BEFORE





 ゾロがサンジを引き取って2ヶ月が過ぎた頃、テレビで伏龍会会長が逮捕されたというニュースが流れた。

逮捕容疑の中に、拉致監禁は含まれていなかった。



それでいい。



サンジの一件を、公にするつもりはまったくない。



そのサンジの容態に、変化はない。

好くもなく、悪くもない。



声をかければ、自分で床から起きるようにはなった。

呼びかけに、応える仕草をするようにもなった。

食事の量も、増えてきた。



それでもまだ表情は無く、目は虚ろで、ゾロが側にいることすら認識していないようだった。



今はただ、サンジを全てのものから守りたかった。

このままサンジが元に戻らなくてもかまわない。

この車椅子を押して、一生共に歩いていく。

それでいい。

おれは、償わねばならない。

お前の想いを殺し、全ての未来を奪ったのはおれだ。



季節は冬になっていた。

クリスマスも正月も、ゾロにはまったく意味はなく、沈黙するサンジにも、季節の移ろいなど意味がなかった。



だが



サンジと共にいることが、あの冬の、初めて結ばれた夜を思い出させる。

あの笑顔と、涙と。

置き去りにした結果がこれか…。



 「2代目。」



離れの縁側から、女が姿を見せた。

サンジの為に雇った、介護資格を持つ家政婦だ。

数年前に夫に死なれた寡婦で、まだ中学生と高校生の息子ふたりを育てているという。

『生活がかかっているから、一生懸命働きます』と、こんなヤクザの家にまで来てくれた。

気が利く女で、随分と助けられている。



 「あまり外においでですと、サンジさんが風邪を引いてしまいますよ。」



鉛色の空。

雪が降るかもしれないと、サンジを車椅子に載せて、空を見上げていた。



 「…そうだな…。戻るか、サンジ。」

 「………。」



車椅子を押して離れの玄関へ向かおうとしたが、



 「2代目、縁側から抱いて、中へ入れて差し上げてくださいな。その方が早いですよ。」

 「…そうだな…ジョニーかヨサクは?」

 「先程フランキーさんに用事を言い付かって、そろってお出かけに。何を仰います2代目。ご自分でなさいませ。」

 「え?」

 「ご自分の大事なお方でしょう?さ、こちらから。」

 「………。」



ゾロは躊躇った。



ゾロは、サンジに触れることができなかった。

ここへ来るまでも来てからも、一度も、サンジに触れていない。



 「2代目。」



再び急かされて、ゾロは躊躇いながらサンジの肩に手をかけた。



暖かい



サンジの温もりだ。



と、ビクンと体が大きく震えた。



 「!!」



思わず、ゾロは手を引いた。



サンジの見えない目に、今まで見たことの無い複雑な色が浮かんだ。



 「サンジ…。」



その様子を見ていた家政婦は、一瞬息を呑んで



 「…やっぱり玄関からお入れしましょうね…どなたか…呼んで参ります…。」



察しのいい女だ。

ゾロが、サンジに触れることに恐怖しているのを見て取った。



 「…サンジ…。」



泣きたいと思った。

泣けたらどんなに楽かと思った。

サンジの手紙を読んだあの日、ゾロは生まれて初めて涙を溢れさせて泣いた。



だが、泣いてサンジが元に戻るとは思っていない。

泣いて戻るのなら、どんなにみっともなくてもいくらでも泣いてやる。



後悔ばかりがゾロを覆う。



どうしておれは、こいつを守れなかった?



おれは、コイツの為と言いながら、ただ逃げていただけだったのか?



あの山のような手紙の切ない文字を、受け止めて答えてさえいたなら、こんなことにはならなかったか?

少なくとも、騙されて陥れられることはなかったはずだ。



拳を握る。





サンジ



サンジ



嫌だ。



やっぱり嫌だ。



お前の笑う顔が見たい。

お前の笑う声が聞きたい。

おれの名を呼ぶお前の声を。

おれを見つめるあの綺麗な目を。



見たい。

聞きたい

もう一度見たい。

もう一度聞きたい。



あの文字を、言葉にして言ってくれ。

今度こそ、いくらでも答えてやる――!



サンジ



 「…サンジ…!」



血を吐くように呼びながら、それでもゾロはサンジに触れることができない。

天を仰ぐゾロの目に、灰色の空からちらちらと、雪が舞い降り始めるのが映った。







その時だ。











 「ゾロ。」

























動くことが、できなかった。



『ゾロ』



と、今、自分を呼んだその声。



ゆっくりと、ゾロは振り返る。



振り返ったそこに、車椅子に座ったサンジ。

顔を少し伏せて、漂う視線はゾロではないどこかを向いていた。



だが



その顔が



ゆっくりと



ゆっくりと



自分の方を向いた。



そして、焦点は定まらないが、それでも、サンジの目はまっすぐに自分を『見て』いた。



 「…サンジ…?」

 「………。」

 「サンジ…お前…今…おれを呼んだか…?」



衝撃に目を見開くゾロへ、低い声が答えた。





 「ああ、呼んだ。」





はっきりと、わずかな震えも無い声、そして言葉。



 「サンジ!!」



駆け寄り、思わずサンジの前へ跪いた。

心臓が爆発するように鳴っている。

思わずサンジの手を握り締めたゾロの手を、サンジも掴み返した。

つい今しがたまで、心と体に傷を負って自分を喪っていた人間とは思えない力。



 「…サンジ…!?お前ェ…いつから話せた?いつから言葉が戻ってた!?いつから正気に戻ってたんだ!?」

 「…始めっからだ。」

 「な…!?」



サンジの顔が、ゾロの方を向いた。

傷ついた目に、光が甦っている。



 「…始めは確かに、打たれたクスリのせいでおかしくなってた。でもな、意識の片隅ははっきりしてたよ。

  中々、普通にものを考える事はできなかったけどな。」

 「テメェ…!なぜだ!?それなら何で!?今日まで!!今まで2ヶ月もずっと黙ってた!!」

 「…何でだ…?」



怒りを含んだ声。



 「何で?じゃあ、おれもテメェに聞いてやる。テメェ、なんでおれに触れねぇ?」

 「!!」

 「何でだ?…入院してて…少しずつ頭がはっきりしてきて…目は見えなかったが側にいるのがテメェだって感じ始めて…

  …けど…本当にお前なのかどうか、おれはわからなかった…。」

 「………。」

 「お前を知ってる。よかったら逢わせてやる、そう言われて、疑いもせず付いていったバカはおれだ。挙句あんな目に遭ってよ…。」

 「言うな、言うなサンジ!!」

 「だからおれは疑ってた。ゾロだと名乗るお前の声が、記憶に残ってるおれのゾロの声に、確かによく似ていたが…

  …それが本当におれのゾロの声かどうかおれにはわからなかった…!確かめる手立てがなかった!

  いくらお前が、自分がゾロだと名乗っていても、本当にテメェかどうか…怖かった…

  もしまた、騙されていたらと思うと怖かった!!今度こそ、ホンモノのお前に会えなくなるようで恐ろしかったんだ!!

  目が見えない。お前の顔が分からない。確かめる手段は何もねぇ、唯一確かめる方法は…お前に触れることだけだ…

  …なのにお前ェ…おれに全然触れようとしなかった!!」



固く握った手を、さらに強くゾロは握る。



 「本当にお前なら、何でおれに触らねェんだ?おれにお前を確かめさせてくれねェんだ!?」

 「サンジ…!!」

 「それとも何か?…他の野郎に汚された体なんか、触りたくねぇか…?」

 「違う!!」



それでも、ゾロの手は震え、握った手すら畏れるように歯噛みする。



 「汚れたなんて思っちゃいねぇ!だが…お前がこんな目に遭ったのはおれのせいだ!!」

 「ああ…そうだ…テメェのせいだよ…。」



サンジの手がゾロの二の腕を掴む。

腕を辿り、肩を握り、首から顔へ、サンジの手がゾロを探る。



 「何でテメェのせいでこうなった…?何でかわかるか?」

 「………。」



ゾロは、自分の頬に触れるサンジの手に触れ、指を握った。



 「わからねェか…?なぁ…わかるだろう!?」

 「サン…ジ…!」

 「逢いたかった…逢いたかった…ずっとずっと逢いたかった…!アレからどれだけおれが後悔したか分かるか!?

 お前の手を離したことを、物分りのいいフリしてお前を1人で帰らせたことをどれだけ悔やんだか!!テメェに分かるか!クソ野郎!!」







ずっと我慢して書かなかった。



まぁ、書くのがこっ恥ずかしいってのもあったからな。







今でも、おまえを愛してる。









耐えられなかった。

そして、もう怖れたくなかった。



ゾロは全ての力を腕にこめて、サンジの体を抱きしめた。



抱かれた胸に、サンジは大きく喘いだ。



そして、かすれる声で



 「…お前がおれを忘れちまったなんて…思っちゃいなかった…ずっと心で繋がってるって信じてた…あの時…

  …電話の向こうから聞こえてきたお前の声…言葉…嬉しかった…あの野郎に犯されていても…お前の声で救われた…

  …ああ、やっぱり、コイツまだおれに惚れてくれてんなァって思ったら…何にも耐えられた…。」

 「………。」

 「負い目も畏れも感じなくていい…おれの目ん玉ひとつでケリが付いたならそれでいい…どこを奪われたっていい…

 …手も足もお前の為なら全部くれてやる…!!」

 「いいワケねぇ!!」

 「………。」

 「あの野郎…今でも殺してやりてェんだ!!おれのイチバン大切なモンを…たったひとつの宝を…汚ねェ手で触りやがった!

  お前から光を奪って、命まで奪おうとした!!本当は警察なんぞに任せたくねぇんだ!!」

 「…でも…我慢してくれたんだよな…?」

 「………。」



ゾロは、サンジの目の上を走る傷にそっと指で触れた。



 「…逃げようとしたんだ…そしたら…ドジってよ…。揉み合ってる時に…。」



背中のゾロの手が、小さく震えている。



 「…お前にまた逢えたら…最高のメシ食わせてやろうって思ってたのによ…ごめんな…。」



大きく喘ぐように歯噛みし、自分の肩に顔を埋めたゾロの頭が、横に首を振った。



 「…ゾロ…キス…。」



サンジはゾロの頬を包んで、自分の顔を寄せた。

求められるままに、ゾロも顔を寄せてサンジの唇に自分のそれを重ねた。



触れてしまえば、思いは止まらず溢れ出した。



サンジの体を抱きしめ、キスは熱を帯びて深くなる。

サンジの手も、ゾロの顔を掴んで放さず、貪るように口づけを繰り返した。



わずかに、唇が離れた時、サンジの唇から甘い吐息とともに言葉が漏れた。



 「…ああ…ゾロ…だ…ゾロ…確かにお前だ…ゾロだ…おれのゾロだ…!」

 「そうだ、サンジ。おれだ。お前の…お前のロロノア・ゾロだ!」

 「…ゾロ…もっとキス…もっと…確かめさせてくれ…。」

 「ああ、いいぜ…。確かめろ、いくらでも…。」





雪が舞う。



何度も何度も、互いを確かめ合う2人をやさしく包むように。









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(2007/7/13)

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