BEFORE





自分を、優しく抱きしめているのがサンジだとわかっていた。



つい今しがた抱いていた柔らかい肌は消えて、引き締まった肌がそこにある。



 「……氷雨は……?」



サンジは微笑み



 「……逝ったよ……。」



ゾロの肌に身を重ね、首筋に顔を埋める。

甘い吐息が、首筋にかかった。



 「…薬が切れた…。」



 「………。」



長い間、体の中に残っていた薬だったが、取り込むことを止めてずいぶんになる。

もう、この術は使えない。

使うつもりもない。



 「…喜んで…逝ったよ…。」



 「…そうか…。」



サンジの頭を抱いて、ゾロは小さく微笑む。



 「…変だな…。」



サンジがつぶやいた。



 「何が?」

 「…おれなのに…すげェ…妬ける…。」



ゾロの唇が瞼に触れた。



 「…サンジ…。」

 「…ん…?」

 「…もう一度…。」

 「……いい加減にしろよ……お前、これから戦に行くんだろ?」

 「…もっかい…これが最後。」

 「最後じゃねェって。」



笑いながら頬を染めて、サンジはゾロの髪をぐしゃぐしゃとかき回しながら抱きかかえる。



 「必ず帰る。」

 「……ああ……。」

 「待ってろ。」

 「……待ってる。」



唇を重ね



 「待ってる。」



力強い声でサンジが言うと、ゾロも力強い笑みでうなずいた。











慶長5年9月14日の早朝

ゾロは、ブルックを初めとする50人の部下を連れて、大坂を発った。

この50人はゾロに心酔する家臣たちで、ゾロの出奔、そして西軍に参陣する事を知るや、それに倣い出奔した者たちだ。

本当は200人からの人数だったが、親、妻子のあるものは、有無を言わせず関へ返した。



小さな軍列を、サンジはひとり、朝靄に紛れて見送る。

馬上のゾロを送り、サンジはくるりときびすを返すと、関へと向かって―――。



 「………。」







――――。







小さな音に、眠りを裂かれた。



ここ数日の城内の慌ただしさと不穏な気に、なかなか眠れない日が続いていたが、

いつの間にか、ほんのわずか、深く眠っていたらしい。



身を起こし、ふと、視界の端に入ってきたものに気を取られた。



 「………。」



寝所を囲む几帳の向こうの控えの間、その中央に何かが置かれてある。



鬱陶しさに、ひとりの女房も侍らせておらず、立ち上がり、自らそれを確かめに行った。



 「………。」



一輪の、野の菊。



紫色のそれを、淀君はそっと拾い上げ、小さく微笑んだ。











大坂から関までの、2日の道のりをサンジは1日で駆け抜けた。

さらに、関の城を横に見て、サンジは麦の里へ走る。

新しい里ではない。

古い方の麦の里だ。

すでに砦が出来上がり、女子供、老人たちはすでに秋水の麦へと移らせた。

病人や、動く事が困難な者たちは関の城へ入れ、幾人かの若い男たちも城の守護の為に共に移った。

他の里からも、城を守る若者たちや、軍役の無い者たちが集まっている。



関の城

ミホークが出陣し、ゾロもいなくなった今、この城を守る先陣に立つのはチョッパーだ。

チョッパーは、本丸の自室で、誰にも手伝わせずに甲冑を身につけた。



 「…すごい…ひとりで着られるなんて…。」



たしぎが驚いて目を丸くした。

チョッパーは事も無げに



 「戦の支度だからね。ひとりで早く着けられるようにって、兄上が特訓してくれたんだ。」

 「……義兄上様と義父上様…戦場で会われたら……。」

 「戦うよ。」

 「………。」

 「あの2人だもん。きっと、すんごく嬉しそーに斬り合うに決まってる。」

 「え?」



青ざめるたしぎにチョッパーは笑い



 「…和道一文字…もらえなかったね。」



たしぎは、一瞬ぐっと唇を引き結んだが



 「義兄上は帰っていらっしゃいます。」

 「………。」

 「あきらめません。和道一文字は必ず戴きます。」

 「…形見で戻ってくるかも…。」

 「どうしてそう、不吉な方向ばっかり行くの!?意地悪!!」

 「あー、ごめん!!泣かないでたしぎ!!」



帰ってくるもん。



父上も兄上も。



そうしてみんなで、もっかい大きな口あけて笑うんだ。



その時は、“サンジ”も一緒に笑うんだから。





全てのものを大切にしたい。



幼い夫婦ではあるけれど、芽生えている確かな愛情。





この子を泣かせない。

おれがずっと、この子を守っていくんだ。

兄上にも負けないくらい、強くなるんだ。





 「申し上げます!!」



城代家老が駆けこんできた。



 「何事か!?」

 「日之出の木下延晴の軍勢が、北街道の国境に攻め寄せて参ります!!」

 「来るか…!」



日之出・木下家

ゾロが滅ぼし、命を落とした壇後の当主の実家である。

毛利の領土内の、日之出という地域を与えられている小大名だ。

ミホークが、東に参じることが明らかになれば、毛利方の国が、この混乱に乗じて攻め寄せてくる。

それは誰もが予想していた事だった。



 「若君!!」



別の家臣が



 「申せ!!」

 「西国街道を越え、旻長軍が、赤水川を渡りました!!麦の里へ向かっております!!」

 「……!!」



数え年10歳のチョッパーに、この事態はあまりに重い。



だが



 「日之出勢の数は!?」

 「およそ2000!!」

 「将達を広間に集めて!」

 「はっ!」



チョッパーは、いつもは父か兄が座す席に、諸将を集めてどっかりと腰を下ろした。

小さな体がどれほど虚勢を張っても、それには限界がある。

しかし



 「みんな、聞いてください。」



諸将は、真摯な眼差しで小さな若君を見た。



 「…おれは、これが初陣。父上も兄上もいない今、おれが皆の上に立たなければならない事を、とても不安に思っている事は十分わかる。」



答えはない。

沈黙の肯定。



 「おれも怖い。とても怖い。」

 「………。」

 「けど、おれはがんばるから…父上が帰ってくるまで、絶対にこの城を、この国を、誰かに渡す訳にはいかない!!

 だからみんな、おれに力を貸してくれ!!おれは弱い!でも、おれにはみんながいる!!みんなを信じて!頼って!

 みっともなくても勝ってみせる!!おれに、力を貸してください!!」



チョッパーは、上座からではあったが頭を下げた。



その姿に、



 「当たり前だ!!」



叫んで、立ち上がった戦装束の青年。



 「ルフィ…。」

 「心配するなチョッパー!!お前には、これだけの奴らがついてる!!みんなお前の仲間だ!!」



隣の若い将も立ち上がり



 「若君!!我ら全身全霊をもって!!」

 「お力になり申そう!!」

 「ご安心めされよ!!お屋形様のお帰りまで、決して関は崩れませぬ!!」

 「これだけのもののふがおれば、ゾロ様の代わりになれましょう!!」

 「若君!!お下知を!!」



チョッパーは、にじむ涙をのみこんで



 「ありがとう!!」



ルフィが言う。



 「チョッパー!!命じてくれ!!大将はお前だ!!」



うなずき



 「北街道に兵1000を送れ!!民を大館城の柵に逃し、門を閉じよ!!

 日之出軍が桑折川を越えるのを待て!敵が川を越えたら、桑折の谷の上より一斉掃射をもって策とする!!

 伝令に伝え、全権を1000人頭山口勝平太に預ける!!」

 「委細承知!!」

 「ルフィ!!」

 「御前に!!」

 「麦へ戻り、その地の兵をまとめこれにあたれ!!兵300を与える!!麦の里は奪われちゃいけない!!」

 「わかってる!!」

 「矢尾一樹乃介!!」

 「これに!」

 「ルフィに従い、麦の防衛に迎え!」

 「は!」

 「平田炊部守広明!!」

 「これに!」

 「東の国境の兵を、裂く事は出来るかな?500、北の防御に回したい。」

 「…東は、家康方。大事ございますまい。不安であるなら、少々“鼻薬”を使います。」

 「頼む。急いで!」

 「お任せを!」

 「こちらは少数、なら頭を使う戦をする!!負けない!!絶対に!!」



ずっと、チョッパーの様子を見守っていた、たしぎとロビンとナミは、心の中で大きな拍手を送った。



関は大丈夫。



結び目の固い紐は、簡単に解けることはない。



 「たしぎ。」

 「はい、殿!」

 「…これから、どんどん避難してくる民が増える。任せていいね?」

 「はい!」



ロビンもナミも、手をついて頭を垂れた。





そのまま、チョッパーは上座に戻り、でんと腰を据えて動かなかった。



少し、膝が震えていたけれど。















サンジ達が、麦で必死に“氷雨”を打っていた頃に江戸城を出た徳川家康は、9月14日、赤坂・岡山の本陣に入った。



関ヶ原



現在の、岐阜県不破郡関ケ原町にある、三方を山に囲まれた広大な平原。

徳川方38000、石田方62000の兵が戦うのだ。

半端な広さの戦場ではない。



今、石田方と言ったが、正確には、西軍の総大将は毛利輝元であるので、毛利方というのが正しいかもしれない。

あるいはやはり、豊臣方というべきか…。



ゾロの舅の毛利輝元は、この立場的には弱い戦の総大将を引き受けた。



秀吉への恩義を感じてというより、やはり、台頭する家康に敵愾心を燃やしての事であっただろう。

しかし総大将輝元は、秀頼を守ると言って大坂に残り、養子の秀元を関ヶ原へ送った。

毛利三家のひとつ、吉川家の当主広家を参謀につけた。

吉川広家は、輝元秀元親子の信任が厚い。

輝元は、叔父隆景亡き後、この広家を最も頼りとしていた。

もうひとつの毛利三家、その小早川家は、秀吉の甥・秀秋に乗っ取られ、輝元は急速に広家への信頼を深めて行った。



その広家が



家康に内応しているとも知らず。















ゾロが大坂を出てから、不破の関に差し掛かる頃。

雨が降り始めた。



秋の雨は静かに降る。



そぼ降る雨は、少し冷たい。



だが、“氷雨”というには暖かな雨だ。







続々と集まる諸国の軍。

関ヶ原に到着し、ゾロは松尾山の麓に陣を置いた。

右に小早川秀秋が布陣した、松尾山。

左に石田三成が布陣した、笹尾山。

正面に、家康が布陣した桃配山。

その背後に、家康を見下ろす南宮山に毛利秀元。

桃配山を背にした平原に、東軍、向かい合って西軍が布陣。



ゾロの関軍が、そこを布陣地に選んだのは小早川の陣が近い事と、

三成の盟友大谷吉継がそれを望んだことが理由である。



関の虎の三刀流



その戦いを間近で見たい。



そして、ミホークが、真正面の京極高知と、井伊直政の陣の間に布陣していた。



真っ直ぐ突っ込めば



父と刃を交えられる。







後に、明治時代に軍事顧問として来日したドイツ人、メッケルは、

この関ヶ原の布陣図を見て即座に西軍・豊臣方の勝利を断言した。

しかし、三成の敷いた見事な鶴翼の陣は、その翼の付け根の深い部分に、大きな傷を負っていた。

その部分に、多くの内応者を抱えていたのである。



夜が明けた。

しかし、雨上がりの濃い霧が辺りを覆い、様子が全く見えなくなってしまった。



長い対峙



だがどちらも動かない



桃配山に家康



笹尾山に三成



恐ろしいほどの静寂の中





一発の銃声が響いた。



間髪をおかず、一斉掃射の音。



同時に、わぁっと雄叫びが挙がる。



気の動きに、霧が流れた。



東・井伊の小隊と、西・宇喜多の先鋒が衝突した。



 「どこじゃ!?」



家康が叫んだ。



 「押し出せ!!」



三成が叫んだ。





慶長5年9月15日午前8時

史上最も有名な戦い、関ヶ原の戦いの火蓋が切って落とされた。







宇喜多隊の南にいた大谷隊が、吉継の号令一下、どっと前へ繰り出す。

この時、死の病に冒されていた吉継は、この戦いで死ぬ事をすでに定めていた。

死を恐れぬ者は、無謀ともいえる特攻を仕掛けて、どんどん前へと軍を押し出していく。

だが、吉継はただの無謀者ではない。

知略に優れ、秀吉をして『大谷刑部に100万の兵を与えて戦わせてみたい。』と、言わせるほどの武将だ。



すぐ隣の大谷隊が、突進していく様を見て、血気に逸った兵が叫んだ。



 「ゾロ様!!我らも!!」

 「…まだだ。……もうしばらく、待て。」



50の兵など、この緒戦の混乱に潰されるのがオチだ。



チラ、とゾロは脇の松尾山を見た。



小早川家の旗が見える。



 (…動く気がねェのか…?)



62000の西軍の内、小早川軍の数は15000。

ゾロは、動くのであれば、小早川軍が松尾山を下った時と考えている。

なのに



 (…妙だ…。)



松尾山が、霧が晴れてはっきりと姿を見せ始めたが、山間に見える旗印は、わずかも動かない。









関の城に、近隣の民がどんどん避難してくる。

奥殿も、天守も、百姓でいっぱいだ。

小隊に襲われ、怪我をしたものは全て広間に集められ、大将チョッパーは戦局の指示を出しながら、治療にあたっていた。



 「…痛み止めだよ、すぐ楽になるからね!」

 「…あ…ありがとうございます…若君…!」



涙を流して、小さな手を握る男に、チョッパーは微笑んだ。



 「殿!薬草を取って参りました!」



たしぎが、両手に草木を抱えて駆け込んでくる。

どれもみな、チョッパーが薬草園で育てたものだ。



 「これは煎じて!これは擦って!これは絞って小麦粉と油と混ぜて、きれいな布で湿布して!」

 「はい!」

 「若君!!」

 「言って!!」



手を止めずにチョッパーは叫ぶ。



 「日之出軍2000!桑折川の手前でおよそ500を討ち取りました由!!」

 「500!?少ない!!…勝平太は何をしてるんだ!?」

 「追撃しましたが敵の後軍に阻まれ、及ばず、設楽の柵まで下がりました…

 このままでは1500が麦へ押し寄せます!!」

 「………っ!!」



城を出たルフィが、麦へ間に合うかどうか。





ルフィが率いる300の兵は、殆どが山間部の出身者で、山や谷を幼い頃から駆けてきた者ばかりだ。

麦の出身者も多くを占め、彼らは必死で関の要、麦の里へ向かってひた走る。

その300の軍勢の中、率いるルフィの傍らに、一陣の風が吹き抜けた。



 「!!?」



 「ルフィ!!」



 「サンジ!!」



サンジだ。

ルフィの隣を駆けながら、サンジは叫ぶように問う。



 「戦況は!?」

 「どこのどいつか知んねェけど、2000!!桑折川で食い止めてる筈だ!!…けど…!!どんだけ倒してくれたか…!」

 「…2000…ヤべェな…。」

 「サンジ!!ゾロに刀、渡したか!?」

 「ああ、ちゃんと渡した!!」

 「よかった…!!」



ルフィは笑い、速度を速めた。



 「ルフィ!!急ごう!!」

 「おう!!」







関ヶ原



敵味方押し合い、鉄砲放ち矢さけびの声、天を轟かし、地を動かし、黒煙り立ち、日中も暗夜となり、敵も味方も入り合い、

しころ(錣)を傾け、干戈を抜き持ち、おつつまくりつ攻め戦う― 



『信長公記』の著者と言われる大田牛一は、関ヶ原の緒戦の乱戦をこう記している。

鉄砲や大砲の黒煙に、日中でありながら薄暗く、敵味方入り乱れた混戦であった事がわかる。

開戦から2時間。



石田三成本陣



 「毛利、小早川、島津はまだ動かぬか!?狼煙を上げよ!!使者を送れ!!すぐさま参戦せよと申し伝えよ!!」



西軍で、戦闘を行っているのは、石田三成、宇喜多秀家、小西行長、大谷吉継の33000の兵だ。

対する家康軍は総力を挙げてこれに当たっている。

西軍の方が、地形的のも有利な位置にあり、ここで、脇の小早川軍、家康背後の毛利軍、長宗我部軍が一斉に襲いかかれば家康はひとたまりもない。



なのに



徳川家康本陣



 「…ええい…小早川や脇坂は何をしておる…!動かぬか!!」



今、豊臣方で必死に戦っているのは、本当に太閤秀吉を慕っていたものだけだ。



晩年の秀吉に疎まれたもの、今までの忠孝を無視し、三成や淀君、その他の側近の台頭に誇りを傷つけられたもの。

計算で、家康についたもの。

おもねるもの…。



前線へ出て行きたい毛利秀元、長宗我部盛親らは、毛利の参謀吉川広家の術中にはまり、まったく軍を動かせないでいた。

父輝元がお人好しなら、養子秀元も輪をかけたお人好しであったかもしれない。



毛利元就は、兄弟の結束と一族の絆を強く望んでいたが、ここにいたり、それが仇となったのだ。





開戦から三時間。

いまだに小早川軍は動かない。

小早川本陣では、当主小早川秀秋が、この期に及んでその姿勢を決めかねている。



話に聞いていた通り、脇坂も朽木の軍も動かない。

毛利軍も動きを見せない。

あの、島津軍も、西軍にありながら素直に三成の下知に従おうとしない。

見下ろす戦場の有様は無残で、次々ともたらされる状況の変化と、家康三成双方からの催促に、完全にパニックを起こしていた。



動かない小早川軍。



ゾロは、激しく舌を打つ。



埒が明かねェ



内心で吐き捨て



 「ブルック。」



呼ぶと、骨だけの身を甲冑に包んだブルックが



 「ハイ、ゾロ様。」

 「…次に大谷隊が押し出す時、おれ達も討って出る。」

 「小早川を待たないのですか?」

 「…おそらく…待っても動かねェだろう…胸騒ぎがする…嫌な気配がビンビンくるんだ。」

 「かしこまりました!」



ゾロは、もう一度松尾山を見た。



 「………。」







(2009/10/8)



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