稜線の向こうに陽が落ちていく。
以前にここを訪れた時は、ゆっくり夕焼けを眺めるヒマもなかった。
楽しくて、賑やかで。
「……似てるな……。」
「…そうか…？」
ゾロとサンジは、別荘の西側にある、昔は城主の夫人や娘が使っていたという部屋にいた。ブルックも、チョッパーも一緒だ。
その石壁に、さほど大きくはないが、美しい女性の肖像画と、壮年の男の肖像画が掲げられている。
ブルックが言う。
「…ドン・ゼフーノとその奥様…サンジさんのお祖父さまとお祖母さまです。」
「………。」
サンジがうなずく。
チョッパーが
「…ホントだ…この女の人サンジに似てる……て……え？なんでゾロシアの城にバラティエのドンの肖像があるんだ？」
ブルックは、手を後ろに組み、ゼフーノの顔を見上げながら
「…元々…この城は、ゼフーノ様のものでしたから。」
「そうなのか！？」
「バラティエが崩壊した後、財産はあちこちに散逸しました。その殆どは、ゾロシアが手にしましたけどね。」
「………。」
「…あの頃はそれすらも憎い事でしたが…今にして思うに…サンジさんに、正当に継がせる為の乗っ取りだったのだと思います。」
「……そんなもんいらねェのに……。」
「そういう訳にはいきません。サンジーノ様が、必死で守ってきたものです。」
「………。」
ブルックは背中を向けたまま
「…ゾロシア…この絵をこのままにしていたのですね…知らなかった…。」
サンジは笑い
「……ヴェローナにはサンジーノの肖像画があるぜ。」
「そうなのですか…！？」
驚いて、ブルックが振り返った。
「…寝室の奥に、等身大の奴を描かせてある。」
ゾロが奇妙な顔をした。チョッパーも、意外な表情を隠さない。
「…意外にドリーマーだよ…。」
笑いながらサンジが言った。
「……その絵を寝室に入れた時…おれ言ったんだ…。」
３人がサンジを見る。
「…隣に…自分の絵を置けばいいのに。ってよ…。けど…。」
「………。」
「…そんな痛い真似できるかってさ。」
「ぶっ！」
吹き出したのはブルックだ。
「…確かに痛ェな。」
ゾロも笑った。
サンジが言う。
「…だからこうも言ったんだ。父さんが死んだら、ここに父さんを飾ってあげるよ。ってさ。」
「…お前な…。」
「……勝手にしろって言ったから、おれが継いだらあそこに、ドン！と親父の絵を置いてやるって決めてんだ。」
「ヨホホホホホホホホ！！」
ブルックが笑った時、チョッパーが小さな声で
「………多分、そんな日来ないと思うけど。」
「え？」
チョッパーの言葉に、３人が振り向いた。
「……チョッパー？…なんで？」
「なんでもねぇ。それより…サンジのおばあちゃんは…サンジーノが大変だった時…どうしてたんだ？」
「……奥様は……サンジーノ様が３歳の時に亡くなられました…。」
「………。」
「…ゼフーノ様を心から愛し、ゼフーノ様も心から…奥様を愛しておられました…。ですが…コーサノストラの宿命…心優しい奥様は…常に怯えて…。」
「………。」
「……思えば…サンジーンがその心を歪ませたのは…幼い日にお母様の…酷い姿を見た為なのかもしれません……。」
「……酷い……？」
「……暗殺されたのです……。」
「………。」
「サンジーンの目の前で…御兄弟を腕に抱いて…庇って…。」
「………酷い……。」
「……全身に銃弾を浴びて…お美しい顔が…半分吹き飛んでいました……。」
「……サンジーンは５歳でそれを……。」
「……ああ…いけません！！申し訳ない！！忘れてください！！」
「………。」
「その経験だけが、サンジーンの病んだ精神の原因ではありません！！憐れむ事はないのです！！」
「………。」
無残な母親の死。
泣き叫ぶ弟。
その後、ゼフーノは妻を殺した一派を根絶やしにした。
常に、大人の黒い思念の中にいた幼い２人。
「…ゾロさん、サンジさん…ゾロシアも…同じような境遇で育っているのです…
そしてサンジさん自身も、そんな世界を見てお育ちになった。それでも…優しい心を忘れずにおられる。」
「そんな事ねェ…。」
サンジが言った。
「……悪意なんか、いくらだってこの中にあるさ……。けど…。」
「………。」
「…それ以上のもんを…もらってたからな…。」
にっこりと笑うサンジの肩を、ゾロが叩いた。
愛する者を失い、息子の片方と共に暮らす事が出来なくても、ゾロシアはその２人の息子を守る為に生きる事を選び実行してきた。
２人の息子の平穏の為に、自身の地位とテリトリーを守る。
だからこそ、『ドン・ゾロシア』であり続けるのだ。
そうだ
その父の意志を受け取って、おれはヴェローナに残った。
ゾロと共に暮らせなくても、受け取ったたくさんのものを守る為に生きようと決めた。
決して、捨ててはいけない命。
サンジーンが戻った騒ぎの時、ブルックは外出をしていた。
サンジーンの帰宅を知り、兄弟の様子を見にやってきた時、あまりの惨状に言葉を失い、思わず膝をついたほどだった。
「…これは…どういう…？何があったのです！？ギン！フランコ！？」
サンジーノの部屋に通じる廊下に、累々と転がる死体。
その死体を、青ざめた顔で片付けさせられていた若い２人に、ブルックは震える声で尋ねた。
「……サンジーン様が戻られた時…ファーザーが、止めろ、捕らえろと仰られ…。」
フランコが答えた。
「その…結果という事ですか…。」
「……申し訳ありやせん……。」
「…よいのです…お前達は悪くない…。サンジーノ様は？御一緒なのですか？」
「…おそらく…御一緒かと…ですがサンジーン様も…さすがにサンジーノ様を殺める様な事は…。」
ギンが言った。
ブルックは、震える足でサンジーノの部屋に向かい、ドアをノックした。
この静けさ
嫌な予感がする。
「…サンジーノ様…おいでですか？」
「…サンジーン様…そこにおいでですか？」
答えはない。
「サンジーノ様、失礼いたします。」
ブルックは、右手に銃。左手に仕込み杖を握り、ドアノブを回すと、体でドアをそっと開けた。
暗い
「サンジーノ様。」
３室で一部屋のサンジーノの部屋。
入ると小さなエントランスがあり、その奥にリビング。
ゴブラン織りのソファの脇を抜け、マホガニのサイドボードの側を通り、奥の真鍮製のドアノブに手をかける。
次の部屋は書斎。開けたドアの正面にもうひとつのドア。その奥が寝室だ。
「サンジーノ様。」
ここまでの部屋の様子に変化はない。
わずかな乱れもなく、壊れたものもない。
「失礼いたします。サンジーノ様…。」
バロック調の細工の美しいドア。金の取っ手を回し、ドアを奥へと開く。
闇の底の様な暗さ。
だが、部屋の家具の配置をブルックはすでに知っている。
目が少し慣れてくると、そこにある大きな天蓋が、部屋の中央に置かれているベッドのものだとすぐにわかった。
その
天蓋の下。
「………よぅ…ブルック……。」
「…サン…ジーン…様…？」
一瞬
ふたつの黄金の塊が、どんな風にそこにあるのか理解しかねた。
やがて、それがどういう状況で重なっているのか悟った時、ブルックは思わず悲鳴をあげた。
「……サンジーノ様！！」
まるで、息絶えたかのような白い顔のサンジーノ。
目は虚ろで、天を向いたそれはどこを見ているのかわからない。
白い肌は剥き出しにされ、一糸もまとわぬ姿で、同様の姿のサンジーンに羽交い締めにされていた。
「…あ…ああ…あああ…！！」
血まみれのシーツ。
床にまで、赤いものが散っている。
露わになったサンジーノの太ももは、擦りつけられた血の跡に汚れていた。
そして
「サンジーン様―――！！」
「……うるせェな……。」
低い声で言い、ぐい、と腰を突き上げた。
と
「……あ…は…ぅあ…っ…！」
紫色になったサンジーノの唇から、声が漏れた。
ぐぷっ と、繋がった部分から、濡れた淫靡な音が響く。
サンジーノのそれは、何度も無理強いで与えられた快感に、疲れ萎れている。
なのに、それを嬲りながら、サンジーンは腰を突き上げるのを止めない。
サンジーノの体が、ねっとりとしたもので濡れている。
体中に散った赤い花。
どれだけ苛まれたのか想像がつかない。
サンジーノがわずかにあげる声だけが、命を繋いでいる事を報せる。
まるで、死体を抱いている様なその姿。
「………何という事を！！サンジーン！！」
ブルックが叫ぶと同時に、重い銃声が重なった。
サンジーンの手に握られた、ワルサーP３８と、ブルックの手に握られたS＆W。
「……ブルック……。」
「………。」
「…てめェ…おれを撃ったな…？」
「………。」
「……自分が今…何をしたか…わかってんのか…？…なァ…ブルッ…ク…？」
「……私は今…悪魔を撃ったのです！！」
「………。」
「……サンジーノ様を放しなさい……あなたこそ…今何をしています！？」
「………。」
「弟です！！あなたの弟ですよ！！？」
「……ああ…そうさ…可愛い可愛いおれの弟だ……。」
「弟を！！同じ父、同じ母の弟を！！畜生にも劣る行為です！！」
「だったら文句はロロノアのゾロシアに言えよ…。」
「…なんですって…？」
ずる
そこから、ジーンが己を抜く音が、まるで何かが這い出る様な不気味なものに聞こえた。
「……っ……。」
小さく声を上げ、サンジーノがシーツの上に崩れる。
ぐったりと、淫らな姿のまま気を失った。
いや、既に、意識などなかっただろう。
サンジーンはベッドから降りた。全てを晒したままの姿で、何のためらいもなく。
「……ゾロシアがこいつの心を奪おうとしてる……だから繋ぎ止めたんだ…何が悪い……？」
「……あなたは……。」
もう、サンジーンの魂は、生きたままでは救われない。
幼い時、母を失った現場にブルック達が駆け付けた時、サンジーノは血まみれで泣き叫んでいた。
だがサンジーンは…
「………。」
散らばった母の肉片を、無表情な顔で集めていた。
血まみれになりながら、両手を真っ赤にして、どろどろの肉塊を拾い集めるサンジーンの姿を見て吐く者までいた。
だがその姿があまりに無残で、憐れで、悲しくて…。
「…親父がいいって言ったのか…？おれを殺していいと…？」
「…いいえ！！」
「………。」
「これは…私の独断です！！」
「……嘘をつけねェなァ…ブルック…。」
サンジーンが低く笑った。
「……おれからジーノを奪う奴は誰だって殺す……ゾロシアだろうが…親父だろうが……。」
「奥様…！！お許しを！！」
ゼフーノの妻が、命懸けで守った息子。
その息子を
「……ブルック……サンジーンを始末しろ……。」
革のソファに体を沈め、皺を刻んだ手で顔を覆い、かすかに震えながらゼフーノが言った。
「……ゼフーノ様…！！どうか…どうかそれだけは…！！」
ヴェローナのバラティエの屋敷の奥深く、ゼフーノは人払いを命じ、ブルックに告げた。
「…あれはもう救えん…。」
「………！！」
「……ブルック。」
「…はい…。」
「…おれは父親だ…。」
「………。」
「父親として…止めねばならん…。」
「………。」
「お前も…傅役ならば…共に罪を背負ってくれ…。」
「ゼフーノ様…しかし…。」
「…このまま捨てておけば…サンジーノが壊れてしまう…。」
「…それは…。」
「…それしかない…。」
深く身を屈め、跪き、ブルックはゼフーノの足に口付けた。
「……共に……そのお言葉…しかと承りました……。」
その足で、サンジーノの部屋にやってきた。
それから、再びバラティエの本拠地は悲鳴と怒号に包まれた。
サンジーンは再び、脱ぎ捨てた軍服をだらしなく身にまとい、足早に屋敷の中をさらに奥へと進んだ。
さっきまで執着していたサンジーノを、いとも容易く置き去りにして。
その右手に細身の剣、左手にワルサー。
「ギン！サンジーンを…！！サンジーンを止めるのです！！ソルジャー達！！ファーザーをお守りしろォ―――！！」
ブルックの声に、フランコが駆けつけてきた。
飛びこむと、サンジーノの部屋の居間で、ブルックが這いずりながら手を伸ばしている。
「ブルックさん！！」
「…フランコ…！サンジーンを追いなさい！！サンジーンは…ドンを…ゼフーノ様を殺す気だ！！」
「…まさか…！！」
「急ぐのです！早く――！！」
「…へ、へい！！」
喧騒が遠のく。
腕をやられた。両方とも折られた。
「…ジーノ様…サンジーノ様…っ！」
再び、寝室へと必死にいざる。
ベッドの上で、サンジーノは死んだように転がっていた。
「……サンジーノ様……っ！」
答えはない。
「……っ……！」
ガウンを引きずり上げ、なんとか腕を通させた。
「……！！」
酷い…
どんな犯し方をした…。
実の兄に、なんという非道をされたのか。
シルクの掛布をかけてやる。
「…医者を…このままでは…しかし…。……ああ…どうしたら！」
すると
「……ゾ…ロ…シア……。」
「……！！」
小さく、呻くような声に、ブルックは我に返った。
「サンジーノ様…！！」
「……ゾロ…シ…ア……。」
ブルックは息を飲んだ。
「……ゾロシア……？」
「………。」
サンジーノの白い頬に、閉ざされたままの目から涙が流れる。
「…助けて…。」
その時
「うわああああああ！！ファーザー！！」
「ボス―――！！」
叫声が上がった。
「…ゼフーノ様…！？」
気を失ったままのサンジーノを案じながら、ブルックは走り出す。
奥屋敷。
ゼフーノの部屋。
そこへ至るまでの長い廊下に
「！！」
死体と、傷ついたソルジャー。
幾人殺せば気が済む――！！？
「ゼフーノ様―――――！！」
信じられぬ光景を見た。
私室の中央で、うつ伏せに転がるゼフーノ。
血だまりの中で、わずかに動くその右足が
「ファーザー！！」
右足の、膝から先がなかった。
断ち切られた膝から下の部分を、無造作に、無慈悲に、軍靴の足が蹴り飛ばした。
見回すと、ゼフーノを守ろうとしたソルジャー達が、部屋のあちらこちらに吹っ飛んでいる。
ギンも、フランコも。
「…サンジーン…！」
苦痛に乱れる息の底から、ゼフーノが息子を呼んだ。
だが
「…あんたの時代は終わったよ。素直にその椅子、おれに譲りな。」
「…貴様…！」
「…もうあんたを父親だなんて思わねェ。自分を殺せなんて命じる奴を、親だなんてとても思えねェよ。なァ？」
「……サンジーン……！！」
サンジーンは床に伏す父に顔を近づけ、無表情な顔と声で
「Ciao per sempre.Mio Padre.(永遠にさようなら。お父さん)。」
静かに告げると、ワルサーの銃口を父の額に押し当てた。
だが次の瞬間
「うおおおおおおおおおおおおっ！！」
巨体が、サンジーンに体当たりを仕掛けた。
寸での所で襲撃を避けたが、ゼフーノの前に立ちはだかれてしまった。
ソルジャー・カティ・フランコ。
「…なんだ…てめェは…。」
「……それはしちゃいけねェ！！」
「………。」
「…いくら極道でも…親に銃向けるなんざしちゃあいけねェ！！」
「…うるせェな…まったく…うるさくていけねェ。」
「！！」
ゼフーノの前で大きく腕を広げたフランコは、自分に向けられた銃口に固く目を閉じた。
殺される―――！！
が
カチッ
「……は…弾切れか……。」
「……！！」
額に、じっとりした汗を浮かべたフランコは、あからさまに大きく息をついた。
「……運がいいな、てめェ。」
「………。」
「……生かしてやる。感謝しな。」
「…あ…。」
「…てめェ程度の小者…わざわざマガジン(弾倉)とっ替えるほど手間かける事はねェ。」
言い捨て、サンジーンは部屋を出ていった。
軍靴の音が遠くに消えていく。
「………！！」
ゼフーノが、力任せに拳を打った。
そして
「…おおお…おおおおおおっ！！」
仰向けになり、顔を覆って泣いた。
サンジーンは、この小者と見た図体のでかい少年が、その後の運命に大きく関わってくる事を知らない。
バラティエの屋敷から、サンジーンは姿を消した。
しかし
「………ゼフーノの使い？」
ヴェローナのもうひとつのコーサ・ノストラ、ロロノアファミリーの本拠。
ドン・ミホークの屋敷。
アディジェ川の畔にある、美しい屋敷だ。
『鷹の目』と仇名される、もう１人のヴェローナのファーザーは、執務室のデスクで顔を上げ言った。
「はい。ドン・ゼフーノの御子息が…いかがなさいますか？」
「…ふむ…。」
ゼフーノの息子。
そう言えば、上の息子の問題が、コミッションの中でも話題になっていた。
確か、数年前に軍に入れたと聞いた。
となれば
「サンジーノ…か。」
「は…。」
「…例の息子だな。」
「…追い返しますか？…あなた様にお会いしたいと言ってはおりますが、ゾロシア様に逢いに来たとしか思えません。」
「…ふむ…。」
「…まさかここまでやって来るとは…。」
「………。」
ミホークは別の部下に
「…アレはどうしている？」
「…先程まで、剣の稽古をしておられましたが、今はご自分の部屋に戻られているかと。」
「そうか。」
ミホークは立ち上がり
「通せ。」
「…は！」
「…何の用かは知らぬが、話は聞こう。ゾロシアには言うな。」
ミホークが席を立ち、ゼフーノの息子を待たせているホールへ向かう頃。
ゾロシアも、屋敷の中を自分の部屋へ向かっていた。
最近は、ようやく部屋からは出してもらえるようになった。
心は逸る。
サンジーノの顔が見たい。
話したい。
今、どうしているのか…。
玄関ホールに差し掛かる。手に愛刀・和道一文字。
部屋へ上がろうと、ホールから階段室へ入ろうとした時
「…親父…。」
「………。」
吹き抜けのバルコニーの向こうから、歩いてくる父が見えた。
さっきまで平服でいたのに、威儀を正した黒いスーツ姿だ。
少し、眉が歪んだ。
間が悪いとでも言いたげな顔。
「客か。」
「…そうだ…。」
「……部屋に行ってる。」
「………。」
言い残し、そのまま立ち去ろうとした。
しかし
「！！」
玄関ホールに、見慣れた金が見えた気がした。
思わず、身を乗り出しホールを見下ろす。
そこに
「……サン……！！」
ホールに、ひとり立つ白いスーツの男。
スカーフを垂らし、胸ポケットに赤いハンカチを差し。
気配に、男は顔を上げた。
「………。」
サンジーノ
心の中で、一瞬そう呼んでしまった。
しかし
（…サンジーノ…？）
男は、ゾロシアを見上げ艶やかに微笑んだ。
見慣れた金の髪。青い瞳。
(………。)
かすかに鼻をつく
この匂い
違う
これは―――！！
「親父！！逃げろ！！」
「！！」
ゾロシアの叫びと同時に、けたたましい銃声が連続して起こった。
同時にゾロシアの体が跳躍し、ホールに降り立つや白い体に向かって斬りかかる。
「サンジーン！！」
「……はは…よくわかったな！髪形を同じにしたら、ファミリーの人間だって見分けられねェのに！！」
「…サンジーノは…こんな血の匂いをさせちゃいねェ！！てめェの体からは…腐った血の匂いがぷんぷんしてんだよ！！」
ゾロシアの叫びと同時に、部下達が引きずるようにミホークを側の部屋へ押し込んだ。
「ゾロシア…！」
「ファーザー！今はお早く！！」
ゾロシアとサンジーンは、太刀とマシンガンで競り合う。
「てめェ…何をしに来やがった！？」
「…簡単な事だ…目障りなてめェを殺りに来た。」
「…サンジーノはどうした！？」
「てめェには、もう関係のねェ事だ。何も気にする事はねェ。」
「何――！？」
「…てめェはここで死ぬんだよ。なァに…ミホークもすぐに後を追わせてやるさァ…。」
「てめェ…！！」
「……目の上のコブは全部取り去ってやる……てめェが生きてる限り…ジーノはずっと泣き続けるんだ…。」
「…サンジーン…！…てめェ…サンジーノに何をした！？」
「……てめェが消えても…ロロノアって名前を聞く度にジーノが泣く…だから…ファミリーごとぶっ潰してやるよ……。」
「……！！」
その時、ホールのテラスをぐるりと取り囲み、銃を手にしたソルジャー達が、一斉に階下ホールの２人に銃口を向けた。
そして
「バラティエの息子！ゾロシア様から離れろ！！」
だが
「手出しすんな！！これは�犹籠��瓩澄�！」
ゾロシアが叫んだ。
「…バラティエとロロノアのケンカじゃねェ！！これはおれとこいつのケンカだ！！誰も手ェ出すな！！」
ヒュウ！っと、サンジーンが口笛を吹いた。
「…お優しい事だ！！ロロノアのアンダーボスは！！…私闘という事にしてファミリーを守ろうってか？
…まさか…バラティエまで巻き込むまいってか？…はは！！いたみいるねェ…！！だが、いいのか？助けもなしにおれに勝てるか！？」
「勝つ―――！！」
救えねェ。
この野郎はもう誰も救えねェ。
いや、救おうなんざ思っちゃいけねェ！！終わらせるしかねェ！！
サンジーノ―――！！
お前…生きてんだろうな！？
サンジーンは、銃を捨てた。
携えていた、父の足を斬った細剣で、ゾロシアの太刀を受け、いなし、流す。
「…駄目だ…２人が近すぎて撃てねェ！！」
「ゾロシア様ァ――！！」
次の瞬間
けたたましい音がして、ロロノアの屋敷の、豪奢な玄関が吹っ飛んだ。
何が起きたかとソルジャー達が見たものは
「サンジーン！！」
黒塗りの、一台のランチア。
ノ―ブレーキで突入したのだ。
門前から多くの銃撃を受けて来たのか、車体は穴だらけでボコボコになっている。
降り立つや、双発のショットガンをサンジーンに向け放ったのは。
「…ブ…ルッ…ク…。」
銃撃を避け、床に転がりながらも鮮やかに立ち上がり、乱れた髪を払いながらサンジーンが呼んだ。
はぁはぁと荒い息に肩を上下させ、ブルックは銃を構える。
両腕に、応急措置の添え木。
相当痛いはずだ。今も、ショットガンを放って振動をくらっている。
だが、痛みにのたうち回る暇などない。
目の前の、この悪魔を祓わなければ！！
「…てめェも懲りねェ男だな…。いい加減死ぬぞ。」
「…死にません…あなたをこの世から消すまでは！！」
ゾロシアが、ブルックに叫ぶ。
「誰だてめェ！？バラティエのもんか！？」
ブルックは荒い呼吸のまま
「…お初に、ロロノアのアンダーボス。バラティエのカポ・レジーム。ブルックと申します…。ご無礼は百も承知…！ですがどうかご容赦を…！」
「…バラティエのもんが…なんでゼフーノの息子を殺す…？」
「……答えずともおわかりでしょう……！！」
「………。」
「…この男は…もはや人ではない！！」
「…サンジーノは無事か…。」
ブルックが、びくりと肩を震わせたのがわかった。
「サンジーノは無事か！？生きてんだろうな！？」
「………！！」
高い笑いが響き渡る。
「生きてるさ。おれが、サンジーノを殺す訳がねェ。…大事な大事な…可愛いおれだけの弟だ。」
「………何をした……？」
「………。」
「……サンジーノに何をした！？」
「…てめェに答える義理はねェ…。」
「！！」
瞬間、ゾロシアの体が跳ねた。
夜半、ゾロシアの部屋から、チョッパーが出てくるのに出くわした。
包帯を替えたらしく、手に、茶色に滲んだ古いそれを抱えている。
ゾロは、眉を寄せてそれを一瞥し
「ゾロシア…大丈夫か…？」
「………。」
「…何、笑ってんだよ…。」
「ごめん。やっぱり心配なんだなーって。」
「………。」
苦虫をつぶした様な顔で、ゾロは目を逸らした。
「…無茶さえしなけりゃ大丈夫だ！」
「…その無茶がヤベェんだろ…。」
チョッパーは困った顔になり
「そうなんだよなァ…。でも、約束しちゃったからな。」
「…何を？」
「怪我したら、全部治せって。」
「…へェ。」
「笑うな。」
チョッパーは、ゾロを見て
「…ゾロシアに用か？…もう、寝てるぞ？」
「……いや……。」
「…包帯替えてる最中に寝ちゃったんだ。」
「…別に、用はねェよ…。」
「…そう？」
チョッパーは、「ゾロもケガすんなよ」と言い残し、戻って行った。
「………。」
閉じられているドア。
話せ。 と、フランキーは言った。
だが
『今』 ではない…。
ゾロが部屋に戻ってきた時、サンジはベッドに腰掛けて電話の最中で、丁度会話を終えて切る所だった。
「…誰だ？」
「ナミさん。…ママロビンとルフィと…みんなの様子を聞いてた…。大丈夫だって…。」
「そうか…。」
隣に腰をおろし、ゾロはサンジの肩を抱き寄せた。
「…痛…。」
「――！！悪ィ！」
慌てて放す。
「…なんてな。」
ペロッと舌を出すサンジを、ゾロは苦笑いしてまた抱き寄せた。
「……いるな……。」
「…ああ…近い…。」
ヴェローナからコルシカ。コルシカからここへ。
ずっとサンジを追ってきた気配。
「…ゾロ…。」
「…なんだ？」
サンジは、力強く微笑み
「…もう…迷わない…。」
「………。」
「愛してる…。」
「…ああ…。」
サンジも、ゾロの肩に手を回し、力を込めた。
「……お前と生きていく……。」
見つめ合い、キスを交わしてまた見つめ合い。
額を合わせ、互いに目を閉じた。
「………。」
「………。」
再び、目を開いた時。
その眼に宿る光は、つい先程までの濡れた色ではなかった。
同時に立ち上がり、言った。
「行こう。」
「行くぞ。」
同じ頃
眠っていたはずのゾロシアも、目を覚ましていた。
来る
その気配が嫌でもわかる。
ブルックも、愛用の仕込杖のサーベルを手に立ちあがった。
そして、目の前にある肖像画へ
「…ゼフーノ様。今度こそ…終わりにいたします…。奥様…どうか…ゾロさんとサンジさんをお守りください。」
この城は、要塞城だ。
今は単なる巨大な建物でしかないが、ちゃんと要塞であった時の名残は残っている。
外敵は、まず塀や石垣から侵入することは不可能だ。
だがサンジーンには、どんな防御をしても無意味なのだろう。
しかも、この城はもともとサンジーンの父親の持ち物だった。
一度、本当に偶然だったが、ゾロシアはサンジーンの士官学校時代の同輩に話を聞いたことがあった。
士官学校時代のサンジーンは、本当に熱心で、勉強家だった。
礼儀正しく、愛想もよく、まさか、昨日まで「友」と呼んでいた者を殺して脱走するとは思わなかったと話した。
あらゆる知識を吸収し、肉体を改造し、全ての敵を排除する為の潜伏期間だったのだ。
眠る竜の様に水底に潜み、機会を伺い、時を得て本性を露わし嵐を起こした。
そして再び
２０年以上も、どこで何をしていたのか想像に余りある。
おそらくはその殺人の技術で、糧を得ていたに違いない。
さらに力を増して、あの時以上の恐ろしい存在になっているであろうことは想像に難くない。
生き延び、だが何故、サンジーンはすぐにヴェローナへ戻って来なかった？
「………。」
相次いだ２人のドンの死
その後の、ゾロシアとサンジーノの苦悩の日々
「………。」
ゾロシアは、顔を覆った。
どこまで
どこまで歪んだ愛だ
遠くからヴェローナを見つめていたに違いない。
そうでなければ
�燹，△虜△�らいい女だと思っていたんだ。��
サンジーンは、ゾロシアがドンの座についてからの事を知らないはずなのに、何故、ロビン＝ロビータの存在を知っていたのか。
ロビン自身、サンジーン本人を知らない。だが悪評を、娼婦時代に散々噂で聞かされていた。後にフランキーからも漏れ聞いた。
仲間の一人が、街でバラティエの長男坊に声をかけられたが、他の娼婦に横取りされたと話していた。
だが翌日、その娼婦がアディジェ川に浮かんでいたと聞いて、ホッと息をつき、そして震えあがった。
そして同様の目に遭った女は数知れない。
ちなみに、どの女も金髪に青い目であったから、黒髪のロビンは大丈夫だと、よく苦い冗談で言っていた。
だが、サンジーンがどんな事件を起こしても、事件にならない。
当局がバラティエの力を恐れたのか、と誰もが思ったが、バラティエではなく、サンジーン本人を恐れていたと言える。
そして実際、堅気の人間に手を出すほど愚かではなかったので、全てが闇から闇に葬られていったのだ。
あの時のあの言葉は、あれからの事を、調べたから出たというセリフではない。
知っていたのだ。
ゾロシアとサンジーノが、あれからどんな苦しみの中で生きたか。
ブルックが、どんな苦渋と懊悩の中で狂っていったのか。
どんな過程でゾロとサンジが生まれ、交換され、育ち、別れ、今の結果に至ったのか。
サンジーノが、非業の死を遂げた事まで。
全て！！
サンジーノが死んだ時、その原因はゾロシアにはなかった。
だが、サンジーンだからわかるのだ。
サンジーノの死が、ほぼ自殺に近かった事を。
ヴェローナに戻り、ゾロシアに罰を下すのは容易い。
だが、それではつまらない。
この悲しみをぶつけるには、ただそれだけでは飽き足らない。
それに、サンジーノの死を嘆き悲しむその時のゾロシアを殺しては、サンジーノの後を追わせるだけの結果になる。
繰り返すが、それではつまらない。つまらないのだ。
死という鉄槌をくだすには、もっと劇的なシチュエーションが欲しい。
ゾロとサンジという子供の存在はわかっている。
あの子たちを使うのもいい。
だが、あんな弱い存在を消した所でなんの面白味もない。
その後、バラティエは崩壊し、フランコとロビータの裏切りにより、わずか２年でゾロが消えた。
その後、サンジを使っていかにゾロシアを苦しめるか。
ずっと考えていた。
サンジーンにとっては、この上ない楽しい２０年だったに違いない。
ゾロとサンジが出逢い、恋に落ちた時、サンジーンはどれほど哄笑し拱手して喜んだのだろう。
歴史が繰り返され、再び悲劇が始まったと狂気したに違いない。
だから、ヴェローナに戻ってきたのだ。
復讐を始める為に。
ゾロとサンジの恋を知った時、サンジーンは決めた。
最高の幸福の瞬間に、その幸福を奪う。 と
鼻歌が聞こえる。
陽気なカンツォーネ。
Che bella cosa e' na jurnata 'e sole,
n'aria serena doppo na tempesta
Pe' ll'aria fresca pare già na festa
Che bella cosa e' na jurnata 'e sole
Ma n'atu sole,
cchiù bello, oje ne'
'O sole mio
sta 'nfronte a te
'O sole, 'o sole mio
sta 'nfronte a te
sta 'nfronte a te
晴れた日は何て素晴らしい、
嵐のあとの澄んだ空
まるで祭日のようなさわやかな空
晴れた日は何て素晴らしい
だけどもうひと方の太陽
なお一層輝かしい
私の太陽
きみの顔に輝く
太陽、私の太陽
きみの顔に輝く
きみの顔に輝く
夜が来て、太陽が沈みきったとき、
憂鬱がわだかまり始めた。
きみの窓の下に私は留まる
夜が来て、太陽が沈みきったとき。
だけどもうひと方の太陽
なお一層輝かしい
私の太陽
きみの顔に輝く
太陽、私の太陽
きみの顔に輝く
きみの顔に輝く
『'O sole mio（オー・ソレ・ミオ）』 『私の太陽』
イタリア人なら誰もが知っている歌だ。
闇に包まれた城
歌声は、真正面からやってきた。
コツ コツ コツ
石畳に響く靴音。
押し寄せる、禍々しい気配。
「Io non lo considero la buona sera！…ごきげんよう！諸君！」
闇に浮かぶ黄金。
狂った青い目。
「…いい舞台をしつらえたものだ。演出家になれるぜ、ゾロシア。」
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（2012/1/3）
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