「ほ〜ら、何やってんの、ゾロ!!さっさとしなさいよ!置いてくわよ!!」

 「うるせぇ!!テメェと違って、こっちは両手が塞がってんだ!!」



その日、東京の空は少し曇っていた。

だからといって、「傘を持っていこう」とか、「新しい靴を下ろすのはやめよう」という考えにはならない。

その程度の薄曇



編集部のあるビルの地下駐車場

某女性向けタウン誌の編集者ナミが、ダイナマイトなボディをプラダのスーツに包み、ヒールの音も高らかに車へ向かう。

その後を、両手にカメラバッグを抱え、デザート色の軍用ジャケットに身を包んだ青年が追いかけてくる。



 「うっわ!相変わらず汚い車!!」

 「余計なお世話だ!」

 「大体趣味が悪すぎるのよね。今時、ホンダシティカブリオレ、しかも色が、ぼけたペパーミントグリーン。信じらんない!」

 「嫌なら乗るな!」

 「ジョーダンでしょ?誰の車よ?」

 「オレんだよ!」



今でこそ、なんとかカメラで食いつなぐことができるようになった。

彼の名はゾロ。

フリーのカメラマンだ。

必要に迫られて中古で買ったこの愛車とは、もう11年の付き合いになる。



 「ちょっと、助手席の荷物どけてよ!邪魔ね!」

 「手荒に扱うな!!レンズだぞ!!」

 「ああん、もぉ!約束4時なのに!!何回も頼み込んで、やっと取材させてもらえることになったのよ?遅刻したらどうしてくれんのよ!?」

 「オレのせいじゃねぇだろうが!」



『悪趣味な、ぼけたペパーミントグリーンのホンダシティカブリオレ』は、ようやく地下駐車場から、曇り空の下のビル街へと飛び出す。



1時間ほど前、ゾロはナミからの、いきなり電話で叩き起こされた。



 『お願い!今すぐ来て!!ウチのアホカメラマンが盲腸で入院しちゃったの!!4時に千歳烏山なのよ!!すぐ来て!今来て!飛んで来て!!』

 『千歳烏山ぁ!?…1時間しかねぇじゃねぇか!!?』

 『とにかく来るのよ!いいわね!?来なきゃどうなるかわかってんでしょうね!!アンタ!!』



実は、このシティを買った時にナミに借りた15万円、返済未納である。



どうせアテにしてない

体で返せ

返せないなら車ごと晴海に沈める



この11年で十分代価は払ったはずなのだが。



大学時代からの付き合いだ。

気心もよく知っている。

周りには、ふたりが付き合っていると本気で思っている奴もいる。

だが、ふたりはそんな甘やかな関係ではない。

そして、こんな気の強い女にも、実は15年片思いの奴がいると知ったら、皆どんな顔をするだろうか。



 「ねぇ、ルフィ、連絡ある?」



車が走り出してすぐ、ナミが少しはにかむように尋ねた。



 「いや。」

 「……イスタンブールにいるって、メールがあったんだ。1週間前。」

 「よかったな。」

 「…うん。」



こういう時のナミは、普通の女に見えるんだが。 



 「そっか、トルコか。とうとうヨーロッパの入り口に着いたな。」

 「アンタに全然連絡無いの?」

 「無ぇ。まぁ、オレも年中フラフラしてっからな。エースも、ヤツがどこにいるかわからねぇって、ぼやいてたぜ。」

 「ふ〜〜ん。」



連絡を寄越すのが自分だけなのだと認識して、ナミは少し頬を染めて笑った。



ルフィ



大学の同期だ。

といっても、ヤツは飛び級で入学してきたから、年齢はオレ達より2歳下だ。

つまり、同年の奴に比べて、飛びぬけて頭が良いということだ。

だが、天才と何とかは紙一重。

ヤツは大学を卒業してすぐ、『俺は旅に出る!』と宣言して、日本縦断の旅に出た。

3年後、帰ってきて今度は、『もっとでっかい場所を見に行く!』と再び宣言して、世界一周の旅に出た。



それから8年



未だに一度も帰国せず



ヤツのじーさんは、不義理で不精で薄情けの孫を、こんな風に怒り狂っている。



 『誰のおかげで、大学まで出たと思っておるんじゃ!ルフィめ!わしの子供の子供のクセに生意気な!

 もう許さん!!感動じゃ!あ、違った。勘当じゃあ!!』



まぁ、それはともかく。









 「あ!そこそこ!その駐車場に停めて!」



千歳烏山は古くて狭い街だ。

近くに蕎麦で有名な深大寺があり、植物園もあり、都民の憩いの場というやつだ。

古い街ゆえの雑踏には暖かさがある。

ナミが指差すコインパーキングに車を停め、カメラを担いで後を追う。



約束の時間を20分過ぎた。

かなり焦りまくったナミは、店の入り口でコケそうになった。



車を走らせながら、今日の取材先がレストランであることを聞いていた。

1日に、ランチ、ディナーにそれぞれ1組しか客を入れないという、今流行の『限定様』レストランだ。



 「基本はフレンチらしいんだけど、創作料理なのよ。お客の注文に合わせて、和風になったりイタリアンになったり。

 美味しいことはもちろんなんだけど、オーナーがね…ちょっといわくアリなの。」

 「いわく?」

 「まぁ、行けばわかるわ。でも、驚かないでね。」



さて、どんな『いわく』だか



白い壁の、すっきりとした建物。

エントランスから入り口に伸びた、ささやかな木道の周りには様々な草花が植えられ、

この薄曇の下で、小さな、赤や黄色の花をつけていた。

ドアに掲げられた小さな木の看板に、手書き風のアルファベットで『オールブルー』と書かれてある。



 「ごめんください。“グランドラインウォーカー”のナミです!すみません!遅くなってしまって…!」

 「やぁ、いらっしゃい。お待ちしてました。」



ん?



と、ゾロは、声が今どこからしたのかを探った。



店の回りや入り口を撮影しながら入った。

ファインダー越しのナミの向こうに、声の主が、見えない



 「!!」

 「紹介しますね。今日のカメラマンです。ロロノア・ゾロ。

 これでも、まぁ、腕は確かなので、ご安心ください。」

 「はじめまして、よろしく。」



差し出された手。

ゾロの視界の、ずっと下から伸ばされた白い手。



 「サンジです。」



にっこりと微笑む青い目。



サンジ、と名乗った青年は、ゾロと年も同じくらいだろうか。

細く白い首、細い腕。

シェフの服の襟元に、赤いスカーフがまぶしい。

まだ、営業前のためか、金の髪にシェフ帽はない。



すらりとしたしなやかな体を、彼は、車椅子に預けていた。



 「…あ…はじめまして…。よろしく…。」



と。



車椅子の青年は、微笑を浮かべたまま



 「…車椅子の理由をお尋ねになってください。」



と、言った。



 「は?」

 「どうぞ。何故ボクが車椅子に座っているのか、お聞きになりたいでしょう?」

 「あ…いや…。」



いわく



とは、コレのことなのだ。



しかし、この切り出し方。

ある意味、可愛げがない。

ゾロのこめかみが、ピクリと震えた。

だが、それを作り笑顔に隠して



 「何故、足が不自由に?」



と、単刀直入に尋ねた。



 「3年前、勤めていた店で事故に遭いました。高温の油をモロに浴びて、神経をやられてしまいました。

 ほんの少しなら立つ事はできますが、歩くことはできません。

 昨年、ようやくこの店を持つ事ができましたが、こんな理由で、どうしても『限定様』にせざるをえなかったんです。」



それでも、1年先まで予約でいっぱいなのよ、と、ナミが言った。そして



 「じゃあ、取材いいですか?音、録らせてもらっていいでしょうか?」

 「ええ、どうぞ。」



きれいな顔で笑う。

ゾロは、思わずシャッターを切っていた。











取材の約束は1時間。

今日も7時に開店する。



30分程インタビューをし、残り30分で、サンジが厨房に立つ姿をカメラに納めた。

厨房は、サンジが車椅子で動くのに最も適した形に配置され、全てオーダーで造られたものだと言った。

使用人はおらず、客の出迎えから給仕まで、全てひとりでやるのだという。

手伝ってくれる者がいないわけではないが、気を遣われ、そして気を遣うのは嫌なのだと、サンジは正直に答えた。

上半身だけ見ていれば、まったく普通のコックと変らなかった。

足を踏ん張れない状態で、重いフライパンを振るのだから、腕の力はかなりのものだろう。

肢体障害者の、車椅子バスケットボールの試合を撮影したことがあるが、まるで彼らが試合をしている時のような動きで圧倒された。

まったく、足の不自由さを感じさせない。

2つの車輪は、まさしくサンジの足そのものの様に、くるくると踊るようによく動いた。



 「今日はありがとうございました!貴重な時間を頂いて、感謝します。本ができたらお届けにあがりますので。」

 「あれ?もうお帰りですか?」

 「え?ええ。これから帰って原稿を書きます。」

 「せっかく料理を作ったんですよ?食べていってください。」

 「え?でも…。」

 「夕食には早いけれど、軽めのイタリアンだし。大丈夫でしょ?」



言いながら、サンジは撮影のために料理を並べたテーブルへ、『どうぞ』と二人を招いた。



 「今日のお客様に出す料理ではありませんし。

 それに、おふたりが食べていってくれないと、これ全部、すっかり冷め切った頃に、ボクが始末しなけりゃならないんです。

 それに、コレの分はちゃんと御代も頂戴してる。ですから、お急ぎでないのなら、僕の料理を味わってください。」

 「ええ、わかってます…でも…。」



ナミが迷った時だった。



ぐ〜〜〜〜〜〜きゅるきゅるきゅる



盛大な音をさせたのは、ゾロの胃だ。



 「アンタね!!」

 「しょうがねぇだろ!こんなイイ匂い30分も嗅いでんだぞ!!

 それにオレはテメェに叩き起こされてから、メシ食う暇もなくここに来たんじゃねぇか!?」

 「あっはっはっはっは!!」



サンジが笑った。

今までの、静かな微笑とはかけ離れた、豪快な笑いだ。



 「体ほど正直なものはありませんね。それに、食べてくださらなければ本当に困ります。

 味もわからないのに、記事を書かれるのは嫌です。さあ、どうぞ。」



ナミは、すでにサンジの料理を味わっている。

今の言葉は、ゾロに向けられたものだ。



 「よし!じゃ、遠慮なく。」



ゾロは、鞄をドカンと床に下ろし、椅子に座るやいきなりフォークを掴んだ。



 「ちょっとは遠慮しなさいよ!!もぉ!!…すみません…じゃあ。」



ナミも、ゾロの向かい側に腰を下ろした。

自然な仕草で、サンジがナミの椅子を引いた。

体の不自由さを、微塵も感じない優雅さだ。



 「…美味ェ…!」

 「ん〜〜〜…!!やっぱりオイシイ〜〜!!でしょ?でしょ?おいしいでしょ!?」



ナミが涙を流さんばかりに感嘆した。



 「コイツが口に出して美味しいって言うの、滅多に無いんですよ。いつも黙ったままもさもさ食べるだけなの。」

 「それは光栄。」



2人のグラスに、赤い液体が注がれる。



 「車なんで酒は…。」

 「ええ、ワインではありませんから。ただのジュースです。」



ジュースはあまり好きではない。

だが、いつも感じる甘い香がしない。

惹かれて、一口含んでみた。すると



 「…ジュース?確かにアルコールは感じねぇが…酒みたいな感じがする。」

 「自家製のミックスベリージュースです。ランチ用にお出しするんです。」

 「へぇ…。」



ゾロが、グラスのジュースを一気にあおり切ると、サンジは嬉しそうに白い歯を見せて笑った。

自分の料理を、美味しそうに食べてくれる人間の顔を見るのが、心底嬉しいという顔だ。

カメラを、鞄にしまってしまったのが惜しいと思った。



思わず。



パシャ



いきなり向けられた携帯電話に、サンジは一瞬驚いた。

そしてゾロの方も



 「あ…悪ィ…。」

 「何やってんの!食事中にレストランで写メなんて失礼でしょ!?」

 「…あ〜〜〜…すまねぇ…思わず…いい顔してたもんで、つい…。」



へ?とつぶやいて、ナミがきょとんとする。



 「はは…照れますね。そんなにガキくさい顔してたかなぁ。」



車椅子のコック



初めは物珍しさだったろう。



だが、やがて人は、その腕の作り出す味に魅了され、惹きつけられるようになったのだろう。

そんな気がする。



 「おふたりは恋人ですか?」



サンジのいきなりの問いに、ゾロもナミも思いっきり咳き込んだ。



 「違います!絶っっ対違います!!」

 「ゲホゲホゲホ!!ウェッホ!!ゲホゴホ!ゴボゲホッ!!」

 「そうですか?なんだか、妬けるくらいに仲がいいから。

 じゃあ、ボクがナミさんの恋人に立候補してもかまいませんか?」

 「え!?いえ!それは!ちょっと!!」

 「フフ…冗談です。…食後はコーヒーでよろしいですか?それとも紅茶?」



艶やかで、どこか儚げで、それでいてしっかり毒の部分も持っている。

サンジというコックは、そんな男だった。



店を出る時も、サンジはちゃんとエントランスまで出て見送ってくれた。



ゾロが振り返った時、微笑んだ顔が綺麗だと思った。



思ってしまった。











 「はい、ゾロ。メモリーカード頂戴。」

 「ん。」



ナミの編集部に帰って早速、カメラからメモリーカードを取り出して、パソコンのスロットに挿入する。

画面に、ついさっき撮影してきた写真がずらりと居並んだ。

それを眺めながら、ナミはゾロを見もせずに手を出し



 「さっきの携帯写真見せて。」

 「…何でだ?」

 「いいから、見せなさい。」

 「オレに命令すんな。…消すなよ。」

 「…ん〜〜見てから決めるわ。」

 「おい!!」



ナミとゾロの携帯は機種が同じだ。

こういう所も、彼らが恋人同士と勘違いされる理由なのだろうが、

買った時期も場所もまったく違うので、ナミにしてみれば迷惑以外の何ものでもない。

しかも、全く同じ球形の、翡翠のストラップが着いている。



 「ねェ、ゾロ。このストラップ外してよ。」

 「何でだよ、別にいいだろうが。」

 「イヤなのよねぇ。お揃いみたいで。」

 「みたい、じゃなくてお揃いだろ?ルフィが中国から贈ってきた土産なんだからよ。

 ついでにエースとウソップと、チョッパーとコビーとガープじいさんともお揃いじゃねェか。」

 「それがイヤなのよっ!!アタシの周りでそれが一堂に集まることなんて、滅多になくなっちゃってるんだから!

 編集部の連中には、アタシとアンタだけがお揃いでしかないのよ!?わかりなさいよ!!」



わかるが、わかりたくない気もする。



「あの」、無頓着なルフィがわざわざ送ってきたものだ。

送られた仲間は皆、大事に携帯や財布やキーホルダーに着けて持っている。



 「最近どこに行っても、アンタがカレシと思われてんのよ?やんなるわ。」

 「そりゃ、申し訳ねェこって。」



と、急にナミが黙り込んだ。

ディスプレイの画面に意識が集中したらしい。

片手には、ゾロの携帯を握ったままだ。



 「ふぅ〜〜〜〜ん?」

 「?」

 「この携帯の写真、いいわねェ。画像が荒くなけりゃ、これ使いたかったなぁ。」



その一言に、ゾロはナミの手から携帯を取り



 「…多分、コレがアイツの本当の顔だろうな。」

 「………。」

 「ん?」

 「ん〜〜ん、なんでもないわ。今日はアリガト!助かったわ。」

 「じゃ、オレは帰るぜ。ギャラはいつもの通り頼む。」

 「OK。15万の利子引いとくわ。」

 「ぅおい!!」







ゾロが、中野の自分のアパートに帰り着いたのは、その日の夜遅くになってからだった。

ナミとの、サンジの店の取材後のスケジュールはなかったから、そのまま新宿に行って、雑踏の片隅にいる野良猫の写真を撮っていた。

使っているのはライカのM3、1957ビンテージだ。

普段、取材の写真にはキャノンのデジタル一眼レフEOS1V等を使うが、自分自身の写真には、いつもこの古いライカを使う。

高校時代、彼にカメラを教えてくれた恩師から貰ったものだ。

妙に手に馴染んでしまっていて、以来、どんなにいいカメラを手にするようになっても、

一日一度はこのシャッター音を聞かないと落ち着かなかった。



 ( コレで、アイツを撮ってみてぇな。 )



机の上にカメラを置いた瞬間、そんな考えが浮かんだ。



アイツ



車椅子のコックを











(2007/2/2)



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