今は昔の物語。

まだ、夜は闇しか知らず、魑魅魍魎だけのものだった時代。

大江山の深山に、異形がひとり住んでいた。

人でない肌の色。

人でない髪の色。

人にはない、額から生えた2本の角。

それゆえ、人はそれを異形と呼び、また『鬼』と呼んだ。



今は昔



千年の物語











 その島は春島だった。

だが、通常の春島と違い、この島は、移ろう四季が鮮やかだった。

春は野に花が咲き乱れ、夏は輝く太陽が海に照りつけ、

秋は紅葉が真っ赤に山を染め、冬は世界の全てを白い雪で覆った。



サウザンド・サニー号がその島に着いた頃は、春の初めのはずだった。

雪は融け、そろそろ春を告げる花が雪の下から顔を出し、

小鳥がさえずり始める季節のはずだった。

なのに、島は未だに白銀に染まり、深い雪に覆われ、押し潰されんばかりになっている。



 「寒っ!!」



その雪の中で叫んだのは、鉄人(のハズの)フランキーだった。

叫ぶや両腕をさすりながら、また家の中へ飛び込んできた。



 「海パン一丁で表に出りゃ、寒いに決まってるだろ?」



囲炉裏にかけた鉄の鍋の中を覗き込みながら、冷たく、呆れた様にサンジは言い放った。

チョッパーが笑いながら言う。



 「おれ、寒いの好きだけどな。ここの夏、湿度が高くて蒸し暑いんだって。

 今が冬でよかった〜。」



数日前に、この島に到着した麦わらの一味。

少々寂れたこの島の、船を停泊した近在に宿らしい宿が見当たらず、困り果てている所へ、

村人が、今は使っていない離れがあると言って民家を丸ごと貸してくれた。

古いが頑丈で、広さもそれなりにあり、記録(ログ)が溜まるまでの6日間をここで過ごすことになった。

かやぶき屋根、囲炉裏の煤で美しい飴色に染まった柱や梁。

黒光りする長い廊下。

凝った細工の飾り障子。

曲がり屋の奥には厩が残っていた。

中々に風情がある。

台所は土間にあり、古い竈が切られていて、分けてもらった米を釜で炊き上げると、

それだけで素晴らしいご馳走になった。



 「こんな美味い飯、食ったことねェ!!」



握り飯を頬張る度にルフィが言う。

サンジの腕だけではない、竈と釜と、そして何よりこの土地の水と米が上質なのだ。



民家の持ち主が、野菜や魚を分けてくれた。

サンジが頼むと、米も安価で分けてくれた。

出航の前にたっぷり水を汲んで行こうと、ウソップとゾロとフランキーに告げると、3人は素直に承知した。

華美ではないが、豊かな土地。

春や夏や、秋の姿が見られないのが残念だ。



 「…今年は…春が来るのが遅いのですわ…。

 本当ならもう、雪も融けて蕗の薹がたっぷり採れる時分なのですがの。」



民家の持ち主の男が、困ったようにつぶやいた。

今朝、男の小さな娘が熱を出した。

チョッパーの治療と投薬で、熱が下がったと告げに来た時、ふと洩らした言葉だった。

そして笑いながら



 「“鬼若様”が、春を巡らせるのを忘れておられるのかもしれませんて。」

 「“鬼若様”?」



ナミが尋ねた。



男は笑いながら



 「この島の四季は、山奥に住む鬼が巡らせるんですわい。」

 「鬼が?」



ロビンの言葉に、男は至って真面目に答える。



 「わしらは“鬼若様”と呼んでおりますがの。」

 「鬼ってなんだ?」



チョッパーが問う。するとウソップが



 「鬼ってのはな、こうオデコに角が生えてて、キバがあって、

 ツメなんかこ〜〜んなで、人間の子供なんかこう頭からバリバリと食っちまうんだ。

 …おいチョッパー?お前ェなんか、鬼に見つかったらたちまち捕まって、

 鉤みてぇな爪で毛皮毟られちまうぞォ〜?」

 「ああああああああああああ!!やだぁぁあぁああ!!」

 「泣かすな、ウソップ!!」

 「大人げねェな、まったく。」

 「ヨホホホホホ!鬼コワイ鬼コワイ鬼コワイ……。」



そう言う、死んで骨だけブルックは、この家の娘に怖がられているが。



 「はははは…大丈夫、鬼若様はお優しい鬼で。」



男が言うと、ナミが笑って



 「鬼が優しいの?」

 「はい。鬼若様は、この島の守り神のようなものです。

 我等は四季を巡らせる鬼若様に感謝して暮らしております。…ただ…。」

 「ただ?」

 「…鬼若様は時折、道に迷われたり、居眠りが過ぎたりと、しくじることも沢山なさいますので。」

 「…どっかの誰かさんみてェだな、おい?」



サンジが、煙草を咥えなおしながら、奥の部屋で居眠りするゾロを見ながら言った。



 「あっはっは!そだな!!ゾロみてェだな!」



ルフィが笑った。

その声に、ゾロが目を覚ました。



 「…?…飯の時間か?」

 「一生寝てろ、緑鬼。」



サンジの言葉に男が言った。



 「鬼若様は緑の鬼ですで。」

 「は?」

 「やーだ!ますますゾロね!」



仲間がどっと笑うのを、ゾロは仏頂面で見、大きなあくびをひとつ洩らした。











 「驚いたわね。そんな土着の信仰が息づいているなんて。」



ロビンが、木の椀を両手で包みながら言った。

炉の火が赤々と、仲間の顔を照らしている。

水と米がいいのだから、当然酒も良い。

ゾロは、食事が始まる前からぐびぐびやっている。

そのゾロをチラリと見てウソップが言った。



 「なんか、本当に山奥に住んでるんです、って言い方だったよな?」

 「案外本当にいるのかも知れねェぜ?鬼がよ。」



笑いながらウランキーが言った。



 「よし!探そうぜ!ゾロ鬼!!」



ルフィが言った。

だが、ナミを初めとして、誰も本気に受け取らない。



 「おいおいルフィ。いる訳ねェだろ?表の雪見てみろよ?

 しかもあの一番高い山のてっぺんにいるってんだろ?いくら鬼だって、凍っちまうぞ?」

 「この地にしっかりと根付いている信仰なのね、きっと。」

 「でも…。」



ロビンの言葉に、チョッパーが言った。



 「なぁに?チョッパー?」



ナミが尋ねると



 「……さっき…裏に野ウサギが来ててさ。その野ウサギが言ってたんだ。

 “今年の雪が深いのは、鬼若様の悲しみが深いせいだ”って。」

 「ウサギが?」



サンジが言った。

チョッパーは動物の言葉がわかる。

そして、動物は決して嘘をつかない。



 「ウサギがそう言っていたのですか?」



ブルックが言うと、またチョッパーはうなずいた。



 「…悲しみって…何が悲しいんだろうな?」



ウソップが言った。

ルフィが



 「やっぱりいるんじゃねェか?ゾロ鬼。」

 「…その言い方止めろ…。」



不機嫌この上ない声で、ゾロが言った。



板戸を、風がガタガタと鳴らす。

その音に顔を上げ、ナミが言った。



 「…本当に…春先の雪の降り方じゃないわね…異常気象なのかしら?」

 「…春の山菜…ちょっと楽しみにしてたんだけどな…。」



タバコの煙を吐いて、サンジがつぶやいた。









翌朝は、昨夜の雪が嘘のような晴天だった。

風雪が止めば、日差しは明るく暖かい。



 「もしかしたら、陽だまりには蕗の薹が出ているかもしれませんて。」



そんな言葉を聞いてしまったら、サンジは出かけずにはいられない。



 「ちょっと行ってくるよ、ナミさん、ロビンちゃん。」



ヤッケを着、ゴーグルを付けて、いかにもスノーボーダーの様に決めたサンジの足には、

スノボならぬ昔ながらの“かんじき”。

背中に竹で編んだ篭を背負い、教えられた沢伝いの道を森へ上がっていった。

やっと晴れたということもあり、ルフィやウソップやチョッパー達は、

サンジよりも早く飛び出していった。

林の影に、ルフィの赤いジャケットが見える。



出掛けに、家主の男が言った。



 「森を抜ける時はお気をつけて。森には人を化かす、狐がおりますで。」

 「ありがとう、気をつけるよ。」



子供じみた冗談を軽くあしらい、サンジは森を進んでいく。

すると



 「……ん?」



かすかに、サンジの鼻腔をくすぐる香。



 「…桜……いや、梅か……?」



どこか、日辺りの良い場所があるのだろうか?

早い花をつけているのかもしれない。

香を辿り、足を向ける。

咲いていたら、ナミとロビンを連れてこよう。

そんなことを思いながら。

と、その時



 「お?」



目の前に、狐が躍り出た。

小さな子狐。

日に照らされた銀の毛が美しい。



 「ははっ…てめェか?人を化かす狐ってのは?」



狐は、青い目で真っ直ぐにサンジを見ている。

愛らしく、そして綺麗な狐。



 「まさかな。」



サンジが笑った時、狐は、銀の尻尾を大きく振って、ついて来いという様に前に立って歩き始めた。



 「…何だ?お前、連れてってくれるのか?」



サンジがついてくるのを確認するかのように、狐は2,3度振り返り、

後は真っすぐに森の中へ進んで行った。

人を怖がらない狐だ。

まさか、本当に人を化かす狐だったりしてな。



梅の香はますます強くなる。

緩やかな山道を登りながら、サンジは周りを見回した。

いつの間にか、木々や茂みが深くなっている。

来た方向を見失いそうだ。



 (…ヤベェか?)



ゾロじゃあるまいし、迷子になんかなれねェが…。

途中、幾度か道が下っていたような気もする。

これ以上、奥へ行くのは危険かもしれない。

だが、前を行く狐の足は止まらず、やがて、サンジの歩調が鈍くなっているのに気づいたのか、

ちらり、と振り返ってサンジを見た。



 (…なんで、こいつについてきたんだ?おれは?)



ますます強くなる梅の香。

その香に



 (…あ…なんかヤベェ…クラクラする…。)



花の香に



酔った



次の瞬間、山が鳴いた。

轟音を起したのは風ではなく、森の木々。

葉がうねり、波立ち、新雪を舞い上げてサンジの視界を奪った。



風の勢いに目を眩まされたサンジが、視界と意識を失う瞬間に見たのは、

辺り一面を覆う、紅白の梅の乱舞だった。



 「……っ!!」



倒れる瞬間、誰かが腕を掴んだような気がしたが、サンジの意識はそこで途切れた。

















 「あれェ?サンジは?」



その声に、ゾロは目を覚ました。

炉辺でうつらうつらしていた。

届いた声はルフィのものだ。



 「おい、ゾロ!サンジ知らねェか?」



土間から身を伸ばして尋ねるルフィに、やはり炉辺で本を読んでいたロビンが答える。



 「山菜を採りに行ったわよ。森の奥の陽だまりなら、採れるかもしれないんですって。」

 「え〜〜?じゃ、昼飯は?」

 「…あら、もうそんな時間?」



ルフィが竈の上の鍋を覗き、がっかりした顔をする。



 「…コック、いねェのか?」



ゾロが言うと、ロビンは



 「お昼を用意していかなかったのだから…帰ってくるつもりだったってことよね?

 …どうしたのかしら?」

 「………。」

 「…道に迷ってるのかしら?」

 「………。」

 「…雪が深いから…ケガとか…。」

 「………。」

 「沢に落ちたりしてないといいけど…。」



がしゃんと刀を鳴らして、ゾロは立ち上がった。

大きな足音をさせ、苛立たしげに半長靴を履くと、額に青筋を浮かべながら出ていった。

ロビンは花を咲かせて、奥に脱ぎっぱなしになっていたゾロのジャケットを拾い上げ、お届けしてやる。



玄関口ですれ違ったナミが



 「あら、アンタどこに行くの?」

 「散歩だ!!」

 「え!?ちょっとジョーダンやめてよ!!ゾロ!!?ゾロってば!!…あー、行っちゃった…。」



炉辺で、ロビンがクスクスと笑う。

毎度、素直じゃない男を動かすのは大変だ。







(2009/1/15)



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