BEFORE 6月8日の夜半 その2日前から麦の里に出かけていたサンジは、ゾロにずいぶんと苛まれて疲れ切り、その腕の中で深く眠りこんでいた。 だから、ゾロに起こされるまで、それに気づかなかった。 目を開け、暗がりでようやく戻った視界に入ってきたものは 「!!?」 慌てて跳ね起き、打ち捨てられた夜着を掻き寄せて身につけ、寝床から飛び出して平伏した。 「気にするな。起こして済まぬ。」 「い、いえ!!お見苦しいところを…!!」 大坂にいるはずのミホークだった。 寝所の、褥のすぐ脇で、下帯だけのゾロと向かい合っていた。 「お屋形様…いつ、こちらにお戻りに!?」 「先ほどだ。」 よく見ると、ミホークの後ろに 「げっ!ブルック!!?」 「ハイ、ご無礼御容赦。ヨホホホホ。」 「………っ!!」 体を見られた!!ブルックに!! だが 「案ずるな。これには初めから話してある。」 「え!?」 「ヨホホホ、ご安心を。お方さま。……いえ、本来はサンジさまとお呼びすべきなのでしょうか。」 「……あ……。」 ゾロが、サンジを見てうなずいた。 そうか…もう、ブルックは知って…。 サンジは、顔を赤く染めながら、ゾロの夜着を肩へ羽織らせる。 そして 「…お屋形様…お戻りならばお迎えにあがりますものを…。」 サンジの言葉に、ミホークは 「戻ったのではない。逃げてきたのだ。」 「は!?」 ブルックも 「その通りでございます。京・大坂屋敷の兵、皆一昨日の晩に脱出したのでございます。」 「なぜ!?」 「家康が動く。」 「!!」 さっと、サンジの顔が青ざめた。 「会津の上杉が、兵を増やし、兵糧を蓄えているという話があった。 その詮議に対し、家老の直江兼続が、豊臣家に対する不忠を詰った返書を送りつけてきた。」 「直江殿が!?」 醍醐で会った、あの穏やかな笑顔の男が。 「…何のつもりで、上杉が家康を煽りたてるような真似をしたか、おれにはわからん。 だが家康にとっては、上杉を討つ格好の理由ができた。そして、軍令が発令されたのだ。会津討伐の。」 「会津を…。」 ブルックが 「先代謙信公以来、義の志高い上杉家。昨今の家康の言動に、苦い思いをしておられたのかもしれません。」 「で?家康が打って出るのは会津なんだろう?なんで親父が帰ってくる必要がある?」 ゾロが言うと 「………。」 「………。」 「………。」 「はぁ。」と、3人同時にため息をついた。 「なんだよ!?感じ悪ィな!!」 「…これがおれの息子かと思うと、情けなくて涙も出ん。」 「…ヨホホホ…まぁ、難しい事を考えるのは誰も面倒な事とは思いますが…。」 「…おれだってわかるぞ…ゾロ…家康の狙いは会津じゃない。三成だ。」 「は!?じゃ、なんで会津だ!!?」 ため息をついたのはサンジだけだった。 ブルックがつぶやく。 「…ご苦労されますなァ。」 「まぁな…。」 「…っっと、カンジ悪ィな!!」 サンジは仕方ねェなとつぶやいて 「この時期に、自身の伏見城を留守にして東へ発つ。三成にとって、この機以外に動く時はない。」 「………。」 「動かなければそのまま会津を攻める。そうすれば上杉家は、南からの徳川軍、北には最上義光、伊達政宗。 双方から挟まれて叩き潰される。そうなれば三成は、豊臣方の有力武将を1人、また失うことになる。」 先年、五大老のひとり、前田利家を失った。 豊臣恩顧の五大老の、小早川隆景・前田利家、2人が鬼籍の人となっている。 上杉景勝は遠く会津へ追いやられ、宇喜田秀家は、戦の実力はあっても、政治的な手腕に欠けていた。 人の情に訴えれば、家康を詰る直江兼続の方が正しい。 しかし、力は、時としてそれを捻じりなぎ倒す。 三成が、己と豊臣家の保身を望むなら、上杉を倒されてはならない。 ここで家康を討つために立ち上がらねばならない。 選択の余地はないのだ。 「…三成が家康を攻めるのか?」 「…そうだ…。」 「………。」 ブルックが、ミホークの言葉にうなずいて言葉を続ける。 「…このまま大坂にいれば、必ず、双方からの参陣の要請が参りましょう。 ですが、今、関が態度を明確にするには、あまりに不安材料が多すぎます。 ですから、最低限の人数を残し、こうして戻りました次第。」 「…親父…どうするつもりだ?」 「どう、とは?」 ミホークの答えに、ゾロはわずかに苛立った様子を見せた。 「どちらにつくつもりだ?」 「…それを決断するために戻ったのだ。」 「………。」 「……おれの一存では決められぬ。」 「国主はお屋形様です。」 サンジが言った。 その言葉に、ミホークはふっと、唇の端を挙げて笑った。 「…いずれにつくと言っても、ゾロ、お前の答えは同じだろう。」 ゾロは即答する。 「たりめーだ!関は関だ!!家康も三成も関係ねェ!!」 「予想通りの答えだな。」 「……ヨホホ。」 「………。」 空が、白み始めていた。 「ゾロよ。」 ミホークが呼んだ。 「…関の立場は微妙だ。」 「………。」 「弱小でありながら、経済力はある。自治も強く兵も強い。 周囲を豊臣恩顧の大名に囲まれ、他国は三成につくものが多かろう。 背後には毛利家があり、九州には島津もあり、四国には長宗我部も蜂須賀もおる。 そして、お前の“妻”“氷雨”は毛利家の娘。」 「………。」 「だが、嫡男の妻は、家康の娘(養女)。」 沈黙が流れた。 「…この戦…関は参陣せぬ。」 「!!」 天下分け目の大戦。 それを、やり過ごすというのか? 「関は関。そう言ったな。」 「…ああ…。」 「なれば、これがおれの答えだ。」 「ですが…お屋形様…これではいずれが勝っても…関は、所領を奪われる口実を与えてしまいます。」 「奪われぬ。」 ミホークの言葉に、サンジは目を見開く。 そのサンジを見て、ミホークは 「ゾロ。」 「なんだ?」 「おれは隠居する。」 「はぁあ!!?」 「お屋形様!?」 「ヨホホホ!!?」 「…慌てるな…この戦が終わったらの話だ。」 「それでも…!」 「ゾロ。」 「………。」 「状況によっては、チョッパーを廃嫡し、お前を立てる事になるやもしれぬ。」 「親父!!」 「騒ぐな…逆に、チョッパーを立てることもある。…が、チョッパーを国主とするその時は…。」 「………。」 「…お前には、死んでもらわねばならん。」 サンジが思わず声を挙げた。 「………。」 「…チョッパーに危険はない…だが、お前の存在は危険すぎる…。関を守るのであれば…家康が勝った時は…潔く腹を切れ。」 実の父親からの、あまりに冷たい言葉。 さすがのゾロも、顔が蒼い。 「お屋形様!!それはあまりに理不尽な…!!」 サンジが叫んだ。 「理不尽ではない。…家康が天下を握ったその時は、我らに突き付ける最初の条件はそれであろうからな。」 「!!」 「………。」 「ゾロ、お前が、誰かの後塵を拝するような男ではない事を家康は知っている。 牙を抜き、爪を剥ぎ、必ずや息の根を止めにかかる。その為に、何が犠牲になるか…考えてみろ。」 沈黙するゾロ。 その前に、サンジが手をつき、まろび出て 「なら、その時はおれが死ぬ!!」 「サンジ!!馬鹿言うな!!」 サンジの言葉を、ゾロは予測していたのだろう。返す言葉は速かった。 「その時とは言わず、今ここで!!…それなら、この国が家康に与しても何の不都合もないはずだ!!」 「家康が勝つとは限らねェ!!負ける可能性だってある!!そうだろ!?」 「家康が負けたら、たしぎはどうなる!?」 ミホークが、ぴくりと頬を震わせた。 「…あんなにいい子なのに…。」 敗者の娘。 その運命は想像しなくてもわかる。 サンジの脳裏に、大坂城の奥に住む、たおやかな微笑が浮かぶ。 「………。」 沈黙が流れた。 その時 「申し上げます!!」 国家老の声だ。 「ただいま、大坂城よりの使者と、当方の間者が。」 緊張が走った。 サンジは、几帳の陰に身を隠す。 「…まず、間者の報告をせよ。」 ミホークの言葉に、家老は手をつき。 「は!過ぐる7月17日、五大老の毛利輝元殿、大坂城西の丸に入城されました。」 「西の丸?家康の後を乗っ取ったのか?」 ゾロの問いに、ミホークはそのまま 「続けよ。」 「は!伏見城、留守居役鳥居元忠殿に対し、開城を要求。が、鳥居殿はこれを拒絶。」 「………。」 「同19日、伏見城は交戦状態となり、落城。鳥居元忠殿は討ち死に!」 ブルックが息を飲んだ。 「…続けよ。」 「さらに、西国から東へ向かう街道の関所は全て、豊臣方によって封鎖。 家康方に参じるはずだった大名たちはことごとく足止めを食い、そのまま大坂城へ向かっておりまする。」 「…で?大坂は、関にも馳せ参じよと?」 「その通りにございます。そして、もうひとつ。」 「なんだ?」 家老はわずかにためらい、だが 「……ゾロ様のご正室、氷雨の方様と、チョッパー様のご正室、たしぎ様を、大坂城へ入れよと……。」 サンジが目を見開く。 ゾロが思わず腰を浮かせた。 だが、ミホークの手が早かった。 その場で、床の上に叩きつけられる。 「…っ!!」 サンジは、几帳の陰から 「…それは…淀君からの御命令ですか?」 「…いえ、石田三成からの下知にて…諸国の国主・嫡子の正室を…城内に留め置けと…。」 「……っ!」 ゾロが叫ぼうかという瞬間 「断る!!」 サンジが叫んだ。 “サンジ”のままの声だった。 「おれはいい!だが!たしぎは断る!!」 「お前だって許すか!!アホ!!」 「ゾロ…!だめだ!!たしぎは絶対にだめだ!!これは人質だ!!」 「わかってる!!たしぎもお前も!!絶対にやらねェ!!」 と、家老が 「申し上げます……実は、間者よりの報告でございますが、その下知があった直後、加藤清正殿・黒田如水殿の妻子は逃亡。 さらに、細川忠興殿ご正室、たま様(ガラシャ)…京屋敷に火をかけ、自害あそばされたと…。」 「!!」 ミホークが立ち上がる。 「親父…。」 ミホークが口を開く。 「…ブルック。」 「ハイ。」 「京・大坂へ早馬を。…全員、護りの支度を。」 「かしこまりました!!」 「国境を固めよ!関所を閉ざせ!!…が、東西いずれかに参陣するものは、通してかまわぬ!!大坂・江戸、双方に使者を!!」 「親父…!!」 ゾロの目に笑みがある。 そして言った。 「…おれは参陣する。」 「………。」 「ゾロ!?」 「ゾロ様!?」 「何故!?」 ミホークは、取り乱さず 「どちらへ?」 「西へ。」 「………。」 サンジが叫ぶ。 「ゾロ…!!だめだ!!」 「お前の為じゃねェ。関の為だ。」 「関の…。」 「…この戦が…天下を分ける…だが、どちらが勝っても、おれ達はどっちにも敵だろう、親父?」 「うむ。」 「だったら、おれは西へ着く。親父…家康についてくれ。」 「………。」 「……ゾロ……。」 「…おれを、勘当してくれ。」 「………。」 「…この方法なら…どちらが天下を握っても関は生き残る…!!約束通り、家康が勝ったらおれは腹を切る。 いや、その前に、おれは戦で死んじまうだろうがな。」 「だめだ!ゾロ!!」 サンジの声は、悲鳴の様だった。 「サンジ…。」 「…だめだ…!」 「…すまねェ…。」 「謝んな!!」 再び、沈黙が流れた。 その沈黙を、ゾロが裂いた。 「氷雨。」 「!!」 その場にいた誰もが、はっと息を飲んだ 国家老も、氷雨の事を知らされていたのか、今のやり取りに動揺を見せはしなかった。 が、ゾロが、『氷雨』と妻の名を呼んだ時、誰もが目を見開いてゾロを見た。 「氷雨。」 再び 「…はい…殿…。」 ゾロはゆっくりと立ち上がった。 そして 「死んでくれ、氷雨。」 「はい。」 迷いのない声。 打てば響くように答えた声。 刀架の和道一文字を手に取り、ゾロは鞘を払った。 「ゾロ様!!?」 2人の家老が叫んだ。 「おやめください!!」 「お方さまに何の咎がありましょう!?」 「ゾロ様!!」 払った刃を、ブルックの鼻先に突きつけ、ゾロは 「黙れ。」 「黙りません!!」 「ゾロ様!!」 「お屋形様!!お止め下され!!」 が、ミホークも動かなかった。 「氷雨。」 「はい。」 「…待てるな?」 「はい。」 にっこりと微笑み、“氷雨“はうなずく。 そして、“氷雨“は、淀君拝領の打ち掛けを羽織り、髪を整えると、あの鉄鏡で唇に紅を差した。 鏡を胸の内に潜ませ、支度を済ませると、ゾロに背中を見せて言った。 「どうぞ。」 「………。」 「…お先に…浄土の淵でお待ちしておりまする…。」 「よく言った。」 「………。」 「…許せ…。」 白刃が、高々と掲げられる。 「ゾロ様!!」 ゾロは、目を細め、苦渋に言葉を染めながら 「じゃあな、氷雨。」 「はい。」 「ゾロ様―――!!」 白銀の閃光と共に、金の糸が舞い散った。 西陣の打ち掛けが真っ二つに裂かれた。 刹那の声が 闇の中に響いて行った。 (2009/10/1) NEXT BEFORE 赤鋼の城 TOP NOVELS-TOP TOP