BEFORE


 「……馬鹿な……。」 ルッチの頬を、一筋の汗が流れて落ちた。 この事態がどれほど異常な事か、ルッチと共にOS開発に携わってきたカリファには理解できる。  「…そんな…過去のデータはすべて消したはず…!」 わずかなチリまで、消し去ったはず。 なのに  『あれ?ゾロ、ここどこだ?』  「……ルフィ……。」  『んんん?なんだ?おれ、寝てた?』  「ルフィ――!!」  『あれェ?なんでおれ、こんなトコにいるんだ?変なの。おれ、自分で動けるぞ。』 言うなり、ルフィはトレーラーから飛び出した。 そして  『ゾロォ!!』 ゾロへ  「ルフィ!!」 大きく手を広げたゾロのわずか手前で停車し、まるで子犬の様にすり寄る。  「ルフィ!!」  『あははは!変なの!なんかゾロの事、すっげ―久しぶりに見た気がする!』  「……ああ……そうだな……。」  『なァ、ゾロ。あいつ、誰だ?』 ルフィが、誰だと尋ねたのはルッチ。  『ゾロを殺せって言ったよな?』  「………。」 呆然と立ち尽くすルッチ。 目の前の現実が、信じられない様子の表情だ。  『馬鹿なヤツだ。おれが』  『ゾロを殺す訳ねェのに。』 ルフィが、ゾロの腕に納まる体であったなら、きっと抱きしめていただろう。 代わりに、ゾロはルフィのボンネットを撫でた。 その時、一陣の風が吹きあがり、上空をME社のヘリが降りて来た。 先程のヘリだ。 上空から様子を見ていた彼らは、機銃をルッチ達のトレーラーに向けている。 カクが、大きく肩で息をした。  「引き時じゃ、ルッチ。」  「………。」  「そうね…ルフィは諦めましょう。…ここで事態をこじらせたら、CPのトップにつく折角のチャンスを棒に振るわ。」  「………。」 黙って、ルッチはトレーラーの奥に戻った。 カリファも、カクも、ジャブラも。 そして扉は閉まり、トレーラーはCP社への道を走り去って行った。  「…ロロノアさん!大丈夫ですか!?」 ヘリから、あの隊長が降りて来た。  「ああ…あんた…。」  「その節は…!!すみません!!おれのせいで…!!」  「気にすんな。あの事件が無くても、これは起きた事だ。もう終わった。」  「…でも…!」  『そうだぞ!おっさん!気にすんな!楽に行こう!!』 ゾロは苦笑いを浮かべ  「てめェが言うな。」  『ゾロォ!腹減ったァ〜。』  「……ああ、腹いっぱい食わせてやるよ。」  『やったァ!!北25区の充電スタンド!!』 北25区 ゾロは、木漏れ日の上の空を見上げて、ルフィに言う。  「…1000キロ走れたらな。」  『えええええええええええ!?』 ルフィが無事に帰ってきた。 マリンフォードはお祭り騒ぎでルフィとゾロを出迎えた。 事件の真相を追及する声も多かったが、ME社がルフィを盗んだ相手を訴えないと決めたことで、全てのケリがついた。 そして1週間後、ゾロはムギワラエンタープライズ社会長兼CEOの呼び出しをくらった。 それまで、会社や会長の意志をゾロに伝えて来たのはロビンかフランキーだった。 なのに、今回ばかりはさすがに、温厚な会長も黙っていられなかったのだろう。  「スゲェ言われるんだろうな…。」  「そうね。あなた、かなり勝手をしたものね。社員でも無いんですもの。  会長だって気に入らないことも多かったはずよ。」  「…謝って許してくれそうな相手か…?」  「さァ…どうかしら?とりあえず、謝ってみるのね。」 会長室直行の専用エレベーターの箱の中。 滅多に着ないスーツに身を包み、ゾロは大きく息をついた。 今日のロビンは、流行のパープルのスーツ。 毎度ながらのスレンダーボディ。 サンジからも、あまり会長の話を聞いてはいなかった。 考えてみれば、サンジの勝手や自分の勝手を、よく許してくれていた。 詫びて、改めて、ルフィの感謝を述べなければならない。 エレベーターが、最上階に着いた。 扉が開くと、広大なエントランス。 一歩踏み込んだ瞬間の、足もとの柔らかさに、瞬間面喰った。 会長秘書らしい男が深く頭を下げ、「会長は奥に。」と言った。  「ありがとう。」 勝って知ったる雰囲気で、ロビンが奥へ進む。 ガラスの扉が現れ、それを押し開くと思ったが、扉は勝手に左右に開いた。  「ロロノア氏をお連れいたしました。」 ロビンの声に答えたのは。  「おう、ご苦労。」 頭を、下げようと身構えていたゾロは、その声に目を見開いた。  「…フランキー!?」  「よう。」 中にいたのはフランキーだ。 客用のソファに座り、仏頂面でゾロを見ていた。 さすがに今日は、アフロシャツに短パンではない。 きちんとジャケットを着ている。 ああ、そうか  「悪ィ…!お前ェも会長に呼ばれたのか!?」  「……まァな……。」  「…まさか…クビになるなんて事は…。」  「…わからねェなァ。そうなるかもしれねェ。」  「…!!原因はおれだ!お前は関係ねェだろ!?むしろお前はおれを庇って…!話す…!わかってもらう!!」  「………。」 ゾロはキョロと辺りを見回した。 が、部屋の中には、自分とフランキーとロビンしかいない。 続きの部屋があるらしい。ドアがある。 ゾロはそこへ飛び付き、無作法に扉を開けた。  「会長!!ロロノア・ゾロだ…!!話を聞いてくれ!!」 扉の向こうは書斎だった。 私的に使用するらしく、パーテーションの向こうに大きなベッドが見える。  「会長…!?…おい!ロビン!!フランキー!!会長はどこだ!?」 戻ってきたゾロを見て、ロビンはくすくす笑った。 そして  「ゾロ。この部屋に、独りで勝手に入れるのは会長だけよ?」  「え?」  「…会長は、30分前からここにいて、あなたが来るのを待ってたわ。秘書が、会長は奥にって言ってたでしょ?」  「…………え?」 ME社、最高責任者のプライベートオフィス。 今、この部屋にいるのは、ゾロと、ロビンと、フランキー……。  「……まさか……?」 ロビンが立ちあがる。 そして  「ご紹介させていただきます。ムギワラエンタープライズ社最高責任者(CEO)、カティ・フラム会長です。」 その時のゾロの叫びを、文字にするのはなかなかに難しい。 「なにィィィィィィィィィ!?」だったかもしれないし、「でェェェェェェェェェェ!?」 だったかもしれないし、「ウソだァァァァァァァァァ!!」だったかもしれない。 それが、全部混じったような、意味不明の悲鳴だったような気もする。  「第1班班長、カティ・フラムじゃなかったのかよ!?」  「それは入社して間もねェ頃の肩書だ。面倒臭ェから、あの研究所でのIDは昔のまんまなんだ。それだけのこった。」  「それだけって…!!技術屋ってのは嘘だったのか!?」  「だーから!!技術屋でここに就職したんだ!!まァ、途中いろいろあって、こういう事になってる!!  おれァな!ホントは技術屋のまんまでいてェんだよ!!こんなトコで、こんな肩書で呼ばれるのは本意じゃねェんだ!大人の事情ってヤツがあるんだよ!!」  「大人の事情で片付くのかよ!?」  「全部喋ってやってもいいが、少なくとも1日はかかるぞ!聞くか!?」 いや。 別に、フランキー一代記は聞きたくない。 何故かフランキーはギターを抱えていて、弾き語る気満々だったりする。 そうか。 思えばそうなのだ。 第8製造部・1班班長・カティ・フラム が、まったくの部外者のゾロのIDを簡単に手に入れたり、ME社にとって重要なルフィの 『身柄』を引き渡すのを簡単に了解したり、ルッチに研究室を使わせたりできる訳がなかった。 フランキーが、ムギワラエンタープライズ最高責任者なら、全てが可能。 サンジと、道楽の様なルフィ開発が出来たのも、それが会長自身の研究でもあったからだ。  「サンジの研究は面白かった。だからおれは、力を貸してくれと言った。」  「………。」  「…こんなに早く…いなくなるとはおれだって思って無かったよ…。」  「………。」  「…あいつといる時だけが、ただの技術屋フランキーに戻れた。楽しかった。悲しかったが、楽しかった。」  「………。」  「だから、もう、無茶はしねェでくれ。」  「…わかった…。」  「そこでだ!」 いきなり、フランキーが膝を打った。  「ロビン。」  「はい、会長。例の書類ね。」 ファイルから分厚い書類を取り出し、ロビンはフランキーに差し出した。 それを受け取り、今度はゾロの目の前につき出し  「ゾロ、ここにサインしろ。」  「は?」  「サインだ。ここに。」  「…何の書類だ…?」  「お前が、ムギワラエンタープライズの社員になる契約書だ。」  「はぁあああ!?」 おれが!? この会社の!?  「ちょっと待て…!おれはフリーのテストドライバーで…!!」  「フリーのテストドライバーは廃業してもらう。お前は今日から、ME社最高責任者付き総合職の社員だ。」  「勝手に決めんなよ!!」 フランキーは、むんずとゾロの襟首を掴み  「…あのな…今だから言うが、サンジがルフィを作るのに、ME社がいくら金を出したと思ってるんだ?」  「あ?……って、サンジが自分で出したんじゃないのか…?」  「まァな!だが、サンジの野郎、ちゃっかりしてやがってよ。  別の開発部門の研究に屁理屈つけて便乗して、あれやこれやを賄ってやがった。かなり不正な経理でな。」  「いぃ…っ!?」  「ロビン、それらの金額はいくらだった?言ってみろ。」  「はい、会長。総額11億3200万、飛んで50ベリーです。」  「なんだ!?その50ベリーってのは!?いきなり桁が小さすぎだろ!?モノ申すぞ50ベリー!!」 フランキーが、にやりと笑う。  「11億3200万、飛んで50ベリー。耳を揃えて払ってもらおうか?」  「はぁあああああ!?なんで、おれが!?」  「ロビン!説明してやれ!!」  「…面倒な説明は全部私なのね。  ……つまり、サンジが不正経理を行って作られたルフィをあなたが遺産として受け継いだのだから、それに伴う負債も一緒に受け継いだって事…。」  「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!???」  「これでもう、サンジの所へ逝こうなんて気は失せただろ?」  「!!」 ゾロは、唇を噛み締めた。  「…お前は働いて、借金を返さなきゃならねェんだ。」  「フランキー…。おれは…!」  「…もう何も聞かねェぞ。いいな?明日から、お前はME社の社員だ。」  「………。」  「おれの仲間だ。」 黙って、ゾロは書類にサインをした。  「悪い人ね。本当は借金なんかないのに。」 ロビンが悪戯っぽく笑いながら言った。 ゾロを返し、全ての書類を人事課に回した後、経理関係の書類を眺めロビンはまた「ウフフ」と笑う。  「無かった事にしただけだ。ったく、サンジの野郎…。」  「フフ…。」 秘書が、ゾロの為のコーヒーカップを下げ、新しいコーヒーとコーラをテーブルに載せて一礼し、出ていった。  「……どうして…ルフィはゾロを思い出せたのかしら?」 新しいコーヒーを口元に運びながら、ロビンはつぶやくように言った。  「………。」  「何か知ってるわね?」  「……昨日、CPの新しい会長からこんな書類が届いた。」  「ロブ・ルッチから?」 投げ出された書類に並ぶ文字に、ロビンは首をかしげる。  「難しいわ…よくわからない…。」  「“ルフィ”のAIの自己修復機能に関する、特許の共同開発者としての権利を要求してきた。  まァ、突っぱねるつもりだが。訴訟になるから覚悟しといてくれ。」  「いいけど…。」 フランキーは、高い天井から床まである、大きなガラス窓に向かい、マリンフォードの街を見下ろしながら  「……人間って奴は、体のどこかが欠損すると、必ずそこを補う能力が発動する。人体の不思議のひとつだ。  中でも、脳に関しては医学的に説明できない部分が多い。  …ルフィが初期化された時、全てのデータはデリートされ、ファイルの断片も消されたはずだった。」  「………。」  「ところが、さしものロブ・ルッチでも、“ルフィ”という自己認識を消す事が出来なかった。  何度、それにデリートをかけても消えなかったそうだ。……サンジの仕業だ。」  「…まァ…。」  「……“ルフィ”という自己認識機能の中に、サンジは自己修復機能を施した。  データとしての“ルフィ”をデリートされた時、全てのデータ、メモリが“自己認識”機能の中のフォルダに一挙にファイル保存…バックアップされたんだ。」 小さく、ロビンはうなずいた。 目が少し泳いでいる。 フランキーの言葉を噛み締めて、理解を進めている顔だ。  「…つまり…ルフィの中に、隠しフォルダがあったという事?」  「…ちょっと違うな。だが、まァそんなもんだ。そこで初めの話に戻る。ニューロンというものを知っているか?」  「聞いた事があるわ。」  「ニューロンは、人間の情報伝達をつかさどる神経細胞だ。その神経細胞に情報が刺激として伝えられて初めて人間は情報を処理する。  その神経細胞には樹状突起というものがついていて、それが情報を受け取り、軸策というヤツが、その情報を出力する。  ……サンジは、ルフィにその機能をつけた。」 「………。」 「ルッチがデリートしたと思った情報は、ルフィの隠しフォルダの中に保存され、初期化されても自己修復機能が働き、  ニューロンが樹状突起を伸ばして情報を探り、繋がり合って、少しずつ、自分を再形成していったんだ。  …ゾロが、何度もルフィを呼んだことで、樹状突起が電気刺激を受けた。  そこで失われた神経細胞に当たる部分が、一気に形成された。」 「…すごい…本当に天才だったのね…彼は…。」 「…あまりに神の領域に近づきすぎた…おれ達人間にはまだ早ェって…連れてっちまったのかもしれねェ。」  「そんな技術、他の人間に渡す訳にはいかないわね。…大丈夫、任せて。」  「スーパー頼もしいな。」 ロビンは、不意に思い出したように  「そういえば…ゾロはルフィから、サンジの“遺言”を聞いたのかしら?」  「ああ…そんなもんもあったな…。」  「何か聞いてる?」  「いや…。」  「…まだ、聞いていないのかしら?」  「そうかもな…聞けたら、何か言うだろう?」  「…ルフィ…ちゃんと覚えていてくれるといいけど…。」  「…そうだな…。」  「……裁判、勝ってみせるわ。…勝ったら、ご褒美はたっぷり戴くわよ。」  「怖ェな、そりゃ。」 「ウフフ」と笑って、ロビンは言う。  「また、ハンバーガーを御馳走して頂戴。」 北25区 ルフィお気に入りの充電スタンドに近い砂浜。 サンジと、初めて歩いたあの砂浜だ。 車を停め、ルフィのドライブシートに座ったまま、ゾロは海を見ていた。 夕焼け 茜色にたなびく雲 季節は冬になっていた。 風の冷たい砂浜に、人の気配はない。 サンジに出逢って3年。 サンジを送って3年。 ルフィを、傍らに置いてから3年。 3年前のあの日 こんな思いになる日が来るとは思わなかった。 生きたい 生きよう これからもずっと 本当は生きたかったサンジの分まで おれまでお前の元へ逝ってしまったら、この世界からおれとお前の築いた日々が、そこで全て消える。終わってしまう。 今でも愛してる。 これほど誰かを愛した事は無かった。 愛されたことも無かった。 だから消してしまいたくない。 ルフィの中から、おれとサンジの記憶が失われた時 悲しかった。悔しかった。辛かった。 消してしまいたくない。 今でも愛しているから…。  「ルフィ。」  『ん?なんだ?』  「ありがとな。」  『なんでありがとだ?おれ、何もしてねェぞ?』  「…そうだな…。」  『おかしなヤツだな、ゾロは。』  「……なァ、ルフィ。」  『ん?』  「………。」 ゾロは、目を閉じて  「これからも、一緒に走ろう。」  「おれの体とお前のAIと、どっちが先にくたばるかわからねェが…生きられるだけ生きて、走れるだけ走ろう。」  「ずっと。」  「一緒に走ろう。ルフィ。」 答えはなかった。  『あたりまえだ!』と、元気な声が返ってくると思ったのに、ルフィは何も答えない。  「ルフィ?」 いぶかしげに、コントロールパネルを覗きこんだ。 と 何かの気配 隣の助手席  「…………サンジ…………?」  『よォ、ゾロ。』 艶やかな笑顔で、当たり前の顔をして、座っていたのはサンジだった。 BEFORE   NEXT                     (2010/10/23) SCAMPER!-TOP NOVELS-TOP TOP