BEFORE ゾロが出陣したその日の夜。 サンジは、舅であるミホークに本丸に招かれた。 昼間、サンジはずっと二の丸の新婚の居室で、ぼんやりと座り続けていた。 ここへ共に来た者達全員が、斬られたと聞いた。 仕方があるまい。 まともな城仕えの者などひとりもいなかったのだ。 あの輿入れ行列の全ての人間が、檀後と毛利の忍びだった。 逆に、誰かひとりでも生き残っていたら、サンジは今、ここでこうしていられなかっただろう。 自決を迫られたか、有無を言わさず殺されたか。 一度、ここから逃げる事を試みようとした。 だが、二の丸のどこを歩いても、誰もサンジを咎めない。 それどころか、サンジの姿を見ると誰もが満面に笑みを浮かべて 「おめでとうございます、お方様。」 と、嬉しそうに頭を垂れるのだ。 端(はした)の者は、サンジの目に触れることを恐縮しながらも 「ゾロ様に、こんな美しい姫君がおいで下されて、うれしゅうございます。」 と、涙までこぼして喜ぶ。 「末永う、お幸せに。」 「1日も早いご懐妊を、お祈り申し上げまする。」 その言葉の数々に、サンジは奥殿へ逃げるしかなかった。 子を成すことなどできはしない。 それ以前に、お方様などと呼ばれるべきでもない。 そして 夕刻 「………。」 二の丸の奥庭の、松の木の下。 小さな影。 「………。」 この子は、昨日出迎えてくれた子だ。 「………あの。」 小さな声で、頬を染めて、男の子はもじもじと恥ずかしそうに目を泳がせた。 サンジが、小さく首をかしげると 「…あのね…夕餉は本丸で…父上と……おれ…わたし…と…いっしょに…。」 「………。」 「…いかが…ですか…。」 「………。」 「………義姉上……。」 抗う事は出来なかった。 夕餉は、正に“家族”だけの席だった。 城主であり、ゾロの父であるミホークに会うのはこれが3度目だ。 婚儀の席と、今朝の挨拶の時と、今。 口数が少なく、今も、あまり口を開かない。 サンジも、食が進むわけもなかった。 チョッパーが、箸を置いたのを見ると、ミホークは 「…氷雨に話がある。下がっていよ。」 「はい。」 素直に、チョッパーは父に一礼した。 そして、サンジに一礼し 「失礼致します、義姉上。」 サンジも、思わず礼を返す。 チョッパーは笑い、少し照れくさそうに 「明日、薬草園を見てくれませんか?」 「…薬草園…?」 と、ミホークが薄く笑い 「…これは、薬師の真似事が好きなのだ。」 「真似じゃないもん!」 幼い次子が可愛いのか、白い歯が見えた。 サンジは笑い 「はい。」 と、短く答えた。 「えへへ。」 嬉しそうに笑いながら、チョッパーは駆けていった。 その足音が遠ざかった時、ミホークは言った。 「兄が甘すぎていかんのだ。」 「………。」 ミホークは、さっと手で、人払いを命じた。 「………。」 心得たように、侍卒たちが座を下がる。 そして 「…氷雨…と、呼ばせてもらおうか…。」 「………。」 やはり ゾロは父には告げたのだろう。 「檀後は、かねてより関を奪おうと狙っていた。…まぁ、それは説明せずとも知っていようが。」 「………。」 「…多くを…そなたから聞こうとは思わぬ。おそらくは、これを企んだのは檀後の城主であろう。 その策に乗ったのは、毛利本家ではあるまい?」 「………。」 「………小早川隆景、かような策を講じるは毛利三矢の生き残り、あの男。」 「………。」 「…だが…随分と見くびったものだ…おれではないぞ。ゾロをだ。」 「………。」 「…毛利のお声がかりの婚礼なら拒めぬ…まさか…そなたのようなものを、送ってくるとは夢にも思わぬ。」 「………。」 「普通はそう考える。…相手が、悪かったな。 ゾロでなくば、成せた策であったかもしれぬ。そなたは、充分に男心をくすぐる。」 サンジは、額づくばかりに腰を折り、 「…このまま…お斬りくださってもかまいません…。」 「………。」 「…わたくしは…ここに居ることを許される者ではございません。」 「死にたいか?」 「………はい。」 「…ためらったな…。」 「………!」 躊躇った 確かに、一瞬。 『…おれの命が欲しいなら…いいぜ、くれてやっても。』 『…今夜一晩でいい…お前が欲しい…抱きてェ…。』 『夜が明けたら、お前の好きにしていい。おれの首を取って、毛利でも檀後でも、どこでも持っていけ。』 『誰かを…欲しいと思ったのは初めてだ…。お前を一目見て、欲しくなった。』 『お前が欲しい…!今、お前がおれのもんになるなら、明日の命なんざいらねェ!!てめェにくれてやる!!』 『…どこへも行くなよ…待っていろ…。』 ゾロの声が、言葉の数々が、耳の奥に甦る。 ただ一夜でいい。 明日の命は要らない。 そう言い放ったゾロの行為は激しかった。 激しく それでいて優しく 愛しいと感じる心を隠さず、思いの丈を全て行為にぶつけてきた。 耳朶に真名を囁かれ、囁かれる度に肌を滑る熱い吐息に、サンジは溺れた。 ゾロが言った様に、男との行為は初めてではない。 今よりまだずっと幼い頃、サンジは戦場で主を慰める色小姓だった。 成長し、主より背が伸びてしまった頃、愛想を尽かされた。 体は変わらず華奢であったが、当時の人々に比べて少し背の低いことがコンプレックスであった主は、 自分を見下ろすほどになったサンジを疎んだ。 元々、男とのその行為を好む気質ではなかった。 抱かれて、達しても、それは決して満たされる行為ではなく、召しだされる事は拷問であり苦痛だった。 だから、主が自分に飽きてしまった事はサンジにとって幸いだった。 だが、身が自由になるわけではなかった。 主の手を離れれば、今度は自分より膂力のある者達に、力ずくで体を開かされた。 逃れる為に、生き残る為に、強くならなくてはいけない。 サンジは体術を学び、忍びの技を学び、勉学を修めて、今回の任務と同様の仕事を何度もこなしてきた。 だから、今度も上手く行くという自負があった。 なのに、看破され、屈服させられたというのに 『お前が欲しい…!今、お前がおれのもんになるなら、明日の命なんざいらねェ!!てめェにくれてやる!!』 「………。」 バカな男だと思う。 そんな事を、平気で口走り、本当に死んでみせようとした。 正体のわからぬ自分を、一目で愛し、全てを信じてこの城に残していった。 嫌いなはずの行為なのに、いつしか声をあげ、身をくねらせ、自ら腰を振っていた。 我を忘れた営みを、初めて体感した。 心を動かされ、奪われた自覚がしっかりとある。 しかし許されない。 許されることではない。 ミホークは、盃を煽ると 「今お前にいなくなられたら、アレがここへ戻ってきた時、なんと言い訳してよいかわからん。」 「………。」 「…それに…表向きはそなたは毛利輝元の娘…その姫を、 婚礼の翌日にどうにかしてしまっては、逆に毛利にこちらを攻める口実を与える。そなたは…。」 「………。」 「アレの正室として、ここに居てもらわねばならぬ。」 サンジの目が、当惑に見開かれた。 「死ぬ気があるのなら、その気概で、この城の北の方を勤めよ。」 「………。」 サンジは、黙って頭を垂れた。 ゾロが、戦を終えたのはそれから半月後のことだった。 実質、たった10日で一国を落とした。 今までは、表向き友好を保ってきたが、元よりその関係がよかったわけではない。 常に、喉に引っかかる小骨。 小早川家が乗った策。 後ろ盾があるという強気があった。 ゾロが死に、自分たちの軍勢が関へ攻め入れば、その背後を毛利が突いてくれると期待していた。 檀後の軍は、国境で、策が成った報せを待っていた。 関の軍は強い。 数は少なくとも、圧倒的な団結力と統率された兵の力。 そして、ひとりで千人を斬るという伝説の持ち主、ゾロ。 元より、ミホークの代から、関の軍勢とまともに戦うことをどの国も避けた。 戦って、勝てる軍勢ではない。 だから、檀後は根回しし、毛利を唆したのだ。 ゾロさえ討ち取れば、関の軍の力は半分に落ちる。 だが、いきなり目の前に現れた関軍。 しかも率いるのは、両手に血刀を下げたゾロ。 仰天したのは言うまでもない。 策は破れ、城主は逃げ出し、毛利に助けを求めたが、小国の諍いに巻き込まれて、 秀吉に所領を削られる理由を与えたくない毛利は、城主を見捨てた。 結果、関は檀後の所領を手に入れた。 城主は、落ち延びる途中で、自身の所領の農民に襲われ命を落とした。 首はすぐにゾロの元へ届けられたが 「用はねェ。」 あっさりと吐き捨て、近在の寺に預けてしまった。 ゾロは関に戻らず、その足で、毛利家の建造中の広島城へ向かい、国主輝元に謁見し、檀後の所領の全てを献上した。 輝元は、人が良さそうなふっくらした顔に笑みをたたえて 「なんと、関の若殿は欲のない。」 関の城の広さなどの足元にも及ばない、広大な城。 上座は遠く、輝元の頬にある黒子も見えないほどの距離。 下手に胡座して控えたゾロは、ずっと視線を黒く光る床に落としている。 毛利家当主輝元から見たその姿は、従順に、畏怖の念を持って控えているかのように見えた。 「…この身に過ぎたる花嫁を頂戴したばかり。我らには過分の所領にて、大殿に差し上げるが本分かと。」 「おお、おお、左様か。…あ〜〜〜〜、なんと申したか…あ〜〜〜〜…。」 輝元の隣にいる老人が小声で言う。 「氷雨でござる。ご本家。」 「おお!そうじゃ、氷雨というたな。ははは…養子縁組の盃を交わした時一度きりしか…。息災か?」 「…恐れながら…婚儀の翌日に出陣いたしましたゆえ。」 すると輝元は驚いて 「それはいかん。なんとも無体な!!叔父上、檀後の所領より千石、その…氷雨に与えても宜しいか?」 「よいお考えにござります、ご本家。」 ちら、と僅かに目を上げて、ゾロは輝元のすぐ下座に控えた老人を見た。 小早川隆景。 中国地方を平定した丈夫、毛利元就の息子。 有名な逸話『三本の矢』の、ひとりである。 檀後と密かに手を組み、サンジを送り込んでゾロを誅しようとしたのがこの人物である事はわかっている。 目の前の、お人好しのボンボン大名輝元に、そんな芸は到底出来ない。 「関の、そなたにも、1万石与えよう。」 「もったいない…ありがたき幸せ。」 頭を垂れながら、ゾロは腹の中で舌を出した。 その後、ゾロは輝元に引き止められたが、「氷雨が待っておりまする。」と断った。 その言葉に輝元は嬉しそうに笑い。 「おお、そうかそうか!血は繋がらなくとも我の娘、可愛がってやってくれ。 子が生まれたら、ぜひとも名付け親にならせてもらうぞ?」 「ありがたき幸せ…。」 顔色ひとつ変えない隆景を、チラと見る。 目を合わせず、隆景は小さく笑った。 関へと飛んで帰ってきた。 婚儀のあの晩から、ひと月が経っていた。 「氷雨!!氷雨はいるか!!」 本当は、サンジと呼びたいのを堪えて、ゾロは二の丸の廊下を駆ける。 家臣や侍従達が、慌ててゾロを出迎える。 「氷雨!!」 答えがない。 思わず 「…サ…!!」 「お戻りなされませ。」 居室の奥で居住まいを但し、サンジは本当に“妻”のように、三つ指をついて夫を出迎えた。 「………!」 中へ飛び込み、ゾロは甲冑を解かないまま、その腕にサンジを抱きしめた。 「………っ!!」 「………。」 不安だった。 もしかしたら 戻ってきても、サンジはいないのではないかと何度も思った。 確かめるように、固く抱きしめる。 「サンジ…。」 「………。」 「檀後をぶっ潰してきた。」 「………。」 薄汚れた手差しのまま、ゾロはサンジの頬を撫でる。 「…お前は自由だ。」 「………。」 「…ここに居ると言ってくれ…。」 「………。」 「…サンジ…。」 「…ゾロ。」 ようやく、サンジが言葉を発した。 「おれを殺してくれ…。」 「………。」 ゾロの目が、驚きと、僅かな怒りに見開かれる。 「…殺してくれ…。」 「………。」 「…お前に黙って…死ねないと思った…。」 「………。」 「…おれを殺してくれ…お前の手で…。」 「………。」 「…おれが…自由になったというなら…おれはおれの命も自由にしていいはずだ…。」 「………。」 「…おれを…死なせてくれ…。」 「………。」 「…おれは…ここにいちゃいけない…。」 ゾロの留守の一ヶ月。 この城や、国の人々は、みな無条件に“氷雨姫”を受け入れ、慈しみ、愛してくれた。 中国地方の大大名毛利家が、わが国に下された美しい姫君。 我らが若殿が、一目でお気に召された北の方様。 幼い義理の弟も、何の疑いも持たずに『義姉上様』と、慕い、懐いてくれている。 無体をして、嫌われるのは簡単だ。 だが、できない。 ゾロ故に、自分を愛してくれる人々の優しさに、身を委ねてしまいたい自分が居る。 何より、小国とはいえ大名の家の長子。 後継を産まねばならない。 自分はそれを適えられない。 やがて、ゾロがこの腕に、別の女を抱くのかと思うと辛すぎる。 たった一夜で、この男を愛してしまった。 待つひと月は長く、苦しかった。 ゾロの手で殺されたい。 既に死んだ身命。 ゾロの手にかかって死ぬなら、この矜持も、思いも、全て昇華できる。 「何の冗談だ。」 「………。」 ゾロの言葉に、サンジは目を伏せる。 「目を逸らすな。おれの顔を見ろ。」 「………!」 「怒ってるのか?」 え? ゾロの問いに、サンジは困惑した。 が、ゾロの目は至って真剣だ。 「…お前の仲間皆殺しにして…置きっぱにして戦に行っちまった事、怒ってるか?」 「………。」 「…怒ってるか…そうだよな…。」 「…怒ってねェ…!怒る権利があるワケが…!」 思わず。 すると 「よかった。」 にやっと笑い 「怒ってたらどうしようかと思った。」 「………。」 子供のような言い方に、サンジは思わず苦笑した。 「お。」 「………。」 「笑ったな。」 「………。」 「お前はまだ笑える。」 「………。」 「…笑えるなら…生きていける。」 「………。」 「サンジ。」 「………。」 「…お前の居場所はここだ。」 「………。」 「…おれの側が…お前の居場所だ…。」 「………。」 ふらり と、サンジの体が、ゾロの胸の中へ揺れて落ちた。 「………。」 抱きしめようと背中に手を回した時だった。 「嫌だ。」 意外な答えに、ゾロはまた目を見開き、驚いてにサンジを見た。 サンジは、表情を前髪に隠したまま 「…この城で…ただお前の帰りを待つだけなんて…嫌だ…耐えられねェ…。」 「…サンジ…。」 「…ミホークと約束した…おまえの北の方を務める…。だが…おれは…それだけじゃ嫌だ。」 「………。」 サンジは顔を上げ、その青い瞳でゾロの目を真っ直ぐに見つめながら 「ゾロ、おれに命じてくれ。」 「…何をだ…。」 「…おれの為に死ねと…。」 「………。」 「おれが、いつか、お前の為に死ぬことを許すと言ってくれ。」 「………。」 「…決して…おれを護ろうと思うな…。お前を…お前の大事なものを…おれはお前と一緒に護る。 だから、おれに命じてくれ。その為になら、おれは死んでもいいのだと。」 抱きしめる腕に力がこもる。 胸に抱いたサンジの髪に頬を埋め、頬ずりしながらゾロは言う。 「それは困る。」 「………。」 「お前が死んだら、おれも生きていけねェ。」 眉を寄せて、サンジはゾロを見上げた。 ゾロはその眼差しを受け止めて 「だから、一緒に生きようぜ。飽きるまで、とことん。」 「………。」 「…おれに為に死ぬ気があるなら…おれの為に死ぬ気で生きろ…。」 「………。」 「おれの為に生きることを許してやる。」 こういう男だから みな、この男を愛するのだ…。 「誓え、サンジ。」 「おれの為に生きろ。生きてくれ。」 ゾロの手を自らの頬に当て、サンジはうなずいた。 穏やかな笑顔に、ゾロもまたうなずいて、その唇に触れる。 唇も、抱く腕も、熱を帯びる。 だが、ぶしつけな甲冑が邪魔をする。 「あー!鬱陶しい!!」 信じられない速さで全ての武具をガラガラと投げ捨て、単衣だけの姿になると、ゾロはサンジを軽々と抱き上げた。 「…って、おい!!?」 「なんだ?」 「…まさか…ヤる気か!?」 「1か月分溜まってんだ!!てめェに操立てて我慢したんだぞ!!」 「昼間だぞ!!」 「夜まで待てるか!!」 「…待て…せめて…その汗臭ェ体洗ってくれ…!!」 「………。」 「ん…?」 「おし!てめェが洗え。」 「はぁ!?」 「風呂場なら邪魔されねェな。いいコト言うぜ。」 「違――――――うっ!!」 「おい!湯殿の準備だ!!」 サンジの言葉にならない悲鳴が、二の丸に響き渡った…。 (2009/8/26) NEXT BEFORE 赤鋼の城 TOP NOVELS-TOP TOP