翌日の昼過ぎ、“オールブルー”を訪れたのはナミだ。

今日も、客の予約は入れていない。

サンジは、笑顔でナミを迎え入れ、紅茶でもてなす。



 「あったよ、ナミさん。これだよね?」



サンジは、夕べナミが投げ捨てたスカーフを見せた。



 「そう!それそれ!!ごめんね、サンジくん。…夕べの…お詫びしたくて。」

 「楽しかったですよ。何をナミさんがお詫びすることがあるの?」

 「………。これ、昨日渡しそびれちゃったんだ。1日遅れでごめんなさい。メリークリスマス。」



バッグから小さな包みを出し、サンジに渡した。



 「開けてもいい?」

 「ええ。」



青いリボンの包みを開く。

中に、シンプルなシルバーのZIPPOが入っていた。

ボディにサンジのイニシャル『S』が、手書き風の書体で大きく彫り込んである。



 「ありがとう…!大事にします!」

 「…よかった!」

 「ボクから何もできなかったのに…。」

 「ううん、おいしい料理と楽しい時間で十分!…昨日の…大丈夫だった?」

 「ええ、大丈夫。」

 「ごめんね。」

 「気にしないで。」



不意に、ナミの笑顔が曇った。



 「優しいのね、サンジくん。」



その声が、どこか冷めていた。

その理由を、サンジは知っている。



 「どうして笑えるの?アタシなんかに。」

 「………。」

 「わかってたんでしょ?昨日のこと。」

 「………。」

 「黙ってないで、何とか言って。」

 「………。」

 「サンジくん!」

 「ナミさん、何か勘違いしてるよ。」



笑って、サンジは言った。



 「…勘違い?」

 「酔ったフリして…ゾロにキスして、ボクがビックリするのを面白がったんでしょう?ボクが、ヤキモチ妬くと思って。」

 「………。」

 「可愛いナミさんに、あんな熱烈なキスしてもらって、まったく羨ましいヤツだ…。」

 「とぼけないで。」



ナミの声に、怒りがあった。



 「怒ればよかったのよ。あの後だって、アタシ…!」

 「ナミさん。」

 「!」

 「オレはもう、ゾロとは会わない。」



ナミに対して、『オレ』とサンジは言った。



 「全部終わった。昨日も…オレ達は何もなかった。最後にはケンカして追い出した。

  二度と来るな、そう言って追い返したから、きっと、もうここへは来ない。」

 「…そんなはずない…ゾロはバカだもの。素直に“そうか”、なんて言う訳ない!」

 「来ないよ。…仮に来ても、オレはこの店にもう、一歩もヤツを入れない。」

 「それでいいの!?サンジくん!」



叫んだナミに、サンジは一瞬冷たい目を見せた。

サンジが普段女性に向ける、あの優しい眼差しではなかった。



 「それでいいんでしょう…?ナミさん。」

 「う…!」



そして、またサンジはにっこりと笑った。

優しい、悲しい笑顔。



 「…どっちにしろ…アイツじゃ到底、このオレには釣り合いやしませんよ。」

 「………。」

 「ナミさん。」



びくり、とナミは肩を震わせた。



 「…貴女はどこまでも追いかけていける。自分の足で。でもオレには、追いかける足がないんです。」

 「…サンジくん…。」

 「…這いつくばって追いすがるなんて真似、オレにはできねぇ。

  したくもねぇ。だから…これでおしまい。」



ナミの大きな瞳に涙が浮かぶ。



 「…サヨナラ、ナミさん。」



それが、サンジの精一杯の抵抗。



女の子を泣かせるなんて、最低だ。

レディは優しくて、フワフワして、男が守ってやるべきモンだとずっと思っていた。

そしてそうしてきた。

ナミさんはキレイで、可愛くて、まっすぐな瞳で、大好きなのに、どうしてオレは、こんなに冷たくなれるんだろう?



 「…ごめんよナミさん、貴女も…もう、ここへは来ないで欲しい。」



車椅子を反転させて、ナミをフロアに残して奥へ向かう。

うろたえるようなヒールの音がして、ドアが開き、ナミが走り去る音がして、やがて消えた。



 「…あ〜〜あ…。」



天井を仰いで、サンジは自嘲するように笑う。



 「…こんな時に…死にてぇって思うのかな…?」



そんな勇気、ねぇけどな。

死ぬ気になったら何でもできるって、他人はよく言うだろ?

けど、何もできないから、できなくなるから死ぬんだ。



 「…大丈夫…オレにはまだ生きる術がある…まだ…生きていける…そうしてりゃ…いつか忘れる…

  忘れられなくても…いつか…笑い話になってくれるさ…。」



言い聞かせる

何度も何度も



 「…まったく…涙ってのは、空になるってコトを知らねぇのか…?」



テーブルの上に置いた、ナミからのZIPPO。

ラッピングの紙とリボンごと、グシャグシャと手の中で丸めて、そのまま床に投げつけた。

転がっていった青い塊は、バーカウンターの端にぶつかって止まった。



足が自由であったなら、踏みにじってやりたかった。









 「ダメだ!!これもそれもどれも!!こんな荒ェ写真、使えるかぁ!!」

 「………。」



広いトレス台の上に、ゾロの撮影した写真を叩きつけてウソップが叫んだ。

ウソップの作業ブースは狭い。

本当はそれなりの広さがあるのだが、真ん中に大きなテーブルが置いてあり、

そこに様々なものが雑然と置いてあるので、かなり圧迫感がある。

テーブルには6客の椅子があるが、その椅子も、

本やら雑誌やらワケのわからないおもちゃやら、荷物があふれかえっていた。

唯一残った荷物のない椅子に、ゾロは腰を下ろし。

体を斜めに向けてテーブルに肘を突き、仏頂面でウソップを上目遣いに見た。



 「ほー、反論しねぇとトコロを見ると、自分で心当たりありまくりってか?」

 「…うるせぇ。」



12月30日

間違いなく、日付変更線よりこっち限定万国的に、明日は大晦日。



ウソップの会社も、すでに休みに入っているものの、数人のスタッフがまだ残って仕事を続けている。

だが明日と、正月3が日は休み。

とにかく、年内に例の写真をもらいたいと、ゾロを急かして持ち込ませたのだが…。



 「おー、ヤダヤダ。そのテンションのまま、正月越すのかよ。とにかく、こんな写真使えねぇ!」

 「…わかってる…すまねぇ…。」

 「なんだよ、珍しくしおらしいな。

  ……まぁ、クリエイターな仕事はいろいろあるけどよ。プロだろ?」



ライカで撮影した写真だ。

昔ながらの方法で、ゾロが自分で印画紙に焼き付けた写真。

A4サイズの用紙に焼き付けられた何枚もの写真を、ウソップはぱらぱらとめくりながら



 「せっかくのライカが泣くぜぇ?こんな雑な写真撮られちゃ、たまったもんじゃねぇや。」



テーブルの方に向き直り、ゾロは両肘をついて頭をかきむしる。



 「どんな理由か知らねぇけどよ。精神状態ひとつで、こんなに絵面の変るヤツだったか?ゾロよぉ。」

 「………。」



キャスターつきの椅子に座っていたウソップは、そのままゾロの向かい側に移動して



 「その手。」

 「………。」



ゾロの右手に、白い包帯。



 「クリスマスの日、別れた時にはなかったよな。」

 「………。」

 「27日に、渋谷のガレーラに行った時、そうなってた。」



ゾロは答えない。

一度も、ウソップの顔を見ない。



 「何があった?」

 「何も…。」

 「あったんだろ?サンジと。」



目だけが、ギロリと動いた。



 「ホレ見ろ、ビンゴだ。」

 「放っとけ。」

 「ほっとけるかよ。こっちにまでシワ寄せが来る様なトラブル、ごめんだぜ!」



コイツには、大学時代から色々な面で助けられてきた。

頼りない面が多々あるものの、本能で動くルフィと、計算で動くウソップのコンビネーションは抜群で、

ルフィで当てにならないことは、大概ウソップが解決してくれていた。



ウソップにとっても、こんなゾロは初めてだった。



揺るぎのなかったゾロの写真が、ここ一月あまりでコロコロとその色合いを変える。



何故か



理由の可能性は様々だが、心当たりはひとつしかない。



サンジの店でクリスマスを祝っている間に、ただそこで大騒ぎして、飲んで食ってしていた訳ではない。

ウソップは、ちゃんとサンジを観察していた。

初めて会う相手だ。

どんなヤツかと興味があるに決まっている。

しかもゾロにもナミにも、「ルフィにどこか似ている。」と言われれば、どの辺りが似ているのかと、知りたくなるのも当然だ。



なるほど、サンジはルフィに雰囲気が似ていた。



顔とか仕草でなく、側にいて、感じる空気が似ている。



周りを大きく包み込んで、言葉は乱暴でも底には優しさがあって、頑固で、譲らなくて、そのくせどこか甘え上手で。



そして、そんなサンジの側からゾロが離れない。



サンジが何かをしようとすると、ゾロが先に動いた。

誰も気づかないさりげなさで、ゾロはサンジの車椅子を押してやり、手の届かない場所へ手を伸ばす。



何よりも、ゾロはよくサンジの肌に触れていた。



あからさまに触れているのではない。



膝や、指や、さりげなくテーブルやソファに置かれた場所が、無意識に触れ合っている、そんな感じだった。



時折かわす目に、優しさがあった。



あれは、紛れも無い恋をしている目だった。



 「まー、元々、メンクイで理想が高いのは知ってたけどよ。」

 「何のことだ。」

 「お前の理想のタイプ。」

 「何の話だ!?」

 「怒って気が済むなら、いくらでも怒れば?怖くねーぞ。まぁ、とりあえず。今の所はその手のせいにしておいてやる。

  3が日明けても同じような絵、持ってきやがったら承知しねぇぞ。」

 「わかった…すまねぇ、ウソップ。」



と、ブースを仕切ったスクリーンの向こうから、スタッフが顔を出し



 「先生!ナミさんです!」

 「おう!」



ゾロは、肩へバッグを背負いかけた手を止めた。



 「ウソップ、この前頼んだヤツ出来てる?……ゾロ…!」

 「おう。」

 「…いたんだ…。」



走ってきたのか、ナミは、乱れた髪を撫で付けて小さく笑った。



 「仕事か?」

 「…ん?…うん……ちょっと…ね…。」



ウソップが、書類の山からクリアファイルを引きずり出し



 「出来てるぞ、これが見本。そんでもってデータ入れたCD-ROMが…あったあった、これこれ。」

 「ありがと〜、急がせちゃってごめんね〜。助かったわ!」

 「外寒いだろ?コーヒー飲むか?」

 「ううん!急ぎだから戻るわ!…じゃね…。」



ウソップと、ゾロに。

だが



 「ああ、じゃあオレも帰る。悪かったな、ウソップ。」

 「おう、4日に渋谷な!今度こそ頼むぞ!…よい正月を。」

 「ああ。」

 「………。」



自然に、ナミの後を追って、ウソップの事務所を後にするような形になった。

ウソップの事務所は8階建てのビルの7階にある。

すぐ後からゾロが歩いてくるのだから、ナミはやむなく到着したエレベーターの、

『開』ボタンを押して待っているしかない。



 「サンキュ。」

 「………。」



いつもの悪態がないので、ゾロは不思議に思ったが、何も言わなかった。



エレベーターの数字が『4』に点灯した時、ナミがぽつりと言った。



 「元気してる?」

 「…まぁな。」

 「ウソ。」

 「あ?」

 「そんなワケ無いでしょ?」

 「………。」



チン と音がして、エレベーターの箱が地上に降りた。

扉が開き切るのを待たずに、ナミは外へ飛び出す。



振り返り



 「元気なワケ無いじゃない?」



繰り返し、言った。



 「……ナミ……?」



ナミが笑う。

こんな、まるで魔女のような微笑、見たことが無かった。







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(2007/5/5)



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