BEFORE





喧騒が遠くなった。

表から、ゾロが寝所に戻ってきた。



ゆったりとした足取り。

つい今しがた、3人の間者を斬り殺したとは思えない冷静さ。

白い絹の夜着の、裾に僅かについた返り血が、今、ここで行われた惨劇を物語っている。



氷雨姫



と、今は呼ぶしかない“新妻”は、寝所の梁に両手を戒められ、

自決を防ぐ為に口に猿轡をはめられて、屠殺された獣の様に力なくぶら下げられている。



白い絹の夜着は無残に引き裂かれ、白い肌が露わになっている。

どう見ても、“姫”と呼ばれるべき体ではない。

細く、華奢であるが、しっかりと鍛え上げられた男の体だ。



その様を眺めながら、ゾロは低い声で言う。



 「…まったく。見くびるにもほどがあらァ…。」

 「………。」



氷雨姫は答えない。目を閉じ、珍妙な形の眉を歪めて、

やがて訪れる最期の時への覚悟を決めたように、じっと俯き、目を閉じている。



哀れな姿を見下ろしながら、ゾロは言う。



 「真名は?」

 「………。」

 「真名を答えろ。」

 「………。」



猿轡を外し、顎を掴んで顔を上げさせる。

目が、虚ろに開かれた。



 「真名は?」

 「………。」



沈黙。



 「…答えねェなら、こちらで勝手に呼ぶぞ。マユゲ。」

 「………。」



全てを、諦めたような目。

だが、どこか力強い目。



 「………。」



ゾロは、氷雨姫の戒めを解いた。

崩れる体を抱き止める。



体術を使う。

おそらく忍びとして、暗殺者として、育てられてきた事は明らかだ。



 「…殺せ…。」



低い声が、赤い唇から紡がれた。



男と知ってしまえば滑稽な、紅を引いた唇。



だが、傷つき力尽きた顔に、その紅は美しかった。



 「…殺してくれ…。」



これが、こいつの本当の声か。

ゾロは、薄く笑みを浮かべた。



任務にしくじったのだ。

この男に、もはや帰る場所はない。

生きる道もない。



おそらく、ゾロの首を取り逃げ帰る事が出来なければ、ここで果てる覚悟であっただろう。



だが



そうはさせない



ゾロは、氷雨姫の唇を吸った。

そしてそのまま、乱闘に乱れ、血に濡れた褥の上に白い体を押し付ける。



 「………っ!?」



 「…殺せだと…?」



 「………。」



 「そうはいくか。お前はおれの妻だ。」



 「………!」



 「…大事にしてやるぜ…毛利の氷雨姫。」



 「……や…っ……!」



 「真名を名乗らねェ限り、てめェはおれの嫁だ。」



 「…う…。」



何かを言いかけた唇をまた塞ぎ、舌で激しく肌を愛撫する。

顔から喉へ滑らせた唇を、そのまま裂けた夜着の間から見える、白い胸へ下ろし



 「…ん…やぁ…っ!」



薄桃色の小さな実を、歯で掻い摘む。



激しく震える白い肌。



拒み、首を降る度に、金の髪が跳ねる。



鋭い足技を使うのはわかっている。

ゾロは、氷雨姫の帯を引き抜いて解き、両足を縛りあげた。



 「………!!」



帯を解かれて、さらに白い体が露わになる。

均整の取れた体。

染みひとつない肌は、降り積もった新雪のようだ。

上気した頬と乳首が、うっすらと染まって花の様に美しい。

そして、晒された肉体の芯。



 「…おれひとりが盛り上がってちゃ、申し訳ねェよな。」



 「…やめ……!」



ゾロは、縛りあげた足を左手に抱え、必死に逃れようとする抵抗を易々と奪い、右手で



 「…あああっ…!!」



捉えられて、いきなり先端に強い刺激を加えられた。

電流のような刺激と、耐えがたい痛みに、氷雨は堪え切れずに悲鳴をあげる。



 「悪ィ、ちょっと強すぎたな。人のは加減がわからねェ。」

 「………っ…!」



青い瞳の眦から、涙が溢れる。



 「………。」



その瞳を見下ろし、震える体を見て



 「…痛ェか?」



答えはない。



歯を食いしばり、顎を反らせて、氷雨姫は必死に耐えている。



ゾロの手にあるものは、萎えて、まったく熱を帯びずに冷えていた。



 「………。」



 「………。」



そっと、その手を放す。



そして、



 「………!?」



ゾロは、氷雨姫を抱きしめた。



優しく



だが、力強く



 「………。」



足の戒めを、ゾロは解いた。



そして



 「…憎いか?」



 「………。」



 「…おれが憎いか…?」



 「………。」



 「………。」



 「………。」



 「…おれの命が欲しいなら…いいぜ、くれてやっても。」



 「……え……?」



かすれた声で、問い返す。



ゾロは、氷雨姫の頬を両手で包み、真っ直ぐにその青い目を見つめて言った。

真摯な眼差しで、決して怯むことなく。



 「おれの命、欲しければくれてやる。お前に。」

 「………。」

 「だから。」

 「………。」

 「…お前をおれにくれ。」



その言葉の意味を、氷雨姫は図れなかった。

戸惑う姫に、ゾロは言う。



 「…今夜一晩でいい…お前が欲しい…抱きてェ…。」

 「………。」

 「夜が明けたら、お前の好きにしていい。おれの首を取って、毛利でも檀後でも、どこでも持っていけ。」

 「………。」

 「…お前が望むなら…。」

 「………。」

 「…だから…。」

 「………。」

 「………。」



ゾロの腕に、さらに力がこもる。



 「…さっきの言葉は嘘じゃねェ…誰かを…欲しいと思ったのは初めてだ…。お前を一目見て、欲しくなった。」

 「………。」

 「…驚いたぜ…あの瞬間に…てめェが男だって事は匂いでわかったのによ。」

 「……え……?」

 「だが、かまわねェ…お前が欲しい…!今、お前がおれのもんになるなら、

 明日の命なんざいらねェ!!てめェにくれてやる!!」

 「………。」



見開かれた青い目に走る当惑。

だが、その奥底に、震えるような喜びがある。



 「…好きだ…。」



 「………。」



 「…阿呆どもに感謝してるんだ…お前を…おれの元に寄越してくれたことに。」



 「………。」



 「……欲しい…おれにくれ……。」













腕の中の、黄金の髪に包まれた頭が、堪え切れぬようにゆっくりとうなずいた。



赤い唇に己のそれを寄せ、ゾロはまた囁く。



 「……真名を……。」





















 「……サンジ……。」











細く、小さな声が答えた。



























翌朝。



目覚めた時、ゾロはそこが、奈落にしては随分と明るいもんだと真面目に思った。



死んだ人間の意識がどうなるのかは知らないが、おそらく、次に何かを認識する時は、自分は死んでいると思っていた。



だが



 「………。」



褥のすぐ側に



愛しい顔があった。



 「………。」



きちんと居住まいを但し、静かに膝を揃えて座り、ずっとゾロが目覚めるのを待っていたらしい。



 「…なんだ…他に着る物ねェのか…?」



 「………。」



氷雨姫



いや、『サンジ』は



 「…あるわけねェだろ…。」



と、野趣溢れる口調で答えた。



ゾロは笑って起き上がり、新妻らしい内掛け姿のサンジをしげしげと見つめる。



 「まぁ、そうか。…似合ってるからかまわねェが。」

 「………。」

 「…寝ている奴を殺すのは気が引けたか?」

 「………。」

 「…じゃ、そろそろやるか?」

 「………。」

 「こいつを使え。」



軽く言い、ゾロは刀架けの大刀をサンジに手渡す。



 「関の国自慢の名刀、大業物和道一文字。」



黙って、サンジは受け取った。

柄を握るサンジに手を貸し、鞘を払い、刃を自らの首筋に当てながらゾロは言う。



 「そのまま、ちょっと力を入れて引けば首は落ちる。」

 「………。」

 「一気に行ってくれ。おれだって、無駄に痛ェのはごめんだ。」

 「………。」

 「………。」

 「………。」



ゾロは、サンジの首筋に昨夜自分がつけた名残を見つけた。



 「………。」



稚児を相手にした事は何度かある。

戦場に女は連れていけないから、激しい戦闘で血が煮えたぎった時、小姓に相手をさせた事は多々あった。

いずれも年若い少年だった。

しかし、女と同様、それらの稚児に夢中になることもなかった。

まして、サンジは小姓というには歳を取りすぎている。

が、その重ねた齢が、逆になんともいえぬ色香を醸し出している様な気がする。



夢中になって愛した。

我を忘れて、肌を探り、口付け、貫いて。



痛みに耐える声は、最後は悦びの声に変わっていた。



声をあげ



すがり



いく度目かに達する時は、『ゾロ』と自分の名を呼び、切ない声をあげて意識を手放した。



優しく、何度も口付けていたら、目覚めてゾロを見つめ、戸惑いながらも微笑んだ。



愛しいとは



こういう想いをいうのだ



初めて、ゾロは知った。







今も、許されるならもう一度、内掛けを剥ぎ取って押し倒したい、そんな衝動が体の中を駆け巡っている。



一夜の契り



明けてしまうと





たまらなく惜しい





後悔はないが、もっと、こいつといたかった…。



父のことも弟のことも、全く思いだすことなく勝手な約束をした。



全てのものに心の中で詫びる。









がらぁん









その音が、サンジが刀を落とした音だと気づくまで、大した時間はかからなかった。

床に転がった愛刀を見て、ゾロは眉をしかめて



 「…おれの大事な刀を粗末にするな…。」

 「………。」

 「………。」

 「………バカだ…てめェは……。」

 「ああ、よく知ってる。」

 「………。」



サンジは泣いてはいなかった。

だが、目を伏せ、顔を覆う髪の下の表情は苦悩に彩られているだろう。



 「サンジ。」

 「………。」



歯噛みする唇から、言葉が漏れた。



 「…クソ…。」



短い、怨嗟。



ゾロへ吐いた言葉か、命令を下したものへの悪態か。



それとも



ゾロに心を戒められた己への呪詛か。



 「サンジ。」

 「………。」

 「…ここに…いろ…。」

 「………。」



サンジは首を振った。

だが



 「…いてくれ…。」



 「………。」



 「…おれの側にいてくれ…。」



 「………。」



 「…お前がいてくれたら…おれはもっと強くなれる。」



 「………。」



 「他に生きる道がなく、だが、まだ生きたいと思うなら。」



 「………。」



 「…ここに…おれの側にいろ…。」







答えはなく、サンジはうなずかなかった。







その時



 「…ん…ん!…コホン!」



控えの間の向こうから、男のしわがれたわざとらしい咳がした。

サンジが僅かに身構える。



 「…かまわねェ。入って来い。」

 「ご無礼つかまつりまする。」



入ってきた初老の男。

昨夜の祝宴で紹介された、関家の家老だ。

家老は、サンジに深々と頭を垂れた。

意外な態度に、サンジはゾロを見る。



ゾロは話していないのだ。

自分が間者で、男であることを。



 「…お知らせいたします。国境より5里の谷合の街道に、檀後の軍が陣を構えておりまする。」

 「動かす様子はねェのか?」

 「今の所は。ただ、物見の報せによりますと、昨夜より多くの炊煙が上がっております。」

 「そうか。」



ゾロは立ち上がった。



 「親父の所へ行く。」

 「は!」



家老が、先触れの為に足早に辞去する。

ゾロはサンジに振り返り



 「檀後を攻める。」



短く告げた。



 「………。」

 「文句あるか?」



サンジは首を振った。



ゾロは、サンジの顎を引き、唇に軽く触れると



 「いってくる。」

 「………。」

 「…どこへも行くなよ…待っていろ…。」

 「………。」

 「てめェを、自由にしてやる。」



言い放ち、ゾロは寝所を出て行った。



昨夜、婚儀を挙げたばかりの新妻をひとり残して、ゾロは隣国を攻めるべく出陣して行った。







(2009/8/15)



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