとは思えない、サンジの声。  「…なんだ、起きてんのなら自分の部屋へ移れ。」  「………。」  「サンジ。」 答えはない。 だが、サンジが目覚めているのはわかる。 鬱陶しい前髪の向こうの目が、ベッドサイドのテーブルを見ていた。 テーブルの上に、寝酒と目覚まし時計、警察手帳とバッヂ、そして、あいつとサンジが並んで写った写真。 そして、まったくの素面の声で、サンジはつぶやくように言った。  「…今でも好きか?」  「…あァ?」  「姉さん。」  「………。」  「好きだよな…ベッドサイドにまぁだ、こんな写真おいてるんだからよ…。」 起き上がりもせず、枕に顔を押し当てたまま、サンジはつぶやく。  「…死んだ人間にぁ…敵わねェよなァ…どんどんどんどん…思い出の中で、綺麗になってくだけだ…ズリィよな…?」 のろり、と、サンジの手が伸びて、テーブルの上のフォトフレームを指で、トン、と押して倒した。 姉の顔が見えなくなった。  「いつか…ここからこれが無くなる日が来るんじゃねぇかって…思ってた…。」  「………。」  「無くなったらよかった。なのに、お前ェはバカか?   この11年、『いいかも』って思った女がいなかったワケじゃねぇだろう?   なのに、おれなんざ抱え込んじまったせいで…。」  「サンジ。」 ゾロの声に、怒気があった。  「…なァ、ゾロ…?なんでおれを、養子になんぞした…?」  「………。」  「知ってるよ。それしかおれを、お前が引き取る方法がなかったってのは。けど、おれが聞きたいのはそんなことじゃねぇ。」  「お前があいつの弟だから、あいつにお前を託されたから、それが最後の約束だったからだ。」 がばっと、サンジが起き上がった。 ゾロを見る目に、酒の名残はない。  「じゃあ、もうそれも今日でおしまいだよな?お前は姉さんとの約束をちゃんと果たした。   果たして、おれを大学卒業させて、就職させて、ちゃんとひとりで生きていけるまでにしてくれたよな?なら、もう終わりだろ?   おれとお前の今までの関係は、もう終わりだよな?これで、終わりにしていいよな!?」 言葉の意味が、分からなかった。 終わり? 今日でおしまい?  「サンジ…?どういう意味だ…?」 サンジは答えなかった。 だが、青い目だけは潤んでゾロをまっすぐに見ている。  「…そんなに迷惑だったか?おれが、おまえの養い親だったことは、そんなに余計なことだったか?」 だから、10代の頃、ゾロに逆らい教師に逆らい、荒れたのか? 一瞬、サンジの目が曇った。 だが、すぐにそれは怒りの色を帯び  「…ああ、余計だった。迷惑だった。反吐が出るくらいに嫌だった!!」 叫びたかった。 怒鳴りたかった。 これは、ゾロ1人のエゴだったか。 愛したものを理不尽に奪われ、その代わりを、こいつに求めただけだったとしたら? だが  「サンジ…11歳のお前におれは尋ねた。施設へ行くか?それとも姉との約束どおり、おれの所へ来るか?   そう聞いた。その時お前はなんて言ったか覚えているか?」  「覚えてる。忘れやしねぇ。」  「…子供の感情だけの言葉だと、役所の人間も周りの連中もそう言った。だがおれは信じた。信じたからお前を引き取った。   嫌だったのなら、どうして自分の言葉を持ち始めたあの頃に、おれに逆らってバカばっかりやってたあの頃に、それを言わなかった!!?」 怒りに満ちたゾロの顔。 ヤクザですら震え上がる刑事の顔。 だが、サンジは怯まない。 むしろ、微笑んでさえいる。  「…言ってよかったか?言ったらどうした?   あの頃の、まだ中坊とか高校生のガキに、それを言われてもお前、本気にしたか?多分しねぇよ。絶対。」  「サンジ!!」  「なァ、ゾロ?おれ、11歳の時に確かに言った。『ゾロのところに行く』ってよ。言ったよ?ああ、言った。言いました。   間違いねぇ否定しねぇ。じゃあ、おれも逆に質問だ。   その時、おれがお前の所に、行くと言った理由は何でしたか?…さァ、お答えください?」  「………。」  「おや?答えられない?それがファイナルアンサ−?」  「…いや、覚えてる。」 その答えに、サンジは笑った。  「もう一回、おれの口からそれ、言おうか?」  「…止せ…。」  「ゾロ。」  「止せ!!」  「聞きたくねぇか!?そうだろうなぁ!聞きたくねぇよな!?だから余計だ、迷惑だ、反吐が出るって言ったんだよ!!!」 叫び、吐き捨て、そして サンジはゾロの首に抱きつき、唇を―――。 あいつの四十九日の後、役所の人間と、サンジの小学校の担任と、PTSDの治療をしてくれている医者と、 カウンセラーと、福祉施設の人間と、狭いアパートの部屋で話し合った。 何時間かかっただろう? おれに味方はいなかった。 そこにいる誰もが、サンジを施設に入れたほうがいいと言った。 だが、医者と教師はサンジの意思に委ねようと言ってくれた。 そしてサンジは、そこにいる大人たちにこう答えた。  『ゾロのところに行く。ゾロと暮らす。』 なおも、サンジを説得しようとする役所の人間と施設の人間に、サンジは言った。  『おれ、ゾロが好きだから。姉さんよりずっと、ゾロが好きだから。』 唇が熱い。 抱きしめる手が強くて、引き剥がせない。 ゾロは、必死に唇を引き結び、それ以上の行為をさせまいと抵抗した。 やがて、うめくような声がサンジの唇から漏れ、唇が離れる。 だが手は、ゾロのシャツを掴んだまま放さなかった。  「……大人になっていくに連れて…おれが死んだ姉さんに対してどんな気持ちになっていったかわかるか…?」  「………。」  「ホントに反吐が出る…心の隅で…姉さんに…おれを一生懸命育てて守ってくれていた姉さんに…  『死んじまったら何も出来ねぇだろ?ザマアミロ』って、言ってる自分がよ…。」  「…サン…ジ…。」  「なァ、ゾロ?…おれ、もしかしたら狂ってるのか?姉さんが死んだ時に、おれの心まで死んじまったのか?   …だって…ちっとも他人に優しくなれねぇんだ…ゾロにだけ優しくしてぇ、ゾロだけに優しくされてぇって…ずっとずっと…。」 最後の言葉に、涙が滲む。  「初めは確かに憧れだった。おれは親父を知らないから、若いくせにおっさんクセェお前を、父親みたいに思ってた。   だけどな?それが段々…変わっていくのが自分でもわかるんだ…。姉さんがお前を想うみたいに、おれもお前を想い始めた…。   バカ言えってツラだな?…なめんなよ…11歳っていったら、結構いろいろ考えるんだぜ…?   姉さんにまで嫉妬して、そんな自分が嫌で、おれを弟にしか見ないお前が嫌で…。   だから、罰が当たったと思った。姉さんが殺されたのはおれのせいだって!!」  「違う!!」 興奮し、顔を青ざめさせるサンジを、ゾロは思わず抱きしめた。  「あれは…おれのせいだ…。」 自分を抱きしめる腕に酔うように、サンジは嘆息した。  「酷ェよ…姉さん…自分が死んでいなくなるのに…おれだけゾロに託すなんて…おかげで見ろよ…   このアホは、姉さんだけを未だに想って…姉さんとの約束だけバカ正直に守って…。」  「違う…!サンジ!それは違う!!」 抱いたサンジの両肩を掴み、ゾロはサンジを見つめた。 腕の中で、涙に濡れた目で自分を見つめるその顔。 似ている そう思いながら、何故今、あいつの面影がこんなに虚ろなんだ? 愛しい顔 ゾロの中のそれは、もう ―― 。  「…違う?違わねェよ…。お前は今でも姉さんが好きなんだ…写真の中の、思い出の中の姉さんだけだ。   …おれは…ただのお荷物だよ…もう…捨てちまえよ…。」  「!!」  「…弟の次は息子かよ…冗談じゃねぇや…カタチはどんどん強くなっていくのに…想いは許されなくなっていく一方か…?」 自分を嘲るように、サンジは笑う。 嘲笑いながら、サンジはゾロの胸を押し返した。 だが、ゾロは無意識に、再びサンジの腕を掴んで胸の中に抱え込む  「…!!」  「………。」 幼い頃から、一度も敬称でゾロを呼んだことなど無かった。 初めて会った時から、こいつは遠慮無しにおれを『ゾロ』、と名で呼んだ。 あの幼い頃から、こいつはおれだけを見てきたというのか? 姉の死を、自分が抱いた姉への嫉妬が招いたと、ずっと罪の意識を抱いてきたのか? 入籍の届けを出した時、サンジは嬉しそうに笑った。 『 これでもう、ゾロと離れなくていいんだな? 』 そう言って笑った。 あの時も、あの後おれに対して、ありったけの不満や反抗を見せた時も、こいつはずっと、心の底に、同じ思いを抱えていたのか? 呆然と、ゾロはサンジを見た。 ゾロは、抑揚のない声で  「…確かに初めはあいつとの約束だった。」  「………。」  「おれの服の裾を握って放さなかった、あの時、お前を守れるのはおれだけだと思った。」 眉を寄せ、サンジは笑う。 ゾロは、呆然とした声でつぶやく。  「始まりは確かにそうだった。」  「………。」 必死に、サンジの姉の顔を思い出そうとする。 いつも、ベッドサイドに置いた写真で見ていたはずの顔を。 なのに 思い出せない あんなに愛したはずの相手の顔を 手を伸ばせば、写真はすぐそこにある。 だが、手を伸ばす気になれなかった。 どんな顔だった? どんな服を着ていた? そこにずっと、いつも置いてありながら、写真の中のあいつの顔を思い出せない。 いつからおれは、あの写真に目を止めることをしなくなっていた? ゾロにとって、今1番愛しい顔は…。  「思い出か…確かにそうかもしれねぇな…。」  「………。」  「だが、もう思い出でしかねェ。」  「……!!」  「忘れることは決して無ェが、振り返るものでも、恋しがるものでも無ェ。   確かに、お前の言う通り、あいつの事は今でも好きだ。だが、わかった…。   サンジ、今、おれが一番愛しいのは、生きて目の前にいるお前だ。」  「ゾロ…。」 戸惑うような目でゾロを見つめるサンジを、ゾロはしっかりと抱きしめなおした。  「今、思いついたわけじゃねぇぞ。愛しくなかったら、引き取ったりしねぇ。   一生関わりを持ちたいと思ったから、おれはお前の養い親になった。」  「………。」  「お前は確かに、あいつの弟だった。だが今は、おれの大事なお前なんだ。他の何ものでもねぇ。   おれ一人に優しくしたいならそうしろ。おれに、他の誰も見るなと言うならそうしてやる。  「…ゾ…ロ…。」 引きつったような声で、サンジはゾロを呼んだ。 抱きしめる手に力が篭る。 自分の背中を抱くサンジの手も。  「…サンジ…終わりになんぞしねぇぞ…。」  「………。」  「今までの関係を、チャラにしてたまるか。無ェことにしたら、それこそおれがバカだろ?」 サンジがわずかに身じろいだ。 だがゾロは抱きしめた手を離さず  「始めるぞ。ここから。」 力強いゾロの言葉に、サンジは溢れる涙を止めることができなかった。 だが、何度も首を横に振る。 何度も、何度も。  「大丈夫だ。」 ゾロは言う。  「誰にも、おれ達を裁かせやしない。」 サンジは大きく喘ぎ、ゾロの胸に顔を埋めた。 そして、はっきりとした声で、幼い頃から抱いていた想いをようやく告げた。 最愛の人へ  「…ゾロ…愛してる。」 肩に埋められたゾロの頭が、何度もうなずくのを感じた。 耳元で、小さく、だがはっきりと返された答えに、サンジは涙を溢れさせる。  「…おれも、お前を愛してるよ…。」  「…お前が、ここにずっと来たがらなかったのは、あいつに対する罪の意識か?」  「…ああ…。」 都心の墓地。 ここに、サンジの両親と姉の墓がある。  「ここへ来た帰りに出くわした事件だったから、トラウマになって近づけないのかと思ってたよ。」 線香を供え、花を手向け、長く手を合わせていたサンジがようやく立ち上がるのを待って、ゾロは尋ねた。  「……絶対に…姉さんは怒る。許してくれない。   おれだけ、大好きな人の側で、守られて幸せに暮らしてるなんて、許せるはずがない。そう思うと…怖くて近づけなかった。」  「ガキだったな。」  「ああ、そうだ。ガキだった。」 サンジは、地面に置いたスーツケースに手を伸ばした。 ゾロも、もうひとつのボストンバッグを手に持ち、もう一度、黒い石に振り返り  「こいつはもう、自分で生きることが出来る。そうして選んだ道だ。褒めてやれよ。これ以上の選択はねぇだろ?」  「何を偉そうに。」  「お前はもう、あいつに言うことはねぇのか?次に来られるのは盆休みだろ?」  「盆にはここにゃいねぇんだよ。……どーすよ?盆にウチに帰ってきて、化けて出られたら?」  「そん時ゃそん時だ。むしろ歓迎するぜ。」  「あ!カッチ〜〜〜ン!ムカつく。」 だが、笑いながら、サンジはゾロの空いた方の手を取った。 振り返らず、2人は墓地を後にした。 今から、羽田へ向かう。 サンジが札幌に発つのだ。  「浮気すんなよ?」  「する暇があるか。お前ェこそ、誰彼構わず、コナかけて歩くんじゃねぇぞ。」  「あ、プランターのハーブ、ちゃんと世話してくれよ?   それから、当座の新しい靴下はタンスの上から2段目の引き出しだからな?忘れんな?それから…。」  「いい加減にしろテメェ!おれぁそんなに頼りなく見えるのか!?」  「見える。」 ゾロの肩ががっくりと下がる。  「ゾロ。」 低い声で、サンジが呼ぶ。 見つめる目に、力がある。  「…おれ、絶対に東京勤務になって、戻ってくるからな。」  「当たり前だ。2年で戻らねぇと浮気だかんな。」  「……絶対ェ戻ってやる……。」 その言葉に、ゾロはにやりと笑い  「約束だな。」 サンジも、その言葉に不敵に笑う。  「ああ。」  「約束だ。」 空に昇る線香の煙が、ゆらりと揺れた。 END   スキマスイッチの歌を聞いて。 ちょっとニュアンスは違うけどね。 義理の親子…ちょこっとタブーに挑戦。 まぁ、こういう関係にはありがちですが 順番が違うってことで。 サンジの姉さんは創作 サンジをそのまま女の子にしてもらえれば。                     (2007/7/27)
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