「…むかぁしむかし…まだ人と妖しが闇を共にしていた頃… 都を騒がす1人の鬼がおったそうな…。」 留守番組の、ナミ、ロビン、ブルック。 家主の、今年90になるという母親が、ただ待つのみで、 何する事もない3人に慰めの御伽話をしてくれるという。 囲炉裏の火を囲み、3人は老婆の口から漏れる話に耳を傾けた。 昔 まだ、夜は闇しか知らず、魑魅魍魎だけのものだった時代。 大江山の深山に、異形がひとり住んでいた。 人でない肌の色。 人でない髪の色。 人にはない、額から生えた2本の角。 それゆえ、人はそれを異形と呼び、また『鬼』と呼んだ。 鬼は時折、都の人々の暮らしや心を騒がせていたが、ある時、 帝の妹である姫宮を見初め、その姫に恋をした。 その姫宮。 「…その宮様は…黒い髪に黒い瞳、象牙の肌の人が当たり前の人間であった時代には、 異端に近い…金の髪に青い瞳…雪の肌を持っておられた…異形の姫だったそうな…。」 「金の髪…。」 ナミがつぶやいた。 その容姿の描写を聞けば、彼女には、いや、ロビンにもブルックにも、思い起す人物は他にいない。 「鬼は宮を攫い深山の奥へと逃れ、二度と都には降りてこなかったそうな…。」 「………。」 「自分を攫った異形の鬼…じゃが宮もまた、異形の姫…互いに… 想いを通わせた2人は…末永く…幸せに暮らしたそうな…。」 ナミの口元に笑みが浮かぶ。 「…しかし…。」 「…!」 老婆は、少し顔を伏せる様にしながら 「…鬼と人…たとえ宮が異形と呼ばれる姫であっても…人である事に変わりはなく… …姫は年を経て…人としての世をやがて終えるさだめにあったのじゃ…。」 「…え…?」 「…それは…。」 ブルックのつぶやきに、老婆はかすかにうなずいた。 「姫宮を失って千年…鬼若様は…今でもおひとりで…この深山の奥に暮らしておられる…。」 「………。」 「宮様は…深山の四季を大層愛されたそうな…宮様が息を引き取られる時… 鬼若様に約束を求められた…命ある限り…この山に美しき四季を回せ…と…。」 「四季を…。」 「桜の春を…緑の夏を…黄金の秋を…真綿の冬を…必ず巡らせてほしい…そう仰せになられたと…。」 ナミが、かすかに眉を寄せる。 ロビンも、静かに目を閉じて俯いた。 「花は宮の香を思い出させ…夏は宮の輝く笑みを思い出させ… 秋の実りは宮の流れる髪を思い出させ…冬の雪は宮の肌を思い出させる… 四季が巡る度に…その度に鬼若様は宮を偲ばれ…時に悲しみを思い起こされる… 四季の巡りが遅い時は…鬼若様が姫宮を思い出しておられるのだと… …昔からの……言い伝えにございますで…。」 ナミが、息をついて 「…悲しい話ね…。」 「………。」 風が、戸を鳴らした。 ブルックが小さな声で言う。 「…みなさん…寒い思いをされてなければよいのですが…。」 日が暮れ落ちようとしていた。 夜になったら、ゾロとサンジを探すのも難しいし、危険になる。 「それまでに帰ってくればいいんだけど。」 ロビンが、家主が差し入れてくれた甘酒を、器に注ぎながらつぶやいた。 それを受け取りながら、ナミが 「ねェ、ロビン…。」 「なぁに?」 「…さっき…おばあさんが言ってた…鬼若様と姫宮…。特に鬼の方だけど…。」 「ええ…。」 「…自分とその姫様が…自分の生の中で…一緒にいられる時間がとんでもなく短いって事… わかっていて…その姫様を好きになったのかしら…?」 「…わかっていたでしょうね…。」 「…本当に…千年も…思い出だけで生きているのだとしたら……。」 「………。」 沈黙するロビンに代わるように、ブルックが口を開く。 「…思い出だけで生きる事ほど…辛いものはありません…。」 「…ブルック…。」 「それでもその鬼は生きている…生きて…恋人との約束をひたすらに守り… …四季を巡らせ続けている…。」 「この島の人達も…優しい人達なのね…ほんの少し、春の訪れが遅くても… その心を思いやって、じっと待っているのですもの…。」 「コック!おい!コック!!」 答えはない。 だが、唇から漏れる息は規則正しく、表情も安らかだ。 と、鬼が、少し悪戯げな口調で言う。 「…そこへ寝かせるのに運んだ。おれが触れたのはそれだけだ。安心しろ。」 「…っ!!」 「…銀狐の醸す、梅の香に酔っただけだ。只人なら当然の反応だ。心配はいらん。」 ゾロは、最悪の仏頂面で、サンジを抱き上げると 「おい、ここから出せ。」 「………。」 鬼は笑っているが、狐の方は今にも泣きだしそうな顔だ。 「…それから…お前が鬼若とかいう鬼か?」 「今、それを聞くか?…まぁ、里の者たちはそう呼んでいるらしいな。」 「…里の連中が、春が来るのが遅いってぼやいてたぜ。 てめェの仕事なら、さっさと働け。」 「…四季を巡らせるのはおれの仕事じゃねェ。春を呼ぶのはそこにいる銀狐の仕事だ。」 「何ィ!?」 ゾロは、縮こまった狐を睨み付けた。 狐の尻尾が、電流でも走ったかのように震えた。 そのまま鬼の背中に隠れてしまう。 「春には春の、夏には夏の、秋には秋の、冬には冬の。 巡らせる“鬼”は他にいる。ここに来る時に会っただろ? どれもみな、“仕事の鬼”だ」 いや、沢山居すぎて。 「おれはそんな大層なもんじゃねェ…春を呼ぶ仕事を、 前の鬼に頼んでそいつに継がせたのはおれの“連れ”でな。」 「………。」 「…親に捨てられて死にかけてたそいつを…必死で介護して育てた。 …そいつにとって、おれの連れは母親みてェなもんだった…。」 「…まさか…。」 鬼は笑って答えた。 そしてサンジを指差し 「…おれを…慰めようと思ったんだろ…こいつに悪気はねェ…わかってやってくれ。」 「………。」 腕の中のサンジを見て、ゾロは唇をへの字に曲げた。 狐は、鬼の後ろでしゃくりあげながら泣いている。 「…お前はおれだと言ったな…。」 「………。」 「…どういう意味だ…?」 「…お前が知る必要はねェよ。」 「………。」 「迷惑をかけた。詫びる。」 自分と同じ顔が笑うのを見て、ゾロは思う。 憎ったらしい顔だ。 「銀狐。」 びくんと、また狐が震える。 「道を開け。こいつらを現し世に戻せ。」 キューン、と、狐が鳴いた。 小さく首を振って、いやいやという仕種を見せる。 と、鬼は、狐の頭をがっしりと掴み、次には銀の毛をぐしゃぐしゃと撫で回して言った。 「…ここにいる“サンジ”は、このゾロの“サンジ”だ。おれの“サンジ”じゃねェ。」 「……!!」 ゾロは、チョッパー以外の動物が、ポロポロと涙を流すのを初めて見た。 と 「…ん…。」 腕の中で、金の髪が揺れた。 渦巻いた眉毛が歪んで、その下の青い目がうっすらと開く。 その目が、自分を抱いている緑の髪の男の顔を見た。 「…ゾロ…。」 「…あァ…。」 サンジは、まだどこか酔ったような目をしたまま、にこりと笑い 「…好きだよ…ゾロ…。」 と、囁いた。 「ああ、知ってる。」 短い、そっけない答えだったが、サンジは満足げに笑った。 どんな夢を見てたんだかよ。 「………。」 サンジが何かをつぶやいた。 サンジのつぶやきに、狐がピクンと尻尾を立てた。 そして、サンジの目が狐を見る。 「……ああ…居た……。」 狐の目から溢れる涙は滝のようだ。 「…こら…泣くな…チョッパー…。」 白い指が、差し伸べられる。 その指先が、狐の鼻に触れた。 「…泣くな…男だろ…?」 狐は、身を折って泣いた。 その体を、鬼は優しく抱き上げる。 「道を開け。」 狐は、ようよううなずいた。 「本当に戻れるんだろうな?」 「…疑い深さもおれと同じか?」 鬼が笑った。 「心配するな。道は開けている。真っすぐに戻れる。」 「………。」 「…あの声の元まで、道は真っすぐだ。お前でも迷わず行ける。」 声? 「………おおお〜〜〜〜〜〜〜い!ゾぉぉぉぉロぉぉぉぉ〜〜〜!!!」 「サンジぃぃ〜〜〜〜〜〜。」 「お〜〜〜〜いゾロ鬼〜〜〜〜〜出て来〜〜〜〜〜〜い!!」 「いや、ちげーだろ!」 鬼が笑う。 「………。」 ゾロは、振り返らず歩き始めた。 サンジを抱いて、仲間の声のする方へ。 「振り返らねェか。……さすがだな、おれ。」 鬼がつぶやく。 いつの間にか、鬼の背後にゾロが出会ったアヤカシ達。 「…迷われませぬか?」 牛頭が言った。 「お前、“おれ”を馬鹿にしてんのか?」 鬼が、怒った口調で言う。 すると蛇が 「…お屋形様の映し身ゆえ、甚だ不安にござりまする。」 「あいつは映し身じゃねェよ。…あいつはあいつだ…“ロロノア・ゾロ”だ。」 狐が、しゅんとうな垂れた。 「……あいつは人としての宿世を果たして逝った。 …おれはおれの宿世を果たしたら、あいつの元へ逝く。 例え千年の時があっても、おれとあいつにとっては大した時間じゃねェんだ。」 狐が、青い目で鬼を見た。 もう、涙はない。 「あいつらにはあいつらの宿世がある。わかるな?」 小さく、狐はうなずいた。 「…さあ、銀狐。春を巡らせ。お前の仕事だ。」 アヤカシ達が、一斉に囃し立てる。 「あいつの好きだった花を。今年も見せてくれ。」 狐は、一声高く鳴き、長い尻尾を揺らして異界の空を突きぬけ、大空へ舞い上がった。 「春じゃ!」 「春じゃ!!」 「春が来る!」 「鼓を打て!」 「笛を吹け!」 「鈴を鳴らせ!」 「春じゃ!」 「春じゃぞ!」 賑やかに、祝いの唄が奏でられる。 アヤカシ達の乱舞を横目に、鬼はまたその場にごろんと横になり、大きなあくびをひとつ洩らした。 はらり と、梅の花がひとつ その紅に、思い出す愛しい声。 “ 名残の雪の中で、精一杯に咲く梅の花が愛おしい ” 鬼は指を伸ばし、衣桁に掛けられた着物の裾を軽くつまむ。 愛しい香は既に失われていたが、目を閉じればその香も、肌の滑らかさも、何もかも鮮やかに思い出せる。 初めて出会い、結ばれ、攫った時に、唯一御所から身に着けてきた単衣。 自分で染めた好きな衣だと言って、本当の姿に戻って後も、これはずっと離さなかった。 宮 いや サンジ また春が来る あと、どの位の春を迎えるのか知らないが、時に退屈だと、寂しいと、 そう思ったこの長い生でもこんな面白い事が起きるもんだ。 お前の現生にも、逢えるとは思わなかったぜ? なんだ? 妬いてんのか? アホ てめェの方が、あっちのサンジよりずっといい男だぜ? 「ゾロ!!」 呼ぶ声に、ゾロは目を開いた。 サンジを抱いて、声を頼りに真っすぐに進んできた。 どこが出口だ?と、思った瞬間、目の前にルフィが立っていた。 ルフィと、ウソップとフランキーとチョッパー。 4人とも、呆然とした顔をしている。 「…どうした?」 ゾロのその問いに 「お前がどうした!?」 「お前、今、どこから湧いて出た!!?」 「え!?え!?なんで!!?どこから!?って、どこだ!?」 「だって、ここ…!雪野原のど真ん中…!!」 グルッと辺りを見回す。 なるほど 周囲100メートルに、木も草も一本も見えない。 夕暮れ時の雪野原を進む4人の目の前に、いきなりゾロとサンジは湧いて出たのだ。 「ま、いっか!無事に見つかったんだからおっけーてコトで!!」 ルフィの宣言に 「よくねェよ!!」 「現実から目を逸らすなぁ!」 「どこまでポジティブなんだ、お前ェはぁぁ!!?」 雪野原に響き渡る声。 そのやかましさに 「うるっせーなウソップ!!昼寝も出来やしねェ!!」 怒鳴るや サンジはいきなり跳ね起きた。 雪の上に降りたつや、『黒足のサンジ』のキックが炸裂する。 悲鳴も上げられず吹き飛んだウソップは、200メートルは先にある大木の幹に激突し、 梢から落ちてきた大量の雪の下敷きになった。 気の毒すぎる。 「お、起きたか?」 ゾロの言葉に、サンジは目を丸くして 「へ?」 と、答えた。 (2009/1/15) NEXT BEFORE 異形二人奇譚TOP NOVELS-TOP TOP