BEFORE







虎と鷹の激突に、一瞬周囲の将も兵も立ちすくんだ。



両陣のすぐ側で、その激突を目の当たりにした大谷吉継が叫ぶ。



 「兵らよ!!この様をとくと目に焼きつけよ!!」



その時だ



ダダダダダダ――――ン!!!



遠く、火薬の爆裂音が響いた。

異様なその音に、瞬間ゾロもミホークも目を同じ方向に向けた。



松尾山



だが、それは一瞬。

鍔迫り合い、打ち合いながら



 「…見慣れぬ刀だな、ゾロ。」

 「…サンジが打った。」

 「………。」



見慣れぬ刀ではない。

ミホークは、ゾロより先にこの刀を見ている。

美しい刀だと思った。

妻と、あの男と、サンジの、燃えるような魂を、映しとったような刃だと思った。



 「あの、玉鋼だ。」

 「…銘は?」

 「“氷雨”。」

 「善き名だ。」



笑い、ミホークは黒刀を振るう。

力で押す剣ではない、まるで、舞でも舞うかのような軽やかさ。

互いに本気。

剣を合わせ、互いに、確実に相手の心臓を狙っている。

負ける気など、さらさらない。

“氷雨”は、すでに何年も使い込んだ刀のように、操り手のゾロの意志を組み、

鮮やかにミホークの刀を受け、流し、競り合う。



この鋼に、全ての想いが籠っている。



ゾロ自身の、サンジの、父の、母の、ルフィの父の、全ての想い。



黒刀が空を舞う。



氷雨が、閃光を放つ。



ゾロの熱を吸収し、そのエネルギーを、氷雨は刃から放出する。

すさまじい熱気が、頬を焼く。



 「…強くなったな、息子よ。」

 「…思ってもいねェ世辞を言うんじゃねェよ!」

 「…そんな事はない。」



ゾロの刀を受けながら、ミホークは言う。



 「お前は本当に強くなった。」

 「………。」

 「お前を強くしたのは氷雨…サンジだな。」

 「………。」

 「それが強さだ。若き力よ。」



剣の腕は



まだ、この父に敵わない。







その時だ



わああああああっ!!



大地がどよめいた。



 「ゾロ様!!お屋形様!!」



ブルックの声だ。



ゾロとミホークが同時に叫喚の方角を見ると



 「!!」

 「!?」



松尾山から、どっと押し寄せてくる大軍。



 「小早川!!」



小早川が動いた!

瞬間、ゾロとミホークが同時に思ったのは、この一騎打ちを中断される悔しさと



 「どちらに来る!?」



駆け下る小早川軍。

大谷軍の伝令が、ブルックの元へ駆けこんできた。



 「小早川叛心!!」

 「なんですと…!?」



同時に、ミホークが身を翻した。



 「親父!!」

 「…これまでだ。」

 「待て!!この野郎!!戻ってきて戦え!!」

 「無益。」



あっという間に、ミホークは戦塵の向こうに消えた。

兵が、ゾロの馬を引いて駆け寄ってくる。

それにブルックが馬首を揃え



 「陣立てを整えください!!小早川秀秋が裏切った!!大事です!!」

 「わかってる!!…あの野郎…まさかとは思ったが…!!」



大谷軍の伝令が叫ぶ。



 「ゾロ殿!!我が主君が、当方の陣にて参戦を望んでおられます!!」

 「承知と伝えろ!!……一旦、宇喜多軍の後方に下がるぞブルック!!」

 「御意!!」

 「…どの位欠けた…?」



50名の兵。



 「…ご安心を!ひとりも欠けてはおりませぬ!!」

 「上出来!!」



馬首を返し、宇喜多家の中軍と入れ替わる。



その時、雑兵のひとりの刀と、腰のゾロの氷雨がぶつかった。



混戦だ、こういう事もある。



だが、ゾロは、すれ違うその雑兵の顔を見ようと思った。



何故か思った。



 「………。」



その雑兵も、振り返り、馬上のゾロを見上げた。



目が、合った。



 「………。」



 「………。」



混乱の中



 「……名は?」



ゾロが尋ねると、泥まみれの兵が答えた。



 「新免武蔵。」



落ちつき払った声。



その眼は



殺気すら含んでいる。



 「………。」



 「………。」



 「…しんめん…たけぞう…。」



 「………。」



雑兵は、側にいた仲間らしき男に促され、混戦の中へ飛び出していった。



新免武蔵



後に名乗る名は、宮本武蔵。







 「虎殿!!」



輿の上に坐した行人包みの武将が、ゾロの姿を見て叫んだ。

大谷形部吉継。

この戦いに参加した西軍武将の中で、もっとも純粋に三成に心を寄せ、豊臣に殉じようという清冽な武士だ。

だが、惜しむらくは



 「…病み崩れた面、晒すをしたくないのでな…このままで失礼する。」

 「構わねェ。」



死の病に取りつかれた、悲運の将。



吉継の病はハンセン病。

昔日、秀吉の小姓であった頃は美貌であったと言われるその顔も、病に侵され見る影もなく崩れている。

しかし、石田三成はこの唯一無二の友、吉継を疎まなかった。



三成と共に秀吉に可愛がられ、三成との友愛深く、この戦にも、本当は親家康派でありながら三成の為に馳せ参じた。



この戦で、死ぬことを決めている。



 「…先ほどの、父君との一騎打ち、見事であった。」

 「勝負の着いてねェ一騎打ちだ。褒めてくれるな。」

 「だが、黒刀を抜かせた。…昔それがしが一騎打ちを申し入れた折は、

 おもちゃの様な小刀でのみしか相手をしていただけなかった。

 例え、実の息子であろうとも、あの鷹の目が妥協をするとは思えぬ。うらやましい。」

 「………。」



叫声に、ゾロと吉継は顔を上げた。



 「…やはり裏切ったか…秀秋め。」



ゾロが言うと、吉継は



 「推して知るべし…無理もあるまい。」

 「………。」

 「だが、許せぬ。」

 「…討つか?」

 「………。」



吉継は、咳き込みながら



 「…人の情はわかる。しかし、武士の志においては許せるものではない。」

 「………。」

 「虎殿。残った我が軍、そちらにお預けいたそう。」

 「…何?」

 「……思う存分戦われよ。」

 「………。」

 「三成の無念、わかってやってほしい。」



吉継は、血と膿に濡れた唇を拳で拭い。



 「…最愛の奥方を、斬られてまで参陣されたとか…お悔やみ申し上げる。」

 「………。」



喚声が沸いた。

横っ腹から、小早川軍が松尾山から攻め下ってくる。

真っ直ぐに、大谷隊を目指していた。

呼応するかのように、脇坂・朽木・赤座などの軍も、叛旗を翻して襲いかかってくる。



この様子を、三成は笹尾山から見てとった。

だが、どうにもならない。

必死に戦っているのは、大谷・宇喜多・小西の軍だけだ。

眼前の島津は、積極的に前へ出ようとしない。



大谷隊は敵に腹を晒してしまった。

援軍は望めない。

もう、終わりだ…。



 『…殿下に笑っていてほしかった。それだけだったのにな…。』



三成



お前の間違いは、秀吉しか見ていなかった事だ。



秀吉ひとりの笑顔の為にお前が奪った多くのものが、お前の運命を決めたのだ。



ただひとつの愛する笑顔。



その笑顔は、己ひとりの幸福では輝かないのだ。



 ( …サンジ…。 )





待ってる。





その声が、耳の中でこだまする。





圧倒的な数の兵の前に、大谷軍の兵が次々と倒れて行く。

背後の宇喜多・小西も疲労の色が濃い。

救いの手はない。

小早川軍の裏切りで、戦局は一気に家康に傾いた。





 「…もう、よい…。」



吉継は、輿の担ぎ手たちに告げた。



 「降ろせ。」



担ぎ手たちは、息を切らしながらも首を振る。

誰ひとりとして、命令に従うものはなかった。



 「…潔くさせてくれ。惨めな敗北はしたくないのだ。」



泣きながら、担ぎ手たちはそっと輿を下ろす。

跪き、涙し、なかなか吉継の側を離れようとしない。



 「…落ち延びれるものは落ち延びよ…もはや勝敗は決した。無駄死には許さぬ、行け。」



吉継は、つぶやくように



 「虎殿。」



喧噪の中。

吉継の家臣たちは、主君の最期の時を守ろうと必死に戦っている。

輿の周りを囲み、襲いかかる敵を必死に切り倒していた。



 「なんだ?」

 「…介錯してくださらぬか?」

 「………。」

 「関の名刀ならば、この上なき誉れ。」



黙って、ゾロは氷雨を振るう。



吉継の目の焦点が合っていない。

もう、目も見えなくなっているのだ。



 「…虎殿、この首…。」

 「安心しろ。誰にも渡さねェ。」

 「かたじけない…。」

 「………。」

 「五助。」



呼ばれて、ひとりの家臣がまろび出る。

泥だらけの頬を、涙に濡らして。



 「後は頼む。」



答えはなかった。



大谷吉継、切腹。

首は、家臣の手によって、関ヶ原の、いずこかの地中に埋められた。



大谷隊の壊滅に連座するかのように、宇喜多・小西両軍もなだれ込むように敗走していく。

もはや、関ヶ原を走る統率された西軍は、ゾロの率いる関軍以外にない。

生き残った西軍はほとんど動かず、そのまま撤退を始めている陣営もあった。



関ヶ原のど真ん中に取り残されたゾロ達は、周囲全てを東軍に囲まれてしまい、絶体絶命の窮地に陥った。



 「…さぁて…どうする?ブルック?」

 「ヨホホホ!?ワタクシにそれをお聞きになる!?…逃げましょう、ワタクシ怖いです。」

 「そうだな、そうするしかねェな。」



あっさりと、ゾロは言った。



 「では、背後の北国街道を京へ向かって!!」

 「いや。」



ゾロは、氷雨の切っ先をすっと上げて、一方向を指差した。



 「……これ見よがしに、南宮山の毛利の本陣脇を抜けてやる。」

 「はぁああ!?毛利の本陣って…!家康の背後ですぞ!!?

 そこへ辿り着く為には…家康の本陣を真横に突っ切る形に…

 …って、まさかゾロ様―――っ!?」

 「………。」

 「そこに行くまでだって!!家康方の軍がワンサカワンサとおりますのに―――!!」

 「怖ェのか?」

 「怖いです――!!」

 「そうか、怖いなら大丈夫だ。」

 「はぁ!?」

 「…怖い方が生き延びられる。余計な戦いは避けて行くだろうからな。」

 「…ゾロ様…?」

 「真っ直ぐ……秀元の陣を目指せ。」

 「ゾロ様!!?」

 「…全員、何があっても真っ直ぐだ。」

 「ゾロ様!!」

 「ブルック。」

 「!!」

 「…必ず、生きて関へ…麦の里へ戻る。」

 「あの野郎にそう言っといてくれ。」

 「何をお考えです!!?おやめください!!」

 「…なにも言ってねェが。」

 「わかります!!ゾロ様が、今何をお考えか!!」



ゾロは笑って



 「……へェ、まったくスケベな骨だよな。」



言い放ち、馬腹を蹴った。



 「ゾロ様ぁぁ――――――――っ!!」



戦塵の向こうに、ゾロの姿はあっという間に消えて見えなくなった。









“ゾロ”



“天下を取ってしまえ”













(2009/10/14)



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