ブリュンヒルドの館、東の中庭。
桜の巨木。
舞う蛍。
その木の下に立っているのは、この館の女主人だ。
「………。」
薄暗がりの中で横顔だけ見ていると、ゾロでさえ、サンジと錯覚するかもしれない。
背はサンジより低い。
体は華奢で、輝く金の髪は背中まで長い。
青い輝石の瞳は、舞飛ぶ蛍の光を映してほんのりと輝いている。
同じ顔で、女の体だ。とサンジは言った。
確かにサンジの顔は好きだ。
だが、顔で惚れた訳じゃない。
どれほど似ていても、同じ魂ではない。
そこに、ゾロが立っているのを知っていて、ブリュンヒルドは、感情の無い声で言う。
「…愚かな虫だ…たった一夜で命を終えるのに、どうして生まれ、必死になって身を焦がすのか。」
「………。」
「愚かな花だ…風が吹けば散るものを。」
「………。」
「……私の父は…死ぬ直前まで夢を見ていた……。母が…私の弟か妹を連れて…この島へ帰ってくると。」
「………。」
「愚かな夢だ。そんな現実、起こるはずもないものを。」
「………。」
「船長が言った。彼の夢は『海賊王』だそうだな。」
「………。」
「…愚かな夢だ…。」
「………。」
「私は、愚かな夢は見ない。」
言い捨てて、ブリュンヒルドはゾロの脇をすり抜けた。
「海賊は嫌いだ。」
すれ違いざまに、言い放った。
かすれた声だった。
「………。」
「ゾロ。」
客間の区画にゾロが帰って来た時、チョッパーが待ちかねていたように走り寄った。
「……あのね……。」
「断られたか。」
「……うん。」
「…気にするな。」
「…うん…。サンジは…?」
「…ああ、サニーにいる。」
「…そう…。」
「……お前も…出航の準備をしておけ…記録(ログ)が貯まったら、すぐに出るんだ。」
「…うん。」
行こうとするゾロへ、チョッパーは言う。
「…おれ…ホッとしてる…。」
「………。」
「あの人が…サンジのお姉さんだったら…おれ…なんか…ヤダ…。」
「………。」
「……だって…ズルイ……。」
「………。」
「…それだけで…いきなりサンジの“大事”になっちゃうなんて…ズルイよ…。」
「………。」
「…おれ…ヤなヤツだ…。」
「チョッパー。」
「………うう……。」
お前だけじゃねェよ。
その一言の代わりに、頭をポンと叩いた。
大事な人間は誰にでもいる。
ルフィにも、ナミにも、ウソップにも、チョッパーにも、フランキーにもいる。
それぞれの故郷で、待っていてくれる大切な人。
ブルックにもいる。
ロビンにもいる。
言葉を交わして心を通わせて、絆を結んで、体の奥底で繋がっている。
ブリュンヒルドは、本当にサンジの姉かもしれない。
あの貴婦人が、サンジを産んだのかもしれない。
いまわの際まで、妻とその子が帰ってくる事を信じていたという、この家の先代領主の子供かもしれない。
あんな奇妙奇天烈な眉毛、偉大なる航路のあちこちに転がってるとしたら、一体どんなDNAだ。
それでも
そうだとしても
サンジは、サンジ以外の何者でもない。
「チョッパー。」
声に、2人は同時に振り返った。
「サンジ。」
チョッパーが、少し困ったような笑顔で名を呼ぶ。
「戻ってたんだ。」
「…ああ、最後の夜だからな。」
言いながら、サンジの手がチョッパーの頭をなでる。
チョッパーは「エヘヘ」と笑って
「じゃ、おれ、部屋に戻る。」
「…ああ。」
「おやすみ。」
チョッパーを見送り、サンジはふうっと紫煙をひとつ吐いた。
その横顔を
「………。」
じっと見つめるゾロの視線に気づき、サンジはわずかに白い歯を見せて笑った。
指を伸ばし、あの眉に触れる。
そのまま頬へ滑らせて、顎を辿る。
「……明日は海だ……。」
サンジが囁くように言った。
「…ああ…。」
この魂に惚れた。
この心を愛した。
「じゃ!!いろいろありがとうな!!ブリちゃん!!」
「…私は何もしていない。…食料の代価はもらったのだ。礼を言われるようなことではない。」
「ん!でも、“ありがとう!”だ!」
5日目、記録(ログ)が貯まった。
夜明けを待ち、出港する。
桟橋の上は人でごった返している。
島を救ってくれた英雄を、早朝にも拘らず見送ろうとやってきた島民たちだ。
この後、ニーベルング島が『麦わらのルフィの縄張り』という噂があっという間に近海に流れ、以降、島を襲う海賊が激減した。
しかも、そんな島だという事を知った海軍は、それまでこの海域を守っていた無能な指揮官の首を挿げ替え、有能な将を送り込んだため、さらにその数は減ったという。
桟橋にはブリュンヒルドの『ヴァルキリー』の姿もあった。
フランキーの改造で、とんでもない強力な戦艦に生まれ変わり、以前の面影はすっかり消えてしまっていた。
一目見て、ブリュンヒルドは目を見開いて怒りを露わにしたが
「ス―――パ―――!!に!インビシブルな戦艦にしてやったぜェ!!いいか!?まずはこの主砲を見てくれ!!こいつはな!サニー号のガオン砲と同じシステムでな…!!」
と、語るフランキーと
「さらぁに!!このゲージュツ家!ウソップ様の力作を見てくれ!!フィギュアヘッドに、この船の名に相応しくワルキューレの像を彫り込んだぜェ!いぃ〜だろ〜!?」
と、胸を張り、鼻を突きあげまくしたてるウソップの勢いと
「うひょ〜〜〜〜〜〜〜!!カッコイイ〜〜〜〜〜〜!!」
「カァッコイイ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!」
と、テンションMAXになったルフィとチョッパーを前に、何も言い返せず終わった。
…ゾロが斬り倒したマストを、直すだけだと思ったのに…。
「ホントにありがとう、ブリュンヒルドさん!お世話になりました!」
ナミ
「セバスチャンさん、美味しいコーヒーを毎日ありがとう。」
ロビン
「ヨホホホホホ!!ゼヒ最後に!―――パンツ、見せていただいても…ごばはぁっ!!」
フランキーの鋼鉄の腕に殴り飛ばされ、ブルックがダイレクトにサニーの甲板に落ちていった。
「…ったく!…じゃあな!!取扱説明書をよく読んで大事にしてくれよ!!」
「元気でな!!」
ウソップ
「風邪ひかないようにね!!」
チョッパー
「………。」
ゾロは黙って、ブリュンヒルドの前を行き過ぎた。
そして
「………。」
靴音を響かせて、サンジが桟橋を歩いてくる。
ブリュンヒルドの前で、サンジは立ち止った。
「……いろいろありがとうございました。レディ。」
「………。」
夜が少しずつ空けてくる。
名残の闇が、群青色に染まる。
サンジは、包む様に合わせた手を、そっとブリュンヒルドの前に差し出した。
「………。」
そっと
開くと
「………!!」
ナノハナホタル
サンジの手の中に包まれた、大量の淡い光。
解放されて、ふわりと空へ舞い上がる。
サンジとブリュンヒルドの顔を照らしながら。
「うわぁ。」
「綺麗…。」
サニーの上から、仲間が声を挙げた。
光は天へ登り、やがて散って消えていく。
「…お元気で…。」
「………。」
セバスチャンが苦しそうに、主人と、行こうとするサンジを交互に見つめる。
ブリュンヒルドは何も答えず、くるりと踵を返し、桟橋を陸へと歩き始める。
と
「オールブルー。」
オールブルー
今言ったのは、ブリュンヒルドか?
思わずサンジは振り返った。
背中を向けたまま、彼女はそこに立ち止まっている。
そして
「…………辿り着けるよう…祈っている………。」
感情のない、小さな声。
「………。」
サンジは目を細め、小さく笑った。
「……ありがとう……。」
囁くような、感謝の言葉。
ブリュンヒルドは振り返らない。
「………。」
サンジはしばらく、その後ろ姿を見つめていた。
が、煙草を唇から離し、大きく息を吸い、輝く様な笑みを浮かべ
「行ってくるよ!!」
叫んだ。
瞬間
ブリュンヒルドの足が止まった。
セバスチャンが振り返る。
だが、ブリュンヒルドは振り向かなかった。
振り向かず、そのまま真っ直ぐ前を見て
去っていった。
再び煙草を咥えて、サンジもゆっくりとサニー号に乗り込む。
出迎えるように立っていたゾロに
「……行こう!」
「おう。」
「錨を上げろ―――!!帆を張れ――――!!」
「アイアイサー!キャプテン!!」
「出航だァ――――!!」
歓声に包まれながら、サウザンド・サニー号は再び、偉大なる航路へ漕ぎだして行った。
今日から再び、夢に向かって突き進む旅が始まる。
ニーベルング島の岸壁。
まだ、サウザンド・サニー号が遠くに見える。
「…お嬢様…こちらでしたか…。」
「………。」
セバスチャンは、手を祈りの形に合わせた。
航海の無事を、海の神に祈る。
「海賊は嫌いだ。」
「………。」
「ローゼンベルクの者が…私の弟が…そんなものであろうはずはない…。」
「…お嬢様…。」
「…夢など見ない…愚かな夢など…。」
「………。」
「……見る…もの…か……。」
震える、いかつい軍服の肩。
「…お嬢様…。」
「………。」
「儚いからこそ夢でございます。」
「………。」
「夢で…よいではございませんか…。」
やがて、とぼけた海賊船は水平線の彼方に消えた。
「…セバスチャン…。」
「はい、お嬢様。」
「…ひとりにしてくれ…。」
「………。」
「…私は泣く…ひとりにしてくれ…。」
「……はい。」
誇り高きワルキューレ。
「…夢など見ない…夢など…っ…!!」
『行ってくるよ。』
その声が
『…ムッター(おかあさん)!ムッター!行かないで…!!』
決意が、固く握られた手の白さに見えている。
娘の声に、一瞬、母の足は止まった。
だが、母は振り向かずに
『…ブリュンヒルド…マイネ・トホター(私の娘)…。』
『ムッター!ムッター!!』
泣きすがろうとする小さな少女を、セバスチャンとマリアが必死に抑える。
静かに、穏やかに
『行ってきますね。』
儚いからこそ夢
叶えるものこそ夢
『行ってくるよ。』
「……いって…らっしゃい……。」
私の弟は
船で旅をしている
勇敢な海賊で
夢に向かい
楽しい、良き仲間と共に
全ての海へと向かっている
そして
いつか
「……夢など……見ない……。」
堪え切れない慟哭が、いつまでも海原に響いていた。
ローゼンベルク邸の、書斎の一角。
ブリュンヒルドの母の肖像画の部屋。
セバスチャンは、マホガニの机の上にあるものを見つけて首をかしげた。
置いた覚えのないもの。
1枚の画用紙
伏せてあるらしく、そこにはメッセージが書かれてあった
『キャプテン・ウソップ 渾身の1枚』
「………!!」
鮮やかな色合いで、描かれていたのはあの夜の
「………。」
桜の花と、蛍の乱舞の中で躍る、ブリュンヒルドとサンジの姿。
「……どうか…ご無事で……。」
お帰りを
心の中で、言った。
船が潮に乗り、風が落ち着いた頃、サンジは皆にお茶とおやつを出した。
みな、いつもの様に思い思いの場所で、いつもの様に時を過ごす。
マストの下のベンチでナミが、お茶を受け取りながらサンジに尋ねた。
「サンジくん、ヒルドさんに…オールブルーの事言った?」
サンジは小さく微笑み
「いえ。」
と、短く答えた。
「…なんで彼女、知ってたのかしら…。ロビン…話した?」
「いいえ、私は話してないわ。」
ウソップが言う。
「あんな現実型の女に、夢だの野望だのって言ったって、鼻で笑われるのがオチだぞ?しねェよ。」
そんな女性に、あんな優しい絵をこっそり残してきた男。
「そうなのよねェ…。…まさか……ゾのつく人…?」
と、フランキーが
「まさか。」
と、笑った。
「そうよね。」
「………。」
「…まさかとは思うけど…ルフィ、あんた?」
と、ルフィは、アプリコットジャムを塗りたくったスコーンを、口いっぱいに頬張り首をかしげ
「んん〜〜〜〜〜〜〜?」
「え?あんたなの?」
「ん〜〜〜…話した様な〜〜〜話さなかったような〜〜〜〜〜。」
「何よ、それ!犯人はあんた!?」
「ん〜〜〜〜〜〜〜〜〜。」
サンジは、ふーっと煙草の煙を吐き、船主にいるゾロを見た。
と、ルフィが
「ゾロの分、おれが持ってく!」
「…え!?あ!おい!!つまみ食いすんなよ!!……って、言ってる側から!!」
船首へ飛んで来た、ブルーベリースコーンにまだ頬を膨らませたままのルフィを、遠慮ない拳が甲板へ叩きつける。
すかさずゾロは皿を取り上げ、残ったダージリンスコーンを口の中に放り込んだ。
「ゾロ!!食われた分追加だ!!」
笑いながら、サンジがもうひとつスコーンを投げる。
「投げんのか!!?」
受け取ろうとするゾロの前に
「うわおーん!!」
と、雄叫びを挙げ、食らいつく
「ルフィ―!!」
「と、見せかけて!!」
サンジがまた、何かを投げた。
ルフィが食らいついた、初めに投げられてきた物…。
「ギャ――!たわしじゃねェかァァ!!」
二度目に投げられたものが本物のブルーベリースコーン。
見事にゾロの手の中に収まった。
ギャーギャーとルフィに騒がれながら、ブルーベリースコーンは無事にゾロの胃袋に納まった。
「まったく…しょうがないヤツ!」
「ウフフ…。」
「あ、サンジくん、冷たいのお替りしていい?」
「もちろん。ロビンちゃんは?」
「ありがと。ミントをお願いできる?」
「ウィ、マドモアゼル。」
サンジが、キッチンへ行こうとした時
「ねェ、サンジくん。」
「はい?」
「……彼女が…お姉さんだったら……嬉しい?」
「………。」
サンジは、少し困ったように笑う。
「……そりゃあもう!!嬉しいです!!」
「………。」
「でも、もしそうだったら、困ってしまうな。」
「あら、なぜ?」
ロビンが尋ねた。
と、サンジはまた笑って
「……この世で一番美しいのが、ナミさんとロビンちゃんじゃなくなってしまう。」
「……あら!確かにそれは困るわね!!」
「ウフフ…ありがと。」
サンジを見送り、ナミは言う。
「…それでいいのね…。」
「ええ…それでいいのよ。」
船は進む。
波を蹴立てて。
船首。
ひとしきりじゃれ合って、ルフィはサニーの頭の上で胡坐をかいた。
「なぁ、ゾロ。」
「…何だ?」
「おれ、ブリちゃんに何にも話してねェぞ?」
「そうか。」
「………。」
「………。」
「………ゾロって、結構ヤな奴だな。」
「ヤな奴で結構。」
「………ゾロって、結構悪い奴だな。」
「悪い奴で結構。」
「………。」
「………。」
「………。」
「………海賊だ。」
「………。」
「………文句があんのか?」
「べ〜〜〜〜〜つ〜〜〜〜〜に〜〜〜〜〜。」
「………。」
ルフィはひとつ背伸びして、背中の麦わら帽子をかぶり直す。
大きく息を吸い、鼻から「ふんっ!」と一気に吐き出した。
そして、中央甲板に向かってジャンプしながら
「うぉ〜〜〜〜〜い!!お前らァ!!おんもしれェ話があるぞォ〜〜〜〜〜〜〜!!あのな〜〜〜〜〜!!」
「……!!? ルフィ――――――っっ!!!」
大きな波が、サニー号の横腹を叩く。
いくつもの笑い声が重なる。
「…あ、そーいやサンジ!」
ウソップが言った。
「あ?なんだ?」
「お前、よくナノハナホタル触れたな〜〜〜〜〜。」
「……ナノハナホタル……。」
ウソップは手にしていたポケット図鑑をぱらぱらと捲り、『ナノハナホタル』のページを開いて
「…珍しい生態だなーって思って、図鑑買ったんだ。これが幼虫ん時の姿。で、これがあの成虫な?拡大してるからよくわかるだろー?」
「―――――――!!!?」
絶句したサンジの顔が、瞬時に青ざめた。
覗きこんでルフィが言う。
「うはぁっ!キモっっ!!」
「いやぁ!何これ!!?」
「…まぁ…。…小さい虫だから…わからなかったわね…。」
「…うわぁ…あぁ…グロ…。」
さすがのゾロも、口をへの字に曲げた。
…あれ…おれの頭にくっついたよな…。て、ことは…。
「ゾロ――――っ!!てめェ風呂入れ!!今すぐ入れ!!とことん入れ!!1週間はおれに触んな――――っ!!
チョッパー!!消毒薬くれェェェ!!こいつに頭からぶっかけろ――――っ!!」
「なんでだよ!!?」
愛しき日常が、帰ってきた。
未だ、夢の途中。
END
『潮環』で、サンジの出生話を書いた直後でこれはどーだろ?
とは思ったのですが、UPしちゃいました。
名前をブリュンヒルドではなく、ジークリンデにしようかと思ったんですが
ルフィに「ブリちゃん」と呼ばせたくてこちらにしました。
フランス的なイメージの強いサンちゃんですが、ゲルマンな感じも捨てがたい。
好きで好きでしょーがないと、肉親すら鬱陶しくなる。
これって結構アリだと思うのですが…。
なんかゾロってそんなタイプに思える。え?そんなことない?そーかな?
たとえば記録(ログ)が貯まるのがもっとかかる島だったら、サンジの考えも揺れたと思うんです。
が ゾロが揺れる方を見たかったんです(鬼)
んで、ゾロだけに黒い船長も見たかったんです(鬼2)
ホントに最近のウチのゾロは、サンジに甘くていかんな。
(2010/2/26)
BEFORE
ワルキューレの慟哭TOP
お気に召したならパチをお願いいたしますv
TOP
COMIC-TOP