BEFORE





慶長3年3月3日の雛の節句の日



関の国の若夫婦の一行は、京屋敷に入った。



長旅だった。

そして、ゾロもサンジも、始めて京の都を見た。



噂に違わぬ華やかさ。



どこかでは、小さな小競り合いや戦があるというのに、ここだけはそんなものに無縁な、別の世界のようだった。

漏れ聞こえてくる言葉は、まるで異国の言葉のようで、その速さは関で交わす言葉の半分に思える。



こじんまりとした、田舎の小大名の一行だ。

見送る京の都人の目はどこか冷たく、口元に浮かぶ微笑には侮蔑がある。

だが、輿ではなく、自ら手綱を取って都大路を行く関の若殿の姿を見ると、その姿の凄絶なまでの野性味に気圧されて、

まるで化け物でも見るかのように、物陰に隠れるか道を譲る。

だが、それは一瞬で、若い娘達などは、見た事もない野性味あふれる若者の後ろ姿を振り返って溜め息をつくのだ。



そして



 「…なァ、見たか?今の輿の…。」

 「ああ、御簾が風で揺れた瞬間に…。」

 「見たことないわァ、あんな色の髪…。」

 「綺麗な奥方やったなぁぁ。」

 「例の茶会に出はるらしい。」

 「…あの美貌やったら…太閤はんが大人しくしてまへんなァ。」

 「どこの国のお殿さんやろ?」



関の京屋敷は、一条の片隅にある。

小国の大名だ。

参勤のための京屋敷といっても、他の小大名の屋敷も長屋の様に並んでいる区画の一隅だ。

その京屋敷に到着し、サンジ・氷雨が輿から降りるのを待って、大手口で額づいていた『頭』が顔を上げた。



 「ヨホホホホホホ!!ゾロ様!奥方様!無事ご到着の由、祝着至極に存じます!!」

 「…久しぶりだな、ブルック。」

 「はいぃ!ま――――、ゾロ様!大きくなられて〜〜〜〜〜!

 この前お会いした時は、まだ、こぉ〜〜〜〜〜〜〜〜んなに!!(高さ30センチ位を指して。)お小さくていらしたのに!!

 月日の経つのは早いものでございます!!ヨホホホ!!思いだします…ワタクシが国元へ帰りました折、

 ゾロ様がワタクシにしてくださったお心遣い……ご飯にふりかけがかかっているのかと思ったら、大量の蟻の死骸だったり、

 湯船に入ろうと思えば熱湯だったり、天守に昇ったら突き落とされたり…たり…たり…。」

 「………(汗)」

 「………どういうガキだったんだ?」



サンジがつぶやいた。

と



 「これはこれは!!ご無礼を致しました!!」



ブルックは再び床に額づき



 「ワタクシ、京屋敷を預かります、京家老のブルックと申します!!

 奥方様、氷雨姫様にはお初にお目もじのお目汚し!!この度は、ゾロ様とのめでたき縁組、まことに祝着の極み!!

 これよりは、この家老ブルック、お屋形様、ゾロ様に加えまして、氷雨様に、心骨砕身お仕えする所存!!

 あ。ワタクシ、砕きたくても身はなくホネだけでございますけれど!!ヨホホホホホ!!スカルジョ――――ク!!」



なるほど



こりゃ、イタズラしがいのありそうな家老だ…。



「な?」という表情で、ゾロが自分を見た。



 「あ。さて、早速でございますが、ゾロ様。お方様。」



いきなり、居住まいを正してブルックが言った。



 「なんだ?」

 「………。」

 「…明日、聚楽第にて、お方様のお目通しをと。」



ゾロの眦がつりあがった。



 「猿がか!?」



猿



その呼び方に、周りの者達がぎょっとする。

そして、そのゾロの剣幕に、噂どおり、ゾロがこの奥方にぞっこんだという事実を認識して思わず笑った。



 「イエイエイエイエ!太閤殿下ではなく。」

 「じゃ、誰だ!?」



ブルックは声を潜めた。



 「…淀のお方様でゴザイマス…。」

 「………!!」

 「………。」



淀の方



淀君



秀吉最愛の側室…。



 「…茶会の折に趣向があるらしく、その旨、様々申し送りがあるとか…。」

 「ロビンに行かせる。」

 「なりません。」



きっぱりと、ブルックは言った。



 「…明日、松の丸様、二の丸様、京極様、加賀様…ご側室の面々と共に、加賀のお松様を初め、

 諸大名の奥方様もがお揃いになられます。卒爾ながら、関のような弱輩が名代を出すわけには参りませぬ。」

 「ちっ…。」



側室たちの意図はわかっている。

関に嫁いだ毛利家の姫君が、噂のような“美女”か、秀吉の秋波になびくような“女”か、

確かめて、もしそうであれば釘を刺すつもりなのだ。



 「殿。」



氷雨が呼んだ。

振り返ると、氷雨はにっこりと微笑み



 「私は大丈夫。参ります。」



と、答えた。



 「これは重畳!肝が据わっておられる。さすがはゾロ様の北の方!」



ゾロは苦虫をつぶしたような顔で妻を見たが、当の妻は、全く動じていない。

氷雨は、そっとゾロの耳元で



 「ゾロ。」

 「………。」

 「守ろうと思うなと言っただろう?」

 「……氷雨…ここは関じゃねェ。」

 「………。」

 「…魍魎渦巻く京だ…。」



ゾロが言う魍魎とは、決して妖怪の類ではない。



女の勘は敏感だ。

幾人もの女に囲まれ、ジロジロと観察されては、正体がバレてしまうかもしれない。

だが



 「大丈夫。」



言って、サンジはまた微笑む。

その笑顔に、毎度何も言えなくなる。



その姿は、家臣たちの目から見れば、心底互いを信じあい惚れ抜いた、情の深い夫婦のもの以外にない。



 「ささ!奥へ、奥へ!お屋形様も、先よりずっとお待ちになっておられます!」

 「……待ってねェよ。」



ゾロが言うと、ブルックはしれっと



 「お屋形さまがお待ちなのは、北の方さまの方で。」

 「!!!!!」

 「常々、かわいい嫁だと申されております!ヨホホ!あ、失礼!これは内緒で!!ヨホホホ!!」

 「かわいい?」



ゾロのコメカミに何かが浮かんだ。

ミホークの口が、どんな顔して「カワイイ」などと発言するのか。



 「あ。そうそう、氷雨姫様。」

 「え?」



笑いをこらえながらサンジがブルックを見ると、ブルックは真剣な目で



 「パンツ見せてもらってよろしいですか?」



次の瞬間、ブルックが漆喰の壁の向こうに飛んで行った。

一瞬のことで、家臣たちはそれがゾロの仕業と思ったようだが、実はサンジの瞬殺の蹴りだった。

目に止めたのは、おそらくゾロとロビンの二人だけだったろう。



何でこの時代にパンツなんだとツッコマないように。

この台詞言わなきゃブルックじゃないかなと思い、ちょっと無理しました。

閑話休題。







翌日、少々不安げなゾロに見送られ、サンジは輿の人となった。

当然ロビンも聚楽第へお供する。



 「ロビンがいてくれるから、安心だ。」

 「お任せください。」



そうは言うが。



ゾロはゾロで



 「…ゾロ。」

 「……あァ…?」

 「まさか、怖いのか?」

 「んなことあるか。」

 「だったら。」



ゾロの胸を拳でトンと叩き、笑ってサンジは言う。



 「…ハッタリのひとつもかましてこい。」

 「………ああ。」



ゾロは、このあと伏見へ行く。

「あの」、石田三成に呼び出されたのだ。



少しの間だが、逢えない。

“結婚”して、戦以外で離れるのは初めてだ。

しかも今度は、サンジが「女戦(おんないくさ)」に出る。



 「じゃ、行くな。」

 「………。」



輿に、身を託そうとした時



 「!!」

 「………。」



家臣たちの目がある。

なのに

お構いなしにゾロは、サンジを抱きしめた。

その場にいる家臣や侍女は、顔を真っ赤にさせて目を逸らした。



 「…負けんなよ。」



ゾロがささやく



 「お前もな。」



背中をぽんぽんと叩いて、サンジは笑った。



瞬間、驚き慌てた家臣たちだったが、真実仲睦まじい若夫婦を、微笑ましく、また頼もしく見つめた。





サンジがまず驚き呆れたのは、聚楽第という建物とその敷地の馬鹿でかさと絢爛豪華さだった。

天皇の巡幸を受けるための屋敷で、諸国の大名の京屋敷も含んでいるのだから、豪華なのは当たり前だ。

だが、端場で育ったサンジにとっては、そこはまるで話に聞く極楽浄土の世界に見えた。

いろんな城へ忍び込み、また今は、関の二の丸御殿に住んではいるが、これほどの豪華さは見たことがない。

これでは、忍び込んだら抜け出せないような気がする。

方向音痴のゾロでは、きっと目的の部屋にもたどり着けない。

サンジは、元は忍びであるから、忍び込んだ屋敷の形状を探り、察して動くことは必須条件だが、これはなかなかに手強い。

そういえば、数年前に大坂城の秀吉の寝所まで忍び込んだ石川五右衛門という盗賊がいたが、意志を果たせず、捕らえられて処刑された。

同じことをしたら、同様の結果になる気がする。



案内をするのは淀君の侍女であろうが、毛利家の出身とはいえ田舎大名の妻の氷雨を、あからさまに侮った態度。



しばらく、控えの間で待たされた。

火もない寒い部屋だった。

いかにも、身分が低い者を迎える部屋。



もっとも



自分のような人間が、この綺羅の中にいること自体不思議なのだ。



 「………。」



 「…お方様…。」



ロビンがささやく。



ロビンは声を出さず、唇だけで



 大丈夫?



と尋ねた。



サンジ  は、笑ってうなずいた。



これが、おれの戦。



 「関の方さま、お出ましを。」



侍女の声に、すっとサンジは立ち上がる。

からり、と襖が開き、左右に開かれた。

小さな中庭に、咲き初めの桜。



花の戦が始まる。





聚楽第の、お次の広間に通された。

侍女が「お越しにございます。」と告げると、「入られよ。」と答えがあった。

これは、淀君の声ではない。

少し、歳を経ていた。



牡丹の花が描かれた襖が大きく開かれ、サンジは深々と頭を垂れた。



大勢の人の気配がある。

瞬間漂ってきた様々な香気に、サンジは伏せたままの顔をゆがめた。

だが



 「毛利輝元が娘、関の国主ミホークが長子、ゾロが室、氷雨にございます。」



口上に、一息の間をおいて



 「面を上げられよ。」



声がした。



淀君。



言われるがままに、サンジは顔を上げた。



真正面

一座高い場所





思ったよりも、幼い顔立ち。

だが美しい。

さすがは、美男美女の多い織田家の血だ。

2人も子を生んだとは思えない細い腰を、金襴の豪華な打掛に包んでいる。

サンジの中の男が、ほんの少し胸を打つ。



淀君は微笑んでいる。

だが、細いその眼の奥が、本当に笑っているかどうかはここからは見えない。



淀君のみに集中していたサンジの目が、両脇に移った。



居並ぶ美女、美女、美女…。



この美女たち全てが秀吉のもの。

チラ、と、「うらやましい」と思った。

そして



 (ゾロが天下人になったら、こんな風になっちまうかも…。)



いやいやいや



こちらが好意的にしていても、相手はそうと限らない。

美女たちは敵意を含んだ眼差しを、遠慮なくサンジに叩きつけてくる。

ライバルになるかもしれない女を、頭の天辺から足の爪先まで睨みつける。



だがその中で、ひとりだけ、慈愛の笑みを浮かべている女性がいる。

この中で、一番年をとった女だが、一番美しく見えた。

淀君の次の座に座っている。

淀君が言う。



 「…座が遠い…顔が見えぬ。」



その女性が、頭を垂れた。



 「関の。御前へ。」



先ほどの声だ。



 「はい。ご無礼つかまつります。」



サンジは立ち上がり、静々と淀君の前へ進んだ。



一挙手一投足を見られている。

この中の誰かが、男と見破るのではないかと思う。

だが、サンジは怯まない。



ロビンは前へ進めない。

サンジが広間へ進むと、その目の前で襖は閉じられた。



 がんばって



心の中で、ロビンは言った。









(2009/9/11)



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