「…ンマー、辿り着くのが遅すぎやしねェか?」
「うるせぇ!思い浮かばなかったんだから仕方ねェじゃねェか!!?」
そうなのだ。
考えてみれば、あの家の持ち主はアイスバーグだったのだ。
バブルが弾けて、土地家屋が転がってきた。
その頃にはまだ、あの天井は残っていた時期のはずだった。
アイスバーグの自宅は成城にある高級マンションだ。
1フロアに1ルームの玄関先で、夜中に騒いでも大して苦情は起きない。
真っ赤になって怒鳴るフランキーを、アイスバーグは笑いながら中へ招き入れた。
「…おれのおせっかいが気に入らないのはわかる。
だが、素直になるべき所は素直になって、聞くべき事はちゃんと聞くことだ。」
「………。」
返す言葉が無い。
「ひとりの力には限界がある。…お前、よくこの短い間にこれだけ調べたと思ったが、
そうか。仲間に助けてもらったか。」
「………。」
仲間
不思議な感覚があった。
そういえば、今までの自分なら、あの連中に『協力してくれ』などと言っただろうか?
頼む、などと言っただろうか?
あのガラス天井を作ろうと決意してから今日まで、フランキーは恥もプライドも捨てた。
少しでも、知恵を借りるために、技術を得るために、ものを尋ね、頭を下げ、下手に出て教えを請うて歩いた。
自分の人生の中で、こんなに人に頭を下げて回った事があっただろうか?
「ロビンもお前も、あのアパートに送って正解だったようだ。」
「………。」
こんなに、夢中になって仕事をするのは初めてだ。
これほど人を頼り、信頼して任せることはかつてなかった。
自分の心境の変化に、フランキー自身驚いている。
その感情は、一体どこから湧き起こってくるものなのか…。
「さて、ガラス天井の絵柄だが……残念ながら、写真はない。おれも、記憶に残っているだけだ。」
「その記憶が欲しいんだ。」
「わかった。」
夜の夜中にも拘らず、アイスバーグは製図用紙を引っ張り出し、鉛筆を走らせた。
その絵を持って、フランキーがサニーに帰ってきたのは、遅い初冬の夜明けが近い時刻だった。
そして、早朝、全員を叩き起し食堂に集めると、テーブルにその絵を広げた。
「………何、これ?」
まず、そうつぶやいたのはナミだった。
低血圧で、夜更かしの早起きで、かなり機嫌が悪い。
その絵を見て、首を傾げたのはナミだけではない。
「…これ…ヤモリ?」
「カメレオンでは?」
「エリマキトカゲに見える。」
チョッパーとブルックとルフィが言った。
サンジが、ポリポリと頭をかきながら
「…もしかして、これ、鳥か…?」
と、言うとゾロが
「コレが鳥なら、爬虫類はみんな空を飛べるんだな…。」
「……ひでー……泣けるくらいヘタクソ……。」
ウソップが深く溜め息をついた。
何故か頬を染めながらフランキーも、
「…まぁ…その辺は深く追求してくれるな…とにかく、図柄はこんなカンジなんだ!」
この、救いがたいほどのヘタクソな絵を、アイスバーグが2時間もかけて描いたのだとは言えなかった。
とても言えなかった。
実際に絵を描く担当のナミが
「ねぇ、これ雲なの?唐草紋様がどうとか言ってなかった?」
「わからねぇな。ただ、バカバーグの話だと、確かに全体的に白かったが、金の部分もあったように思うって話でよ…。」
「え〜〜〜〜…?…ああぁん…こういうの、全く専門外だもんねェ……。」
頭を抱え、ナミはしばらく思案していたが
「フランキー……ちょっと時間くれる?」
「………。」
「…あたしなりに調べて、勉強してみる。だから、少し時間を頂戴。
とりあえず今日、音羽御殿?そこに行ってみるわ。」
「…ナミ…。」
「大体の絵のカンジはわかったわ。後は細かいディティールよ。」
「…頼む…!」
ナミはウィンクしてみせて
「任せて。…ふふっ…あたしね、なんだか楽しいのよ。
…なんかこう…コレを見事に作り上げたら…きっとすごい達成感だろうって思う。」
ウソップがうなずいた。
サンジも笑う。
そしてウソップが
「…おれもさ…なんか…こういうの好きだな…おもしれぇって思う。
いや、勿論、ロビンの為なんだけど、おれ自身すっげェ楽しくてしょうがねェ。」
「おれも。普段と全く分野の違う成分分析って、結構ワクワクする!」
チョッパーの頭を、ナミはわしゃわしゃと撫で回した。
「やめろよー!こどもじゃねーぞ!」
「…さて!じゃ、顔洗って目、覚ましてくるか!」
と、ナミが背伸びした瞬間だった。
「…ナミ!?」
崩れ落ちたナミを、咄嗟に受け止めたのはフランキーだ。
「ナミさん!」
「ナミ!」
「……あ〜…ごめん…ちょっと貧血…騒がないでよ…大した事ないから…。」
「顔色悪いぞ…おい、フランキー!そのまま部屋へ運べ!」
ルフィが、いつにない慌てた様子で怒鳴った。
言われるがまま、フランキーはナミを抱え上げてホールの階段へ向った。
「どうしたの!?ナミちゃん!?」
管理人室から、騒ぎにロビンが飛び出してきた。
ナミは、バツが悪そうに笑って
「…あ〜…なんでもないわよ、ロビン。こいつらが大げさなだけ。」
「真っ青じゃないの…熱は?」
「ただの貧血。少し寝れば治るから。」
きっと、ロビンがフランキーを睨む。
「…あなたのせいよ。」
「は?」
「…あなたが、ナミちゃんに無理をさせたんでしょう…!?」
「………っ!」
口ごもるフランキー。
本気で怒っているロビンに、ナミは
「…違うわよ、ロビン。……原稿と並行してたから、ちょっと疲れただけ。
でも、いいの。昨夜決めた。今年の冬コミは落とすわ。」
「…ナミちゃん…。」
「…そんな顔しないで、ロビン。…わかってよ。
あたしたちみんな、今、一番やりたいことはこれなのよ。」
言って、ナミはフランキーに抱えられたまま天井を見上げた。
そして、にんまりと笑い
「やりたいの。無理してもやりたいのよ。お願い、やらせて?」
「………。」
「あたし、ここが好きなの。」
ナミの額に、ロビンは自分の額を合わせた。
少し俯いて、泣きそうな目を伏せて。
「……どうして……?」
「…楽しいから…今が一番…幸せだって思えるから…。」
ナミは、フランキーを促して床に降りた。
「できるなら、いつまでもみんなとここに居たいけど、それは無理でしょ?
ゾロだってサンジくんだってウソップだって…卒業して就職したら…いなくなっちゃうかもしれないし。
チョッパーだって、医師免許取ったら外国へ行く夢持ってるし、
ブルックだってどこかのオーケストラに入れたら東京から離れるかもしれない。あたしだって…。」
一瞬、恥ずかしそうな顔をして、だがナミは言った。
「プロになりたいの。」
「………。」
「笑っていいわよ。漫画家なんてそう簡単になれないし、なるのは簡単でも
売れるのはほんの一握りの作家だけだって事もわかってる。でも、なりたいの。本気で。
…この天井のことで、みんなといろんな事調べて歩いて、今まで見る気もなかった物や出来事に関心が向く様になった。
今まで、ただ描きたいもの描いてればいいって思ってきたけど、そうじゃない。
あたし、いろんな人に喜んでもらえるものを作りたい。」
「うんうん」と、ウソップがうなずいた。
ルフィも、嬉しそうな顔でナミを見る。
「その手始めがあんたよ、ロビン?」
「……ナミちゃん……。」
「覚悟しなさい!絶対あんたの度肝抜いて見せるから!」
宣言するナミに、サンジが問う。
「大丈夫かいナミさん?もう、ふらついてないかい?」
「ありがとう、平気よ。…でも、ちょっと寝よっかな。」
「そうした方がいい。…悪かったな。」
フランキーが言うと、ナミは笑って
「大丈夫よ!…ホ〜ラ!あんたが一番元気でいてくれなきゃ困るのよ!?
そんな顔しない!…この貸しは、ちゃんと返してもらいますからね?」
「…う…。」
「貸し」という言葉に、フランキーはげんなりした顔をした。
ゾロとサンジもフクザツな顔をして、困った様に笑う。
ナミは、バシン!と、自分の2倍はあるフランキーの背中を叩いて、にやりと笑った。
そして、ロビンの肩も軽く叩いて、自分の足で2階へ上がっていった。
「フランキーさん。今日も工房の方へお出かけになりますか?」
ナミを見送ってブルックが尋ねる。
「ああ、まだちょっとよくわからねェ所があってよ。」
「フランキー、今日の夕方には分析結果出ると思うぞ。」
「すまねェ、助かる。」
「ナミさんに栄養のあるもの食べてもらわないとな…。ああ、ついでに全員分朝飯作ってやるぜ。」
「お!やった!!」
「おい、ルフィ。今日ナミの代わりにナントカ御殿、行って写真撮って来い。」
「ん!わかった!ウソップ、デジカメ貸してくれ!」
「おお、いいぞ。…壊すなよ?」
「わぁーってるって!今日、ゾロは?」
「悪いが今日は授業がある。外せねェ。」
「ああ、そっか!おい、サンジィ!夕方、ゾロのお迎え予定に入れとけよー!」
「入れるか!!路頭に迷ってろ!!」
いつも賑やかなアパートだった。
特に、この住人達になってから、毎日が賑やかで楽しかった。
でも、自分はこの暖かな輪の中に入る資格はない。
ロビンはにこやかに微笑みながら、いつも遠くから彼等を見つめていた。
優しい人達。
気のいい人達。
素直で、純粋で、強くて、何より自分を信じて真っ直ぐに前を向いて。
私には
眩しすぎた…。
今が一番幸せ
シアワセを
私は感じてはいけない…。
「……『青い鳥』……。」
「え?」
「ロビン?」
「………。」
「ロビン?今、何て?」
部屋に入りかけたナミが、2階のテラスから身を乗り出した。
皆が、ロビンを見つめた。
ロビンは、幼い少女の様に泣きそうな顔で
「『青い鳥』……天井に描かれていたのは……赤いバラを咥えた青い鳥…
…メーテルリンクの童話をモチーフにした……篭から飛び出し空へ舞い上がる青い鳥よ。」
「…ロビン…。」
フランキーが目を見開いた。
ウソップが叫ぶ
「え?でも、『青い鳥』をこのガラスの作者は知らないはずってルフィが…!」
「…小川三知は1911年までベルギーにいたの。」
ロビンの言葉にルフィが「あ。」と、声を上げた。
「メーテルリンクの童話集を知っててもおかしくねェ。メーテルリンクはベルギーの作家だ!」
「くおおおおおおおおおっ!!」
「!!!!??」
突然の雄叫びに、全員ビックリして声の主を見た。
フランキーだ。
「ロビン!!!」
叫んで、思わずフランキーはロビンの細い肩をつかんだ。
「ありがとうよ!!」
「…え…。」
「ありがとうな!!」
「………。」
なぜ
あなたの方が礼を言うの?
ナミが、けたたましい音を立てて、再びホールへ降りてきた。
「来て!ロビン!!」
「え…?」
「描くわ!!部屋へ来て!!」
「…ダメよ…ナミちゃん休まなきゃ…!」
「大丈夫!!寝てる場合じゃないわよ!!もぉ、嬉しくて元気いっぱい!!」
ロビンの手を引き、ナミは2階の自分の部屋へ駆け上がった。
ついさっき、倒れたとは思えない気合の入り方だ。
手を引かれながら、ロビンはフランキーを見た。
すると
「頼むぞロビン!」
「………。」
「なぁ、フランキー。このウーパールーパーの絵どうする?」
「もう、いらねぇ。」
サンジの問いに即答するフランキー。
目の前で、どれだけアイスバーグが必死になって描いたか知っていながらあっさりと斬り捨て。
ナミの部屋は、他の住人に比べれば綺麗に使っている方だ。
だが、狭い部屋の中は本や雑誌や画材などで埋め尽くされている。
印刷所の名前が入ったダンボールが、天井まで山積みされているのを見て、ロビンは一瞬床が抜ける恐怖を感じた。
その中で、オンボロアパートに似つかわしくないパソコンとプリンター。
電源が入ったままだ。
液晶画面に、どこかの教会のステンドグラスの写真が開かれている。
説明文は英語で、パソコンの側には英語の辞書が置かれてあった。
「………。」
ナミは、プリンターの側からOAペーパーの束をつかんで
「…うれしい。あんたがその気になってくれて。」
「……フランキーは…。」
「ん?」
「あの人…どこまでこの家のことを話したの…?」
ロビンの問いに、ナミはけろりと
「なぁ〜んにも。」
「…え?」
「…ただ、この家が元はあんたの家だったってコトだけ。」
「………。」
「あたし思うんだけど、あいつさ、何も算段とかしてないわよ。本当にあんたを喜ばせたいだけだと思う。
…あとは…この家を綺麗にしたいって、職人意識だけじゃないかな?」
「…元はと言えば、私が我を張っていたことなのに…あの人、ありがとうって…。」
「あはははは!作業が先に進むのが嬉しいのよ!瞬間そっちの方が嬉しかったんじゃない?」
「…ナミちゃん…。」
「うん?」
「…昨夜、寝てないんでしょう…?」
「あれ?わかる?」
「…ずっと調べていたの…?」
「うん。つい徹夜しちゃった。でも、入稿前はいつものことだから。」
「…ごめんなさい…。」
「…謝らないで。」
「………。」
「…みんな、あんたに喜んでもらいたいのよ。」
「………。」
「あんたが喜んで、心から笑ってくれたらそれでいいの。……サニーのみんな…
…誰かを笑顔に出来る事をしたい。そんな風になりたくて、がんばってる。だから、今がんばれる。それだけよ。」
「………。」
「…さ!描くわよ!!」
ロビンは躊躇いながら、それでも微笑んでうなずいた。
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(2008/11/21)
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