BEFORE


エニエスロビー。 サイファーポール社。 前身だった小さなボルト工場は、60年前の大戦の折、軍需産業でのし上がった。 そして今も、この星のどこかで、この会社の作った部品を使った武器で人が死んでいる。 だが、遠いどこかで誰かが死ぬ心配よりも、これから、最上階の会長室の、 豪奢な革製の自分の椅子を、あの憎たらしい男に譲る事になってしまうのかという心配の方が、CP現会長スパンダムには大事だった。  「…畜生!畜生!!あの野郎…!」 気がつけば、CP社の株の40%をルッチに握られていた。 堂々と、役員を3人も送り込める株数だ。 前回の重役会議で、ルッチは、自身と子会社の社長に出向していたカク、そしてあろうことか会長秘書のカリファを重役にした。 その時、スパンダムはルッチが長い年月をかけて、CP社を乗っ取る計画を立てていた事を悟ったがもう遅い。 午後、緊急の役員会が開かれる。  「〜〜〜〜〜〜〜!!!」 広大な会長オフィスに、彼はあらゆる楽しみを費やしてきた。 壁に掲げられた肖像画は、プッチの有名画家の手によるもの。 置かれた大理石の彫像は、イトニアから出土した歴史的価値のある美女像。 マホガニのデスクは300年前のバロック時代のもの。 金のペン立て。水晶の文鎮。ブルガリの置時計…。 スパンダムは、力尽きたように床に座り込んだ。 父親から、当たり前に会社を引き継いでから26年。  「…おれは…何もしていねェ…。」 サイファーポール社へ向かう道を、1台のトレーラーが疾走する。 荷物を積みどこかへ輸送している風の、何の変哲もないトレーラー。 だが、そのトレーラーのコンテナの中。  「…ったく、面倒だな!その車で堂々と、CPへ乗りつけちまえばいいじゃねェか!!」 トレーラーの中は、まるで軍用のトラックの様に、横広のシートが据え付けられている。 横座りにだらしなく足を投げ出した顎髭の男が、酒に酔ったような赤い頬をこすりながら言った。  「何度言ったらわかるんじゃ、ジャブラ。その車のエンジンをかけたら、  途端にムギワラエンタープライズ社に位置を知られてしまうと。」 向かい側に座った、鼻の長い男が呆れたように言った。 先日、ルッチと共にCPの重役になったカクだ。  「ちっ!!…どうしても要るもんなのかよ?その車はよ!なァ、おい、ルッチ!!?」 シートの端で、腕を組んで静かに目を閉じていたルッチは、その姿勢を崩さないまま  「……基本OSの構築は出来たが、『自己発達』のレベルは…悔しいがあの男に敵わなかった。」 隣に座ったカリファが、ちらりとルッチを見る。  「“ルフィ”を使えば、次世代レベルのAIが生み出せる。」  「…あー、難しい話はわかんねェ!だがルッチ!忘れんなよ!?  おれがその気になりゃあ、今度はてめェから、CPの株を奪う事くらい、おれには簡単なんだからな!!」 ルッチはようやく目を開け、笑い  「…トレーダーとして一流のお前のおかげで、市場の株価を上手く操れた。見合う報酬は払う。」 にやり、とジャブラは笑った。 人としては問題があるが、この男はまだ使える。 ルッチは、目の前にある、シートに包まれた塊に目をやった。 それの形は、明らかな車体。 ルフィだ。  「………。」 サンジという男は、自分とは正反対のものの考え方をするとすぐに悟った。 甘い その一言に尽きた。 理想は高かったが、とことん考えが甘く、その高説に何度も腹の中で鼻白んだ。 そして、サンジが、自分を人としては信用していない事を十分に分かっていた。 なのにあの男は、頭を垂れ、教えを請うた。 理由をすぐに悟った。 ガンだという。 先が短い。 命ある間に、なんとか完成させたいと言った。 その時に、この計画は出来上がったのだ。 計画は、すぐに始まった。 ルフィに仕込んだ『バグ』に、おそらくサンジは気づかない。 気づくこと無く逝くだろう。 OSのマニュアルの中に、自分の名を残した。 “ルフィ”を受け継ぐものが、自分を探し出しやすいように。 自分が会長になったら、“ルフィ”を量産する。 そしてそれは、あらゆる物に搭載され、世界を圧倒する事になるはずだ。 あんな素晴らしい技術を生み出しておきながら、たったひとりの男の為にしか使おうとしないとは何たる無駄。 そしてあの男も、この素晴らしい人工知能に、無駄な事しか教えていなかった。 そんな不要なデータは必要無いのだ。  「ルッチ、もうすぐ着くぞ。」 カクが言った。  「…さぁ、第2幕を始めるとするか。」 立ち上がり、ルッチはシートを払った。 現れたのは、真っ赤な車体。 MUGIWARA5500GT ルフィ。  「…ルフィ。」 ルッチが呼ぶと、途端にヘッドライトが点灯した。 そして  『はい。ロブ・ルッチ。』  「エンジン始動。」  『承知しました。』 爆発の様なエンジン音。 ジャブラがひゅうっと口笛を吹く。 カリファが、耳を覆いながら  「いいの?ルッチ?」  「…かまわん。今、ここをMEが探知しても、向こうが動き出した時は全て終わっている。」 CP社は、山間の人造湖のほとりにあると前に述べた。 観光地域も近在にはあるが、今、ルッチがトレーラーを走らせている道路はCP社に向かうだけの道だ。 対向車も無く、後続する車も無い。 その広い道路の真ん中で、トレーラーは停車し、後ろのハッチがゆっくりと上げられた。 中には、エンジンを噴かしたルフィ。  「これで乗りつけようってか!!はッはァ!!」 ジャブラが、ドアに手をかけようとしたが、ノブが無い事に気づき  「おい!どうやって乗るんだ!?」 ルッチが言う。  「ルフィ、開けろ。」  『はい。』 ガルウィングが、油圧音を響かせて跳ねあがる。  「おおおおおおお。」  「まァ。」  「ほほう、大したもんじゃ。」 だが  「おい!この車2人しか乗れねェのか!?」  「そうだ。後部シートの下は電子部品が詰まっている。…お前達は後から来い。」  「…ちっ!」 ルッチが、ルフィのドライブシートに座ろうとした時だ。  「汚ねェ手で、そいつに触んな。」 声に、ルッチは顔を上げ、トレーラーの中から目だけを光らせて外を見た。  「……ロロノア・ゾロ。」 いつ来た? 後続車両は無かったはずだ。 だが、ゾロは黒のライダースーツに身を包んでいる。 側にあるバイクはオフロードタイプのもの。 タイヤはもちろん、ボディも泥だらけだ。 道ではなく、山の中を走ってきて追いついたのだ。  「おいおい!誰だァ?」 ジャブラが言うとカリファが、メガネをくいと押し上げて答える。  「ロロノア・ゾロ。ルフィの“元”のオーナーよ。」  「“元”じゃねェ。」  「………。」  「勝手に盗んどいて、何が元だ。…返してもらうぞ。」 ルッチが小さく笑い  「…それは申し訳ない事だ。確かに、おれはこの車を盗んだ。いずれお返ししよう。」  「おい、ルッチ!本気か?」 カクが言うと、ゾロもまた笑い  「車を返しゃ済む問題じゃねェぞ。おれは、“ルフィ”を取り戻しに来たんだ。」  「…ああ、なるほど…申し訳ないがそれはできない。」  「やっぱりな。そういう屁理屈だとは思ったぜ。」  「…ロロノアくん…これは事故だ。」  「…何?」  「ルフィの初期化…データが消えたのは不幸な事故だ。」  「…事故…?」  「そう、事故…。おれは、君からの依頼を受け、ルフィのシステム復元に挑戦した。  だが、不慮の事故でおれはルフィを初期化し、データを全て消してしまった。」  「………。」  「期待にこたえる事が出来なかった。謝罪する。訴えてくれてもいい。」  「……てめェ……。」  「事故…だ。」  「………。」  「“故意”だという証拠は、どこにもない。」 ルフィのエンジンの音が聞こえる。 いつも、ゾロの体を包んでいたあの音だ。  「そして、おれはルフィのAIに関しては、共同の開発者という権利がある。  ルフィに使われたシステムを、おれが使う事には何の支障も無いはずだ。  …おれは、サンジとそういう契約を交わしさなかったからな。」  「………。」  「……甘いのだよ。あの男も君も。こういう事態を防ぎたかったら、ちゃんと法的な措置は行っておくものだ。  こういう事態になった時、正義は正しい法的手続きを取ったものの方にある。覚えておきたまえ。」  「…ルフィはおれのだ…サンジがおれに託したおれのものだ…!!」  「…だから、サンジが公的な遺言に残した遺産である、『MUGIWARA5500GT』こと“ルフィ”は、君に返すと言っている。」  「そんな屁理屈はもういらねェ!!ルフィを返せ!!」  「…愚か者とは会話が出来ん。…行くぞ、“ルフィ”」  『はい。ロブ・ルッチ。』  「!!…ルフィ!!」 叫ぶように、ルフィを呼んだ。  「ルフィ!!てめェ…本当におれを忘れたのか!!?」  『わかりません。私は、あなたを知りません。メモリの中に、あなたのデータは存在しません。』  「!!?」  「…無駄な事はやめたまえ。初期化し、全てのデブリをデフラグした。君の知っているルフィはもういない。  このルフィは、君の事は何も認識していないのだ。諦めろ。」  「うるせェ!!」 ゾロは、一歩を前に踏み出した。  「…ルフィ…おれだ…ゾロだ!!」  『ゾロ。わかりません。データがありません。』  「データじゃねェ!!そんなもんに惑わされんな!!」  『私はあなたを知りません。』  「ルフィ…!!お前は誰だ!?」  『私は、MUGIWARA5500GT・LUFFYです。』  「そうだ!!お前を作ったのは誰だ!?」  『ワタシの生みの親はロブ・ルッチです。』  「違う!!お前を作ったのはサンジだ!!お前の兄貴だ!!」  『サンジ、わかりません。メモリにありません。私は人工知能です。“兄”はいません。  “兄”という概念は、我々AIには関わりの無い言葉です。』  「うるせェ!!てめェ、サンジの事まで忘れたか!?」  『わかりません。データにありません。』  「ルフィ!!」 ルッチが、深く溜め息をつく。  「…無駄だというのに…まったくもって愚かな…。」  「ひゃっはっはっは!!おもしれェ!!人間が必死にあがく面ってのは、こんなに愉快なもんか!?」 ジャブラが、甲高い笑いを上げた。  「…ロロノアくん。ルフィが完全に君を忘れた事を、思い知らせてあげよう。」  「何?」 ルッチは、ルフィのルーフをひと撫でし  「ルフィ。」  『はい。ロブ・ルッチ。』  「……あの男を轢き殺せ。」  「!!!」  『はい。ロブ・ルッチ。』 爆音が 木々の間を響き渡り、やがて消えた。  「ルフィのGPS反応です!!やはり、エニエスロビー北西!!CP社から5キロの地点です!!」  「よし!!本社に連絡を入れろ!!我々はこのまま追尾!!」  「了解!!」 青い空の間を、高速で飛行する軍用ヘリ。 だが、そのボディには、『ME』の真っ赤なロゴ。  「隊長!会長から直接通信が…!」  「か、会長!?マジか!?」 ムギワラエンタープライズCEO(最高責任者)、会長を兼務している。 彼ら警備の人間が、直に言葉を交わした事は一度も無い。  『追跡ヘリ、聞こえるか?』  「は、はい!!」  『…万が一、“ルフィ”がそのままCP社の敷地に入るような事態になった時は……止むを得ん。“ルフィ”を破壊しろ。』  「え!?」 驚いた。 会長の言葉とは思えなかった。 会長が、ルフィを自社の自慢の種にしていた事は誰でも知っている。  「し、しかし…!!。」  『“ルフィ”は我が社の最高機密。CPに奪われる訳にはいかない!復唱!』  「は、はい!!“ルフィ”が、この先2キロを行った地点で、破壊目的の攻撃に入ります!!」  『よろしい。』 ぶつっと、通信は素っ気なく途切れた。  「……頼む…行かないでくれよ……。」  「…隊長…。」 ヘリを操縦する、警備飛行部隊の隊長である彼は、ルフィに借りがある。 あの日 あの海で溺れていたのは彼の息子だった。 彼の、わずかな不注意で、息子は岩場から落ちあっという間に波にさらわれた。 それを、助けようとルフィは海に飛び込んだのだ。 そのルフィを、自分の手で攻撃などしたくない。  「…頼む…。」 轟くエンジン音。 対峙する、ゾロと“ルフィ”。 『轢き殺せ』 その命令に、ルフィはさらにエンジンの回転を高めた。  「ルフィ…。」  『………。』  「ふざけんなよ…てめェ…。」  『………。』  「てめェがおれを殺す…?」  『………。』  「…上等だ…やってみろよ…。」 ジャブラが、また高笑いを上げた。  「クレイジー!こいつも相当イカれてる!!」 ルッチは、薄笑いを浮かべてゾロを見ている。 カリファも、黙ってゾロを見ていた。 溜め息をついたのはカクだ。  「やれやれ、血生臭い事は御免じゃ。」  「ルフィ、遠慮はいらないそうだ。」  『はい。』 タイヤが軋む。 ルフィがブレーキを解除すれば、あの真っ赤な体は真っ直ぐにゾロへと突進してくる。  「…ルフィ…てめェふざけんなよ…おれを知らねェ?  …サンジを知らねェ…?そんなわけあるかよ…。」  『知りません。私はあなたを知りません。』  「この3年…おれがどんだけてめェに振り回されたかわかってんのか…  その上で今度ァおれを忘れただ…?冗談じゃねェ…!!」  『………。』  「…てめェのおかげで…どんだけ罰金や賠償金払わされたか…  どんだけ人に頭下げて謝って回ったか…。」  『………。』  「てめェがあちこちで…勝手に友達作って回るから…  おれまでどこに行っても顔が知られて挨拶されて、笑いかけられて…。」  『………。』  「………もう誰の顔も見たくねェって思ってたのに…  てめェのおかげで…なんでか知り合いばっかりどんどん増えて……。」  『………。』  「……3年経ったら……サンジの所へ行こうって決めてたのによ…  てめェのおかげでそんな誓いもすっかり忘れちまってた……。」  『………。』  「サンジがいない事も…悲しいと思ったことも…辛かったことも…。」  『………。』  「サンジの名前を声にする度、あんなに心臓が痛かったのに…  てめェとサンジの事を話す時は…ちっとも痛くなかった…。」  『………。』  「お前が話すサンジはいつも笑ってた…。」  『………。』  「お前がいたから…おれは…この3年を乗り越えたんだ…。」  『………。』  「コンピューターのくせに、バカで間抜けで、言う事をちっとも聞きやしねェ、心配で心配で目が離せなかった…!」 心配で心配で 置いていけねェよ、ゾロ… 3年 3年は生きろ ゾロ ルフィを お前の側に置いていくから 3年 ルフィと生きてくれ そうすれば 生きるって事が どんなに素晴らしい事か きっとわかるから 今以上に沢山の人と触れ合って 人がどんなに優しいか きっとわかるから  「サンジ――――!!」 お前が望んだのはこれか。 ルフィを介して、おれが少しでも人と関われるよう。 自分がいなくても生きていけるよう。 たくさんの人に、寄りかかって生きていけるよう。 そして寄りかからせてやれるように。 だから、ルフィを作った。 おれに託した。 生きてくれゾロ。 お前がおれにくれた、あの激しくて優しいたくさんの愛を、今度はたくさんの人に。  「ルフィ――――――――――っ!!!」  『………。』 ルッチが、怪訝な顔をする。 なぜ、ルフィは命令に従わない?  「ルフィ、何をしている!?あの男を殺せ!!」  『………。』  「ルフィ!!思い出せ!!お前が、自分を“ルフィ”と覚えているのなら、おれの事もサンジの事も忘れちゃいねェハズだ!!  思い出せ!!お前はおれのルフィだ!!サンジが作り、サンジがおれに託したおれのルフィだ!!お前は!!」  「ルフィ!!命令に従え!!あの男を殺せ!!」  「ルフィ!!てめェはおれのものだ!!おれのMUGIWARA5500GT、“ルフィ”だ―――!!」  「殺せ!!“ルフィ”―――――!!」 怒声と爆音が、木々の間を貫く。  『おい、ゾロ。おれ、腹減ったぞ。』 そこに残ったのは、静寂。 BEFORE NEXT                     (2010/10/17) SCAMPER!-TOP NOVELS-TOP TOP