BEFORE





秀吉が死んだ瞬間から、政争は始まった。



混乱の様は、生前太閤と呼ばれていながら、通夜もまともに行われず、遺体がその夜の内に、

大坂城から運び出されて埋葬されてしまった事からも伺いしれる。



秀吉の死を、心の底から悲しむものはいたのだろうか。



おそらく、幼い秀頼は、父の死を悲しんだかもしれないが…。



即座に、大坂城へ入ったのは五大老筆頭、徳川家康。



秀吉は、いまわの際まで『秀頼が事、何卒何卒』と繰り返し、五大老・五奉行全員に起請文、

誓文を繰り返し書かせ、それでも足りずに、骨と皮ばかりになった手を差し伸べ、家康の太い指を握りながら



 「内布殿、徳川殿、どうかどうか…。」



涙と鼻水でグショグショになりながら懇願し続けた。



そんな、哀れで愚かな醜い老人に、その死を心待ちにしていた男は



 「ご安心くだされ。」



と頼もしく笑って答え続けた。





ご安心くだされ



信長公がつき、貴方様が捏ね上げた“餅”は



わたくしが頂戴いたしますゆえ





この時



淀君の、秀吉に対する思いも一気に冷えていったのかもしれない。

自分の父親2人を殺し、母を殺し、弟を殺し、2人の妹を右から左へ政治の為に転がし、己の欲で、自分を妾にした。



それでも、全く愛情を感じなかったわけではない。



だから今日まで、この男を満足させる為に生きて、花の盛りを捧げてきた



なのにこの男は



この死の間際に思うのは、自分の息子の事のみで、妾や、他の女、

増してや苦労を共にしてきた古女房のおねの事など、思いだしもしないのか。



秀吉の死の直後、おねは落飾して「高台院」となった。

その際、おねは、夫の側室全員を集め、こう言った。



 「落飾するのはわたくしひとりで十分。皆様方には、強いることはいたしませぬ。」



「夫」が死んだのだ。

妻が、髪を落とし、その菩提を弔うのが普通だ。

どれほど若く、先の人生が長くとも…。

一番若い側室は、まだ20歳にも満たない。

この場にいない側室もいる。

召しだされ、側室となっても、たった一夜で忘れ去られた女もいる。



おねは、正室の身でありながら、自分よりずっと若い側室たちに頭を下げ



 「どうか、夫をわたくしにお返しください。そして、どうか、藤吉郎をお許しください。」













自分を、一番想ってくれている人間が誰か

忘れてしまった時に人は、すでに人でなくなっているのかもしれませぬ



死んで後にまで、妻に庇われ、妻に守られ、なのに全ての人から瞬時に忘れ去られた哀れな男



なんの未練もありませぬ











秋の盛りに、関に送られてきた淀君の手紙。



最初で最後のその文には、美しい白妙が一反、添えられていた。

美しい女のたおやかな文字を、指でたどってサンジは悲しげに微笑んだ。



一時の人形遊びで終わった関係だと思っていた。

なのに、淀からの手紙の書き出しは、「関の妹へ」とあった。



おかか様は



これよりは、秀頼が生き残る事だけを考えろと仰いました



妾も



秀頼君の為に



生きて行こうと決めました



豊臣家の為でなく



我が子の為だけに



この子は



妾の息子です



よろしいか、妹よ



女の戦は



後に、己が血を遺したものが勝ち



この白妙は、秀頼を身籠った折、腹帯としておかか様より贈られたものです



貴女に譲ります









嫁して、月日を経て



家臣たちの中から、子を産まない氷雨への声が上がるようになってきた。

ミホークが



 「あの馬鹿が、氷雨を愛しく大事にしすぎて子を産ませられないのだ。氷雨ばかりを責めるでない。」



と、言い放ってから、それならば、と、側室を勧める事を考える者もあった。

もっとも、それをしようものなら、問答無用でゾロに斬り殺される覚悟がいるが。









この白妙を、身に着ける事は決してない。



おれは、ゾロとの血を遺せない。



だが、それを悲しいとは思わない。



遺せなくても、失いはしないから。















時が流れた。



あれから2回、四季が廻った。



ミホークが、関の城に帰る事が少なくなった。

揺れ動く情勢に、国へ帰ることが難しくなったのだ。



大坂城には、淀君が住み、秀頼の後見として権力を握っている。

その膝下に、石田三成。

家康は、かつて秀吉の居城であった伏見城を乗っ取った。

三成を、佐和山城へ追いやって。



秀吉の死で、体制は分かれた。

豊臣恩顧の大名と、元より豊臣家に何の恩義も感じていない大名と。



家康は、この段階においてもまだ自身の野心を身の内に籠らせていた。



野心

この男のそれは、若い時より抱いていたものかどうかは定かではない。

ただ、日本をひとつの国にまとめあげ、強国を作り上げようとしていた織田信長の、家康はただ1人の盟友だった。

信長の側で、ずっとその理想を見つめてきた家康の、いつかそれは自分の理想と野心になっていた。

いや、もしかしたら、その理想を秀吉のような足軽上がりに奪われた悔しさと嫉妬が、家康の野心に火をつけたのかもしれない



ほんの一時



秀吉に奪われていたものを、再び取り返すだけの事。



残された年月は少ないが、家康は焦りはしなかった。

じわじわと、じわじわと、大坂方を追い詰め、煽りつづける。



天下分け目の戦に至るまでのその経緯を、ここで詳しく語るつもりはない。

時代は確実に動き、流れ、その流れは東へと一直線に向かっていた。



欲や、保身や、恩や、情。



あらゆるものが人を動かし、情勢を動かしていく。



関も、大きく変わった状況がひとつ。



今年の春は南からではなく、東よりやってきた。

白く愛らしい花嫁御寮が、江戸からやってきた。



婚儀は先と言いながら、家康は、まだ10歳にもならない姫を関に送り出した。

関への釘だ。



8歳の若君と9歳の姫の婚礼。

いつぞや、秀頼がゾロと氷雨を雛人形と言ったが、こちらの方が正にそれだった。

金屏風の前に、ちんまり、と座った夫婦はとんでもなく愛らしく、人々は皆目を細めて祝いを述べた。

遠い、華やかな土地からやってきた姫だった。

家を恋しがると思ったが、家を恋しがり、伏せってしまったのは彼女の侍女たちの方が先で、

幼い姫本人は、けなげにホームシックに耐え続けた。



耐えられたのは



“夫”のチョッパーの優しさだ。



本当に夫婦になるのはまだまだ先だ。

互いにその知識もまだない。

だから、純粋に「ともだち」として、2人はとても仲好くなった。



そして、義理の姉・小姑(笑)氷雨の存在が大きい。



母親を知らず、姉もいない姫君が、初めての身内となった“女性”。

無条件に懐いてくれた。



そして彼女が、悲しい、寂しいと思っている暇がない理由もあった。





関城本丸

城主の、居室の中庭。



居室から庭を、ニコニコと眺めている氷雨。

その奥の文机の前に座り、一心不乱に本を読んでいるチョッパー。

控えの間で、幼い奥方の新しい着物を縫っているロビン。

その隣に、最近やっと裁縫が楽しいと思えるようになったナミ。

庭石の上で胡坐をかき、ニヤニヤと笑いながら状況を眺めているルフィ。

ゾロは、白い歯を見せながら、片手で木刀を中段に構えながら言う。



 「ほら、どうした?もう、終わりか?」

 「………っ!!」

 「たしぎ。」



ゾロと対峙して、やはり木刀を中段に構えているのはたしぎ姫だ。



肩を激しく上下させ、息を荒くして、背の高い義兄の目を精一杯睨みつけている。

姫君にあるまじき、麻の着物に袴姿。

何度も打ちすえられているのか、頬には泥も付いている。



 「まだまだ!参ります!義兄上!!」

 「おう、来い。」

 「やあぁぁぁっ!!!」



精一杯の力で、木刀を振りかぶり『関の虎』に向かって行く。



9歳の女の子だ。



少しは遠慮というものを……



 「きゃあ!!」



木刀が跳ねあげられ、空を切り弧を描いて舞う。

石の上で、ルフィがそれをキャッチした。



……しないのが、ゾロだ。



 「今日はここまでだ。」

 「まだ…!まだ、できます!!」

 「やめとけ。」

 「義兄上!!」



むきになるたしぎに、サンジが立ち上がって言う。



 「姫、そこまでに。」

 「義姉上様…!」

 「潔くありませんよ。」

 「う…!」



いつの間にか、チョッパーも氷雨の隣にいて、笑いながら言う。



 「でも、強くなったよ!今日は二合も打ち合ってたもの!」



本に夢中になっているように見えて、ちゃんと時折は庭の様子も見ている。



 「だな!ははは!スゲェぞ、たしぎ!」



ルフィが、木刀を渡しながら言った。



 「………。」



仏頂面のたしぎの頭を、後ろからくしゃくしゃと撫でてゾロが言う。



 「いや、まだまだだな。」

 「…殿…。」



サンジが言った。



なんでお前はそうなんだ?



途端に、たしぎが目を見開いて叫ぶ。



 「絶対!!絶対勝って見せます!!」

 「おう、がんばれ。」

 「馬鹿にして…!!義兄上!約束ですよ!!いつか私が勝ったら、本当に和道一文字をくださいますね!?」

 「ああ、やる。」

 「約束ですよ!!」



子供だな。



と、心の中で呟いて、サンジはたしぎの手を引き寄せる。



 「ホラ、顔を洗って、手を洗って…揉んであげるから。」

 「義姉上さまぁ…。」

 「…泣いたら皆に笑われますよ?」

 「う…。」



嫁いできてすぐに、たしぎは自身の性格を見せた。

子供なのだ。

大人のように、猫を被るような芸当はできない。



醍醐で会った時は、快活な姫だと思っただけだったが…。



快活を通り過ぎて、男勝りに過ぎた。



これで他の家に嫁いだら、きっと抑えつけられて悲しい思いをしただろう。

しかし、関にはこのくらいの嫁がいい。

チョッパ−が文人でおとなしい分、釣り合いが取れる。

嫁いで間もなく、たしぎはゾロの和道一文字に触れる機会を得て、一目でその美しい直刃の虜になった。



欲しくて欲しくてたまらないという顔だった。

そんな感情を、押し殺していたたしぎだったが。



ルフィが



 「ゾロと勝負して、勝てたらくれって言ってみれば?」

 「武士の命です。関の誇りです。そう簡単に下さる訳…。」

 「じゃ、聞いてきてやる。  なぁ、ゾロ!(中略)

 いいか!?いいだろ!?いいよな!? おーい!たしぎ!いいってよ!!」

 「言ってねェよ!!」



そして、現在に至る。



ゾロが承知したのは、「そう簡単に、おれに勝てるか。」という自信だ。

根拠は、自分がいまだにミホークに勝てない。その部分。

9歳のたしぎ。

しかも女の子。



負ける気などさらさらない。



たしぎ姫の道のりは遠く険しかった。



だが、山が高ければ高いほど、人は燃えるというもので。



 「絶っっ対!!勝ちますから!!」

 「おう、がんばれ。」



笑いながら、汗ひとつかかずに部屋へ上がってきた夫のおでこを思いっきり張り倒し、サンジはたしぎの手を引いて奥へ向かった。



 「…ごめんなさい、義姉上さま…。」



小さな声で詫びるたしぎに、サンジは思わず足を止める。



 「何を謝るの?」

 「…わたし…いろんな事でみんなを困らせてる…。」

 「………。」



サンジは、たしぎを引き寄せ、抱きしめた。



 「…誰も困っていないですよ…?」

 「………。」

 「…たしぎがいてくれて、みんなこんなに幸せなのに、何を言うの?」

 「…ほんとに…?」

 「ええ。」



サンジは心の中で眉を寄せた。



城内には、豊臣や毛利の恩顧の者が多い。

その者たちにとっては、たしぎは邪魔な嫁だった。



この西国にあっては、その保守的な考えが捨てきれないのは仕方がないが…。



世の情勢は、いまだ半々。



豊臣の権威は、まだ地に落ちてはいない。

だが、家康のそれも、拡大の一途をたどっている。



大坂と江戸



天下はどちらに転がるか…。



たしぎをこの城に迎えてから、奥州の政宗からの文が多くなった。



ゾロ宛ではない。

その殆どが氷雨宛だった。

手紙が届くたびにゾロは青筋を立てて怒り狂うが、受け取り拒否もさせない。

雅やかで甘い言葉が並べてはあるが、その内容はいずれも、暗に家康につけとゾロを誘っていた。



 「たしぎ。…今度、みなで麦の里へ行きましょう。」

 「麦…?ルフィ達の里…?」

 「ええ、あなたもきっと気に入ってくれると思います。」



たしぎは笑い



 「はい、義姉上さま。」



と、笑ってうなずいた。

素直に甘えてくる少女が可愛い。



サンジは、ゾロにもフランキーにも内緒のまま、麦の里での小鍛治修業を続けている。

本気のウソップは、フランキーにも負けず劣らず指導は怖かった。

火傷の痕が絶えず、傷を負うその度に、夜ゾロに発見されやしないかとヒヤヒヤした。

時には



 「なんだ?こりゃ?」



と、気づかなかった場所を発見され、料理の最中につけたのだとごまかす。

ごまかし切れている自信はないが…。



新たな麦の里の話を、ウソップに漏れ聞く。

少しずつ藪や森を切り開き、もう少しで、新たなタタラに火が入れられそうだと言っていた。



時は進む。

確実に、動乱に向かう。



 「きゃ…。」



たしぎが、サンジの手にすがりつく。

風が吹いた。

この暖かな季節に、冷たい北風。

髪を煽られ、思わず手で押さえた。



 「………。」



北風



その頃、大坂の徳川家康のもとに、会津の上杉家家臣、直江兼続からが書状が送りつけられていた。



当国の儀、其の元に於て種々雑説申すに付、内府(家康)様御不審の由、尤も余儀なき儀に候 



俗に言う、『直江状』である。



家康は、家康自身の豊臣家に対する不忠不義を詰ったこの書状に激怒した。

が、心の中で拍手喝采を送った。



よくやってくれた!



家康にとって、会津を討つ格好の材料だったからだ。



6月2日、家康は会津討伐の陣触れを出した。

これより、事態は天下を分ける戦へと動いていく。



慶長5年(1600年)の、夏になろうとしていた。







(2009/10/1)



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