　誰が為に鐘は鳴る（２）　




　「お子さんは？」



サンジは躊躇いがちに尋ねた。



　「…死んだわ…もうずいぶん前の事よ…私より先に逝ってしまって…親不孝な子だったわ…。」

　「すみません…。」



サンジは咥えていた煙草を放し



　「聞かせてください。御主人は…剣士で学者だって仰いましたね。」

　「ええ。私の小さい時の記憶では、あの人はいつも、剣を振るっているか本を呼んでいるかのどちらかだったわ。」

　「文武両道ってヤツですね…誰かさんも見習ってもらいたいもんだ。ヒマな時はいつも、串団子振ってるだけの筋肉バカとは大違いだな。」

　「………。」



珍しく、反論がない。

だが、そこでゾロが言葉を返せばまたケンカになりかねない。

その事に気づき、サンジは小さく咳ばらいをした。

老婦人は微笑み



　「私も勝ち気だったのね。勉強も剣も負けたくなくて頑張ったわ。でもどんなに頑張ったって、

　あの人は男の人で10歳年上のお兄さんで、何ひとつ敵う事なんかないのよ？それがもう悔しくてねェ…。」



老婦人は眉を寄せて、本当に怒った様な眼をした。



　「………。」

　「………。」

　「私が10歳になる頃には…もうあの人に敵う剣士はいなくなっていた。学問であの人に勝る人もいなかった。

　あの人が初めて船長として海に出たのも…同じ頃だったわ…。」

　「…海に…？」



サンジが言うと



　「…冒険がしたい…知らない世界を見たい…いろんな人々に逢いたい…そして知りたい…

　自然、文化、歴史…いろいろな事を知りたい…。そんな大きな夢を抱いてね。」



ゾロが、組んでいた足を組み直した。



　「…初めは半年だった旅が次は1年になって…次は2年…3年…。あの人がいない間は寂しかったわ…

　帰ってくるととてもうれしかった…なのに私ったら…帰ってきたあの人にいつも悪態ばかりついて…。」



ゾロもサンジも、同時に、バツが悪そうな顔で明後日の方向を見た。



　「…好きだったのに…好きって自分で気付かなかったのよ…私は…。」

　「………。」

　「あの人が、また海へ出ると思うと悲しかったわ…でも止める権利は私にはない…

　それに、どこかに留まり続けるあの人なんて、私にはまったく考えられなかった…

　旅に出て、冒険を繰り返して、さまざまな発見と新しい世界を知って、

　旅に出る度にどんどん素敵になって行くあの人が…私は大好きだったから…。」



老婦人の話は続く。



見送り、また迎えて、隣の窓に帰って来た男にまた憎まれ口を叩き、

剣の試合を挑んでは打ちのめされ、議論を持ちかけては論破され、悔し涙でベッドに倒れ込む。

けれど、それが楽しかった。幸せだった。



　「おかしい？」



微笑んで問う老婦人に、サンジは首を振る。



　「素直じゃなかったわ…本当に…でも…あの人はそんな私をわかってくれていたのね…。」

　「そうだな…。」



ゾロの言葉に、老婦人は目を見開いた。

意外なゾロの発言に、サンジも目を丸くする。



　「そうでなきゃ、一緒になろうとは思わねェ。」

　「…ホホ…そうね。そうなの。私、からかわれていたのよ？酷いでしょう？」

　「ははは…。」

　「気が付いたら…本当に気が付いたら好きになっていた…。」

　「………。」

　「……また…長い航海に出るという前の日も…私、あの人に試合を挑んだわ。もちろん、コテンパンにやられてしまったけど。」

　「とんでもねェな。か弱いレディに。」



サンジが言うと



　「でも、私はいたって本気だったわ？その本気に、あの人はいつも本気で答えてくれた…。」



ゾロが小さく笑った。

どこかで聞いたような話だ。



　「次に帰ってくるまでに、もっと強くなるから！…いつもそれしか言えないの。…本当はもっと…言いたい事があったのに…。」

　「…お気をつけて…とか？」

　「ええ…いってらっしゃい。も…無事の航海を。も…一度も言ったことなかったわ…。

　だってそうでしょう…？あの人は危険な旅に行こうというのよ？…それを笑って見送るなんて…辛すぎて出来ないもの…。

　だからいつも試合を申し込んで…いつものように悪態をついて…。

　でもあの時は…半ベソをかきながら帰ろうとした私を…あの人は呼び止めてこう言ったの。」

　「………。」

　「………。」



老婦人は、壁に掛けられた銀鞘の剣を見つめて



　「……〝私の帰りを、この家で待っていてはくれないか？〟…って。」



サンジの唇の端が、嬉しそうに上がった。

ゾロも小さく息をつく。



　〝私の帰りを、この家で待っていてはくれないか？〟　



そう言って。

あの人は私に跪いて、剣を捧げた。

驚く私に、穏やかな、でも子供のような笑顔で



　〝私の妻になってほしい。〟



言葉が出なかった。

ただ、ただ、涙が溢れて止まらなかった。



　〝明日旅立つ身で…勝手だと十分わかっている。それでも、君がここで待っていてくれるなら、

　私はいつにも増して強い希望を抱いて旅立つことができる。待っていてほしい。〟





呆然と



そして震えながら



白銀の剣を受け取った。











老婦人は、頬に手を当てて



　「…いやだわ…私ったらつい調子に乗って…こんなおばあちゃんが何を言ってるのかしらね…。

　恥ずかしいわ。もういいわね、ここまでにしましょう？」

　「え！？ちょ…！ここからがいいトコなのに！？」



思わず、サンジは椅子から立ち上がって身を乗り出した。

だが老婦人は、顔の前で恥ずかしそうに手を振って



　「だめだめ！もうおしまい！」

　「そんな意地悪しないで。」

　「ダメです。…ついつい話してしまったわ…もう、こんな恥ずかしい話をさせて悪い子達ね。」

　「途中で止められたら続きが気になって仕方がない。」



サンジが言うと



　「…だから、その後あの人に、お嫁さんにしてもらったの。おしまい。」

　「端折りすぎ！！」



食い下がるサンジに、老婦人は少しいたずらな目をして



　「じゃ、あなたの好きな人の話をして。」

　「え！？」

　「あなたの好きな人の話をしてくれたら、続きを話すわ。」

　「…それは…。」

　「だって不公平だわ。私にばかり恥ずかしい話をさせて。」

　「………。」



チラ、と目をやると、ゾロがじっとこちらを見ていた。

サンジは、ぷいと何かを言いたげなその目を外して



　「いいですよ？」



と、明るい声で答えた。

その返事に、老婦人はどうぞと手で促して首を傾げた。

サンジは、うっとりとした目で天井を見つめながら



　「一緒に旅をしている仲間なんです。」

　「まぁ、そう？あなたも船乗りなのね？」

　「はい。」

　「素敵な人ね？」

　「ええ！とても…！世界一の美人です！航海士なんですが、スタイルがよくて肌がキレイで、大きな目がいつもきらきらと輝いていて、

　声はまるで鈴の様で、その上頭もよくて機転も効く！セクシーでそのくせ愛らしくて…。」



滔々と流れるように紡がれるナミ礼讃。

ゾロが、「へっ」と呟くのが聞こえた。

すると



　「嘘をおっしゃい。」



老婦人が、スパンと言葉を遮った。



　「へ！？」

　「嘘はダメよ？本当に悪い子ね。」



サンジの顔が、途端に真っ赤になる。



　「…なんで…？」



老婦人は微笑んで



　「…その素敵な航海士さんと旅をしているのは本当なのでしょうけれど、その人があなたの愛する人ではないわね？」

　「………。」

　「本当に好きな人の事を、〝セクシー〟なんて言えないものよ？」

　「…確かに…。」

　「本当に好きな人の事を話す時は…もっと言葉も穏やかになるわ。」

　「………。」

　「今、話せないのは…その恋が辛いからかしら…？」



ゴツッ　　と、音がした。



ゾロの刀が、暖炉のレンガに当たった音だ。



　「…少し…。」



そう答えたサンジの声は、かろうじて聞き取れるくらいに小さかった。



　「…そう…。」

　「………。」

　「…辛い恋なのね…。」

　「………。」



ゾロの前で…。



　「…でも好きなのね？」



老婦人が、静かに尋ねた。

その言葉にサンジも静かに



　「…好きです。」



老婦人がうなずく。

ゾロは、じっとうつむいたサンジの黄色いつむじを見つめていた。



　「………。」



サンジの声は消え入るようにかか細い。



　「…でも…おれは…その人に相応しくは無いから…。」



ゾロは微動だにしない。

黙って、サンジと老婦人の会話を聞いている。

老婦人は首を振り



　「それは、相手の人が決める事ではないの？」

　「………。」

　「そうよね？」



老婦人は、ゾロを見て言った。



　「ああ。」



躊躇うことなく、ゾロは答える。

老婦人は、俯いてしまったサンジの手にそっと触れて



　「…ごめんなさいね。私の方が意地悪な事を言ってしまったわ。」



黙って、サンジは首を振る。



　「…あの人もね…そう言ったわ…。私の事を…好きだと言ってはいけないと思ったって…。」

　「………。」

　「ずっと…可愛いと思ってくれていたって…初めての辛い旅から戻った時…私の顔を見て…私の悪態を聞いて…

　帰って来たって安心したのだと言ってくれたわ…そして冒険から戻る度に、私の顔を見ていつもホッとして嬉しかったって…けれど…。」

　「………。」

　「冒険の旅を…発見の旅を…学びの旅を…あの人はやめる事が出来ない…

　その途上で、いつか命を落とすかもしれない…だから…

　帰れない旅に出ていく自分を見送らせるなんて…できないって思っていたのだって…。」

　「………。」

　「………。」





それでも、私は君に待っていてほしいと思っている。

身勝手は百も承知だ。

旅から戻っても、またすぐに次の旅に私は行ってしまうだろう。

君と過ごす時間はほんのわずかだ。

それでも



　「〝君を愛しているよ〟…その一言で…十分だったわ…。」

　「………。」

　「………。」

　「その時に、携えていた剣がこれなの…。」

　「………。」

　「…この剣を…自分だと思って持っていてくれと…帰ってきたら妻にすると…そう言ってくれた…嬉しかった…

　その時…私は初めて気づいたのよ…ああ…私…この人を愛しているんだわ…って。」



サンジはうなずいた。

すると、また老婦人ははにかんで



　「…その後の事を思い出すと…顔から火が出るわ…。」

　「なんでだ？」



尋ねたのはゾロだ。



　「………。」



老婦人は少し躊躇ったが



　「もらったこの剣を抱きしめてね…もう無意識に言ってしまったの…。」

　「…なんて…？」



サンジがようやく顔をあげた。

その青い瞳を見て、老婦人の声も恥じらいに小さくなる。



　「…帰ってきてからなんて嫌だって…言ってしまったの…。」

　「！！」

　「………。」

　「…今すぐ…妻にしてと言ってしまったの…。」



笑ったゾロを、サンジは睨みつけた。

サンジも少し頬が赤い。



　「そうしたらね…。」



ぷ。　と、老婦人は笑った。



　「そうしたら？」

　「…あの人ね…もう日も暮れてしまっていたのに、その足で、私の手を引いて教会へ駆けこんで〝今すぐ式を挙げてくれ！〟って。」

　「…へェ…。」

　「…ほう…。」



老婦人は恥ずかしそうに、それでも思い出して笑いながら



　「結婚証明書を役所に無理矢理受理させて…私の両親に報告したのはその後。聞いた父の剣幕ときたらものすごかったわ…。」

　「そりゃそうだ…。」

　「あっはっは！！」

　「…父はもちろん大反対…あの人が悪い人ではないのも、人格が立派な人物だというのもわかっていたけど…

　やっぱり…私がひとりで長く待たされることになる結婚を…祝福するのは難しいわ…。でも…。」

　「後の祭りだな。」



笑いながらゾロが言った。



　「…でも…幸せだったわ…。」

　「………。」

　「純白のドレスもヴェールもない結婚式で…たった一晩だけの夫婦だったけど…見送る心はいつにも増して強く持つ事が出来たわ…

　あの人の妻になれたのだもの…それだけでよかった…。」

　「…帰って…きたんですか…？」



サンジの問いに



　「ええ！その旅からはね！！」

　「よかった…。」

　「……戻ってきては旅に出て…息子が生まれた時もあの人は側にいなかったわ…ひとりで産んでひとりで育てて…

　帰ってきた時息子は3つになっていて、初めて父親の顔を見て人見知りして、ビービー泣く始末だったのよ。」

　「あーあー…。」

　「それでも…幸せだったわ…。」



ふっと、老婦人の顔が暗いものになった。



　「………。」



聞かなくてもわかる。



そんな冒険の旅を続けていたのなら、さまざまな出来事が起きたはずだ。



その旅からは戻ってきた。



その言葉はつまり



手に包んだカップが冷えていた。



　「新しいお茶を淹れましょうね。」



言って、サンジは立ち上がった。

炉端へ行こうとするサンジの目がゾロを見た。



射抜くような、鋭い目。

その目が叫んでいる。





辛い恋だと？

誰が相応しくないだと？





サンジが、新しい茶葉を掬っていると



　「どんな死に方をした？」



おもむろにゾロが言った。

なんと冷たい問い。



　「…やめろ…ゾロ！」

　「………。」



老婦人は、寂しそうに笑ってゾロを見た。



　「…誇りある死だったか？」

　「ええ。」



再びのゾロの問いに、老婦人は即答した。



　「…でも…私は…その死を見届ける勇気はなかったわ…。」

　「…旅先で死んだんじゃねェのか？」

　「………。」

　「よせ、ゾロ。…もう止めろ…辛い事を無理に思い出させてどうするんだ！？」

　「……誇りある死だったんだろう…だったら、本人に悔いはなかったはずだ。」

　「そういう問題じゃない！男はそれでカタがついてもレディは違う！！

　どんなに好きだって、勝手に夢見て勝手に生きて、そうして勝手に逝かれてしまった思い出が、苦しくない訳ないだろう！？」

　「それを全部わかってて惚れたんだろうが！？」

　「てめ…！」



サンジの手がゾロの胸元を掴んだ。

だが



　「…わかってはいたわ…わかっていた……。」



老婦人がつぶやいた。



　「………。」

　「冒険の途中で死なれる覚悟はできていた…でも…。」

　「…レディ…。」

　「…自分の国に見捨てられて…処刑されるなんて死に方をするとは…思いもしなかった…。」

　「！！」

　「………！！」



思わず、サンジは老婦人を抱きしめていた。

そして



　「…いいです…もういいですから…！」

　「………。」



ゾロも



　「…すまねェ…。」



老婦人は首を振り



　「いいのよ。話したのは私ですもの。」

　「………。」

　「…処刑って…。」



老婦人の夫が、どんな罪で処刑されたというのか？



　「……有るはずの無い島を…『あった。見た。』と言った虚言の罪よ…。」

　「……え……？」









なんだって？















(2011/7/25)



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