BEFORE
「…さあ…ゆっくり…ゆっくり目を開いてください。」
静かな医者の声。
サンジはごくんと生唾を飲んだ。
不安が広がる。
思わず、いつも握っているゾロの手を求めた。
と、すぐに、サンジの指を捉える堅い手が答えた。
「…大丈夫だ…信じろ。」
すぐ側に、ゾロの匂い。
安心できる、低いその声。
サンジは小さくうなずいた。
サンジは数日前、角膜移植の手術を受けた。
「え?ドナーが出た?」
夏の終わり。
今ではすっかり『新婚夫婦』の新居となった離れの庭。
いきなりのゾロの言葉に、サンジは驚いて顔を上げ、ゾロの声のする方を見た。
あれから数ヶ月。
サンジはすっかり体力を回復し、今では当たり前の顔をして、虎吼会の奥向きにデンと居座っている。
いつの間にか、ジョニーやヨサクなどはすっかり懐柔され、『サンジのアニキ!』と呼んで、
場合によってはゾロの命令よりサンジの命令の方を優先させる始末。
元のサンジに戻ってしまえば、根っからの“オレ様”気質。
普段表で肩を怒らせているゾロでも、奥に入ればサンジに頭が上がらないのだから、
ジョニー・ヨサクを始めとする者達が、サンジに従うのは当然のことだった。
それは、今、サンジの膝に頭を載せて、猫のように喉を鳴らしている犬達も一緒だ。
ゾロ以外に懐かなかった犬が、何故かサンジには初めから尻尾を振った。
特に、一番体の大きな
「…おい、“ルフィ”。テメェいい加減にしとけよ。」
ゾロが思いっきり怒気を含んで見下ろすと、ルフィと呼ばれた黒い犬は、
不満そうに「ちら」とゾロを見て、またサンジの足の上でごろんと横になる。
「いい度胸だ!テメェェェ!!叩っ斬る!!」
「犬相手に大人げねぇな。」
フランキーが溜め息をついた。
「それより早く話を進めろ。のんびりしている時間はねぇんだぞ。」
「ん、ああ、そうだな。」
ゾロは、ひとつ咳払いする。
まったく
虎吼会の2代目がこんなんで、この先不安すぎるぜ。
まぁ、女房がしっかりしてっからいいけどよ。
ちなみに、残り2匹の犬の名は、茶毛の混じった方がウソップ。一番体の小さいのがチョッパーという。(為念)
サンジが元気になったとはいえ、傷ついた体と心が容易く癒えるわけではなかった。
強い精神力の持ち主ではあったが、ひび割れたガラスが、元通りになることはないのだ。
その間の、ゾロの献身ぶりは大したものだとしか言いようがない。
その上で、為すべき事もちゃんとしていたのだから、眠る暇さえゾロにはなかった。
初め、周りの誰もがサンジの存在を否定した。
当たり前だ。
それが人間の感覚だ。
だが
ゾロはそれを恥じなかった。
サンジの方も、恥じなかった。
一生共に歩むことを決めた相手として、誰に憚ることなくゾロはサンジを紹介した。
互いの信頼しあう目と、繋ぐ手の力強さを見てしまえば、もう誰も何も言えなかった。
やがて
朝や夕暮れ、サンジがゾロの腕を取り、白杖をついて歩く姿を見ると、人々が声をかけるようになった。
答え、会話し、交わるようになると、誰もが皆サンジをも慕うようになった。
そして
さすがは、2代目が選んだ伴侶
と、受け入れるようになったのだ。
ただひとつ、『あの綺麗な目が見えないのは、本当に気の毒で。』と、人々は同情した。
角膜さえ移植すれば、右目だけは見える可能性があると、最終的な診断が下ったのはつい半月前のことだった。
「ドナーってのは…そういう意味だろ…?」
サンジは眉を寄せてつぶやくように言った。
アイバンクに角膜提供者として登録された誰かが、死んだということ。
「早過ぎねぇか?おれがアイバンクに登録から、まだ少ししか経ってねぇ。」
サンジの問いにゾロが
「片方だけだからな。こういう場合は、意外に早いモンなんだそうだ。」
「ふぅん…。」
「受けるだろ?」
サンジは静かに笑って
「ああ、受ける。」
「よし。ジョニー!!仕度しろ!すぐに出る!!」
「へい!ただいまぁっ!!」
「よし、行こう。サンジ。」
「…ああ。」
当たり前のように、ゾロが差し出した手にサンジは手を預ける。
サンジは、犬たちをそっと避けて立ち上がり、それぞれを撫でてやりながら言う。
「もうすぐお前達の顔も見られるな。留守の間、ちゃんとゾロを守れよ?ルフィ、ウソップ、チョッパー。」
「わんっ!」
力強い返事。
「頼もしいねぇ。」
「けっ。」
「………。」
「…不安か?」
「ちょっとな。……でも、成功すればお前の顔が見られる。…みんなの顔が見られる。」
「……大丈夫だ。信じろ。」
サンジは笑ってうなずく。
ゾロの腕をとって歩きながら、サンジは明るい声で
「テメェがどんなおっさんになってるか、やっと拝めるんだなぁ。」
「ほっとけ!!」
「だってそうだろ?ずりぃんだよ、テメェはおれの男前の顔を毎日拝んでんのに、
おれはいつも一方的に、あんなことやこんなこと、好き勝手されるだけで。」
「一方的に好き勝手!?どこが!?何が!?テメェこそ自分の目が見えないのを理由に散々…!」
「いい加減にしやがれ、アホどもぁ!!!病院に連絡して手術中止にすっか!クラァァ!!てか、すっぞ!!」
瞼が震える。
開くことが恐ろしい。
もし見えなかったら…。
手術前に、角膜が適合せず、見えなかったり剥がれ落ちたりする事もあると聞いた。
「ゆっくり、ゆっくりでいいですよ?」
医者の声も慎重だ。
「大丈夫だ、信じろ。」
言いながら、ゾロの声にもどこか…。
ゆっくりと、サンジは瞼を開いた。
薄暗い部屋。
橙色の小さな明かりが見えた。
医者の白衣が目に入った。
サンジは、それから目を逸らす。
真っ先に見るものは決めていた。
右手を握る手の持ち主へ、サンジはゆっくりと視線を移した。
ぼやけた視界が、次第にはっきりとしてくる。
ダークグレーのスーツ。
緩められた、緑色のネクタイ。
首。
顎。
唇
耳。
その耳に、3つの金のピアス。
頬。
緑の髪。
そして、琥珀の目…。
「………!!?」
一気に、サンジはその目を見開いた。
見える。
ゾロが見える。
ゾロだ
間違いないゾロだ。
想像していたより、なんだかずっとおっさん臭い。
ガタイがすげぇ。
抱かれていて分かっていたことだったが、胸も肩も、ずっと…。
だが、サンジが驚愕したのはそんなことではない。
「ゾロ…!!?」
「見えるのか?見えるんだな!?サンジ…!!」
差し伸べられたゾロの手を、サンジは払い除けていた。
「ゾロ…テメェ…。」
「………。」
ゾロは照れくさそうに微笑んだ。
側にいたフランキーは深く息をつき、医者は、困ったように笑ってサンジを見た。
「…何だよ…!何なんだよ!?その眼帯!!その右眼!!?」
ゾロの右目は、黒い革の眼帯に覆われていた。
ベルトに鋲を打った、かなりワイルドな眼帯だ。
だが、こんな時に、ただのファッションでこんな眼帯をつけるほど、ゾロは酔狂ではない。
サンジは、見えるようになった自分の右目に、恐る恐る手を伸ばした。
「まさか…これ…この目…これ…テメェの…か…?テメェの目なのか!!?」
その問いに、ゾロは憎らしげに笑って
「ああ、そうだ。そいつはおれんだ。」
あっさりと、答えた。
「!!」
愕然と、言葉も出ないサンジにフランキーが言う。
「仕方がなかったんだよ。このスーパーバカが、どうしても自分の目をやるって聞かねェもんでよ。」
「当たり前ェだ。例え角膜だろうと、コイツに誰か他のヤツのパーツが入るのなんざ、我慢できっか!」
「この…大バカクソ野郎――!!!」
叫んで、サンジはいきなりゾロへキックを繰り出す。
ゾロの体が、病室の隅へ吹っ飛んだ。
「サンジさん!!ダメだ!!いきなりそんな激しい運動は…!!」
医者が慌てて止めに入る。
「やめなさい!せっかくの角膜がはがれてしまう!!」
「…っ!!」
「…っはァ…効いた…マジ久しぶりに喰らったな、テメェの蹴り。さすがだぜ、ちっとも衰えてねぇ。」
「バカが!!なんでそんな馬鹿なこと!!なんで…!!」
「なんで?なんでだかわかってんだろ?」
「……う…。」
ゾロは立ち上がり、呆然と自分を見るサンジの体を抱きしめた。
「…ゾ…ロ…。」
フランキーが、医者を促す。
病室に、ゾロとサンジだけが残る。
サンジは抱きしめられながら、両手でゾロの頬を包み、眼帯に震える指で触れた。
「…馬鹿だ…ほんっとにテメェは…バカだ…。」
「そうか?…もしお前がおれならどうした?」
「………。」
「…同じ事しただろ?」
サンジの拳が、力なくゾロの胸を叩く。
何度も。
「サンジ。それはおれの目だ。」
「改めて言うな…。」
「お前の目におれがいる。おれの目が、お前の目になっておれを見てる。」
「………。」
「おれの残った左目と、お前のものになったおれの右目で、これからずっと、同じものを見て生きていく自信はあるか?」
顔を伏せ、サンジはただ肩を震わせる。
長い別々の旅路を越えて、大きな嵐を越えて、やっと再び巡り会った。
共にあるべくして出会い、結ばれ、離れてもなお運命の糸は切れなかった。
この命を、共に運ぶのはお前以外にいるはずがない。
この先にも、どんな嵐が待っているか想像もつかない。
きっと苦しくて、とても直視できないこともたくさん起こる。
それでも
ふたりなら
すべてを分かち合って生きていける、きっと。
ゾロはもう、何も怖れない。
何があろうと、もうこの手を離さない。
こいつとなら、何もかもを斬り捨て、蹴り飛ばして戦える。
共にあってこそ、おれ達は生きていける。
「ゾロ…。」
涙を含んだ声で、サンジが呼びかける。
唇には微笑み。
ゾロも、笑ってサンジの目を見る。
綺麗な目。
まっすぐに自分を見つめる目。
どれ程望み、待ち焦がれただろう。
カーテンの隙間から、夏の夕日が一筋差し込んでいた。
その燈の色に染まるゾロの顔を、愛おしげに見つめるサンジへゾロは
「サンジ。」
「…何だ?」
「…おれに手紙を書いてくれるか?」
「………。」
「今度はちゃんと答える。」
「………。」
うなずき、サンジは笑いながら
「…今更、何を書けって…?」
憎らしい言葉に、ゾロも負けじと
「久しぶりに見た、おれのツラの感想文。」
小さな笑いが交わる。
やがて、サンジが白い歯を見せて、言った。
「…ほんっとにテメェ…おっさんになったなぁ…。」
「…言ってろ…。」
END
(2007/7/13)
BEFORE
…かなで様
いかがでしたでしょうか?
ジェットコースターにならなくてすみません(平伏)
基本的に、ヤツラを苛めるのは好きなので(ぅおいっ!)
とっても楽しいリクでした。
感想などいただけましたら嬉しゅうございます。
今後ともよろしく…。 (ぱた拝)
Dear freind-TOP
お気に召したならパチをお願いいたしますv
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