アラームが鳴っている。 これは携帯の方のアラームだ。 スケジューラーに予定の時刻を入れ、交通機関や待ち合わせの時間にセットしてある。 え〜〜〜〜〜っと……。 今日は何の予定があったか…………。  「ゾロ。おい、ゾロ。ゾロ!」  「!!」 がばっ!! サンジの声に覚醒し、勢いで起き上がり、周りを見回す。 レストランホールの壁際に置かれたソファの上。 跳ね起きた勢いで、毛布が床に落ちた。 それを、腕を伸ばして拾い上げながら、サンジは平然と言う。  「文句言うなよ。つぶれたお前が悪いんだ。オレがお前を運べる訳ねぇだろ?  うまい具合にここに倒れてくれてよかったぜ。  まぁ、床に倒れたらその時はその時で、そのまま床で寝てもらおうと思ってたがな。  ところでいいのか?携帯がさっきからアラーム鳴らしてるぜ?」 言われなくてもわかってる。 ゾロの額に汗が一筋。  「ヤベェ!今、何時だ!?」  「時間セットしたんだろ?朝の7時丁度だぜ?」  「そうだよ7時!!今日8時に渋谷だった!!」  「あらら〜〜、間に合うかなァ?」 からかうように笑うサンジ。 千歳烏山から渋谷の距離を移動するには、あまりに微妙すぎる時間。  「散らかしたまんまで悪ぃ!!行かなきゃならねぇ!!じゃあな!!」  「おいおい、せっかく作った朝飯をむだにすんのか?」 テーブルの上に、なんとも美味そうな英国風ブレックファスト。 新鮮なフルーツ盛り合わせ、ヨーグルト、ドライフルーツが混ざったシリアル、ベーコンエッグ、 イングリッシュマフィン、レーズンのスコーン、トースト、マーマレード、フルーツジュース…。  「う…!」 匂いに、一瞬めまいを覚える。 サンジはにやりと笑い。  「冗談だ。ほらよ。」 店の名の入ったお土産用の紙袋。  「弁当だ。昼に食え。」  「サンキュー!助かる!!じゃあな!!」  「ああ、またな、ゾロ。」  「!!」 一瞬、ゾロの足が止まった。  「ん?」  「…また…来ていいのか?」  「まさか来ねぇつもりだったか?」 ゾロはぶんぶん首を振った。 ガキのような仕草だ。  「開店してる時は裏から入れ。奥で待っててくれりゃいい。」  「ああ、じゃあまたな!」  「転ぶなよ。」  「ガキじゃあるめぇし。」 言い残して外へ飛び出し どかん がらがらがたーん!!  「ガキじゃねぇか。」 サンジが苦笑いした時、外からゾロの声が  「すまねぇ!鉢一個割った!!」  「弁償しろぉ!!」  「遅ェ!!」 渋谷の撮影現場で、仁王立ちで待っていたのは今日の雇い主、ウソップだ。 大学卒業後、大手の広告代理店に就職して、かなり名の知れた広告デザイナーになっている。 2年前に独立して、今では社員20人を抱える社長様だ。 今日は、渋谷にオープンする、ある海外ブランドの日本版ポスターの撮影だった。 大きな仕事だ。 その仕事に、オレを指名してくれた。 だってのに、この有様。  「…悪ィ…っ…はっ…はぁはぁ…ちょ…水…。」  「ったくよう、どーせまた寝こけてたんだろー?」  「当たらずとも遠からずだ。………ぷはぁっ!!美味ぇ!!」  「うっわ!酒臭ぇ!!なんだなんだ?朝帰りかよ?お安くねぇなぁ。」 言いながら、ウソップはその特徴ある鼻で、くんくんとゾロの体の匂いを嗅いだ。  「おんやぁ?夕べはマルボロのご婦人と一緒だったなァ?」  「マルボロは当たってるが、男だよ。…匂うか?」  「そーね、お前さんに気がある女には匂うかもね。」  「ざけんな。」 と、ウソップの携帯が鳴った。  「あ〜、はい!こちらウソップ!あらま〜、先日はどーも!」 すぐ済むから始めててくれ、と、ゾロと、周りに待機していたスタッフに言い、ウソップは、まだ工事中の店舗の中へ入っていった。 ウソップの携帯にも、自分とナミと、お揃いのストラップ。 そうだ サンジと話していると、何故かルフィを思い出した。 顔や姿はまったく似ていないのに、ポンポンと言いたい放題喋る勢いが、どこかルフィに似ているような気がした。 トルコの酒を飲んでいる間、ついついゾロは、ナミの好きな男はルフィという奴だ、と話してしまった。 こぼれた言葉は戻らないし、別に悪いことを言った訳でもない。 自然、サンジはルフィの話を聞いてきた。 大学時代の話のあれこれ、色々話してしまったが、サンジは飽きはしなかっただろうか? 酒の勢いで、自分も随分おしゃべりになっていた気がする。 サンジのいる空間は、ゾロにとって居心地のいい場所だった。 不意に気づく ゾロは、自分のあれこれをサンジに話したが、サンジ自身の話は何も聞いていない。 足の事故のことも、あんな風に言いながら、それ以上のことは何も言わなかった。 だが 「またな。」 そう言って別れた。 その事が、ゾロの唇に自然に笑みをこぼさせる。  「じゃ、始めるか。」 ウソップとの仕事は楽だ。 何も言わなくても、『あうん』の呼吸でゾロの言いたいことを悟ってくれるし、ウソップの言いたいことも大体わかる。 今日は、撮影用のアシスタントまで用意してくれた。 店舗の外観と内装など、何枚かの写真を撮影し、途中休憩しながら、ウソップがゾロの写真をチェックする。 今時のデジカメのおかげで、ダメ出しも現場で喰らうようになった。 午後にはモデルが到着し、テレビCM用の撮影と、雑誌広告用スナップ撮影を一緒に行う。  「ウソップさ〜ん!ロロノアさ〜ん!昼の弁当、何がいいっすかぁ?」 まだペンキ臭い店舗の中で、床に座り込む2人に、スタッフが尋ねた。  「あー、オレSUBWAYのアボガドベジーLサイズ、ツナプラス、わさび醤油で頼むわ。ポテトセットでコーラMな。」  「あ。オレいいわ。弁当あっから。」 ゾロの答えに  「弁当ォォ!!?」 ウソップが激しく動揺した。  「あ!アレか!?弁当ってのはコンビニか?ほか弁か?夕べ買っといて、食い損なったってヤツか?」  「今朝作ってもらったヤツだ。」  「けさ、つくってもらったぁぁぁぁあぁああ!!?」 新しいブティックの中には、ウソップのスタッフだけではなく、ブティックのスタッフもいた。 そのブランドの、かなりおエライ方もいた。 それらの目が、一斉にゾロとウソップに注がれる。  「ちょ〜〜〜〜っと、待て!?朝帰りだったんだよな?夕べはマルボロの男と、一緒だったつったじゃねぇか?  やっぱマルボロの女じゃねぇのか!?誰だ?なァ、誰なんだ?  ほれ、言ってみそ?怒らないから、正直にウソップさんに言ってごらん?ん?」 自慢の(?)鼻をゾロの頬に押し付けて、いつにない迫力で迫るウソップ。 あまりにしつこいので  「コックなんだよ!この前ナミんとこの取材で知り合ったんだ。正真正銘男だよ!」  「…コックさんが?コックさんだからって、普通野郎が野郎に弁当なんか作ってくれっかぁ〜?」 まだ疑う。  「ホラ!コイツだ!」 ゾロは、携帯を取り出してデータBOXを開き、この前の写真を見せた。  「へー。なんだ、ホントに男か。つまんね〜。」  「…ったく。」 その様子を、ずっと見ていた買出しのスタッフがポツンと言った。  「…なんでおふたり、お揃いのストラップなんですか…?」 ゾロとウソップは、同時にそのスタッフの方へグリンと首を向け。  「知るか!!」 と、叫んだ。 仲間のうちで誰が一番初めに、ストラップを外すだろう。 多分誰も外さない。 あのルフィが送ってきた、今、ただひとつの繋がりだ。 簡単に、外すことなどできない。


 「ルフィ、今どこにいるか知ってるか?」  「もう1ヶ月前になるか?イスタンブールにいるって、ナミに連絡があったらしいぜ。」  「まぁったく…ホントに世界一周する気かよ、アイツ。」  「する気だろうな。アイツのことだから。」  「…ナミも気の毒によ…このまんまじゃ、アイツ待っててオバサンになっちまう。」  「………。」  「…な、ゾロ。さっきのコックさんの写真、もう一回見せてくれ。」  「いやだね。」  「なんでだよ!?」  「テメェこそなんでだよ!?」  「……なんででしょう?」  「?」 …………………。  何で?  「うおおお!!なんて眩しい弁当だあああ!!」 ウソップが感嘆の声を挙げた。 近所の公園にスタッフが集まってそれぞれの昼飯だ。 勿論、近くの店で外食するものもいるが、こういう仕事のスタッフは、例外なく金などない。 一般人の邪魔にならない場所で、コンビニのおにぎりやらパンやらの昼食だ。 気配りの人ウソップは、ちゃんと全員に缶コーヒーの差し入れを忘れない。 そんな彼らの前に、堂々と公開されたゾロの弁当。 紙袋には、2段重ねの弁当箱が入れられていた。 朝の残り物を想像していたので、正直ゾロもかなり驚いた。 菜の花の煮浸し、鯖の西京焼き、がんもどきの煮しめ、サトイモとイカの煮物、出し巻き卵、鶏の照り焼き、 うどときゅうりの酢の物、レンコンのはさみ揚げ、そして俵に握った白いメシ。 それらが、彩り豊かに美しく、弁当箱の中で光り輝いている。  「うわあ!スゲェうまそう!!」  「この前テレビで見た1万円弁当みてぇ!」 いつのまにやら、ゾロの周りに黒山の人だかり。  「あ〜〜〜い〜〜〜〜な〜〜〜〜、一度でいいから、こんな弁当食ってみてぇ〜〜〜〜。」  「うまほ〜〜。」  「あ〜〜、ホントうまほ〜〜〜。」 うまほ〜うまほ〜と、周りが合唱し始める。 即席うまほ〜合唱隊 言うとる場合か。  「鬱陶しいぞテメェら!散れ!!」  「な〜、ゾロ〜ちょびっと、ちょびっとでいいからこの卵焼き、食わせてくれよぉ〜〜。」 ウソップが、猫なで声で手を合わせる。  「ちっ!」 仏頂面で、箸で卵焼きをつまみ、ウソップの口へ運んでやる。 と、不意に眉間に眉を寄せ  「やっぱヤダ。オレんだ。飯一粒たりともやらねぇ。」  「ケチぃ!!テメ、オレが散々奢ってやった恩を忘れたかァ!?」  「忘れた。オレ、頭悪いからよ。」  「なんて野郎だコイツぅ!!野郎共!!やっておしまいっ!!」 上司の命令に、スタッフたちが拳と喚声を上げたが  「やんのか、あぁ?」 その 一睨みで  「ごめんなさい。」 やっかみ者達の抗議の炎は、あっけなく鎮火した。 サンジの作ったメシだ。 不味かろうはずがない。 朝、アレだけの朝食を用意して、なおかつ自分の為に、こんな弁当まで作ってくれた。 自然と笑みがこぼれるくらいに美味い。 その殆どを平らげたところで  「なァ、ウソップ…。」  「なんだよ、シブチン。」  「…弁当箱って、借りたら返すもんだよな…?」  「そーね。100均タッパーとかじゃない限りは、ちゃんと洗って返すべきでしょーね。ドケチ。」  「…携帯も店の電話番号も聞いてねぇや…しくじった…。」  「…ホントーに、これマルボロの男が作ったのか?イケズ。」  「そうだっつってんだろ?しつけーぞ。」  「そう、オレはしつこいの。まぁ、しつこいのがオレ達のいい所だけどな。誰が何言ったって、絶対譲らねぇあきらめねぇ。  ルフィもナミもお前もオレも。」 ゾロは小さく笑うと、弁当箱に最後に残った卵焼きを、ウソップに箸で差し出した。  「お!サーンキュー!!……んんん!!ん〜〜〜〜〜〜〜まいう〜〜〜〜〜!!いや、美味ぇな〜。なァ、なんて店だ?このコックさんの店。」  「『オールブルー』だ。」  「『オールブルー』、千歳烏山のか?それじゃ、“車椅子のシェフ”か?」  「そんなに有名か?アイツ。」  「ああ、有名な話だぜ?『調理師法欠格事由』の壁を破った最初の男だろ?  その業界じゃ有名な話だ。元はパリの三ツ星、『バラティエ』日本支店の副料理長だったんだ。  事故で足が不自由になって、調理師、コックでいられなくなったんだが、厚生労働省に真っ向掛け合って、欠格事由条項を撤廃させちまった。  そんだけの腕の持ち主だったって事だ。確か1,2年前だったろ?かなり新聞で騒いだぜ?」 調理師法欠格事由条項 これは調理師に限らず、何らかの資格を手にしたいと願う障害者達の、著しい弊害となっていた条項だった。 聴覚障害、視覚障害等の身体障害、また精神障害などを理由に、 様々な資格を得ることを認めない法律条項だ。 例えば医師。 仮に、聴力に障害があっても、能力とそれを補う手段があれば、医師になることは決して不可能ではない。 だが法律は、それを理由にあらゆる門戸を閉ざしてきた。 だがここ数年、欠格事由条項が見直され、法律が改正されて、 障害者達にも様々な資格取得の道が開かれるようになってきた。 まだまだ、同様の欠格事由は多いものの、明るい兆しは見え始めている。 その堅い鉄の扉のひとつを、開いたのがサンジだとは知らなかった。  「スゲェヤツだったんだな…。」  「オレ達と同じ、しつけぇ諦めの悪い野郎なんだな?きっとよ。一度行ってみてぇな、マジで。なァ、今度連れてけよ。」  「…ああ。その内な…。」 そうか 一緒にいて居心地が好いと感じたのは、アイツがルフィやウソップやナミと、同じ匂いを持っているからだ。 オレ達はたまたま、大学の入学式で出逢った。 趣味も性格もまったく違うオレ達が、今日までこうして付き合っていられるのは、全員が似たもの同士だったからだ。 頑固で、強情で、諦めが悪くて、何より夢を語るのが大好きで。 そうか そういうことなのか…。 仲間に抱く感覚と同じ サンジに対する気持ちのそれが、そうであるのだと思った瞬間、何か奇妙なもやもやがゾロの中で大きくなった。 仲間に対する感覚だけでなく、今、ウソップから聞いた限りのサンジの事実を知ってしまった今、 心のどこかに妙な憐憫が生まれたのを感じてしまった。 そんなものを、アイツが望むわけはないのに。 けれど  『 車椅子の理由を聞いてください。 』 あれは強がりなのか、それとも、本当に哀れみを拒絶しているだけなのか。 聞いてみたい 逢いたい NEXT (2007/3/6) BEFORE にじはなないろTOP NOVELS-TOP TOP
※作者注※  調理師法欠格事由条項について、改定前に、肢体障害等の条項があったかどうかを調べてみましたが、作者には掴めませんでした。 この作品中のような当該事実がない場合、これに関係する各位が、なんらかの不快を感じてしまったならばお詫び申し上げます。 この作品がフィクションであるという事、東京という舞台であるものの、まったくの架空の話であることを、改めてお断り申し上げます。 ストーリーの上で、これは大切なことだったので…。 現在は相対的欠格事由として、調理師法は以下のように定めています。 第四条の二  次の各号のいずれかに該当する者には、第三条の免許を与えないことがある。 一  麻薬、あへん、大麻又は覚せい剤の中毒者 二  罰金以上の刑に処せられた者 つまり、心体の不自由で資格取得差別を無くそうという方向に向かったわけです。