「…エース…。」 「なんだ?感傷にでも浸ってんのか?」 「……まァな…なんだ?休みか?」 「ああ、代休。この前の出張の分。…て、お前、あの翌日からおれがいないのに気づいて無かっただろ?」 「え?」 いなかった? あれ? そう言えば…。 「ごめん…。」 エースは困った様に笑い 「松島に行ってた。来週航空ショーがあってよ、その下準備。 昔の仲間が、今ブルーインパルスで隊長やってんだ。半分出張みてェなもんだったんだが。」 「ふーん…。」 「お前誘おうと思ったら、ルフィに『やめとけ!』って怒られた。」 「………。」 「ルフィのヤツ、おれよりゾロの味方だぜ。弟の分際で可愛くねェ。」 「ウソつけ。可愛くって仕方がねェクセに。 ……だから、あんなマメにルフィの様子を見に来てたんだろ?」 「……そう思うか?」 「………。」 エースは部屋の中に入ろうとはしなかった。 入ってきたら、すぐにおれが逃げ出すだろうとわかっているから。 「初めて…サンジ、お前に逢った日。」 「………。」 「覚えてるか?」 「覚えてる。」 エースは笑った。 「あの日、おれ、イラクから帰ってきたんだ。」 「………。」 「IRSAW…イラクの復興支援ってやつだ…半年行ってた。」 エースはポリポリと頬を掻いて 「暑くてさ…周りは野郎ばっかりだし…夜になると…眠れねェんだ…毎晩、どっかで爆撃の音がする。」 「…エース…。」 「確かに、比較的安全な地域でのみの活動だった。けど、現実はそうはいかねェ。 小さなトラブルは年中起きたし、現地の過激派に囲まれて、一触即発って時も何度もあった。 …近くの街が爆撃されて、昨日会ったばかりの連中が、次の日は真っ黒焦げの死体になるのも何度も見た…公表されねェだけだ。 眠ろうとして、空を飛んでくジェットの爆音で起されたことも… …野営地にロケット弾をぶち込まれたことも…一度や二度じゃねェ…生きてる心地がしなかった。」 「………。」 「当然…おかしくなるヤツも出てくる…そういうヤツは日本へ返した。 けど、帰国する少し前…そいつらの1人が死んだのを知った…自殺だ。」 開け放たれた窓から風が流れる。 名残の桜の花びらが、ひとひら舞って落ちた。 「弱かった…そんな一言じゃすまねェんだよ。あの地獄は味わったもんじゃなきゃわからねェ。 なのに、誰も、褒めてくれやしねェ。『それが仕事だろ?』ってな。まぁ、自分で選んだ仕事だ。後悔はしてねェ。 任務を果たした満足感もある。もっと前線で戦ってる他の国の奴らだっている。 それを考えれば、おれ達は甘ェのも充分わかってる。 けど、やっぱり…恐ろしかったんだ。…復興支援?名ばかりだ。 実際に行って見たら、そこはまさしく戦場だった…。だから…帰国して真っ先に、ルフィの顔が見たくなった。」 「………。」 「…そしたら…お前が現れた。あの階段…上から降りてくるお前さん見た時、 天使ってのは本当にいるんだと思ったよ。」 エースは笑い 「…ツラに惚れたってのもある。が、お前を知れば知るほど、欲しいと思う様になった。 …結構いろんなのとつきあったけど、こんなに恋しいのは初めてだ…ホントだぜ?」 「………。」 「…サンジ。」 ゆっくりと、エースはサンジに歩み寄った。 窓辺に立つサンジの、両脇に垂れた手を取って握り 「…おれにしろよ…。」 「………。」 「…おれじゃ…だめか?」 「………。」 「…おれは待つよ。お前がおれを選んでくれるなら、おれはお前が一流のシェフになって帰ってくるのを待つ。」 そっと、サンジはエースの手を解いた。 「ダメだ。」 「…サンジ…。」 「…ダメだ。エース…やっぱ、お前ェはゾロの足元にも及ばねェ。」 エースの眉間に皺が寄る。 サンジは笑い 「…ゾロは。」 「………。」 「待たねェって、言ったんだ。」 「………?」 「おれが帰ってくるのを、待たねェって…さ。」 エースは苦笑いを浮かべた。 そのエースへ、サンジは嬉しそうに、鮮やかな笑みで言う。 「ゾロは…来るって言ったんだ。おれが戻るのを待てるか?って聞いたら、 『待たねェ。』ってよ…。自分が、ヨーロッパに来るってな。」 「………。」 「待つのはおれ。いつまでだって待てる。おれが好きなのはあいつだ。」 それ以上、何を言っても無駄なのだろう。 まぁ こういう奴だから、おれも魅かれた…。 「……嘘つき野郎でごめん。」 エースは、窓の外の木を見上げる様に笑い、しばらく黙っていた。 そして 「サンジ。」 「………。」 「……おれな。」 言って、エースはサンジを見つめた。 「…お前に告る前に、ゾロに聞いたんだ。『サンジに好きだって言う。かまわねェか? 』ってな。」 「……え…?」 初めて聞いた。 「そしたらな?あの野郎なんて言ったと思う?」 「………。」 わからねェ なんて…? 「……『勝手にしろ。』だってよ。すげェ自信満々の即答だった。 まるで…お前さんが断るのが当たり前って顔だった。」 「………。」 「わかってたよ。お前さん達がお互いに惚れあってるって事は。……なのに…。」 「……おれは…そう答えなかった……。」 エースはうなずき 「『今はそういう事を考えられない。』……許せる嘘じゃなかった。」 「………。」 「だから、ゾロにもそう言った。……一瞬で、顔色が変わったぜ。」 「エース…。」 「意地が悪いか?そのくらいの意地悪は許して欲しいよな?」 「………。」 「……だから…ゾロは自分の気持ちを告げる事を諦めた。 駅から5分の道を、ケンカしながら歩くだけの関係で、耐える事を選んだ。」 ……なんてこった…… 「……おれも謝るべきだよな……悪かった…ごめんな、サンジ。」 サンジは、俯き加減に首を振る。 おれは…いつも言わなくていい事を口にして、人を傷つけている。 自分の心に嘘をついて、誰かを傷つけている。 親父を傷つけ、ビビちゃんを傷つけ、エースを傷つけ、そしてゾロを傷つけた。 ルフィがここに来て、エースが出入りする様になった頃には、 ゾロも自分を好きでいてくれているのではと、自惚れでなく感じ始めていたのに。 「サンジ。」 エースが呼んだ。 顔を上げると、そばかすの顔に、ルフィと同じ無邪気な笑顔を浮かべて 「哀れな男に、何か食わせてくれねェか?」 サンジは笑い、うなずいた。 その日、エースにブランチを作った後は、サンジはずっと5号室で過ごした。 何をするでなく、床に座ってぼんやりと窓の外を見つめていた。 不思議だと思う。 人の縁(えにし)というヤツは。 もし、このアパートにロビンがやってこなかったら、自分は今どうしていただろう? そんな事を考えながら、サンジはサニーのキッチンに向かった。 新しい管理人のロビンちゃん。 驚いた。 若くて、とんでもない美人で。 こんなアパートの管理人なんて、何でそんな仕事を選んだのかと首をかしげた。 働き者で、引っ越して来た翌日にはもう、エプロンを付けて建物の中の掃除を始めていた。 今まで、誰も気にしなかったような細かい所まで、熱心に、丁寧に、愛すらこめて。 その、熱心さの理由を知ったのは、2年前にフランキーがここに来てからだったな。 ロビンちゃんは、すぐにビビちゃんと仲良くなった。 女の子同士だ。 同じ建物の中に同性の友人が出来た事が、ビビちゃんに安堵感を与えたのか、 以前のビビちゃんに比べてずっとのびのびと、安心して生活している様に見えた。 あの事件の事も、心の整理を付けられたようだった。 そんなある日、サニーの前に立派な黒塗りの車が横付けされた。 降りてきたのは 「…イガラム…!?」 ロビンちゃんに呼ばれて降りていったビビちゃんが、玄関ホールに立つ変わったヘアスタイルの男を見て叫んだ。 イガラムと呼ばれた男は、ビビの顔を見るなり目を真っ赤にして 「ビビ様!!…おお…お変わりなく…大人になられて…!」 「…どうしたの?なぜ、あなたがここへ?」 ビビの質問に答えず、イガラムはアパートの至る所を見上げながら 「…おいたわしい…新葉須田屋のお嬢様が…このようなみすぼらしい閑居に…。」 イガラムを始めに迎えたロビンが、少し困った顔をした。 ビビは眉をわずかに寄せて 「イガラム。何の用?」 「…何の用とは…!ビビ様!先日、警察より報せを受けました!」 「!!」 「何という危険な目に遭われたのですか!」 「…警察から報せが…?」 ビビちゃんは、事件当時まだ20歳に達していなかった。 未成年者が被害を受けた事件、保護者に連絡が行くのは当然の事だった。 ビビちゃんは訴えなかったが、書類送検はされ、検察から彼女の実家に連絡が行ったらしい。 「旦那様も奥様も…仲居頭も、社員たちも、みな心配しております! ご無事であった事は聞いておりましたが、この目で見なければ安心できません!! …来て見れば…このようなセキュリティもないアパート。 …ビビ様、もうどうか意地を張らず、家にお戻りくださいませ!」 「………。」 唇を噛み締め、ビビちゃんはうつむいた。 覗き見る訳ではなかったが、丁度トイレに部屋を出た時の騒ぎだったから、 その場から動くこともできず、テラスから玄関ホールを見下ろしているしかない。 その時 おれのポケットの携帯が鳴った。 「!!」 ホールからの目が、一斉におれを見上げる。 ビビちゃんと、目が合った。 「………。」 携帯を取り出し、ウィンドウを見る。 『クソマリモ』 の、表示。 ゾロ。 いつもの、「迎えに来い」だろう。 と、ビビちゃんが笑った。 「………おう。」 電話に出ると、向こうからいつもの仏頂声。 『今、駅だ。』 「……わかった。」 それだけ言って、切った。 いつものことだ。 だが 「…ゾロさん?」 ビビちゃんがいつもの声で言う。 「……ああ。」 ロビンちゃんも笑って 「いってらっしゃい。」 出て行くしか ない。 奇妙な頭のおっさんの脇を抜けて、おれが行こうとすると 「イガラム。」 「はい。」 「こちらはサンジさん。…事件の時、とてもお世話になったの。御礼を言って。」 「…おお…!それはそれは…その切は、お嬢様が…。」 「…やめてくれ…当たり前の事だ。…じゃ、行ってくるよ、ビビちゃんロビンちゃん。」 おれより、ゾロだったよ、ビビちゃん。 「いってらっしゃい。」 「気をつけて。」 にっこり笑ったビビちゃん。 「いってらっしゃい、サンジさん。」 「ああ。…今夜の夕飯はペスカトーレだからね、ビビちゃん。」 「嬉しい。」 いつもの笑顔だった。 まさか それがビビちゃんとの別れになるなんて、思ってもみなかった。 NEXT BEFORE (2009/3/16) めぞん麦わら−2号室と5号室−TOP NOVELS-TOP TOP