BEFORE



 ゾロのような侠客は、今では珍しい存在だった。



現代、ヤクザ・暴力団などという組織は、蛇蝎のように嫌悪され排除の対象になるのが常だが、

ゾロの取り仕切る街では逆に、ゾロは全てにおいて頼りがいのある組長で通っていた。

それはゾロの、経営手腕の見事さによるところが大きい。

昔ながらのヤクザの仁義を通しながら、ゾロは現代の世を渡り歩くことを巧妙にして見せた。

街の自治会や、公的機関とも巧く付き合っている。

大きなイベントがあれば、町のものはこぞってゾロを招いた。

するとゾロは、人も金も惜しまず提供し、今では虎吼会の息のかからぬ催しはこの街にはない。

表面上、建設会社の形態をとっているのだから、問題はまったくない。

それも戦略のひとつであり、それを理解するものも当然いるが、

ゾロは本心から全ての人々の下に控え、それでいながら心もしっかりと掴んでいる。

町の人間はゾロを慕い、信頼しているのだから、先日のように他の暴力団とのトラブルがあっても少しも怯まない。



不思議なほどに、侠気が生きている街だった。



その日

ゾロはジョニーとヨサクを伴い、保育園の園庭整備の作業を見に行っていた。

下請け会社の社長は、ゾロの姿を見るなり駆けてきて



 「どうも!2代目!!」

 「おう、はかどってるか?」

 「はい!」

 「すまんな、儲けのねぇ軽い仕事でよ。」

 「そんなことぁありません!かえって気を遣わせちまったみたいで…。」



と、保育園の園長も姿を見せ



 「ありがとうございます、おかげさまで綺麗な運動場で運動会ができそうです。

  ずっと水はけが悪くて、どうしようかと思っていましたのに…。」

 「礼を言われるほどの事じゃねぇ。こっちも商売だ。」



言われて園長は困ったように笑った。



随分前に、ゾロがたまたまこの園の前を通りかかった時、晴天にも拘らず泥で荒れたこの庭で、

子供が1人、転びでもしたか泥だらけになって泣いていた。

なぜこんなに、庭が泥だらけででこぼこなのかをゾロが尋ねると、

予算がままならず、長い間園庭の整備をしていないせいだという。



ここは市営の保育園であるが、なかなか予算が下りなかったのを、ゾロが強引に市から金を搾り出させたのだ。

と、いっても、本来の費用の7割ほどの額。

残りの分はゾロの会社の持ち出しだ。

しかも、同じ工事はここだけではなかった。



だが、こんな風に損をしても、その分の儲けは他から入ってくる。



街の人々は、ゾロの温情に必死になって答えるのだ。



強要しなくとも、裏の世界でのみかじめはきっちりと入ってくる。

どうしても払えないものがいても、払えない理由が明確であれば、強いることはまったくしない。



ただ、その温情を裏切った時のゾロは、正に虎の様に吼えた。

その姿も、街の者達はよく知っていた。



と、ヨサクの胸ポケットの携帯が鳴った。

『失礼しやす』と、ゾロから離れ、一言三言交わした後



 「若、2代目。フランキーのアニキが、すぐにお戻りいただくようにと…。」

 「…何があった?」

 「さぁ…ただ、帰ってきてくれとしか…待ってもらいやすか?」

 「いや…わかった、戻る。」



園長と、泥だらけの下請け社長は深々と頭を下げて、ゾロを見送った。







事務所兼自宅のゾロの家は広大だ。

高く広い塀に囲まれて、外から中は一切窺うことができない。

典型的日本家屋の和庭には、用心の為の猟犬が3頭放されている。



ゾロが車から降りると、その3頭はいつも擦り寄ってきて、撫でてくれというように頭を下げる。

そこへ



 「2代目!」

 「フランキー、どうした?」

 「こちらへ。妙なものが届きやして。」

 「妙なもの?」

 「…こちらへ。」



事務所ではなく、フランキーは自宅の居間へ向かった。

普段なら、組事務所の方でもかまわないであろうものを、あえて人目を避けるように。

何かゾロ個人への届け物があると、必ずフランキーが中を確認した。

危険物を避けるためだ。



 「一体何が届いたんだ?」

 「…さっき、バイク便が持ってきやしてね。」

 「だから、中身は何だ?…だれかのエンコ(小指)でも入ってたのか?」

 「そこまで物騒なモンじゃありやせん。…これです。」



居間の、輪島塗の座卓の上に、フランキーはまた包み紙の張り付いた箱を置いた。

ゾロの手の中に納まってしまう小さな箱だ。

差出人に『田中一郎』と名前はあるが、いかにも偽名。



 「………。」



箱を引き寄せ、手に持ってみる。

軽い。

不審に思いながら、蓋を開く。

と



 「……!?」

 「………。」



細い糸くずが、詰まっているのかと思った。

糸ではなかった。



 「…髪の毛か…?」

 「そう、髪です。…見覚えのある色じゃあ…ありませんか…?」

 「………。」



そっと、その髪に手を触れてみる。

覚えのある色…?



覚えている



そうだ



この髪



かすかに香るこの匂い



忘れるはずもない



あの夜



無我夢中で抱きしめ、さぐった髪



 「!!?」



記憶と感情が、一気にあの頃へと逆行する。

あの愛しい顔が脳裏をよぎった時、棚に置かれた電話が鳴った。



びくりと体を震わせてゾロが顔を上げたとき、すでにフランキーが受話器を取っていた。



 「………2代目……。」



フランキーが、受話器を差し出す。



 「伏龍会です。会長直々に…2代目を出せと。」

 「………。」



このタイミング

嫌な予感がする



だがゾロは、受話器をとった。

思わず、握った手に力が篭る。

片方の手は、箱の中の髪を一房握り締めていた。



 「…もしもし…。」



答えはなかった。



しばらく沈黙があった。



いや



沈黙ではない。



何か音と声がしている。



 「……?」











 …は…はぁ…ああ…あ…







それは、荒い呼吸音。

明らかな喘ぎ声。

息を殺すような、必死に声を堪えるような、苦痛に耐えようとする声。



衣擦れと、もうひとつの息遣いと、何かが軋む音。







 …あ…あ…クソ…野郎…!







脳天を、金槌で殴られたような衝撃だった。

忘れたことなど一日とてない、あの、たった一度の行為の時、腕の中で何度も漏らしたあの声。



 「サンジ!!?」



ゾロが叫んだ瞬間、電話の向こうの声がぴたりと止んだ。



 「サンジ!!サンジか!?サンジ!!」



ゾロの激しい動揺に、フランキーは目を見開いた。

そして、電話の本体のスピーカーをONにする。

と、スピーカーから、粗野な声が低い笑いとともに漏れた。



 『…よぅお…ロロノア…珍しい声を聞かせてくれるじゃねぇか…?

  どぉした?何かよくねぇ事でも起こったのかい?』

 「…っ!テメェェェっ!!何をしてる!?そいつに何を!!?」



渇いた笑いが漏れた。



 『はっはっは…いいねぇ…お前さんのそんな声が聞けるたぁ…こっちの声も…かなりのモンだがよ…。』

 「!!」

 『苦労したぜェ…?…お前ェは本当に隙を見せねぇからよ…何をどう突けばお前さんが崩れるのか…

 探し出すのはそりゃあ難儀だった…ところがやっと見つけてねぇ…

 その慌てっぷり…はっはぁ!アタリだったようだなァ!!』

 「…何してる?そいつに何をしてる!?答えろテメェ!!」

 『…何してるって?…想像してみちゃどうだい?』

 「!!」

 『いや始めは驚いたねぇ…浮いた話のひとつも無ェとは思ってたが…まさかコッチの趣味があったとはなぁ…

  しかしまぁ…気持ちも分からんでもないねぇ…どうだいこの柔肌…こんなに白い肌にぁ…とんとお目にかかったことがねぇ…。』

 「…よせ…。」

 『…艶っぽい声を出しやがる…それにこの髪…女でもこんな髪持ってるヤツいやしねぇ…

  ああ安心しろ、テメェにプレゼントしたヤツは、ほんの毛先の部分だからよ。

  まぁ本当は、エンコ切って送りつけてやろうかと思ったんだが、それをするにぁあまりにキレイな指でなァ…。』

 「よせ…やめろ…!」



フランキーの手が、ゾロの手から受話器を奪い取ろうとする。

だがゾロは、その手を払い除け



 「やめろ!!やめてくれ!!…サンジ!!サンジ!!聞こえるか!!?サンジ!!」

 『はっはっは!!いいねぇ!!とてもとても、虎吼会の魔獣の言葉とは思えねぇなぁ!!』

 「叩っ斬る!!ぶっっっ殺してやる!!」

 「落ち着いてください!2代目!!2代目!!…ゾロ!!落ち着け!!」



必死にフランキーが抑えても、ゾロの怒りはとどまらない。

止まるはずが、なかった。

そして



 『…おや…?どうした兄さん?さっきまで、いい声を聞かせてくれてたじゃねぇか…ホラ…もっと鳴いてみな。

  お前ェさんの昔のイイ人に、懐かしいぃい声を聞かせてやりなよ…ん?』

 「…サンジ…っ!!」

 『なぁロロノア、コイツもさぞお前ェさんに会いたかったんだろうよ?

  こちらが、お前ェさんの居場所を知ってるっつっただけで、素直に付いてきてくれたんだぜ?

  男冥利に尽きるねぇ。あやかりてぇよぉ。』

 「……テメェ……そいつにそれ以上触れてみろ…ただじゃおかねぇ!!」

 『…くっくっ…怖いねぇ…たまらんねぇ…この締め付け…咥え込んで放さねぇよ…。』



ゾロの手の中で、受話器が砕け散った。

だが、本体のスピーカーの中から、男の狂ったような高笑いが響き渡る。

それと共に、何かが激しく軋む音と、濡れた肌を穿つ音。

必死に抑えた、途切れ途切れの切ない悲鳴。



その悲鳴が、最後にゾロの名を呼んだような気がした。



ゾロは弾かれる様に居間を飛び出し、仏間を走り抜けて奥の広間へ走った。

神棚の下、床の間に置いてある刀架台から、白鞘の刀を掴んで再び走り、外へ飛び出した。

庭先にいた犬達は、それがゾロであるにも拘らず、耳を倒し尻尾を巻いて慌てて逃げ出す。



 「ゾロ!!」



裸足のままフランキーはゾロを追いかけた

2代目、とは呼ばなかった。

騒ぎに、事務所にいた者達が集まってくる。



 「どけぇ!!フランキーっ!!」

 「どかねぇ!!どうするつもりだ!?どこへ行こうってんだ!?」

 「アイツの所へ行く!!あの野郎!ぶった斬る!!殺してやる!!」

 「落ち着け!!冷静になれ!!ゾロ!!」



狂った目。

こんな目のゾロをフランキーは知らない。



 ( 仕方ねぇ! )



手荒になることは分かっていた。

だが、これ以上ここで争って、ゾロが刀を抜いた時の方が始末に終えない。



 「お許しを!2代目!!」



フランキーの拳が、ゾロの左頬に入った。

並の人間ならその場に昏倒し、3日は目を覚まさない威力のパンチだ。

だがゾロは、わずかに状態を崩したのみでよろめく足を踏みしめた。



 「…フランキー…!!」

 「落ち着け…!今、どこにマユゲがいるかもわからねぇで、闇雲にどこへ行こうってんだ!!?」

 「……!!」



フランキーはゾロの手から刀を奪い取り



 「おい、ジョニーヨサク!!」

 「は、はいぃっ!!」

 「伏龍のヤツラの動きを辿れ!××市だ!!すぐに行け!!手の空いてるもん全部使っていい!!」

 「へいっ!!」



弾かれたパチンコ玉のように2人は駆け出す。

見送り、ふらつく足を踏みしめて



 「………おれも行くぞ、フランキー。」

 「ゾロ…お前ェは残れ…おれが行く。」

 「いや、おれが行く。」 

 「…何の為に…全部我慢してきたんだ?」

 「…それが…何の役にも立たなかった…立たなかったんだ…!!」



両手で髪をかきむしり、ゾロは虎の様に呻く。



 「おれが行く。おれが行かなきゃならねぇんだ!!フランキー!!」

 「……わかりやした。すぐに。」











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(2007/7/13)

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