BEFORE


ルージュを、かかりつけの病院に移送することは難しかった。 今いるS市から、海王園のあるK市まで400キロも距離があるのだ。 かなり体力が落ちていて、このまま重体に陥る可能性もあると総合病院の医者が言った。 ローの見立ても同じだった。 つまり、緊急に骨髄液の提供者を探し出し、移植しなければ危ないという事だ。 ウソップが  「とにかく!ネットやあれやこれやで提供者を呼びかけるから!!」  「職員にも呼びかけてみるからな!」 フランキーも言ってくれた。 ロビンも、大学関係者に当たってみるという。 ブルックは高齢で無理だが、ゾロとサンジももちろん検査を受けた。 いちばん、HLA型適合の可能性が高いのは息子のエース。 誰もが、祈るような思いで検査を受けた。 意外だったのは、ローまで検査を受けた事だ。 それだけで、この仏頂面で無愛想な男が、実は心根の優しい男だとわかる。 本人は「気紛れだ」と言っていたが。 結局、余計な迷惑をかけたことで、ルージュはますます気を落としていたが、 レイリーに叱られ、皆に甘える事にようやく同意した。 幾人もの善意の人も集まった。 可能性は低いのだとローが言った。 しかし日本人は人種の混合が少ないから、諸外国に比べれば高い方だという。 そして、結果が出た。 総合病院のカンファレンスルーム。 ロジャーはいない。レイリーとシャッキー、エースとゾロとサンジがいる。 セカンドオピニオン替わりにと、ローの同席をサンジが望んでここにいる。 そして医者がエースに  「…残念ながら、お母さまとあなたのHLA型は適合しませんでした。」  「―――っ!!そんな…なんでだよ!おれは息子だぞ!?」 食ってかかるエースをゾロが抑えた。この為の要員。 医者が  「親子間でも、適合しないことはあるのです。むしろ合う事の方が少ないのですよ。」  「………。」  「…今のところ…症状に変化はありません。薬もよく効いてくれています。もう少し、待ってみましょう。」 エースは、苦渋の表情を浮かべながらもようやくうなずき  「よろしくお願いします…。」 深く頭を下げた。  「…おふくろンとこ、行ってくる。」  「ああ。」  「わたしも行くわ。」 エースと、シャッキーが出て行った。 それに続いて、レイリー、ロー、ゾロ、サンジの順で出て行こうとしたが。  「少し、待ってください。」 医者が呼びとめた。 レイリーが振り返る。 声には出さなかったが、医者が、もう一度腰かけてほしいという仕草を見せた。 息子のエースには、聞かせたくない話なのだろう。 再び、4人が長テーブルの椅子に腰を下ろすと  「…実は…ドナー適応者がいます。」  「え!?」 声を上げたのはレイリーだ。  「…奇跡ですよ。最初に検査をした方の中におられました。」  「誰です!?」 サンジの問いに、医者が答える。  「…本来、こういった場でお教えすることはないのですが…。」 医者が、別のファイルを取り出し、タブレットの端末からデータを呼び出し、見つめながら言う。  「……サンジさんと仰る方です。ここにおられますか?」  「――――!!?」 沈黙は、ほんの一瞬だった。  「提供します!おれの体の一部でルージュさんが助かるなら、いくらでも!!」 サンジの即答に、医者は苦い笑いを浮かべ  「骨髄液ですよ。骨を切り取る訳ではありません。」  「………!」  「提供の意思があると、判断してよろしいですか?」  「もちろん!!」  「では…こちらのファイルの書類をよく読んでください。そして必要事項に記入を…。」 サンジは何枚も書類の入ったファイルを受け取った。  「それから、カウンセリングを受けていただきます。2時間ほどかかりますので、  ご都合の良い時間をご連絡ください。それと…他にも検査が…。」  「…はい…はい。」 サンジは、医師の説明を真剣に聞き、何度もうなずく。 レイリーが  「…何という奇跡だ…どう感謝を示せばよいのか…。」 と、呟いた。  「………先生。」 ゾロが、初めて言葉を発した。 医師が、ゾロを見る。  「…ドナーは…リスクを伴うと聞いた。」 その言葉に、ローがピクリと震える。 レイリーも、ハッと息を呑んだ。 医師が、わずかに躊躇いながら  「…確かに…安全は100%とはいえません。ですが、今は成功率の低い術式ではありませんから…。」  「………。」 と、ドアが開く音に、皆その方向を見た。 ローだ。 出て行こうとしながら、顔だけを肩越しにこちらへ向け  「……いざ、ドナーが自分の恋人となると、やはり顔色が変わるな。」  「!!」  「…恩ある大切な人と言いながら…まぁ…秤にかければ大事なのはおのずと決まるか。」  「ロー!!」 サンジの叫びにローは怯まず  「自分達が幸福なら、周りの不幸には目をつぶる訳だ。」  「…やめろ…!」 再び、サンジが叫ぶ  「………。」  「…やめろ…。」 そのまま、ローは出て行った。 追わず、サンジはレイリーに  「ルージュさんを助ける。」  「………。」  「安心してくれ…おれは逃げない…。」 レイリーは何度もうなずき、サンジの肩に手を置き頭を垂れた。  「…ありがとう…。」 サンジは医者に向き直り  「お願いします…手続きの一切後回しでいい…どうか急いで…。」  「…わかりました。こちらこそ、ありがとうございます。」 今のサンジの頭の中に、ゾロの存在はなかった。 わかっている こういう奴だ この男は優しすぎて、誰もが幸福になればいいと願っている。 誰かが犠牲にならなければいけないのなら、それは自分だと決めてかかっていた。 そして、ローが自分に投げつけた言葉は正論で、返す言葉がなかった。 ルージュを案じながら、なぜ、それがサンジであるのか。 ゾロは確かにそう思った。  「………。」 自分の会社で雇った通訳が、ありえない問題を起こし、やくざ者に殺されて死んだ。 廣澤男爵は東京在住だが、廣澤倶楽部で夏祭りの接待を行っていた為、尾田村にいた。 なので、事の全てを知るや、すぐに自ら廣澤倶楽部のローゼンバイン親子の元へ赴き  「本当に…申し訳のない事をした。」 謝罪した。 50がらみの小さな男。 しかし、身のこなしはすっきりと洗練されている。 まだ、東京が江戸であった頃、藩重役の随行員としてヨーロッパへ赴いたこともあるそうだ。 雇用関係ではあるが、バロン・ヒロサワはローゼンバインを尊敬している。 大事な子息を、自分の会社が雇い入れた人間が危険な目に遭わせたのだ。 そして  「アレクサンデル君…何か望みはあるかね?」 上客用の応接間。 日本国内で拵えさせた西洋風のソファに腰を掛け、男爵は言った。 その言葉に、ゼフの座ったソファの後ろに控えたサンジは  「…望み…?」 と、低い、かすれた声で言った。 男爵はソファに深く身を預け、手を組み  「いろいろと迷惑をかけた。それから先日の事故の折には大勢の鉱夫達を  救ってくれたと聞く…謝意を示したい。礼をさせてはもらえないかね?」 その言葉に、サンジはチラとゼフを見た。 ゼフは、男爵の方を向いたまま、何も言わない。 請えば ゾロを 会社に戻し、もう一度製錬技師として雇ってもらう事は可能だろう。 それは簡単な事だ。 けれど  「………。」 ゾロを鉱山に戻すのは、逆にゾロの未来を閉ざしてしまうような気がした。 会社に戻すという事は、ゾロの生涯をこの山に縛り付けるという事だ。 今年の正月、あの山の頂から見た広い平野の向うにまだ、広い世界は続いている。  「………なんでも……いいですか……?」 サンジの声に、ゼフはわずかに眉を寄せた。 だが男爵は笑い  「もちろん!私が叶えられることなら!」 男爵も、この優秀で美しい青年に請われるなら、なんでも答えてやりたいと心底思っている。  「………。」 望みはひとつ ゾロと共に生きる事 だが ゾロはそれを望まないだろう 叶えられたとしても やがて、この国の異物であるサンジは、ここで笑い続ける事が出来ないから だけど もう少し あと少し せめて  「………。」 一瞬、影が過ぎった。 窓の外を、鳥が横切って行った。 窓の外 緑が、真夏のそれに比べたら、わずかに色褪せ始めている。 もうすぐ、菊が咲く。 すでに野菊は、畑の畔で咲き始めた。  フジ キク 自分で初めて掴んだ日本語は、華の名前だった。  「……藤……。」 サンジの声に、男爵は身を乗り出した。  「…なんだね?」 サンジは、わずかに口元をほころばせ  「……あの藤が咲くまで…ここにいてはいけませんか……?」  「……あの藤が?」 男爵は立ち上がり、窓に寄り、藤棚に目をやった。  「それだけでいいのかね?」  「……はい。」  「他には?他に何も欲しくはないのかね?」 サンジは笑い  「要りません。」  「………。」 ゼフが、息子を見上げた。 サンジは、声を少し高くして。  「もう一度、あの花を見させてください。他には何も…欲しくはありません。」 男爵はため息をつき、ゼフに  「なんと欲のない…なんとも清々しい…もう一度花をとはなんという風雅なこと…感服する。  先生は実によいご子息を持たれた。」 通訳の黒木はもういない。 サンジは、自分をほめる男爵の言葉を訳さなかった。 それでも、何を言ったのかは雰囲気でわかる。  「アリガトウゴザイマス。」 礼を言い、頭を下げた。 男爵を見送ったあと、ゼフはサンジに何も言わなかった。 春 藤の花が咲くまで わずかに許された時間 ゾロは 相変わらず末町で用心棒稼業をしながら、俥引きをしている。 ホーディは傷が元で、まだ体が不自由ではあったが、相も変わらずの商売を続けている。 それでも、ゾロが自分を救ってくれたのだから、いろいろと気に障る相手でも、 今のところは黙って好きな様にさせていた。 ゾロは、夜になり仕事が引けると廣澤倶楽部へやって来た。 堂々と訪ねてくるわけではない。あの山茶花の植え込みの隙間から、忍ぶように入ってくる。 しかし誰も、ゾロがやってくるのを咎めなかった。 時があれば、ゾロは昼でも廣澤倶楽部にやって来た。 庭でゼフに出くわしても、ゼフも何も言わず、姿が見えないとでも言うようにゾロを無視した。 ただ並んで座り、言葉を交わし、酒を飲み、書を読み、学問を語り、そしてまだ知らない互いの国の言葉を教え合う。 夏が終わり、秋が来た。 庭に溢れた落葉樹の葉を集め、焚火をし、銀杏や芋を焼いた。 秋が深まると、木々の枯れた葉を落とし、剪定をした。 藤の木はうすら寒くなった。 外で過ごすには、そろそろ寒さがこたえる季節になってくると、虫の付きやすい樹に菰を撒き、冬に備えた。 サンジはゾロに、山のブドウからワインを作る方法を教えた。 西洋のブドウの種類も教えた。 鉱夫の長屋に招かれて、ひとつの鍋を皆で囲む料理というものを、サンジは初めて体験した。 粗末であるが楽しく、美味かった。 お返しにと、サンジはシュトーレンを焼いた。 クリスマスに食べる料理だというと、子供たちは興味津々で、クリスマスが何かを尋ねてきた。 ゾロは、サンジに和刀での戦い方を教えた。 黒木に立ち向かった時の構えが、あまりに無様だと言ったら大喧嘩になったからだ。 邸内で使う薪になる木を山へ分け入って探し、運び、2人で割った。 薪小屋がいっぱいになる頃、初雪が降った。 国へ帰る為の準備を、気が早くゼフが始めた。 その折、ドイツから持ってきた書物を全て、サンジの好きにしていいと言ったので、 サンジはそれを全てゾロへ譲った。 そういう意味だと、サンジは悟っていた。 こんなに 毎日好き勝手に遊んで暮らすのは、子供の時以来かもしれない。 まるで夢のような毎日 いや 夢なのかもしれない 夢ならば どうか覚めるな… 夜を共に過ごしても、2人は決してその行為に向かう事をしなかった。 触れてはいけない。 この想いが互いに、絶対で永遠であるからこそ穢してはいけない。 それでも 時折指が、肌が触れると、無意識に身を寄せ合い、互いの熱を預けた。 それだけで、よいのかといえばそれは嘘になる。 意地 だったのかもしれない 何かを課さなければ、この罪のような思いは許されないとどこかで感じていた。 そして、心のどこかで、今ここで離れてもいつか再び逢い、 結ばれることができるという希望を持ちたかったのかもしれない。 「いつか」 そんな日が、訪れるはずもないものを この広い世界の上で ほんの20年前までは閉ざされていた、混沌の幼い国に生まれたサムライに、 サンジが出逢えたこの奇跡。 自分をここに来させてくれた運命に、感謝の思いでいっぱいだった。 そしてゾロの方も 物心ついた時から、育ての親に『主君』として扱われていた。 それでも、そんなものはクズに等しい明治の世で、吹き溜まりのようなこの田舎の街で、 未来など全く見えない穴の中で一生を過ごすはずだった自分の前に、明るく道を照らしてくれる存在が現れた。 その道を往きたいと思った。 叶うなら共に往きたいと願った。 自分を、もっと愛したいと思わせてくれる相手に出逢えた。 自分よりも大事に、愛していきたいと思う相手に出逢えた。 本当に、この出会いに、お前に、心から感謝している。 最後の冬 サンジが目覚めると、藤の木の下に大きな雪だるまが出来ていた。 だるま、というよりそれは、巨大な顔のオブジェだった。 それが、明らかにゼフだとわかる形をしていたので、サンジも女中たちも大笑いしてしまった。 ゾロが、朝方にここを出る時、積もった雪で作っていった物らしい。 ゼフが、次にゾロがここを訪れた時、杖でボカンとゾロを叩いた。それくらい似ていた。 本当におかしかった。 色の無い冬なのに、本当に明るく鮮やかで、雪が降るたびに思い出して苦しんだ、 あの王の接吻はもう記憶から消えていた。 スケートを知っているか? 橇に乗ったことはあるか? スキーを知っているか? クリスマスを一緒に祝おう いいんだよ、気分で 今年も山に登ろう 山で星を見よう 初日の出を見よう 新しい年の朝日を一緒に浴びよう 思い出を、ひとつでも多く――。 楽しくて、楽しくて 春 まだ雪の残る廣澤倶楽部の庭で、一番早く花開くのは雪割草。 花にも、わずかに体温があるのか、花の周りだけ雪が溶けている。 可憐に顔を出すその花を、愛しく見つめながらサンジは眉を寄せた。 春が来るのだ 最後の春が ロウバイ セツブンソウ フクジュソウ コブシ モクレン イチゲ スイセン ウメ アシビ 真白の世界 冬の雪景色とは違う、白い花に染まっていく庭。 ひとつ またひとつ 花が咲く度に心が締め付けられる。 新たな蕾が開くと、その度に別れの時が近づいていると告げられているようだ。 陽射しは優しく、もう、コートを羽織らなくてもいい塩梅。 桜が咲き、庭を彩る。 廣澤男爵が、花見を兼ね、彼らの送別の宴を催した。  「どうして日本人は、この花を特別に思うんだ?」 サンジの問いに、ゾロは酒を湯呑で煽りながら  「パッと咲いてパッと散る。命の短さと散り際の潔さ…ってヤツか?」  「…よくわかんねェな…もっと…齧りつくように咲いていてもいいのに。」  「そんな桜はもう桜じゃねェ。」  「ますますわかんねェ。」 回廊を、何か大きな機械を抱えた男たちが歩いてくる。  「なんだ?」 ゾロが尋ねた。  「…ああ…廣澤男爵が…おれ達の肖像写真を残しておきたいって。  横浜から写真屋を呼んだんだ。」  「ふーん。」 その日、ほぼ1日がかりで写真屋はマントルピースのある部屋で、正装に身を包んだゼフとサンジを撮影した。 もういい加減へとへとになり、テラスでへばっているサンジをゾロが笑う。  「情けねェ姿だな。」  「言ってろよ!じっと立ってるの辛ェんだぞ!?試してみるか!?」  「要らねェ。」 サンジはにやりと唇を上げ  「…確か日本人の間じゃ…写真は魂を抜かれるって迷信があるよな?…あァ…怖いんか?」  「んなワケあるかァ!!おし!受けて立つ!!」 単純 写真屋をテラスに呼び出し、テラスから、藤の木の下に立つ自分たちを撮影させる。 江戸末期の写真機に比べれば、画像がフィルムに焼き付くまでの時間はかなり短くなったが  「………がはぁっ!!ぶはっ!!ハァハァハァ!!ゼーゼー…。」  「息まで止めなくていいんだ、バーカ。」 サクラ ボタン ハナミズキ そして フジ BEFORE    NEXT                     (2013/12/31) 華の名前-百億の夜-TOP NOVELS-TOP TOP