BEFORE 普段の言動や、無作法さやぶっきらぼうな所が、ゾロという人間を『冷たい男』 『武骨者』『情の薄い人間』と評価する。 だが、本当のゾロは 誰より情細やかで、優しく、義理堅い。 麦の里でのびのびと暮らした幼児期、幼いなりに覚悟して城に入ったものの、 いきなりあらゆる事に縛られる暮らしに押し込められて、ゾロは、人の心の機微に敏感になった。 長宗我部家から嫁いできたチョッパーの母に対しても、ゾロは、その細やかなしかし不器用な情で接し、 だが義理の母はゾロの“無理”加減に気づいていた。 優しい義母は、そんなゾロを慈しんで、本来の明るさと快活さを引き出してやったが、 備わってしまった性格は、なかなかに治るものではない。 関の後継はチョッパー。 自分は陰に徹する。 自分は政治に向いていない。 麦の暮らしの方が性に合ってる。 大国から押しつけられる嫁。まぁ、可愛がってやるさ。 お前が慈しんでやりゃあいい。 自分を押し通すふりをしながら、そのくせ、誰よりも周囲を気遣う。 そして、一度縁を結んだ相手を、彼はとことんまで愛した。 人の温もりのありがたさを、誰より知っているからこそ、人の懇願を拒めず、 人の想いを否定しきれず、生きる事に絶望した者を救ってやりたいと思う。 誰もが、幸福になる道を探る愚か者。 それが無理なら、ただひとつの望みくらいは叶えてやりたいと願う、 だから強さを望み、その高みを目指して戦ってきた。 毛利を頼む そなたに託したい 氷雨という名は、幼くして死んだ、わしの娘の名だ ゾロ 天下を取ってしまえ 三成の無念、わかってやってほしい 待ってる ゾロ 待ってる 自分の馬鹿さ加減にゾロは笑う。 果たしてやる義理のない願いがいくつもある。 果たさねばならない約束はただひとつ。 なのに 義理だけではない 戦いたいのだ 己自身の意地 思う存分戦われよ 今、ゾロの脳裏を駆け巡るのは、吉継の言葉だけかもしれない。 再びサンジと生きて見(まみ)えたいのならば、ブルックの言う通り、 いますべきは反転して逃げる事なのに、なぜ自分は今駆けている? もっとも 敵に背を向けて逃げ出したら、例え生きて帰っても 『はァ?敵にケツまくって、逃げ帰って来たって?みっっっともねェ!!』 人を見下して、鼻で笑う顔が目に浮かんだ。 だから、死ねない。 開戦から6時間 すでに勝敗は決した。 大谷軍壊滅、宇喜多秀家軍、小西行長軍総崩れの上、敗走。 石田三成も、秀頼を擁し軍を立て直す為、戦場から脱出。 もはや、平原を蠢くものは、敗残兵を狩る略奪者のみ。 家康の背後にいた毛利秀元は、ここに至って初めて吉川広家の裏切りを知った。 烈火のごとく怒り、広家を斬り捨てんばかりの秀元を周りが止めた。 もはや世は家康のもの。 唯一のパイプとなる広家を、殺してしまっては元も子もない。 広家自身、毛利本家を生き残らせるための裏切りだ。 今はただ、この場を脱出するのみ! 毛利軍が動いたことで、その背後の長宗我部軍も動いた。 毛利軍に阻まれて出陣できなかった長宗我部は、まったく戦わずして関ヶ原から逃走する羽目になった。 そしてもう一つの西軍の大大名島津。 豊臣方につき、石田三成の要請に応じて参陣したものの、三成の横柄さと、 総大将が毛利輝元という不満から、再三の要請にも応じず宇喜多・小西の後に続かなかった。 結果、こちらも戦わずして、関ヶ原のど真ん中に置き去りにされた。 脱出するにも、後方の街道はすでに多くの敗残兵で埋め尽くされている。 山にバラバラに逃げても、残党狩りに狩られるだけだ。 それならば 「真正面たい!!」 藩主・島津義弘は叫んだ。 「この関ヶ原を突破し、家康本陣の前を突っ切っち!南宮山の麓を東に抜ける他、道はなか!! このまま敗走し、背中を向け、世と後世の誹りを受けるくらいなら、家康に薩摩の意地!!見せてくれよう!!」 どよめきが起きる。 史上最大の脱出劇。 世界のどの戦争史をめくっても、他に類のない、前代未聞の敵陣正面突破が始まった。 島津軍1500 家康本陣前へ、怒涛のように押し寄せ始める。 家康にしてみれば、伏見城の鳥居元忠を討った憎い島津。 その島津軍が、目の前を駆けて行こうというのだ。 「なんと、不埒な!!ひとりも討ち漏らすな!!皆殺しにしろ!!」 『薩摩の捨て奸り』と後世に言う。 鉄砲隊が敵前に坐し、向かってくる所を狙い撃つ。 当然、その鉄砲隊はすぐに押し潰されるが、時間は稼げる。 その間に、味方を少しでも遠くへ逃がす。 決死の作戦。 味方はどんどん減っていく。 涙を振り払いながら、薩摩隼人は必死で駆ける。 「お屋形様ひとりを逃がせればよか――!!」 「ならん!ひとりでも多く国へ帰るんじゃあ!!家康に、薩摩の意地を示せぃ!!」 馬上の武者が至る所で叫ぶ。 「我は島津義弘!!」 「我が義弘也!!」 「義弘が首、獲って手柄とせよ!!」 身代わりとなって、倒れて行く家臣。 と 敗走する薩摩軍、本物の島津義弘の脇を、何かが駆け抜けた。 「なんじゃ…!?」 「義弘ォォ!!」 突きだされる槍、義弘が思わず手綱を引いた瞬間、目の前で血飛沫が舞った。 自身のそれではない。 襲いかかってきた敵の血だ。 自分は何もしていない。 馬上の武者が、仰向けにどうっと倒れる。 「!!?」 その向こうに、兜を失ったのか、面を晒した馬上の緑髪の剣士。 「………!!」 両手に刀。 口にも刀を咥えた、全身血みどろの剣鬼。 「…お主は…。」 鬼は、義弘に一瞥もせず、真っ直ぐに、前方の山に向かって駆けだしていった。 「あれは…まさか…!!」 何者か。 だが、聞いた事がある。 3本の刀を駈る虎。 駆けて行くあの方向…。 しかし、惑いは一瞬だった。 義弘はその後、無事薩摩の地を踏む。 しかし、1500の兵は、わずか60に減っていた。 薩摩の敗走をもって、関ヶ原の戦いは幕を閉じた。 かに見えた。 天下を決する戦いは、わずか1日で終わった。 開戦と同時にあがった雨は、終わると共にまた降り出した。 雨の戦場に、まだ剣戟と火薬の音がする。 「伝令を集めい、状況を知らせよ。」 「はっ!」 混乱が続く本陣。 家康が、大きく肩で息をつく。 目をこすり、目を瞬かせた。 その時 「殿ォ!!」 悲鳴が挙がった。 反射的に、家康は声の方向へ振り返った。 「!!?」 「うわぁぁぁぁっ!!」 「殿!!」 「家康公!!」 どこから? 誰にもわからない。 それは、騎乗のまま幕内に飛び込んできた。 黒い甲冑、泥だらけの手足。 だが、鮮やかな緑の髪。 腰に3本の鞘、収められているのは2本。 右手に、わずかに紅色に光る刀。 その切っ先が 家康の目の前にあった。 「………。」 「………。」 恐ろしい沈黙 誰かが、何かが、音を発したらこの均衡が崩れてしまうような恐怖があった。 「………。」 「………。」 わずかに、家康は震えていた。 そぼ降る秋の冷たい雨が、家康の全身を濡らす。 三河の小さな大名に生まれ あちらへ こちらへ 人質として、身を縮めながら育った 母の温もりを知らず、父の背中を知らず ただ1人憧れた、兄の様な友は、炎の中で散っていった 耐えて 耐えて 耐えて 耐えて 耐えて 耐えて 耐えて ここまで来た 来れた それなのに 「…まだ…死にとうない…。」 「………。」 「…死ぬわけには…いかぬ…。」 「………。」 不意に、この均衡のはざまに影が躍り出た。 「!!」 「直勝…!!」 井伊直勝 たしぎ姫の実の父 直勝は、首を横に振った。 懇願する目で、首を振り、何度もうなずく。 「……たしぎは元気だ。」 「………。」 「いい子をくれた…おかげでみな…毎日が楽しい…いつか…おれに勝ったら、刀をやると約束した。」 「………。」 「…感謝する…。」 それだけを言い、緑髪の剣士は身を翻した。 甲高いいななきを残して、疾風のように走り去る。 「追え!!追えい!!」 「不届き者!!!斬って捨てよ――!!!」 にわかに騒然となる家康陣営。 だが 「無用!!」 家康が叫んだ。 「しかし、殿!!」 「あれは関の…!!」 「知らぬ。」 家康は、どっと力尽きたように床几に腰を下ろした。 「…追ったら…追った数だけ斬られて終わりだ…あんな大馬鹿者は知らぬ…捨て置け…。」 「……ミホークを呼び詰問を!!」 「…無用と申した…。」 ぞっとするほどの、殺気を含んだ声。 「詰問してなんとする…?十重二十重の旗本を突破し、 警護厳重な家康本陣に殴り込みをかけた馬鹿者は誰だと聞くのか?」 「う…!」 「捨て置け…。」 叫声 怒号 爆音 剣の交わされる音 飛び交う矢 谷あいの小さな里をめぐる戦いはまだ続いている。 関城の、攻防戦も終わらない。 四方の国全てが敵。 混乱に乗じて、一気に襲いかかる敵に、ミホーク・ゾロ不在の関城は必死の体で戦い続けている。 だが、親子が育て上げた兵士らは、容易く討ち破られはしない。 そこに 「この街道から攻め込んできている兵は、人間の本能で、この二つの道の内必ず、右の方へ進むはずだ。 だからこちらに重点を置いて、この場所に弓矢隊を。」 チョッパーの戦いはまさに頭脳プレイで、少ない人数でいかに多くの損害を 相手に出すか、非常に効率の良い戦い方を展開している。 数え10歳の頭脳とは思えない作戦に、家臣たちは一言も口をはさまず、指令を受けるや飛び出していく。 「こちらに展開して!そちらはまだ稲刈りの済んでいない田がある!!」 「大戸の口に寄せる敵は、この策で、東の櫓下におびき寄せて、そこで一気に…。」 見事 と、誰ともなくチョッパーを称える。 「麦からの知らせはない?」 「ございませぬ!」 「………。」 「兵を向かわせますか?」 「…余裕はないよ。待つしかない。」 「…御意。」 ( …義姉上…。 ) 心の中で、麦の里にあるサンジを呼ぶ。 ずっと『義姉上』と呼んできた。簡単には直らない。 『任せるぞ。』 そう言い、頭を撫でるのではなく肩を叩いて、サンジは出て行った。 怖くてしかたがない。 父と兄に、頼りたくて仕方がない。 父も、黙ってうなずき出て行った。 兄は、愛刀“秋水”を自分に託して行った。 「殿。」 声に、チョッパーは我に返る。 たしぎが、不安げな顔で覗き込んでいた。 「大丈夫ですか?お疲れでは?」 「……うん、ちょっと疲れた……でも、大丈夫。」 たしぎはにこりと笑った。 たしぎも、怖いはずだ。 それでも笑ってくれる。 力が湧いてきた。 (2009/10/14) NEXT BEFORE 赤鋼の城 TOP NOVELS-TOP TOP