「秋に藤を移植する?バカ言ってんじゃねェ。」 ゾロの提案を、真っ向から斬り捨てたのはやはりエースだった。 ブルック邸夜10時。ゾロの部屋。 缶のままビールを仰ぎ、ベッドに腰を下ろしたゾロは、 ライティングビューローの椅子に腰かけたエースを睨みつけた。 突然、ゾロが9月に移植を行えないかと言い出した。 だが、夏の環境を越えた疲れ切った大樹には、あまりに過酷な試練だ。 「プロの提案じゃねェなァ。」 「わかってる…だが、雨の多い内にあそこに持ってきてェンだ。」 「…緩やかとはいえ傾斜地だからな…保水力に不安があるか?」 「下が古墳だぞ?埋設保存だ。石室もそのまま残る。」 「…あの場所にこだわるのか?あの下の平地に持ってくるわけにはいかねェか?」 「…それも考えたが…谷が深い。陽があたらねェ。」 「……ふぅ…だな…。」 エースは、残ったビールを一気に飲み干して 「なァ、本当ならどうしたい?」 問いに、ゾロは 「………。」 エースから目を逸らしたまま、しばらく答えなかった。 「言っても仕方がねェ。」 「言えよ。」 「言うか。」 「言うだけはタダだぜ?」 「………。」 エースは意地悪気に笑い 「ゾロ、お前…あの藤を中心にして起業するつもりだろ?」 「………。」 ピクン、と、ゾロの肩が震えた。 「ま、わかるぜ?ボランティアじゃねェンだ。 この移植が成功しようがしまいが、骨のじいさんとサンジには、莫大な借金が残る。」 「………。」 「普通に働いてちゃ返せねェ。 …藤の樹を呼びものにして、観光公園にするつもりだろ?」 「………。」 図星を指すと黙り込む。 「サンジは承知してるのか?」 「…サンジも同じ考えだ。」 「あー…そう…もう、確認済みってワケ?」 その時 ゾロの顔が真っ赤に染まった。 「確認済み」という言葉に、激しく反応したのだとわかる。 そういう意味ではないのは分かっていたが、ゾロは思わず反応してしまった。 それを見逃すエースではない。 「告ったのか?」 「ってねェよ!!―――っ!?」 「あっはっはっは!!」 手を叩いてエースは笑ったが 「!!?」 次の瞬間、エースの手がゾロの襟首を掴んでずぃっと顔を寄せた。 「……おいおい…虫が良すぎやしねェか?」 口調は穏やかだが 目が笑っていない だが、ゾロも負けてはいない。 「……まさかこれで、手を引くとか言わねェよな?」 「言うかよ。んな、みっともねェ。第一親父にそんな事言ったら殺されちまう。」 エースが手を放すのを待って、ゾロは襟を直しながら 「…言うつもりはねェよ。」 「なんで?」 「…なんでって…。」 厳しい目をしていたエースが、途端にそばかすの頬を緩めながら 「男同士だからって?」 「…当然だろ…。」 「へェ、ロロノア・ゾロは、世間の目とか一般論とか常識に、こだわるような男だったか?」 「………。」 エースは直に床に胡坐をかき 「……難しいと言われた移植を成功させてきたのは、 常識破りのやり方を押し通したからだろうが。」 「………。」 「…ま…おれも引く気はねェぞ?」 「………。」 「いつだって機会は狙ってる。」 「………。」 「…本気で欲しいと思ってる。」 「……ルージュさんに雰囲気が似てるよな。」 怒るかと思ったが、エースは笑い 「男はみんなマザコンさァ。」 言い放った。 そして 「話を戻すが。」 エースはそこで、サンジの話を終えた。 ゾロもひとつ、息をつく。 「あの場所はムリだ。」 エースが言うと、ゾロはまた大きく息をついた。 「だが、観光公園にするなら絶好の場所だ。」 「藤は強いが、あそこの土には保水力がない。 藤は水をやたら食う。土壌改良するならなおさら秋はムリだ。」 「わかってる…!!」 少し、声が大きかった。 もう休んでいるはずのブルックの部屋に、届いたかもしれない。 声を落としてゾロは言う。 「…平坦な場所に藤を持ってきても陽が射さない。特に東側の崖が邪魔をしてる。」 「…だよなァ…ほんの1メートルほどの幅でいいんだが…。」 「削るにはまた金が要る。市の許可も降りるかわからねェ。」 「うーん…。」 過去、ゾロが多く関わってきた大規模移植の仕事は、ほぼ全てが公の事業だった。 わりと公共事業はどんぶり勘定で、ゾロの無茶なゴリ押し提案もなんとか対応するだけの能力もあった。 だが、今回の藤移植はほぼ個人事業。 人のよさそうなフランキー市長からも、市が移植に出す金は、 これ以上はないものと思ってほしいと言われた。 「要はあれだ…成功すればのるが、失敗すれば知ったこっちゃねェとそっぽを向く。 市長にはその保証が要る訳だ。」 エースが言った。 「説得できるだけの材料が少なすぎる。」 「だよなァ…。成功する保証はねェ。」 「………。」 「だからこそ…焦っちゃならねェ。」 「………。」 「…秋はムリだ。」 高速道路の起工予定は来年2月と通告された。 その為に、ブルックたちに年内いっぱいで立ち退いてほしいと言ってきた。 代替えの住宅の候補も、何件か提案されてきている。 公の事業であるから、引っ越しや建物の取り壊しは全てやってもらえる。 しかし藤はきっちり12月末までに移植させねばならなかった。 ゾロが、図書館に行ったのは、過去10年のこの一帯の天候を知る為だ。 予想通り、この地は冬の乾燥が激しく風も強い。 藤は水分を必要とする樹だ。雨の多い時期を前に、移植をするのが望ましい。 「11月12月でも水分さえ与えれば…。」 エースが言った。しかしゾロは 「だめだ。冬場の平均気温が低すぎる。水をやっても根が凍る。 本当なら、2月末か3月がいいんだ。」 「だが、道路は待ってくれねェと…?」 「…延びに延びてる工事だ…限界なんだろうよ。」 「やれやれ…お役所って奴は…。」 結論の出ないまま、夜が更けていく。 夏はこれからだが、冬までの時間はあまりに短かった。 「また、話を元に戻すが。」 長い沈黙を裂いて、天井の辺りを見上げながらエースが言った。 ギクリ、と一瞬顎を引き、ゾロは生唾を飲み込む。 「お前さんにその気がねェなら、おれが告ってもいいよな?」 「………。」 ゾロは途端に黙り込んだ。 樹の事には饒舌な男なのに、自分の事になると途端に無口になる。 正直、ゾロが海王園に来てから数年になるが、こんなに多く ゾロと言葉を交わすようになったのは、あの藤に関わり始めてからだ。 エースはガタガタと音立てながら、腰かけた椅子の背もたれを抱え、ゾロの側に移動し 「………いいよな?」 「………。」 「……おいおい……そんな虎みてェな殺気走った目をするくらいなら、 素直に『ダメだ!』って言ってくれねェか?」 「…言ったらやめんのか?」 「止めねェ。」 ニタリと笑った即答に、思わず、ゾロは拳が出た。 「うぉおっと!!」 「―――っ!!」 寸でのところで拳を避け、だが互いにそこで動きを止めた。 階下にはブルック、キッチンにはまだサンジが居る。 大きな音は立てられない。衝突音を響かせて、サンジが上がってきたら、どう言い訳したらいいのだ。 息を切らしたまま、ゾロは 「……今…んな事を考えてる場合じゃねェんだ…おれは…。」 「…ご立派な正論で…。」 「…第一…迷惑な話だ…。」 「迷惑?」 椅子を元の位置に戻しながら、エースは尋ねた。 「……あいつを困らせたくねェよ……。」 「………。」 エースの唇に、わずかに笑みが浮かぶ。 惚れたな マジで ぶっきらぼうで、まるでヤクザの様な風体の男だが、誰よりもこの男は純粋だ。 意地の悪いことをした。 「もう、寝るわ。」 「………。」 「悪かった。」 笑いながらエースは軽く手を上げ、ドアノブに手をかけたが振り返り 「ひとつだけ不思議なんだよな。」 妙に真剣な声で、エースは言った。 「…なんだ?」 「……サンジとブルックって似てねェよなァ? 俄然、サンジの両親とかブルックの奥さんがどんだけ美人なんだよって興味がある。」 「……お前な……。」 「あっはっは!!おやすみ〜。」 発掘調査を終えた古墳の石室が、再び地中に埋め戻されたのは7月末の事だった。 地質調査はずっと行っていたが、浮かび上がっていた問題を解決するにはあまりに時間が足りない。 なんとか、移植を10月半ばに行えないかと算段をしたものの、 一番肝心なエースの白髭園が10月の移植に職人を割けないと言ってきた。 加えて、移植に必要なクレーン、トラック、トレーラーがどうしても集まらず、ついに秋の移植は頓挫した。 「………。」 無精ひげを浮かばせたゾロがブルック邸のテラスで、地図や図面、書類を散らばせた床の上で、 目を剥いたまま爆睡モードに入っているのを、サンジは苦笑いを浮かべながら見下ろした。 8月 夏真っ盛り 「ゾロ…おい、ゾロ起きろ。こんなトコで寝てたら熱中症になるぞ。」 庭の緑のおかげで、ブルック邸の庭はアスファルトや建物だらけの町中に比べればかなり涼しい。 それでも、天気予報は今日の最高気温を34度と言っていた。 「…しょうがねェな…。」 ノウゼンカズラの蔓がテラスの屋根を覆っている。 直射日光を浴びているわけではない。 サンジは書類をまとめ、テラスのテーブルに置き、椅子に腰かけ 「………。」 団扇で、ゆったりとゾロを煽ぎ始める。 セミが鳴いている。 それまで、ゾロの眉間に寄っていた皺が緩んだ。 寝顔が、少し穏やかになる。 「………。」 困ったように笑いながら、サンジはしばらくゾロを煽いでいた。 ふと、わずかな風に揺れる、藤の木を見上げる。 「……大丈夫……。」 「…ここで…終わりにはしないよ…。」 サンジが、低い声で呟いた時 「…オヤ、こちらでしたか。」 ブルックが庭から声をかけた。 大きなアフロに、ちょこんと載った麦わら帽子がおかしい。 「……日差しが強いぜ。散歩ならもう少し後の方がいい。」 「ヨホホホホ…落ち葉の陰にコレが見えたので。」 ブルックの手に、大きなカブトムシ。 「ももの助くんが来たら差し上げようかと。」 「…ああ、そりゃ喜ぶな。」 「ハイ。」 テラスから、「よいしょ」と上がってきたブルックが、ゾロを見ながら 「……サンジさん…いつまでこちらにいらっしゃいます?」 「……おれはずっといるよ。」 「…そういう訳にはいきません…。」 「いさせてくれよ…。」 「………。」 「…もっとも…じいさんが帰れって言ったら…帰らざるを得ないけどさ…。」 「……わたくしは…とても言えません……。」 「………。」 「…あなたが居なくなったら寂しいです。」 「………。」 「……ゾロさんとエースさんが居なくなったら…寂しいです…。」 「………。」 「…生きてきてよかったと…今…心底思っていますよ…。」 団扇を動かすサンジの手が止まる。 「…サンジさん…あなたが…私と共倒れになる理由はないのですよ…。」 「理由はある。」 「…サンジさん…。」 再び、サンジはゾロを煽ぎ始める。 ひとつ呻いて、ゾロは寝返りを打った。 「…理由は…できた…。」 「………。」 「…いさせてくれ…最後まで…。」 言葉で答えず、ブルックはやがてうなずいた。 そして藤の木を見上げながら 「…あなたのお好きになさってください。」 カブトムシを、笊を伏せた中に入れ 「このまま川まで歩いてきます。」 「あ、待て。一緒に行くから。」 「ヨホホホホ!大丈夫大丈夫!もし、30分経って戻らなかったら迎えに来てください。」 「いつもの水門の所だな?わかった。」 「ハイ。では、いってきます。」 ブルックが、庭から出ていくほとんど同時に 「……う……。」 「起きたか?」 「……いたのか……。」 半身を起こしたゾロへ、サンジは眉をしかめた。 「…てめェ…昨日風呂入ったか?」 寝ぼけた目でサンジを見上げ、機嫌の悪い声でゾロは答える。 「………今日で3日………?」 「――っ!!信じられねェェェェ!!猛暑酷暑と言われてるこの夏真っ最中に!! てか、臭ェェェェ!!さっきからキてたこの不快な異臭はてめェかァァァァ!!?」 「……あー…今日、何日だ?」 サンジは鼻をつまみながら 「……8月17日だよ!!それがどうした!?」 「………エースが帰った日からだから…3日じゃなくて1週間だわ。」 「風呂入れ――――――――――――――――――っ!!」 エースは、休暇と称して家に戻った。 本当に『家』に戻ったか定かではない。 しかし、7月の終わりごろからルージュが夏風邪をひいて寝込んでいるというレイリーからのメールがあったらしい。 マザコン息子がすっ飛んで行ったから、多分帰っているだろう。 また、ロジャーと喧嘩をしていなければいいが。 そう思い、ぎゃんぎゃんとうるさいサンジに「わかったわかった」と 答えた時、サンジのがなる声がピタッと止んだ。 「?」 サンジの目がゾロの向うを見ていたので、ゾロもその方向を見た。 藤の木の方向。 「―――!!?」 一瞬、声も出なかった。 今は夏で、庭を公開してはいない。 それなのに、人がいた。 明らかに、サンジの知らない人間。だがゾロは、その姿をしばらく呆然と見ていたが 「―――社長!!?」 呼ばれて、肩越しに振り返った男の顔。 間違えようもないふてぶてしい顔。 ロジャーだ。 慌てて、ゾロは裸足のままテラスから庭へ飛び出した。 サンジも、サンダルを突っかけて後を追う。 ロジャーはゾロに、いとも軽く「おう」と答えて藤の木を見上げた。 「想像以上のデカさだな。」 ゾロが側まで来ると、腰に両拳を当ててロジャーは言った。 「……はい。」 「剪定もしてねェ。」 「はい。」 言い訳もせず言ったゾロに、ロジャーはにやりと笑った。 「いつ動かすんだ?」 「……決まっていません。」 「ふん。」 ロジャーは、ザクザクと草を踏みしめながら、藤の木を一周した。 「……ふん。」 同じ呟きを二度漏らし 「2月だな。」 「!!」 振り返りもせず言い、藤の木を離れた。 「…社長…!」 ロジャーはその時になって初めてサンジを見 「ちょっと見せてもらうぞ。」 「…あ…は、はい…!」 ブルック邸の庭は決して整えられているとは言えない。 広すぎて、ブルックとサンジでは手に余るのだ。 ゾロが居るとはいえ、ゾロは藤の木にかかりきりで、他の植木や草花の面倒まで見ていられない。 雑草は伸びるに任せ、木々も枝や葉が伸び放題だ。 その中を、ロジャーは遠慮の欠片も見せず、ザクザクと分け入っている。 「…社長って…海王園の社長か?」 サンジが言った。 「そうだ……しかしなんで……。」 「…わざわざ…?」 と 「わざわざじゃねェ。たまたまだ。」 「!!」 「近くを通ったんでな。寄っただけだ。」 「………。」 「……ふん。」 3度目。 そして 「邪魔したな。」 くるりと踵を返すと、すたすたと母屋の脇に向かって歩き出した。 玄関チャイムを押さずに、黙って庭に回り込んだらしい。 下手すれば不法侵入だ。 ゾロよりサンジが先に我に返り 「…ロジャーさん!今…!!お茶を!!」 「要らねェよ。邪魔したな。」 「…あ…ちょ…!!」 「おい、ロロノア。」 「!!」 瞬間、ゾロの心臓が破裂せんばかりに鳴った。 ロジャーに、名を呼ばれたのは初めてだ。 「2月だ。」 「!!?」 「節分後だ、いいな?」 「…無理です!!」 「…この樹を生かしたいなら役所なんざねじ伏せろ。まァ、おれが口を出すまでもなく、てめェもわかってんだろうがよ。」 「……っ!!」 言って、呆然とする2人を残し、重い足音はやがて消えた。 少しして 「ただいまぁ〜…あ〜やっぱりまだ暑いですね〜公園で引き返してしまいました〜ヨホホホ。」 ブルックの声がした。 サンジが出迎え、水を汲むためにキッチンに向かいながら 「…その辺で、髭の大男に会わなかったか?」 尋ねたが 「髭の?大きな男性?……ハテ?……いいえ?」 「…そう…。」 「その方が何か?」 「いや、なんでもないんだ…。」 差し出された水をゆっくりと喉に流し、「はぁ」とブルックは息をついた。 「………。」 ゾロは、まだ呆然とセミの泣く声の中に立ち尽くしていた。 ただ ロジャーが不在なら、エースは快適な休暇を過ごしているだろうという事は分かった。 「……だから、おれひとりの意見で事が変わることはねェっつってんだよ。」 S市の市役所は、ブルック邸のある尾田町からは東に20キロも離れた市街地にある。 地方都市の市庁舎だ。 3階建て、築56年。 できた当時は、S市唯一の鉄筋コンクリート3階建てだった。 その最上階・市長室。軋んだドアを開けた向こうは都市計画課の机が並んでいる。 主フランキーは3年前の選挙で市長になった。 元々尾田地区は『尾田村』という行政区だったが、昭和50年代の初めにS市に併合された。 廣澤銅山工業が親系列会社ヒロサワマテリアルに吸収され、同時に銅鉱山が閉山され、 法人税収を失い、中心産業を失って村民の半分以上が失業者となり、行政が成り立たなくなったからだ。 昭和50年というとずいぶん昔に思えるが、今から40年ほど前の事だ。 この頃に生まれた人間は、今が現役の働き盛り。 60歳50歳の人間には昭和50年は『昨日』であるし、尾田村がS市に併合され、 心底ほっとした両親の姿を皆覚えている。 職を求めて両親と町を出ていく幼馴染を、フランキーも廣澤駅から何人も見送った。 実を言えばこの市長フランキー、旧尾田村の出身だ。 小学校の低学年の頃、職を求めた両親が、彼を祖父に預けて村を出ていった。 「生活が安定したら迎えに来る」 だが、40を過ぎた今になっても、両親は迎えに来ていない。 噂では、移り住んだ先で父が事業に失敗し、母も別の相手を見つけ、 そのまま二人とも行方が分からなくなったらしい。 だからなのか、フランキーは意地のように、S市尾田地区に住み続けている。 それゆえ、フランキー市長の個人的意見としては、尾田の為になる事なら何でもしたいのだ。 しかし現実は、そう簡単にいかない。 市民に選ばれた市長とはいえ、その市長を監視する役目の議会があり、 その議員全てが彼の味方とは限らなかった。 景気が低迷する昨今、大切なのは今を生きる人の生活。将来への不安の払しょく。 40年も前から計画されていた高速道路の着工を、たかが樹一本に邪魔にされている。 しかし、地元に愛され護られてきた樹を安易に伐る事も出来ない。 移植のケリが着いたなら、さっさと動かせというのが本音だ。 ゾロが、時期や場所にこだわろうとも関係ない。 わずかでも、市民の血税を使うのだからいう事を聞け、そして市長も言い聞かせろというワケだ。 「着工が2月だってのに、移植が2月って話はねェ。」 向かい側に座ったゾロとサンジに、フランキーは深いため息をつきながら言った。 だがゾロは 「移植のための作業を2月最初の週に終わらせ、翌週に月殿へ移動させる。 移動を始めれば必要なのは1日だけだ。それくらい譲れ。」 「…あのな…お役所の仕事ってのは、バカバカしい位に煩雑で複雑なんだ。そっちこそ察しろ。」 「大体、古墳の発掘なんかおっぱじめるからこういう事になったんだろうが!1日くらい譲れ!!」 「遺物が出たら発掘調査!!これは法律で決まってんだ!しょうがねェだろ!! 文句があるならあの古墳を作った人間に言いやがれ!!」 市長とは思えないべらんめぇ口調。 サンジがポツンという。 「……だから安かったんだよな…あの土地……。」 ため息 「だが、場所としては悪くねェ。」 「………。」 ゾロの言葉に、少し眉を寄せてサンジは笑った。 「市長。時期の話は置いといて、提案をひとつ聞いてくれ。」 ゾロが言った。 「…何だ?」 と、ゾロは手にしていた書類入れの筒から、大きな紙を取り出した。 図面だ 市長室の応接セットのテーブルの上には、3個の湯呑が並んでいた。 その湯呑を雑に避け、ゾロは図面を広げた。 「………ん?」 フランキーは、元々土建屋だ。図面を一目見て、それが 「月殿丘陵の全体図だな?…だがこれは…。」 「…あんたならわかるだろ。」 「………。」 わかる。 これは… 「藤の木を中心に、観光公園を作ってくれ。」 「簡単に言うな。」 「………。」 「…おい、お前ェ…この位置のこれはなんだ?」 フランキーが、藤の移植予定地の中の、ある区画を指差した。 明らかな建物配置。 「……てめェ…この坪数…廣澤倶楽部…ブルックんちじゃねェか!?」 「ほう、やっぱりわかるか?」 「わからいでかァ!!てめェ、勝手言うのも大概にしろ!!」 サンジも、慌てて図面を見直した。 観光公園のビジョンはゾロから聞かされていた。 サンジ自身、藤を中心に人の集まる場所になればいいと願ってはいた。 後は、ブルックが静かな場所で、穏やかに余生を暮せればいいと思っていたのに。 「しかもこりゃァ…この図面だと…東の崖を削って土地を広げて… あーなってこーなって……一大事業じゃねェか!!」 ゾロはいたって冷静に、けろりと 「そうだな。」 「そうだな!じゃねェ!!このS市にそんな金があると思ってんのかァ!?」 「ねェのか?」 「ある訳ねェだろう!!銅山工業の撤退のツケをまだ払いきれてねェんだ!! その上でまたヒロサワに撤退されて、借金だらけなんだよ!!」 「………。」 「元からのS市行政区の住民や企業が…いい顔をすると思うのか? 第一おれがそれをやったら、尾田地区の身贔屓だと言われちまう。」 「………。」 フランキーは立ち上がり 「…それに…だ。」 「………。」 サンジが、背の高いフランキーを見上げた。 ゾロは、目だけで市長を見る。 そして 「…移植が成功する保証はねェ。」 「………。」 「…フランキー…!」 サンジが叫んだ。 だが、ゾロはそれを止め 「成功させる。」 「………。」 「あんたも、おれがしくじった一件を知ってるんだろ。」 「……こっちだって金を出すんだ。調べるのは当然だろ。 しかも、その1回の失敗でお前さんはてめェの仕事の世界から逃げた。 復帰していきなりの大仕事…信じろって方が難しいと思わねェか。」 「………。」 「…悪いが、行政ってのはそういう所だ。出来て当然。 しくじったら諸々巻き込んで責任を追及される。」 「…怖ェのか?」 ゾロの言葉に怒るかと見えた市長は、だが穏やかな声で 「…ああ、怖ェな。」 「………。」 「激戦越えてやっとここまで辿り着いた。たった1期目で失いたくはねェ。 おれはまだ何も、やるべきことをやってねェ。」 バブル時代 この市もご多分に漏れず箱モノ行政に走った。 膨大な借金を抱えた行政区。 破綻寸前なのだ。 なのに、20年もの任期を務め、選挙に敗れ座を明け渡した前任の市長は、 その失敗に目をつぶり続けた。 責任は、そんな市長を選び続けた市民にもある。 ここまで、市民の考えを自分に向けさせ、目を覚ませと訴え続けてようやく勝った。 そこに持ってきての、前任者と似たり寄ったりのこの計画。 「おれが聞けると思うのか?」 「…成功する。必ず。あの藤は生き残る。」 「………。」 「…ブルックの家は、この市の貴重な財産だろう?解体したらそこで失う。」 「…ロビンみてェなことを言うな…。」 フランキーは頭を掻いた。 実は、妻からもその事は匂わされている。 壊したらそこで失う。取り戻せない貴重な文化遺産だと。 サンジが言う。 「あの家…廣澤尾田倶楽部は、ゲオルグ・デ・ラランゲの設計だ。」 「…建築は分からねェ。だがいいものだってことはわかる。残すべきだ。」 「お前な…。」 フランキーは、どかどかとソファに戻り、ドカッと腰を下ろして 「あれも!!これも!!虫が良すぎやしねェか!?」 「………。」 「いいか!?はっきり言うぞ!?たかが樹だ!!」 「……その『たかが樹』を見に1日2000人の観光客がやってくる。 場所さえ整えば、1日1万人にできる。藤の開花期間はおよそ20日。 満開期間は10日。桜より長い。20万人だ。」 「………。」 「計算しろよ。」 それだけ言うと、ゾロは立ち上がった。 サンジも、ゆっくり立ち上がる。 「………。」 実は 月殿丘陵は元々市が、市営の公園にするために買い上げた土地だった。 点在する古墳を含め、歴史自然公園にするつもりだったらしい。 いずれ、そこに市民の憩いの場を作るといううたい文句で所有していたが、 着工のめどが立たず、ついに手放したのは2年前の事だ。 「…おい、お前ら。」 出ていこうとする2人に、フランキーは言った。 「……理由を作れよ。」 「………。」 「あの家を残す、もっともな理由だ!!」 「………。」 「議会をねじ伏せるだけの材料を持って来い!!」 2人は、憎らしげな笑みを浮かべて市長室を後にした。 例えば、岩手大船渡の奇跡の一本松、福島三春の滝桜など…人々を魅了する樹の話は枚挙にいとまがない。 その木に、ドラマがあればあるほど、人は感動し、心を寄せ、守ろうとする。 ただ単純に、「古い」「大きい」「美しい」ではダメなのだ。 そこに「ドラマ」がなければ。 ドラマが生まれれば、人々は感動し、その木を見たいと願う。 『尾田の九尺藤』のドラマは、まさしくブルックの祖父の悲しい恋だ。 それには、あの古びたボロボロの洋館が、演出として必要になる。 ドラマを知る者は、花の季節にそこを訪れる。 旧廣澤尾田倶楽部の館を丘陵の入り口に置き、ゆったりと坂を上りながら、 やがて眼前に広がる藤に、哀しい恋人達の姿を思い浮かべるのだ。 そして 「屋敷を解体移築することが決まれば工期は伸ばせる。藤を2月の移動に持って行ける。」 「そういう理由の移築かよ…!!そうなったとして、じいさんにそんな賑やかな場所で暮らせってのか!?」 家への帰り道、市役所前の停留所でバスを待ちながらサンジが叫ぶように言った。 「アホ。もちろん立ち退いて別の家で暮らすんだ。それは納得してんだろうが。」 「…そ、そりゃ……てことは……あの家を……?」 「フランキーにくれてやれ。そうなりゃ市の財産だ。」 「…お前…けっこう頭いいのな…。」 驚いたようにサンジが呟いた時、バスがやって来た。 先に待っていた老婆が、よっこらしょとステップを上がる。思わずサンジが進み出て手を添えた。 老若に関わらず、サンジは女性に優しい。 「ありがとうございます。」 老婆が言い、包帯を巻いた不自由な手で高齢者用のバスカードを、 料金箱に挿入しようとするのをサンジが助けた。 市営のバスだが、車高の低いノンステップバスは少なく、まだ旧型のものが多い。 そこそこ賑やかな地方都市だが、豊かではないのだ。 「おばあちゃん、手…ケガ?」 優先席に老婆を座らせ、発車した後にサンジは手すりにつかまりながら尋ねた。 老婆は、少ない歯を見せて笑い 「…むかし…銅山で働いててね…これは鉱毒でやられたのよぅ…。」 「……そう……。」 「手袋なんかすぐダメになるから…若い時はよかったんだけど… 歳をとると出てくるのねェ…この頃は指先の感覚がなくて…。」 「…大事にして。」 「ありがとうね。」 何度も頭を下げ、老婆は5つ目の市民病院前でバスを降りた。 サンジが、ステップを降ろしてやり、運転手が「ありがとうございます」と 帽子のつばをつまんで会釈する。 「…大それた夢なんか持ってなかった…。」 ゾロの隣に戻り、サンジは前を向いたまま呟いた。 「……ちょっとした…公園になればいい位に思ってた……。」 「どうせやるならデカイ事だ。」 窓の外を眺めながらゾロが答えた。 サンジが小さく笑う。 「……ちょっと前まで、ガラスのハート抱えていじけてたマリモが言うよなァ……。」 「…二度と負けねェ…。」 「………。」 「…自分に負けるのが…一番情けねェ。」 サンジがうなずく。 「―――!!」 白い手が、ゾロの拳に重なった。 「………。」 窓から目を逸らし、隣を見る。 穏やかな、優しい青い目。 「……大丈夫。」 「………。」 「今度は…ひとりじゃない…。」 やっぱり こいつは『白蘭清風』じゃない。 人間だ 確かにここで、おれの隣で、呼吸をして、笑い、言葉を紡ぐ人間だ。 拳を解き。 白い手を握る。 交わされた目は離れることなく、バスは進んでいった。 (続) NEXT BEFORE (2013/9/9) 華の名前‐TOP NOVELS-TOP TOP