　華の名前（3）　

牡丹の頃が終わる。ゾロはホッと息をつく。だが今年は、牡丹が終わっても気が休まらなかった。牡丹の後に、いや、ほぼ時期を同じくして、今度は藤の花が咲く。あれから、社長ロジャーはまた社を留守にしたようで、姿を見なくなった。花の時期が盛りになり、緑が濃くなり始めると、細々とした仕事の依頼が入るようになる。剪定や、樹の手入れ、庭の手入れ、そして草取り。ゾロは、庭木の手入れには手を付けないが、職人が嫌がる様な一般家庭や道路などの雑草取りには進んで出かけていく。あいつ、サンジとの電話でのやり取りから1週間が過ぎた。その日、ゾロが赴いた家の庭にも、紫色の藤の花が咲いていた。黒龍藤だ。紫が濃い。あまり、いい手入れをされているとは言えないな…。あいつ諦めてくれただろうか今朝、レイリーの方から「話したか？」と聞かれた。首を振った。あれから、どうしてもまた電話をする気にはなれなかった。レイリーは咎めず、「そうか」とだけ言って、それ以上何も言わなかった。その日の仕事場は少し遠方で、ゾロが海王園に戻ったのは午後7時に近かった。外はまだ薄明るく、まだムクドリも鳴いていた。鞄を肩にかけ、事務所を出ようとした時　「……！！」携帯が鳴った。ポケットから取り出す。液晶に表れた番号　『080××××3232』　「！！？」サンジだ…。どうして、携帯…。かなり、長い時間鳴っている。諦めろ　諦めろ握りしめながら何度も念じた。だが、音は鳴り止まない。すると　「着拒すんなら、留守電切り替えりゃいいじゃん？」声に、思わず振り返る。事務所の引き戸に手をかけ、もたれるように覗き込みながらニヤッと笑った。　「…エース…。」　「…よ、久しぶり。…出たら？」　「………。」ロジャーの息子、エース。父親がいないのを見計らって顔を出したのだ。病弱な母が、気になるのだろう。　「彼女か？出ねェと収まりそうにねェな？」　「そんなんじゃねェ。」母親と同じそばかすの頬を緩ませて、エースはまた「どうぞ？」とゾロを促した。仕方がない。　「………。」　『……おい、せめて〝ロロノアです〟くらい言えねェの？』　「…てめェ…なんでおれの番号知ってんだ？」　『…はァ…？』　「誰に聞いた？レイリーか？」ぶっ！笑い声が聞こえた。　『…あのさ？まさかと思うが…〝着信履歴〟って知らねェか？』　「あ？」　『お前さん、ちゃんと番号表示させてかけて来たじゃねェか。』　「はァ？」　『こっちにちゃんと、てめェの番号は残ってんだよ。ちなみに登録名は〝ロロノア・コケ頭・ゾロ〟だ。』　「てめ！！」ゾロの表情の変化に、エースが思わず頬を緩めた。　『満開だ。』　「！！」ただ一言、サンジは言った。　『…今、満開だ。』　「………。」　『…来ないか…？』躊躇いがちな声。　『最後になるかもしれない。』　「………。」　『来てほしい。』　「…おれは…。」　『見てほしいんだ。』　「………。」　『頼む…見てくれるだけでいい…見て…やってくれ…。』ふと気づくと、エースが興味津々の笑顔でゾロの顔を覗き込んでいる。相手が女の子だと思い込んでいるのか、口パクで「うん、って言え！いけ！」と言っている。ウザイ　『…頼むロロノア……ぶっちゃけ……てめェの躊躇なんかおれはどうだっていいんだ。』　「…あァ？」電話の向こうで、サンジは自嘲するかのように笑った。　『…おれが…後悔をしたくねェ…。』　「………。」　『…やるだけの事をやった…頼む…おれを納得させてくれ…。』　「………。」　『てめェを説得できなかった。やってくれる樹医を…職人を見つけられなかった… 　おれの力が足りなかった…できる限りのことをおれはやった…納得…してェんだ…。』深いため息が、直に耳にかかるようだった。　『最後の花を見てやってくれ…それを望むくらい…いいだろ…？』心の奥底に木々を愛する心は残っている。当然だだから樹医になったのだ最後の華　「…わかった。」ゾロの答えに、大きく息を呑み、深くため息をついたのがわかった。　『…ありがとう…。』ゾロは、黙って電話を切った。切った瞬間　「急いで行ってやれよ！車、貸すぜ。」　「………。」興味津々といった顔で、エースが手にしたキーをチャラチャラ鳴らす。　「…明日まで借りていいか？」　「明日まで？…あー…まぁ、いいか…彼女んち遠いのか？遠距離恋愛？」　「遠方だが…女じゃねェよ…。」　「ずいぶん深刻そうだったぜ？」　「………。」答えないゾロに、エースは笑って息をつき車の鍵を渡した。　「レイリーんトコに駐めてある。」　「ありがとう。」行こうとして、ゾロは脚を止め　「…副社長とルージュさんに、明日休ませてくれって言っといてくれねェか？」　「いいけど？欠勤理由は？」　「…T県に行くと言ってくれれば、レイリーさんは分かるはずだ。」　「T県！？おい！T県まで行くのかよ！？行けんのか！？　お前ェ極度の方向音痴だって有名だぜ！？」エースが声を上げた。仏頂面でゾロが言う。　「ナビついてねェんか？」　「ついてねェよ！んなもんつける金があったら米を買う！！」　「………。」父親に逆らわなきゃお坊ちゃんで、食うに困る事もないだろうに。そう思ったが言わなかった。エースは少し考え、言った。　「…わかった。一緒に行く。」　「あ？」　「ちょっと待ってろ！今、お袋に言ってくる！」ゾロの手から鍵をひったくり、エースは母屋へすっ飛んで行き、しばらくして戻ってきた。しっかり上着を着、スリングバッグを肩にかけ　「よし、行くぞ！」　「…なんでてめェ迄…。」　「どこかで迷って事故られちゃたまんねェんだよ。心配じゃねェか。」　「…本音は…？」エースは、苦虫を潰したようなゾロにニカっと笑い　「好奇心。」　「もう、いい！！電車で行く！！」　「ウソウソウソウソ！！連れてってくれよ！！尾田の九尺藤！おれも見てェんだよ！！」　「なんで藤の件だって…！！」　「お袋が言ってた。T県ならきっと藤の樹だろうってよ。」　「…う…。」　「一緒に連れて行ってやりてェけど、あんま調子よくなさそうだ。今回は我慢するってよ。」　「………。」来年、あの花が咲くことはないかもしれない…。　「行こう。」　「………。」興味津々行く気満々。明らかに、久しぶりにワクワクしてますという笑顔。仕方がない。エースの運転する車で海王園を出たのは、夜の8時近かった。出ようとした時、ルージュが「お弁当！」といって、急ごしらえだが握り飯を持たせてくれた。　「いってらっしゃい。」儚げな笑顔が、なぜかアイツのそれに重なって見えた。エースの車は軽のワンボックスだ。長距離移動向きの車ではない。高速道路の走行車線を、生真面目すぎるほどの一定速度で北上していく。夜中になると、大型の運送トラックが多くなってきた。　「あ～、眠くなってきた…なァゾロ、次のSAで代わってくれ。」　「…ァ、あァ…。」　「…静かだと思ったら寝てやがったか。」　「………。」エースは、ドリンクホルダーからアイスコーヒーを取り、ストローでひと口吸った。　「…あー氷溶けちまって薄っ…なァ…ゾロ…。」　「…ん…？」　「…お前さ…ウチ来ねェか？」ゾロはエースの顔を見た。エースは、真っ直ぐ前を見ている。　「…白髭(びゃくぜん)園にか？」　「…あァ…。あんなクソ親父より、白ひげの親父の方がよくしてくれるぜ。」　「………。」　「考えてくれよ。」　「…おれはもう樹医じゃねェ。」　「樹医をやることはねェ。ただの職人なら…構わねェだろ？」　「…おれは…あそこでいい。」　「…そうか…。」　「…あんたこそ…戻ってこねェのか？」　「誰が帰るかよ。」　「………。」互いに、この話は平行線だと悟り、黙り込んだ。サービスエリアまで1キロの表示。休憩し、給油し、また休憩し、T県に入ったのは4時ごろだった。最寄りのインターチェンジで高速を降り、コンビニで場所を聞き、S市尾田町へ向かう。　「高速降りてからもこんなに走ると思わなかったな～。」　「………。」　「…口数少なくなったなァ…。」エースも当然、ゾロが樹医を辞めた理由を知っている。そして、それを惜しいと思っているひとりでもある。　「…怖いか？」ゾロの頬が、ピクリと震えた。前を向いたまま、エースは穏やかに言う。　「…怖いのは…まだ自分が捨てきれていねェからだ。」　「………。」　「…まだ、海王園にいるのは…いてェのは…。」　「…そういうあんたもじゃねェのか？」　「…おお、逆質か？…ハハハ…どうだろうな…。」薄暗い田舎道。この通りに入って、初めて車とすれ違った。ヘッドライトに、2人の顔が浮かんで消える。　「…わかってるよ…親父が…すげェ野郎だってのは。」　「………。」　「…だから…一緒にはいられねェ…。」ロジャーという男には邪気がない。多くの人がロジャーに魅かれ、集い、そのあらゆるわがままを許してしまうのは、あの男の特異な魅力。やはり息子だ。エースはそれをよくわかっている。父親の側にいたら、自分がダメになる事を。東の稜線が、薄い紫に染まり始めた。夜明けが近い。「ようこそ！緑豊かな尾田へ！」の看板を見送った。ドクン心臓が鳴る。見たくない見たい　『最後の花を見てやってくれ…それを望むくらい…いいだろ…？』声が甦る。見たくない見たくない見てしまったら見てしまったらドクンドクン　「…お。看板があった！」エースの声に、思わず顔を上げた。彼らの車以外に車影はない。スピードを緩め、エースは看板が示す方向を指差し確かめた。田舎の町ウィンドウを下ろす。草の香りが鼻をつく。「九尺藤へおいでのお車はこちらの駐車場をご利用ください」と書かれた、即席の看板が現れた。なるほど、軽自動車でさえすれ違えそうにない狭い畑道。草を刈りとり、カンタンに縄で区画を敷いた駐車場の隅に、エースは車を停めた。まだ暗い中、車を降りる。さすがにまだ、見物客もいない。矢印に従い、畑道を行く。 2人の足音に混じり、山鳥のさえずりが降りてくる。ドクンドクンわかる確かな花の香り。ここまで薫る。どれほどの樹だ…。今ならまだ引き返せる。今なら…。鳥の声　草の匂い　澄んだ山の空気　遠くに聞こえるせせらぎの音ああいい所だこんな場所で愛され護られてきた樹視界が突然開けた開けたそこに高速道路が通るという持ち主の老人は、もう諦めたというだがそれでもあの男はサンジは諦めたくないというその理由をゾロは一瞬で理解した。　「…こいつァ…。」沈黙の後、ため息と共に言ったのはエースだった。華華藤の、白い薄闇の中まるで、真珠が零れるようにぶるっと、ゾロは身を震わせた。白い雫のひとつひとつが、自分の肌を撫でるような感覚。そして　「………。」　「………。」雪の様に降る花のシャンデリアの下　「……待ってた……。」微笑んだ白い顔が、静かに言い笑った。　「………。」ゆっくり歩いてくるサンジは、白いシャツを身に纏っていて、本当に花に溶けるようで…。　「…お前…まさか夕べから…？」サンジは首をかしげて　「まさか。」と、笑った。　「けど…あれからすぐに出てきてくれたなら…そろそろ着く頃だと思った。―――だから。」笑顔が花に溶けるようで… だめだヤバいヤバいエースが居なかったら、目の前の体を抱きしめてしまったかもしれない。全てを堪えるには、その花は、樹はあまりに見事で、樹の命全ての力を注ぐかのようにゾロへ　『ようこそ』と、歓迎の言葉を告げてくる。かすかに吹く風が、ゾロの頬を撫でた。その頬に　「…泣いてくれんのか…嬉しいねェ…。」白い手が、ゾロの頬に触れる。　「ありがとう…来てくれて。」　「………。」　「…じいさんに声をかけてくる。年寄りだから…もう、そろそろ起きる。」突き動かされる。心の壁が、穏やかな声に崩される。空が明るくなってくる。陽の光に、花が輝き出す。樹齢180年広さ280畳、『尾田の九尺藤』正に真珠の天蓋　「…すげェな…藤の樹でこの太さの幹は見たことがねェ。」エースが言った。我に返り、ゾロは拳で目を擦る。サンジが　「どちらさん？」　「ああ、失礼！こいつの友達だ。」　「…海王園の？」エースはわずかに眉を寄せながらそれでも笑い　「白髭園だ。」　「…エドワード・ニューゲートの？」　「お、親父を知ってんのか？嬉しいねェ。」　「そりゃ…国風展や作風展の常連だからね…。」　「へェ、若いのに詳しいな。」　「…植木を齧ったら、そのくらいは…。」と、ゾロが苦い顔をしながら　「…おれはてめェと友達になったつもりはねェ。」　「あ。ゾロたん冷たい。てか、おれが居なかったら、てめェ今ここにいねェだろ？」サンジが「あ」と声を上げ　「あんたが説得してくれたのか？」エースはきょとんをした顔でサンジを見　「いや、おれは何も？ココに来たのはこいつの意思だ。おれは単なる野次馬。見たかったんだよ、この樹を。　…いやァ…噂にたがわぬ凄まじさだ…これが無くなるのは勿体ねェ。」　「…そうか…。」　「………。」ゾロとサンジは、同時に樹を見上げた。無数の花房が、空間の感覚を狂わせる。まるで、次元の違う別の世界にいるかのようだ。その時　「…サンジさん？」声に、3人は振り返った。藤の簾の向うから、背の高い、豊かなアフロの痩身の老人が立っていた。手に杖。早朝だというのに、きっちりとした身なり。　「じいさん。」サンジが言った。この土地の持ち主、ブルックという老人だ。ブルックは笑いながら　「早いですねェ、サンジさん…声が聞こえたので来てみました。こちらはどなたです？」穏やかな優しい声。サンジは祖父の腕に手を添えながら　「紹介するよ。話していた樹医のロロノア・ゾロ。」その言葉に、ゾロは思わず口を開きかけたが　「初めまして！おれはポートガス・D・エース！朝早くから申し訳ない！」エースに遮られ、「樹医」を否定できなかった。　「…おおお…！ロロノアさん…！ゾロさん！初めまして！あなたが…！！」嬉しそうにくぼんだ目を細めて、手を差し出された。骨のように細い指、差し伸べられて、握らない訳にはいかなかった。ゾロはエースをぎろりと睨んだが、エースは素知らぬ風でブルックと握手を交わしていた。エースが名乗った『ポートガス』は母・ルージュの旧姓だ。もちろん戸籍上は『ゴール・Ｄ・エース』だが、中二病を患った思春期の頃からこちらの名を名乗り続けているらしい。　「サンジさん。こんな所で立ち話では申し訳ない。　母屋へどうぞ？朝ごはんもまだでしょう？よろしかったらご一緒に！」　「いや…おれはもう…。」ゾロが言いかけたが、エースが　「いやぁあ！！助かる！！夕べから握り飯だけで、腹減ってしょうがなかったんだ！！　いやあああ！ありがたい！！遠慮なく！！」誰かをぶん殴りたいと、今以上に思ったことはかつてなかった。ブルック老人の家は広大だった。藤を見に来る見物客の車用の駐車場も、この家の敷地の一部であるという。今の季節は朝から近在の人たちがボランティアで交通整理をしてくれるそうだ。ゾロ達が朝食を終えた頃、市民ボランティア数人が「おはようございます」と声をかけていった。　「1日…どのくらいの人が来るんだ？」エースがサンジに尋ねた。　「…おれもじいさんも数えたこたねェが…ボランティアの人の話だと、満開になった3日間で1日2000人だそうだ。　もっとも私有地だからな、解放しているのは10時から3時まで。それ以上は開けていられねェ。」　「なるほど…そりゃ希少価値だ。」　「…今年は…最後かもしれないって噂とネットでの書き込みで…数はもっと増えてる。　駐車場を閉めてからも入って来ようって輩が多くてよ…。」ゾロが　「…駐車場開けっ放しだったぜ？」　「ああ…それは…お前が来ると思ったから。おれが起きてから開けた。」　「…確信してたのか？」サンジは笑い　「電話でわかったって、言ってくれたじゃねェか。」　　「………。」　「それにしても、あんたの飯美味いなァ！！お替りしていいか？」エースが、サンジに飯碗を差し出した。ふと思う。エースの野郎、さっきからおれとサンジの会話に口を挟んでいないか？　「ヨホホホ！お口に合ってよかった！サンジさん、私にも牛乳を。」　「了解。…ゾロ、お茶は？じいさんは紅茶だけど？」　「…ああ…同じでいい。」　「ん。おれも！」聞かれてもいないエースが答えた。陽が、食堂を明るく照らし出す。窓の外の藤の花が白く反射するせいで、まぶしい程の陽の光だ。エースが　「…しかし…想像していた家と全く違ったんでびっくりした。　樹齢180年の樹のある田舎の家だっていうから…もっとこう… 　茅葺屋根みたいな豪農っぽい家を想像してた。すげェ洋館だ。」天井を見上げながら言った。クリーム色の天井。四隅に鳩のレリーフ。食堂に続くリビングの奥に、煉瓦でこしらえたマントルピース。　「ヨホホ…昔、ここはある企業の迎賓館だったのです。　ヒロサワマテリアルの前身、廣澤鉱業が所有しておりました。」　「へェえ！ヒロサワマテリアルって、おれでも聞いたことあるぜ。　じいさんは、その会社の社長かなんかかい？」エースの問いにブルックは笑い　「ヨホホホ！とんでもない！！私は、ヒロサワマテリアルとは何の関係もありません！！　戦後、財閥解体の折に、私の祖父がこの土地と建物を買い取ったのです。　私は祖父の代から農業一筋ですよ！ヨホホホホ！」　「へェ…買い取ったって…そりゃあまァ金持ちのじいさんだったんだな。」ブルックはふと遠い目を見せ　「いいえ…決して豊かな暮らしではありませんでした… 　働き者でしたが、決して華美な暮らしを望んではおりませんでした。　廣澤鉱業の銅鉱山で働いていた鉱夫だったのです。　莫大な借金ではあったようですが、戦後の混乱期、廣澤鉱業が廃業した時の相場…。　私が生まれる頃にはもう借金はなくなっていて、農地を増やせていたようです。　ちなみに、ブドウを育てております！ヨホホ！」サンジが、ゾロの前に紅茶のカップを置いた。芳醇な香りが立つ。　「…ありがとう…。」　「………。」サンジは、にこりと微笑んだ。エースが　「すげェ上昇志向の高い爺さんだったんだな？　でなきゃ、こんな家…借金してまで買いやしねェ…。」　「いいえ。祖父がこの家を手に入れる事を望んだのは…理由があったからです…。」ゾロとエースの目がブルックを見た。サンジが、ブルックの向かい側に腰を下ろす。遠くで車の音がする。少し外がにぎわい始めた。サンジが言う。　「…それが…あの藤の樹だ…。」　「…え…？」ブルックがうなずく。　「祖父は…この地で運命の相手と出会ったのです…。」　「………。」「ヒュゥ」とエースが口笛を吹いた。そういえばこの藤の話をネットで検索した時に、そんな話を拾った気がする。　「…ですが、祖父は穴の中で泥まみれで働く鉱夫。　相手は…ヨーロッパの貴族のお子であったと聞きます。」　「……うぉう…。」　「黙れ、エース。」ゾロの一喝に肩をすくめ、エースはサンジを見て笑った。　「鉱山技術者の家族であったとも聞きますが…どちらにせよその方は… 　日本に来て初めて…藤の花を見たのだそうです。そして、　滞在するこの迎賓館の土地にあったあの藤を…大層愛されたとか…。」　「………。」　「…叶うはずのない身分違いの恋です…密かに会い…言葉を交わし　…わずかに触れるだけの逢瀬を…あの藤が…ずっと見守っていました…。」紅茶をひと口含み、飲んで、ブルックは息をつく。　「…悲恋一直線な恋の始まりだな…。」懲りずにエースが言った。ブルックはうなずき　「そうです…祖父はその方と結ばれることはなく…別離を迎えました…。」　「………。」　「私が子供の頃…あの藤が咲くと…祖父がその下に立ってじっと花を見上げているのをよく見ました。」　「…ロマンチストだな…しかし…そんなんで、あんたのばあさんがよく怒らなかったもんだな？　かつての恋人を忍んで借金してまで家を買い取って、藤の下でかつての恋人を忍ぶなんてよ。」エースの言葉にブルックは笑い　「私の父は、祖父の養子です。祖父は生涯独身でした。」　「……おっと……。」　「…その方への愛を…祖父は生涯捨てませんでした。」　「………。」チラ。と、ゾロはサンジを見た。わずかな視線をサンジは捕らえ、ゾロを見てわずかに唇を上げた。　「私の父は小作人の子で、身寄りがなかったのだそうです。　ですが、祖父は実の子同様に厳しく愛情を持って育ててくれたと言いました。　もちろんその息子の私も、本当の孫の様に…ですから…。」ブルックはステッキを頼りに立ち上がり、吐き出し窓から見える藤を見つめながら　「……あの樹の下に…今でも見えるのです…祖父が…。」　「………。」　「…私が逝ってから後…あの樹が伐られるというのなら、それはそれでいいのです。　それもあの樹の運命でしょう…この土地が栄える為の事業を、私は止めようとは思わない。　ですが…せめて…私が逝ってからにして欲しかった…。」　「………。」　「…もう少し…もう少しですのにねェ…どうにも待っていただけそうになくて　…そんな時に…サンジさんが…あなたの話を…。」　「………。」ゆっくりと振り返り、ブルックは言う。　「…無理なのですね…あんなに大きいのですものねェ…わかっています…もう諦めもつきました…。　こんな所まで来ていただいて…本当に感謝しております。どうもありがとう。」深々と耐えきれずゾロは立ち上がった。立ち上がり、そして　「………。」藤の樹の下に、今でも見えるのです。恋人を想う、祖父の姿が。風が吹いた。花房が、鈴のように揺れた。ブルックの脇をすり抜け、裸足のまま、ゾロは吐き出し窓から地面に降りた。まっすぐ藤に向かい、太く捻じれ、絡み合った樹の幹にゾロはそっと手を触れた長く生きた樹熱く深い思いを受け止めてきた樹ずっと、その声を聞くことを拒んできた。聞こうとしなかった。聞きたくなかった。聞けばまた心が突き動かされるあの弱った牡丹「白蘭清風」の声を、おれはついに聞いてやれなかった。驕った心が、声を届かせてくれなかった。サンジが、ブルックの腕に触れ、やはり裸足のまま降りて行った。　「…あ…。」ブルックが小さく声を上げた。白い天蓋の下　「…じいちゃん…？」木の下に立つゾロの姿が、なぜか懐かしく…。もう少しもう少し咲かせてくださいもう少しあと少しだけまだ咲いていたいのです　「………。」　「………。」　「……あんな話で動くと思ったら大間違いだ。」　「………。」　「死んだ人間の思いで…勝手に動かされて喜ぶ樹なんざいやしねェ…。」　「………。」　「………。」　「………。」　「……だが……。」　「………っ？」　「……咲きてェって叫んでる……。」　「………ゾロ……。」　「…もう一度咲く為に…てめェ戦えるか…？」　「………。」　「…戦う気があるってんなら…戦ってやろうじゃねェか…！！」両手の拳で、ゾロは藤の樹の幹を力任せに殴りつけた。大樹に対し、それは大きな衝撃ではない。なのに　「…え…？」エースも、ブルックも、思わず身を乗り出した。白いシャンデリアが、風もないのに大きく揺れ、うねった。　「……よし！！」ゾロが叫ぶ。同時に、サンジの手が、ゾロのその拳を握った。力任せに幹を殴りつけた。両拳に血が滲んでいる。　「……ゾロ……！！」　「…ったく…この野郎…これが狙いだったかよ…！！」自分の目を睨みつけながら叫んだゾロに、サンジは　「ハマってくれてありがとう。」　「てめェ！！」怒鳴りながらも、声に怒りはなかった。サンジは握ったままのゾロの手に力を籠めて　「…信じてた…。」　「………。」　「お前の心は死んでねェって…。」　「………。」　「…お前なら…やってくれると信じてた…。」　「………。」　「ありがとう…。」　「………。」ヤベェだめだ泣けてくるゾロが、そう思った瞬間　「！！」白い腕が、ゾロの頭を抱えて肩に引き寄せた。耳元で、優しい穏やかな声が言う。　「…泣いていいぜ…。」　「………。」　「…意地を張っていたとは思ってねェ…よく…耐えたな…。」　「………。」　「…『白蘭』は…あの牡丹は…お前を恨んじゃいねェよ…。」　「………。」　「…だから…。」ガキじゃあるめェしエースの行動の子供さ加減を心の中でバカにしていたが、ゾロもまったく同じだ。誰かに誰かに、言ってもらいたかったのかもしれない。「おまえのせいじゃない」と。情けねェ　「ありがとう…ゾロ…決心してくれて…。」　「礼を言うのはおれの方だ。」ゾロの腕が、サンジの背中に回る。　「…とんでもねェな…てめェは…。」　「………。」「へへ」と子供のように笑ったサンジの顔は、花びらが舞うように美しかった。 (続) 　　 NEXT BEFORE 　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　（2013/6/26）華の名前‐TOP NOVELS-TOP TOP