BEFORE





 「……ちょっと昔の話だ……当時、ルソンにまで船を出していた紀伊の倭寇が、支那の海で南蛮船を襲った…。」



 「………。」



長い交わりの、快感の名残の中で、隣に伏せていたサンジが「おとぎ話をしよう」と突然言い、話し始めた。

ゾロも、何か言葉を出すのが照れくさかったので、黙ってサンジの顔を見ると、サンジは笑って小さな声で語り始めた。



 「…倭寇は…その船の中で毛色の変わった女を見つけた。

 船乗りたちの慰み者にされていた女だ。女は次に、その倭寇の頭の女になった。」



 「………。」



これは



もしかしたら



 「…次に…その倭寇は毛利の水軍に潰された…女は…今度は水軍の将のものになった…。

 信長が死に…秀吉の時代になり…水軍も…海賊禁止令で勢力を殺がれ…

 その法に触れたという責めを負い、女を囲っていたその将は…処刑された。」



 「………。」



 「…その時、女は身籠っていた…女はやがて子を産み落とし…異国の地で悲しい一生を終えた…。」



 「…もう、いい…サンジ…。」



 「…女の子供は…女によく似て…。」



 「サンジ。」



 「…物心ついた時には…預けられていた寺で…変態趣味の住持ちの相手をさせられてた…。」



 「よせ。」



 「…精を放つことを知らない内に、受け入れることだけ憶え込まされて…。」



 「黙れ!サンジ!!」



 「………。」



 「…黙れ…。」



自分を見るサンジの目は、まるで氷のように青く、冷たい。



なのに、今にも泣きだしそうに潤んでいる。



 「聞きたくないか?」

 「…ああ、そんな話は聞きたくねェ。」

 「………。」

 「…なんで…そんな話を今する?」

 「………。」



忍びの術のひとつとして、覚え込まされたもの。

女の振りをして、最後まで女と思い込ませて、相手の命や財を奪う。

修業を始めた時から、サンジはその過去の経歴から、そういう類の仕事ばかりをあてがわれた。

その為に、感覚を狂わせる薬を毎日少量ずつ、体内に取り込んで、必要な時に肌から香気として漂わせることができる。



あの運命の婚儀の時、その技を使わなかったのは、不測の事態を案じたあの3人に、使うなと禁じられたからだ。

自分たちまで、おかしくなってはたまらない。

サンジは毛利側の間者で、あの3人は壇後の間者だった。

サンジの実力を、信じていなかった。

振り返って、使わなくて良かったと心底思う。



そうやって生きてきた。



自分はそういう人間だ。



この男に、何も隠したくない。



ゾロは体を起こし、裸のまま胡坐をかいた

サンジも、同じように褥に座る。

目が少し怒っている。

無理もない。

こんな話、聞きたくなかっただろう。

だけど…。



 「…てめェが…自分が味わってきた苦界を疎むのは当たり前だ…だが…そのお前がいて、今のお前がある。」

 「………。」

 「その荒波を超えて、おれの所へ来たんじゃねェのか?」

 「!!」



サンジの白い肩を掴んで、言い聞かせるようにゾロは言う。



 「お前のそういう過去がなければ、お前はおれの場所にたどり着けなかった。そうだろう?」

 「…ゾロ…。」

 「これからは、おれが一緒だ。お前に、2度とそんな真似させやしねェ。

 だから、そんなクソみてェな過去はもう思い出すな。隠すとか隠したくねェとか、

 そういうもんじゃねェ。これから先のおれ達には、必要がねェんだ。」

 「………。」

 「思い出して辛ェ時があるなら、さっきみてェに何もかも忘れて、思いっきり乱れて、吹き飛ばせばいい。」



頬を染めて、サンジは笑った。



 「この戦、勝って帰るぞ。」

 「………おう。」

















慶長3年3月15日

京・洛南、真言宗の名刹醍醐寺。

秀吉が、ここを花見の場所に選んだのは、京都一の桜の古木の名所であることと、

すでに以前、奈良の名所・吉野での花見は行っていたからだ。



この花見の為に、数か月も前から様々な準備が為されてきた。

花見の支度は主に、石田三成ら五奉行が務め、警護の兵士も大大名たちの屈強の兵らがあたった。

趣向の為の支度、秀吉に随行する女房たちの衣装など、全て大名たちの『お手伝い』で、絢爛豪華なものが用意された。

伽藍のあちらこちらに、大名の当主の開く茶店、出店が並ぶ。

至る所に金銀宝玉を散りばめた、女心をくすぐる品々が山と積まれ、どれでも好きなものを持って帰ってよいという。

下々の者たちも、女だけは自由に出入りを許される。

男が禁止なのは、主催者が秀吉だということを考えれば、納得がいくかもしれない。

好みの美しい女がいれば、そのまま伏見城へ連れて行かれることもある。

権力者に弱いタイプの女なら、こんなチャンスは滅多にない。



もっとも、20人にも上る側室たちが常に一緒では、なかなかままならないであろうが。





桜の花は今が盛りで、天を覆うばかりの花の乱舞に、サンジの心も躍るかの様だった。

花を、愛でる心のゆとりなどかつてはなかった。

初めて身を置く華やかな世界で見た花は、まるで極楽浄土の花の様で、自然と口元がほころぶ。



そんなサンジの様子に



 「嬉しそうじゃの、氷雨。」



と、淀君も上機嫌だった。



3日前、わざわざ京から伏見に呼ばれ、淀殿の輿のすぐ後ろの輿にサンジは乗せられてここ醍醐までやってきた。

輿から降りたサンジは、ゾロでは到底買ってやれないような見事な金襴の衣装に身を包んでいる。

よく見れば、淀君とお揃いの色違いの緞子だ。

その姿を見ただけで、誰もがサンジを、ただの女房ではないと即座に察した。

淀の傍らには一子秀頼。

幼いが、聡明な目をしている。

チョッパーとは気が合いそうだ。



一時花に奪われた目を、サンジは辺りに泳がせる。



ゾロ



 「…虎殿を探しておるのか?」



愉快そうに、淀が問う。

サンジは素で顔を赤くした。



 「今呼ぼう。警護についておられるはずじゃ。」



しばらくして、ゾロが女房に先導されてやってきた。

女房が仏頂面をしているところを見ると、また迷子になったらしい。

いつもより、良い仕立ての狩衣を着ている。

烏帽子姿を見るのは婚儀の時以来で、目立つマリモ頭に紺地の烏帽子が妙に映える。

輿にはいつもの3本刀ではなく、和道一文字一刀だけを帯びていた。



ゾロは、淀殿の姿を見ると膝を折った。



 「ああ、かまわぬ。そのままで。……御内儀が、そなたの姿を探しておった故呼びたてた。」

 「………。」



ゾロも素で、一瞬照れくさいような顔をする。



 「ホホホ…可愛いのぉ。」



その頃には、他の側室たちも続々と集まり始めた。

秀吉を出迎えるためだ。

その場に、関の若殿の姿を見て、みなはっと息を飲む。



 「ま…あれが氷雨殿の…?」

 「まぁ、関の…。」

 「…魔獣という噂の男だそうな。」



ひそひそと言葉を交わし、だがやがて黙り込む。

みな、普段老齢の秀吉ばかりを見ているせいか、若くたくましい男はやはり



ほぅ…っ



誰かがため息をついた。



 「殿。」



サンジが嬉しそうに、ためらいながら歩み寄る。



ゾロも微笑んでうなずいた。



その姿は本当に初々しく、和やかで、暖かな情愛にあふれていた。



そっと、ゾロが耳元でささやく



 「…ロビンがいなくて大丈夫か?」

 「…大丈夫…いざとなったらあの手を使う。」

 「………。」



ゾロの眉が、ほんの少し歪んだ。



ロビンは身分が低すぎて、伏見城には入れない。

ずっと、淀の侍女に世話をされているのだ。



その時だ。



ざわっと、空気が動いた。

人々の間に、わずかな緊張が走る。

その気配の変化に、ゾロは顔をあげた。

サンジも、気の方向を振り返る。

秀頼が駆けだす。



 「ちちうえ、ははうえ。」



淀も。



 「太閤殿下、おかかさま。」



一斉に人々が膝を折り、頭を下げた。



2人も倣う。



 「おお、秀頼。輿は疲れぬか?」



しわがれた声。

その声が



 「ああ、よいよい。今日は無礼講じゃで。堅苦しい挨拶はやめてちょーよ。」



尾張訛りを丸出しにして、男は笑った。



太閤



豊臣秀吉



 ( ………。 )



ふと見ると、ゾロはすでに顔をあげ、まっすぐに秀吉を見ている。

秀吉の視線もまた、ゾロを捕らえていた。



尾張の足軽から、その身一つで天下人の地位に昇りつめた。

背は小さく、なるほど、噂通りの猿のような風貌だ。

「ちちうえ」と、秀頼に呼ばれてはいるが、どう見ても祖父と孫。

目の中に入れても痛くない、という様子がありありとわかる。

戦国の動乱を駆け抜けてきた大丈夫は、天下という名の座布団の上ですっかり溺れた、ただの老人になっていた。



秀吉の隣に、年配の婦人。その隣に、おまつがいる。

淀が、その婦人に駆け寄り



 「おかかさま!!」



と、すがって甘える仕草を見せた。

婦人も嬉しそうに



 「久方ぶりじゃ、茶々殿。」

 「たまにはお顔をお見せくださいませ。寂しゅうございます。」

 「ほほほ…大坂も伏見も堅苦しくて…今の住まいが気が楽なのですよ。」



仲の良い母子のようだ。

上辺だけのやり取りのようにも思えるが、そうも見えない。

そして



 「おかかさま、先に手紙でお話しいたしました、毛利の氷雨にございます。」



いきなり名を言われ、サンジはあわてて淀の側に戻った。



 「まぁ、貴女が…まぁ、本当に珍しい髪の色…目も…伴天連の血が入っておいでなのですね…でも本当に美しい…。」

 「お、恐れ入ります。」



おかかさま



秀吉の正室・おね だ。



 「茶々、わしにゃあ、紹介してくりゃぁせんのか?」



秀吉が言う。

淀は笑い



 「はい。殿下に紹介などいたしましたら、どんな無体を申されるかわかりませぬゆえ。」

 「でゃっはっはっは!!言われてしもうたぎゃ!!」

 「殿下は、前科が多うございますから。」



淀は、ゾロを指し招いた。

そして



 「ホラ、殿下。関の虎が、恐ろしい目で睨んでおりまするよ。」

 「お?」



ああ、この男がそうか。



そんな表情だった。



 「おお、おお!そなたが!そなたが、ミホーク殿の嫡男殿か!!」

 「…恐れながら。」

 「ん?」

 「ミホークが嫡男は、別におりまする。」

 「おお、そうじゃったなも。そういえば…内府(家康)はどこへ行きゃあした?」

 「お呼びいたします?」

 「ああ、ええ、ええ。その内現れるじゃろ。…そうかそうか、そなたが、関の虎か。」

 「………。」



瞬間、秀吉の目が、武将のそれになった。

だが



 「…なんとも麗しい奥方じゃ。」

 「恐れ入ります…。」

 「関も安泰じゃて。」

 「はい。」



ためらいのない答えに、秀吉の眉がぴくんと上がる。

そして



 「虎殿、奥方とそこに並んでみよ。」

 「は?」

 「ああ、よいからよいから。並んでみよと言うとりゃあす!」



ドサマギに、秀吉はサンジの手を取り、桜の下に敷き詰められた緋毛氈の、

金屏風が据えられた上座の前に、ゾロとサンジを並べて無理やり座らせた。

間違いなく、ここは秀吉とおねの座だ。



 「おおおおおお。どうじゃ!!」



自慢げに、秀吉は言った。

淀が小さく拍手する。

おねも、微笑んだ。

秀頼が



 「雛人形じゃ!!」



と、嬉しそうに声をあげた。



 「節句は過ぎたが、桜は盛り。これほどの雛飾りは他にないぞ、のう秀頼、嬉しいか?」

 「はい!」

 「おう、おう。」



困ったように、互いを見る2人に淀が言う。



 「そこにおりなされ虎殿。おかかさま、皆様方、こちらで、雛の祝いをいたしましょうぞ。」

 「まぁ、素敵!」

 「さすがは殿下!」



あっという間に、その緋毛氈の上が宴会会場第1になる。

ゾロが、うんざりと深いため息をつくのがおかしくて、サンジは小さく笑った。



どうやら、この緒戦はこちらの負けらしい。





酒が振る舞われ、贅沢な料理が並び、歌舞音曲は途絶えない。

伽藍のあちらこちらで茶店が開かれ、かつて名将と謳われた大名たちが、手を打って商人の真似ごとをする。

山と積まれた財宝を、女たちが先を争って奪い合うのを、秀吉は嬉しそうに眺めている。

とにもかくにも、この宴は秀頼と、淀を初めとする側室たちを楽しませようというもので、

その為に、あらゆる華美と贅沢を集めたと言っていい。



 「殿下、おかかさま、妾の趣向をご覧いただけまするか?」



淀の言葉に、おねは目を細めてうなずく。



 「おお!茶々の趣向か!!」



手を打って、秀吉はだらしなく目尻を下げた。



淀がサンジを見て



 「氷雨。」

 「はい。」



うなずいて、ようやくサンジは金屏風の前の席から立つことができた。



 「暫時、ご無礼いたしまする。」



頭を下げ、サンジは軽くゾロに目配せして、侍女にかしずかれて幕を出て行った。



 「?」



妻が席を立ったのだ、ひとり、そこに座っていても仕方がない。



 「ご無礼を。」

 「待て、虎。どこへ行きやぁす?」



秀吉が、少々ろれつの回らぬ声で言った。



 「お主、飲んでおるのか?」

 「頂戴しております。」

 「ち〜〜〜〜〜とも!酔うそぶりが見えんでよぉ!」



ふらふらと、秀吉はゾロの前へ歩み寄り、



 「…毛利の姫…ちゅーたぎゃ?」

 「…はい。」

 「………。」

 「………。」

 「惜しいの〜〜〜。」



瞬間、ゾロの目が殺意を漂わせた。

それを、戦乱を生き抜いてきた男は見逃さない。



 「良い目じゃ。」

 「………。」

 「…はっはっは……!」



その時、流れていた音曲が高らかに鳴った。

それを合図にするように、淀が立ち上がる。



 「お待たせいたしました。では、妾の趣向をご覧下され。」

 「お〜〜〜!待ちかねたぞ!」



ヤンヤと拍手が沸き起こる。

据えられた絹の幕が払われる。



と、そこに



 「!!?」



それを見て、ゾロは仰天した。



サンジだ。



氷雨ではない。



“サンジ”なのだ。



 「………!!」

 「まぁ、氷雨殿?」



おねが言った。



サンジは、真珠色の小姓の姿に身を包んでいた。

振袖をタスキでたくし上げ、長い髪を背中で束ねている。

からげた袖から伸びた腕が、白くまぶしい。



そして、サンジのすぐ脇に置かれたものに、みな感嘆の声をあげた。



 「おお!!」

 「なんと見事な!!」

 「あれは勇魚か!?」



巨大な魚だ。

サンジの体の2倍はある。



勇魚



クジラだ。



今で言う小型のミンククジラである。

この頃はすでに、食用として捕獲されていた。



 「紀伊の沖で獲れましたものを、運ばせたものでございます。」



淀が言った。

紀伊から京までの道のりを、わずか1日で運ばせた。



 「これは見事じゃ!!」



多少の臭いはあるが血と内臓は抜かれている。

秀頼が、始めてみる巨大魚(海で泳ぐものは魚という認識)に、ぽかんと口を開け、だが好奇心いっぱいの目で見つめていた。



この魚とサンジを、どうしようというのか。



ゾロも、自分が秀頼のように、口をぽかんと開けっ放しなことに気付かない。



と、サンジが口を開いた。



 「太閤殿下と北政所さまに、献上つかまつりまする。」



その声

まさにサンジそのものだ。

冷や汗が出る。



 「ははは…!関の!!そなたの女房は面白いのう!!が、似合うておる!!」

 「…はぁ…。」



サンジは、すらりと両手に長包丁を握った。

一瞬、座が静まりかえる。

その静けさの中に、サンジの声が響いた。



 「ご覧あれ。」



包丁の長さは大刀ほどある。

それを、軽々と振り上げ、サンジは一気に魚の腹に振り下ろした。



 「きゃあ!」

 「おお!」



わずかな肉を断つ音。

躍るように白刃が舞う。

巨大な魚は、あっという間にいくつもの肉片となった。

捌き、切り裂かれた肉片を、今度は皿に載せそのまま調理に掛かる。

ここに至って、白いサンジの着物には、一滴の血も付いていない。



誰の手も借りず、サンジの手は舞うような華麗さで、素材と炎を操り



 「お待たせいたしました。勇魚の羹と焼き物、和えものでございます。」



黄金の器の上に、何とも食欲をそそる香りを漂わせた料理が載せられていた。



待たされてなどいない。

つい先ほど、そこにいたクジラはもう跡片もない。

いくつもの器に載せられた料理となって、居並ぶ女たちの前に届けられた。



秀吉は、目の前に器が置かれるや否や、直に手でつかんで口へ運んだ。



毒見もせず



そして



 「美味い!!」



サンジはにっこりと微笑んだ。



 「おかか!食うてみゃあ!!茶々も!秀頼も早う!!こりゃー美味ェでいかんわ!!」

 「わたくし…肉はあまり…。」



おねはためらったが、秀吉は、昔の足軽の時のように箸で肉をつまむと、おねの口元へ差し出した。



 「食うてみぃ!!」



しぶしぶ、おねは一切れを……。



 「まぁあ…。」



声に、驚きがある。



 「美味にございます。」

 「だろうぎゃ!いやぁ、こんなに美味いもんを食うたのは初めてじゃ!!」

 「恐れ入ります。」

 「あっぱれじゃ!あっぱれじゃ!関の!!」



サンジの目が、ゾロを見た。



…ったく…。



ゾロも、ようやく笑った。



2戦目、勝利。





(2009/9/19)



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