BEFORE


品格。という言葉がある。 大人としての品格。社会人としての品格。いろいろな場面で品格を求められることは多い。 もちろん大人ならば、TPOに合わせての品格を使い分ける事は、社会を生きていくうえで非常に重要な事だ。 だから T県、20万人都市のS市の市長ともなれば相応の品格を求められるし、持ち合わせて当然ではあるのだが、 プライベートな話となればやはりお育ちが前面に押し出されてくる。 なので 自分の住む市の市長が、デカい体を50CCの原付バイクに載せて、時速30キロの市道を 50キロのスピードで乗り付けてきても誰もわざわざ告発しようとは思わない。 役に立っているとは思えないキャップ型ヘルメットをハンドルにひっかけ、 フランキーは夕刊を取りに来た向かいのオバチャンに「よっ!」と声をかけ、 ブルック宅に飛び込んでいった。 できる事なら、自分も一緒に飛び込んでいき、昼間空き巣と勘違いしたあのイケメンの姿を拝みたいと思ったが、 あんまりオバハンな行動を晒してはあの綺麗なサンジくんに嫌われてしまうワ、と我慢することにした。 さすがのフランキー市長も大人である。 騒ぎを聞きつけ、その日の仕事を終えてすぐすっ飛んできたが、 居間の様子を窺いながら、そ〜っとドアを薄く開けた。 気配に、ロビンとウソップが同時にこちらを見て、「しーっ」と指を口元にあてた。 と  「……何度言えばわかるんだ、ロー。おれは戻る気はねェ。」 サンジが言った。 ドイツ語だ。  「お前こそ、何度言ったらわかるんだ…?おれも、あんな面倒なものを押し付けられるつもりはねェ。」 こちらも当然ドイツ語。 ブルック宅の居間は、リビングとダイニングキッチンが続いている。 キッチンはペニンシュラ型と呼ばれるL字型のカウンターがついていて、せり出したテーブル部分はゾロの指定席だ。 休日、長くキッチンに立つサンジに一番近いのがその理由。 そのカウンターチェアに腰かけ、仏頂面で缶ビールを煽るゾロ。 ダイニングテーブルにロビンとウソップ。 そしてリビングのソファにサンジとブルック。向かい側に、サンジがローと呼んだ昼間の男が座っている。 フランキーは、面子を確認すると、ダイニングのロビンの隣に座った。  「サンジの従兄弟だってよ。」 声を潜めてウソップが言った。 フランキーがわずかに驚いて  「あいつ…家族がいたのか!?国の事なんか何も話さねェからよ!」  「いたんだな…まァ、いてもおかしかねェけどよ。」  「そんな奴がなんでいきなり来て、こんな騒ぎになってんだ?」  「わかんねェよ!さっきからずーっと!わかんねェ言葉でしゃべってんだから!!」  「…お前わからねェか?ロビン?」  「ドイツ語はムリ。」 チラ、と、3人は同時にゾロを見た。 うわぁ 凶悪 サンジが深いため息をついた。またドイツ語で  「…頼む…ロー…わかってくれよ…。」  「わからねェな。わかろうとも思わねェ。」 ローという男。 表情の変化に乏しい。 だから、ロビンたちもこの男が何を考えているか図れないでいる。 ただわかるのは、サンジが相当困惑しているという事だ。 そして、彼らは皆大人であるので、ドイツから来たサンジの従兄弟がサンジに 何を言い、サンジが何に困っているか、大体想像がつく。 彼らでさえ想像がつくのだから、動物的に感がいいゾロなど、それを察しているのだろう。 だが、2人が彼らの知らない言語で話をしているせいで、口をはさめないのだ。 ローが口を開いた。 彼の方から、何かを言うのは初めてだ。それまで、サンジの方が一方的にしゃべっていた。  「…とにかく、戻って爵位を継げ。お遊びはもうやめろ。」  「遊びじゃねェ!!」 反射的に、サンジが叫んだ言葉は日本語だった。 だから、誰もがハッと目を見開いた。  「Es ist, spiele nicht…!!」 今度はドイツ語だった。 ローは、しばらく黙ってサンジの顔を見つめていたが  「…カールヴァルター・サンジ・フォン・ローゼンバイン。」  「――――!!」  「おれも、あんなカビの生えたもんはいらねェ。」  「…ロー…!」  「おれは知らねェ。てめェで始末をつけろ。だが、親父も一歩も引く気はねェらしい。」  「………。」  「お前がここでやりたい事を見つけたというのと同じように、おれにもやりてェことはある。  関わらなくていいはずだったもんが目の前に落ちてきて、はい、そうですかと  引き受けるつもりなんざさらさらねェよ。」  「………。」 ローは、ちらりとゾロを見た。 あからさまな侮蔑の色がある。  「……すっかり、たぶらかされやがって……。」  「ロー!!」  「誰が、こんな薄汚ねェ関係を祝ってやる気になる?10年前なら、バレた時点で逮捕だぞ。  ヒトラーの時代なら有無を言わさず銃殺だ。」  「今は違うだろう!!昔の事なんざ関係ねェ!!」  「関係ねェなら、ババァの遺言も関係ねェだろう!?  センチメンタルに浸りやがって!!目を覚ませと言ってるんだ!!」 ローが叫んだ瞬間、音を立ててゾロが立ち上がった。 同時に  「帰れ!!」 その叫びに、ウソップが「ひっ!」と悲鳴を上げる。  「…帰れ。」 2人の会話は全く理解できないが、雰囲気で内容は十分にわかる。  「…ゾロ…。」 サンジが手を上げて、ゾロを止める。 だが  「……帰れ。おれが何を言ったか、コイツに言ってやれ、サンジ!!」  「……ゾロ……!」  「おれは!てめェを手放す気はまったくねェぞ!!」 その発言に、ウソップとフランキーの顔が真っ赤に染まった。 同時に叫ぶ。  「言った!!その顔で言いきった!!」  「顔は関係ないでしょ…。」 ロビンがため息をついた。 サンジが、小さく首を振る。 ゾロが  「……確かに、おれはてめェの家族の事を何も知らねェ。知る必要はねェと思ってたからだ…。」  「………。」  「必要な事なら、てめェはちゃんとおれに話す。そう信じた。だから聞かなかった。」  「………。」  「サンジ。」  「………。」  「てめェは、おれに隠していたことがあったんだな?」  「―――!!」 ハッと、サンジが顔を上げゾロを見た。 思わず、そのままローを見る。 ローの険しい目が、サンジからゾロに移った。 ローが  「…ばあさんの遺言を果たすために日本に行きたい。場所を見つけて約束を果したら、  ドイツに帰って親の遺した爵位を継いで家を守る。そう約束した。」 流れ出た言葉は流暢な日本語だった。  「しゃ、しゃべれんのか!?」 ウソップが叫んだ。  「ハナっからわかるようにしゃべれ!!」 フランキーがも言ったが、ロビンが呆れて肩をすくめた。 ローが、ゾロを見ながら言葉を続ける。 急に日本語になったのは、ゾロにも聞かせる為だと誰にもわかる。  「……おれの親父は、コイツに爵位を継がせるため、自分の全てを捨てて家を守り続けた。  貴族と言っても借金だらけの家だ。それを何とか盛り返したのは親父だ。  それに、必ず答えると約束したよな?サンジ?」  「………。」  「……したのか?サンジ?」 ゾロが問う。 少し間があったが、サンジはうなずいた。 そして  「……叔父さん…元気なんだろ……?」 その問いに、ローは  「よくはねェ。」  「――っ!!」 それまで、ずっと黙っていたブルックが  「…ご病気…なのですか?」  「……あんたらには関係ねェ。」 ローは、ゆっくりとリビングの出口に向かって歩き出した。  「ロー…!」  「おれも、譲る気はねェと言っただろ?」  「………。」  「丸く収めェてェなら、てめェは帰って来るべきだ。ひとりでな。」  「!!」  「…市内のホテルに泊まってる。携帯の番号は変えてねェ。決心がついたら知らせろ。」  「決心なんざもうついてる!!」 ゾロが叫んだ。 だが  「ゾロさん。」 ブルックの声に、ゾロは振り返る。 皆の目が、ブルックに集中した。その視線の中で、ブルックは穏やかに  「それを答えるのはサンジさんですよ。」  「―――――っ!!」  「ええと…ロー…さん?」  「………。」 ブルックが立ち上がり、頭を垂れた。  「…申し訳ございません…ワタシのせいですね。」  「………。」  「…ブルック…!」  「ワタシが…あの樹の事でワガママを言わなかったら…。」  「違うだろ!!」 ブルックの言葉を遮るように、その場にいた全員が叫んだ。 一瞬、ローは身を引いた。そして  「…そうだ。あんたのせいじゃない。」 言った。  「約束をしたのは、こいつなんだ。」 サンジを見る。  「答えを出すのもお前だ、サンジ。」  「………。」 答えないサンジに、ローは笑い、ゾロを見て  「…これが、今のコイツだ。」  「………。」  「…じゃあな。」 黒い嵐が、去った。 しばらくの沈黙の後、ウソップが  「……えと…従兄弟っつったよな…?」 ロビンが  「…ローゼンバインの子孫だから、貴族出身だとは思っていたけど…今でも爵位を持っていたのね?」 フランキー  「……お前ェ、家出してきてたんかよ、サンジ。」 ブルック  「…ダメじゃないですか…家出だったなんて…。」  「…ごめん…。」 サンジが、囁くようにか細い声で言った。 躊躇いながら、ゾロを見る。  「………。」 自分との約束を守るために、サンジは別の約束を反故にして裏切り、逃げてきた。 ゾロが、怒っているのがその部分だという事は、サンジでなくてもわかる。 100年前の約束を果たす為にこの地を訪れ、出逢い、約束を果たして結ばれたのに、 サンジはゾロにもうひとつの約束を告げなかった。  「…言えるわけねェよ…惚れて一緒にいたいから…家出てきたんだろ?なァ?」 ウソップが言った。 その通りだ。 それが、サンジの全てだ。 約束を棄てても、家族を捨てても、サンジは日本に来たかった。 ゾロの側にいたかった。 約束を果たすだけが目的だった来日。 だが、いつしかそれは別の望みになった。 両方は選べない。 両方共に捨てられない。 ならば選ぶのはただひとつ。 己の心が望む方だ。 だが、そんな不実を許せないのが、ゾロという男なのだ…。  「あいつ、何て名前だ?」 ゾロが尋ねた。  「…ロー…ロー・エルンスト・フォン・ローゼンバイン…外科医だ。」  「お医者さんですか…どうりで…よく嗅ぐ匂いのする方だと思いました。」 ブルックが言った。 ウソップが  「日本語、上手かったなァ。」  「学生時代、仙台に留学してたんだ…だから…あいつが来たんだろ…。」  「叔父様という方は…ご病気なの?」 ロビンの問いに  「…おれが日本に来た頃も…心臓を切ったばかりだった。」  「あなたがご両親を亡くされたのはいつ?」  「…6歳…その後…叔父貴の元でばあさんに育てられた…。」  「…欲深い人なら、とっくの昔に爵位を奪われて、財産も食いつぶされていたわね。」  「…うん…。」 ロビンの言う通りだ。 恩は深い。 2人は後悔の日々を過ごしていた。 流されるままに、危険を招いてしまった事。すっかり油断しきって、守りきれなかったこと。 ゾロが、10キロ先の別の社宅に移って半月が過ぎた。 有木の坑道はフル生産で、ほとんど休みなく鉱石を掘り進んでいるという。 ゾロを暗い穴から掬い上げ、陽のあたる場所へ出してやりたいと願っていたのに、自分の愚かさでそれを自ら断ってしまった。 共に暮らすという幸福を、自分で失う行為をしたのだ。 後悔しても遅い。いくら詫びても足りない。 悪いのはゾロではないのに、なぜ、ゾロが責任を負わねばならない? あの時の若い鉱夫達も、首こそ切られなかったものの過酷な坑道に送られたと聞く。 サンジが、いくら父に訴えても、それは会社の上役の耳に届くことはなかった。 そして、父にも会社の決定を覆す権威はない。 ゼフは、あくまでも廣澤銅山工業に雇われた身にすぎないのだ。 大事にされ、優遇されてはいるが、会社の決定に口を挟むことはできなかった。 庭一面を雪が覆い、土が見える時が稀になった。 藤棚にも雪が積もり、まるで、雪で造った小屋のようだ。 去年の冬、積もらせたままにしておくと、雪の重みで藤が痛むとゾロが雪を下ろしてくれた。 そろそろ、下ろさねばならない。 だが、誰か別の人間に触れさせるのも嫌だ。 冬になると、山男たちも病に倒れる者が続出するという。 ゾロ どうか 無理をしないでくれ… ゾロが廣澤倶楽部を出たことで、目の上の瘤が取れたと胸を撫で下ろしているのは黒木ばかりではない。 実の所、ゾロが廣澤倶楽部で暮らし始めてからの息子の変化に、ゼフは気付いていた。 通ってくるゾロと交わっている間の様子だけでは、見えなかったものが見えてきた。 もちろん、ゾロの方にその気配はなかったが、父親だ。 息子の感情の揺らぎはよくわかる。 アレクサンデルは、ゾロに友情以上のものを抱き始めている。 本国でも、プライドが高く気難しい彼に親しい友人はなかった。 それが、この遠い異国に来て、初めて心から信頼しあえる友を得たとゼフも喜んでいたのだ。 だからゾロに注目し、優秀であるからこそ目をかけた。 同じ屋根の下に暮らしている間の息子は、まるで甲斐甲斐しい妻のように、ゾロの世話を嬉々として行っていた。 どちらが使用人か、わからないほどだった。 何という事だ。 何のために、自分や息子の未来を断ち切って、あの王を拒み、権力に逆らってここへ来たのだ。 その行為を耐えられる訳はない。信じている自分の子が、同じ思いで逃げてきたはずの息子が、 よりにも寄って心を寄せた相手が同性だと信じたくない。 何より、その考えに至った時の悍ましさ。 許してはならない。 だから、息子が怪しい酒で意識を失いここへ戻って来た時、黒木がまくしたてたゾロの悪口雑言を信じこむフリをした。 引き離すなら今だ。 これを機会に、離さねばならない。 何より、これ以上息子を傷つけたくはない。 こんな感情は、やがて悲しみに変わるだけだ。 王に求愛された時の息子の精神の乱れようを、ゼフは今でも覚えている。 突然、狂ったように右手を洗い、擦り、到る所に叩きつけて傷だらけにする 獣の身食いの様な行動が止むまで、どれほど自分が、妻が、娘が苦労をしたか…。 そこまで、その行為を否定し拒んだはずの息子が、あんなに意気消沈するまで心魅かれた。 わかる気はする。 生まれ持った血統の良さは、こんな泥まみれの町にあっても色褪せず、 品性と揺らがぬ誇りを包み込んだ体から、それらがオーラのように立ち上っている。 もし、この男があの戊辰戦争の動乱の中にあったなら、きっと、歴史に名を残すような働きをしたに違いない。 生まれてくるのが、20年遅かっただけなのだ。 狭い坑道を這うように歩き、穴を広げ、掘り進む。 ゼフの元で学んだ事は、掘削の現場でも生かされた。 今までは、ただ目の前の岩盤を掘り進んでいくだけで、深いことは何も考えなかったが、 掘り出した石が、純度の高いものか否かわかるようになった。 掘り進んでも、その道の先に良い鉱石があるかどうかの判断がつくことは強みである。 ゾロの属する班の生産効率は高かった。 殆どがゾロの働きだ。 穴倉の中に戻ったゾロを、鉱夫は皆あれこれと好き勝手に噂しあい、勝手に解釈し、 会社に目をつけられた厄介者として遠巻きにし、近づく者はいなかった。 毎日、黙々とただ穴を掘る。 作業が終わると作業場の風呂に入り、泥を落として社宅へ帰る。 有木の坑道からそこで働く鉱夫の社宅まで、1キロも離れていない。 竈ひとつの土間と、4畳半の畳、一間の押し入れ。 帰って、寝るだけの住まい。 尾田の廣澤倶楽部と比べれば雲泥の差。 しかし、廣澤倶楽部に入る間での古い長屋に比べれば、隙間風が少ないだけマシかもしれなかった。 サンジはどうしているだろう 車に乗せた時、真っ青だった。 白い顔がさらに白く、まるで紙のようだった。 元気になっただろうか。 ジュール・ベルヌの物語の続きを最後まで聞けなかった。 あの、何冊ものアホらしい恋物語を、果たして読み終えたのか。 思い出さずにはいられなかった。 サンジに出逢うまでは当たり前だった毎日に、戻っただけの事。 なのに、ひとりの寒さが身に染みると感じる。 こんなに、おれの毎日には色がなかったんだ。 寝転がり、暗い天井を見上げ、ドテラを肩まで引き上げて身を縮める。 あの、藤棚の雪を、誰か下ろしてやっただろうか? 昨年の冬、下ろした雪を全身に浴びて、あいつが怒って叫んだドイツ語はどんなだったか。 あの後初めて、松脂のように光る酒を落とした紅い茶を飲んだ。 美味かった。 夢のように、贅沢な時間だった。  「………。」 明日の朝も早いのだ。 疲れているはずなのに、底冷えする寒さでなかなか睡魔がやってこない。 雪は止んでいるが、晴れた空の月は冴え、薄い窓ガラスの向うから明かりを煌々と落としている。 冬の晴れの夜は、気温がグンと下がる。 火鉢はあるが、炭を買う金がなかった。 銅山の町。 穴の中に、太陽は登らない。 だから、交替の輪番制で、24時間常に鉱夫が坑道で穴を掘っている。 製錬所も、超高温の熱を必要とすることから、ボイラーはフル稼働だ。 だから、深夜になっても坑道の入り口は明かりが灯っているし、 製錬所の煙突からは休みなく煙が立ち上っている。 冬、乾燥した空気に精錬の煙が混じり始めると、途端に辺りは霧に包まれたようになる。 それでも、廣澤倶楽部にそんな煙害は及ばない。 坑道入口や製錬所のある場所は、遠く離れている。 鉄道の駅からこの辺りまでは、銅で潤う街の賑わいだけがあるが、 深夜ともなればどこも明かりは落ち冬の寒さを一層深いものにする。  「………。」 ベッドで横になってはいた。 だが眠れず、サンジはまた身を起こしベッドから降りた。 ガウンを羽織り、ふと、何かの気配に窓辺に寄る。 何か、音がしている。 かなり気を遣い、音をたてないようにしてはいるが、凍てつく空気の中で、 その音は一定のリズムでサンジの耳に入ってきた。 庭からだ。 そっとカーテンの隙間を空け、目を凝らす。 月明かりと、それに映える雪の白さで庭は明るい。 白い花を愛したルードヴィヒ公は、この雪の美しさも愛でたのだろうか。 と  「………!!」 雪が舞っている。 明らかに、不自然な舞い方。 カーテンを開き、窓を開ける。冷気が一気に入ってくる。 叫びたかったが、かろうじて堪えた。 堪えて、サンジは裸足のまま庭に飛び出す。 そして、藤棚の下まで走り、ようやく  「―――ゾロ!!」 見上げ、叫んだ。 瞬間、雪がサンジの上に舞い落ちてきた。 自分が払い落とした雪の行方に目をやり、樹の上のゾロもまた、驚きに目を見開く。  「――バカ!!そんなカッコで何やってんだ!?」 できる限り声を潜め、ゾロは木の上から叫んだ。 勢い、足をかけた幹から飛び降りた途端  「――――!!」 サンジの白い腕が、ゾロの首に絡みついた。  「ゾロ――!!」  「………っ!」  「ゾロ!!ゾロ!!ゾロ!!」  「…おい…声がデケェ…!見つかっちまう!!」  「…ああ…よく…よく…来て…!…ゾロ!ゾロ!!」 声に、涙が混じっている。 自分を離さないサンジの背中に、ゾロは仕方なく手を回した。  「…おどかして悪かった…雪が…気になっちまってよ…ったく!  誰かに降ろしてもらえよ!こんなにほっときやがって!」  「…お前以外に触らせたくなかったんだ…!!」  「………!」 顔を上げ、叫んだサンジの顔にゾロは怯んだ。 真っ赤な頬に、涙が滝のように流れている。子供のようにみっともなく、鼻水まで垂らして。 サンジは、ゾロの胸に拳を当て、すがるように崩れながら  「…謝りたかった…ずっと…謝りたかったんだ…なのに…お前を呼ぶのを禁じられて  出る事も許されなかった…ごめん…お前は悪くねェのに…ごめんよ…ごめん…。」 サンジの背中をさすりながら、ゾロは白い歯を見せた。  「…よかった。すっかり元気だな。」  「………。」 サンジが、おずおずとゾロを見た。  「…元気ならいいんだ。それだけが心配だった…ホーディの野郎、  ヤバい薬も扱ってるからよ…おれの方こそ悪かった。怖い目に遭わせちまった…。」 ふと、薄暗い天井裏の部屋で横たえられた、サンジの白い体が脳裏をよぎる。 払うように首を振り、涙に濡れたサンジの頬を思わず指で拭った。 一瞬の冷たさに、サンジはびくりと震えたが  「………。」 ゾロの手を捕らえて、サンジはその手を自分の頬にあてた。  「冷てェ。」  「そりゃ、雪下ろししてたからな…てか!お前ェ!!靴!!」  「あ。」  「中へ入れ!おれは…もう行く。」  「………。」 まるで、追いすがる子犬の様な目。 ツキン 胸が痛んだ。  「……どうやって…入ってきた……?」 サンジが尋ねた。 ゾロは、サンジをテラスの上に押しやりながら  「…山茶花の垣根の隙間からだ。ここにいる時に見つけた。」  「また、来てくれ。」  「アホ抜かせ…。」  「どうして!?」  「理由がねェ。」  「!!」 サンジの青い目が、涙に濡れたまま見開かれた。 月に照らされた青い顔。 だがゾロは、素足のサンジが気にかかって仕方がない。  「入れ!しもやけになるぞ!」  「来てくれると約束してくれ!!」  「だから!!」  「おれがお前に会いたいんだ!それが理由じゃダメなのか!?」  「――――っ!!」 また、青い目から涙が溢れる。  「……ダメなのか…?お前は…おれなんかどうでもよかったか…?  藤の木だけが心配だから来たのか…?」 こんな事を聞いて何になる? 心の中でサンジは問う。  「……わかった。」  「………。」  「……会いに来る。」 ゾロが答えた瞬間、サンジはきっと眉を吊り上げ  「…いい!!来なくていい!!」  「はァ!?」  「…もう、いい…!!…もう…!!」  「…てめ…来いっつったり!来んなっつったり!!どっちなんだ!?」 思わず声が大きくなり、互いに互いの口を塞いでいた。  「………。」 遠くで、野犬が鳴いている。 オオカミかもしれない。 サンジは俯き  「……おれのわがままで……もし…見つかったら……今度こそ…お前……。」  「………。」 沈黙があった。だが、ゾロはハッと我に返り  「中へ入れ。」  「………。」  「…はっきり言うぞ、サンジ。」  「……え……。」 ゾロは、サンジの両肩を掴んで部屋の中へ押しやった。 足元の、柔らかい絨毯の感触を確かめ、降り注ぐ月明かりを背に言う。  「…お前に会いたかった。」  「………。」  「お前に逢いたくて来た。だが、逢えることを望んではいなかった。藤の木の雪はついでだ。」  「……ゾ…ロ……。」  「…なんでこんなに…会いたかったんだろな…。」 サンジは、首を傾げ苦笑いするゾロをじっと見つめた。 ゾロ お前 お前も もしかして… けれど  「…はは…。」 小さく、サンジは笑い  「…ブランデーが飲みたかったんじゃねェの?」  「……かもしれねェ。」  「お前な…。」 サンジはからかうように笑って、ゾロの両手を包み  「それでも嬉しい。」  「………。」  「…お前しか…頼りがいねェんだ…。」  「…おれでいいのかよ、坊ちゃん?」  「………。」 友人でいい。 望まない。 望んではいけない。  「お前がいいんだ。」 包んだゾロの手を引き寄せ、指に口づけた。  「………。」 あれほどに否定し、拒んだ行為を自ら―――。 だがゾロは、それがサンジの国の『友情』を示す行為だとでも思ったのか、ただ微笑んでうなずくだけだった。  「また来る。」  「…部屋まで来られるか?」  「任せろ。…ほら、はやく戻れ。足、ちゃんと温めろよ。」  「…うん。」 もう、止められない だが、告げる事はしない 心の中で、繰り返すだけ けれど、もう自分の心を誤魔化さない…誤魔化したくない… ゾロ お前を愛してる…  「お前こそ、気を付けて帰れよ…風邪ひくな!!落盤だけは気をつけろよ!!」  「わかってる!…てめェ、女房か。」  「……っ!!…バーカ!!」 藤の木の下で、一度ゾロは振り返り、茂みの向こうに消えていった。 BEFORE    NEXT                     (2013/12/13) 華の名前-百億の夜-TOP NOVELS-TOP TOP