BEFORE


父親と大喧嘩をしたのは、高校3年の秋だった。 サンジの父親は、神楽坂の老舗高級料亭の4代目の主で、当然息子もその跡を継ぐものと考えていたらしく、 その父親にとって、ある日いきなりの突然の息子の反乱に、ただ怒り狂って怒鳴るしかなかった。 高校の調理科を出たら、そのまま京都のある老舗料亭に、修行に出ることになっていた。 なのに、サンジは都内にある調理師系の大学を受験する。 しかも進む道は和食でなく、フレンチを始めとする洋食だと宣言した。 父親は、怒るというより、驚きと戸惑いと、そして寂しさの方が大きかったのかもしれない。 そして、なぜ、その道を選ぶのかを問いただした時、サンジはこう答えた。  『あんたの様になりたくない。  店が大事で、オフクロの死に水すら取ってやらなかったあんたの様な男には!!  姉ちゃんが病気になった時、店が大事で、冬の寒空の下にオフクロ1人で病院を探してさ迷わせて、  挙句の果てに手遅れにさせた、あんたの様な男には!!』 たった5歳で死んだ姉。 35の若さで死んだ母。 そのどちらも  『あんたが殺したんだ!!』 言ってはいけない一言だった。 大人の今になれば、その時の状況がどれほど重く、父も苦しんでいたかわかるのに。 姉もサンジも、母の作る洋食が好きだった。 オムライスや、サラダや、ハンバーグや、パスタ。 タルトや、ケーキや、プリンや、パイ。 幸せだった思い出の料理は、高級料亭の気取った和食ではなかった。 家にはいられなかった。 だが、未成年が、学びながら住めるようなアパートなど、たかがしれていた。 わずかな貯金と、アルバイトでかなうそれは…。 都電の駅に降りて、サンジはひとつ深呼吸をした。 どんなオンボロアパートだろうと、耐えてみせると気合を入れる。 不動産屋が、紹介しながらも気の毒がっていた。 住まいの保証人は、すでに店から引退した祖父がなってくれた。 結局、誰かに何かを頼らなければ、住む所すらないのかと、早くも挫けそうになっていた。 駅に、アパートの管理人が待っているはずだった。 きょろ、と辺りを見回した時  (ヘンな頭。) それが、第一印象だった。 そう思った瞬間、その緑頭が動いてこちらを見た。  「………。」  「………。」 明らかに、互いにガン飛ばしあってたと思う。 同じくらいの身長、同じくらいの年齢(実際同い年)。 ただそこにいただけなのに、なんだってあの時あんなに、メンチ切ってたのかわからない。 正に、一触即発だったかもしれない。 今思い出すに、おれ達の周りからは、完全に人の気配が消えていた。 どちらかが動けば、きっと襟首掴みあっていたに違いない。 と  「あのっ!ロロノアさんと、サンジさんですか?」 声に、同時に  「あァ!?」 かわいそうに、かなりビビっていた。 アパートからおれを、いやおれとゾロを、迎えに来てくれたのに、思いっきり睨まれてビビっていた。 長い髪の女の子。 名前はビビちゃん。 聞いて、ちょっと笑ってしまった。  「管理人さん、持病の腰痛が出てしまって来られなくて、それで代わりに。わたしも、アパートの住人です。」 にっこり笑ってビビちゃんは言った。 春先だったから、明るい色のカーディガンを着ていた事は覚えてる。 先に立って歩き始めたビビちゃんについて、おれ達は初めて肩を並べて歩いた。 ゾロの、その時の仏頂面を、おれは殆ど覚えていない。 覚えているのは、前を行くビビちゃんの、長くてキレイな髪だけだった。 あれが、初めてゾロと歩いた5分間だったのに。 サウザンド・サニー その明るい名前と違い、見るからにその建物は古くて、オンボロで、 時代錯誤も甚だしく、建っているのが不思議なくらいの化け物屋敷だった。 蔦が絡まり、庭の木は伸び放題に伸び、天井も崩れ落ちていて煙突も折れている。 壁も、所々が剥げている。 そして中も、玄関ホールは広くて立派だが、暗くて湿った空気が流れていた。 あまりの暗さに見上げると、天井の薄汚いベニヤ板が、 黒いカビを浮かべてどんよりと濁った空気を降らせていた。 がたつく玄関ドアを閉めて、ビビは脇の部屋に向って  「管理人さん!お連れしました。」 ビビの声にすぐ答えがあり、奥から、白髪の老人が現れた。  「おお…すまんのう、ビビさん。ようこそおいでに。…どちらがロロノアさんで、どちらがサンジさんじゃ?」  「おれがサンジです。よろしくお願いします。」 そして  「ロロノア・ゾロです。」 短く答えた。 低いが、よく通る声。  「こちらこそよろしく。我輩、このアパートの管理人ガン・フォール。趣味はカボチャ栽培じゃ。」  「はぁ…よろしく…。」  「お世話になります。」 世間慣れしたような受け答えをすると思った。 だから、その時はゾロが同じ年だと思わなかった。  「ロロノアさんの部屋は2号室。サンジさんは5号室じゃ。コレが鍵。  鍵はコレと、我輩の部屋にひとつ。合い鍵を作る時はあらかじめ言って下さらんか?規則での。」  「わかりました。」  「…はい。」  「話は通ってると思うが、台所・風呂・トイレは共同。風呂は夜7時から8時までは、女性の時間じゃ。  と、いっても、今、このアパートに女性の住人はビビさんだけじゃが。」 ビビが、少し恥ずかしそうに俯く。  「後、住人の居る部屋は、6号室と9号室に大学生…この時期に入居がなければ、1年は増える事もなかろうて。」  「ビビちゃんは何号室?」  「1号室です。」  「そう、これからよろしく。」  「はい。」 花の様に笑う、愛らしい子だった。 こんなオンボロアパートに住んでいるのが不思議なくらいの、上品な子だった。 後で聞いた話、ビビちゃんは北陸の大きな温泉旅館の娘で、だが、いずれ婿を取り、 跡を継ぐというレールのような人生を拒んで、なりたかったメーキャップアーティストを目指して上京したらしい。 どこか、おれと似ていて親近感を持った。 もっとも 親の仕送りを受けられないから、こんなアパートに住んでいる。 他の部屋のヤツも、同じ様な境遇だった。 だからゾロも、似たようなものだろうと思っていた。 でも、違った。 ゾロの境遇を知った時、おれは自分の甘さを知った。 それを知ったのは、ロビンちゃんがこのアパートに来てからの事だったけど。  「ただいま…。」 午後6時。 サニーの玄関を開け、ジャケットを脱いだ。 食事の後、店でエースと別れた。 引き止められたが、一緒に帰るのは嫌だ。 駅から、エースと肩を並べて歩くのは嫌だ。 真っ直ぐ帰る気にもなれず、街をぶらぶらと歩いて時間を潰した。  「お帰りー!サンジー!!」 打てば響くように、1号室からルフィが飛び出してきた。  「ただいま。タイヤキ買って来たぞ……ゾロ、帰ってきたか?」 ルフィは首を振り  「うんにゃ。今日月曜日だから、英語の日だ。8時過ぎると思うぞ。」  「…そっか…静かだな?ナミさんは?」  「編集と打ち合わせだ。飯の時間までには帰るって。チョッパーは今日は当直だ。」  「ふぅん…じゃ、しょうがねェな。ナミさんには後で何か作って差し上げるか。タイヤキ、全部食っていいぞ。」  「やったー!!……ゾロのは?」  「……8時過ぎじゃ冷めちまう。いいよ。」  「んん!じゃ、もーらいっ!サンキュー!!あれ?」 ルフィは、サンジが手に小さな花束を持っているのを見て  「ナミにか?」 と、顔をしかめた。 ルフィはナミが好きなのだ。 サンジは笑い  「違うよ。そう目クジラ立てるな。」  「そっか、ならいいや。」 タイヤキの包みを抱えて、ルフィは食堂へ駆けていく。 着替えて、飯を作ろう。 階段を登る足がなんだか重い。 エースがサンジを好きなのは、サニーに住む住人ならみな知っていることだ。 だが、サンジがゾロを好きなのはそれ以前からわかっていたことだし ゾロもサンジを好きなのだから、仲間全員自然とゾロの味方につくのは当たり前のことだ。 かえって、エースなどお邪魔虫以外の何ものでもない。 それでもエースはお構いなしだ。 気持ちは嬉しい。 何で自分は男にばかりモテるのか疑問だが、好かれて嫌な気はしない。 でも ゾロの部屋の合鍵をナミから預かっている。 その鍵で、2号室へ入る。 ジャケットをハンガーにかけ、サンジはカラーボックスの上のコップを手に取り、そこへ花束を差した。  「………。」 その日の、ゾロの帰宅は午後10時を回っていた。 それまでチョッパーの部屋にいたのだが、玄関が開いた音に立ち上がり、おやすみを言ってホールへ降りた。  「…おかえり。」  「…あァ…。」 肩が少し落ちている。 わずかに疲れた顔。  「いつもこんな時間か?」 サンジの問いに、ゾロはそっけなく答える。  「ああ。」  「飯は?」  「いい。」  「腹減って…ねェか…?」  「英語行く前に軽く食った。空いてねェ。」  「そか…あのさ…。」  「ん…?」  「明日…ルフィとチョッパーと…遊びに行く約束しちまった…。」  「ああ。」  「明日休め…。」  「無ェな。」 サンジは、少し寂しげに  「あ、やっぱり…?」 階段を上がり始めりながら  「…明後日は…ウソップと約束しちまって…金曜日は夕方ロビンちゃんが帰ってくるし…。木曜日は…?」  「ムリだ。土曜日まで、休めねェ。」  「………。」 ゾロはこともなげに言う。 土曜日。 サンジが滞在する最後の日。  「4月は異動や入れ替えや引継ぎで忙しい。おれは修習生だしな。前にも話したろ?」  「そりゃ…そうだけ…ど…。」  「気にしねェで出かけりゃいい。今日も出かけてたんだろ?」  「………。」 階段を上がりきった踊場で、サンジはつぶやくように  「…怒ってるだろ?」  「…別に…。」  「飯食っただけだ。それもランチ。」  「………。」  「気にいらねェか?」  「………。」  「飯食った。確かに色々と言われた。けど、何もねェ。ルフィに聞いてみろよ。おれ、夕方には帰って…。」  「何で言い訳する?」 サンジの言葉を遮ったゾロの声は、とても冷ややかだった。  「何もねェなら、言い訳も事後報告もいらねェハズだ。…自分に、ヤマしい所がねェならな。」  「……!!」 何かが、切れた音がした。  「…ヤマしいって何だよ…?」  「………。」  「みっともねェヤキモチ妬いてんのは、てめェの方じゃねェのか…?」  「………。」  「…昨夜…デキなかったって、それだけで捻くれてんのか!?  おれは、今回ロビンちゃんの結婚式だから帰ってきたんだ!  てめェとヤる為に帰ってきた訳じゃねェ!!」 ゾロの眦が吊り上がった。 怒った。 それは明らかだった。 だが、サンジももう止まらない。  「そんなにヤりてェかよ!?“それ”だけか!?ヤりてェってそれだけだってんなら、てめェは…!!」  「………。」 止まらない。  「…ビビちゃん襲ったあのクソ野郎と一緒だ!!」 長い沈黙だった。 各部屋からみんなが、ドアを細く開けて様子を伺っているのはわかっている。 ビビちゃん 皆、その名に首をかしげる。 ゾロは、真っ直ぐにサンジを睨みつけたまま、抑揚のない低い声で言った。  「わかった。」  「もう、いい。」 怒っている口調ではなかった。 サンジの眉が歪む。 唇を噛み締め、何かを言いかけた。 だが 女の子ならきっと、すぐに『ごめんなさい』と謝れるのかもしれない。 けど、嫌だった。 わかっていながら、言ってはいけない言葉を吐いた。 どうしておれは 同じ過ちを繰り返す?  「もう、いい。」 同じ言葉を繰り返し、ゾロは2号室に入った。 ドアの閉まる音が、天井に重く響いた。 サンジ再び渡仏まで、後5日。    NEXT BEFORE                     (2009/3/9) めぞん麦わら−2号室と5号室−TOP NOVELS-TOP TOP