　華の名前（7）　

　「……意外に頭良かったんだなお前……。」サンジが言った呟きを、ブルック邸に戻ってきたエースも思わず呟いた。この家の夕食は６時３０分と決まっている。主のブルックが年寄りなので、１０時を前に就寝するから早いのだ。ゾロもエースも職人なので、早起きの習慣がついている。今どきの若者に比べたら、彼らの就寝時間も早いので支障はなかった。数日ぶりのサンジの料理をベタ褒めしながら、合間不在の間に起きたことを聞き、エースは感心しながら漬物を噛む。　「ヨホホホ…おかげでこの家も残りそうで…いや…本当に感謝です…やはりうれしい。」　「…本当に…ありがとう。」サンジの言葉に、ゾロは飯を口に運びながら、料理に目を落としたまま　「仕事だ。礼を言われることでもねェ。」　「………。」　「またまた…カッコつけちゃって。」エースが茶々を入れる。帰ってから早速、自分のいない間に抜け駆けしなかっただろうな？としつこく問い質された。　「で？市長を納得させられる材料は揃いそうか？」エースが尋ねた。口からエビのシッポが飛び出ている。　「飲み込んでから喋れ。……建物そのものの価値の方は、ウソップが調べてくれることになった。」サンジが答えた。　「なるほど。で？ブルックのじいさんの恋物語の方は？」　「それが…。」サンジが少し眉を寄せた。ゾロが答える。　「この話をウソップにしたんだが、アイツが言うには　『こういう話は、ネットや人の噂で流した方がいい』んだそうだ。」　「……へェ。」ブルックが首をかしげる。　「お膳立てされたドラマには作為が出る。だから、聞き手の想像力を掻きたてる。　その手段の方が効果あるとか言ってたな。」最後の飯を口に放り込み、ゾロは箸をおいた。サンジが　「…ただ…そんな方法だと…変な脚色がされちまうんじゃないかって…心配なんだ…。」ブルックがうなずいた。　「祖父の想いが…傷つけられるのは嫌です。」　「ブルック。」ゾロが言う。　「…悪ィ…正直言って、おれはあんたの思い出も、あんたのじいさんの想いも関係ねェ。」サンジの眉がわずかに吊り上る。　「おいおい、ゾロ…身も蓋もねェな。」エースが言ったが　「…サンジ。」　「………。」　「フランキーが言った。『あれもこれもは虫がよすぎる』その通りだ。」　「………。」　「……ブルック、あんたはどうしたい？」ゾロの問いに、ブルックは穏やかに　「藤の木と、この家を残したいです。」　「それで、腹を括れるな？」　「……わかりました。」手にした湯呑を置き、ブルックは深く頭を下げた。　「…お願いします。」　「わかった。…ありがとう。」　「礼を言うのはこちらです。……私一人では…樹も家も…どちらも残せなかった…。」　「……じいさん……。」サンジが、ブルックの手を取る。その手を、骨のような指で握り返し　「サンジさん…あなたのおかげです…あなたがゾロさんを連れてきてくれた。ありがとう…。」　「………。」　「…祖父の想いは、私が知っています。それで…十分です。」わずかな沈黙。だがゾロが　「エース。」　「はいよ。」　「移植は２月初旬。白ひげに連絡を頼む。」　「わかった！任せろ！」白髭園に携帯ですぐに連絡を入れた。　「そういうことだ。日程を調整してくれマルコ。…ああ、うん…よろしく頼む。じゃな」電話を切り、振り返りエースは　「OKだ。手ぐすね引いて待ってたぜ。」　「よし。」うなずき、ゾロは黙ってサンジを見た。微笑む瞳がわずかに細められる。エアコンを使わず、窓を開けて食事をしていた。さわ、と風が吹き　「………。」藤の房が、大きく揺れた。　「ねェ、ママぁ。」　「なぁに？」そろそろ、朝晩くらい涼しくなってくれなきゃ困るわ。エアコンかけっぱなしで電気代も馬鹿にならないのよ。小学校1年生の娘が、ドリルをのろのろ開きながら何かを話し始めた。本当は、さっさと夕飯の支度を始めたいのだが、子供の話には耳を傾けなさいという祖母の言いつけに従い、母親はテーブルに座った。　「あのね、今日、学童保育の先生たちが言ってたんだけど、学校の近くに、　大っきな樹があるでしょ？白い花がたくさん咲く樹。」　「…あ～…なんか今度移植するってヤツ？…そんなお金があるなら、　学童にお金回してほしいわよね…それがどうしたの？」娘は、「ウフフ」とませた笑いを見せて　「あの樹ね、恋人の樹なんだって。」　「恋人の樹？」　「あの下でねェ、むかぁ～しの恋人同士がデートをしたんだって。　でも、その恋人は〝みぶんちがい〟で結婚できなかったんだって。」　「…みぶんちがい……あああ！〝身分違い〟ね？…身分違いの恋人…へぇ～そうなんだ？」　「うん。先生たちが『萌えるわね～～～』って言ってた。」　「萌えるって…ふーん…。」　「ねー、ママ、〝みぶんちがい〟ってなぁに～？」　「へぇえええ！あの樹にそんな話があったの～？」　「そうなんだって！側にあるあの家のね、おじいちゃんのおじいちゃんらしいわよ？　それでそのおじいちゃん、ずっとその恋人を思い続けて…。」　「うわぁ～なんかいいわ～ロマンチック～～。」　「へ～～～ウチの町にもそんなロマンがあったんだ～～～。」　「〝…生涯を独身で過ごした祖父の、その熱い想いを受け止め続けた樹が、新しい場所で生き永らえることができる。　この樹を想い、助けてくださった皆さんに心から感謝しています。と、ブルック老人は語った。　廣澤尾田倶楽部、九尺藤と共に悲しい恋とS市の歴史を見守り続けてきた貴重な文化遺産である。　守り続けていくべきである。〟……どうだい！？」新聞を広げ、ウソップは「ドヤァ」と鼻を掲げて胸を張った。その新聞をウソップから受け取り、エースが言った。　「朝読新聞の全国版の文化面だぜ。大したもんだ！！」　「…すごい…ラランゲの事もしっかり書いてある…ありがとうウソップ…がんばってくれたな。」サンジが言うとウソップは頬を染め　「へへへ、けど単位ひとつ落としちまった。でも、面白かったぜ。この家、調べれば調べるほど貴重な文化財だって思い知らされるよ。　…こうしてるだけで申し訳ねェ気がする。」創建当時からある古いソファに腰かけながら、ウソップは尻をもぞもぞさせた。サンジが、エースから受け取った新聞をそのままゾロに渡す。　「…よくやってくれた、ウソップ。」　「いやいやいや！でも、な？おれの言った通りだったろ？」ゾロは笑い　「そうだな。たいしたもんだ。」あの夏から、もう2か月。風はすっかり冷たくなっていた。サンジが　「お茶淹れるな。紅茶でいいか？」　「ヨホホホ！ミルクティでお願いします！」昼間、サンジはゾロと一緒に議会に行ってきた。ある議案の採決を見届ける為だ。傍聴席のサンジの隣に、市長の妻で考古学者のロビンも座った。そして議会の後、2人は市長室を訪れ揃って頭を下げた。　「…しおらしいじゃねェか。」笑いながらフランキーは言った。　「これから国土交通省に掛け合う。引っ越しを急いでくれよ。移築開始は11月。　藤移植は2月頭！高速道路着工は2月下旬！！これでいいな！？」　「申し分ありません、市長。」　「しかし、よく移築の手配ができたな。」　「誰がさせたんだ！？」　「たいしたもんだ。」　「人の話を聞けェ！！」明治17年ドイツ人の精錬技術師、ゼフ・ローゼンバインが横濱の港に降り立った時、想像したよりも近代化された街の景色に感心した。まだ、「ちょんまげ」を結い、腰に刀を差した「サムライ」が、町を闊歩しているのではないかと思ったが、道行く人の姿は和装が多いながらも洋装が多く、男のほとんどは足には靴を履いていた。しかし、横浜から品川、上野、大宮と鉄道で揺られていく間に、景色はどんどん変わって行き、前年開業したG県K駅に降り立った時には「とんでもない田舎にやって来た」と思ったという。だが、銅山のある山奥だ。田舎なのは当然の事。そして、そこで働く人々が、都会の人々に比べれば貧しい暮らしをしているのも当然、それは自分の国と変わる事はないとも思った。 K駅から、自分を招いた銅山工業が経営する私鉄に乗り換えたのは、横浜を出た翌日の事だった。そして、この山中のどこに人がいたのだろうと思うほど、駅には大勢の人でごった返していた。駅舎内で自分を出迎えたのは、東京で見た裕福な人々と同じような身なりの者たちであったが、駅を出た後に出逢った沿道に溢れた人々は、どの姿もみすぼらしく貧しかった。だが、なんという人懐っこさ。老若男女、誰もが満面の笑顔で手を振り、手を合わせ、中には『ドゲザ』で頭を垂れる者もいた。宿舎に着いてもなお、人々は口々に「ヨウコソ」「オイデナサイマセ」「バンザイ」という言葉を叫んでいた。やれやれとゼフは息をついたが、人々のあまりの熱狂ぶりに、後学の為にと伴ってきた我が子は内心の興奮を隠せない様子で、宿舎に着くやすぐにまた外へと飛び出していった。契約の期間は３年。先が思いやられる。ローゼンバイン親子にあてがわれた宿舎は、彼と同じドイツ人の建築家が建てたものだと聞いた。なるほど、よくできている。美しい建物だ。ヨーロッパでも、この建築物は最先端を行くデザインだろう。その上、調度のあちこちに日本の工芸品が生かされている。家具も調度も、装飾品も、自分の為に整えてくれたものだと思うと、愛しさが込み上げてきた。本国の自室の様な広さはないが、全てが美しくまとめられている。タンスの彫金。取っ手の七宝。このランプの笠は、もしかしたら竹でできているのか？何という繊細さだ…。欧州で、こんな壁の装飾は見たことがない。これが『欄間』というものか…まるで芸術品ではないか…。窓から見える広い庭。白い花が咲いている。花には詳しくはないが美しい。そう言えば、この宿舎には以前、ヒロサワ男爵の後ろ盾になった、ルードヴィヒ公が一時住んでいたと聞いた。耽美主義な男だったから、多分その趣味だろう。　「こうしてみると、荷物って無さそうで有るよな～。」埃にむせながら、ウソップが言った。なんだかんだと、細かい手伝いをよくしてくれる。藤の移植のボランティアも集めてくれていた。忙しく、疲れている筈なのに文句も言わない。今ではゾロも、ウソップに大きな信頼を抱いている。ブルック邸の移築が決まってから、早速引っ越しの準備に入った。住んでいるのはサンジとブルックだけだったが、それ以前、100年近い年月住人が生活していた。その名残が、使っていない北の奥部屋に押しこめられている。なので　「あ、ウソップ。その本はこちらのケースにね。」ロビンが、手伝いに通っていた。　「イエッサー！」　「ロビンちゃん、これは要るかな？」サンジが、古い柳行李を抱えてきた。開けてみると　「…廣澤鉱業時代の…出納帳ね…資料行き。」　「オッケー。」　「素晴らしいわ…なんてすごいお宝の山なの…でも、ブルック。　あなたのおじい様もお父様も、そしてあなたも、ほとんど中の物の整理をなさらなかったのね？　残っているものが明治から大正昭和と激動過ぎるわ。」ロビンが言った。若者達の『発掘作業』を眺めながら、ブルックは「ヨホホ」と笑った。　「………おい、こんなのが出て来たぞ。」ゾロが引っ張り出したのは　「あああああ！それは！！ワタクシのコレクションですぅ～～！そんな所に！！」ブルックが手を伸ばすより先に、ゾロからウソップが受け取ったのは古びた切り抜き帳だった。開いてみると　「ああああああああああああ！！見ないでください～～ウソップさ～～～～ん！」　「そんなマズイものなのかよ？……どれどれ？………うお！」　「ああああああああああああああああああああああ！！！はずかしぃ～～～！！」ゾロとサンジも覗き込んだ。覗きこみ、首をかしげる。さらにロビンが覗きこみ　「あら、高峰秀子と新珠三千代ね。こっちは田中絹代。」　「あああああああああああああ！！ハズカシイハズカシイ～～～～～！！」　「……これって、じいさんの時代には十分官能的だったんだろなぁ。」ウソップの言葉にサンジが笑った。ゾロも笑う。切り抜き帳に、びっしりと貼られた、昭和初期の女優の写真。特に、太ももまで覆った水着の写真や、当時としては大胆なのだろうが、今ではあまりに中途半端すぎるビキニ姿の写真が殆ど。　「ブルックも、青少年だったんだなぁ。」ウソップが言った。すると　「ええ！青少年でしたよ！ワタクシだって！！ああああああああ！！…あ。思い出した。そうでした。　ワタシ、コレが父親に見つかりそうになって、ここに隠したのでした。　忘れていました…いやぁ～～～懐かしい！…おおお！木暮実千代―！！」ひとしきり笑って、また手を動かし始める。少しずつ、床や壁が見えてくる。　「…やっぱり痛んでるな…移築の時大丈夫かな…。」　「なんとかなる。ダメなら修復だ。」　「…ウフフ…フランキー泣くわね。」　「ロビンちゃん…。」キリがないので、惜しくはあるが捨てるものも多い。調度や小物など、ウソップが価値を調べてからオークションにかけようと提案し、そう言った物をまとめてテラスに運んで行く。本や書類が出てくると、ロビンがまとめて運んで行く。時折読み耽りはじめるので、その度にゾロが肩を叩いた。　「……お！お宝発見！！」疲れとマンネリで皆が黙り始めた頃、ウソップが声を上げた。いろいろな物が重なり合った下から、大振りな家具が出てきた。　「…机だ。」サンジが言った。ロビンも　「…まァ…もったいないことをするわ…これ紫檀の机よ？高級品だわ。」　「ヨホホホホホ！……あ！これは、祖父の机です！！」　「じいさんのじいさんの…？」ウソップが　「例の恋物語のじいさんだよな？…なァ！何か入ってるんじゃねェか！？恋人の写真とか！」　「…まァ…だったら素敵ね。」　「開けてみようぜ！」ブルックが　「…これは確か…この家を手に入れた時に、ここに残っていた家具だと聞いたような気がします。　まぁ他にも、同じ頃の家具はありますが…。」　「…んん…固ェな～～～～！」サンジがウソップを促し　「こういうのは密閉性が強いんだ…コツがあるんだよ。」サンジが、埃と緑青にまみれた取っ手を引くと、鈍い音を立てて引き出しが開いた。　「…空っぽ。」ロビンが呟く。引き出しは全部で4つあり、全て開いてみたがどれも空だった。　「なーんだ。」ウソップが言った。　「なんか、こう…キンキラキンの物が出そうな気がしたのにな！」　「そうだな。」サンジが、天板下の引き出しを押し込んだ。　「ロビンちゃん、この机は向こうに持っていくよ。」　「そうね。展示するのにいいものだわ。ここに住んでいた当時の技術者が使っていたのかもしれないわね。　インクの染みやタバコの痕がたくさんあるわ。」ブルックが　「あ、思い出しました。この机、今ゾロさんが使っている部屋にあったのですよ！」　「…あの部屋に？」　「…ええ…窓際に…祖父はここに肘をついて…椅子に座って…庭を眺めていました。」　「………。」わずかに、沈黙が流れた。その時　「ただいまぁ～～～～！！肉まん買って来たぜ～～～～！！」階下からエースの声がした。少しずつ、生活に使う方の物を引っ越し先に運んでくれている。戻りがてら、コンビニに寄って来たらしい。紫檀の机に、ふとゾロは目をやった。 ――と　「………？」天板下の引き出しの脇が、少し前に飛び出している。　「………。」手をかけ、少し引いてみた。動く。隠し引き出しだ。サンジが天板の引き出しを押し込んだことで、逆に押し出されたのだろう。幅5センチほどの小引き出しを、できる限りそっと引き出した。すると　「………。」すっかり黒ずんでしまっているが、金色の――― 　「…懐中時計…。」いつの間に隣にいたのか、サンジが言った。　「懐中時計！？うお！その光は金だな！？出たぞキンキラキン！お宝だぁ！」瞬間　「売らねェぞ！ウソップ！！」　「ぐ！！」サンジの剣幕は凄まじかった。普段穏やかなサンジの怒声に、一瞬皆沈黙したが、サンジはすぐに我に返り　「…あ…悪い…ごめんな、ウソップ…。」　「い、いや…あ…うん。」　「…ゾロ…見せてくれ…。」　「ああ。」　「………。」金鎖の付いた時計。時を経ても、鎖はシャランと澄んだ音を立てた。細かい彫金細工。蓋に刻まれたのは何かの紋章のようだ。ブルックが、ハッと息を呑み　「……ああ…それは祖父の…祖父の時計です…！！」　「…じいさんの…？」ブルックは椅子から立ち上がり、サンジの元に歩み寄ると　「…そうです…ああ…間違いありません…！どうしてここに…？　てっきり…祖父と一緒に埋葬したものと思っておりましたのに…！」サンジの手からブルックの手に　「…ああ…間違いありません…祖父の時計です…普段贅沢なものなど身に着けない祖父が… 　これだけは生涯身から離さなかった…おお…懐かしい…。」蓋を開けると、少し煤けてはいるがガラスは割れてもおらず、サンジが再び受け取り竜頭に触れた。　「…動く…。」キリキリ　キリわずかに巻くと …チッ　チッ　チッ… 　「動いたァ！？」ウソップが声を上げた。　「………。」ゾロが、サンジを見ると　「………。」わずかに、目尻に涙が浮かんでいた。　「………。」ロビンが　「見せて。」　「ロビン、時計も詳しいのか？」ウソップの問いに　「詳しくはないけど…文字くらいは読めるかも……JAM…WALTHAM……ああ…これなら知ってるわ。　ウォルサム。イギリスの有名ブランドね。…素敵な細工…文字盤は多分ポーセリン…銀色の部分は… 　この黒ずみ具合から見ると純銀ね…この文字盤の柄…なんて細かい意匠なの…これは…高価なものだわ…。」「はい」と、サンジにロビンが時計を渡した時、エースが顔を出した。　「おーっす！肉まん冷めちまうって…お？なんかすごいもんでも出てきたか？」　「ブルックの、例のじいさんの時計が出てきたんだ。なんかイギリスの有名ブランドのアンティークだぜ！」　「へェ！そりゃすごい！」興奮するウソップに、エースも一段高い声を上げた。　「外国製品てことは、別れた恋人の贈り物だったかな？」エースが言うと　「………ああ！！そういう事でしたか！？」ブルックが、初めて気が付いた！という表情で驚いた。エースが呆れて　「え？そうじゃねェの？」　「いや！貧しい時もこれだけはと…手放さなかったらしいのです！…そうですか！ああ！なるほど！！そういう！！」ゾロが呆れた。　「…てめェは…。」　「祖父の趣味とは思えない物だとは思っていたのです！！そうでしたか！　そう考えればわかります！！なるほど！いやぁ～～～～！エースさん！アナタすごいですね～～～！！」　「…てか、あんたがニブイんだよ。」チッ　チッ　チッ　チッ… 秒針はないが、短針がわずかに動いている。こんな場所に100年近く押しこめられていて、よく壊れも腐りもしなかったものだ。　「…棺に納めなかったのは…遺族が価値を惜しんだのかもしれないわね。」ロビンの言葉にブルックが　「そうかもしれません…祖父が死んだのは終戦後でしたから…。　でも、やはり祖父の想いを裏切れなかったのでしょう…。」　「…じいさん。これは…見世物にしたくねェ。」サンジが言った。ブルックもうなずく。　「…じいさんが…持っててくれよ。」差し出すサンジの手の中の時計を、ブルックはじっと見つめていたが、やがてその手を両手で押し包み　「それなら、これはあなたが持っていてください。」　「…じいさん…。」　「持っていてください。」　「……うん。」チラ、とサンジがゾロを見ると、ゾロもうなずいた。　「…ありがとう…。」そして　「……ホラ！下へ行こうぜ！肉まん冷めちまってるぞ！せっかく買ってきたのによ！」　「あああああああ！そうだった！腹減ったァ！！」エースの明るい言葉に、ウソップがさらに弾んだ声を上げる。ブルックたちが『旧廣澤尾田倶楽部』から住まいを移したのは、１２月の末の事だった。引っ越しの直前に、ブルック宅の畑や農地果樹園の一部を潰し、邸宅と藤移植の為の道路の整備を行っていた。そして彼らの引っ越し完了の翌日から、早速解体が始まり、パーツ別に分解された家が月殿丘陵に運ばれて行った。同時に、エースの白髭園から数人の職人がやってきた。　「紹介するぜ！右から順に、マルコ、ジョズ、ビスタ、サッチ、ブラメンコ、ラクヨウ、ナミュール、　ブレンハイム、キングデュー、ハルタ、アトモス、スピード・ジル、フォッサ、そんでイゾウだ！」　「よろしく！」 14人の職人が一斉に言うと、まるで爆音だ。サンジはにっこりと笑って「よろしくお願いします」と頭を垂れたが、ゾロは　「………。」　「…まァ、名前はつきあってりゃ覚える。」いかにも屈強な体躯の白髭園の職人たち。人並みの者もいるにはいるが、どれも一癖ありそうな面構えだ。にこやかに答えたサンジと違い、ゾロは終始仏頂面。それというのも　「……久しぶりだよぃ、ロロノア。」　「…てめェが白ひげんトコにいたとはな…マルコ…。」エースが驚く。　「おい、ゾロ、マルコ。お前ら知り合いか？」ゾロは答えなかった。マルコと呼ばれた職人が笑って言う。　「有名人だよぃ。〝樹医のブラックジャック〟長野で一緒に仕事したことがある。」　「………。」　「……自信満々で鼻持ちならねェ奴だった。そいつがたった1回の失敗で　シッポ巻いて逃げだしたって聞いた時は、そら見ろと溜飲が下がったもんだよぃ。」　「………〝ブラックジャック〟か、言いえて妙だな。」苦々しく笑いながら、ゾロが答えた。エースも　「…だな。強引でゴリ押しで人の話を聞かねェ。だが腕がいい。だから仕事も飛び込んでくる。　…越後地震の時に、てめェがボランティアで入ったってのも不思議に思ってたんだ。」　「……普段入れねェ古刹に入れるってんでな…チャンスだと思った。」マルコが言う。　「あん時、おれは『白蘭清風』の植栽を断った。状況からしておれの腕で救えると思えなかった。　なのに、てめェが引き受けたと知ってムカついたよぃ。」エースが呆れて　「おいマルコ…そりゃてめェのやっかみだろうが。」　「あっはっはっは！！」マルコが、ゾロを見て言う。　「あの後おれは、白ひげの親父の世話になる事に決めた。　てめェの失敗で、ひとりの力に限界がある事を思い知ったんだよぃ。　職人が孤独である必要はねェ。エースの親父ですら、仲間を持ってる。」ムッと、エースの眉が吊り上った。だが、マルコは軽くいなし、ゾロに手を差し伸べた。　「…もう一度、あんたとやりたかった。あんたの腕が見たかった。帰ってきてくれて、ありがとうよぃ。」　「………。」固く、交わされた握手。そしてマルコは、サンジにも手を伸ばした。サンジも「よろしく」と、強くマルコの手を握る。すると　「………。」マルコがじっと、サンジの顔を見つめている。それに気づき、サンジが　「…何か…？おれの顔についてるか？」マルコは吹き出すように笑った。サッチという男も、思わず吹き出した。そのサッチが言う。　「エースに、美人に逢えるぞと言われてたんだよ。いやあ、確かにこれは美人だ！」　「……どうも……。」困ったように笑うサンジの後ろで、ゾロがエースをぎろりと睨みつけたのを、そこにいる全員が気付いて笑った。そして建物が無くなった広大な土地に、草木だけが残された。勝手に伸びた樹も多いが、藤以外にも古木がある。桜ひとつをとっても、緋寒桜、河津桜、薄墨桜、染井吉野、枝垂れ桜、山桜、普賢像、御衣黄と、あらゆる種類が植えられていた。立派な大樹であるが、移植のできない樹ももちろんある。惜しみながらも、伐採していく。植栽する樹はゾロとエースであらかじめ決めていた。ブルックはすべて任せると言ってくれたので、仕事がしやすい。ブルックとサンジの新しい住まいは一戸建てなので、ここほどの広さはもちろんないが庭がある。沙羅、雪柳、石楠花、牡丹など背の低い樹は、ブルックの新しい家に運ぼうと決めていた。桜や松、高野槇の数本は、フランキーの計らいで別の市営公園や施設に、『廣澤倶楽部』の記念樹として植え替えすることが決まっていた。白髭園の職人の仕事は完璧だった。結束が固いがゆえに、全てが暗黙の気合の中で片付いていく。どんどん、藤以外の樹が庭から消えていく。ブルック邸の庭の植木の移動は３週間かかった。それでも、並みの職人に依頼すれば２か月はかかる仕事だ。最後に、玄関先に植えられていた黒松を、搬出のトレーラーに載せ、藤以外の全ての樹の移動が終わった。藤以外、何もなくなったブルック邸。広大な、しかしあらゆる植木を抜き取った荒れ果てた庭に、それでも泰然とそこに立っている。しなやかとも、優美とも言い難い。ゾロの手で剪定され、一部枝を伐り落とし、切り口を麻布で覆い幹を菰で包んでいる。すでに根も掘り起こされ、太い根は土をつけたまま幾重にも布に包まれていた。クリスマスも正月も忘れていた。それどころではなかった。ただ、その日の為に、がむしゃらに突き進んできた。サンジがゾロの前に現れた日から１０か月。こんな日が来るとは、夢にも思っていなかった。この辺りの冬の夜は、体が凍てつく様に寒い。その夜空の下で、ゾロとサンジは、黙って藤の木を見上げていた。晴天の夜空星が美しいどちらからともなく、手が伸ばされた。触れた指を互いに引き寄せ、固く握る。白い息が、空に登って行く。囁くようにサンジが言う。　「……大丈夫……。」　「………。」　「……きっと…上手くいく……。」　「………。」　「…ありがとう…ゾロ…。」握る指に力が籠る。　「…礼を言うのはおれだ…。」　「………。」　「…もう、礼を言うのは止せ…。」　「………。」　「…これはもう…おれの望みだ…。」サンジはうなずき、やはり握る手に力を籠めた。片方の手はポケットの中で、あの時計を握りしめていた。再び、時を刻み始めたかすかな振動が、掌に伝わる。日付が変わる。移植開始の日。午前３時。藤の木の前に８台の大型トレーラーが横付けされた。前日、すでに３台の大型クレーン、２台の小型クレーン、３台のユニック車、２台のユンボが待機していた。午前２時から、ゾロ、エース、白髭園の職人たちの手で、藤の木の随所の枝に玉掛けが施されている。やがて、全ての重機と藤の木がロープで繋がった。トレーラーは８台が縦２列、横４列に連結され、荷台部分を分厚い鉄板で覆っている。その上に、まずは藤を載せるのだ。ゾロが、拡声器を握る。　「始めるぞ！！」　「おおう！！」樹齢１８０年、広さ２５０畳。『尾田の九尺藤』１８０年前にそこに植えられた藤の大樹が、ゆっくりと動き始めた。クレーンと人力のてこを使い、藤の木をゆっくりと引き上げる。ウソップが、現場監督であるゾロの側でカメラを回し始めた。移植が終わった後、動画をWebにアップする為だ。サンジもブルックと共に、藤が動き出すのを、息を呑んで見守った。　「５番！上げが遅い！！７番！西１５度下げ！！３クレーン斜度５度上げろ！　…ゆっくり…ゆっくりだ！！南東！頭が下がった！戻せ！！そのまま４番垂直！！」藤の周りを、ゾロは走り回る。ゆっくり　ゆっくり藤の木が引き上げられていく。わずかに引き上げられるたびに、藤の木はざわめき、嫌な軋んだ音を立てた。その度にサンジはびくりと震える。ユンボが、根菰の部分に入り根を押し上げると、藤は完全に空中に浮きあがった。　「タイミング合わせ！！カウント開始するぞ！！……１…２…３…１…２…３…１…２…。」ワンカウントごとに、わずか２センチの上昇。気の遠くなる作業だ。　「…１…２…３…１…２…３…１…２…３…。」ゾロの手にカウンター。１，２，３のカウントが１回終わるごとにカウントしている。呪文のように、ゾロのカウントが続く。やがて、誰の目にも藤の木が浮かび上がったのがわかるまでの高さになると、カウントが止んだ。すると。クレーンを指揮していたエースが、マルコと共に根の下に回り込みロープを玉掛けした。樹齢１８０年の木の根。とんでもないデカさと深さだ。　「いいぞ、ゾロ！」　「よし！」根の部分に、クレーンから伸ばされたロープがかけられる。準備が整った。ゾロが叫ぶ。　「上げろ！！」ぐ、ぐ、ぐ、と、藤の木がさらに上げられた。すると、エンジンをかけて待機していた８台のトレーラーが、ゆっくりと藤の下へと移動する。　「そのまま…そのままだ…まっすぐ…まっすぐ…。」エンジン音と、タイヤの軋む音、枝のざわめく音。真冬の朝。息も凍る。だが、職人たちは汗だくだ。体から汗が蒸気になって立ち上って行く。　「タイヤ戻せ！左、あと５センチ内輪戻せ！！…いいぞ…そのままだ！」これから８キロの道を移動するのだ。トレーラーに、ただ載ればいいというものではない。　「２番クレーン！１０センチ西だ！！８番！５センチ戻せ！！」もう、いい加減降ろしてもいいんじゃねェか？ウソップは何度も思ったと後で言った。ゾロは、全く妥協をしなかった。当然と言えば当然だろう。　「………。」　「いけるよぃ！」　「ゾロ…！大丈夫だ！この位置で安定する！！」　「…まだだ…！１番クレーン北８センチ！」何度も、降ろす位置を確認しそして　「………よし！降ろしてくれ！！」上げた時と同じくらいの時間をかけ、ゆっくりと、藤は鉄の板の上に降ろされた。降ろされ、根と枝をトレーラーに固定される。　「………。」檄を飛ばすように叫び合いながら、職人たちは藤の周りを縦横無尽に駆け回る。いつしかサンジの手は、祈るような形になっていた。　「……よし！クレーン切り離せ！！」クレーンと繋がっていたロープが解かれる。すでに、東の空が白み始めていた。遅い冬の朝が訪れようとしている。気がつけば、作業開始から５時間が経過していた。ロープが、全て外された。藤の木は、わずかも揺れる事なく、トレーラーに固定されていた。　「うっしゃあああ！！」ウソップが叫んだ。だが、本番はこれからだ。彼らは気が付かなかったが、午前５時ごろ、警察と消防、警備会社、ボランティアがすでに集まってきていた。ゾロは責任者だ、彼らの元へ向かい。　「移送開始、午前７時１５分。」告げると、様々な制服の人間たちが一斉にレシーバーに向かった。　「移送開始７時１５分！規制開始どうぞ！」　「移送開始７時１５分！」　「総員配置！」８キロ先の月殿丘陵へ。警笛が鳴る。警察無線が響く。　『国道○○号線、鳴沢交差点から月殿交差点まで、７時１５分交通規制開始。　――封鎖完了。県道○○線、封鎖完了。いずれも進入車両なし。』この為に、国道県道市道各所を封鎖、電力も時間差で各所が停電する。万が一の電線切断を考慮してだ。そして、藤の木が移動する国道は、一大プロジェクト、イベントをこの目で見ようという市民でごった返しているという。各新聞社、テレビ局も来ているらしい。ボランティアは、それらの整理でおおわらわだ。パトカーが先導する。それに白髭園の車両がトレーラーの前後を行く。左右は職人たちが監視をしつつ、徒歩で進む。夜が明ける。　「出発！！」ゾロが叫んだ。尾田の九尺藤、移送開始。挑戦が始まった。 (続) 　　 NEXT BEFORE 　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　（2013/9/15）華の名前‐TOP NOVELS-TOP TOP