その日の空は少し曇りがちだった。



前日、国境の庄屋の屋敷に逗留したその行列が、しずしずと街道をやってくるのが物見櫓の上から見える。

美々しく華やかな、輿入れの行列。

中央の、多くの侍女に囲まれて進む輿が、花嫁を載せたものだろう。

後列に納采の荷を積んだ車を連ねて、やがてその先頭が大門の前に到着したのを見て、

緑の髪の青年は、大きく深呼吸した。



 「……さて、行くか。」



明らかな婚礼の衣装に烏帽子。

眼下に到着した花嫁は、彼の妻になる姫君だ。













 「縁組?」



関の自治の中心地、関城。

山肌に張り付く様に建てられた、典型的な戦国時代の山城だ。

その城の本丸御殿(御殿というには粗末であるが)の、城主・ミホークの居室で、

上座に座る城主に向かい、下座に座した男があからさまな不快を見せて言った。



上座から、城主が表情を変えずに言う。



 「…吉川家の重臣、佐野家の娘を、本家毛利の養女としたらしい。

 その姫だそうだ。歳は…そなたと同じ、19だ。」

 「ババァじゃねぇか。」

 「ならばそなたはジジィか?」

 「うっせェよ!!」



この時代

女は14,5で嫁ぐのが当たり前だ。

なのに、イキオクレの19歳。

どんなブスだ。



ミホークに相対する青年は、歪めた顔を隠しもせず、あらぬ方を見上げながら溜め息をついた。





世は戦国時代。



だが、群雄割拠の下克上の世の中ではない。



天下統一を目前にし、倒れた織田信長の時代の後、豊臣秀吉が天下を掌握している時代であった。



だが、秀吉は知らない。

己の命が、後数ヶ月であること。

天下を二つに分ける関が原の戦いが行われるまで、あと6年の月日しかないこと。



山陰のある地方、『 関(せき) 』というこの小国。

関の国は、北と西を毛利の領土に囲まれ、東は毛利の配下である小国『 旻長 』、

南はやはり毛利の配下『 檀後 』にと、それぞれ囲まれていた。

当然、関も毛利の配下である。

四方を抑えられてしまっては、そうせざるを得ないのだ。

しかし関は、毛利に負けず劣らず経済力はあり、領土の大きな旻長や檀後よりも豊かであった。



その理由は、埋蔵量豊富な鉄鉱山にある。



関の南に位置する『都甲山』は、良質の鉄を産出し、しかもその精錬技術は日本一と言っていい。

良質の鉄を生み出す国。

そんな国を、この時代、欲しがらぬものなどいない。

小さな大国は、応仁の乱より100年もの長い間、他国の侵略に晒されてきた。

領土は最盛期より半分の小国であるが、四方八方の国々が、

牽制し合い、隙あらば奪おうと常に爪を研いでいた。

周辺の国ばかりではない。

信長も、秀吉も、あの手この手でこの国を奪おうとした。

が、それが叶わなかったのは、高い技術で生み出された優秀な武器と、

自らの国の鉄産業に誇りを抱く人々の団結力。

そして、国主である“鷹の目”と呼ばれる武将、ミホークの強さによるところが大きかった。



しかし、時代は全ての権力を秀吉の手に委ね、隣の大国毛利ですら、秀吉の前に屈した。

以来、関の国は毛利家に鉄を与え、毛利はその鉄を秀吉に与えた。

屈辱ではあったが、関が生き残るための選択だった。



そして、毛利は更なる利権と、関への楔を打つため、未だ独身で側室の

1人もいない長子ゾロに、毛利本家の姫君との縁談を持ってきた。

父は顔色ひとつ変えず言う。



 「…断る理由が見つからぬ。」

 「………。」



下座の青年は、鬱陶しそうに頭を掻いた。



 「…毛利本家の姫つったって、血の繋がりなんざねェじゃねェか。

 見くびられたもんだぜ。」

 「…それでも本家の姫君だ…断れば、難癖をつける理由を与えてしまう。

 そなたも、関の男であれば、そのくらいはそのカビの生えた頭でも理解が出来よう、ゾロ。」



ゾロ、と呼ばれた青年は、城主ミホークの長子である。

長子であるが、嫡男ではない。

ゾロは、側室が産んだ子供だ。

正室も、男子を産んでいる。



 「兄上〜〜〜〜〜〜〜!!」



明るい、高い声がした。

ゾロが振り返ると、小さな少年が頬を赤くして、その懐に飛び込んでくる。



 「チョッパー。」

 「わ〜〜〜い!兄上だ〜〜〜〜〜!!」



ゾロより、13も年下の弟。

この幼い弟の方が嫡男なのだ。

普段、この弟は本丸に住み、ゾロは二の丸に住んでいる。

顔を合わせることが少ない兄弟だ。



 「兄上!一緒にあそぼ!!一緒にご飯食べよ!!」

 「ああ。親父の話が終わったらな。」

 「うん!」



弟の頭をひとなでして、ゾロは憎らしげに笑い



 「いいぜ、受けても。今更、どんな難癖だろうが驚きゃしねェ。

 熊みてェな女でもなんでも、可愛がってやるよ。」

 「………。」

 「話は終わったな。じゃ、遊ぶか?チョッパー。」

 「うん!!」



仲の良い兄弟だ。

正室も、2年前に他界した。

女運がないのだろうと、以来、正室も側室ももってはいない。

2人の男子がいるのだ、それ以上望む気持ちもなかった。

そして、やはりゾロに、跡目を継がせたい思いが強い。



だが毛利はどうか。



気が強く、口も減らず、そしてとんでもなく強いゾロ。

毛利は戦場で、常にゾロの率いる関軍に先陣を切らせた。

ゾロの働きは目覚しかったが、逆を言えば、あの強さが敵になった時が恐ろしい。

毛利はあの手この手で、ゾロがミホークの後を継ぐのを阻止しようと躍起になっている。

反抗的で、大人しく毛利の傘下に留まり続けるとは考えにくいのだ。

この縁談は、懐柔策の一款でもあるのかもしれない。



年齢が年齢なのだ。

いずれ毛利から、『嫁を取れ。』と、どこかの姫を押し付けられるであろう事は覚悟していた。



 (…わかっていたこった。)



女を知らないわけではない。

だが、どちらかと言えばゾロは淡白で、女を相手にするよりは、気の合う仲間と一緒にいる方が楽しい。

妻を持つのだと言われても、何の感情も湧かない。

ただ、鬱陶しいだけだ。



女に期待はしていない。



望むものは、何もないのだ。



そんな自分の所へやってくる姫君が、少し気の毒に思えた。



 「兄上、どうしたの?」



幼い弟が、ゾロを見上げて心配そうに尋ねた。



 「なんでもねェよ。」



長い廊下を歩きながら、頭を撫でて、ゾロは笑う。



 「…最近はどんな本を読んでる?」

 「あのね、孫子。」

 「へェ…武田信玄か?」

 「うん。凄く面白い。」

 「この前読んでたやつは?」

 「大鏡はもう読んじゃった。漢文の方が面白い。」

 「………。」



6歳の幼さで、ゾロより豊富な読書量。

知識が深く、聡く、賢い。



この弟に、いずれこの国を継がせたい。

自分のような、武一辺倒の男では、この先この国は生き残れない。



おそらく、秀吉の治世は長くない。



だが、戦乱の世もこれより長くは続かない。



いずれ、力よりも知恵が必要な時代が来る。

そうなれば、この国の国主に相応しいのは、チョッパーのような賢い人物だ。



だから



この弟の為に礎になるなら、それでいい。















本丸の大手口へ、城主ミホークと、嫡男チョッパーと、本日の主役である所のゾロが、花嫁を出迎える。

輿が下ろされ、毛利家の侍卒が言う。



 「関の方々にはご機嫌麗しく。

 本日、この吉日に、毛利と関とのご婚儀相整うべく、罷りこした次第。」

 「お勤めご苦労に存ずる。」



慇懃に挨拶し、ミホークとゾロが頭を垂れたのを見て、チョッパーも真似て頭を下げる。



 「氷雨(ひさめ)姫にござる。」



輿の戸が上げられる。



中に、白い花嫁衣裳に角隠しの娘。





細いな。



まず、その印象があった。



熊みたいな女を想像していたから余計かもしれない。

だが、侍女に差し出された手を取り、立ち上がった姫君は、思ったより背が高かった。



 「うわ。」



思わず、チョッパーが声をあげ、あげた声を両手で慌てて押さえる。

背が高い。

華奢でありながら、娘にあるまじき背の高さだ。

花婿と、同じくらいある。



“氷雨” と呼ばれた姫君は、立ち上がりながらすぐに膝を折り、指を着いて



 「…氷雨にございまする…。」



と、小さな、低い声で言った。



伏せられた顔。

よく見えない。

だが、気になるものをチラリと見た。



すっと、ゾロの体が動いた。

つかつかと、花嫁の前に歩み寄り、膝を着くと、伏せたままの花嫁の角隠しを



 「見えねェ。」



言うなり、払った。



 「!!」



一瞬、誰もが息を飲んだ。

冷静なのはミホークだけだ。



 「………!!」



角隠しを払われながら、花嫁は臆することなく夫となる男の顔を見上げていた。



その目



髪



そして



 「……奇妙な眉だな、おい。」

 「………。」



黄金の髪に青い瞳。

瞳の上にある細い眉は、奇妙な形に渦巻いている。



 「わぁ。」



チョッパーが声をあげた。



 「綺麗だー。」



子供の素直な感想に、場が和む。



毛色はかなり変わっているが、確かに美しい…。



しばらく、花嫁を見つめていたゾロの唇が、愉快そうに釣り上がった。



 「……ほぉ……。」

 「………。」



花嫁は目を逸らさない。

敵地も同然の場所。

なのに、独り嫁いで来た恐怖を、微塵も匂わせない瞳。



口上を述べた侍卒が、場を取り繕うかのように少し慌てて



 「お気に召されたか?ゾロ殿?」

 「……ああ、気に入った。おもしれェ姫君だな。」

 「重畳…。」

 「………。」



ぱさっと、またゾロは角隠しを元に戻す。

顔が隠れて、また見えなくなる。



 「…祝言だ。行こうぜ。」

 「………。」



自ら手を差し伸べる。



少し間を置いて、花嫁はそっと白い手を差し出した。

その手を握り、ゾロはずかずかと奥の広間へ引きずる様に歩いて行った。



 「あ!兄上待ってー!!」



チョッパーが追いかけてくる。

早足なゾロに引きずられるように、だが、花嫁は遅れることなくついていった。

見送る毛利の侍卒が、ほっと息をついた。











祝宴は続いている。



みなが敬愛するゾロの祝言だ。

宴席は盛り上がり、無礼講になってからは身分の上下関わりなく騒ぎたて、

肝心の花婿花嫁が宴席から消えても誰も気がつかなかった。



毛利本家から迎えた花嫁だ。

縁談が決まった時から、突貫で建てられたゾロの新しい二の丸屋敷の奥殿は、

まだヒノキの香りも清々しく香っている。

ゾロの風呂はゆっくりだが、女のそれはそれ以上だと思い知らされた。

夜具が二つ述べられた寝所で、ようやく花嫁がやってきたのは、

ゾロが一升の酒を空け切った頃だった。



 「氷雨姫でございます。」



毛利家から連れてきた侍女が、声をかけた。



 「おう。」



答えに、するすると几帳が上がる。

滑るように、僅かな躊躇いも見せず、花嫁が入って来る。



 「………。」



暗がりでもそれとわかる明るい髪。

氷雨姫は、夜具の外から指を着き、深々と頭を下げた。



 「…ふつつかものにございますが…幾久しく…お慈しみくださりませ…。」

 「ああ。」



引き寄せようと手を伸ばしかけたが、几帳の外の、3人の侍女が下がらない。



 「おい、下がれ。」



だが、中央に控えた侍女が頭を上げ言う。



 「恐れながら…今宵は、毛利と関の款(よしみ)が確かに結ばれましたこと、見届けねばなりませぬゆえ…。」

 「ヤボだな、おい。」



うんざりして、ゾロは吐いた。



 「お前ら…。」



呼びかけに、侍女頭が応える。



 「つるの…とお呼びくださりませ。連なります両名は…。」

 「かみぢ、にござりまする。」

 「のくぼ、と申しまする。」

 「………。」



どっかで聞いたような。



 「安心しろ。…おれは、ヤる気満々だ。」

 「………。」

 「下がれ。」



低く、有無を言わせぬ声に、つるのがうなずき、3人共に部屋の外へ出て行った。



 「………。」



おそらく、木戸の外にはいるのであろう。

しかし、この時代には当たり前に近い慣わしだ。



顔を伏せ、氷雨姫は正座したままじっと動かない。

その肩を掴み、少し荒っぽく、ゾロは懐へ抱き寄せた。



 「………っ。」

 「………。」



小さく、堪えるように息を飲むのがわかった。



 「おれは、あまり女に執着しねェんだが。」

 「………。」

 「…お前は…一目見て欲しいと思ったな…。」

 「………。」

 「…怖くねェのか?…それとも…とっくに男は知ってるか?」



夫となる男の無体な言葉に、ほんの少し肩が震えた。



 「まぁ、19なら不思議はねェ。…それにおれは、その方がありがてェ。」

 「………。」

 「…メチャメチャにしてやりてェ…。」

 「………。」

 「…思いっきり乱れていいぞ…いい声を…聞かせてくれ…。」

 「………。」



絹の褥の上に、押し倒すように新妻の体を横たえる。

覆いかぶさるように体を押さえつけ、顔中に口付けた。



 「……を…。」



か細い声がした。



 「あァ?」

 「…灯りを…どうか…。」



小さな懇願に、ゾロは笑った。



 「あァ、いいぜ。」



灯明の芯を直に指で捉え、火を消す。



もう一度、胸の中に抱き寄せて、口付けながらゾロは言う。



 「…おい…。」

 「………。」

 「………。」

 「………。」

 「……真名を教えろ……。」

 「……え…?」

 「本当の名だ。」



氷雨姫の青い目が、大きく見開かれた。



 「氷雨というのは本名じゃねェだろ?」

 「…いえ…わたくしは…。」

 「生まれた時からの名前なワケはねェな。」

 「………。」

 「………なァ?」



言うなり、ゾロは、氷雨の体のある部分に触れた。



 「………!!」



瞬間、姫君のものとは思えない、駿足の速さで蹴りが繰り出された。



 「!!」



瞬間かわし、間髪を入れずに叩きこまれる足技を、ゾロは両腕で受け止めた。



 「…くっ!!」



ゾロの目に焦りはない。

焦った表情を露わにしているのは、新妻の姫君の方だ。



 「あ…!!」



白い絹の夜着の裾を思いっきり引っ張られ、氷雨姫は横倒しに転倒し、

その上に、ゾロは遠慮なく馬乗りになると、その白い喉笛に指をかけた。

氷雨姫が見上げるゾロの片方の手に、薄闇にきらめく脇差の刃。



 「…毛利の大殿も、随分と面白い余興を用意してくれたもんだ。」

 「………っ。」



氷雨姫の息が荒い。

乱れ、顔に張り付いた金の髪を脇差の鍔で払い、首にかけた手を夜着の襟にかける。



 「……あ…!!」



ゾロの手が、勢い襟を引き裂いた。



 「………。」



 「………。」



 「………。」



 「………毛利では、男も姫と呼ばれるか。」



引き裂いた襟の間に、女性特有のふくらみはなかった。



その瞬間だった。



 「関の若殿!!お命頂戴!!」



木戸の外に控えていたはずの3人が、寝所の中に飛び込んでくる。

侍女、のはずの3人。

いずれも



 「は!こっちもそうかよ!!」



だが、喧騒は一瞬だった。









 「若!!二の丸様!!?」

 「何事にござりまするか!?」



さすがに、異変に気づいた関の侍達がわらわらと集まってくる。



 「ああ、なんでもねェ。」



さらり、とゾロは言った。

家臣達が、躊躇いながらゾロの寝所に入った時、ゾロは控えの間に床に、3つの死体を重ねて捨てていた。

手に、血塗れの愛刀。



 「これは…!!」

 「……下がれと言っても、これが役目だといって聞きやがらねェ。邪魔だから斬った。」



家臣たちの顔色が瞬時に蒼ざめた。



 「気にすんな。毛利には適当に言い訳しとけ。」

 「…そのような…!!なんたることを…!!」

 「大丈夫だ。どんな言い訳でも、向こうは何もいいやしねェよ。」



ゾロを、暗殺するための婚儀。

そして



 「それより、国境に兵を送れ。守備を固めろ。それから、氷雨に着いてきた連中、全員斬れ。」

 「はぁぁああ!!?」

 「正気でございまするか!?」

 「正気だ。」



騒ぎに、城主ミホーク自ら二の丸へやってきた。

父の姿を見、ゾロはつかつかと側に寄ると耳元で一言二言囁き、言った。



 「……そういう訳だ。おれを殺して、内から混乱を起こし、乗じて国境から攻め込む策だ。」

 「…どちらから来る?」

 「…こいつらの言葉に、檀後の訛りがあった。おそらく南から。」

 「わかった。南に兵を送ろう。…そなたはどうする?」



父の言葉にゾロはにやりと笑い。



 「初夜だぜ?ヤボは言うなよ。」

 「………。」



表情ひとつ変えず、国主はくるりときびすを返した。



 「お屋形様!」



家臣の呼びかけに、ミホークは



 「街道を押さえよ。関所を閉じ、何人たりとも入れるな。また、逃してはならぬ。」

 「はっ!」

 「触れを出せ、それぞれの国境に兵を。忍びを、二国に走らせるのだ。」

 「ただちに!」



肩越しに息子へ振り返り、ミホークは言う。



 「…毛利はどうする?」

 「…まこと、この身に過ぎたる姫君を頂戴いたし、感謝の念に絶えませぬ。とでも伝えておけばいい。」

 「………。」

 「あれは斬らねェ。おれの嫁だ。」



寝所への木戸を後ろ手にぴしゃんと閉め、どかどかと奥へと、ゾロの足音が消えていった。

 









(2009/8/13)



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