2月になった。



今日から、ゾロはひとりで通学のバスに乗る。

3年生は、今日から自由登校で、一緒に通学していた1学年上の兄は、家を出る時まだ布団の中にいた。



田舎の路線バス。

ゾロの家の前の広地が、バスの転回所であり、始発・終点の停留所になっている。

朝、この時間にここから乗り込むのは、ゾロと兄だけだった。



今日からひとり



皆勤賞の彼ら、ひとりでバスに乗るのは、互いの修学旅行や部活の朝練等以外ではこれが初めてだ。

同級生のウソップが、乗り込んでくるのはまだずっと先の、町に入ってから。

それまで、することなど何もない。

ゾロは、今時の高校生にしては珍しく、携帯もスマホも持っていない。

そういう物をいじくって、暇をつぶす必要が、昨日までの彼にはなかった。



隣に、兄がいたから。



路線バス最後部の窓際は、彼らの指定席だった。



バスが来た。



行先表示がJRの駅名に代わる。

ゾロの前でバスは大きく転回し、完全に止まる前にドアを開けた。



 『霜月神社前〜霜月神社前〜。このバスは、鞘堂経由、桐谷新道、JR籠屋駅行きです。』



 「よう!おはよーさん!」



頭の禿げあがったいつものおっさんが、サイドブレーキをかけながら言った。



 「おはようございます。」

 「あれ?ひとりか?兄ちゃんは?」

 「…今日から自由登校…。」

 「あああ…そうかぁ…3年生だからな!…兄ちゃん、大学行くんだろ?やっぱ、東京かい?」

 「………。」



乗り込み、IC機能の定期を料金箱にスキャンさせ、ゾロはそれには答えずただうなずいた。



 「神主さんになるって言ってたもんなぁ。親父さんも安心だな。」

 「………。」



最後尾に腰を下ろす。

昨日まで兄が座っていたシートに、薄い鞄を投げる様に置いた。



 「悪いな、2分調整だ。」

 「……はい。」



発車時刻まで、あと2分。

ゾロは目を閉じた。

駅まで30分。どうせ終点。 寝て行こう。



と、思った瞬間、『プっシュー!』と、油圧の音がしてドアが開いた。

珍しい、誰だ?

そう思い、目を開けた。すると



 「おはよー!おじさん!――おい、ゾロ!お前、弁当忘れてんぞ!」



パジャマに半纏羽織って



 「ほら!ついでにスープ作ったからな。」



弁当用のバッグを受け取り



 「そんなカッコで風邪ひくだろ!池、氷張ってんだぞ!」



肩をすくめ、少し鼻を赤くして、兄は笑った。



 「サンジくん、大学決まったのかい?」



運転手が言った。

サンジと呼ばれた青年が、笑って答える。



 「ああ、K学院大学、。」

 「東京なんだろ?」

 「うん、渋谷なんだぜ?」

 「へぇえ!そりゃあ!都会だ!…お父さんに聞いたけど、神社の神主さんの大学ってのがあるんだってねェ?」

 「うん、まぁ…神職の資格取る時にやっぱり有利だからさ…。」

 「ふぅ〜〜〜〜ん。」

 「おい、サンジ…!時間だ、さっさと戻れ。」



ゾロが、叱りつける様に言った。

サンジは笑いながら



 「ハイハイ!いってらっしゃい!じゃ、おじさん、また!」

 「はいよ!がんばんな!」



再びドアが開き、サンジがぴょんとステップを飛び降りた。

ドアが閉じると同時に、『発車します』のテープのアナウンス。

曇ったガラスの向こうに、サンジの、兄の笑顔。

半纏からチラと見える指が、サンジの顔の前で「じゃ」という形を作った。

目で追うサンジの半纏の丸い後姿が、神社の鳥居の向こうに消えた。



 「………。」



赤い鳥居の奥に、彼ら兄弟の家はある。



ゾロは、この神社の宮司の息子だ。

そしてサンジも、この家の息子だ。



同い年の



双子ではない。

双子なら、学年が違うなどという事は滅多にない。

サンジは3月の早生まれ。ゾロは11月の生まれで学年が違う。



 「………。」



彼らが、兄弟になってから、次の春で13年目。











その日の事を覚えているとサンジは言う。



誰かに手を引かれてバスに乗り、一緒に終点でバスを降り、手を引かれて神社の鳥居を潜ったと。

そして、一緒にいた誰かが社務所の戸を開け、サンジだけを中に入れて戸を閉め、それきりその戸は開かれなかった。

奥から出てきたゾロが、知らない子供がいる事に気付いて両親を呼び、父親が慌ててそこから飛び出すまで。



サンジの背負っていたリュックサックには、1日分の替えの下着と服。

パックのジュースとビスケット、そして手紙が入っていた。



サンジと言います。××年3月2日の生まれです。

訳あって、育てる事ができません。ご迷惑をおかけします。

アレルギー、疾病などはありません。どうかお許しください。



丁寧な、だが弱々しい字で書いてあったという。

その後、パトカーが来て制服警官が来て、その情景はゾロも覚えている。



そのパトカーにサンジが乗せられ、連れて行かれそうになった時、サンジの腕を引いて裏山までゾロは逃げた。



何故そんな事をしたのかは全く記憶にない。



今でも時々、近在の人がその思い出を口にしてゾロをからかう。



 「サンジがよっぽど気に入ったんだろ。」



その話は誰もいつも、そう締めくくられて終わる。

ゾロがその晩、サンジを連れて行くなと火のように泣いて喚いたので、仕方がなくサンジを一晩ゾロの家で預かった。

だが両親は、この時にはすでに、親が見つからなければサンジを引き取ることを決めていたようだ。

両親は、心の優しい、お人好しな人たちだ。

そして母は、ゾロを生んだ後に子宮筋腫を患い、2人目の子を望めなかったという事もあり、

いきなり訪れたこの縁を逃したくなかったと、笑いながらサンジに語って聞かせていた。



正式に家に引き取り、両親が自然にサンジを「おにいちゃん」と呼び始めた。

同年の3月生まれと11月生まれ。サンジの方が月齢は上だ。早生まれの為、学年も上になる。







 『ピンポーン♪次は、シロップ台入口〜シロップ台入口〜。お降りの方はブザーでお知らせください。』



気が付くと、バスの中にはいつもの乗客がちらほら乗り合わせていた。

シロップ台の停留所に、数人の客が並んでいる。

この時間の客は、学生とサラリーマンが主で、並んでいる客は皆黒っぽい服装で、2月の空に余計寒々しく見えた。



 「お〜〜〜っす!ゾロ〜〜〜〜!いやぁああ寒ィなァァァ!!」



2,3人目に、同じクラスのウソップが乗り込んできて、真っ直ぐ最後尾に来ると、

ゾロのカバンをひょいと持ち上げて、昨日まで兄が座っていた席に座った。

そして



 「おおおおおお!あったけ〜〜〜〜〜〜vvv」

 「くっつくな!」



ゾロにぴったりくっついて、体を摺り寄せて暖を取る。

これが昨日までだったら、ウソップはおそらくサンジに抱きついて暖を取ったに違いない。

そう思ったら、多少は我慢してやるかと、ゾロはぐっと唇を結んだ。



シロップ台は昭和の終わりにできた住宅地で、この停留所から乗り込む学生は多い。



 「3年生がいなくなると途端に空くよな。」

 「…ああ…。」

 「サンジ、引っ越しいつだ?」

 「…知らねェ。」

 「おいおい。」



ウソップが笑いながら



 「なんだよ?まさか寂しいのかぁ?」

 「まさか。」

 「お前、ブラコンだもんなー。」

 「誰がブラコンだ!」



ゾロの声は大きかった。

乗客の目が、一斉にゾロに集まる。



 「引っ越しの時は呼んでくれってメールしとこ。そうだ、ゾロお前ェ、いい加減電話買えよ。

 サンジと連絡取る用に。スマホが嫌なら携帯でもいいじゃん?携帯なら結構0円あるぜ?」

 「……いらねェ。」

 「頑固もん。」

 「…いとこの家に下宿すんだ…必要ねェよ。」

 「ああ!知ってる知ってる!去年、こっちに遊びに来た奴らだろ?

 えっと、ルフィ!それとエースにサボ、だったよな!?あいつら面白いヤツだったよな〜〜!

 すげーよな、3人兄弟!おれ、ひとりっ子だから想像できねェや!面白そうだよな〜〜。」

 「………。」

 「なァ!マジで!マジで携帯買っとけよ!もうサンジがいねェんだから、お前と連絡どうやって取りゃいいんだ?」

 「家の電話にかけろ。」

 「うおおおおおお!昭和か!アナログ野郎め!」



夕べ



サンジにも同じことを言われたが



いとこの一家は、東京の世田谷とかいう場所に住んでいる。

母の姉の嫁ぎ先だ。

だが、いとこの両親は海外勤務でベトナムに住んでいて、世田谷の広い家に住んでいるのは、いとこの3兄弟とそのじいさん。



 「サンジの次はゾロじゃな!楽しみに待っとるぞ!がっはっは!!」



ガープじいさんは笑って言った。



勝手に決めるな。

サンジと同じ学校に行くなんて、一言も言ってねェ。



 「ゾロ、お前もK学院大学、剣道でスカウト来てんだろ?いいよなァ!

 目指す学部のある学校が剣道も強豪でよ!あ〜、おれも東京行きてェ〜。」

 「………。」



 『お疲れ様でした。次は終点、JR籠屋駅前〜JR籠屋駅前です。

 本日も、××バスをご利用いただき、誠にありがとうございます。』



ここから電車で10分、2つ目の駅。

そこから歩いて15分。

もう、一緒に歩くことのない通学路。







ゾロを見送り、部屋に戻り、着替えて、サンジはダイニングに顔を出した。

ゾロはサンジが、寝こけていたと思っていたようだが、実はまだ薄暗い内に一度起きて、

神職のそれに身支度を整えて、境内の掃除を済ませていた。

ゾロが起きる前に一通りの朝のお勤めをして、二度寝したのだ。

持たせた弁当もスープも、サンジが拵えて置いた物。

多分、弁当を開けてみて、その事に気付くだろうとは思う。



 「おにいちゃん、ご飯食べる?」



母が言った。



 「あ、いい。パンかじる。自分でやるよ。」

 「………。」



母は仕草で、サンジを座るように促した。



 「何…?」

 「後でお父さんからも話があると思うけど…。」



母も座りながら



 「来月、18の誕生日よ。」

 「…うん。」

 「…よかった…。」

 「………。」



涙すら浮かべて母は言う。



 「…もし、あんたの親が現れたらどうしようって、ずっとひやひやしてたから…。」

 「………。」

 「あと1か月……はぁ〜〜…長かったァ…。」

 「…ありがと…。」

 「お礼いらない。…親よ?」

 「うん。」

 「…だからね、サンジ?」

 「…うん。」

 「もう、遠慮なんかいらないのよ?これであんたは、間違いなくうちの子よ?」

 「うん。わかってる。」

 「お父さんがこの話をしたら、何も言わずに『うん』でいいんだからね?」

 「うん。」

 「よし。」



そういう決まりなのだと、サンジが高校に入る時、父に教えられた。



身寄りのない子供でも、出生の状況がはっきりしていて、親権者が明確な意思を持って子供を籍から外すことを

承知したケースと、サンジのようにどこの誰が親かわからず、親権者が不明なケースとでは、

引き取られた里親の籍に入る時の条件が違うらしい。

つまり

親がきっぱりと自分の意思で、誰か別の人間に子供を託すことを決めた場合なら、

その子供は赤ん坊の内から里親の籍に入り、養子となる事が出来る。

しかし、サンジのように、置き去りにされたケースの子供の場合は、ほとんど親権者が不明のままだ。

後日、「やはり自分で育てたい。」と引き取りに来る可能性が、残されていると良心的に判断される。

その際、その実親の意思を無視することができなくなるため、予防手段として、

18歳未満の子供は大人の意思のみでの養子縁組ができないのだ。



サンジは来月18歳になる。

自分の意思で、目の前の母を、法律的にも『母』と呼んでよくなる。

サンジひとりの記載で、サンジが筆頭者の戸籍から離れ、ようやくこの家の『子』になり、ゾロの隣に名を記載されるのだ。



 「…ねェ、サンジ…。」

 「…何?」



母はテーブルの上で腕を組み



 「…あんた…本当に神主になりたいの?」

 「…なりたいよ?どうして?」

 「…あたし達やゾロに…気を使ってるなら…。」

 「使ってないよ。」



サンジは明るい声で言った。



 「…父さんを尊敬してるし…神職に就くのはガキの頃から憧れだ。嘘じゃない。」

 「…そうなら嬉しいけど…。」

 「………。」

 「…親をナメちゃだめよ?サンジ?」

 「…え…?」



母は、サンジの手に触れて



 「あたしの子よ?」

 「………。」

 「思うように、生きていいの。」



サンジは笑い、うなずいた。

母も笑い、何か、言葉を続けようとした時、固定電話が鳴った。













ゾロが帰宅するのはいつも夜の9時頃だ。

放課後部活をし、終えて帰路に着くと、どうしてもこの時間になる。

そして、この時間に神社前に着くバスが終バスだ。

神社前の広場にバスが着く音がして、いつもきっかり2分後に、ゾロが不機嫌な声で「ただいま」と玄関の戸を開ける。



だから、3分を過ぎても玄関の戸が開かないと、終バスに乗り損ねたのか?と、家族は思う。

そうなると、バスで30分の道のりを、ゾロは歩いて帰ってくることになる。

それでもかまわないとゾロは言うが、バスの3倍はかかる所要時間を、のんびり待っていられるような両親ではなかった。



心配というより



めんどくさい



 「テーブルが片付かないのよ!お風呂も冷めるし!」



そんな理由で、父が上着を着てゾロを迎えに行く支度を始めるのだが、その日は、

バスが走り去る音がしてから5分後、玄関の戸が開いた。



そして



 「ただいま。」



サンジが部屋から顔を出し、玄関に向かって



 「…おかえり。」



と、声をかけた。どこか、笑いを含んだ声。

すると



 「お――――っす!サンジ――!来たぞ―――!!」

 「こんばんはー!お世話になりまーす!」

 「よおおおおおおお!!サンジ――!いたいた!久しぶりだなあ!」

 「…受験から3か月しか経ってねェよ、エース。」



そばかすの笑顔が一層緩み、ゾロを押しのけサンジに抱きつき、力の限り抱きしめた。



 「あ!ずるいぞ!エース!おれもー!」



末の弟ルフィが、サンジに飛びつく。

兄と弟の、過剰な愛情表現をニコニコ見つめながら



 「あ。おじさん、おばさん、こんばんは!」



と、帽子を取り、ゾロとサンジの両親にあいさつしたのは、三兄弟の2番目・サボ。



 「はい、こんばんは。よく来たね。」



にこやかに、父は笑いながら言った。



 「いらっしゃい!ホラ、玄関は寒いから早く上がりなさい。もう…本当にあんた達はいつもイキナリね。」



母が呆れて言った。



 「あっはっは!たまたまみんな、明日から授業がなかったからさ!だったら遊びに行こうかって事になったんだ!」



ルフィが、マフラーを外しながら、鼻の頭を赤くして笑った。

ゾロが叫ぶ。



 「おれはまだ授業があるんだよ!…ったく…駅のホームに3人で待ち伏せしやがって…!死ぬかと思ったわ!」

 「悪ィ悪ィ、ちょっとだけおどかすつもりだったんだ。

 まさかあの長っ鼻、マジでホームから落っこちるとは思わなかった。」



エースが言った。



 「てめェらが、全力で体当たりしてきたんだろうが!」

 「いやー、見事に飛んだよなァ。」



サンジが呆れてゾロに尋ねる。



 「で?ウソップどうした?」

 「電車が来る直前に引き上げた。…ったく!駅員に絞られて、あやうくバスに乗り損なうトコだった。」



母が



 「まあ…!なんてことするの!ウソップのお母さんに謝っておかなきゃ!」

 「だいじょーぶ!生きてっから!」

 「そういう問題じゃないの!」



ゴツンと、ルフィの頭を殴り、母が慌てて居間へ戻っていった。

父が



 「君たち、夕飯は?」

 「食う!」

 「いただきます!」

 「食べる!!」



即答。



遠慮のない妻の甥たちに、父は困ったように、だが嬉しそうに笑った。

サンジが袖をまくり



 「よし!じゃ、ダイニングに移動!」

 「やったー!サンジの飯だー!!」



ルフィが、サンジの腕に絡みつきながらはしゃいだ声をあげた。

ビリ、と、ゾロのコメカミに電流が走る。

サンジはルフィに引っ張られながら



 「ホラ、ゾロ!お前も早く来い。こいつらから来るって電話もらってから、

 急いで仕込んで半日煮てたから、美味くできてるぜ〜。」

 「あ〜〜〜おでんだ〜〜〜〜いい匂い〜〜〜〜。」



サボが言った。



 「…着替えてから行く。」

 「おう。」



賑やかな声に急かされるように、ゾロは2階の部屋に上がった。

3人のいとこ達を、彼は嫌いではない。

むしろ、気の合う兄弟だ。



だけど



 「………。」



鞄を、ベッドの上に放り出す。



あんな風に素直に、ゾロがサンジに抱きつけなくなって、どのくらいが経つだろう。



小学校の高学年までは、互いに事あるごとに、触れて、抱き合って、じゃれ合っていたのに。



ある時を境に、ゾロはサンジに抱きつかなくなった。

サンジも、ゾロがそうすることで、自分からゾロに触れようとしなくなった。

それに構わずサンジから触れて、ゾロがひどく怒った時から、サンジもゾロに触れなくなった。



 「………。」



ゾロが小学校5年生でサンジが6年生の時だ。

下校して、サンジと2人ふざけながら鳥居の下まで来た時、サンジの同級生の女の子が、ランドセルを背負ったまま立っていた。

その時、何を言っていたのかわからないが、サンジにピンク色の封筒を渡した。

女の子の顔は真っ赤で、少し震え、だが勢いに任せたような声で、「お返事ください!」と言ったのは覚えている。



あ。



と、その時ゾロは初めて、ピンクの手紙の内容を悟った。



ザワ、と胸が波立った。



その時のサンジの横顔は、すごく大人びていて、またゾロの胸が大きく鳴った。

なんて、答えるんだろう?

そう思った時



 「ごめんね。」



と、サンジは両手で手紙を差出し、うなだれるように顔を伏せた。



サンジの顔しか見ていなかった。

女の子がどんな顔をして、何を言って、どっちの方へ走って行ったか、ゾロは全く見ていなかった。

見ていたのは、サンジの顔だけだった。



サンジは、女の子を姿が見えなくなるまで見送ってから、ゾロを見て、笑った。



 「帰ろ。」



手を



差し伸べた



 「………。」



そのまま、ゾロは走り出して鳥居を潜り、家に飛び込んだ。

あの時の、波立った感情がなんなのかわからなかった。



わかったのは、1年だけサンジが中学校、ゾロが小学校に通い、やっとゾロも中学に追いついて間もない頃だった。

2年のサンジの同級生だけでなく、3年生まで、1年生のゾロの教室に来てゾロを値踏みするのが鬱陶しかった。

「あれが、サンジくんの弟よ」と、女子が口々に言う。

サンジは、女の子に人気があった。

ここまでモテると同性には嫌われそうなものだが、不思議とサンジは男子の方により人気があった。

そんな中で、互いに牽制しあい、「付き合ってください!」と女の子が斬り込んで来るには勇気がいる。

その勇気を持った女子が、ある時、駅のホームでサンジを待っていた。

サンジはサッカー部で、ゾロは剣道部であったから、同じ時間に終バスに乗る為に同じ電車に乗る。

当然、その場にゾロもいた。

相手の方も、友人二人と一緒だった。

友人にけしかけられ、女の子が一歩進み出て、小さな声で、

「友達でいいですから、お付き合いしてください。」と言った。



ザワ、と、数年前に感じたあの感覚が、ゾロの中でまた沸いた。



と、サンジは、少し考え



 「…いつかは、カレシカノジョになりたいっていう意味かい?」



と尋ねた。

女の子は、しばらく黙っていたが、しびれを切らしていた友達の一人がサンジに、「あたりまえじゃない!」と言った。



すると



 「…じゃあ…ごめんね…それが前提なら、ムリ。」



思わずサンジの顔を見た。

この時も、ゾロは相手と相手の友人の顔を全く見ていなかった。

サンジの、大人びた横顔だけを、じっと見ていた。



 「どうして…?」



女の子が涙声で言った。サンジは



 「好きな人がいるから。」



ためらうことなく、答えた。

相手は驚き、その友達も驚き、誰だと詰め寄った。

ゾロも驚いた。

そんな相手の存在など、聞いたことがなかったから。



 「言えない。嘘じゃないよ。本当にいるんだ。ただ…好きになっちゃいけない人なんだ。」









サンジに



好きな人がいる



父より

母より



おれより



好きな人が



『好きになってはいけない相手』って、誰なんだ?



ずっと一緒に育ってきて、ずっと側にいて、なのに、おれの知らない相手がいるなんて。



苦しい恋を、サンジがしているなんて思わなかった。

側にいて、ずっと気づかなかったおれは、なんてマヌケだ。





その日から、おれはサンジに触れなくなった。

1歳しか歳が違わないのに、サンジはずっと大人で、おれよりもずっと深く、いろいろものを考えている。

苦しい恋をしているサンジに、能天気に接することはできない。



誰だよ



お前の好きな奴って…



 「………。」



やっと、ネクタイに手をかけた時



 「おーい!ゾロ!おっせーぞ!おれ、全部食っちまうからな!!」



ルフィの声がした。









翌朝、ゾロは居間の畳の上で目が覚めた。

まだ、暗い。

柱の時計を見ると、時刻は5時を少し回ったところだった。

体を起こすと、すぐ隣にルフィが転がっていた。

ルフィの隣にサボ。毛布があちこちに散らばっている。

テーブルの上には昨日の、空っぽのおでん鍋。



サンジとエースがいない。



腹に載っていたルフィの腕を払い、ゾロは立ち上がり廊下に出た。

母が、トイレから出てきた。まだ、パジャマだ。



 「あら、早いわね。」

 「サンジは…?」

 「…もう、潔斎してお勉めしてるわよ?」

 「…エースは?」

 「一緒に境内じゃないかしら?」



父ももう起きている。

母も着替えて、これから朝食の支度だ。

着替えて、上着を羽織り、ゾロも社務所から境内に出た。



竹ぼうきの音がする。



音のする方向へ、素足にサンダルをつっかけて、歩いていく。

一応カッコがつく様に、竹刀を持って行く。



 「………。」



霜月神社は『宇迦之御魂神(ウカノミタマノカミ)』を祭った社だ。

豊穣の女神さまで、本宮は伏見稲荷大社。霜月神社は、『お稲荷さん』なのだ。

だから、サンジが置き去りにされた時、近所の人たちは皆サンジの金の髪を見て



 「お稲荷さんのお使いじゃないのか?」



と、半ば本気で言っていたらしい。



その社の、夜明けの薄闇の靄の中で、参道を掃き清めている白い神職姿を見ると、

あながちその冗談が冗談でもないような気がする。



 「よう、ゾロ。おはよう。」

 「………。」

 「睨むな。」



笑いながら、エースが言う。



 「…何してんだ?」

 「見学。」

 「手伝え。」

 「手伝ったら、サンジが見れない。」

 「………。」

 「美人になったよなァ。ああいう姿、神々しいくらいだ。」

 「………。」

 「てめェが手伝えよ。」

 「うるせェ。」

 「へェえ、朝稽古の習慣なんかあったんだ?」

 「うるせェって!!」



ニヤニヤしながらエースが言うので、仕方なく、竹刀を構える。

2月の早朝。

サンジを眺める為だけに、寒空の下にいるエースも相当物好きで、変な奴だ。

ルフィもサボもサンジを好きだが、2歳年上のいとこのエースの、サンジの気に入りようは度を越している。

まるで、好きな女の子のような扱いをする。

中学の時、それを「変だ」とエースに言ったことがあるが、エースはあっさりと、

「いいんだよ。好きなら、相手が男だって女だって。」と笑って答えた。

サンジが下宿することも、エースは「ウチに嫁に来る」と表現した。



 「………。」



高校1年の、あの駅のホーム。



好きな人がいるんだ。

好きになっちゃいけない人だけど。



あの言葉を聞いたあの日



気づいた



サンジに初めて会ったガキの時、こいつが欲しいと単純に思った。

手放すのは嫌だと思った。

どこにも行くなと言ったら、サンジは涙を浮かべ、笑って、「うん」と言った。



だから、手を引いて逃げた。



気づいたのは高1のあの日だが





好きになったのは、初めて会ったあの瞬間だ。





おれは





サンジに恋をしている











サンジが、顔を上げてこちらを見た。



ゾロを見て、少し驚いた顔をして笑った。



吐く息が、羽のように空に浮かんで消えていった。















(2012/12/15)



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