BEFORE





ロビンとナミは、それから間もなく関の城に上がった。



二の丸の奥殿に、北の方氷雨姫と、老女ロビンと侍女ナミ。

体裁は整った。

毛利から与えられた千石の化粧料で、少し北の方の部屋を広くした。

別にそんな事をする必要もないのだが、拝領したものに見合う扱いをしなければならないのが、一般的な常識だ。

しかも、目上の家からもらった嫁。

大事にしないと、その実家から文句が来る。



茶番だと思う。



氷雨姫が、“姫”だと疑いもしない毛利輝元は、その報告を受けると喜んで、

子宝に恵まれるという祈祷の札を送ってきた。



ロビンが、「ありがたく」と方向の良い部屋に祀ってくれたが。



小早川隆景にしてみれば、後継など産んでくれないほうが良いのだろうが、甥の輝元は気づかない。



サンジは時折、ロビンとナミを伴って、麦の里へ行くようになった。

マメに訪れるのは、やはりルフィとナミを逢わせてやりたい気持ちが大きいからだ。



訪ねれば必ず、そこで幾日かを過ごした。

閉ざされた里で、サンジは本来の姿に戻って明るい顔で、大きな口を開けてよく笑った。



サンジが麦へ赴くと、後から必ずゾロもやってくる。

チョッパーが一緒の時もある。

幼く無邪気なチョッパーは、氷雨が男の姿でいて男の名で呼ばれていても、何の不信も抱かない。



 「城は窮屈だもんな。」



きっと、この綺麗な義姉は、こういうことが好きなのだと自己完結しているらしい。







 「あれが、都甲山だ。」



ゾロが指差す。

麦の里を見下ろすように、険しく聳える山。

2人での遠駆けの途中。



 「あの中腹から、赤水川という川が流れている。その川で砂鉄が取れる。」

 「…ふうん…。」

 「その砂鉄からできる限りの不純物を取り除き、タタラにかける。そして玉鋼(たまはがね)を作る。」

 「その玉鋼から、刀や鉄砲が生まれる…。」

 「そうだ。作るものによって、錫や銅を混ぜることもある。」



サンジはうなずいた。



 「砂鉄の取れる川筋は、常に関の忍が見張っている。クローバーは数年前までその頭目だった。

 この里の人間は、男も女も老いも若きも、大概が高い戦闘力を持っている。」

 「………。」

 「自分の身は自分で守る。自分の里は自分で守る。親父の2代前から、鉄工業はこの里の専売だ。

 その利益を護る為に、自治を持つ事を許した。あいつらにとって関の城は、

 領土の国主が住む城に過ぎねェ。あいつらとおれ達は対等なんだ。」

 「…この村の連中が働き者なのは…その為か。」

 「おれ達は土地を与える代わりに、年貢代わりに鉄工業が生み出す利益をもらう。

 ウチが飢饉や戦乱に強いのは、そういう理由もある。

 麦にとっても、その自治を許す主君の方がありがたい。“持ちつ持たれつ”ってやつだ。」



里への道を戻り、歩く内に、整えられた林に出た。

社がある。



 「村の鎮守だ。」

 「…鉄の鳥居だ…。」

 「見事だろ。100年前に造られたものだ。」



素直にサンジがうなずくと



 「これを見ると、人間はすげェっていう気になる。」



子供の様にゾロは笑った。



 「なァ。」



サンジが言った。



 「義父上…お屋形様(ミホーク)が惚れた、ロビンの姉上…お前の母上ってどんな人だった?」



ゾロは少し困った顔をした。



 「知らねェ。」

 「………。」

 「…知らねェんだ…死んだのはおれが3つの時で、顔も覚えてねェ。」

 「……ごめん……。」

 「謝ることはねェ。お袋が生きてる間は、おれはこの里で暮らしてた。お袋は、城に入らなかったんだ。

 その後、城に引き取られてよ…。おれが6歳の時に、高知の長曾我部家からチョッパーの母親が嫁に来た。

 正室としてだ。この母上がいい人でな。可愛がってもらった。

 チョッパーが生まれてからも、全然変わらなかった。好きだったな。」

 「………。」

 「…チョッパーが4つの時に死んじまった…。あいつは、ぼんやり顔は覚えてるんじゃねェか?

 だから、おれにとっての母親は、チョッパーの母親なんだ。みんな、お袋のことを色々話してくれるが、イマイチピンと来ねェ。」

 「………。」



そこまで話して、ゾロはある事に気づき、少し困った顔をした。



サンジは、自分の出自の話をしたことがない。

それはおそらく、ルフィやナミと似たような理由で、そしてその生は決して幸福ではなく…。



 「いいな…お袋さんの思い出が、2つもあるなんてよ。この贅沢モンが。」

 「………悪ィ。」

 「何で謝る?必要があるのか?」

 「………。」

 「謝る事はねェ。」



ゾロの、つい先ほどの口調を真似る。

サンジはゾロの肩に頭を預け、腰に手を回した。



 「何で謝る…?」

 「………。」

 「…おれは今…こんなに幸せなのに…。」



自分を見上げた端正な顔。

形の良い唇が、たまらなく魅力的な果実に見える。

ルフィらの台詞ではないが、その実はたまらなく美味そうだった。



それを、味わいたいと思うのは自然なことではないのか?





 「……ゾロ……。」



 「………。」



 「……な…ァ…ダメだ…こんなトコ……バチがあたるぞ……。」



 「…おれは神には祈らねェ…。」



 「誰か…来たら…。」



 「…来ねェよ…。」



 「………。」



 「………。」



サンジの膝から力が抜ける。

ゾロの愛撫を受けるといつも、体が痺れて動けなくなる。

その動かない体を



 「……っ!」



易々と抱えあげて



 「…え…ちょ…ここ…。」



社殿の扉は何の抵抗もなく開いた。

それなりの広さのある、板敷きの広間。

奥に、ご神体を祀ってある。



鏡だ。



白銀の、美しい鏡。



扉を開け放った時この鏡が眩く光って、サンジは目を細めた。

その鏡に、酔ったような目の自分が映り、思わずゾロの胸に顔を埋める。

その行為を、少々勘違いしたゾロは



 「…何だかんだ言ったって、てめェだってその気になったろ?」



言い訳したって、しなくたって、結局ヤるんだろうなァ…。



 「……も、いい……。」



でも



 「…ゾロ…。」

 「ん?」

 「おれ…この里…好きだ…。」



サンジの言葉に、ゾロは笑い。



 「そうか。」

 「………。」

 「よかった。」



口付けて



 「そう言ってくれると思った。…嬉しいぜ、サンジ。」

 「………。」

 「…で、おれは?」

 「…お前なんか嫌いだ。クソエロ野郎。」



愉快そうにゾロが笑った。







タタラの技術や、刀の製造の技術や知識を、クローバーやフランキー達から教えられ、時にはウソップに手ほどきされ、刃物を打ってもみた。



ここで、関の国で、生涯を終えたいと思う気持ちが大きく膨らむ。



ゾロと共に生きたいという思いが、どんどん育っていくのがわかる。



氷雨の姿で、二の丸の奥殿にある時、“妻”としてゾロの望む全てを叶えたいと思う。

麦の里で、“サンジ”としてある時は、男として、国や家族を思うゾロの同志でありたいと願う。



ゾロの全ての笑顔を見たい。



その為なら、おれは何だってできる。



生まれて初めておれを、一個の人間として見てくれた。



命まで、おれに与えようとしてくれたゾロに、おれも全てを与えたい…。









奥殿の、氷雨姫の居室。

ここには誰も近づかない。

旻長との小競り合いで、戦に出ていたゾロが戻ってから2日目。



ゾロは氷雨の…サンジの膝に頭を預け、ずっと寝息を立てていた。

戦から戻ると、ゾロはいつもこうだ。

得られなかった眠りを貪るように、泥の様に眠り続ける。



外は雨。



季節は冬。



雪は、今朝方雨になった。





静かに降る雨。

冷たい雨



サンジの偽りの名と同じ、氷雨だ。



枯れ枝を濡らすしのつくその氷雨を見ながら、サンジはずっと、ゾロの背中を撫で続けている。



ゾロが奥にやってくると、ロビンはナミを連れて表へいってしまう。

魅惑的な笑みだけを残して。



まぁ



夫が妻の所へ来たのだから、遠慮するのは当たり前かもしれないのだが…。



火鉢の炭がはぜる音。



ふと



その音に、ゾロのかすかないびきが止んだ。



 「………。」



 「サンジ。」



答えず、サンジは唇の端を上げて微笑む。



 「…小早川家に養子が入った。」

 「………。」

 「…豊臣秀俊…秀吉の養子…だった…。」

 「…厄介払いをされたか…。」

 「ああ。」



秀吉は、先年、側室淀殿との間に、男の子をもうけた。

正室にも側室にも子ができず、後継を憂いた秀吉は、多くの縁者、または他人を養子にした。

だが、淀殿が子を産んだ途端、愚かな父親の例に漏れず、秀吉は我が子に後を継がせたくなり、多くの養子を廃していった。



まだ、命があっただけ秀俊は幸せだった。

既に関白職を継いでいた豊臣秀次などは、謀反の罪を着せられ命を落とした。



 「ゾロ…。」

 「ん?」



ゾロは、サンジの指を口元に運び、口付け、時折口に含んだ。



 「…いいのか…。」

 「…何が?」

 「…その…。」

 「おれは子供はいらねェ。」

 「………。」



ゾロは身じろぎもせず、サンジの指を唇で遊びながら



 「親父の跡継ぎはチョッパーだ。」

 「………。」

 「だから、必要ねェんだ。」

 「………。」

 「…安心しろ…今更女で起たねェよ。」

 「そういう意味じゃ…。」



赤くなって、サンジは目を逸らす。



 「じゃ、どういう意味だ?」



ニヤと笑い、ゾロはサンジを引き寄せる。



 「…おい…よせ…。」

 「…いいだろ?誰も見てねェ。」

 「よせって…!」

 「いいじゃねェか、夫婦だぜ?」

 「ダメだって!!」



戦から戻ったゾロはよく眠る。

だが、目覚めたら



 「いい加減にしろ!なんだってお前ェは、時を選ばずなんだ!!」

 「時なんか選べるか。お前ェがエロいのが悪い。」

 「おれのせいかよ!!?エロいのはてめェだ!!」

 「いいから、おとなしくしとけ。戦に出ると、マジで溜まる。」

 「いぃやぁああああ!!待って!夜まで待って!!」

 「待てねェ。」



とその時



 「申し上げます!!」

 「!!」

 「〜〜〜っ!!」



ゾロが、サンジの膝の間に顔を埋めて歯噛みした。



 「奥方様!!ご無礼、平にご容赦!!火急にござりますれば!!」



サンジはめちゃくちゃ明るい女声を作り



 「かまいませぬ!入られよ!!」

 「てめ…!!」

 「失礼致します!!殿!!」

 「なんだァ!?」



マジ切れ寸前。

だが、近侍は蒼ざめた顔で真剣な表情を崩さず



 「ちっ…!ち、筑前宰相様が…お出でにございます!!」

 「!!?」



ゾロより、驚愕に目を見開いたのはサンジだった。



 「………。」



筑前宰相

五大老の1人

小早川隆景

あの毛利元就の三男



そして



サンジを刺客としてここに送ってきた黒幕。



 「ゾロ…。」

 「…お前がビビる必要はねェよ。」

 「ビビってねェよ…。」

 「ここで待ってろ。本丸に行ってくる。」



と、ゾロの言葉に近侍が言う。



 「恐れながら…。」

 「なんだ?」

 「…奥方様も共にと…。」

 「何…?」

 「ご息災な様を御覧になりたいと仰せられ…お屋形様もお許しになられました…。」

 「…ちっ。」

 「………。」



サンジは、しばらく黙っていたが。



 「…わかりました。」



と、短く答えた。





近侍が慌しく下がっていった。

ゾロは、サンジを見て言う。



 「…妙なことになったら、筑前を叩っ斬る。安心しろ。」

 「…そんな考えで行こうってんじゃ、安心できねェよ。」



サンジは笑った。



 「おれを護ろうと思うなと、言っただろ?」

 「………。」

 「大丈夫…何があっても、お前の前からいなくなるような真似はしない。」



ゾロは、じっとサンジを見つめていたが、にやりと笑い



 「よし。それじゃあ…。」

 「?」











しばらくして、若夫婦が本丸にやってきた。

ゾロの後ろからしずしずとやってきた氷雨姫の姿に、普段“彼女”を見慣れた者達までがハッと息を飲む。



艶やかな



小姓姿



 「見ろ。ウケてる。」

 「……ウケだけかよ……。」

 「いいじゃねェか。似合ってるぜ。」

 「……覚えてろよ。」



本丸大広間



ゾロがサンジを伴って入っていくと、上座に、見慣れた老人の姿があった。

他に、供はいない。

ひとりだ。



 「………。」



普段の己の座を譲り、ミホークは脇座に控えている。

チョッパーはいない。

表情を変えはしないが、サンジの姿に少し呆れたような目をした。



ゾロは、どかどかと歩みを進め、勢いよく床に座って手をついた。

サンジも、ゾロの後ろで居住まいを正して指を着く。



上座の小早川隆景は、サンジの姿に目をやって、愉快そうに僅かに笑った。



 「遅参ご容赦。」



短くゾロは言い、頭を垂れる。

サンジは、ずっと頭を下げたままだ。

隆景はゾロへ



 「…随分と、珍妙な遊びをしているのだな。」

 「恐れ入りましてございます。」

 「………。」



ゾロが頭を上げたのを見て、サンジもまた顔を上げた。

隆景は、皺を深く刻んだ目を細め



 「…変わりないか、氷雨?」

 「はい。」

 「…大殿が…関にまだ子は出来ぬかと…気にしておられる。」

 「…申し訳ございません…。」



何を白々しい。

今、ここにいる全員がそう思っている事は明らかだ。



と、隆景はミホークへ



 「氷雨を、引き取りに参った。」



と告げた。



瞬間、サンジの心臓が締め付けられた。

まるで、金槌で殴られたような衝撃だった。

ゾロの背中が大きく震え、刹那、怒りの炎が立ち昇った様に見えた。



ミホークもまた目を見開き



 「…筑前殿…お戯れが過ぎませぬか。」

 「戯れをしているのはそちらではないのか?」

 「………。」



ちら、と肩越しにゾロがサンジを振り返る。



 「………。」



ミホークが言う。



 「氷雨を…離縁せよと?」

 「左様。」

 「それは、毛利は関と縁(よしみ)を切るとの仰せでござるか。」



隆景は少し間を置き



 「…ゾロ殿には…代わりの姫を差し上げる所存だ。」

 「………!!」



思わず身を乗り出そうとしたゾロ。

それを、サンジが止めた。



 「愚かな策に乗った。許して欲しい。」



隆景が、頭を垂れた。



 「………。」

 「氷雨。」



呼びかけに、サンジは隆景を見た。



 「…よく似合う。」

 「………。」

 「ご苦労であった…。」

 「………。」



沈黙は、僅かの間だった。



 「帰れ!!」



ゾロの大音声が響き渡った。



 「…ふざけんな!!誰がこいつを返すか!!」

 「…ゾロ…!!」



サンジが止める。

だが、ゾロはかまわず、つかつかと隆景のすぐ側まで歩み寄った。

隆景が近侍を伴っていたら、すぐさまゾロの前に立ちはだかっていただろう。

ゾロは、刀の柄に手をかけていた。



 「………。」

 「やめろ!ゾロ!!」



叫んだ声はサンジのものだ。

ミホークは動かない。

黙って、息子の姿を見ているだけだ。

しかしゾロは知っている。

父がその気になれば、この状態からミホークが、ゾロを斬って捨てるのは簡単であることを。



 「…お前らにとって、こいつは必要ないからか?役にたたねェからか?」

 「そうではない…本物の款を結びたいのだ。」

 「………。」

 「…それゆえ…そなたと…嫡男殿双方に、毛利家の娘を…。」

 「ふざけんな!おれの妻はコイツ一人だ!!」

 「………。」



隆景の目に、戸惑いも憐れみもない。

ゾロが、氷雨姫を心底大事にしているという報は受けていた。

意外で、不思議ではあったが。



そうか



そういうことか



隆景は、今ここに至ってそれを知ったが





と、サンジが小さく声をあげた。



隆景が、上座から降り、ゾロの前に額づいたのだ。



 「!!」

 「頼む…!!」



声が、苦痛に染まっている。



 「毛利を…そなたに頼みたい!!」

 「……何…。」



隆景は、老いてシワだらけになった唇をわななかせながら



 「…時が動く…太閤殿下は…もう長くない…。」

 「………。」

 「…われら…五大老の手を握り…秀頼がこと何卒何卒と、近頃そればかりを口にする様になった…。

 無様だ…浅ましい…あれはただの、老いた愚かな父親だ。」

 「………。」

 「…醜い妄執だ…。」

 「………。」

 「…我が殿は…それを…知ろうとしない…。」



何不自由なく育ってきた輝元。

戦国の世に生まれながら、祖父、父、叔父達の庇護を受けてぬくぬくと育ってきた。

駆け引きも、時には人の言葉を疑うことも、裏切ることも知らない。



 「この後、だれが天下を狙うか、そなたとてわかろう?」



ゾロの脳裏に、様々な武将の旗印が浮かんだ。

特に、三葉葵のそれ…。



 「私も、浅ましく乞いたい。どうか…毛利を見捨てないで欲しいのだ…!!」



冷たく、ゾロは言う。



 「…関のような小国に、何が出来ましょうや?」

 「できる。そなたは、天下さえ狙える器の持ち主だ。」

 「だから、毛利を裏切るなよと、この前の事は水に流せと?」

 「虫がよいのは百も承知だ…。」

 「…ああ、虫がよすぎて虫唾が走らァ!!」



ゾロが叫んだ。

と、隆景の目が、赤く光った。



 「いくらでも罵れ!!私とて、かような老骨でなくば、そなたのような危険な男に毛利を託したりはせぬわ!!」

 「………。」



低く呻いて、隆景は胸を抑えた。



 「…筑前殿…。」



ミホークの腰が少し浮いた。

だが、隆景は押し留める。



 「…万が一…天下が二分されるような時は…どうか…毛利に…。」

 「断る。」



ゾロの即答に、ミホークが目だけを動かしてゾロを見る。

だが、何も言わない。



 「毛利を見捨てるか…。」



どこか、自嘲的な声。



 「誰が天下を握ろうが、おれには関係ねェ。」

 「…そんな甘言が…今の世に通じるものか…。」

 「………。」

 「…毛利の後ろ盾なくば…家康はこの小国に牙をむくぞ…。」

 「望むところだ。」

 「………。」

 「…それで負けたらその時はその時だ…初めから誇りを捨てて安泰を望むつもりは毛ほどもねェよ。」

 「………。」

 「それが関の意志だ。」

 「馬鹿な…。」

 「おれ達を馬鹿と言っていいのはおれ達だけだ。他者に言われる筋合いはねェ。」

 「………。」

 「“氷雨”との結婚で成された盟約が、初めからなかったことにしろとか、白紙に戻せってんなら、それはそれでいい。

 だが、白紙になったとしても、おれはこいつを手放す気はねェ。断じてだ!」

 「………。」

 「…それに…こいつはもう関の人間だ…。あんた達の側の人間じゃねェ」

 「…氷雨…。」



隆景の呼びかけに、サンジは憂いを帯びた目でこちらを向いた。



 「…で、あるか?」

 「………はい。」

 「…それでよいのか…。」

 「はい。」



ためらいのない返事。



 「筑前殿。」



ようやく、ミホークが口を開いた。



 「愚息がご無礼を致した。」



ちっと、ゾロが舌打ちしたのが聞こえた。



 「が…それがしも、この嫁を返すつもりはござらぬ。」



意外な父の言葉に、ゾロは目を丸くする。



 「この愚かな馬鹿息子は、この嫁がおらぬでは、もはや何も出来申さぬ。」

 「おい!!」



ゾロのツッコミなど、意にも介さず



 「お戻りくだされ。」

 「………。」

 「…関は…何が起ころうと…関の誇りを護るのみ。」



こんな小国が、生き残るすべなどありはしない。

だというのに、滅びに向うことをまるで恐れない。



見くびりすぎていたのかもしれぬ。



 「………。」



隆景は、ゆっくりと立ち上がり、そのまま広間を出て行こうとしたが、すれ違い様に、ゾロは言った。



 「礼を言う。」

 「………。」

 「…こいつを…おれにくれた…礼だ。」

 「…はて…何のことかわからぬ。」

 「………。」



ゆっくりと、隆景はサンジの元に歩み寄り、腰を屈め、言った。



 「…息災にな。」

 「………。」

 「氷雨。」



サンジは、深く頭を下げた。



広間から出て行く間際、隆景は振り返らず言った。



 「氷雨という名は。」



 「!!」



 「………。」



 「わしの、夭逝した娘の名だ。」



 「………。」



去って行く足音が、小さく感じた。







筑前宰相小早川隆景

このわずか2ヵ月後、卒中にて死去。

これで、毛利三本の矢は全て死に、毛利家はその頭脳を失った。



そして、その後継として小早川家を継いだのが、歴史に悪い意味で名を残す、小早川秀秋である。





(2009/9/4)



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