　華の名前（8）　

尾田地区の幹線道路の中心である国道は４車線道路。ブルック宅から国道に繋がる市道に出るまで３００メートル。その沿道は殆どがブルックの畑や果樹園であるから、搬出の為の道路を造る事に対して大きな妨げはなかった。しかしそこから先、国道に出るまでの市道には何件かの民家と田畑があった。移送の為に、どうしても邪魔になる電柱、屋根、庇（ひさし）、樹木、塀がある。それらのひとつひとつを、たった１日の移送の為に「壊してくれ」と、ゾロとサンジは頭を下げて回った。快く、うなずいてくれるものもあったが、大半がふざけるなと怒鳴るばかりだった。たかが樹誰もがそう思う。しかも近在の人々は、毎年花の時期になると、ブルックの解放公開で少なからず騒がしさと渋滞とゴミで、大いなる迷惑をこうむっていた。いっそ無くなった方がいいと、思っている人も少なくないのだ。それでも根気よく粘り強く罵倒に耐えながら、ふたりは歩き続けた。その日々も、長かった。道は、大きく開けている。その道を藤はゆっくりと進んでいく。寒さに肩をすくめながら、沿道の住民たちもやってくる大樹を迎える。　「すごいなァ…。」　「おっきぃい～～～！」あるべき場所から動かされた樹は、普段見るよりも巨大に見えた。葉もなく、枝は何本か落とされているが、支える幹の太さの迫力に誰もが声を上げる。トレーラー８台に、それぞれドライバーが乗っている。前４台は前方が開けているが、後ろ４台は藤の木を載せた鉄板の下で、前４台の後方、全く前が見えない。だが、インカムでゾロの指示を受けながら、スピードにわずかな差も出さず、ゆっくり、ゆっくり、歩くよりも遅い速度で前へ前へと進んでいく。トレーラー移動の指揮はマルコが執っている。現場用の指示棒を振り、警笛を一定リズムで吹きながら、息を合わせる。警笛が、ひときわ高く長く鳴ると、マルコは口から笛を放し叫ぶ。　「国道に出るよぃ！！」トレーラーの左右を監視していたエースとジョズがそれぞれトレーラーの前方に出る。ゾロは、先導するトラックの荷台上から指示をしていた。　「右折！進入角度５０度！！」　「合わせていけー！」　「１番５０！７番７０！そのまま！そのまま！！」「角を曲がる」この動作が最も危険。国道出口にも幾人かの人が集まっていた。　「下がってー！下がってくださーい！！」ボランティアたちが見物人をさがらせる。ジリジリ　ジリジリ　と、トレーラーが大きく回って行く。枝が、ググンと揺れる。その度に「ああ！」と声が上がる。不本意だが、ゾロも心臓がドクンと鳴り、キリ、と痛む。　「戻せ―――――！！」一斉に、タイヤが真っ直ぐになる。右折完了。国道に出た。第一関門突破。沿道から歓声と拍手が湧き起こる。幅２５０畳の大樹。国道は４車線道路であるのに、３車線分の道幅いっぱいだ。トレーラーの四隅に着けた回転灯が、沿道の建物を赤く染める。ゾロが、トラックの荷台から飛び降りた。異常がないのを確かめ　「行くぞ！！」合図と共にマルコが再び笛を吹き、指示棒を振り始める。月殿丘陵まで、あと７キロ。尾田村が廣澤銅山工業のおかげで潤っていた頃、尾田に西洋風の迎賓館を建てたのは当時の社長・廣澤充啓男爵だった。元は長州藩の士族であったそうだが、明治維新の折には目立った活躍もなかった。だが、開国、維新を経なければ、彼の商売の才能は花開かなかっただろう。どういうルートで、元は幕府直轄の鉱山を手に入れたかは定かではないが、明治も１０年を過ぎた頃には、廣澤男爵は尾田村の事実上の支配者であった。彼が建てた迎賓館は近隣に４軒あった。だが、平成の世に残ったブルックの家以外、ある物は老朽化で壊され、ある物は売却された先で価値あるものを剥ぎ取られた上で、近代的な家屋に建て替えられ、ある物は戦時下に火を浴びて焼失した。廣澤男爵にとって幸運なのは、今の世まで残ったのが、最も金をかけたブルックの家ということだ。ブルックが青年の頃、男爵の孫でヒロサワマテリアルの社長が訪れ、そんな話をしていた。であるから、この建物を宿舎にあてがわれた招待客は、廣澤銅山工業にとって最上の賓客ということだ。当時の周辺の住民もそれを知っているから、滅多な事では『廣澤尾田倶楽部』には近寄ろうとしなかった。初め、この宿舎に住んだのは、提携した欧州の会社の経営者、ドイツ・ゲールの貴族でルードヴィヒ公。実はこの男が、この庭を白い花だらけにした。言い伝えが間違って伝えられるのはいつの世も同じで、この庭に藤を植えたのはブルックの祖父の恋人ではなく、ルードヴィヒ公だ。季節ごとに咲く白い花をテラスで愛で、客を招いてガーデンパーティをよく開いていたという。だが、次にそこを住まいとした技術者ローゼンバインは、理系の男の例に漏れず、花を愛する気持ちを理解することはなかった。しかし彼の子は、美しい庭を歓び、愛し、よく手入れをし、花々を美しく咲かせた。自分の国では見た事のない珍しい花々。桜、牡丹、菊、そして藤。日本の花は、どれも繊細で、強く、そして潔い。草花の手入れはそう難しくはない。だが、これが樹となると、どうしてよいか手に余る。玄関前の沙羅(夏椿)が、庇まで伸びて妙な形に歪み始めている。植え替えたい。そう言った次の日には、会社の者が人を寄越してくれた。　「なんでも言いつけてください。体だけは丈夫な奴ですので！」人足の親方が、汚れた手拭いで汗を拭きながら欠けた歯で笑った。　「ほれ！挨拶せんかい！」伴った男の背を叩く。男は、ぺコンと頭を下げた。親方よりもずっと背の高い、彼らが掘っているだろう銅の様な肌。何ともたくましい腕、胸、肩。日本人にも、こんな体躯の男がいるのだと思った。それが第一印象だった。国道に出てから、３時間が経過した。たった８キロ。普通に走ればブルックの家から月殿まで、車で１５分も走れば辿り着く。だが、トレーラーはまだ、月殿から３キロ手前の場所を進んでいた。トレーラーに付き添うように歩くゾロの側に、サンジが駆け寄ってきた。　「…国道封鎖の、約束の１３時まで２時間切った。」　「これ以上スピードは上げられねェ。」　「…この先…まだ笹井陸橋と最後のカーブがある…。」　「大丈夫だ。信じろ。」　「………。」力強いゾロの答えに、サンジもうなずいた。すでに日中。しかし、雲の流れが怪しい。雨が来るかもしれない雨など滅多に振らないこの冬に　「見えた！笹井陸橋！！」　「あと２００メートル！！」陸橋の上も人が溢れている。計算では、わずかな隙間ではあるが通り抜けられるはずだ。しかし激しく笛が鳴った。今は、サッチが指示を代わっている。　「だめだ！！ぶつかる！！止まれ――！！」少し乱暴に、タイヤが止まった。ゾロが、人をかき分け歩道橋の階段を駆け上がる。人垣を割き、真下を見下ろすと　「……ちっ！」ここまでの振動で、わずかに藤が傾いた。その為、枝が上を向いたのだ。瞬間、人々が悲鳴を上げた。ゾロが、橋の欄干に足をかけたからだ。　「ゾロ！？」下でサンジが叫ぶ。だが　「エース！！鋸持って来い！！」　「…切るのか！？」　「やむを得ねェ…！！手はもうめいっぱい使ってる！均等に枝を引ける職人がいねェんだ！」その時　「待ちやがれ、アホンダラァ！！」大音響が響いた。人のざわめきを裂いて届いた声に、誰もが振り返る。声の主を見てエースが叫ぶ。　「―――親父ぃ！？」　「！！？」人垣を割って、ずい、と堂々たる体躯の男が現れた。ボランティアや警察官の制止をかわして道路に降りるや　「マルコ、フックとクランプ持って来い！！」上着を脱ぎ、叫んだ。　「…わかったよぃ！！」　「エース！！上に上がれ！！」　「おう！！」呆然と、ゾロはその男を見た。知っている。白髭園のオーナー、エドワード・ニューゲート。通称・白ひげ。まさか、自ら来るとは思っても見なかった。さらに　「はっはっは！！見てられんなァ！！」　「―――！！」この声には、さすがのゾロもギョッとした。反対車線の沿道からの声。そこに　「…レイリーさん！！」　「気になってね。見に来た。」軽く腕を組み、笑ってこちらを見ている。前にいる子供が、下からレイリーを仰ぎ見ていた。　「………。」　「……手伝おうか？」レイリーの言葉に、ゾロはホッとしたように笑い　「――お願いします！！」　「素直でよろしい。」コートを脱ぎ、レイリーは側に走ってきたサンジに微笑み、それを渡した。　「…ありがとうございます…。」　「…はは…いかんなァ。〝子供〟のやる事にどうしても口と手を出したくなる。ダメな〝親〟だ。」シャツの腕をまくりながら歩み寄るレイリーに白ひげが　「グラララララ！久しぶりだなァ、レイリー！〝旦那〟は元気か？」　「今回は世話になったな、白ひげ。さァ…正月も帰って来なかった。　どこで何をしているのやら。」その会話にエースが苦い顔をする。今年の正月も、ルージュはレイリーとシャッキーとで過ごしたのか。あのクソ親父と、その正月に帰りもしなかった親不孝者は、心の中で悪態をついた。レイリーと白ひげは、トレーラーの下で　「…トレーラーを少し後方に下げてもらえるかね？」　「ジョズ！ビスタ！ロープを持って来い！！」トレーラーがわずかに下がる。と同時に、打ち合わせた訳でもないのに、２人は右と左に分かれながらロープを張り始めた。　「…潜る間もてばいいな？」レイリーの言葉にゾロが　「頼みます！！」陸橋下にかかりそうな枝にロープをかけ、四方向から引いた。藤の枝は元々蔓だ。柔軟性はある。ただ、運搬する為に巨体を固定しているのだ。わずかなバランスで、トレーラーが倒れかねない。サンジが叫ぶ。　「沿道の人を離してくれ！！」警備と警察が、人々を陸橋から下がらせる。陸橋の上は、ゾロ達だけになった。　「いくぞ！！」白ひげが叫んだ。レイリーが答える。　「いつでも。」四方向のロープを、白ひげ、レイリー、ビスタ、ジョズがそれぞれを握る。マルコが笛を鳴らし指示棒を振った。ゆっくり、トレーラーが進む。　「おうりゃああああああああああ！！」一斉に引っ張られた枝はしなやかに折れ曲がり、頭を垂れる様に陸橋を潜り始めた。ギシギシと、嫌な音が鉄板のどこかでしている。トレーラーが倒れる可能性。大枝、あるいは幹そのものが折れる可能性もある。そうなったらすべて終わりだ。　「がんばれー！！」沿道から声が上がった。子供の声。　「あと１５センチ…１０センチ…５センチ…！！…出たァ！！」藤が陸橋を潜った。だからといって、ロープを握った４人は決していきなりロープを離さない。歩みを進めながら、息を合わせ、同じタイミングで加えた力をゆっくりと解いた。そして４人同時に、枝に繋がったロープを固定する。歓声の中、トレーラーは停まることなくそのまま進む。それを追いながらゾロは２人に　「…ありがとうございます…！」　「礼はいい。行きなさい。」　「はい！！後で！！」　「親父―！ありがとう！！」エースも叫びながらトレーラーを追った。サンジが、２人の上着を持って駆け寄る。　「ありがとうございました！」　「ははは…よかった。どこかで恩を売りたいと狙っていたんだ。」レイリーの言葉に、サンジは苦笑いを浮かべた。　「あとで…家へ来てください。」　「いや、最後まで見ては行くが、そのまま帰るよ。」　「そんな…。」　「大丈夫。上手くいくよ。…さ、行きなさい。」　「………。」また頭を下げ、サンジも駆けて行った。その後ろ姿を見送り、白ひげが　「……アレがロロノアを動かしたか。」　「ああ。……美人だろ？」　「グララララララ！！てめェもエースも、悪い病気はなかなか治らねぇようだなァ！！」　「はっはっは！！治そうとも思わんよ。」あと２キロこの５００メートル先に最大の難関、月殿交差点が待っている。月殿交差点を最大の難関と表現したのは、「左折」と「車線減少」と「陸橋下」が同時にやってくるからだ。交通量の多い五又路の上を、ぐるりと歩道橋がかけられている。潜る陸橋が２本あるのだ。おそらく高さは笹井陸橋と変わらない。その２本目の陸橋を潜りながら左折。しかもその角に住宅があり、その住宅に向かって電気と光ファイバーのケーブルが張られていた。　「見えたー！！」誰かが声を上げた。皆一斉に、藤の木がやってくる方向を見る。まずは先導するパトカーの赤色灯。その後ろから、ゆっくり、　ゆっくり、藤の大樹がやってくる。先ほど、枝を引いたロープは固定したままだ。高さは十分。ゆっくり、最初の陸橋を潜る。サンジが、時計を見た。１２時４０分。規制解除に間に合わない。　「停まれ――――！！」ゾロが叫んだ。ここから、大勝負が始まる。　「…行くぞ、エース！」　「いつでもいいぜ！」トランシーバーを手に、エースが　「…始めるぞ、マルコ！」　「オッケーだよぃ！」エースがレシーバーに向かい　「トレーラー２番３番４番！！６番７番８番！！１０センチ後退！！」ギ　ギ　ギ金属の擦れる音を響かせ、一番左側２台は停止したまま、６台のトレーラーがわずかに後退する。　「１０センチ後退！！」ギ　ギ　ギ　「３番！！４番！！７番！！８番！！１５センチ後退！！」　「４番！！８番！！」トレーラーの、藤を載せた天板部分がわずかにずれる。ずれる度に、藤の位置を確認する。　「左侵入！１５度！！２番６番！！進行１０センチ！！」わずかに天板をずらして、進入角度をできるだけ小さくする。ここで、一番時間を食うと予想はしていた。ボランティアが、サンジの元に駆けてくる。　「…警察が…予定通り規制解除すると…。」　「だめだ！！…せめてあと３０分くれと言ってくれ！！」　「もし時間を延ばすなら…使用許可を取ってくれと！！」　「…やってられるかよ！！」と、ゾロが拡声器を片手にしたまま叫んだ。　「…構わねェ。１３時で規制解除。それまでに市道にコイツを叩き込む！なら、文句ねェだろ！？」　「…ゾロ…！」　「サンジ！フランキーを探せ！！どうせ見物に来てんだろ！？　市道ならあいつのナワバリだ！！延長許可取ってこい！！」なるほど、それなら。　「わかった！！」サンジは携帯を取り出し、ロビンの電話番号を表示させた。コール２回でロビンが出た。　『あら、サンジ？どうしたの？今、忙しいのではなくて？』　「…ああ…そうなんだ…詳しい話は会ってからするけど…ご主人は？市長はどこだい？」　『フランキーならここよ？隣にいるわ。替わる？』　「どこ！？会いたいんだ！！」叫ぶ様なサンジの声に、ロビンは一呼吸おいてから　『月殿丘陵よ。藤の到着を待ってるわ。』　「今から行く！！頼みがあるんだ！道路の使用許可を延長してくれ！！」　『伝えるわ。気を付けて。』ジリ　ジリ　ジリじれったい速度で、トレーラーが徐々に徐々に、左へと曲がって行く。あまりのじれったさに帰って行く野次馬もいる。焦ってはいけない。焦ってはいけない。この交差点を曲がりさえすれば市道。あと５分で１３時。予定よりだいぶ遅れた。１時間のオーバーだ。だがその時、１台のミニパトがやってきて停車し、警官を降ろした。その警察官が、信号機下のボックスを操作する。それまで点滅していた信号が、一旦暗くなり、再び稼働し始めた。警官が、各交叉点に配置される。規制解除準備だ。だが、トレーラーはまだ後部を国道側に残している。時間を過ぎてもなお国道にトレーラーが居座り続けたら、不法に占拠使用したものとして処罰される。処罰は恐れないが、罰金は勘弁してもらいたい。下手をすれば刑事罰も食らう。食らうのはサンジとブルックだ。　「４番！８番！！１０センチ前進！！――ハンドル戻せ――-！！侵入角固定！！」　「先端揃えろ！！再固定急げ！！」　「異常なし！！」　「よし！！後は真っ直ぐだ！！」時刻１２時５８分藤の木は市道に入り、堂々とした行進を再開した。やがて、笛の音と「規制解除―！！」の声と共に、国道に車があふれ始める。あとは、移植地へ進むだけだ。しかし、警官の１人がゾロの元へやってきて言った。　「規制線解除時刻です。市道の許可の時刻も過ぎています。停止してください。」　「…ふざけんな！止まれるワケねェだろう！？」　「申し訳ありません。お気持ちは十分に察しますが、規則です。一旦停止してください。」　「行かせてくれ！！」押し問答が続く。だが　「――――っ！？」そのかすかな音にゾロは振り返り、郊外にある山の方を見た。黒い雲が、山の頂上にかかっている。　「……ヤベェ……。」ずっと藤の木を追っていたウソップが、ビデオカメラのバッテリーを替えながらゾロを見て尋ねる。　「どうした？」　「………。」再び、耳に届くかすかな音。　「……雷だ。雨が降る。」　「…いいいいいいっ！！？」瞬間　「うぉっ！？」突風！！　トレーラー上の藤が風に煽られ、瞬間前方のタイヤが浮いた。　「うわあああああああああああっ！！」　「ヤベェ！！」刹那、跳ねたのはゾロばかりではない。エースもマルコも、咄嗟にトレーラーに飛びつき、固定された紐を引いた。寸での所で、タイヤは地についた。まだ、月殿丘陵入口まで１キロ。その道なりに、民家が数軒ある。下手をすれば倒れ、民家を破壊する。　「行くぞ！！進むしかねェ！！」ゾロが叫んだ。　「スピード上げろ！！プラス５キロ！！走れ！！」　「だめだゾロ！！向かい風だ！！」エースが叫んだ。だがゾロは　「やるしかねェ！ここでは止まれねェ！！今から雷雨が来て、　降っている間このポジションが保てると思えねェ！！」　「ロロノアの言う通りだ！行くしかねェよぃ！！」拡声器の声が入り乱れる。警官も、規則云々とごねている状況ではないと判断した。一斉に交通整理を始める。　『危険です！沿道の皆さんは速やかに避難してください！危険です！！』言われるまでもなく　「…雨だ！！」　「きやがった…！！」同時に、激しい雷鳴が轟いた。悲鳴が上がり、人々が散って行く。　「進め！！急げ！！」急ぐと言っても、合図を頼りに進むしかないトレーラー。その速度はやはりじれったく遅い。同じ光景は月殿でも起きていた。突然の雷雨に見舞われ、藤の到着を待っていた作業員と市長夫妻は、ワンボックスのバンの中に避難する。　「大丈夫かしら…。」　「おい、どうなってる？」市の作業着を着たフランキーが、秘書に尋ねた。この作業着、いつ見ても似合わないので、ロビンはあまり好きではない。　「現在月殿交差点を越えて、この丘陵入口２００メートルまで来ているそうです。」　「止める気はねェワケか…。ったく、この季節にこの雨はねェだろ！？」　「…フランキー！！」ロビンが叫んだ。同時に、バンのドアを開け放つ。風と雨が吹き込んできたが　「サンジ！！」ロビンが手を差し伸べ、車の中に引き上げた。　「走ってきたの！？…まぁ…こんなに濡れて…！震えているじゃないの！」はァはァと息を切らし、サンジは震える唇で　「…フランキー…！許可…出してくれ…たか…？」　「ああ！聞いた！…ったく！独断で出したって文句が出るがそうも言ってられねェよな！ほらよ！！」ぐしゃぐしゃになった許可書。　「…ありがとう…！」　「市長印は押してねェ。あとで上手くやっとく！」サンジは、文面を確認しホッと息をつくと、また外へ出て行こうとした。　「ダメよ！ここにいなさい！もうすぐ来るのですもの、一緒に待ちましょう！」だがサンジは首を振り、笑って　「……行かせてくれ……行きたいんだ……。」　「サンジ…！」　「…あの樹の側に…ゾロの側に…いたいんだ…。」　「………。」　「……一緒に……。」その笑みに、誰も何も、言えなかった。雨の中、今駆けてきた道を引き返す。作業の為に作られた木道を、雨が流れ落ちていく。と　「―――！！」藤の、先端の枝が見えた。　「…ゾロ…！！」丘陵入口到着。先導のパトカーが転回し、道を譲った。ゾロが駆けてくる。　「サンジ――！！」藤が、ゾロの後ろから木道を進んでくる。あの樹を、ここに移そうと漠然と考えたあの時から、どれほどの時が経っただろう。樹を、移植…？そんな事が出来るのでしょうか？場所を確保して…腕のいい職人を探して…そうすれば上手くいくよ！絶対上手くいく！諦めちゃダメだ！がんばろうぜ！！な！？移植の情報を集めた。その時開いた移植に関する本に、ゾロがいた。古いバックナンバーだったから、その後の情報など書かれていなかった。関連雑誌を開いても、ネットで検索をしても、必ずゾロの名は引っ掛かってきた。各地で、難しい移植を成功させている事。症状の厳しい樹を救った事。情報を拾えば拾うほど、「この男に頼みたい」その気持ちが強くなっていた。しかし、知った。ゾロが挫折し、その道を棄てた事を。『白蘭清風』という、見たこともない牡丹を恨みもした。一度はあきらめ、他の樹医に声をかけた。だが誰も、難しい顔をするばかりでうんと言ってはくれなかった。そして、ほとんどの職人が言うのだ。　「ロロノアならば。」もう、他にはいないと思った。だからその足跡を追った。北海道、長野、鎌倉、京都、宮崎、金沢…日本中、ゾロの手掛けた樹を見て回った。それと同時に、行方の知れないゾロを探した。やっと手がかりを得て、海王園を訪ねた。そして出逢えた。抱きしめたいくらいに嬉しかった。けれどゾロは―――。だが、そんな事はもうどうでもいい。ゾロは今、この場所に、あの樹を連れてきてくれた。　「ゾロ―――！！」　「―――っ！！」腕に飛び込んでくる体を受け止めた。互いに、雨でびしょ濡れの体。抱きしめる手に力が籠る。だがすぐに　「支障はないか！？樹は！？大丈夫か！？」サンジが叫んだ。　「大丈夫だ！！許可は下りたか？」　「ああ！」　「よし！！―――エース！！そのまま送ってくれ！！」　「了解――！！」道路使用許可がとりあえず出たことで、警察も一瞬の不法使用には目をつむった。誰もが雨の中、ずぶ濡れになりながら藤を守りつつ前へ進む。月殿丘陵その名の通りの傾斜地本来、古墳の出た場所に移すつもりだったが、東の崖を削ってもらったおかげで最も適した場所に植える事ができる。『旧廣澤尾田倶楽部』は、この先３０メートルの場所に再築されるが、藤の移植先は２度の傾斜を上がった先だ。　「路面がヤベェ！！」　「砂を撒け――！！」フランキーが、車から飛び出してきた。ロビンも後を追う。作業員たちも、トレーラーの行く手に、滑り止めの砂を撒き始めた。フランキーにロビンが言う。　「雨が止むまで止められないの？」　「…敷地に入るまで、この通路は市道の扱いになってんだ… 　あの木の辺りまで、まだブルックの土地じゃねェ。」　「…融通の利かない事…。」　「悪ィな。」少し、雨足が弱まった。雲が動いている。雷鳴も、静まり始めていた。ジリジリと、ついにトレーラーは市道を抜け、月殿丘陵の移植地に入った。　「ゴォォォォォォォォォォォォォォル！！！」ウソップが、滂沱と涙を流しながら、まるでワールドカップの決勝点のゴールが入ったかのように、ガッツポーズで叫んだ。こんな場面どこかで見たわ。ああ、確か映画のフィールド・オブ・ドリームス…。ロビンは心の中でツッコみを入れた。泥だらけの地面の上に、ゾロがもつれる様に崩れた。　「ゾロ！！」サンジが駆け寄る。　「…大丈夫だ…！…さあ…降ろすぞ！！」　「………！！」エースが叫ぶ。　「ゾロ…！少し休もう！みんなクタクタだ！！」　「…だめだ…風が止まねェ…このままトレーラーに載せておく方がヤベェ！！」ここまで来ると、月殿の周辺には作業員しかいない。作業現場だ。一般の見物人は入れないようにした。植木職人でない者でも見ればわかる。このまま天候の回復を待つ間に、突風で煽られ倒れる可能性の方が高い。倒れたら、間違いなく藤は激しく損傷する。　「降ろすぞ―――！！」　「おおう！！」　「やったらぁあああ！！」手筈通りに、一斉に作業員がトレーラーに飛びついた。運転していた白髭園の職人たちも、天板の下から這うように飛び出す。四方八方に延びた藤の枝が、風に激しく揺れている。しっかり巻いたはずの布やこもが、剥がれかけている場所もある。だが、慌てて作業手順を誤れば、それこそロープを外した瞬間に樹は倒れる。クレーンのアームが動き、ジャッキ音が響く。予め掘った穴に、根の部分を降ろすのだ。だが、真っ直ぐ降ろすことはできない。傾斜地の為、垂直移動が難しい。天板の上を滑らせて、斜めに倒して降ろすことになっている。斜めに穴に降ろし、そこから引き上げ、体勢を整えるのだ。　「このクソ風め…ちったァ遠慮しやがれ！！」サンジが吐く様に呟いた。見守るサンジも、フランキーもロビンも、職員たちもずぶ濡れだ。　「全機、準備はいいか！！？」雨で拡声器の声も掻き消されそうだ。　「オッケーだ！！」　「行ける！！」　「いつでも！！」　「よし！！ウィンチ巻け！！」ゆっくりと、藤が動き始める。少し横倒しの姿勢のまま、トレーラーの上から地面へ平行移動していく。警笛を鳴らし、合図をするのはマルコだ。エースは、横に張り出した最も太い枝にかけたロープを握り、方向を調整する。藤を植える方向も考慮して横付けた。上手く、真っ直ぐ降りさえすれば…！！丘陵地の下に、タクシーが止まった。降りてきたのは、白ひげとレイリー。　「…これはひどい…なんという風だ。」　「…あぶねェな…大丈夫なんだろうな倅どもめ…。」　「…ゾロも必死か…。」一旦、警備員に入るのを止められたが、先ほどの職人だとわかると通してくれた。　「レイリーさん…！」　「…どれ…もうひとつ手伝うとするか。」白ひげが　「エース！！代われ！！」エースは、一瞬ホッとした顔を見せたものの　「…大丈夫だ！！」　「……ハナッタレが…意地を張ってる場合じゃねェ。」　「大丈夫だ！！最後まで、ここはおれにやらせてくれ！！」　「………ちっ。」自分が飛び出していきたいのを堪え、ゾロは全てを仲間に託す。足をもつれさせながら、藤の周りを何度も周り　「あと一息！！地面に着くぞ！！」藤の総重量が、一気にかかる。その重量感とは思えない穏やかな音と共に、藤の木が地面に降りた。　「よっしゃあああああああああああああ！！」　「安心するな！！立てるぞ！！引け―――――！！」　「お―――――っす！！」気合を入れ、一斉にロープを引く。ここから先はデリケートな作業だ。クレーンは一台しか使わない。全てが人力。　「引け――――――！！」　「お――――――っす！！と　「も～～～～～！！だめだ！！おれも行く！！」フランキーが飛び出した。　「あなた！」　「市長！！いけません！！市長がいけません！！」　「個人の事業に手を貸しては…！！」　「うるせえええええええ！！人として黙ってられっかあああああああああ！！」ロビンが「ウフフ」と笑った。こういうところがスキ。サンジも　「……おれも！！」雨の中走り出す。風が、強い。　「うおおおおおおおおおおおおおおおお！！」　「ふぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬ！！」　「ぐああああああああああああああああ！！」そしてゾロも拡声器を投げ捨てた。藤に飛びつき、サンジが引いていたロープを共に引く。　「！！」　「止めるな！引け！サンジ！！」　「―――おう！！」あと少しで完全に立ち上がる。あと、少し！！その時だ　「―――――あ！！？」ブツッ！！という音が、誰の耳にも届いた。どこだ！！？ゾロが一瞬飛び退いて探る。瞬間、弾かれたロープがゾロに向かってきた。　「ゾロ―――――！！？」悲鳴の様なサンジの声。弾かれたロープが顔面を直撃した。血飛沫が舞っている。だが、ゾロは、なんとか切れたロープの末端を握り、なんと腕に括り付けた。　「やめろ！！ゾロ！！腕が千切れるよぃ！！」　「…言ってられっかあああああああああ！！」　「ゾロ！！」エースが駆け寄る。さらに白ひげも走った。だがその時　「！！？」ゾロの千切れたロープの先は藤の大枝だ。その枝に、太いロープが巻きついた。ビン！と音を立てて張られたその先を握っているのは　「社長！！」　「……え！？…親父！！？」　「―――――！！？」　「！！」　「……え！？」　「はは。」　「グララララララララララ！！遅ェぞ！ロジャー！！」ロジャーだ。何も言わず、ロジャーは間近にある息子の顔を見て「ニヤ」と笑い　「ぅおおおらァァァァァァァ！！引けェえええええええ！！」　「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ！！」　「ロロノア！ボサッとすんな！てめェは現場監督だろがァ！！」　「――――はい！！」ロープを任せ、再び拡声器を手に取り、顔面を血にまみれさせながら　「引け――――――――っ！！」苦しい苦しいこの想いが〝恋〟だと知ったのはいつだったろう。心の奥の深い傷と、体内に押し込めた熱い想いを知った時にはもう魅かれていた。もう、生涯他の誰も愛さない。そんな誓いはいらない。お前が不幸の中で生きる事なんか、おれは耐えられない。幸せになっていい。なってほしい。お前が傍らにいない人生の、どこに幸福を見いだせると思うんだ？なぜ？なぜ一緒に生きてはいけない？なぜ？汽車が廣澤駅を出てからＫ駅に着くまでの間泣くかと思っていた我が子は、だが一滴の涙も流さなかった。この子の激しい想いに気付いてはいたが、許していい恋ではなかった。時がきっと、忘れさせてくれるだろう…。いつか、きっと… いつか　なんて、決して来ない。この想いは千の夜を、一億の夜を、百億の夜を越えても消えない空に、茜色の雲が漂い始めた。気の早い２月の夕暮れ。　「………止むなら、もっと早く止めばいいのによ……。」ウソップがヘトヘトになりながら呟いた。もう、最後は撮影も忘れ、一緒にロープを引いていた。　「……はッはァ…まったくだ……。」フランキー　「…お疲れ様…みんな素敵だったわ。」ロビン　「グラララララ！久しぶりに力仕事をしたぜ…アダダ…。」白ひげ　「大丈夫かよぃ？歳なんだから無理するなって。」マルコ無言の拳骨がヒットする。　「…来るんじゃないかと思っていたが、やはり来たんだな？ロジャー？」レイリー　「…………。」ロジャー　「………。」エース。全員、泥だらけの地面に寝転がり、あるいは座り込み…。その中を、小さな声が　「……親父。」　「………。」　「…ありがと…。」紛れもなく、エースが呼んだ「親父」は、ロジャーだ。父の方を見もせず、膝の間に顔を隠すように。　「…………って、おい…何縮こまってんだよ！？」見ると、ロジャーが顔を手で覆い、大きな体を熊のように縮めている。　「………恥ずかしいんだよ！！悟りやがれ！！」　「その図体で可愛くねェよ！！なんだよ！？恥ずかしいって！　おれの方が恥ずかしいわァ！！バカ親父ィ！！」ロジャーがルージュと一緒になれたのも、不思議なものだとレイリーは今も思う。わがままで自分勝手で、だが照れ屋で、自分の感情の中でも『家族』への愛情を表現するのが本当にへたくそだった。エースが生まれた時も、嬉しくて嬉しくてたまらなかったくせに、その手に抱いて顔を見た瞬間。　「サルか。」と言って、ルージュが枕元の水差しを投げつけ、退院後もそのまま実家に帰って半年戻らなかった。フランキーがようやく立ち上がり、辺りを見回して　「おい、現場監督はどこだ？」　「…あれ？」きょろきょろとウソップが見回して　「あ、いた。」藤の下、ゾロは倒れてはいなかった。サンジと２人、並び、藤を見上げていた。血が、作業着にまで垂れている。　「……まだ、終わっちゃいねェ……。」　「……ああ……。」根付かせ、花を―― 再び、この地で　「…咲かせてやる…。」サンジは、ポケットの中の懐中時計を取り出し、開いた。１６時２７分尾田の九尺藤、移送完了 (続) 　　 NEXT BEFORE 　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　（2013/9/19）華の名前‐TOP NOVELS-TOP TOP