千歳烏山のサンジの店を飛び出し、ゾロは環八を越えて首都高速の高架線の下を歩いていた。

『道に迷った時は首都高速を探して、その下の道を竹橋方面を目指せ。』は、ウソップのアドバイスだ。

『そうすりゃその内、知ってる駅がひとつやふたつ出現するから。』



だがこのアドバイスは、時と場合によっては用を成さない。

いつぞやお台場で迷子になった時には、何の役にも立たなかった。

首都高13号地の料金所は、徒歩では通り抜けができなかったのだ。(ぅおい)



それはともかく



夜中とはいえ車の往来は多く、道路沿いの店もまだ開いているところは多い。

時折、ヘッドライトがゾロの姿を映し出しては通り過ぎる。

サンジのスウェットに自分の上着を着、いつもの自分のバッグを肩から提げて、ゾロはいつになく俯き加減で歩いていた。

吐く息が白い。

暖冬暖冬といいながら、この晩はかなりの冷え込みだ。



 (…オレは…一体何をやった…?)



ゾロのすぐ脇を、バイクが駆け抜けていった。

かなりの危うさだったが、それにもゾロは気づかない。



 (何かスゲェ…クラクラして…吸い寄せられて…気がついたら……。)



 (…キス…したんだよな…オレ…アイツに…。)















突如、夜の街に雄叫びが轟く。



 「だああああああああああああああああああああああああああああああああ!!絶っっっ対、引かれた!!ドン引きされた!!

 変態だと思われた!!絶対嫌われた!!絶対に…!!……………………ああ……そうか……。」



大きな溜め息

ゾロは、緑の髪をかきむしり



 「…そうか…おれァ……。」





 「アイツに惚れてんのか……。」



12月のとある晩



一目惚れって本当にあるんだな、と、今更ながらに自覚したゾロだった。

















 「ぶぇっくしょい!!……あ〜〜〜……。」



中野のアパートに着いた時間は夜明け近かった。



歩きながら、何でヤツなのか、何で男なのかと考えもした。

だが、答えなど出るはずもない。

惚れちまったもんは



ある程度稼ぐようになっても、ゾロは学生時代からのアパートに住んでいた。

何のために作ったのかわからない、6畳間隣の北向きの2畳間が暗室に丁度よくて気に入っている。

狭い玄関で靴を脱ぎ、荷物を降ろし、コタツの前にどっかりと座る。



 「落ち着け…とにかく落ち着けオレ!落ち着いて今後どうするか考えろ!とにもかくにも心頭滅却、無心になれ!

 今だけは何も考えず、心を落ち着かせろ!それが先決だ!興奮状態で考えたって、まともな答えなんざ出ねぇ!

 ………とりあえず、カメラの手入れしとくか……。」



カメラを触っていれば、多少は気がまぎれる。

が

バッグを引き寄せた瞬間、ゾロはあることに気づいた。



軽い



いつもの重さではない



 「!!?」



慌てて、中を引っ掻き回す。

失った重さに心当たりがある。



 「ライカが無ぇ!!?」



寄りにも拠ってのライカ。

記憶を反芻する。

最後にアレをバッグから出したのは…。



 「アイツんトコか…!」



サンジの家のリビング。

サンジの仕事が終わるのを待っている間に、一度、取り出していじっていた。

やっぱり、これでサンジを撮りたい。

そう思いながら…。



そのまま、カメラバッグに戻さずテーブルの上に置いたままだった。



いつものゾロならどんなに慌てていても、あのライカだけは抱えて飛び出していただろうに。



 「…どーすよ…?」



落ち着くどころか、ますます落ち着かなくなったゾロだった。







その日は1日最悪だった。



徹夜で絶不調のコンディションのまま、ライカの重さがバッグにないままの状態で、しかもあまり好きではないグラビアアイドルの撮影。

それでもなんとか終わらせて、疲れきった体で、松屋の牛めし大盛生野菜セット卵つきを掻き込んでいる時、携帯の着信が鳴った。



ナミだ。



さらに疲れがのしかかってきた。



 『はぁ〜い、ゾロお久しぶり〜。』



テンションの高い声。

どっと疲労感が押し寄せる。



 「何の用だ…?」

 『あらっ?ご機嫌悪いわね?お疲れ?そりゃそ〜よね〜?夕べ、千歳烏山から中野まで、歩いて帰ったんだもんね〜え?』

 「!!?何で知ってる!?」

 『もぉ、アンタいつのまに、サンジくんとそんなに仲がよくなったのよ?なのに、携帯の番号も教えてないわけ?しょーがないわね。』



テメェこそ、いつのまに『サンジくん』なんて呼ぶ間柄になりやがった?



…そうだ。 また電話番号聞き損ねた…。



 「余計なお世話だ!テメェ、何の用事だよ!?からかうだけのつもりなら切るぞ!?」



カウンターだけの店舗。

客の目が、一斉にゾロに注がれた。

店員が、『うるせぇよ』という言葉を目で露わにして見ている。



 『サンジくんも、アンタの携帯の番号知らないからって、アタシに連絡してきたのよ。

 え〜、この伝言メッセージをお聞きになる場合は、利用料1,000円頂戴いたします。』

 「ふざけんなテメェ。」

 『“お前の可愛いライカを預かった。無事に返して欲しかったら1億円用意して店へ来い”』

 「1億円はテメェのフィクションだろ?」

 『確かに伝えたわよ?じゃあね。』



言うだけ言って、ナミは電話を切った。

最後の頃は、どこか不機嫌な声だったが。



残った牛めしが、突然腹に入らなくなる。



結局、並盛程度の量だけ食べて残してしまった。

ルフィが側にいたら『勿体ねぇ!』といって、あっという間に平らげるだろうが、今ここにルフィはいない。

今、この状態のゾロを、ルフィが見たらなんと言うか。



 「行きゃあいいじゃん?」



多分、そう一言言って終わるだろう。

行きづらいと言えばきっと



 「バッカじゃねぇの?」



と、切り捨てるのだ。

そして



 「会いたいなら会いに行けばいーんだ。」



そう言って、背中を押すだろう。

あの能天気さに、随分と救われてきたものだ。



ゾロは、ひとつ大きく息を吸い、駅に向かった。













 「いらっしゃいませ、ムッシュ?」

 「………。」



今日は店から入った。

昨日ここを訪ねた時刻より、少し遅い時間。

もう、客は帰った後で、厨房の掃除もすっかり終わっていた。



エントランスの小さな明かりがついていたので、裏から回らず表から中を覗いてみたら、すぐにサンジがドアを開けた。



あの笑顔で



昨日の今日で、間が抜けているとは自分でも思う。

気恥ずかしさを隠すには、仏頂面でいるしかない。

それをわかっているように、サンジはからかうように笑っている。



 「これで3日通ったな。明日は“ところあらわし”か?こりゃ。」

 「なんだ、そりゃ?」

 「平安時代の通い婚。男が女の家に3日通ったら、4日目の朝に“結婚しました”のご報告。」

 「……。」

 「入れよ、メシは?」

 「…食った…。」

 「なんだ。」



がっかり、という表情を隠さず、サンジは肩を落とした。

しかし



 「じゃあ、飲ろう。肴、作るぜ。」

 「いや、いい。」

 「………。」

 「今日は帰る…カメラだけ受け取りに来た。」



サンジはゾロの顔を見上げ、まっすぐに目を見てくる。

だがゾロは、その視線を受け止められない。

サンジの目に、落胆の色が浮かぶ。



 「…そ…。」



静かに、車椅子の向きを変える。



 「ちょっと待ってろ…。」



厨房から奥の部屋へ。

程なくして、サンジが戻ってきた。



 「ホラよ。大事なモンなんだろ?ドジな野郎だ。」

 「ああ。…こんな事ァ初めてだ。

 「………。」

 「うろたえちまった……夕べ……。」

 「………。」

 「悪かった…。」

 「……何が?」

 「……何が…って……。」

 「お前、オレに何かしたか?」

 「………!」



とぼけてんのか?

夕べのことを



とぼけて、無かったことにしちまおうってか?



ああ



それに乗っかって、そうしちまうのもいいかもしれねぇ……。



いや



もう無理だ。



気づいちまった今となっちゃ、もう消えやしねぇし後戻りもできねぇ。



だがコイツは……。



そうか そうだろうな…。



コイツがそうしたいなら…そうしてやるしかねぇのか……。



もうオレに、会いたくもねぇのかもな…。



 「…じゃあな。手間かけた。」



ゾロが、改めてバッグを担ぎなおし、背中を向けたとき



 「待て、ゾロ。」



サンジが呼び止めた。

低い、真剣な声だった。



 「夕べの事を、無しにしようってワケじゃねぇ。」



思わず、ゾロは振り返った。



 「嫌だったらオレだって、テメェを殴るくらいの事はできたんだぜ?

 …もっとも、オレの両手はコックの手だ。料理を作る為の手だ。何かを壊すための手じゃねぇ。」

 「………。」

 「嫌だったら、“止めろ”って言ったさ…。舌咬んでも拒んだな。」

 「オイ…。」



それは…。



 「…嫌いじゃねぇよ…お前のこと。」



オレの、こういう所を馬鹿だと、ナミもウソップも言う。

リクツより感情より、体が先に動いちまう。



思わず、サンジの両肩を掴んでた。



 「…う…あ…。」

 「…ホラ…それがわかったら、中へ入れ。」



肩を掴んだゾロの手を、サンジはそっと触れて両手で包む。

暖かい。



ゾロは、驚き慌てた顔を、不意に仰いで



 「いや、やっぱり、いい。」

 「…オイ…?」



膝を折り、ゾロはサンジの前にしゃがんで、サンジの顔を下から見上げた。



 「今…舞い上がっちまってるからよ…何口走って、何しちまうかわからねぇ。自分に…自信が持てねぇ…。」



サンジは笑った。



 「…いいぜ…?何口走っても。」

 「…いや、帰る。」

 「ゾロ…。」

 「…大事にしてぇんだ…。お前を。…今のオレ自身の気持ちも。…変に汚したくねぇ。」

 「………。」



サンジは微笑み、何も答えない。

少し不安になって、ゾロは尋ねる。



 「ガキ臭ェか?」

 「…つーより、アホ?」

 「……(-_- X)」



サンジは小さく笑った。

そして



 「おやすみ、ゾロ。」

 「ああ、おやすみ。」



立ち上がり、小さく手を上げていこうとした時



 「あ!!」

 「あ?」

 「携帯…!携帯の番号、教えてくれ!!」



ゾロは慌ててポケットから携帯を出した。



 「できればメアドも…。」

 「無ェ。」

 「あ?」

 「オレ、持ってねぇんだ。携帯。ついでにパソコンもねぇ。」

 「へ?」

 「機械オンチでさ、オレ。店用のしか、電話無ぇの。」

 「う…。」

 「だから、オレと話してぇ時は、テメェがここに来るしかねぇんだぜ?」



まるで、勝ち誇ったようなサンジの顔。

そんな顔すらイイと、思ってしまった瞬間、ゾロは両手を挙げて降参するしかなかった。



 「とりあえず、店の番号な。」



店の、レジカウンターに置いてある名刺を1枚取り、ゾロに差し出す。

ゾロも、仕事用に作ってある名刺を取り出し、裏に携帯電話の番号を書いた。



 「オレの携帯。今度は直接電話くれ。ナミ通すとうるせぇからよ。」

 「あ〜、ナミさんの声も聞きてぇけどな。」

 「言ってろよ。…じゃあな。」

 「ああ。」



「じゃあな」と、言いながら、ゾロはサンジの肩に手を置いた。



 「……いいか?」



ゾロの問いに、サンジは答えなかった。

うなずきもしない代わりに、黙って目を閉じた。



腰を屈め、肩を抱いて、上向いた顔に唇を寄せて、サンジのそれに軽く口付ける。



昨日のキスより、少し、熱いキス。



 「おやすみ。」

 「おやすみ。」



照れくささもある。

ゾロは駅への道を駆けだす。

まるで、スキップでも踏んでいるような駆け足だった。









(2007/3/29)

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