BEFORE





 サンジは眠り続けて、3日目の朝に目覚めた。

目を包帯で覆われていたから、開かれた目を見たわけではない。

ただ、表情はひどく虚ろで、心ここにあらずといった雰囲気だった。



目覚めた時、ゾロはサンジの側にいた。



そして



 「…サンジ…。」



と、傍らから呼んだ。



 「………。」



答えはなかった。



 「…サンジ…わかるか…?おれだ…ゾロだ。」

 「………。」

 「サンジ…。」



サンジは、まっすぐに顔を天井に向けたまま、呼びかけるゾロの方を向かなかった。



誰が何を話しかけても、答えはなかった。

その日1日、ゾロが何を話しかけても…。



そして、夜になり、消灯時間を迎えた頃、サンジは覚せい剤の副作用によるフラッシュバックを起こした。



 「あ!あああ!!ああ!!あああああああああああああああっ!!」



言葉にならない叫び声が響き渡った。

ゾロは、ずっとサンジの側についていていたが、暴れるサンジを抱きかかえようとした時、サンジの猛烈な抵抗に遭った。



目の表情がなくともわかった。



男の手を恐れている。



側にいるのがゾロだと気づいていない。

いや、思いもしないのか。



医者がやってきて、鎮静剤を打った。

しばらくすると薬が効いて、サンジは力尽きたようにまた眠った。



 ( サンジ。 )



乱れた髪を直そうとした、だが、触れられなかった。

サンジを、こんなに苦しめているのは自分だ。

自分との関わりが、サンジにこんな苦痛を与えた。



小さい頃から、父親のような、それを越えるような料理人になるのが夢だった。

その夢を叶えて、2年前までフランスで店のひとつを任されていたという。

まだ独身で、女性に人気があったが、サンジはどんな美人にもなびかなかったと聞いた。



 “ 好きな奴がいるんだ。未練がましいけど、忘れられなくて。 ”



と、いつも人に話していたという。



バカヤロウ



忘れてよかったのによ…。



自分が今日まで忘れられなかった。

サンジとて同じだった。



喜びと悲しみが、同時にゾロの胸を締め付ける。



 「…サンジ…一緒に帰ろうな…これからは、おれがお前を守るから…。」



答えはなかった。

寝息すら立てずにただ眠るサンジ。

目を覆う包帯の上に、ゾロの涙がひとつ落ちて、染み込んでいった。







 ゾロがサンジを連れて自宅へ帰ってきたのは、それから1週間後だった。

搬送用の救急車からストレッチャーでサンジを降ろし、そのまま、用意したサンジの部屋へ運んだ。

犬達が、久しぶりにゾロに会えた喜びに、腹まで見せて転がりまわる。



 「おかえりなさいやし。」



先に戻っていたフランキーが出迎える。



 「…手間掛けさせたな。」

 「まぁ、どうってことはねぇでさ…。医者を呼んでありますんで。」

 「すまねぇ。」



サンジの為に、離れを改築した。

車椅子を使うため段差をなくし、風呂もトイレも介護用に変えた。



ジョニーとヨサクが手伝って、サンジを寝室の布団の上に寝かせてやった。



 「…まるで人形だよな…。」



ヨサクが言った。



 「余計な事言うんじゃねぇ。若の大事なお方だぞ!」



ジョニーが叱り飛ばす。



 「…口も利けねぇって本当なのかな…?」

 「ああ…お気の毒にすぎるよな…2代目も…辛そうでよ…。」



すぐ側で2人の会話を聞きながら、サンジは何の反応も示さない。



ヨサクが立ち上がった。

と、枕もとのワゴンに置いてあった水差しを倒した。



 「わ!」



ガシャンと音を立てて、水差しが割れた。



 「バカ野郎!!何やってんだ!!?」

 「わ、悪ぃ!つい!!」



慌てふためくジョニーとヨサク。

だが、サンジは、ガラスの割れた音にも反応しなかった。

それを



 「わ!!2代目!!?い、いらっしゃったんですか!?」

 「すいやせん!!すぐ片付けますんで!!」

 「ばか!デケェ声で騒ぐな!!」



ゾロの後ろにもう1人、無精ヒゲの白衣の男。

白衣とは名ばかりの、薄汚れた灰色の医着。

ゾロは、何も言わずに険しい顔でサンジを見ていた。



 「………。」

 「…こいつぁ、やっかいな…。」



男は医者だ。

名をヒルルクという。

れっきとした医者だ。

ただ、腕の程は保証の限りではない。

が、これは街での評判だ。



 「さて…ちょいと診せてもらおうか。」



古い医療カバンをドスンと置き、ヒルルクはサンジの傍らに座った。



 「起こしてやってくれるか。」



ヒルルクが言うと、ゾロは一瞬動きかけたが、無言のまま、ジョニーとヨサクにうなずいた。

命じられるままに、2人が左右からサンジを助け起こす。



背中にクッションを当て、体が倒れないようにさせてやると、サンジはわずかに顔を動かしてヒルルクの方を向いた。



 「おう、耳はちゃんと聞こえているみたいだな。ちょっと失礼するぞ。」



サンジの目を覆う包帯に手をかける。

一瞬、サンジはピクンと震えたが、暴れたりはしなかった。

ゾロが、顔を背けてその場から離れようとした。

傷ついたサンジの顔を、ゾロはまだ一度も見ていない。



見るのが怖かった。



 「どこへ行くんだい2代目?ちゃんとここにいて、人の話を聞いてきな。」

 「………。」



包帯が解かれ、ガーゼが外された。



 「…おう…こいつは気の毒な…。」



ヒルルクの声に、ゾロは振り返った。



サンジの目。



眉毛

ああ、渦が増えるってことはねぇか…。



顔を、横一文字に走る傷。



見えない目。



だが愛しい、懐かしい顔。



ゾロの胸が、ズキズキと痛む。



 「痛かったら言ってくれよ。」



親指で、ヒルルクはサンジの頬を少し下へ引き、目を開かせた。

青くて澄んだ目だった。

その目は今、濁って、光を拒んでいた。



 「……眼科は専門外だが…左が完全にダメだってことはおれにもわかる。右の目は…確かにカルテにある通りだな。

  角膜移植すれば何とか見えるようになるかもしれねぇ。」

 「角膜…。」

 「ああ。眼科の医者を紹介してやる。それから……喉には異常はねぇのに話さねぇか。言葉が出なくても声は出るんだろ?」

 「ああ。」

 「じゃあこっちは精神的な問題だろうな…ま…じっくりゆっくり…治すこった。…メタンフェミンの反応ももう無ェようだし…

  フラッシュバックやPTSDは、簡単に治るもんじゃねぇって事だけ、きっちり頭に入れときな。」

 「ああ。ありがとう…。」

 「んじゃ、また寄らせてもらうわ。お大事に。」



ヒルルクが立ち上がる。



 「先生、包帯は?」



ゾロの問いに



 「ああ、もういらねぇよ。傷は塞がってる。左側だけ眼帯でもしときなァ。」

 「………。」



サンジを振り返って見た。



診察の時のまま、背もたれに体を預けじっとしている。

虚ろな目は、宙を漂っていた。



耳は聞こえている。

だが聞こうとしない。

声は出る。

だが話そうとしない。



心に負った傷が、あまりに大きすぎて…。



 「…サンジ…。」



呼びかけても、答えはない。







眉間に寄る皺が深くなる。



悔恨と、悲しさと、辛さと…。





 「ゾロ。」



呼ばれて、ゾロは振り返った。



フランキーがゾロを名で呼ぶ時は、ゾロが彼に対し、『2代目』である必要のない時。



フランキーは、手に菓子の缶を持っていた。

およそフランキーらしくない、ナントカランドの菓子の缶だ。

その缶を、フランキーは黙ってゾロに差し出した。



ゾロが妙な顔をして、それを見つめているのを察してか



 「まさかこの中に、チョコレートでも入ってるたァ、思ってねェよな。」

 「…何だ?」

 「…テメェんだ。開けて見ればわかる。」

 「………。」



渡し、フランキーはサンジをちらりと見て、ヒルルクを追いかけるようにまた離れを出て行った。



サンジの姿が見える濡れ縁の柱にもたれるように、ゾロは腰を下ろして缶の蓋を開けた。



 「!!」



手紙の束。



封書、はがき。



ゴムや紐でまとめて、押しつぶされるように入っていたそれらが、バサバサと音を立てて廊下に落ちた。



宛名は全て、フランキーの祖母だ。



『 ――様方 ロロノア・ゾロ様 』



そして、封書の裏書にサンジの名。



 「………。」



フランキーの祖母が、フランキーに宛てた茶封筒の中に、そのまま入っている手紙もある。



年賀状、暑中見舞い、クリスマスカード、エアメールもある。



 「………。」



色褪せた封筒

黄ばんだはがき

滲んだインク

薄れたペンの跡

切手が、まだ40円のはがき

神戸花博の記念切手が貼られた封筒



全て、封は切られていなかった。

当然だろう。

全て、サンジがゾロへ送った手紙。

祖母から転送されてきた手紙を、フランキーがどれ程ゾロに渡そうとしても、ゾロは決して受け取らなかった。



それを、フランキーは全部…。



床に落ちた一通を拾い上げる。

古びて、封の糊がはげていた。

畏れるように震える指で、中の便箋をそっと抜いた。



白い便箋の折り目が、薄茶色に変色している。



懐かしい、サンジの文字。



『 Dear freind 』



親愛なる友へ







元気か







こちらは毎日暑くてかなわない







プランターで育てている朝顔が咲いた















 「………。」





堰を切ったように、ゾロはサンジの手紙を読み始める。



時期も、季節も、みなバラバラだったが、手に取ったもの全てを夢中で読んだ。



『 Dear freind 』

いつも書き出しは同じだった。



友へ



親愛なる友へ



最愛の友へ





移ろう季節を、変わっていく町の様を、自分の小さな出来事を、小さな喜びを、サンジは訥々と書き連ねていた。



逢いたいという言葉も、恋しいという言葉もない。



だが、わかる。



文字の端々にサンジの思いが篭っているのがわかる。







成人式に出た。



お前の名前が出た。



どうしてるかなって、いう奴がいたよ。



答えられなかったけどな









しくじった



事故ッちまって、今、通院中



待合室、退屈で退屈で仕方ねぇ





切り取ったメモ紙が一緒に入っていた。

ヘタクソなイノシシが描いてある。



“整形外科の医者、こんなの(笑)” と、描いてある。

そして、“ケガは左肩、たいしたことない。” とも。





ゾロは、思わず片手で顔を覆った。

涙が溢れてくる。

男が泣くなどみっともねぇ。

だが、止まらない。



声を殺してゾロは泣く。



泣きながら、手紙を読む。



いつの間にか、自分の周りはサンジの手紙で埋め尽くされていた。

日が落ちかけて、辺りは紫色に染まっていた。



ひゅう っと、隙間風が吹き抜け、手紙がカサカサと鳴った。



舞い上がった1枚が、サンジの膝の上に舞い降りる。

だが、サンジの目は虚ろに宙を見るだけだった。



 「…サンジ…。」



そっと、膝の上の便箋を取り上げる。



 『 愛するゾロ 』



比較的、新しい便箋。

その手紙だけは、その書き出しで始まっていた。



 フランキーのおばあさんが、遠くの施設に入ることになったと聞いた。

多分、これが最後の手紙になると思う。

一度もお前から返事をもらえなかったけど、おれの手紙はちゃんとお前に届いているはずだって、おばあさんが言ってたから、それを信じてる。



ゾロ



おれ、フランスへ本格的に修行に行くことになった。前みたいな短期研修じゃない。

いつ、戻れるか分からない。

けれど、戻ったら、おれは本気でお前に逢いに行く。

来るなと言っても行くからな。覚悟しておけ。



行ってくる。



帰ったら、とびっきり美味いメシ、食わせてやるからな。





ゾロ



ずっと我慢して書かなかった。



まぁ、書くのがこっ恥ずかしいってのもあったからな。







ゾロ



今でも、おまえを愛してる。

















重ねた思い。

こんなに軽い紙なのに、とてつもなく重く感じる。



こいつのこの想いを、おれはずっと殺してきた。



 「サンジ…!すまねェ…!!サンジ!!」



虚ろな目は、ゾロの姿を映さない。

遠い耳は、ゾロの言葉を届けない。



右手で手紙を握り締め、左手でサンジの夜着の袖を握り締めた。

サンジは、ピクリとも動かず、黙って目の前の空間を見つめるだけだった。









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(2007/7/13)

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