「……ゾロ、寝たのか？」
忍ぶようなサンジの声。
屋根裏のゾロの部屋。
いつも、サンジがここを訪れると、窓辺に置かれたひとつのこのベッドに2人で眠る。
一緒に過ごせる時は、毎夜呆れるほどにここで抱き合う。
なのに、今夜のゾロは、サンジに背中を向けて腕を組み、肩を抱くことすらしてくれない。
「………。」
溜め息をつき、だがサンジはゾロの肩に顎を乗せ
「…しねェの？」
「……できるか。」
「…なんで？」
「………。」
「……フランキーとロビンだけなら平気なくせに、親父じゃ途端に萎えると？」
「！！んなワケあるかァ！！」
跳ね起き、だがサンジの呆れた顔を見て、またドスンとベッドに横になる。
「ゾロ。」
「聞きたくねェ。」
「何も言ってねェぞ。」
「………。」
「……親父…ギンも、ジョニーとヨサクも連れずに１人で来たんだ。ひとりきりで。」
「………。」
「…何かが起きたんだ。」
ゾロは、サンジに背中を向けたまま
「関係ねェ。」
「………。」
夕方、サンジはヴェローナに連絡を入れた。
向こうでも、いきなりゾロシアが姿を消したので、かなりの騒ぎになっているらしい。
しかし、無事にコルシカに現れた事を知って、ギンはホッと息をついていた。
『そっちで何か起きたのか？』
『…いえ、何も。昨日の夜までいつもの様にお過ごしだったんで…朝、急にお姿が無くなったんで皆慌てやした。
まさかいきなりそちらへ行かれるとは思いも…。お迎えに上がりますか？』
『…いや、いいよ。２，３日様子を見るさ…フランキーもロビンも、喜んでくれてる。』
小さなウソをつく。
『そうですかい…サンジさんがそうおっしゃるなら。』
『…頼むよ。』
『へい。…ですがサンジさん。』
『………。』
『…お２人一緒にいらっしゃるのは危険です。ご用心ください。』
『……わかった。ありがとう。』
「ゾロ。」
「………。」
「……おやすみ。」
「………おやすみ。」
ゾロの隣に横になり、同じように背中を向けて
「チキン野郎…。」
「あァ！！？」
ガタン！と、２階で激しい音がした。
しかし、それきり静かになった。
フランキーは大きく息をつき、コーラを瓶のまま煽ると
「………。」
リビングのソファに悠々と足を伸ばし、ごろんと横になっているゾロシアを見た。
ロビンが、手に毛布を抱え
「夜は冷えるわ。」
「………。」
差し出すと、ゾロシアは黙って受け取った。
「…ゾロシア。」
立ち上がり、フランキーはソファの側に歩み寄る。
「……何があった？」
「……何も。」
「嘘をつけ。」
「………。」
「何もなく、あんたがここへひとりでやって来る筈がねェ。」
ゾロシアは、目を閉じたままピクリとも動かない。
「ボス。」
ロビンが呼んだ。
昔のままの呼び方で。
「……卑怯だわ。」
「………。」
「何が起きているのか、あなただけが知っている。」
「………。」
「…私はゾロの母親よ。」
「………。」
「フランキーはゾロの父親だわ。」
「………。」
「あの子は私たちの息子よ。」
「………。」
「知る権利があるわ。」
むくりと、ゾロシアの体が起きあがる。
憎らしいほどに、息子と同じ顔。
「フランキー、ロビン。」
ゾロシアは、2人を今の名前で呼んだ。
「なんだ。」
「…ええ。」
ゾロによく似た、しかしさらにがっしりとした長身を起こし、ソファに浅く腰かける。
少し沈黙し、だがゾロシアははっきりと
「ゾロをおれに返してくれ。」
「！！」
「……っ！」
信じがたい言葉に、2人は呆然と立ち尽くした。
「頼む。」
決して、「頼む」口調ではない。
横柄で、傲慢で、拒絶など全く考えていない冷たい声。
「ふ…！！」
「ふざけないで！！」
叫んだのはロビンだった。
いや、それは『叫び』ではなかった。
2階の子ども達に聞かれるのを憚る、潜むような、喉の奥から振り絞るような声だった。
「今さら…今さら何を言うの！？」
「………。」
「あなたがコミッションの一員になったから…妨げが無くなったから…だから返せというの！？今さら！？」
「………。」
「返さないわ！！あの子は私の、私たちの子よ！！」
「ロビン！上に聞こえる！！」
フランキーの言葉に、ロビンは我に返った。
目尻に浮かんだ涙をぬぐい、乱れた息に肩を揺らす。
「ゾロシア…。」
「………。」
「言ってくれ。…何が起きてる？」
「………。」
「おれももちろん、コイツと同じ意見だ。ゾロは返さねェ。あれはおれの息子だ。」
「………。」
「あんたが実の父親。それは十分承知だ。だがおれ達は…おれ達はずっと親子だったんだ！！」
「………。」
「それに、虫が良過ぎやしねェか…あんたは…一度あいつを切り捨てた。
理由はどうあれ、あんたは自分の手からあいつを手放したんだ！！そうだろう！？」
「…その通りだ…間違ってない。」
「アンタの手元にはサンジがいる！あんたの肩腕になろうって息子がちゃんといる！！違うか！？」
「…バラティエを…。」
「！！」
「再興させようと思う。」
「なんですって…。」
「もちろん、ウチの下部組織としてだ。ロロノアは大きくなりすぎた。膨張しすぎた風船はいつか割れる。
その前に組織をいくつかに分けたい。あいつをバラティエのボスにして…出来ることならゾロにも組織のひとつを任せたい。」
「馬鹿言うな！！ゾロシアァ！！」
「冗談にも程があるわ！！本気で言ってるの！？」
2人の言葉に、ゾロシアは眉ひとつ動かさず
「本気だ。おれはいたってまともな頭で考えている。」
フランキーがゾロシアに食いつき、その襟首を締めあげた。
「イカれてる！！」
「………。」
ゾロシアが、小さく笑った。
「……こんな小さなドメンヌ。捻り潰すのは訳ない。」
「てめェ！！」
その時だ。
「…夜分にごめんください。」
玄関から、声がした。
毎日のように聞いている声。
「ブルック…？」
ロビンが入り口のカギを外し、戸を開けると、神父の姿のブルックは長い背を折り曲げて
「遅くに申し訳ございません。ロビンさん、フランキーさん。」
「…どうしたの…？こんな時間に…。」
「…ゾロシアに…話があって参りました…。」
「………。」
かつて、ゾロシアの最愛の者を手にかけた男。
ボルサリーノ・黄猿の手先になり下がり、バラティエを壊滅に追い込み、ゾロとサンジを害そうとした。
ゾロシアの前に立って、平静でいられるわけの無い男が、穏やかな、しかし厳しい顔でゆっくりと中へ入ってきた。
「…お2人は？」
ブルックの問いに、フランキーは
「…上だ。寝ている…とは思うが…。」
「そうですか……お久しぶりです、ゾロシア。」
「………ああ。」
「………。」
沈黙が続いた。
長い、長い沈黙。
それを裂いたのは、
「………。」
2階から、かすかな笑い声が聞こえてくる。
睦みあう声ではない。
何か、馬鹿話に興じるような声だ。
何の話に夢中なのか、交わる声は明るく、楽しげだった。
「………ゾロシア。」
「………。」
「……すみません。あなたには…いろいろ詫びねばならない…なのに…ワタシはいつも、あなたから逃げてばかりいる。
ですが、おわかりでしょう？ワタシはあなたに殺されても文句は言えない。」
「………。」
「…あの時…ワタシは死ぬつもりだったのです…ゼフーノ様の遺言も守れず…憎しみに捕われていいように黄猿に操られ…
ワタシは取り返しのつかない事をした…承知しております。死なねばならない。死んで、お詫びをしなければいけない。
死にたかった。あの時、あなたに撃たれて死にたかった。とどめを待っていたのに、あなたはとどめを刺さなかった。」
「……ブルック……。」
「ルフィさんがおっしゃったのです。生きている方が面白い。贖罪だけの日々も、生きていれば必ず喜びがあると。
…それは本当の事でした…本当に…このドメンヌの方々は優しい…そしてここはとても良い所です…ワタシはここが大好きだ…。」
「………。」
「ですからゾロシア…あなたが何のためにここに来たのかは知りませんが…ここの方々を巻きこむ事だけはしないでいただきたい…！
ワタシが言えた義理ではないのは百も承知です！！ですが…！！」
「………。」
ロビンは、ブルックを側の椅子に腰かけさせた。
「ゾロシア。」
「……あァ。」
「その事を…言いに来ました…。」
「………。」
「…ですが…ここへ来る道すがら考えました…。なぜ？あなたはなぜ、今、ここに来たのです？」
フランキーが言う。
「ゾロを返せと言いやがった。」
「は！？」
「…ゾロを…組織の一員にさせたいのだそうよ…。馬鹿な話だわ！」
ロビンも。
だが、ブルックはキョトンとした顔で3人を見比べ
そして
「…ゾロシア…何を守ろうとしているのです…？」
ブルックの言葉に、フランキーとロビンははっと目を見開いた。
「…守る…？」
ブルックはゾロシアへ
「…あなたは…そんな無体な事を言う男ではありません。そうでしょう？20年も育てた親から子供を取り上げる？
命懸けで守り託した子を？…あなたはそんな考えを持つ男ではないはずです。」
「…買い被り過ぎだ…ブルック…。」
ゾロシアは、新しい葉巻に火をつける。
「…歳をとったんだよ、おれも。」
「………。」
「…両脇に…あいつらを置きたくなった…それだけだ。」
「嘘です。」
断言。
「そんな身勝手で冷酷な男に、サンジーノ様が心を奪われるはずはありません！！」
フランキーとロビンは息を飲んだ。
ゾロシアの口元から笑みが消える。
「……ゾロシア…今のワタシの想像を…申し上げてよろしいですか？」
「…想像でものを言うな…聞く気はねェぞ。」
「�狹┃瓩話�です。」
「そんなもんはいねェ。」
「�狹┃瓩話�です！？」
「いねェっつってんだろう！！？」
その叫びを
無視しろという方が無理だ。
静かな、ふたつの足音がして
「…ブルック…どうしたんだ？」
「…どうしたんだ？みんな…何が…？」
ロビンが駆け寄る。
駆け寄り、ゾロとサンジの肩を抱く。
もう小さな子供ではない。
それはわかっている。
だが、再び何かが、自分たちの暮らしを妨げようとしている気配を嫌でも感じる。
抱きしめたのは、母の本能。
「……ママロビン…？」
「お袋…どうした？……！てめェお袋に何か！！？」
ゾロシアに詰め寄ろうとする息子を、フランキーが押さえた。
フランキーの顔が青ざめている。
ロビンの顔も。
そして、ゾロシアの顔も。
「…父さん…。」
「………。」
苦渋に歪むゾロシアの顔。
こんな、父の顔を見るのは初めてだ。
ゾロが、ロビンの手を解きゾロシアへ詰め寄る。
「……帰れ。」
「………。」
「帰れ。ここはてめェの来る場所じゃねェ。」
「………。」
「……帰れ！！」
ゾロシアは答えない。
と、サンジが
「ゾロ。」
「…あァ…？」
「だったら…おれもここにいる資格は無いな…。」
「何…？」
「…おれはゾロシアの息子で、ロロノア・ファミリーのアンダーボスだ。」
「…サンジ…。」
サンジの言葉に、ゾロは瞬間押し黙る。
ゾロの戸惑う目の前を、サンジは無視するかのように素通りして
「…父さん、帰ろう。」
一言告げた。
「サンジ！！」
「一旦帰ろう。……ゾロ、お前は少し頭を冷やせ。」
「……！！」
サンジの声は冷たく冴えている。
呆然とする恋人に、サンジは言う。
「どれだけお前が拒んでも、その事実は変えられない。そしてあの時…お前は自分で言ったんだ。
おれがマフィアでも構わない。そして自分は、ドン・ゾロシアの息子だと。」
「！！」
サンジは、青い瞳に少し怒りを含んで
「…お前が言ったんだ…その言葉におれがどれだけ救われて…
そして親父が許してくれて…ここへ来られるのをおれがどれだけ感謝しているか…。」
「サンジ…。」
「今のてめェはガキと一緒だ。」
「！！」
サンジは父へ
「…着替えてくる。すぐに行こう。」
「………。」
ソファに腰かけたまま、ゾロシアは眼だけで息子を見上げる。
「サンジ…もうバスもない時間よ…。」
ロビンが言った。
「…とりあえず…ルフィのトコにでも行くよ…朝になったらここを出る。」
サンジが小さく微笑んだ。
ゾロは歯噛みし
「……待て……！！」
叫んだ時だった。
「！！」
部屋の明かりが全て消えた。
元々、明るい照明ではなかったが、外の、畑を囲む外灯まで一斉に消えた。
「！！？」
「停電？」
「…ちょっと見てくる。」
ゾロが言い、外へ出ようとした瞬間
「動くな！！ゾロ！！」
叫んだ声はゾロシアだった。
誰もが「えっ」と息を飲んだ瞬間、ゾロは、とてつもない力に引っ張られて床に転がされた。けたたましい音はふたつ。
同時に、サンジも床に転がっていた。
「何を…！」
「父さん！？」
ビシッ！
「！！？」
何かが、ゾロの耳元を掠めた。
「フランコ！ブルック！2人を外へ！！ロビータ！てめェも逃げろ！！」
咄嗟に、ゾロシアが叫んだ名は昔の名。
「ゾロシア…！」
「行け！ロビン！！」
「フランキー！あなたも…！」
何かが砕ける音がした。
軽い、空気の抜けるような音と共に、次々と家の中の物が破壊されていく。
ガラスの割れる音、壁が崩れる音。激しい落下音。
「早く出ろ！！」
ゾロシアの怒号と共に、重い拳銃の発射音がした。
ゾロシアの銃だ。
「父さん…！！」
「ゾロシア！！」
「…馬鹿野郎！行けっつてんだ！！」
躊躇うゾロとサンジにブルックが叫ぶ。
「……逃げるのです！！今は逃げるのです！！」
「でも…！！」
「お早く！！」
「父さん！！父さん！！」
サンジが、ゾロシアを呼ぶ声。
途端に、見えない敵の攻撃がやんだ。
「………。」
恐ろしいまでの、長い静寂。
その中
……くっ…くっくっく……
声
笑い声
確かに、家の中に、彼ら以外の誰かがいる。
「………。」
「………。」
ゆらっ
影が揺れた。
「逃がすか！！」
弾けたのはゾロだった。
瞬間、ゾロシアが舌打ちする。
伸ばしたゾロの手が、何かに触れた。
「てめェ…！！」
掴み、引き寄せ、殴りかかろうとした。
だが、低い笑いは止まらない。
「誰だ！？」
暗闇の中に、ふわりと揺れた黄金。
「！！？」
小さな悲鳴をあげたのは誰だったのか。
暗闇の中に、まるで溶けるかの様に浮かぶ…。
その姿
その髪
その
顔
「サンジーノ！！？」
その名を呼んだのはサンジ。
「サンジーノ！？」
反復したのはゾロ。
しかし
「離れろゾロ―――！！」
ゾロの襟首を引っ掴み、引き離したのはフランキー。
闇を纏った幽霊に、ゾロシアが一発を撃ち放つ。
当たったかに見えた銃弾は、まるで影の様なコートをすり抜け背後の鏡を打ち砕いた。
床に転がったゾロをサンジが咄嗟に抱え起こす。
サンジごと、ゾロの体にロビンが覆いかぶさった。
…くっくっくっ…くっくっくっ…
潜む笑いは止まらない。
笑っているのは、サンジーノの顔をしたその幽霊だ。
そして
「………サンジ………。」
幽霊が
サンジを呼んだ。
ロビンの手に力が更に篭る。
ゆらと漆黒が揺れて、サンジのすぐ間近で金の髪が揺れた。
同じ色だと、ガンガンと警鐘が鳴り響く頭でゾロも思う。
「…�猊磴気鶚瓠帖�」
幽霊の唇が、美しく吊り上がる。
紡がれた声は、サンジのそれによく似ていた。
その声が、低く、低く、闇を漂う。
「……また、お前が奪っていくんだな…ゾロシア……。」
「………。」
「……くっ…くっくっ……。」
銃弾の音。
ゾロシアの銃だ。
闇が揺らぐ。
揺らいだ闇が大きく跳ねて
「！！」
ゾロの間近に、愛する者とよく似た顔。
だが、髪の分け方が違う。眉の形が違う。
唇と顎に、色男を気取ったような気障な髭。
「…ゾロ…か…。」
「………。」
つぶやき、幽霊の白い指が、すぅっとゾロを指差し
「！！」
指先を、袈裟掛けに振り下ろした。
同時に、ブルックが飛び出す。
仕込杖のサーベルの銀色が、闇の中で一閃される。
しかし
銀色の光に裂かれた闇をすり抜けて、幽霊は姿を消した。
夜明けまで、まだ時間があった。
停電と見えたそれは、電線を切断されたためと分かった。
古いランプの灯りだけが、6つの影を映している。
その中で、サンジが言った。
「…おれ…昨夜あの幽霊を見た。」
「…昨夜…。」
ロビンが呟く。
「…夢じゃないかってチョッパーに言われた…夢じゃ…なかったな…。」
「………。」
「…サンジーノの幽霊…。そう思った…けど…幽霊がサンジーノなら…なんで化けて出るのか理由がわからなかった…。
でも、あれは幽霊じゃない…。」
目を閉ざしたままのゾロシア。
厳しい表情の大人達。
「……誰なんだ？」
サンジは問う。
ゾロ以外の皆に。
「…また、お前が奪っていく…あいつはそう言った…父さん…！あれは誰なんだ！？サンジーノにそっくりな…あの幽霊は！！」
ゾロシアは答えない。
目を、開きもしない。
「父さん！！」
と、ゾロが
「親父。」
と、呼んだ。
だが、フランキーは答えない。自分が、呼ばれたとは思わなかったようだ。
「親父！」
「！！ん…！？…あ！…あァ…。」
「…親父も知ってるんだな…。お袋も…ブルック…てめェも…！」
フランキーが低く呻く。
ロビンは堪え切れない様子で目を閉ざした。
ブルックだけがゾロを見、サンジを見た。
サンジは、ソファに座るゾロシアの膝に手を置き、跪くように
「教えてくれ…！おれもゾロももうガキじゃねェ！！」
「ガキだ。」
冷たく、ゾロシアは言い放った。
「ガキだ。」
「！！」
ふらりと、ブルックが立ち上がる。
そして
「…あの男は…幽霊ではありません…。」
「………。」
「…ブルック…。」
険しい声で、ブルックは重々しく告げる。
「…あの男の名は……サンジーン。」
フランキーの、苦しげに息を飲む声が聞こえた。
「サンジーン…？」
ロビンが、大きく息をついた。
ブルックがうなずく。
「バラティエファミリー、ドン・ゼフーノ様のご長男、サンジーノ様の2歳年上の兄君、サンジーンです。」
「…兄…！！？」
サンジの目が見開かれる。
ゾロも、同様に驚いた。
サンジーノの兄。
つまり、サンジの伯父になる。
「サンジーノに…兄弟がいたのか…！？」
ゾロが、フランキーを見た。
「…親父も…知ってるんだな？そいつを…。」
フランキーは苦しげに
「ああ…知ってる…よォく知ってる…嫌になるほどな…！」
ロビンもまた
「…ゾロシア…だから…誰にも言わず…私たちにも理由を言わず…ここへ来たのね…。」
「………。」
「…ゾロシア…でもなぜ…なぜここでなの…？」
「……知らん…あんな野郎の頭の中なんざおれにわかるか。」
「…死んだと聞いていた…バラティエの中で粛清されたと…。」
フランキーの言葉にサンジが反応する。
「粛清…？サンジーノの兄を…？」
「それはワタシがお答えしましょう…。」
ブルック。
「……サンジーンを殺せと、ボスに…ゼフーノ様に命じられたのはワタクシでした。」
「…え…？」
「…当時ワタクシはカポ・レジームで…サンジーン様サンジーノ様、おふたりの傅役でした…。フランキー、あなたも、よく困らせられましたねェ。」
「…まァ…な…。」
だが、ブルックの表情は急に険しくなった。
「……当時…バラティエの中で…いいえ…ヴェローナ中で…こう囁かれていました。�爛丱薀謄�エのふたつの黄金。
兄は、その母の胎内に全ての善意を置き去りにし、弟は、その全てを掬って生まれ落ちた�瓠弔函�」
「………。」
「…サンジーノ様は…生まれついての天使…しかしサンジーンは……。」
不意に、ブルックの言葉が遮られる。
「悪魔ってのは…あいつの事を言うんだ。」
「フランキー…。」
誰かへの悪意の言葉を、父が吐くのをゾロは初めて聞いた。
それを、ロビンが止める。
ブルックが小さくうなずいた。
「……その通りです…悪魔を具現化するのなら、サンジーンに他ならない。傲慢で、身勝手で、残酷で…
人を、肉体的にも精神的にも、立ち上がれぬほど傷つけることを全く厭わない。」
ゾロも、サンジも、ブルックの言葉にただ呆然としていた。
「ですが…そのサンジーンにもただひとり…優しさを向ける人がいました…弟君…サンジーノ様です。」
「………。」
「……いえ……サンジーンの残虐は…サンジーノ様を傷つけるものに対して容赦なく行われました…
…弟を…守ろうとしての行き過ぎた…あの男は…異常なほどに弟君を溺愛していた。」
沈黙が流れた。
ゾロも
サンジも
今考えているのは、ひとつの同じ事だ。
そんなサンジーノが、ゾロシアと恋に落ちた。
ではその時、異常なほどに弟を愛している兄はどうする…。
「ブルック。」
静かな、ゾロシアの声が沈黙を裂いた。
「もう、いい。」
「…ゾロシア…。」
「それ以上は言うな。」
ゾロシアは立ち上がり
「……ブルックの教会は、お前がいなくなってからそのまま介護施設に改装した。」
「ハイ…聞いています。」
「…1か月前…屋根の上の鷹の足に、おれ達の合図がつけられていた。」
「！！」
葉巻に火を点け、一服し
「…見つけたのはたまたまだ…だが、あの合図を知っていたのはおれとサンジーノ、ブルック、そしてジーンの4人だけ。」
「………。」
「おれも、ジーンは死んだものと思っていた。だが、あの合図を見た時…ヤツが生きていた事を知った。」
「…父さん…。」
「申し訳ありません…ゾロシア…。ワタクシは…。」
「……言うなと言った。」
「………。」
「…�爛検璽鵑鮖Δ垢福�殺さないでくれ、許してやってくれ。�瓠�
「………。」
「あいつは、おれにもそう言った。お前にも同じ事を言ったんだろう。そういうヤツだ。」
ゾロシアは立ち上がり、ガラスにまみれた自分の上着を拾った。
簡単に埃を払い、羽織る。
サンジは父に向かい
「…父さん…。」
「………。」
「…答えを聞いて無い。」
「………。」
「…サンジーンがしようとしているのは…なんだ？」
「………。」
「父さん！父さんが言えないならおれが言う。復讐だろ！？」
「………。」
「父さんへの…サンジーノを奪った…父さんへの復讐だ…！」
「………。」
「…何故…コルシカへ来たんだ父さん…！！ゾロ達を…巻き込むなんて…！！」
叫んだサンジを
「…よせ、サンジ。」
止めたのはフランキー。
そして
「…見えたぜ、ゾロシア…。」
「………。」
「…あんた…サンジとゾロを…いや、おれ達も…守るためにここへ来たんだ。」
え？と、ゾロの表情が動いた。
低い、ゾロシアの笑い声が響く。
「…買いかぶるな。おれにそんな筋合いはねェ。」
「…本当の事を言ってボス…！」
「………。」
ロビンが叫んだ。
「…私達は…サンジーンがどういう男かよく知っているわ！」
「………。」
沈黙
答えを、ゾロシアから得られないと見たロビンは
「…ゾロ…。」
小さな、しかししっかりとした声で息子を呼んだ。
「…なんだ…。」
「…サンジーンの目的は、あなたよ。」
「…！！？」
「そうだ。」
フランキーも吐き捨てる様に言った。
「お前だ、ゾロ。」
「…その通りです。ゾロさん、今、命を狙われているのはあなたです。」
フランキーと、ロビンと、ブルックと。
「……おれ……？」
沈黙が続いた。
サンジですら、事の状況を呑みこめない。
ブルックが言う。
「…サンジーンとは…そういう男なのです…！」
サンジが、信じられないというように首を振る。
「…おい…なんでだ…？そいつが憎いのは親父だろ…？なのになんでゾロを…。」
「…もちろん、ゾロシアは憎い。ゾロシアを一番憎んでいるでしょう。だからこそ、彼はゾロシアを真っ先には殺さない。
ゾロシアが愛している者から順番に…嬲り、いたぶり、苦しめて苦しめて殺すのです。」
「……っ！！」
「そのあなたが、愛し合っているのはサンジさん…。この図式。もうお解かりになったでしょう？」
「そんなはずがあるか！！」
ゾロが叫んだ。そして
「…エレェ迷惑だ！！」
さらにそう叫んだ瞬間、ロビンの手がゾロの頬を打った。
「ゾロ！！」
「！！」
ゾロシアは何も言わない。
ずっと黙ったままだ。
「……ゾロを殺し…そしておれを殺し……親父を…ゾロシアを……苦しませるだけ苦しませて……。」
「その通りです。それが、サンジーンのやり方です！」
「………。」
「…フランキーさんも…ワタシも…そうやってサンジーンが苦しめ屠ってきた人間をどれほど見たか…どれほど…その死体を運んだか…っ！！」
「………。」
「…なのに…サンジーノ様は…許せと…殺すなと…！」
「ブルック…。」
「ワタシがゼフーノ様の命令を完遂できなかったのは…大失態でした！！」
初めて、ゾロシアがブルックを見た。
ブルックがファミリーから追放されたのは、ドン・ゼフーノからの直接命令であった『サンジーン暗殺』を果たせなかったからだ。
サンジーノの懇願に折れ、追い詰め、撃ちはしたものの留めは刺さなかった。
崖から落ちたサンジーンの死体は見つからず、不手際を追及された。
しかし、それがサンジーノの願いで行われた事を、ブルックはついに言わなかった。
崩折れるブルックに、ゾロシアが
「ブルック。」
「………。」
「…おれも殺せなかったんだ。お前だけじゃねェ。」
「ゾロシア…。」
あの鷹の足に、サンジーノの合図が着いているのを見た時、ゾロシアは、あの悪魔の様な男が生きて、舞い戻ってきた事を知った。
密かに調べさせた。
すでに３年も前に、ローマから入国していた。
使っている名が『ゼフーノ・パイヤール』、ふざけている。
自分を殺そうとした実の父の名を、堂々名乗って戻ってきた。
３年
サンジーンが全てを知るには十分すぎる時間。
ゾロシアとサンジーノの間に起きた出来事の全て。
サンジーノの死。
その後の、バラティエの崩壊も、黄猿との抗争も、全て知っているはずだ。
そして
2人の息子の存在も
サンジーンの存在感は、まるでねっとりとまとわりつく、油のような不快感だ。
その感覚を、感じ取るようになってから数カ月。
しかし、その気配がある日突然消えた。
サンジが、コルシカ島へ発つ直前。
その時に、ゾロシアは悟った。
サンジーンの復讐が始まる。と。
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（2011/11/7）
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