「はい、毎度。こちらクソレストラン。ご予約で?」 麦わら海賊団が、ゴーイングメリー号でアラバスタを出港し、 空島に至り、その後青海に降りて数週間。 メリー号は、比較的平穏な航路の、平穏な旅を楽しんでいる。 平穏 だがその平穏は、かなり不安定な綱の上に立っている。 その事に気付いているのは、ごくわずかなクルーだけ。 ゾロと、アラバスタから密航しクルーになった、 元バロックワークス副社長、ニコ・ロビン。 この2人だけが、不安定な平穏の要素を知っている。 不安定の要素。  「ナミさぁ―――――ん!ロビンちゃぁ―――――ん!  おやつですよ〜〜〜〜んvvv」 ナミの明るい返事がして、ルフィやウソップ、 チョッパーも駆け出して、一気に船内がにぎやかになる。 金の髪のラブコックの笑顔は、アラバスタに到着する以前と少しも変わらない。 だが、彼自身も、自分に起きている異常を知っている。 それでもサンジは明るく笑う、いつもの様に。 その事実に、ゾロが気付いたのは昨夜の事だ。 真っ先にルフィがラウンジに飛び込み、ウソップ、 チョッパーが続いて、ロビンがゆっくりと階段を上がってくる。 ルフィ達がラウンジに消えたのを見届けて、 閉じたドアの前でおもむろに、ゾロは言った。  「説明しろ。」 そのたった一言に、ロビンは立ち止まり、ゾロの顔を見て  「…やっと気づいたの?」 と微笑んで首をかしげた。 そして  「…後でね。中に入らないと怪しまれるわ。」  「………。」 ロビンが入って行くと、途端にサンジの甘ったるい声がした。 やっと気づいたの? その一言に、ゾロは歯噛みし、ラウンジに入らず後部甲板へ向かった。 過ぎ去る航路が、波涛になって後に続いている。 昨夜 ラウンジ アラバスタを出港し空島を出て以来、久しぶりに、 サンジの腰に手を回した。 空の上で、忙しなく抱いて以来だった。 だからと、ゆっくり、じっくり、密に、愛しい体を抱いた。  「……?」 キスをし、半身を晒して間もなく、その違和感は訪れた。 ふと愛撫の手を止め、サンジの顎を掴んでその顔を覗き込んだ。  「………。」 おかしい。 いつもの、ゾロに抱かれている時のサンジの表情ではなかった。  「コック…?」 呼びかけに答えはなく、サンジはただ、 うつろな視線を暗がりに向けているだけだった。  「おい、コック。どうした?」 愛撫に、息を乱してはいる。甘い声を、漏らしてはいる。 なのに、目が。 目が  「………。」 ゾロを見ていない。  「…コック、おれを見ているか?」  「………。」  「おい…。」  「………。」  「コック!!」 サンジの青い目。 確かにサンジの目なのに、これはまるで ゾロの声に、サンジはビクンと激しく震えた。 そして  「……ん?…どうした…?」  「………。」 青い目に光が戻り、ようやく、ゾロを見た。  「…コックか?」  「…他の誰を抱いてる気になってんだよ?」  「…いや…。」  「変な奴。」 笑い、サンジはまたゾロの首に手を回した。  「………。」 ゾロも、またサンジの唇にキスし、唇に舌を這わせた。 だがまた  「……おい。」  「………。」  「おい、コック!」  「―――!!」 再び、体が大きく震え  「…ごめ…。」  「…どうした…?」 サンジの肩を抱え直し、ひとつ揺さぶってゾロは尋ねた。 柄にもない程、優しい声で。 その声に、サンジは小さく笑った。 笑ったが、またすぐに、目を曇らせて  「…ごめんな…なんかここんとこ…アラバスタ出てから…  時々気が…遠くなるんだ…。」  「…なんだと…?」 サンジは、ゾロに抱えられたまま髪を掻きあげた。  「空島じゃ、そんな雰囲気無かったじゃねェか。」 ゾロが問う。  「…うん…バタバタしてたし…おれも意識失ってた時間が長かったからな…。  なんか…こっちに戻ってから…自分でもおかしいって気づいた。」  「チョッパーには言ったのか?」  「…言ってねェ…言ったら、すげェ心配してくれそうだしな…。」  「大事だったらどうする?」  「………。」 急に、サンジが黙り込んだ。  「…心当たりがあるな?」  「………。」 白い歯を見せて、サンジは笑った。 なんでこいつは、こんな時にも笑えるんだ? 少しイラつく。  「…なァ、ゾロ…おれさ…あいつの顔を見ていねェんだよ…。」  「あいつ?」  「…ビビちゃんをハサミの上から攫われた時と…  ルフィが勝った時、空に吹き飛ばされた黒い影を見ただけだ。」  「何のことだ…?」 不意に、サンジは眉を寄せゾロを見  「…クロコダイル…。」  「…何…?」 サンジの白い手が、ゾロの腕を掴んだ。  「…なんでもない…ふとした瞬間に…目の前に…  クロコダイルの顔が見える…。」  「…なん…だと…?」  「…一瞬…本当に一瞬なんだ…ドアを開けた時に、  光をまぶしいって感じる時みたいに…一瞬だけ…見える…。」  「……なんでだ…?」  「………。」 ゾロは  「…そういやてめェ…時々ロビンと話し込んでたな…。」  「………。」  「ロビンには、話したのか?」 サンジはうなずいた。  「…見える顔がクロコダイルだってことは、なんとなく気づいてた。  手配書を見てそうだと確信した…ロビンちゃんに尋ねたよ。  何故だろう?って。」  「………。」 笑い、サンジはゾロに寄りかかるように身を寄せ  「…気づかれてたか…。」  「…何を2人で、こそこそやってるのかと思った。」  「………。」  「…で、どういう事だ?」  「………。」  「サンジ。」  「言いたくねェ。」  「なんでだ?」  「…言ったところでどうにもならねェらしい。だったら、言わねェ。」  「おい!」 サンジは、弾かれるように立ち上がり、ゾロから離れた。  「…コック…。」  「…今日は止めだ。」 言い放ち、笑い、それでも泣きそうな目をして、サンジは背を向けた。  「―――!!?」 その背中を捕らえ、返す勢いでテーブルの上に押し付けた。 押し付け、両肩を抑え付け、投げ出されたサンジの足に自分の足を絡めた。  「言え―――!!」  「……痛ェ……っ。」  「言え!言わねェとこのまま、てめェの足へし折るぞ!」  「……折れよ。」  「!?」 サンジは、真っ直ぐゾロの目を見  「…どうにもならねェって言っただろ…?」  「………。」  「…てめェが気に病むことじゃねェ…。」 と ゾロの手から、凶暴な力が消えた。 サンジの襟を掴み、崩れる様に首元に顔を埋める。  「…てめェがしんどいのを…おれが我慢できるかよ…。」  「………。」 サンジの腕が、ゾロの首に回る。  「…ごめん…。」  「………。」  「…いよいよまずいとなったら…ちゃんと助け求めるからよ…。」  「…今…助けてくれと言え…。」  「………。」  「…今…言え…。」  「………。」 ゆっくりと引き起こされ、サンジは抱きしめられた。  「…さっきのてめェの目……鰐みてェだった…。」  「………。」  「……言え……。」 目を閉じ、サンジは微笑む。 口調は命令調だが、まるで懇願するような声に、全面降伏した。  「…あなた、本当にコックさんの恋人なの?  ずいぶんと気づくまで長かったこと。」 夕食の後、後部甲板にロビンを呼び出した。 腰に3刀を帯び、手をかけ、場合によっては斬らんばかりの気迫。  「…どういうことだ?説明しろ。」 ロビンの言葉を無視し、ゾロはいきなり本題に入った。  「…コックさんに聞いたでしょ?」  「聞いた。その上で、クロコダイルの部下だったてめェに、改めて聞いている。」 ロビンは小さく息をつき  「私は、そこまで関与していないわ。」  「………。」 ロビンは手すりに腰を預け  「……リトルガーデンで、コックさんに騙されたと知ったクロコダイルは、  次にコックさんの電伝虫を取った時の行動を決めていたのよ。」  「………。」  「…クロコダイルは…言葉を交わした相手に、軽い暗示をかける手段を持っていたの。」  「……そうらしいな。」 ロビンは、魔女の様に笑い  「あなたも、あの男に直に会って言葉を交わしていたら、  おそらくクロコダイルの暗示にかかって、バロックワークスに入っていたでしょうね。」  「んなことはねェ。話を逸らすな。」  「…あなたがクロコダイルより先にあの船長さんに会っていたことは、  あなたにとっての天佑というべきかしら?」  「話を逸らすなと言っている!!」 鯉口を切る音が、墨色の海に響く。 ロビンは、ふっと息をつき  「…クロコダイルは確かに悪人ではあったけど、あの男の心根は、  ここの船長さんに近いものがあったような気がするの。」  「………。」  「…希望が絶望に。夢が野望に。変わってしまった時に人間は、  それを掴むための手段を選ばなくなるのよ。」  「………。」  「…クロコダイルの話術は巧みだったわ。海賊とは思えないほど、  物腰も仕草も洗練されていた。警戒心をほんの少し解けば、  大概の人間はクロコダイルに落ちるのよ。」  「………。」  「アラバスタの市民を見たでしょう?…ああいう力を、  クロコダイルという男は持っていたの。」  「…会ったこともない相手さえもか…?」  「ええ。」 脚を組み、ロビンはまた微笑んだ。  「その結果が、バロックワークスなのよ。」 ゾロの眉が、さらに深く皺を刻む。  「…あいつも仲間に、引き込もうとしやがったのか。」  「…さぁ…どうかしら?…ただ単純に、騙されたことを怒っただけだと思うけれど。」  「………。」  「かけた暗示は解けないわ。クロコダイル本人でなけりゃ…。」  「どんな暗示だ?」  「…聞いてどうするの?」  「解くに決まってんだろ。」 ロビンの眉が、奇妙に曲がった。  「ムリよ。」  「そんなこと誰が決めた。」  「…ずいぶん、自分の力を過信しているのね。」 光が走った。 ロビンの目の前に、和道一文字の切っ先が付きつけられていた。  「余計な事を言わなくていい。」  「………。」 次の瞬間  「ぐあっ!!」 自分の体から咲き乱れたロビンの腕に、腕をねじ上げられた。  「私にそんな物を向けないで。」  「………っ!」 するん と、腕が消える。  「大した暗示じゃないわ。ただ、クロコダイルという存在を意識させ続けるだけのものよ。」  「………。」  「…実際にクロコダイルに会う事が出来れば、その場で暗示は解けるわ。  本人がそうと気づかない内に、会う事で、実際に言葉を交わすことで、  深い安心感を当人に与える。」  「…会えただけで、そいつは全幅の信頼をワニ野郎に持つってワケか。」  「ええ、そうよ。…だから、コックさんがクロコダイルに直に会わずに終わったことも、  天佑と言っていいのかもね…。運のいい事。」  「コックはクロコダイルに会わずに終わった。  …暗示は解けずに残ったまま。」 ロビンは答えず、うなずいた。  「てめェもそうだったのか。」 ゾロの問いに、ロビンは笑った。  「さあ、どうかしら。仮にそうだったとしても、  私にはもうその暗示は残っていないわ。」  「………。」  「…ミス・ウェンズデー…ビビ王女も、社員だった時に実際に  クロコダイルに会っていたら、かなり違った運命を辿っていたでしょうね。」  「……まさか…ビビもか?」  「…おそらくね…でも、あの状況での邂逅では…  あの男の暗示も効かなかったんじゃないかしら。  効いていたら、あんなに必死に刃向ってくるはずないもの。」  「………。」  「コックさんは、会えないまま終わった。」  「解く。」  「…どうしてそんなに必死なの?」  「………。」  「もしかしたら、自然に消えていくかもしれないわ。」  「悠長に待てるほど、気の長ェ方じゃねェ。」  「………。」 ゾロは刀を差し直し  「長々と悪かったな。」  「…あら…もう、いいの?尋問はおしまい?」  「何が尋問だ。」 ふふっ  ロビンが笑う。  「ひとつだけ聞かせて。」  「あァ?」 わずかに間をおいて、ロビンは問う。  「暗示を残されて困っているのはコックさんよ。  あなたが困ることは何もないはずだわ。」  「………。」  「…心が多少虚ろになっても、抱くことに、何の支障もないはずよ?」  「…アホ。」  「………。」 歩き出しながら、ゾロは言った。  「意識の底に、他のヤツに入りこまれたあの野郎を抱いて、満足できるか。」  「…語弊のある言い方ね。コックさんのせいではないのに。」 ゾロは少し沈黙したが  「…この状態が続いたら、ヤってる最中にあいつを斬り殺しちまいそうだ。」  「……酷い人…。」  「てめェが言うな。」  「…確かに…。」 降りていくゾロを見送り、ロビンは小さな声で言った。  「おやすみなさい。」 声が届いていたかいないのか、ゾロは振り返らず男部屋へ消えた。 クロコダイルから与えられた暗示で、サンジが少々困ったことになってから、 仲間にそうと悟られないタイミングや場所で、サンジとロビンはその話をした。 誰も、ナミでさえも気づいていないはずなのに、 鈍いはずのゾロが先に、秘めるようなその行動に気付いた。 それだけで、サンジに対するゾロの目が、他の仲間とは違う事を ロビンは思い知る。 組織から組織へ、自分の身を守るために仮の宿を求める生き方をしてきた。 身を置いた組織の中に自分の味方を作り、自分の盾になるように仕向け、 時にはそれを裏切って逃げ出し、自分が生き残る事だけを考えてきた。 構成人員の少ない麦わら海賊団にあって、誰をその相手にしようかと探った時、 船長ルフィはまず、その対象にはならないだろうと思った。 その理由を、後にロビン自身は思い知ることになるが、 今はただ、逃走者の直観がそう訴えていた。 サンジは文句なく、自分の盾になってくれる男だろう。 だがサンジは、ナミや自分に甘い声を出しながら、 自分たちを通り越して向こう側にいる別の人間を見ていた。 難しいが、身を潜める際に味方に引き入れられたら 一番心強いと思っていた男、ロロノア・ゾロ。 まさかとは思っていたが、ありえない事でもない。 そして  「……怖い愛し方をするのね……可哀想なコックさん……。」 モンキー・D・ルフィという男を知れば知るほど、 ロビンはクロコダイルとの共通点を見出すことが多かった。 もっとも、クロコダイルという男がどんな過去を背負って アラバスタに辿り着いたかを知っているわけではないが、 クロコダイルが今のルフィと同じ年齢の頃、 こんな少年ではなかったろうかと思う事が多いのだ。 濁った眼の奥に、それでもクロコダイルは『夢』を持っていた。 その手段が悪徳であり、非道であり、絶望であっても、 それは夢を掴むための手段であった。 歳を経、その夢を掴むための時間に切迫を感じ、大きく道を踏み外しただけで、 あの麦わら帽子の少年と、心の底にあるものは同じなのではないかと感じている。 ルフィが、ゾロをはじめとする仲間を得て、進む旅の中で心を通わせる人々を 増やしていくその能力が、生まれ持っての天性でなければ、 それはクロコダイルと全く同じ、暗示の力としか思えない。  「もしそうなら、今の私は船長さんの暗示にかかっている事になるわね。」 ロビンの言葉に、サンジは眉を寄せて苦い笑いをもらした。 深夜の、メリー号船首甲板 今夜の見張り番はロビンだ。 夜食のエビのキッシュとフルーツサラダ、そして2個のカフェオレを運んできたサンジが、 「少しいいかな?」と、手すりに腰を預けた。  「…あの野郎、ロビンちゃんに酷い事を言わなかったかい?」  「まぁ、いいえ?」  「……言うつもりなかったんだけどさ…ごめんね。」  「謝ることはないわ。…彼、本当にあなたが心配なのよ…。」 サンジの頬が、暗がりでもそうとわかるほど染まった。 髪で隠すように、顔を伏せる。  「…この頃どう?」  「…まだ…時々意識が遠くなる。」  「…そう…苦しい…?」  「……そりゃ……。」  「………。」  「しんどいよ…。」  「…そうね…。」  「…奇妙なモンだ…クロコダイルって奴がどんな奴か、気になって仕方がない。  ロビンちゃんに聞いていなかったら、会いたくて仕方が無くなっていたような気分なんだ。  これが奴の力なら、恐ろしいよ…。」 カフェオレをひと口飲み込んで、ロビンは言う。  「…剣士さんは、その暗示を解くって言いきったわ。」  「……バカだから……。」  「愛されてるのよ。」  「そうかな…。」  「少し…怖い位に…。」  「………。」 風が、サンジの髪を梳く。 半月の晩。 絹糸のように、光を零す。  「…そうなんだ…怖くてね…。」  「………。」  「申し訳ない位に…おれの事を想ってくれてる…。」  「甘えていいんじゃない…?」  「だめだよ…。」  「………。」  「……おれだって男だ。」 ロビンが息をつくのが分かった。  「決して裏切れない。裏切った時の代価は、  命で贖わなければならないような愛。」  「……それでもいいんだ。」  「…コックさん…。」  「今だって、あいつ…絶対に我慢できねェでいる…。」  「…暗示が解けないままだったら、殺されかねないわよ…。」  「いいんだ。」  「………。」 サンジは、月明かりに白く映えた頬を緩ませて  「…それで殺されるなら文句は言えない。」 笑った。  「………。」 狂気のような愛を 抱えているのはゾロの方だと思ったが  「…なら、殺されてしまえばいいわ。」 サンジの方の狂気も ゾロ以上に深い    NEXT                     (2013/1/13) 烈愛‐TOP NOVELS-TOP TOP