BEFORE 



　「…ある旅で…夫は黄金に彩られた島を発見したと言ったの…。」

　「………。」

　「…万全の準備を整えて…再びそこを訪れた時…そこにあったはずの黄金の都は、跡形もなく消え失せていたそうよ…。」

　「…黄金の…都…？」



呆然としたサンジの声が、薄暗がりの小屋に響く。

暖炉の火の爆ぜる音が、遠くに聞こえた。

老婦人の声が、静かに言う。



　「…笑う…？」

　「………。」



老婦人は悲しげに微笑んで



　「…夫は…黄金郷を見つけたの…。」



黄金郷



２人の耳に、いつか聞いた美しい鐘の音が響き渡る。

だが、今耳によみがえるその音は、何かへの警告のようにも聞こえた。









待て



待ってくれ



その話は…







　「…偉大なる航路の…その島で…あの人は…一生涯の素晴らしい友を得たと話してくれたわ…。」

　「…レディ…ちょっと待って…。」

　「………。」

　「…次に島を訪れる時は…私と息子を…一緒に連れて行ってくれると言ったわ…私を…その友に逢わせたいと言って…。」

　「…レディ…？」

　「…夫が…旅に連れて行ってくれると言ったのも初めてだった…嬉しかったわ…

　でも…黄金郷と聞いた国王は欲にかられて…自分達の船団以外伴う事を許してくれなかった…。

　そして再び…その島への旅から戻ってきた夫を待っていたのは…投獄という運命だった…。」



その話



ゾロもサンジも知っている。

それはかつて、彼らが仲間と訪れたある島の…。



だがそれは



　「黄金郷は消えていた…かつての黄金の都は跡形もなく…友もおらず…夫は訳がわからないと手紙で言ってきたわ…。」

　「…レディ…レディ、その話は…。」



サンジが止めようとしたが、老婦人は話をやめようとしない。

気がつけば辺りは暗く、灯りの無い小屋の中は夜の闇が迫っていた。



　「…誰もがあの人を…『ウソツキ』と呼んだ…。」



　「…いいえ…あの人は嘘なんかついていない…あの人は嘘なんかつける人じゃない…。誰よりも正直でまっすぐで…。」



　「…『そんなものはなかった』と…嘘でも言えたらあの人は死なずに済んだかもしれない…

　でもあの人は最後まで…黄金郷はあったと言い続けた…。」



　「言い続けて…首を切られ…挙句の果てに…『ウソツキ』の汚名を着せられて…。」



　「悔しかった…悔しかった…その悔しさに…息子は父が見た黄金郷を探しに海へ出たわ…。そして…帰って来なかった…。」



　「…息子だけじゃない…あの人の弟…従弟…みんなあの人の言葉を信じて海へ出て

　…そして…戻って来なかった…挫けてしまった…。」



　「…探しても探しても…その島は見つからず…私ももう堪え切れなかった…そして…私も海へ出たの…黄金郷を探しに…。」



　「…途中で死んでもいい…そう、思ってもいたわ…。」



　「…なのにどうして…こんな所で生き長らえているの…。」



　「証明したい…あの人の無実を…なんとかして…。」





闇が、窓の外から迫って来る。

灰色の帳が、老婦人の顔を覆い隠す。



その時





　「島の名はジャヤ。黄金郷の名前はシャンドラ。」





老婦人の嗚咽の声と、薄闇を裂いたのはゾロの声だった。



　「………。」



老婦人の頬に涙が溢れている。

その涙が、肌に溶けて揺れているように見えた。



　「…レディ…。」



サンジは、老婦人の冷たい手を取った。



　「おれ達は見て来た。」

　「………。」

　「ジャヤという島を。シャンドラという黄金郷を。」

　「………。」

　「カルガラという戦士の名も、知っている。」

　「………。」

　「黄金の鐘は�爛轡礇鵐疋蕕療��瓠�」



老婦人の目から、涙が滝の様に溢れた。

闇が、空気を押しつぶすように迫って来る。



　「！！」



　「……っ！？」



　「……ありがとう……。」



か細い、老婦人の声が耳に届いた。

喜びに、感極まった声。



サンジは、消えそうな老婦人の体を抱きしめた。

そして



　「ありがとう…！」



サンジも叫ぶように言った。

サンジの腕の中で、老婦人はゾロに向かって微笑んだ。

そしてもう一度



　ありがとう



小さく告げて





消えていった。















我に返った時、すでに夜の闇に包まれた森の中に、2人背中を合わせて立っていた。

辺りを見回し、自分がいたはずの小屋の壁や天井を探る。

しかし、そこにあったはずの老婦人の小屋は、わずかばかりの残骸でしかなかった。

鬱蒼と茂る木々に押し潰されて、かつてそこに人の生活があった事さえ、よく目を凝らさなければわからなかった。



立ち込めていた霧は晴れ、だがもう辺りは夜の色に染まっている。

見上げた木々の合間から、降る様に星が瞬いていた。



　「………。」

　「………。」



潮の香り。

森の向こうに海が見える。

この景色を、彼女はどんな思いで見つめていたのだろう。



　「おい。」



ゾロの声に、サンジは振り返った。

ゾロが身をかがめ、覗きこんでいる草むらの中。そこに、苔むして小さいが



　「…墓だ…。」



ゾロが、墓石の表面をこする。

ライターの火を点け墓石に寄せ、それを見てサンジがつぶやく。



　「…北の海（ノースブルー）の文字だ…。」

　「読めるか？」

　「少しな…。」



しばらく沈黙が続いた。

やがて、サンジは新しい煙草に火をつけて、ひとつ紫煙を吐いてから



　「…�犹海茲蠅盥發�尊敬　海よりも深き愛を　モンブラン・ノーランドに捧ぐ�瓠�

　「………。」



古い墓石。

およそ数百年は立っている。



　「…名前は読めねェ…薄くなっちまってる。」

　「そうか。」

　「………。」



2人は、同時に頭を下げた。











『うそつきノーランド』



あの物語は、北の海の子ども達のベストセラーだ。



親は子供にこの話を読み聞かせ、「嘘をつくとロクな人生にならない」と教えてきた。



それでも



子どもたちが繰り返し繰り返し、『うそつきノーランド』の物語を読み続けるのはなぜだろう。



海が好きで

冒険が好きで

人が好きで



死の間際まで夢を語って死んでいった男を、嫌いになれる子供はいない。



サンジも、そのひとりだった。



黄金郷を、ノーランドは証明できなかった。

だが、ノーランドの『嘘』を、嘘だと証明した者もいない。

逆に400年の時を経て、ノーランドの黄金郷発見は真実であったと、証明してみせたのは他ならぬ彼らだ。



黄金郷は真実だった。



夢は信じれば叶う。



そうとも



オールブルーはきっと、どこかでサンジの訪れを待っている。



夫の言葉を信じ、彼女はここまでやってきて、その先へ進む事が出来なかった。

どんな理由であったかは知らない。

航海の仲間を失ったのか、資金が尽きたのか、船を失ったのか、それとも、心が折れてしまったのか…。

故郷から遠く離れた、偉大なる航路の交わるこの島で、彼女はどんな思いで…。



　「…悔いはなかっただろうよ…。」



ゾロが言った。

だが、サンジは。わずかに涙をにじませた声で



　「…悔いがなかったのなら、どうして今までここで彷徨っていたんだよ…！」

　「………。」

　「…魂は…救われなかったんだ…。」

　「………。」



ゾロは小さく息をついた。

そして



　「それでも。」

　「………。」

　「ノーランドに惚れた事を後悔した訳じゃねェ。」

　「………。」

　「命懸けで惚れたんだ。己のその熱を、あのばあさんは悔やんじゃいねェ。ただ、悔しかっただけだ。ノーランドがあの島へ再び辿りつけなかった事が。」

　「………。」

　「…死んで…ノーランドの魂が追って行ったあの島を、自分が知らないままだった事が…。」



サンジは、悔しげに唇を噛んだ。



どうして、彼女は２人の前にその姿を見せたのだろう。

どうして２人には、魂だけの彼女の姿が見え、時を越えて言葉を交わす事が出来たのだろう。



サンジの体の中でくすぶる、かつての自分と同じ『想い』と、夫が抱いていた『夢』を、感じ取ったのかもしれない。



サンジはしばらく顔を伏せて黙っていたが、やがてわずかに唇の端を上げて笑い



　「…何百年もかかって…やっとノーランドの元へ逝った…ノーランド…今頃彼女を抱きしめているかな…。」



穏やかに言った。



　「…そうだな…。けど、あのばあさん、誰かさんみてェに亭主に散々憎まれ口叩いてるかもしれねェ。」

　「……誰かさんって誰だよ……？」

　「…さぁて…。」



ゾロは笑った。









　私を置いてあなたひとりで、さっさとこんな空の果てまで来ていたなんて酷いわ！



　ああ、悪かった…悪かったよ！いや、私だってまさか、この島が空の果てに浮かんでいるなんて夢にも思わなかったんだ！









かつて訪れた空の上。

その空への入り口で出逢った、彼と彼女の意志を継いだあの男は、今はどうしているだろう？





　「…そうか…ノーランドはあんな大剣を扱ったのか。」



ゾロは呟いて



キン――！



金丁を打った。



涼やかな音色が、森の中をこだまする。



その音が消えた時、サンジはゾロの肩に頬を載せた。



　「……こういう時にそういう事しやがると、押し倒してもいいぞって言ってると解釈するぞ。」

　「…押し倒してもいいけどよ…。」



思いもよらない言葉に、自分で振っておきながら、ゾロは一瞬内心で慌てふためいた。

サンジは目を閉ざしたまま



　「…お前にちょこっとでも優しさがあるなら、このまま少し…じっとしててくれ…。」

　「………。」



どこかで鳥が鳴いた。













しばらくして



　「…ありがとな。」



突然ゾロが礼を言った。

サンジは思わず顔を上げ、間近にあるその目を見た。

ゾロは、いつにない優しい笑顔で



　「…初めてだ。おれの前で、誰かに『好きな奴がいる』って言ってくれたのはよ。」



サンジは驚き、途端に頬を赤くして



　「あ！あれは…！！」

　「…あれは？」

　「あれは…。」

　「………。」

　「………。」



ゾロは、サンジの肩を抱いて引き寄せ



　「…誰が相応しくないって…？」

　「………。」

　「お前は、おれの誇りだ。」

　「……っ。」

　「おれは、お前の誇りになれないか？」

　「そんなこたァ……！！」

　「……仮に…。」

　「………。」

　「仮におれが、無様な死に様を晒したとして…お前はそんな死に方をしたおれを恥じるか？」

　「恥ねェ。」



その答えに躊躇いはなかった。



　「…お前が…その死を後悔しなかったなら…おれも恥じたりはしねェ…お前の生き様を…生の全てを…おれの誇りにする…。」

　「…その中で、お前がおれの傍らにいたことも…だ。」

　「………。」



ゾロは真剣な、まるで敵を見据える様な目で



　「このおれが惚れた、てめェ自身を誇れ。サンジ。」



サンジの青い目に涙が溢れる。

だが、喜びの涙ではない。悔し涙だ。



　「…ダメなんだよ…本当はダメなんだ…。わかってねェ…てめェは全然わかってねェ…。」

　「ああ、わからねェな。わかるつもりもねェ。」

　「……っ！」

　「こういうもんに理屈がいるか。」

　「…う…。」

　「辛い恋？互いに同じ思いでいる恋が何で辛い？アホかてめェは。」

　「………。」



それでも



と、サンジは心の中で呟く。



ロロノア・ゾロにここまで言わせながら、どうしても素直にうなずけない自分。

ここまで頑固で愚かな奴を、それでもこいつは…。





気が付いたら、本当に気が付いたら好きになっていた。





体から始まった関係で

気持ちなんかこれっぽっちもなかったのに。



気が付いたら



好きで好きで



マジ好きで



ビビちゃんより、ロビンちゃんより



ナミさんより



ルフィより



お前が大切になっていた。



だけど





�猖槓�の三刀流のゾロだ！！握手してくれんかね！��





お前の隣にいるのが、おれでいいのかずっと考え続けてる。

今でも…。



　それは　相手の人が決める事よ



　「サンジ。」



ゾロの声に、サンジはびくりと身を震わせた。



　「おれの隣にいろ。」

　「…っ！！」



ゾロの両手が、サンジの頬を包む。



　「ルフィの背中の右と左が、おれ達の指定席だ。誰にも譲る気はねェぞ。」

　「………。」



声をあげて泣けたら楽。

けど、泣けない。

泣けない理由はわかっている。

その部分を、ゾロは十分認めている。

仲間の前で、素直にゾロを好きだと言えないその訳も。



だがそれでいい。

コイツの気持ちは十分わかっている。

だから、それ以上を求めるのはやめよう。



サンジは、ゾロの肩に額を載せたままうなずいた。

そして



　「…当たり前だ…。」

　「………。」

　「……そういう意味でのてめェの隣を…他の奴に譲るつもりはねェよ…。」

　「………。」

　「…けどよ…。」

　「そこまでだ。」



ゾロの言葉に、サンジは目を見開いた。



　「そこから先は聞くつもりはねェ。」

　「………。」

　「…今さら当たり前の事を、聞くつもりはねェよ。」



憎らしい顔で笑うゾロに、サンジもつられて思わず笑った。



　「………。」



サンジは振り返り、苔むし崩れた墓標にそっと触れ



　「黄金郷は空にある。」



梢が鳴った。



　「あなたのご主人が誇った都は、今でも空で輝いてる…。」



祈るサンジの背中を見つめてゾロは思う。



人格も、高尚な男だったんだろう。

何世代もの後の子孫にまで、その誇りを抱かせるほどに。

半ば己の身勝手で、この世に遺した妻の魂を、何百年も彷徨わせてしまうほどに。



　「なァ、サンジ。」

　「…ん？」



少し躊躇って、ゾロは



　「……てめェは迷うなよ？」

　「………。」

　「…おれが先に死んだとして…てめェ…。」



照れくさそうに、さらにゾロはやけくそな口調で



　「後からてめェが死んだとしても迷ってんじゃねェぞ。死んだら潔くこっちへ来やがれ。」

　「………。」



サンジは笑い



　「迷わねェよ。」

　「………。」

　「てめェじゃあるめェし。」

　「あァ！？」



ゾロの声に驚いた鳥が羽ばたいていった。

サンジは笑いをこめた皮肉な声で



　「先にてめェが逝ったとして、おれが後からあの世に逝っても、どっかで迷子になってんじゃねェかってすげェ不安だ。」

　「…言ってろよ。」



潜むような笑い声が、森の奥に消えていった。













(2011/8/1)



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