庭に迷い込んできた子猫を拾い、親に許してもらい育てた。 小さな子猫は寝てばかりで、どうしてこんなに寝るんだろうと不思議に思った。 世界は、こんなに楽しいのに もしかしたら、ひとりでさまよっている間は辛いことばかりだったんだろうか? それを思い出したくなくて、眠るんだろうか? 叔父も、おれの父にすべてを押し付けて家を飛び出したことを後悔していた。 ローの母親と一緒になったことはもちろん後悔していなかったが、苦労させっぱなしの兄に、 わずかでも楽をさせてやれないまま死に別れてしまったことを、叔父はずっと悔やんでいる。 だから、おれには苦労をさせまいとして必死に働いてくれ、家もしっかりと守ってくれた。 最大の感謝は、ローをおれに与えてくれた事だ。 ローゼンバインの血を引いていないローを、親族の反対を押し切って養子にし、 あらゆる教育を施して、アレクサンデル以来医師の家系だったその系譜を守った。 おれの出来の悪さを、決して責めたりしなかった。 みんなが優しすぎて、誰も嫌いになれない。 けれどおれは、ゾロに出逢った。 出逢って、本当に生きるってことが、本当に約束ってものがどんなに大切かを知った。 ゾロといたい それは、優しいみんなへの裏切りにつながる。 特に、ローへの裏切りは最も重い罪だ。 わかってる だけど だけど おれはゾロが好きだ ゾロの側にいたい 『ゾロさんはねェ、祖父の生まれ変わりじゃないかと思うんですよォ』 『血が繋がっているとはいえ、ここまで瓜二つだとさぁ、サンジの方もそうじゃねェの?』 本当に おれ達はあの2人の魂を継いで生まれたのかもしれない。 そうでもなけりゃ、こんなに、こんなに、魅かれて惚れる訳はないのかもしれない。 けど、これは、おれの想いだ。 アレクサンデルのものじゃねェ ブルックのじいさんのものでもねェ おれと、ゾロのものだ 「…ゾロ…どこにいるんだ…?」 「なァ…ゾロ…?どこだよ…?」 「…どこだよ…なんか真っ暗で何も見えねェ…。」 「ゾロ、どこだ?」 水の音 燻した何かの匂い かすかに聞こえてくる金属音 まるで、暗い穴の中にいるかのようだ 「ゾロ?」 答えはない。 ふと気づく 目の前に 「………。」 そこに、鏡があるのかと思った。 だが違う おれじゃない 「………。」 ゆっくり、こちらを振り返った相手の顔は、とても悲しげだった。 「………。」 これは まさか サンジは、ゆっくりともう1人の自分に歩み寄る。 そして 「伝えたよ。」 「…ちゃんと伝えた…。」 「…伝えたよ…。」 わずかに、もう1人の自分は微笑み 「ありがとう。」 小さな声で答えた。 瞬間 「………。」 強く握る手。 座りながら、そのままサンジに伏すようにして眠っているゾロ。 「………。」 終わったんだ。 ルージュはどうしただろう? 「………。」 サンジは、握られた手を握り返した。 と 「―――ッ!!」 ゾロが跳ね起きた。 「………っ!!」 「………。」 微笑み、サンジは小さくうなずいた。 何も言わず、ゾロはサンジを抱きしめた。 「…何…泣いてんだ…?」 サンジの声は、いつもの憎らしい笑いを含んでいた。 気づくと、頬に冷たいものが当たっていた。 それが雨だと気づくと、さらに風も巻いていることに気付いた。 ここはどこだ? 激しい雨でよく見えない。 「引け――――っ!!」 「お――――っす!! 雨の中、何人もの男たちが何本ものロープを引いている。 そのロープの先に 「………。」 木 あれは、この庭の藤の木だ ずいぶん大きく、そして形が変わって見えるが、間違いないあの藤だ。 「引け―――っ!!」 「お―――――っす!!」 わかる 彼らは、あの樹を守ろうとしている あの樹を、また咲かせるために そうか また、あの花は咲く… おれ達がここから消えても、来年も再来年も…何度でも何度でも… 咲いてくれ これからもずっと咲き続けて おれ達が出逢った事 想いを交わした事 全て知っているこの樹を、どうか愛して そしてこの樹の下で、おれと過ごした事を思い出して、これからも笑っていてくれゾロ そう思うだけで、おれも笑っていられる。 『笑え』 お前がそう言うなら、おれは笑うよ。 お前を思っておれは笑うよ。 やがて終わりを迎えるその時まで、笑って、お前を思い続ける。 「―――っ!?」 今、サンジの体をすり抜けて誰かが走って行った。 その後ろ姿は間違いなく 「…おれ…?」 泥まみれの男たちに混じり、一緒にロープを引き始める。 その隣に 「………。」 そうか そうなのか そうか 「…サンジ!!」 最近は、ゼフでさえアレクサンデルと呼ばなくなった。 これからもずっと、この名で呼ばれ続けたい。 「…おはよ…父さん…。」 「………っ!!」 涙をにじませ、父はうなずく。 わずかに手を上げ、小さな声でサンジは言う。 「……帰ろう…母さんが…待ってる……。」 その言葉に、ゼフは息子を抱きしめ 「…すまん…すまん…!」 「………。」 誰よりも、父が自分を愛してくれているのを知っている。 父は、心の底でサンジの想いを認めてくれた。 「………。」 大丈夫 この想いは、100年先まで続くのだから。 サンジが目覚めたのを、一番喜んだのはやはりルージュだった。 ルージュはサンジの骨髄液が働き始めた頃から見違えるように元気になり、 1か月後に退院して海王園へ戻ることになった。 レイリーとエースが一緒だったが、ロジャーはやはり姿を消していた。 「結局、やりてェことをやりてェんだよな、親父は。」 「ウフフ…あなたも、やりたいことをやっていいのよ?」 「……ん〜〜〜〜〜……。」 だめだ、こりゃ。 だが、少しこの父と子の距離は縮まった気がする。 「じゃあね、サンジくん…本当にありがとう…。」 「お元気で。今度は家出じゃなく、遊びに来てください。」 車椅子同士で、手を伸ばし握手を交わす。 「ええ!今度来る時は『リズムでポン!』のDVDを持ってくるわね。」 「……いや…それは……。」 持ってんのかよ、と、ゾロは心の中でツッコんだ。 エースのものなら、鼻をかんだティッシュまで保管していそうな勢いの母の愛。 「ルージュさん、お元気で…。」 「お世話になりました、ブルックさん。どうぞお体大切に…。」 「ありがとうございます。あの、ルージュさん…。」 「はい?」 「最後に、パンツ、見せてもらってよろしいですか?ぐぼはぅわぁっ!!」 ゾロとエースに潰された骨。 「ごめんなさい?今、車いすから立てそうになくて…。」 「謝んなくていいんだよ!!見せる気か!?」 息子、ツッコミ 「では、行こうか。」 笑いを必死にこらえるレイリーに促され、ワンボックスカーの後部の人になる。 途中有名な温泉地に一泊し、このまま休み休み、ゆるりと帰るそうだ。 エースがサンジの手を取り 「ありがとな、サンジ。」 「どういたしまして。お安い御用だ。」 「………。」 ぎゅっと、握る手に力が籠る。 ぴくっとゾロのコメカミが動いたが、かろうじて耐えた。 1分後にはここからいなくなる奴に、目くじらを立てても仕方がない。 「……やっぱ、美人だな…お前……ゾロには勿体ねェや。」 「いい加減諦めろ。」 「やだね。」 「あァ!?」 やっぱりキレた。 「あっはっはっは!!じゃぁな!また遊びに来る!!」 「来んな!!」 エースらを見送る。 そのわずか後、病院のエントランスに、フランキーのワンボックスカーが入ってきた。 窓からウソップが顔を出し 「あー!!行っちまったかー!?」 「あ〜…たった今だ。」 「もう、だから急いでって言ったのに、フランキー。」 「仕方ねェだろ!議会が長引いちまったんだからよ!警察に捕まったら即辞職だ!」 「…市長に運転手させる職員ってどうよ?」 サンジのセリフにウソップが 「仕方ねーじゃん、おれ、車持ってねェもん。あーあ…お別れ言いたかったのになぁ。」 「そうね…でも仕方がないわ。それに、また会えるもの。」 ロビンの言葉にサンジが 「…だよね…。」 「………。」 「また、会える。」 ゾロが、サンジの車椅子を押し出した。 「じゃ、帰りますか?我が家に。」 ブルックが言い、皆笑ってうなずいた。 が 「フランキー。」 「あァ?」 「月殿に回ってくれないか?」 「あァ?公園にか?」 「あァ。……おい、ロー!!」 サンジが呼んだ。 今日、ルージュの退院を見送ったのは彼らだけのはずだったのだが 「…さっきからそこにいるのはわかってんだ。出てこいよ。」 サンジの言葉に、柱の陰からローが姿を見せた。 「………。」 「なんだかんだと…ルージュさんも心配してくれてたんだろ?」 「…んなワケあるか…。」 「…そういう事にしとく…一緒に来てくれ、ロー。」 「………。」 「お前に、あの藤の木を見せたい。」 「…必要ねェ…。」 「おれが、見せたいだけだ。来てくれ。…花は咲いてないけどな。」 「………。」 何をする気だ? そんなゾロの問いを、サンジは察したように 「…見てもらいてェ。」 「同じローゼンバインの息子だ…。ローも…ばあさんから…アレクサンデルの話をさんざん聞かされて育った…。」 ブルックが、「ああ」と溜め息のように言った。 「………。」 ゾロの軽ワンボックスとフランキーのワンボックス。 白と黒のそれが月殿に着いた時はもう夕方近くで、閉園までもう30分ほどの時刻だった。 藤の花は咲いていないが、初夏の花が所々で鮮やかに咲いている。 市民で、60歳以上の高齢者はここに無料で入園できる。 なのでこの時刻、散歩に訪れる地元の者が多い。 市長夫妻がやってくるのを見ると寄ってきて、握手を求める支持者もいた。 もう少し、この公園を作る時の借金が減ったら、いずれ無料開放するつもりだ。 藤の時期は、もちろんお代を頂戴するが。 ウソップもブルックも顔なじみが多いらしく、なかなか先へ進めない。 園長であるゾロと副園長サンジも、子供がすれ違うと元気に「こんにちは!」とあいさつを投げてくる。 中には、サンジが車椅子であるのを見て「副園長さん、どうしたの?」と尋ねる子供もいた。 藤の下に集うもの皆に、彼らは愛されている。 「………。」 「樹齢180年。広さ300畳あまり…T県特別天然記念物、尾田の九尺藤…デケェだろ…?」 「………。」 「…これが…ひいじいさんの生涯を決めた…藤の樹だ…。」 「………。」 「…花が咲くと…そりゃぁ…見事だぜ…この下に…大勢の人が集まってくれる…。」 「………。」 「…お前…お前の方が先に日本に来て…仙台の大学からここは近いのに… お前はここに来なかった…お前も…アレクサンデルの話を知っていたのに。」 「…おれはそんなセンチメンタルに、付き合うつもりはなかった。」 「違う。」 「………。」 「…お前は…自分がそれに相応しくないと思っていたからだ…。」 「………。」 「本当に…ローゼンバインの息子のおれが行くべきだと…ずっとお前は思ってたからだ… だからお前は…日本にいる間ここに近寄ろうとしなかった…。」 「………。」 「…そんなに日本語を覚えたのに…日本を留学先に選んだのも… ひいじいさんが生涯思ったこの国を…見たかったからだ…お前も…。」 「………。」 「だけどお前は…ローゼンバインの子じゃない…だからずっと一歩下がって生きてきたよな… おれの為におれの為にって…叔母さんに言われ続けて…きつかったよな…ロー…。」 「………。」 「けど…ロー…おれだって…アレクサンデルの血は一滴も流れちゃいない…それはお前と同じだよ…ロー…。」 「………。」 「お前だってよかったんだ…。」 「…けれど…お前はこの役目をおれに譲ってくれた…ばあさんだけじゃない、 お前にも託されたとおれは思った…だからここへ来た…ここへ来て… ブルックに出逢って……ゾロに出逢った…。」 「………。」 「…ありがとう…感謝してる…。」 「………。」 「…ロー…おれ、一度ドイツへ帰るよ。」 「―――!!」 ようやく、ローがサンジを見た。 「帰って…叔父さんと叔母さんに…ちゃんと謝る…。」 「…サンジ…。」 「謝って…許してもらう。」 「…そう上手くいくか…。」 「そうだな…叔父さんも頑固だからな…。」 「………。」 「味方になってくれよ、ロー。」 「………。」 「……ごめんな。」 ゆっくり、サンジに歩み寄り、車いすの前に膝をつき 「………。」 ローはサンジを抱きしめた。 ローは11歳だった。 サンジは6歳だった。 初めて、義理の父の家族に会ったのは、義父の兄の葬儀の場だった。 親族たちの理不尽な冷たい目と、母に投げつけられる侮辱の言葉に、 背筋が震えたのを覚えている。 だが、この白くて金色の小さな者は、おれの手を握り言った。 『泣いてるの?どっか痛い?』 両親を、事故で一度に失くしたのは自分であるのに、この小さな子は、それでも人を思いやる心を持っている。 喪服の裾をキュッと握った小さな手を取り握り返すと、白い手も握り返してきた。 葬儀の場に子供は自分達だけで、身を寄せ合うようにしてずっと手を握っていた。 従兄弟だと告げられ、義理の祖母に、母に、この子を守ってやってくれと言われた。 気は強いが素直で、優しくて、真っ直ぐで この美しい従兄弟を、愛さない理由はなかった 医師になったのも、いずれ共にありたかったからだ。 なのにサンジは、日本に行った後一向に国に戻らず、あろうことか永住すると言い出した。 辛くない訳はないだろう…。 おれだって、ずっとお前を愛してた…。 ゼフとサンジが、ガソリン車で尾田の廣澤倶楽部を出ると、 門前で待っていた鉱山の男達や、村の人々がわっと群がってきた。 今日まで、別れを告げに来るものはたくさんいた。 餞別の記念品もたくさんもらった。数えきれないほどだ。 春の盛り、子供たちが野の花を花束にしてサンジに差し出す。 ゼフとサンジは尾田の人々に本当に愛された。 これまで幾人かのお雇い外国人が来たが、いずれも高慢で、鉱夫や村人を見下すような人種であったから、 彼ら親子の様な異国人は初めてで、心の底から信頼を寄せた。 特に、あの落盤事故で、サンジに命を救われたものも多い。 皆、口々にありがとうを言いながら、代わる代わる手を握っては泣きじゃくる。 「お元気で!お元気で!」 「ありがとうございました!」 「さよならぁあ!!」 車を追いかけてくる者もいる。 沿道で車に手を振るもの、追いすがるもの、本当に、多くの人が別れを惜しんだ。 その人の波は、駅まで続いた。 もしかしたら、彼らが日本に来た時、会社がサクラに立てた人より数が多かったかもしれない。 途中、田の畦道に見た一団は、末町の者たちだった。 黒木が起こした火事の折、サンジは楼主を怒鳴り飛ばして、女郎たちを逃がした。 男もいる、女もいる。 車を見ると、こちらへ深く頭を下げた。 その中に、俥屋のジョニーとヨサクもいる。 だが、ゾロはいない。 「………。」 行かない。 だが、必ず見送ると言っていた。 もう一度 姿を見たい もう一度… 駅にも、人は大勢いた。 もう、手に持ちきれないほどの土産。 大きな手、小さな手、汚れた手、カサカサの手…。 銅山鉄道は廣澤鉱業の運営だ。 本来の列車の発車時刻はとうに過ぎているが、彼らを待って発車することになっていた。 発車のベルが鳴る。 汽笛を鳴らし、ゆっくりと列車が動き出す。 白い蒸気を吐き、サンジを乗せた列車は一旦G県のMという駅を目指す。 そこから、2度列車を乗り換え、横浜に着く。 「………。」 泣かない 泣くものか 泣いてはいけない ふと、ゼフが席を立った。 席を立ち、隣のボックスに移る。 横浜まで付き添う会社の随行員が、目で追ったが何も言わなかった。 サンジは、何気なくゼフが座っていた席に移動した。 と 「―――――っ!!」 窓の外 閉じていた窓を、勢い開け放つ。 飛び込んでくる風が髪を打つ。 窓の枠に手をかけて、サンジは身を乗り出した。 山間を抜ける谷。 赤い鉄橋の向こう。 山肌に張り付く様にせり出した岩の上。 よく、そんな場所に登ったものだ。 だがそこに立った理由を、サンジは一瞬で悟った。 ゾロだ ゾロが、その岩の上でこちらを見ている。 山肌から、まるで降るように咲いている、野生の白藤。 終わりかけの花が、雪のようだ。 「……ゾロ……ォ……っ!!」 声を振り絞り、叫ぼうとした。 だが 「アレクサンデルさん!危ない!!おやめください!!」 随行員に、肩を掴まれ引き戻されかけた。 抗いながら 「―――――っ!!」 ゾロは、何も言わずじっとこちらを見ている。 うん そうだ そうだよな 笑え ゾロの言葉を思い出す 泣くな 笑え 笑っていてくれ 「――――。」 笑うよ 笑う お前には、笑顔を覚えていてほしいから 笑うよ その笑顔に、ゾロも笑った。 許される時代に生まれたかった。 それでも出逢い、心を交わせたことは幸福だった。 決して忘れない 絶対に捨てない この哀しみが癒される日など来ない いつか なんて、決して来ない。 この想いは、千の夜を、一億の夜を、百億の夜を越えても消えない だから 百億の夜を越えても、許される時が来たなら 必ず それでも、今だから、おれはお前に出逢えた。 いつかという日は来ないかもしれないけれど この傷が癒える日は来ないかもしれないけれど この想いは消えない 消さない 百億の夜、おれはお前を想う。 ああ おれはなんて幸福だろう… 「ゾロォォォォォォォ―――――っ!!」 最後に呼ぶのはお前の名と決めていた。 この想い 絶対捨てない 永遠に BEFORE NEXT (2013/12/31) 華の名前-百億の夜-TOP NOVELS-TOP TOP