　赤鋼の城（8）　

BEFORE





　「…毛利殿の娘御…氷雨殿と申したか。」



淀君が問う。



　「………。」



サンジは、答えない。



しばらくして、末座に近く、サンジの横に座した女が



　「淀のお方様のご下問ぞ。お答えせぬかえ。」



と、言った。

その言葉にサンジは



　「……はい……。」



と、ようやく聞きとれるような声で言った。

そのか細い声に先ほどの年配の女が



　「…関殿、その様に固くなられずともよいのですよ。」

　「…は、はい…。」

　「…関の田舎者は、ご挨拶だけがお上手であられますのか？」



ホホホと、座の内から笑いが漏れる。



　「…恐れながら…。」



サンジが言う。

すると淀が



　「なんじゃ？」



と、直に答えた。



　「…私は…毛利輝元が養女にございますが、実の父は吉川家のお抱え佐野伊予守でございます。」

　「…なんと…？…佐野家とな…？」



淀の目が見開かれる。



　「…吉川に仕官を致します前は浪々の身…

　…その前は…浅井家にお仕えしておりました…。」

　「おお…！」



淀の目に、明らかな喜びが走る。

サンジは、目尻を拭う仕種をしながら



　「…此度のご縁にて…こうして浅井長政様、お市の方様のお子様である、淀の方様にお目もじが叶い…

　この上なき喜びに身が震え…言葉を失ってしまいました…ご無礼…お許…し…。」



うっと、嗚咽するかのように顔を伏せると、淀はさっと立ち上がり、

サンジの前に駆け寄って膝を着き、その手を握る。



　「左様であったか！！」

　「………。」

　「氷雨と申したな。」

　「…は…い…。」

　「妾も嬉しい…なんという不思議な縁じゃ…。」

　「この端の身が、吉川家の養女となり、毛利家の養女となり…こうして関に嫁いで、お方様にお目もじが…

　ああ、このような身に余る光栄…夢にも思うておりませなんだ…天にも昇る心地にございます…。」

　「そうか…そうか…。氷雨、ようよう京まで参ったな。

　…昨日到着したばかりと聞いた…疲れてはおらぬか？

　…急な事で申し訳なかった…許してたもれ。」

　「いえ、もったいないお言葉…。」

　「こちらへ、こちらへ参れ。」



淀君は自ら手を差し伸べ、氷雨を上座へ連れていった。

瞬間、居並ぶ側室達は息を飲んだが、あの年配の女性が、ニコニコと笑いながら自分の席を譲った。



　「すまぬな、まつ殿。」



まつ、と呼ばれた女は微笑んで頭を下げた。



まつ



大大名、前田利家の正室。



なるほど、それで№２の席か。

見たところ、ここには秀吉正室の“おね”はいないようだ。

もっとも、いれば間違いなく淀より上に座していたはず。



あっという間に、サンジは居並ぶ女達の上座に座ってしまった。



側室たちが面白かろうはずはない。



　「氷雨、話したいことが沢山あるが、それは後で。」

　「はい。」



淀が、氷雨、と心安く名を呼び、自分の傍らに置いてしまった。

これでは、誰も彼女を攻撃できない…。



　（…やれやれ…。）



咄嗟の嘘八百だった。

だが、半分嘘でもない。

サンジ―氷雨姫―が、佐野家の娘という肩書きを、今は亡き隆景が作っていったのだ。



　（使わせてもらうさ。）



ほっと、サンジは息をついた。

初陣は、華々しい勝利だった。







一方、「男戦」のゾロ。

ゾロは強い。

戦場では敵なしだ。

だが、それはあくまでも“戦場”の話だ。

政治的な駆け引きとなると、まったくの「無能」といっても差支えない。

毛利輝元のような、根っからの善人相手なら、いくらでもうまく立ち回れるのだが、

これが、政治の世界の百戦錬磨が相手となると形無しだ。



いつだかミホークが言った。



　「お前とチョッパー、足して割ればちょうどよい。」



チョッパーが、人間は足して割ったりできませぬ。と、大真面目に答えたが。



そういや、チョッパーどうしてっかな。

ルフィも、さぞや窮屈な城に飽き飽きしてる頃だろうが。

何か、土産を買っていってやるか…さて、何がいいか…。



ぶつぶつと、考えながら大坂城の廊下を進む。

今、太閤秀吉は伏見城に滞在していて、ほとんどの家臣があちらに移っている。

淀殿も京にいるから、大坂城の中はやたらと閑散としていた。



　「…関殿！！ゾロ殿！！」

　「あ？」



呼ぶ声に、ゾロは振り返った。

案内役の男が、焦りまくりながら駆けてくる。



　「また、どこへ行こうというのですか！？そちらではございません！！三成殿はあちらでお待ちです！！」

　「だから、まっすぐ付いてきただろうが。」

　「！！！！！！」



案内役は、叫びたい言葉を飲み込んだ。

さっきから、何回この迷子を捜しまわったか。



　「よろしいか！ゾロ殿！！それがしの、このそれがしの背中をしかと見て！！

　目を反らさず付いて来られよ！！決して！角があるからというだけの理由で勝手に曲がってはなりませぬ！！」

　「わぁーった、わぁーった。」



あ。ため息つきやがった。



首をかしげながら、男はまた先導する。

何度も振り返り、ゾロが付いてくるのを確かめる。



　「治部様、関殿をお連れいたしました。」

　「うむ。」



すぐに答えがあった。

大坂城内の、ここは政務を取り仕切る一室だ。

中へ入ると、ひとりの男がたくさんの書類を広げて何事か書き物をしている。



　「見苦しくてすまぬ。気にせず、空いた場所へ座ってくれ。」

　「は…。」



案内役が下がって行った。

大きなため息が聞こえた。



ゾロは、遠慮なく紙の隙間に座った。



佐和山城主、石田三成

治部少輔（じぶのしょうゆう）という官職が付いている。

だから治部様。

秀吉の小姓上がりのお気に入りだ。



戦の腕はさほどではない。

というか、ほとんど実戦の経験を持たない。

だが、知恵があり、聡く、政治力に優れている。

昨今の秀吉の政治は、ほとんどこの男が行っているといっていい。

自分の気に入らない大名を、秀吉の名前で取り潰すことなどたやすいことだ。

まだ年も若く、秀吉に万が一のことがあり、政権移譲がうまくいけば、この男が次代のキーパーソンになることはまず間違いない。



うまく、行けばの話だが。



やがて三成は、まき散らかした紙から目をあげてゾロを見た。



数年前に、一度会ったことがある。

その時は、こんな髭は生やしていなかったな。



　「久しぶりだ、ゾロ殿。まずは、こたび、ご内室をお迎えになられた賀を述べさせていただこうか。」

　「…ありがとうございます。」

　「太閤殿下も、“関の虎”に逢うのを楽しみにしておられる。」

　「………。」

　「…ここは私の執務の部屋。座も平たい。そう固くなることはない。」

　「………。」



三成は、紙の束をまとめながら



　「…小早川隆景が。」

　「！！」

　「……そなたは頼りになる武士だと言っていた。」

　「………。」

　「惜しい男を失った。」



太閤の養子だった秀俊を、無理やり隆景に押し付けたのはお前だろう。



そう言いたいのを堪えた。

堪えると、ほかの言葉は浮かんでこない。



　「さて、仕事の話がしたい。」



仕事？



　「関の、秀頼さまに刀を献上してくれぬか？」

　「は？」



秀頼。

淀君が生んだ、秀吉の唯一の息子。（長男は夭逝）

まだ６歳。

チョッパーと同じ歳だ。



　「…どのような刀を献上いたしましょう？」



関は鉄産業で潤う国。

単純に、そう思った。

刀１本安いものだが…。



　「……今、関の城の本丸にある刀を。」

　「！！？」



三成は、にこりともせず



　「秀頼さまと同じ歳と聞く…。よい友になってくれるのではと。」

　「………。」

　「この大阪城で、扶持も与えよう。良人も太閤殿下がお探し下された。

　そうそう、秀頼さまは、来年、徳川家康殿の孫姫、千姫との御婚儀が決まったのだ。

　それに合わせて、関の嫡男殿に、家康殿の家臣井伊家の姫をと考えておられる。」

　「断る！！」



怒りを含んだ即答。

だが三成は動じない。



こんな大事な話を、『仕事』などと言いやがった。



　「…なるほど。」

　「あァ！？」

　「…関の虎は、思いの外、家族思いだと聞いてはいたが。」



ゾロの顔が一瞬染まる。



　「…大坂へ寄越せというのは戯れだ。だが、井伊家の姫との縁組はまことの事。」

　「…まだ、６歳だぞ…。」

　「…６歳の若君と７歳の姫君、１歳年上だが、よかろう。」

　「………。」

　「井伊家の姫は、たしぎ殿と申される。」

　「………。」

　「茶会にて、内府殿（家康）に目通りしていただく所存。その折に、井伊殿も姫

を伴われる。」



拒ませるつもりはハナからない。



　「親父は知っているのか？」

　「ミホーク殿は、そなたに聞けと申された。」

　「………。」

　「そなたが良いと言えば、自分に異論はないと。」



あの野郎、丸投げか。



　「もっとも、その剣幕で、そなたが拒むことを承知の上であったかもしれぬが。」



拒むことは、関が何か他の難題を振りかぶることにも繋がりかねない。

この年齢に至って、秀吉は、秀頼の為にあらゆる事を想定し、わが子の行く末を思うがあまりの無茶をしてきた。



金、地位、縁組、あらゆる事で、全てのものを繋ぎ止めようとあがいている。



隆景も、その太閤を憂いていた。



　「………。」



太閤が老齢でも、この男はまだまだ若い。

秀頼は幼く、淀君もまだ若い。

全ての権力を一手に握ってさえいれば、生き残れるのだ。

最大の難敵徳川家康も高齢。

先に逝くのは家康の方だ。



隆景は死んだが、五大老のうち、上杉景勝、宇喜田秀家はまだ若い。

もともと、五大老の意義は、徳川家康が台頭するのを防ぐためのシステムだ。

隆景が死に、その席は空席のままだ。

後継の秀秋に継がせるには、彼はまだ頼りなさすぎる。

しかも、秀頼の為に秀吉に他家に養子に追いやられ、豊臣家に恨みを持っているかもしれない。



　「ゾロ殿。」

　「………。」

　「…ミホーク殿に…空いた席に座ってもらいたい…。」

　「………。」

　「…いずれ…そなたに…。」

　「…興味ねェな…。」

　「………。」



ゾロは、大きく肩をゆすりながら立ち上がった。



　「話はそれだけか？」

　「………。」

　「…チョッパーの縁組の件は後日返答させてもらう…だが、最後の話は聞かなかった事にさせてくれ。」

　「………。」

　「…関の…。」

　「………。」

　「…いくらそなたが強くとも…日の本全てを敵に回せば…勝ち目はないぞ。」



ゾロはにやりと笑い



　「やれるもんならやってみな。」









荒々しい足音が遠ざかる。



何とも無礼。

だが、三成は怒らなかった。



自分自身、豊臣家が生き残れる可能性を、信じ切れていない気持があるのを、ゾロに見透かされていたようで。



















(2009/9/19)



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