「おおおお!!サンジ!!よう来たなぁ!!」 「あらあら!サンジくん!?まぁあ、すっかり大人になって!」 「ホント!久しぶりねぇ!!ほら、そんな所に立ってないで、上がって上がって!!」 アブラゼミだかミンミンゼミだか知らないが、庭の木のアチコチで大合唱をしている夏の午後。 サンジは6年ぶりに訪れた母の実家で、親戚達に大歓迎を受けた。 お盆ついでの、祖父の17回忌と祖母の13回忌の法事の為の帰省。 夫婦は5人の子供がいた。 四男一女。 サンジはその末娘の子供だ。 皆から可愛がられた娘の子なので、親戚達はその息子のサンジも猫かわいがりする。 しかもその母は祖母より早く逝ったので、どうやら皆、母の面影をそっくり受けついだサンジを錯覚するらしい。 「もぉ、サンジくんったら、ずっと来てくれないんだもの。みんな寂しがってたのよ。」 この家の跡取り娘の従姉が、睨むように言った。 従姉といっても、サンジより20歳も年上で、すでに婿を取っていて大きな子供もいる。 それでも、彼女は6年前に最後に会った時と少しも変わっていない。 「あー…ごめん、色々忙しくてさ。」 「はいはい。そーよね?デートが忙しくてそれどころじゃないわよね?」 田舎の、古い造りの農家の居間。 庭に面した縁側に腰を下ろして、サンジは苦笑いした。 「修行修行で、そんな暇なんかなかったよ。」 「またまた。それだけ男前になったら、彼女の1人や2人や3人や4人、いるんでしょ〜?」 「いないって。誰か紹介して欲しいくらいさ。」 「農家の跡取り娘でよければ、いくらでも紹介してあげるわよぉ?」 と、台所から、伯母の一人が顔を出した。 「ちょっとサンジ!アンタ、東京でコックやってんだって?だったら、何か一品作っておくれよ!」 「伯母ちゃん、サンジくん、今来たばかりで疲れてるのよ?」 「ああ、いいよ。手伝う。」 6年前、最後にこの家を訪れた時は、台所は昔ながらの土間だった。 だが、今は、都会でもかくやというシステムキッチンに変身していた。 「へェ、リフォームしたんだ。すげぇな、こりゃ。」 「もう、とっくの昔だよ。アンタが不義理しすぎなんだよ。」 「……ヘイヘイ……この茄子使っていい?」 「ああ、好きなだけ使いな。足りなかったら、裏行って採っておいで。」 6年の不義理。 サンジにはサンジの理由がある。 確かに、この6年は忙しかった。 だが、他に、サンジの足を、この田舎から遠ざけた理由がある。 「………。」 サンジが、数個の茄子に下ごしらえをした時 「ただいまァ…。」 玄関から、男の声。 「!!」 サンジの手が、止まった。 「お帰り、ゾロ!サンジくん来てるわよ!」 従姉の声。 その声に、返事は無かった。 台所は、玄関のすぐ脇にある。 サンジは、チラリ、と肩越しに振り返った。 「………。」 背の高い、白いワイシャツの男。 肩から提げたスクールバッグ。 胸ポケットの上に、紺でプリントされた校章。 少年とは形容しがたい、おっさんくさくふてぶてしい面構え。 「ホラ、サンジくんよ、挨拶なさい。」 緑の髪の男は、無表情のままで『ペコ』と、頭を下げた。 そして、何もいわず、ズボンのポケットに手を突っ込んだまま、足音を立てて2階へ上がっていった。 「ちょっとゾロ!アンタそんだけ!?ちょっと!!……もぉ!! …ごめんねぇ〜愛想なくなっちゃったでしょぉ?図体ばっかりでかくなっちゃってさ。」 「…ははは…まぁ…あん位の年は…あんなもんでしょ?」 従姉の息子 名前はゾロ。 サンジより8歳年下だから、今は高校3年生だ。 「小さい時は、サンジくんが遊びに来るたびに『サンジサンジ』って、追っかけまわしてたのにねぇ。 …あ、久しぶりだから照れてるのかしら?」 「…どうかな…。」 答えて、サンジは目を泳がせた。 と、 「サンジ!いつまで茄子いじくってんの?色が変わっちまうよ!」 「!!?…ぅおおっと!」 「まったく、ホントにそれでコックさんかい?」 照れてるのは 多分、おれの方だ ビビッた あれがゾロか? デカク なりすぎだろ、おい? 耳に、クソ生意気にピアスなんざつけてたぞ。 声 あんなだったか? あ〜〜〜〜〜〜。 「おや?どうしたんだい?顔が赤いよ、サンジ?」 伯母の声に、物思いから引き戻された。 「え?い、いや、そんな事ねぇよ?」 いい加減にしろ、おれ。 6年だぞ、6年。 アイツだって忘れてる。 あの時アイツいくつだった?今高校3年生だから、あの時はまだ中学生だったろ? 制服のズボンがぶかぶかで、からかったんだもんな。 ヒキョウだ。 6年で、あんなに“男”になっちまうもんかよ? 頬の熱が引かない。 サンジは思わず、まだ手をつけていない茄子を両手に持って、熱い頬へ押し付ける。 コックとしてはかなり邪道。 流しを伯母が陣取っているので、顔を洗うことも出来ない。 6年前の記憶が、サンジのマユゲのようにずっと頭の中で渦巻いている サンジがここで過ごした、最後の夏の。 夜になって、母の他の兄やら、従兄弟、大叔父だの大叔母だのが集まってきた。 皆サンジより年長なので、それぞれ子供も引き連れてくるから、まるでどこかの幼稚園のようだ。 田舎独特のこの雑さ、素朴さを、サンジは嫌いではなかった。 陽が落ちると、爽やかな風が流れてくる。 気の早い虫の声と、風の音と、宴の笑い声。 漂ってくる草の匂い。 花火の光。 酒が回ってくると、久しぶりに宴の輪の中にいるサンジを肴に、昔話が盛り上がる。 話題の中心は、ほとんどがサンジの死んだ母のことだ。 涙もろい2番目の伯父が、若くして死んだ母を哀れみ、早くに母を失くしたサンジを労わり、 男手ひとつでおれを育てた父に感謝して、また泣いた。 そんな話を聞きながら、サンジは輪の片隅で、1人黙々と料理を口に運んでいる仏頂面に目をやった。 ゾロ。 愛想がなくなった。 確かに。 あいつのことは、生まれた時から知ってる。 弟みたいで、可愛かった。 おれの母親が死んだ時、葬式の間中、小さいくせにいっぱしの保護者気取りで、おれについていてくれた。 夏休みになると、忙しい父の手を煩わせないようにと、伯父たちがおれを田舎で過ごさせることを提案してくれ、 以来毎年、夏休みをずっとゾロの家で過ごした。 小学生の頃は、頼みもしないのにゾロは駅までサンジを迎えに来て、荷物をひったくっていった。 滞在している間、朝から晩までおれを引っ張りまわして、あちこちの野山を駆け回った。 そういえば、一度だけ、ゾロが東京に来たことがあった。 4年生だったな。 上級生になったんだから、ひとりで行けるとかナントカ言って、 約束の時間を過ぎても駅のホームに現れなくて、大慌てで探し回ってたら連絡が入った。 まったく方向違いの街の警察から。 迎えに行ったら、人の顔見るなり目ェ潤ませて、抱きつきゃしなかったがおれのシャツの裾握って、家に着くまで離さなかった。 ああ。 可愛かった。 愛しかったさ。 けど、そういうもんだと思ってたんだ。 また、不意に熱くなる頬をごまかすように、サンジは酒の器を口に運びあおりきると、煙草を探してポケットを探ったが 「…ヤベ…切れた…。」 だが、ちょうどいい。 酒も飲みすぎてる。 酔い覚ましに少し歩いてくるか。 「あら!サンジくん、どこ行くの?」 気づかれないようにそっと席を立ったつもりが、玄関で従姉に見つかった。 「ああ、煙草切れちまって。駅前のコンビニまで行ってくるよ。」 「駅まで?30分かかるわよ?お酒飲んでるんでしょ?自転車もダメよ。」 「酔い覚ましながら、少し歩きたいんだ。大丈夫大丈夫、遅くはならないよ。」 「ん〜〜〜、でも、ちょっと心配…。」 「レディでも、ガキでもねぇから。」 「う〜ん最近ね、この辺りも熊が出るのよ〜。」 ヒクっと、サンジは喉を鳴らした。 田舎の道は、メインストリートといえども暗い。 街灯があるにはあるが、間隔が広くて薄暗いのだ。 都会の夜は、どんな夜中でも緋色をしている。 まったくの闇になることはない。 田舎は嫌いではないが、この闇だけは、この歳になってもどうにも苦手だ…。 しかも、熊? よくニュースなんかで、山から里へ下りてくる熊の話は聞くけどな…。 ひた 「!!」 ひたひたひた 足音? ひたひたひたひた 気配がある。 がさ がさがさ 草を踏み分ける音。 誰かいる?何かいる? 「…う…。」 ざっ ざっ 地面を踏みしめる音。 間違いない、何かいる。近づいてくる。 「熊が出る…?ははは…まさか、いくらなんでもそうそう…。」 思わず、煙草を探る。 あるわけない それを買いに出てきたのだ。 ざっ ざっ ざっ 足音が、どんどん大きくなる。 かなり、体重のある足音だ。 小動物ではない。 ざっ ざっ 「うわああああああああっ!!」 サンジの悲鳴が、黒い空に吸い込まれていった。 今夜は三日月で、墨汁の夜空に黄色い弓が横たわっている。 「……おい。」 思わずしゃがみこんだサンジの頭の上から、低い声が降ってきた。 「…あ…?」 見上げたそこに、緑の頭。 「…ゾロ…?」 「…熊じゃねェよ。」 ぶすっとした声が答えた。 熊が出る、のやり取りを、母親から聞いてでもいたのか。 サンジの顔が、真っ赤に染まる。 夜でよかった。 しかし、明らかにビビって悲鳴を挙げたのだ。 きっと、からかってくる。 そう思って構えたが、ゾロは相変わらずの仏頂面で、ズボンのポケットに手を突っ込み、 突っかけたサンダルを引きずりながら、サンジの先に立って歩き出した。 「どこ行くんだ?」 サンジの問いに、ゾロは振り返らず 「…コンビニ…。」 「別に、ついて来てもらわなくても…。」 「…ジャンプ買うの忘れたんだ。」 「あ…そう…。」 なんだ。 ん? 『なんだ』? 今、おれ、『なんだ』って、思ったか? 少しがっかりしてねぇか? ちょっと待て、それはナシだろ? それは! 駅まで30分の道。 ゾロはまったく、こちらを見ない。 話もしない。 ガキの頃は、少し黙れというくらいに、よくしゃべって笑うガキだったのに。 とっくに終電が去った駅の前。 コンビニの明かりが、煌々と浮かんでいる。 「おう、いらっしゃい。ジャンプかい?ゾロ。」 「ああ。」 声をかけたのは店長だろうか、結構年のいったオッサンだ。 ゾロはまっすぐ雑誌の棚へ向かい、ジャンプを小脇に抱えると、さっとヤングマガジンを手に取って、立ち読みを始めた。 他に客はいない。 田舎の町のコンビニは、都会のそれに比べると小さくて品揃えも悪いが、 それでもこの町の中ではずっと都会的に見えるから不思議だ。 「あ〜…マルボロ、メンソール1カートン。」 レジで告げると、店長はサンジの顔を見て 「あんた、サンジくんじゃないの?」 「え?…ええ、はい、そうですけど…。」 「やっぱり!久しぶりだねぇ!覚えてないかい? 店がこんなになっちゃったから、わからないかな?こうなる前は、酒屋だったんだよ?」 「…あ!?…ああ!!確か、駄菓子なんかもやってて…。」 「そうだよ、よくゾロと一緒に来てくれたよね。」 ばさっ、と音がした。 ゾロが、ヤンマガをラックに戻した音だった。 サンダルを引きずり、レジに240円を置くと、何もいわずに扉を押し開けて出て行ってしまった。 「あ、おい!ゾロ!!」 「なんだい?ケンカでもしてるの?」 「え?いや…あいつ…いつもあんなじゃないの?」 「いやぁ?いつもなら、冗談のひとつも言って帰るんだけどねェ…。なんだい?今日はやけに機嫌が悪そうだなァ。」 「………。」 「サンジくん、いつまでいるんだい?」 「法事が終わったら…仕事があるんで…。」 「そう!じゃあ、こっちにいる間にまた来てよ!」 「ああ、ありがとう。」 サンジが店を出ると、ゾロは少し先で待っていた。 だが、サンジの姿を見ると、またゾロは仏頂面で先を歩き始める。 「あの店、あんなに駅前だったっけ?引っ越した?」 サンジが尋ねると 「ああ。」 と、ゾロは短く答えた。 だが、それ以上の言葉がない。 「あ。元酒屋なら、酒の棚見てくりゃよかったな…まぁ、いいか…まだ2,3日いるんだし…。」 「………。」 「ジャンプ、読んだら回してくれよ、おれも読んでんだ。店の休憩室に置いてあってさ。」 「……ああ……。」 ようやく、答えが返ってきた。 サンジは、ほっと息をつく。 「…お前さぁ、背ェ伸びたよなァ、何センチ?」 「…178…。」 「うぇっ!?おれより高ェの!?っつっても、1センチだけどな。…いい体になったよなァ、何かスポーツやってるだろ?」 「…剣道と弓道…。」 「お〜、日本男児!」 「………。」 あ。また黙っちまった。 駅前から遠ざかると、また、辺りは暗く静かになり、虫の声だけが聞こえる。 前を歩くゾロの背中。 広いな。 大きくて、幅があって、厚い。 6年前 最後に会った時は、まだ背もずっと低かった。 おれは、おれを見上げるゾロの顔しか知らない。 あの頃の声は、まだ高かった。 声変わり、してなかったんだな。 それがどうだよ。 この見事なバリトン。 ……なんか。 ムカついてきた。 なんでおれ、コイツの顔色窺うようなことやってんだ? 「ゾロ。」 立ち止まり、サンジは呼んだ。 だが、ゾロは立ち止まらない。 「おい、ちょっと待てゾロ!聞こえてんだろ!?」 だらしないサンダルの音が止んだ。 だが、振り返らない。 「なァ、ゾロ。てめェ、なんでそんな仏頂面ばっかりしてんだよ?随分といい態度じゃねぇか。」 「………。」 「明らかに、おれを避けてるよな?おれを見ようともしねぇよな?」 言いながら、自分が逆ギレしてることを自覚する。 けど、見栄というかプライドというか、8歳も年下の高校生に舐められてるのは我慢できねぇ。 そして、自分がご機嫌を伺っているのも、もう、耐えられねぇ。 ゾロが、振り返った。 険しい目。 不機嫌な、完璧に何かに怒っている目。 「…おれは、てめぇの態度の方がわからねぇ。」 は? 「…って?…おれ?」 「ああ。」 言い捨てて、ゾロはまた歩き出す。 今度は早い。 半分、走っているようなスピードだ。 「おい!ゾロ!!ちょっと待て!ゾロ!!」 追いかけようと、サンジが走り出した瞬間、ゾロは止まって振り返った。 勢いで、サンジはモロにゾロの胸板に鼻をぶつける。 「…痛っ…!」 「てめェ、自分が振った相手に、よくそんな風にヘラヘラ笑っていられるよな!!」 ゾロが叫んだ。 「は!?」 振った? 鼻を押さえて、サンジはゾロの顔を真正面から見た。 やっと、ゾロの目をまっすぐに見た気がする。 さっきまで怒っていたゾロの目が、どこか泣きそうな表情になっていた。 「そーだろ!?忘れたとは言わせねェぞ!!てめぇだって、忘れてねェからおれへの態度が妙だったんだろ!?」 「う!!」 図星。 そして、話は定石どおり回想に入る。 NEXT (2007/10/6) NOVELS-TOP TOP