BEFORE



 「…おーおー…こりゃあ豪勢なこった!なんだ?今夜は火祭りかァ?」



甲板に出たフランキーが言った。



サニーを潜めた入り江。

入り江をぐるりと取り囲む崖の上、接岸した岩棚。

岸辺のあらゆる場所に、松明の明かりが揺れていた。



 「…何人くらい?」



ナミがウソップに問う。

ウソップはゴーグルのピントを合わせて答えた。



 「100人くらいかな?」

 「見くびられたもんだな。…神父はいるか?」



ゾロが言った。



 「…いる。あの岩の上だ。」



ウソップが指差した。



 「…あいつはおれがやる。」



ゾロが動こうとした時だ。

ナミが叫んだ。



 「待って、ゾロ!あの連中は確かにこちらへの敵意を示しているけど、

 海賊でも賞金稼ぎでも海軍でもないわ。一般市民よ。」

 「それがどうした?」

 「…信徒達は、神父に唆されているだけよ。」



ロビンが言葉を繋げる。



 「…あなたが倒すのは神父だけ。忘れないで。」

 「………。」

 「刺激して、あの火を船にかけられたら、大変なことになるわ。」

 「…ああ、それだけは避けてほしいな。

 いくらこの船が『宝樹・アダム』から出来ていると言ってもよ。」



ゾロが、明らかに苛立ちを見せた時、岩の上から神父が叫んだ。



 「使徒達よ!あの緑の悪魔を排して、我らの手にセラフィムを取り戻すのだ!!」



その言葉に、ぶっとウソップが吹き出した。



 「緑色の悪魔。」

 「うわぁ、ホントにいそ〜〜〜〜。」



チョッパーが言った。



 「怪獣マリモンだよなァ?」



いとも真面目な顔をして、ルフィが言った。

何かが切れた音がしたが、ゾロはかまわず腰の一刀を差し替えた。

三代鬼徹。

しかし、『悪魔』という言葉に、信徒達は松明を掲げて声を挙げ、サニーを囲む環を縮めた。



 「…信者達は黙らせればいいんだろ?」

 「できる?」



ナミが尋ねると



 「…後の文句は聞かねェ。」

 「え!?ちょ…!!」

 「二刀流居合……!!」



一瞬の、二筋の閃光。



 「羅生門!!!」



サニーから放たれた斬撃は、島民たちの足場を真っ二つに切り裂き、

波動はさらに伸びて神父のいる岩肌までも切り裂いた。



 「うわああああっ!!」

 「ぎゃああああっ!!」



岬の岩場だ。

切り崩されれば波が押し寄せる。

半数の信徒達が海に飲み込まれ、助かった者も必死で崩れた岩場に取りすがり、

どちらの災難からも逃れられたものは、我先にと逃げ出した。



その様子を見、ゾロの背中を見て、フランキーがつぶやく。



 「容赦ねェな…。」



ナミもウソップも、ぶるっと肩を震わせた。



ゾロが愛したのがサンジで良かった。

こんな凶暴な悪魔に愛されたら、きっと身も心も休まらない。

いつかきっと、自分に注がれる想いの深さに恐ろしくなって、逃げ出すことになる。

受け止めて、逆にその深い想いに身を委ねて溺れられるのは、きっとサンジだけだ。



いや、多分ルフィもだろうが…。



 「十輪咲き(ディエスフルール)。」



ロビンの声がした。

見ると、ロビンの手が、傷だらけの神父を岩の間から引っ張り出していた。

壊れた眼鏡が、カシャンと音を立てて落ちる。

岩の上に放り投げられ、それでも神父はゾロを見上げ、狂った眼で何かを叫ぼうとしている。



その時



 「…おお…熾天使…!」



神父が呻いた。

ルフィ達が振り返ると、半裸のサンジが背中の翼を晒したまま、

ラウンジのある2階甲板の上からじっと神父を見下ろしていた。



 「サンジ。」



ルフィが呼ぶと、サンジは咥えていた煙草を唇から離し、ふっと笑うと



 「ゾロ。」



と、呼んだ。

見上げるゾロへ、サンジは言う。



 「受け止めろ。」

 「あ?」



甲板の床を蹴ると、サンジはゾロに向かって飛び降りた。

翼が大きく背中に流れて、まさしく天使が舞い降りたようだった。



 「…おお…!」

 「うわ!」

 「……すげ……。」

 「おおおおお!!!」



神父も、残った信徒達も、仲間もみな感嘆の声を挙げた。

その中で、サンジはふわりとゾロの腕に抱きとめられる。



抱きしめられ、抱きしめて、サンジは笑った。



 「ははは…やっぱ、いつもの感じのジャンプじゃねェな。体が妙に軽い。」

 「いきなりやんな!!」



人々が注視する中、サンジはゾロの首に手を回し、神父をチラリと見た。

そして



 「!!!」

 「え!?」

 「ヨホホホホォ!!?」

 「きゃ…!」

 「うぉっ!!?」

 「わわわ!!」

 「見るなァ!!チョッパァァ!!」



ウソップが慌ててチョッパーの目を覆う。

ナミも驚いて思わず隙間だらけの指で目を覆った。

ルフィでさえ、ビックリして目を丸くした。



サンジが、ゾロに口付ける。

唇を合わせ、舌で舐り、歯で軽く咬みながら、赤い舌の先を尖らせてゾロの歯を割って奥へ射し入れる。



ゾロもまた、サンジの素肌の腰に手を回し、背中の羽をさすり、髪を探り、

何度も顔の位置を入れ替えながら深いキスを交わし続けた。



 「…ちょ…ふたりとも……!」

 「ヨホホホッホホッホオホオオホッホホホオホ〜〜〜!!!」



ブルックがうろたえて転がりまわる。

ウソップはチョッパーの目を覆ったまま、だが、自分はどんぐりビックリ眼で目の前の光景を凝視するしかない。

というか、衝撃が強すぎて目を逸らせない。

ロビンはただ黙って見ているが、どこか呆然とした顔だ。

ナミもフランキーも、飛び出した目が引っ込まない。

2人とも真っ赤だ。

いたって正常なのは、不思議なコトにルフィだけだ。



2人の煽情の姿態は止まらない。

まるで、周りに誰もいないかのように、腕を絡め、足を絡め、腰を寄せ合って、

甘く深い溜め息を漏らしながらサンジは大きく背中を逸らした。

ゾロの顔が、サンジの首に埋められる。

白い歯と赤い舌が、サンジの首から肩へと滑る。



サンジが揺れる度に、白い羽が舞った。



潤んだ青い瞳が、薄く開かれる。

その淫らな目が、神父を見た。



瞬間



 「…ああああああ!!!!あああ――――――っ!!!ああああああああっ!!」



髪を掻き毟り、神父は狂った叫びを挙げた。

泥と、汗と、涙と、傷から流れる血にまみれて、口の端から涎まで垂れ流しながら、

神父はフラフラと立ち上がり、それでもサンジに−熾天使−に手を伸ばす。

周りの数人の信徒達が、口々に叫ぶ。



 「あれが天使様か…?」

 「あんな淫らな天使がいるものか…!」

 「自ら悪魔に抱かれるなんて…あれは堕天使だ…!悪魔だ!!」



 「違う―――!!」



なおも神父は叫ぶ。



 「あれは…天使だ…私が何年も待ち焦がれた熾天使…やっと…やっと…それを…!!」



サンジの胸に頬を当てて、ゾロは神父を見てにやりと笑う。

そして、その頭を両手で愛しげに抱きしめながら



サンジも









笑った。









 「あああああああああああああああああっっ!!!」



その絶叫は、白みかけた空を突き抜けていくようだった。

瞬間、サンジはゾロから離れ、ナミに叫ぶ。



 「ナミさん!!出航してくれ!!」

 「へ…!?」

 「急げ、ナミ!!このまま船出せ!!フランキー!!

 風来(クー・ド)バーストで一気に離れるぞ!!」



弾かれた様にゾロも走り出し、叫んだ。



 「ほえっ!?」

 「チョッパー碇上げろ!!」

 「へっ!?何!?何!?何があったんだ!!?」



ルフィが叫ぶ。



 「出航だァァ!!!」



その声に、ようやく全員が我に返った。



 「あれ…芝居だったのか!?」



ウソップが、真っ赤になったままの頬を叩きながら叫んだ。

ブルックが答える。



 「いえいえ…アレは半分本気です…!」

 「ああああ!やっぱり〜〜〜〜〜!!?」

 「ウソップ!!泣くのは後よっ!!」

 「わかってる!!」

 「もぉ!!ホントに恥ずかしいったらないわ!あの2人――ッ!!」

 「ウフフ…さすがね。」

 「いくぜ野郎共!!風来(クー・ド)……バースト―――!!!」





天使を乗せたサウザンド・サニー号は、日が昇り始めた茜の空へ、

羽のように白い波飛沫を蹴立てて消えていった。

岩の上に呆然と座りこむ、哀れな小羊を残して。











 「信心深さも考えものね…。」



芝生の中央甲板で一息ついた後、香立つコーヒーを味わいながらロビンが言った。



 「…ホントね…優しい気のいい人ばかりだと思っていたけど。」



ナミが深く溜め息をついて言った。



 「…あの神父…自分でサンジを天使に仕立てたくせに、

 本気でサンジのコト天使だと思い込んでたみたいだったな。」



ウソップの言葉にチョッパーが



 「…偏執狂…妄念に取り憑かれて、性格が破綻してしまっていたんだな…

 原因なんかわからないけど。」

 「…哀れですねェ…でも、わかるような気がします…。」



ブルックがつぶやいた。

と、サンジがラウンジから顔を出し、手にしたトレーを掲げて



 「ウソップ、チョッパー、フランキー、ブルック。ほら、お前らの分だ。」

 「あ。サンジ!駄目だよ、休んでろよ!!」

 「大丈夫だよ。ナミさん、ロビンちゃん、すぐに食事にしますからね。」



艶やかに笑い、サンジはブルーのシャツから生え出た翼を翻して中へ消えた。

ウソップが、素朴な疑問を言う。



 「…服、どうしてるんだ?」

 「…背中切って上げたのよ。空けるの大変だったわ。」

 「…あのまま、オールブルー目指すのかな…。」

 「それしかねェだろ…取れねェんじゃよ。」



フランキーが言うと、チョッパーはおもむろに立ち上がり



 「おれ、勉強する。だって、あれって一種の寄生物だよね?

 だったら、いいものなワケないんだ!ナントカして、取ってやらなきゃ!」

 「その方がいいわね。がんばって、チョッパー。」

 「うん!」



チョッパーはそのまま図書室へ駆けていった。

ウソップが、きょろっと周りを見回して



 「ところで、ゾロは?」

 「先ほど、船長さんと船尾の方へ行かれましたが。」



ブルックが答えた。



 「そっか…しかし…ゾロもサンジが絡むと恐ェよなァ…。」









ルフィとゾロ。

ルフィが、ゾロを呼び出すのは非常に珍しい。



ルフィはゾロに対して多くを言わない。

ゾロも、ルフィに対して多くを言わない。



サンジとはまったく別の意味で、ルフィの間では特殊な疎通がなされている。

まるで、心がひとつであるかのように、語る必要もわかりあう必要もなかった。



だから



今回の事で、ルフィがゾロと同じ様に、いやそれ以上に腹を立てているのはわかっているのだ。

そして



 「…置いていけるワケないだろう?」



ルフィが言った。



 「………。」

 「ゾロ。」

 「………。」

 「…おれはサンジが大事だ。でも、お前だって大事なんだ。」



ゾロは目を落として海原を見た。



 「……あの場にいたのはお前1人じゃない。

 だからお前はサンジをおれにつき飛ばしたけど、お前はおれ達に行けと言った……なんでだ?」

 「………。」

 「…お前がいなくなった後のサンジなんか、おれは引き受けねェからな。」

 「………。」

 「そうなったらサンジはきっと、あの眼鏡の神父以上におかしくなっちまう。だから…。」

 「ルフィ…。」

 「最後まで言わせろ。サンジの為に狂うな。」

 「………。」

 「好きでいるのはいい。それでいい。そうなら嬉しい。

 けど、どれほど強く好きになっても……狂うな、ゾロ。」



ルフィの顔は辛そうだった。

ゾロを、止められるのはルフィだけだろう。

だが



 「…ムチャな相談だ…。」

 「………。」

 「…おれは、狂ったままでいい。」

 「ゾロ。」

 「…覚悟しておいていい。おれはいつか、その為に大剣豪にもなれずに身を滅ぼして行くかもしれねェ。

 だが、きっと……後悔はしねェ。」

 「………。」

 「…あいつじゃなきゃ駄目なんだ…お前と旅を始めるまで…おれは独りでいいと思っていた…

 だがあいつを知ったら…もう独りには戻れないと思った…思考も…感覚も…肌も…呼吸も…

 あんなに合う相手は他にはいねェ…あいつじゃなければいらねェ…

 あいつを傷つける人間が目の前に現れたら、おれは誰であろうとぶった斬る。

 それが例えてめェでもだ。…ルフィ、もし…。」

 「………。」

 「おれが、身を滅ぼして堕落した時は、お前の手で殺してくれ。」

 「断る。」

 「………。」

 「なんでおれが、そんな情けねェヤツ救わなきゃいけねェんだ?」



ゾロは笑った。



 「もっともだ…。」

 「…出来もしねェこと言うな。」

 「………。」

 「ゾロは大剣豪になる。おれが海賊王になったら、

 その隣に立つお前は世界一の大剣豪だ!!それはこの先ずっと変わらねェ!!」

 「………。」

 「その時、そこでサンジに笑っていて欲しかったら、絶対に狂うな!!」

 「………。」



ルフィの目に涙が浮かんだ。

ゾロは、その体を引き寄せて抱きしめ、黒い髪をかき回す。



 「…悪かった…。」

 「………。」

 「不安にさせたか…?」

 「………。」

 「だが…自分でも…もう止められねェんだ…。」



ゾロの腕に抱えられたまま、しかしルフィはしっかりとした声で言う。



 「お前が堕落したら、望み通りおれがお前を殺してやる。

 お前の為じゃねェ。サンジの為に殺すんだ。けど――。」

 「………。」

 「おれがお前を殺すより先に、サンジがお前を殺す。お前はサンジに殺されて、サンジも死ぬ。

 そんな事は絶対にさせねェ。おれは船長だ。おれがそんな真似させねェ。」



ゾロが、小さく笑う。



 「そうだな…約束を破ったらお前は困るんだよな…。そんでおれは、腹を切る約束だった。」

 「そうだ!忘れんな…!!」

 「…わかった…2度としねェ…2度と言わねェ…。」

 「よし!!」



ルフィは顔を上げ、バンとひとつゾロの両肩を叩いた。



そのゾロの肩越しに、サンジの笑顔が見えた。



ゾロも振り返る。



穏やかな笑顔が、木漏れ日の光の様に綺麗だと思うのは、背中の羽のせいだけではないと思う。

ルフィがバラティエで初めて会った時から、サンジは天使の様に綺麗で優しく、残酷だった。



 「メシだぞ、ルフィ。」

 「お!待ってました!!」



何事もなかったかのように、ルフィは2人を残してラウンジへ駆けていく。

その背中を見送って、サンジは翼のある背中をゾロに向けたまま



 「……あの時……。」

 「………。」

 「……ルフィがカミサマに見えた……。」

 「………。」

 「手を広げて斬られたお前が…十字架に架けられたイェスに見えた…。」

 「………。」

 「天使は…神やイェスに恋をするんだ…。」



ゆっくりと、ゾロがサンジに歩み寄る。

その翼ごと包む様に、ゾロはサンジを抱きしめた。















(2008/12/18)



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