BEFORE



ゾロが、風光明媚な松島の瑞巌寺で、受難ともいえる(不本意極まりない)修業を始めた3日後。

客があった。

若い侍だ。



 「支倉常長と申します。藩主の命により、関さまに旅の御指南をいたしに参りました。」



顎の細い、唇の小さな男だ。

穏やかにニコニコと笑う笑顔は人懐こく、初対面でもすぐに、心を許してしまいそうな温かさがある。

ゾロが、広すぎる裏庭の掃除の手を止めさせてもらい、喜び勇んで庫裏へ行き、

常長の待つ部屋へはいった時、そこに居たもう1人の人物に、思わず目を見張って声を挙げた。



 「…サンジ!!?」



だが



 「…驚かれるのも無理はございませぬ。関さま、お初にお目もじいたします。

 それがし、伊達家家臣、支倉常長…こちらにおられますのは…。」



金の髪が、さらりと流れて落ちた。



 「…ヌエバ・エスパーニャ副王、ルイス・デ・ベラスコの国使、セバスチャン・ビスカイノの娘、イザベルと申します。」



羅列された身元の半分もゾロには理解できない。

だが、目の前に居るのが人間で、女性であることはいやでもわかる。

身にまとった着物は日本のそれだが、背中を覆う髪も、袖から伸びた腕の白さも、

ふたつの輝く青い瞳も、この国以外で生まれた人種である事を教えている。

流れる髪は、波のようにうねり、白い肌に引かれた唇は花びらの様だ。



その姿を瞬間見て、ゾロがサンジと見間違えるのは無理もなかった。



 「…驚かれましたか?」



常長が尋ねた。

しかし、虎哉和尚が言う。



 「この者の奥方も、“えすぱにや”の血を引いておられると聞く。珍しい生き物ではなかろう。」

 「…ああ…だが…驚いた…。」



素直な感想に常長は笑い、イザベルと名乗った娘は、頬を少し染めてうつむいた。



支倉常長

この名を聞けば、彼がいずれ、政宗の全権を受けてヨーロッパへ旅立つ事を悟るだろう。

当時、仙台には政宗の庇護を受けたヨーロッパ人が幾人か滞在していた。

宣教師のルイス・ソテロ、そしてイザベルの父、ビスカイノもその一人だ。

イザベルは、父ビスカイノが、フィリピン総督から与えられた慰めの女に産ませた子供だという。

日本に至る旅の途上で、生まれたのだと聞かされた。

物心ついた時には日本に居たため、言葉もしっかりとしている。

父は、美しく育ったこの娘を大層可愛がっていて、女好きの政宗が、

ある時噂を聞きつけて逢わせてくれと何度頼んでも、決してうんと言わなかった。



そしてそれはどうやら、政宗がサンジと出会った醍醐から戻った、間もない頃の事らしい。



それまで異人の女に興味は無かったのに、サンジを見て気が変わったのだ。



 「どこまでスケベだ。あの野郎。」



常長が



 「実は、このイザベル殿、航海術に長けておりまして。」

 「航海術?」



初めて聞く言葉だ。



 「船が海を行く為の技術でございます。風を読み、潮を読み、雲を読み…何より、天文学に優れておられます。

 旅をする者にとって、天文を知る事は何よりの知恵でございます。それを、関さまにご教授いたしますため、まかり越しました。」

 「…へェ…。」



イザベルが、わずかに微笑んだ。



 「いずれ、ビスカイノ殿が国へ帰られる時の為にと、努力を続けておられます。

 気象を知る事もなされます。必ずや、関さまの旅にお役に立ちましょう。」

 「それはよい。」



虎哉和尚がうなずき言った。

そして



 「間もなく、虎の檻もできる故、さすれば邪魔も入らず学べよう。」

 「…“檻”じゃなく“庵”な…。」

 「おお!(自分のデコを叩いて)そうじゃった!」



イザベルが、声を上げて笑った。











瑞巌寺は、広い森の中にある。

目の前は松島湾。

波の音が、常に届く。

その森の一角に、政宗はゾロの為に庵を建ててくれた。

その庵で、ゾロは3日に一度、イザベルの講義を受ける事になった。



 「よろしいですか、ゾロ様。山で道に迷われた際は、沢を探して辿れば良いと申しますが、これは正しくはございません。

 沢を伝い、滝に出くわしてしまっては、そこで道は途切れます。その場合は、できる限り山頂を目指すのでございます。

 頂は、文字通り山の天辺。そこまで至り、そこで道を探すのがよいのです。山頂に至れば、必ず道は現れますゆえ。」

 「へェ…なるほど…。だが、その山がとんでもなく高ェ山だったらどうする?」

 「頂が、息もつかぬ高い所にある山は稀でございます。山には必ず尾根があり、その尾根の頂に立てばよいのです。

 もし万が一、息もつかぬ、雪深い山であった場合…雪が己の足のふくらはぎまで積もっているような場所が多いと見たならば、

 この際は、沢を探し、下る方が賢明でしょう。」





 「…夜、空を見上げていると、必ず不動の星がありまする。その星がある方向が北でございます。」

 「この国の墓碑は、大概が東南の方向を向いておりますので…。」

 「雲を目印にしてはいけませぬ。」

 「この季節、陽は必ず…。」





イザベルの知識は豊富だった。

しかも教え方がうまく、熱心だ。

時折、冗談や脱線もするが、それが面白く、こんな師だったら自分ももっと学問好きになったかもしれないとゾロは思った。



何より、ゾロが大人しくイザベルの講義を受けているのは、目の前にある金の髪に安らぎを覚えるせいかもしれない…。



いやいや!



一日も早く、関に帰りたいからに決まってるだろうが!!



何勝手な注釈つけてんだ!作者!!





……否定するところが怪しい。





 「何だとクラァ!!?」



ゾロの雄叫びに、イザベルは目を丸くして驚いた。



 「いかがなされましたか!?」

 「…あ、い、いや…何でもねェ!」



だが







サンジと離れて2年が経った。



すぐに帰るはずだったのに



自分の限度を知らない迷子癖に、ほとほと呆れかえる、腹が立つ。







瞼を閉じればサンジの顔が鮮やかに浮かぶ。

思えば、最後の夜の姿態がよみがえる。

自分の腕の中で乱れて、必ず帰れといった声が耳の中で響く。



なのに



なんだってこんな…。







ふと眼を上げ、目の前の青い瞳を見る。



 「………。」



よく見ると、サンジの方が濃い青をしている。

イザベルの青は、空の様な色だ。



 「……あの…ゾロ様……。」

 「…あ?」

 「…お顔が…近うございます…。」

 「え?」



気がつけば、身を乗り出してイザベルの顔を見ていた。

真正面から遠慮なく。

イザベルの白い頬が、桃色に染まっていた。



 「ああ、悪ィ。」



悪気もなく、ゾロは居住まいを正す。



 「………。」

 「ん?」

 「あの…。」

 「なんだ?」



イザベルは、意を決したように



 「あの…亡くなられた奥方様のお名前は…?」



サンジが生きている事を知っているのは、ここでは政宗と景綱だけだ。

虎哉にすら言っていない。



 「氷雨だ。」

 「氷雨…綺麗な名前…。さぞ…美しいお方だったのでございましょうね…。」

 「まぁな。」



さらりと言ってのける。



 「…国へ戻られて…改めて…奥方様を持たれるおつもりは…?」

 「無ェな。…おれの女房はあいつだけだ。…あいつが逝く時…そう誓った。」

 「…そうでございますか…。」



少しうつむいたイザベルに、ゾロは言う。



 「お前もいずれ、父の国に帰るんだろう?」

 「…はい…。」

 「氷雨の母親も…お前の父と同じ国から来たのかもしれねェ…どんな所か、興味はあるが。」

 「…では…では、一緒に…。」

 「あ?…聞こえねェ、なんつった?」

 「い、いえ…なんでも…!」





その日の講義を最後に、イザベルはゾロの庵に現れなくなった。

窓の外を、白い雪が覆い始めていた。















(2009/10/29)



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