BEFORE
 

その日の晩。

それまで、ゾロの世話をする男の侍従が数人だったのに、栗毛色の髪の娘と、黒髪の娘がひとりずつ増えた。

かなり容姿の整った2人で、ウソップなど、微笑みかけられて長い鼻の下を伸ばしている。

カリファたちの思惑など、ゾロは知らない。

知ったとしても、露ほどの興味もわかなかっただろう。

さっさと食事を終え、勝手に風呂に入って、そのまま寝室に消えていった。

侍女たちは、ろくに自分たちの顔を見もしない皇子にわずかに腹を立てて、それでも明日があるわと下がっていった。



ゾロの待ち人はただ1人。



寝室の、中庭に面したテラスの窓を開け放っておいた。

ベッドの上で枕に寄りかかり、足を投げ出してブランデーを瓶のままあおっていた。



 「………。」



水の匂いがした。

清々しく、心を洗うような香り。



瓶を傍らに置き、ゾロはベッドから降りた。

テラスに出る。



 「………。」



ゾロは微笑んだ。



微笑が返ってきた。



芙蓉の花が咲いている。

その花の下。



月に照らし出された花よりも、華麗で芳しい。



だが、その華麗な姿から吐き出された言葉は



 「酒臭ェ。」



眉を寄せて、憎らしげな顔をしながら、“サンジ”はゾロへ歩み寄った。



 「これしか人生の楽しみが無ェ」

 「おっさん臭ェな。」

 「…昨日までの話しだ。」



腕の中へ、愛しい体を引き寄せる。



ひと時抱きしめ、キスを交わし、見詰め合ってまた抱きあう。



 「ウソップは?」



サンジが尋ねた。



 「部屋だろ。大丈夫だ、誰も来ねェよ。」



ふと、ゾロはサンジがウソップの名を口にしたことに気付いた。



 「…おい、おれ、あいつの名前言ったか?」

 「……言ったよ?」

 「いつ?」

 「初めて逢った時の森の中で。呼び合ってたじゃねぇか。」

 「そういや…お前、なんであんな森の中にいた?」

 「だから…森の番人だって言っただろ?信じてねェ?」

 「ああ、信じねェ。」



サンジは苦笑いして



 「好きなんだ。藍で最も広く古い、“偉大なる森(グランドフォレスト)”。あそこは力が溢れている。

 生きている森だ。大樹にもたれかかったり、草の上に寝転んだりすると…気持ちがいい。」



ゾロの胸に体を預けながら、うっとりとした顔でサンジは言った。



 「…なんだか…お前も同じ感じがする…気持ちいいな…ああ…そっか。お前の頭が草と同じ色だからか?」

 「言ってろ。」



互いに笑って、互いの体に触れた手に力をこめる。



それきり、ふたりは言葉を紡ぐことをしなかった。



そよぐ風に身を晒して、黙って。



触れ合った肌を、離したくなかった。



やがて触れた手は、指を絡めて強く握り合い、皮膚が溶けるかのように熱くなった。





月が、雲に隠される。



闇が襲う。



不意に、腕の中のサンジを確かめるように、ゾロはその顎を捕らえて引き寄せ、唇を探った。

すると、サンジの体が拒むように、ゾロの胸から離れる。



 「どうした?」

 「…いや…。」



サンジの声は、少し震えていた。



もう一度、とゾロが抱き寄せようとした時、サンジは逃れるように身を引いた。



 「おい?」

 「…もう…帰らねェと…。」

 「まだいいだろ?夜明けまでまだある。」

 「いや…帰る…。」



ゾロは、行こうとするサンジを捕まえ、目を交わして唇を重ねた。

離した時に、自分を見たサンジの目。



 「…どうした?何でそんな不安な顔をする?」

 「…なんでも…ねェ…。」

 「………。」

 「なんでもねェよ。」



はっきりと、サンジは答えて笑った。

だが、どこか悲しい表情。



 「サンジ。」



ゾロが、何かを言うより早く



 「また、明日な。」



言って、自分の手を握ったゾロの手にキスした。

そのまま、自分の頬にゾロの手を当てて、また微笑む。

その笑みに、ゾロは言いかけた言葉を忘れ去った。



 「…ああ。」



安堵したように、サンジはうなずく。



名残惜しいのは自分も同じだというように、何度も振り返り、悲しげに笑いながら、サンジはまた夜の帳に消えていった。



 「………。」



寝室の燭台の炎が、大きく揺らいでゾロの影を歪めていた。

















朝。

といっても、すでに日は昇りきって、市井の家庭ではとっくに亭主が働きに出てしまった後の時間。

ゾロの寝室に、密かに忍び寄る足音。

ベッドの上で、ゾロは自分の腕を枕に軽いいびきをかいて眠っている。

そうっと、そうっと。

足音はベッドの傍らに寄り、背伸びしてゾロの寝顔を覗き込もうとした。



と



 「きゃああっ!」



明るい悲鳴が挙がった。

寝そべったまま、ゾロはサンジの腰を掴み、腹に両足をついて、鳥の様に高々と抱え上げた。



 「同じ手が通じるか、ばーか!」

 「なんだよぉ!つまんない!!降ろしてよぉ!」



それでも、きゃあきゃあと声を挙げてサンジは笑った。



 「早ェな、チビ。」

 「早くないよ。お日様が昇って、もうふた時は過ぎたよ?」

 「ああ…そっか…。」



あくびをひとつして、ゾロは半身を起こした。



 「あそぼ!」



にっこり笑って言うサンジに、ゾロも笑って



 「ああ、いいぜ。」



と、答えた。

手を伸ばし、黄金の髪を撫でる。

夕べの感触が、甦るような気がした。







 「…サンジは今日もゾロ王子と一緒ですか?」



女王の執務室。

朝参の後の執務は、書類の整理ばかりだ。

サインをしながら、ロビンは尋ねた。

その問いに、カリファが少し不機嫌に答える。



 「…今朝方、殿下にお尋ねしました。」

 「何を?」

 「殿下は、ゾロ殿下がお好きですか?と。」

 「………。」

 「…好きだとお答えになられました。…即答でしたわ…。」



ロビンの手が止まる。

書類に、ぽつんとインクの染みができた。

カリファは書類を机の上に載せ、居住まいを正してロビンに言った。



 「陛下。あの皇子を殿下に近づけてはいけません。」

 「………。」

 「男性同士であること、殿下のご容態のこと、どれをとっても、そんなことにはならないという確信ではないように思えるのです。」

 「…そんな…。」

 「…この呪いがまこと神の手によるものなら…。」

 「カリファ!」



ロビンの声には怒気があった。



 「呪いだなんて言わないで…!」

 「!…申し訳ございません…!」



ロビンの脳裏を、サンジが生まれてから今日までの記憶が駆け抜けて行く。



サンジが生まれた時、父は狂喜し、母は嘆き悲しんだ。



その後、王位を取り戻して後、父はサンジに対して普通の父親の愛をみせることはなかった。

サンジの誕生を喜び、その存在の証を立てて自身の王位の正当性を訴えて、民心と臣下の心を取り戻すことに成功した。

だが、平和が訪れて、改めてサンジが蒼天の御子であることを思い知らされ、激しく後悔した。

碧には翠天の御子がいる。

緋も、燈も、2国を見る目が変わった。



“あの”、伝説ゆえに。



 「…サンジにとって、初めての友達です…。離すことなんて…。」

 「ですが、陛下…。」



ロビンは、1枚の書類に名を書くと



 「…今日も、2人で外へ出たの?」

 「はい。先ほど、侍従から報せが参りました。昨日の丘へ行くからと…。」

 「…そう…。」



その時



 「おれが迎えに行ってやろうか?」



どこからともなく、声がした。

姿は見えない。

だが、カリファの顔が、少し安堵したかのように緩んだ。

2人とも、少しも驚いていない。

ロビンが答える。



 「まぁ、いつこちらへお戻りに?」



姿なき声はまた答えて



 「ついさっき。留守の間に、面白いヤツが来ているみたいだねぇ。」

 「ええ、なかなか、困ったお方のようですわ。いろいろな意味で。」

 「じゃあ、ちょっくら、偵察がてら行ってくるよ。」

 「よろしくお願いいたします。」



ふわり

と、レースの天蓋が揺れた。

気配が消えた。

小さくつぶやき、ロビンは息をついた。

そして



 「カリファ。」

 「はい、陛下。」

 「私は…運命を信じたくない…でも、別の意味では信じてみたいと思うのよ…。」

 「…陛下…。」



片手で顔の半分を覆い、ロビンは悲しげに微笑んだ。













 「動いた!ウソップ、動いた!」

 「えええええっ!?動いてねェよ!」

 「動いた!鼻が!!」

 「お前ェそりゃ嫌味かァ!?」



昨日と同じ丘の上。

馬を繋いだ木の下で、『だるまさんが転んだ』に興じる3人。



今はサンジがオニだ。



 「〜〜〜〜んぐぐぐ…ウソップ…いい加減に観念しろてめェ!」

 「いーや!納得いかねぇ!」



だるまさんがころん  「だっ!」

の瞬間、ゾロはかなりきつい体勢になっていた。

草に足をとられ、前のめりに片足を上げた状態。



 「てか、お前ェもいい加減観念したら?」

 「するか!おれは誰にも負けねェ!!」

 「おとなげねー。サンジ!タイムしてお茶にしねェか?」

 「うん!ボクも喉渇いた!ゾロ以外タイム!」

 「てめェェェ!!このクソチビィィ!!」



叫んだ瞬間、体が倒れた。



 「はいぃゾロも負けぇ!」



ウソップが拍手する。

サンジの頭を撫で回しながら



 「はははは!殿下、結構ワルですなァ。」

 「ゾロほどじゃないよ。」

 「なんだと!?クラァ!?どういう意味だぁ!?」



出がけに侍従がウソップに、弁当と菓子のバスケットを預けた。

ちゃんと酒も入っている。

気の利く連中だ。



サンジにだけ毛皮の敷物を使わせて、ゾロとウソップは草の上に直に座った。

酒はほどよく冷やされていて、渇いた喉に染み通る。



 「あ゛ー美味ェ。」

 「お酒なんかのどこがいいの?」

 「酒なくて、なんで浮世が楽しかろう…ってな。」

 「人生の楽しみ?」

 「ああ、そうだ。」

 「お酒嫌い。」

 「お前だって、デカクなりゃ…。ああ、もう成人は過ぎてるはずなのにな。この楽しみを知らねェのは勿体ねェ。」

 「知らなくていい。…だって、父さまはお酒で体を壊したんだもの。お酒で、お腹を壊して、血を吐いて…死んじゃった…。」

 「………。」



ゾロは、サンジを膝に載せた。



 「すまん。」

 「………。」

 「おれは大丈夫だ。自分の量をちゃんと知ってる。」

 「そうなの?」

 「ああ。」



サンジの体重が胸にかかる。

柔らかい髪を幾度か梳いて、ゾロは軽く髪に口付けた。



少し照れたように、サンジが笑う。



ウソップも、ほほえましくその様子を見ていた。

ゾロは、大勢の兄弟の末っ子だ。

しかし兄弟といっても、親しく交わった兄は一人もいなかった。

側にはウソップがいたが、同じ年齢だ。

こんな、年の離れた子供とつき合うのは初めてなのだ。

(同い年のはずだけれど。)



その時、草むらから茶色い野ウサギが一匹走り出た。

見つけたウソップが



 「お!ウサギ!!捕まえて食うか!?」

 「食べちゃダメ!!」

 「ジョーダン!ジョーダン!待ってろ!生け捕りにしてくっからよ!」



ウソップがウサギを追って駆けだす。

突然の追撃者に、ウサギは必死で逃げ回る。



 「頑張れウソップ!」

 「待ちやがれェ!毛皮と肉ぅ!」

 「食べちゃダメだってばぁ!」



追いかけて、ウソップは丘のふもとの林の中へ。



 「オイ!ウソップ!」

 「あ〜、いっちゃった。」

 「…まぁ、その内逃げられて戻ってくるだろ?」



ゾロの言葉にサンジは笑う。



やっぱり



こいつ似てるな



そしてふと



気づく





 “人生の楽しみ?”





こいつ、今…。



その言葉を、おれは夕べあいつに言った。



こいつが、そんな言葉を知っているとは思わねェ。思えねェ。



 “あいつの名前言ったか?”

 “言ったよ?”





いや。



言ってねェ。



あのタイミングで、あいつがウソップの名前を聞いたなんて、嘘だ。



ゾロの膝の上で、サンジは草を編んでいる。

小さく唄いながら。

器用に動く手が、やがて小さな王冠を編み上げた。



 「はい、ゾロ。」



立ち上がり、サンジはゾロの頭に草の王冠を載せる。



 「あはは!おんなじ色だ!」

 「………。」



“お前の頭、草と同じ色だ。”



同じ事を、言う。



同じ?

いや違う。



偶然だ。

そんなことがあるはずねェ。



自分に何度も言いながら、それでも手が勝手に動いた。

小さな細い肩を掴み、飾りと前髪をあげて隠れた額を見た。



 「!!」



同じだ。



“サンジ”と同じ眉。



 「サンジ。お前、サンジだろう!?」

 「…どうしたの?そうだよ?ボク…。」

 「その姿は何だ?何で今、こんなにチビなんだ?」

 「ゾロ…?」

 「サンジ!!」



思わず、胸の中に抱え込んでいた。

驚き、強張る体が、冷たくなるのがわかった。



 「…や…やだ…ゾロ…怖い…!」



震える小さな体。

これが、夕べのあの体と同じわけがない。

なのに、このばかげた確信は何だ?





ぴしっ





何かが、ひび割れる音がした。



ぴしっ ぴしっ





また。





その音が、どこからするのかとゾロが探ろうとした瞬間。



 「その手を離せよ、碧国皇子。」



ゾロの知らない声が、丘の上に響き渡った。



 「誰だ!?」



と、いきなり、ゾロの脇を大きな火の玉が掠めた。



 「うおっ!!」



火は地面に激突し、草を焼いた。

すると



 「エース!!」



サンジが叫んだ。

そして、ゾロの緩んだ腕から逃れて駆け出す。

いつの間にそこにいたのか、黒髪のそばかす顔の男が立っていた。

その懐へ、サンジが飛び込んでいく。

その背に手を添えて、エースと呼ばれた男が



 「…皇子殿下は、随分と高尚な趣味をお持ちのようだ。」

 「……っ!」



言い返せず、言葉を飲み込んだゾロを無視して、エースはサンジを抱き上げる。



 「姉さんが心配してる。さぁ、帰ろう。」

 「…うん…。」



チラ、とサンジはゾロを見た。

瞳がわずかに怯え、戸惑っている。



 「おい、待て。」

 「んー?」



呼ばれて、エースは振り返った。



 「誰だ?てめェ。」

 「……ポートガス・D・エース。こいつの家庭教師…ってコトになってる。まぁ、傳役だな。」

 「………。」

 「コイツに危害を加える奴がいたら、排除するのも役目でね。」



ゾロは、まだくすぶる草むらを見て言った。



 「火の力。」

 「まぁな。おかげでこの国じゃ“炎の賢者”とか呼ばれてる。おれを探す時は、とりあえずそう聞いてくれた方が早いぜ?」



誰が探すか。



エースの首にしがみついて、サンジは顔を伏せたままだ。



 「…サンジ。」

 「…!!」

 「…すまねェ…驚かせたな…。」

 「………。」



答えはなかった。



エースも何も言わず、そのままそこにゾロを残し丘を下っていく。

丁度その時、ウソップが追いついて来た。

手にウサギは、持っていない。



 「あ?あ?あれ?え?」



エースは、ウソップににこりと笑って



 「どーも。」

 「あ。どーも。」



思わず返してしまう。



2頭立ての馬車が待っていた。

それにサンジを乗せ、エースが自分で手綱をとって去っていく。

ゾロもウソップも、黙って見送るしかなかった。











そしてその夜も。



ゾロは夜が明けるまで、一睡もせずに“サンジ”を待った。



だが、夜明けの鳥が時を告げても現れなかった。



 「………。」





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              (2008/2/22)

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